孤独な独り立ちをすればするほど、その時に巡り合う協力者というか同志は有難いものである。今回の旅のテーマは持統天皇であったが、持統天皇は天智天皇の次女として生まれ、父の血を引いたのか天才的な政治家だったと推察できる。その持統天皇が天智天皇の弟の天武天皇と政略結婚させられて、恐らく当時の10人(正式)の天武天皇の妻の中では、配偶者として天武天皇との間は難しい問題を多く孕んでいたのではと思わざるを得ない。
しかし、持統天皇と天武天皇の間は固い絆があったようで、二人のうち持統天皇が病気になると、天武天皇は薬師寺(現在の元薬師寺)をつくり祈願する。さらに天武天皇が重い病に陥ると持統天皇が薬師寺(元薬師寺)を中心にして祈願する。その願いも空しく天武天皇は亡くなるのだが、その陵には、後日、持統天皇は火葬で骨壺の姿になるが、天武天皇と一緒の場所に葬られる。同じ陵に夫婦の天皇が合葬された例は他にはないと言われている。
ここまでの絆は何故生まれたか?私は、今までいろいろな小説や歴史解釈に触れたが、ピッタリするのは同志とう切り口だ。
天武天皇は壬申の乱の前に、近江から政権奪取のため、命がけで吉野に下るのは有名である。しかし持統天皇についても、10人の夫人の中で唯一、近江から吉野への逃避行に同行する。それは、夫婦だからということではすまされない何かがあったと思うのだ。いろいろな見かたがあるが、当時の政治状況の中では、大友皇子が近江朝の中心であり、皇后の政治的地位は額田王を母にもつ十市皇女(大友皇子の妻)や倭姫王(天智天皇の皇后)の方にあり、天武天皇の妻である持統天皇や草壁皇子(息子)は霞んでいたようだ。このような時に、持統天皇が政治生命をかけて、あるいは負ければ死罪ということまで視野にいれて、天武天皇に同伴したのは独り立ちの典型だったと思うのである。
(藤原宮からは野口稜が真南にあり、持統天皇は藤原京の大極殿から、天武天皇の眠る野口稜をいつも眺めていたかもしれない。)
魂でつながるような同志。私達はいろいろなところで独り立ちをし、その都度、浅い深いの差はあるにしろ同志と出会う。そんな同志と一緒に旅をするのは実に楽しいと思う。一人旅もいいけれど。
間を考える旅 10/10
------------------------------------------------------------
縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。
「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法
1.紙の本の入手については・・・
四ツ谷サンパウロ書房さんへ 定価(1,500円+税)送料別。
電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)
住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2
2.電子書籍版は定価(1,000円+税)でアマゾンさんで、
Kindle unlimitedでも読めます。サンプルもあります。
森 裕行 | |
なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!
尚、私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の
著作がありますのげご注意ください。私の著作の確認はこちら!
------------------------------------------------------------
+++スマートフォン等のブログ表示で心理学関係の広告が掲載されることがありますが、私が推薦しているわけではありません。ご注意ください。