田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

たった一冊の本を探し出すのだが 捜し物を忘れると云うこと

2011年05月28日 | 日記

5月28日(土) 雨     曇り    雨 の   繰り返し

木曜日に10年振りくらいにくらいに話をした友人、遠路東京から来てくれた。ソノ話の中で思い出した本を探そうと昨日は一日中本箱やダンボール箱を漁った。目に入る本は既に俺の生活には用を為さない本が多く、片っ端からページを捲っては要らない本を分けた。 

山積みのままでは本が崩れるし 要らない本だからと云って紐で縛ってリサイクルに出すには忍びない。そんなことを思いながら無心に本のページをめくっては要らない本を分ける作業に没頭したが、今朝になって本箱をひっくり返した目的を忘れているように思えた。こんどは、探していた本のタイトルが思い出せない ・ ・ ・ 

Mが昨日の玉子はどうした?とこれもすっかり忘れていた。昨日拙宅を訪ねてくれた Iさん夫妻を歓迎しようと生ゴミ堆肥を作るダンボールに玉子を仕込んで置いたのをすっかり忘れていた。本も玉子も通り過ぎたことと、どんどん忘れる。それが不自然でなく、至極自然に忘れ去るのが困るのだ。

昨日は40℃までしか上昇してなかった発酵温度も、今朝は60℃になっていた。たぶん昨日の夕方にはもっと温度は高かっただろう。

朝飯のサニーサイドと云うわけではないが、取り出してみると充分な暖かさがある。

袋からだしてしっかりと洗いMの手により器に割落とした。

見事な温泉玉子、生ゴミを米糠と腐葉土に併せた中に入れて ・ ・ ・ 勿論、生ゴミを微生物が分解するときにでる発酵温度を利用したものだ。食してみると僅かに“生ゴミの臭いがする”なぁんてことは無い、塩が欲しくなる正しい卵料理となった。

午前中は昨日の続き、本を探しながらも結局は目的の本は見つからなかった。このオルガンの本と一緒に置いておいたリードオルガンの本、どこへ出かけて行ったのだろう。

捜し物するのは本だけではなく車の鍵も、免許証の入った財布もその仲間だ。先週のこと、俺は眼鏡を洗面所に置いたまま出かけてしまった。それでも人と会い簡単な仕事をこなし、何気なく車に乗ったときふと我の顔に手をやり、眼鏡がないのに気がついた。

外で無くしたと信じて家に戻ったが ・ ・ ・  

不思議な時空間を体感するのが老境と云うことなのだろうか?

コメント (2)
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