ステレオタイプという言葉が、音響関係の言葉ではなく、「型にはまった」とか「形式的な」という意味で使われていることを知ったのは意外と最近である。調べてみると、もともと印刷関係の用語で銅板などを指しているようである。
自分の体感・五感を伴った智恵からではなく、借り物の思考や行動を、諸般の事情から無条件に?演じる。これがステレオタイプということでは?と今は自分なりに解釈している。
2-3年ブログを毎日のように書いているが、読者の反応をブログサービス提供者から送られてくる数値で、知ることができる。読んだ方のおおよその人数、読まれたページ数などである。
そして、時に反省の材料にするのだが、ステレオタイプの文章だったかなと思うような内容の時は、端的にそういった数値がでてくる。
どこかで聞いたことがある、何のトキメキもない。読者から本音で言われているようにも思うことがある。自分では気づかないうちにステレオタイプになっていたことを知ることもある。
生き甲斐の心理学を学んでいくと、このステレオタイプなるものは、フロイトの14の防衛機制と密接に関連していると気づく。抑圧、抑制、昇華、合理化、感情転移、置き換え、知性化、退行、逃避、同一化、摂取、投影、反動形成、補償。
自分の中には、この14の防衛機制の原型がある(だろう)。
防衛機制を外して、自然体で感じる世界。五感と体感で感じる世界を見つめる前に、自分の中のステレオタイプを見つめてみたい。
自己否定ではなく、より大きな自己肯定のために、幸福に生き続けるために。
<ステレオタイプ1/4>
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サービス業が長いせいか、そんな応対をする人に出会うとつい「マニュアル人間」と思ってしまう。
つまり、「気持がこもっていない」のである。
マリオさんのおっしゃる「ステレオタイプ」も同じようなことなのかなあ、と思ってしまいました。
でも、マニュアルに従った挨拶などでも、型から来る、良さというものもあるような気がします。