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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文時代の10,000年。何故戦争がなかったのか?(夢を育む 5/10)

2019-09-25 | 第五章「和解と平和」

 2012年にハワイに行ったとき、一人海岸沿いを歩いていたら、米国陸軍博物館があり無料ということもあったので見学をさせていただいた。日本人の観光客が一人で入ってきたので、ちょっと怪しまれたが写真まで撮らせていただいた。米国から見ての太平洋戦争。平和な日本人も多いワイキキの喧噪から一歩入ったところにこんな場所がと不思議な思いがした。 

 さて、昨日は小さな罪悪感から、小さな平和の話をさせていただいたが、今日は個人ではなく政治も絡んだ集団といった大きなことを妄想している。日本は私が生まれる少し前には博物館で展示されていた太平洋戦争があり、その前の明治にも日清戦争や日露戦争もあり、世界の先進国と言われる国と同じように戦争をしていた。両親、祖父母、曾祖父母の時代は明治維新の内戦からいろいろな戦争と日常的に接していたのだ。

 しかし歴史を振り返ると、江戸時代も250年くらい戦争はなかったし、私の心酔している縄文時代は、殺人事件はあっても集団的な戦争はなかったというのが定説になっている。その期間はなんと10,000年以上なのである。明治以降なにが変わり、あるいは縄文時代は何で兵器などがなかったのだろうか。

 ちょっとした夫婦げんかと世界大戦を比較するのもちょっと気が引けるが、目的志向性、自発性、罪悪感、怒り、友好的感情といったキーワードで追っていくといろいろなことが見えてくる。当時の軍隊や政府は当然としても、私の母なども戦時中は軍事工場で平気で兵器をつくる勤労奉仕をしていたりする。そうした時代を生き抜くためには何が必要かも朧気ながら見えてくる。

 縄文時代の私たちの祖先が平和の時代を延々と続けたのは、何故だろう。目的志向性、自発性、罪悪感、怒り、友好的感情の中で、罪悪感から入り、自発性、目的志向性を駆使し、友好的感情に向かったように思う。自然と共生する社会は、動物や植物にすら畏敬の念を感じ、その生命を頂くことにちょっとした罪悪感を感じる時代である。その感覚が大きな戦いを防いでくれたのだろう。一方、今の世は、理論偏重、理屈偏重の目的志向性から入り、怒りを加速させ自発性を促す。それ故に、和解は遠くなるのではないか。哀しいことである。

夢を育む 5/10

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