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先日の御殿場はあいにく天候に恵まれず、富士山は見られなかった。山間の宿は霧の為視界が悪かったが、霧の合間からしっとりとした景色が時々見られた。
霧は不思議な感情をもたらす。
この感情の原型を考えてみる。7歳のころ、アラスカのパルプ工場から自宅に向かう、父が運転するトラックの中で霧に遭遇したときの感情のようだ。崖から落ちはしないかという不安感と、父がとなりに居るというちょっとした安心感。
霧の思い出は他にもある。青年時代、東京、大阪郊外の山に登ったり、時には槍ヶ岳などに登った。その時山道で霧に会うことは結構あった。
こうした、いくつかの霧に遭遇した時間と場所が、御殿場での霧を媒介に繋がる。霧はメビウスの帯のように、私をワープさせる。
霧は不思議な感情をもたらす。
この感情の原型を考えてみる。7歳のころ、アラスカのパルプ工場から自宅に向かう、父が運転するトラックの中で霧に遭遇したときの感情のようだ。崖から落ちはしないかという不安感と、父がとなりに居るというちょっとした安心感。
霧の思い出は他にもある。青年時代、東京、大阪郊外の山に登ったり、時には槍ヶ岳などに登った。その時山道で霧に会うことは結構あった。
こうした、いくつかの霧に遭遇した時間と場所が、御殿場での霧を媒介に繋がる。霧はメビウスの帯のように、私をワープさせる。