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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

だいじな人がへんになったとき、うろたえないポイント!(他者からのストレス 8/10)

2015-10-03 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 還暦を過ぎるまで生きながらえてくるといろいろなことを経験する。その中でもストレスが大きいのは、大切な人がへんになったときかもしれない。自分自身のことでも、7歳の時に家族でアラスカで暮らしたとき、たぶんストレスから私自身が胸が痛くなる身体症状が出たことがある。ちょっとしたパニックだったが、その時、両親の適切な対応もありことなきを得た。両親の対応は今考えると適切だったと思う。

 私は、臨床心理学系のU先生の生き甲斐の心理学を学び、かつては福祉の仕事を経験したりしたこともあり思うのだが、基本的な心理学の知識をもっていないため、「たいせつなな人がへんになったとき」狼狽えたり(うろたえたり)過度に苦しむ人が多いということだ。やはり必要な知識(この場合は、人間の特徴)は力になる。

 このところ取り上げているカール・C・ロジャースは米国の学者で、もともと牧師の息子という成育史もあり宗教的・哲学的バックグラウンドをもつ信頼できる学者で、今ブログで取り上げているパースナリティ理論の命題は世界的に、さまざまな分野(心理学以外も)で大切にされ、ロジャースはかつてノーベル賞候補にもなったという。

 さて、前置きが長くなったが、「たいせつな人がへんになった」、まあ、理解を越えた行動をとったりすることだが、こんな時狼狽えるのが普通である。しかし、ロジャースの次の学問的にも厳密な命題をしっかり理解していると、大切な人が理論どおりに反応してにすぎず別にへんではないことを知る。

命題2:有機体は、場に対して、その場が経験され知覚されるままのものに、反応する。この知覚の場は、個人にとって実在(reality)なのである。

*有機体は難しい表現だが、人と置き換えてもこの場合良いと思う。

知覚というのは、知識+五感・体感と簡単に考えるといいかもしれない。五感・体感は人それぞれであるが、さらに、それを理解する知はもっと人それぞれである。ゆえに知覚は、実にいろいろ多様である。先に7歳のときに身体症状が出た私のことを思い出しても、「悪いことをすると・・・・で胸が痛くなる。」という身近な人から聴いた話をどこかで信じ、それが五感・体感とつながり混乱したのだろう。

そして、周りの人には驚愕・狼狽えるような行動があったとしても、当人は基本的に自然治癒力、ホメオスターシスがあり、他者が理解不能かもしれないが全体として何かに反応していると考えると見えることがある。厳密にロジャースは次のように述べている。

命題3:有機体は、一つの体制化された全体(an organaized whole)として、この現象の場に反応する。

7歳の私は、胸が痛いと母に訴え、両親にも理解できないことを話す。両親は狼狽えるが、子供を基本的に信頼し、もちろん専門の医師等に見せたりはしたが、へんに詮索することもなく、その後ゆっくり休ませてくれた。今考えると、私はこの一連のながれの中で、少し休ませてほしいという反応を全体的にしていたのかもしれない。それを、両親はへんに詮索もせず普通に対応する。

今の世の中、分析的にあれやこれや調べたり、またそれを助長する時代の雰囲気があるが、意外に大事なのは物事を俯瞰する力、とそれに対応する現状認識力かなとも思う。

他者からのストレス 8/10

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