先日、八王子で一か月ぶりの勉強会をした。ストレスに関する学びであったが、いろいろ学びを深めることができたようだ。その中で、私のストレスについても思索したが、理想と現実のギャップ(ストレス曲線)はすべて悪いものかというと、そうでもなく逆に人を溌剌とさせ、前向きにさせることも。
小説家になってみる・・・そんな妄想の中で(実は、論文を書く上で必要になったのであるが)、半年以上、ちょっとした悪戦苦闘をしてきた。まだ、完成はしないまでも、芥川賞の作品くらいの量(質は別?)の小説を書きためてきた。学生のころ、大学3年のころ、一瞬であるが小説に憧れ書いたことがあった。それは未完の短編(何だかわからない?)であったが、その時に感じた感情(無意識かもしれない)を、40年くらい経ってから味わい・発展させてきたようにも思う。
エリクソンの人格形成論にでてくる、劣等感は8-12歳を中心に面に発現される感情とされるが、技能と勤勉性が対となってくる。ちゃんとした小説が書けないという、自分の中にあったある種の劣等感が、今回の小説家になってみる・・・のプロセスの中で解消されたのは間違いない(下手な小説ではあっても、質はともかく量は!)。劣等感の解消は、まずスモール・スタートなのだろう。始めなければ絶対に解消などしない。
何故書けるようになったかは、いくつかの要因があるが、やはり学生の時から40年たち、それなりに経験を積み技能が向上してきたことがあっただろう。多分、成年になってからの営業やマーケティングの仕事、労働組合の仕事、福祉の仕事、生き甲斐の心理学の勉強と普及活動・・・そんな中で、構想力とか、昔にはなかった技能が培われてきたのだと思う。人は思ったとおりの人になるということが言われるが、本当にそうだと思う(評価されるかは別にして)。病気になるようなストレスは問題だが、生き甲斐を加速させ、自己実現に導くストレスは大事なのだ。
とはいえ、私は小説家になるために生まれたのだろうか?多分そうではない・・・別の道への一つの過程なのだろう。
小説家になってみる 8/10