イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

言葉で表現するのがにがて・・・(ありのままになる 3/10)

2015-10-08 | 第七章「光と復活体」

 今朝U先生のブログを読んでいたら、日本人は言葉での表現下手。沈黙は金・・・の価値観。そんなお話が載っていて感動した。ほんとうにそうだなと思う。私も物心があまりつかない7歳くらいのときにアラスカに行ったが、英語もしゃべれないのに結構自己表現したのを覚えている。それが、その後帰国して何年も日本の教育を受け(英語教育もたくさん)実際に英語を使う場面になると、とたんにダメに・・・

 最近縄文時代の勉強をしているが、万葉集を読んでいると、どうも日本の文化の基底には言霊文化があり、たとえば友人が遣唐使で日本を発つときに成功するように別れの歌を詠んだりするのだが、その歌で言霊を意識して神でもない私が言葉を紡ぐのは畏れ多いのではないか悩んだりするのだ。中国文化に馴染んだ最先端の文化を受容しているはずの歌人がそれなのだから、普通の日本人はどうだったのだろう。

 今は、ずいぶん西欧化してしまったが、戦後すぐのころの日本映画などを観ていると、美しい日本語が寡黙に語られているのを聴いたりする。不思議な感じである。しかし、グローバル化とか、いろいろ言われている時代になっても、おそらく日本人の表現べたは世界標準?からすると劣っているのだろう。私は、これは英語教育とは違う次元の話だと思う。これが悪いかというと、必ずしも私は悪いとは思わない。ノーベル賞の話題でもちきりの最近だが、私は何かがあると思う。

 しかし、表現できないことで、心の健康を損なうこと、これは確かだろう。

 明日もありのままになるための言葉の表現。これを考えてみたい。

 ありのままになる 3/10

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