田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

濃い朝霧 

2011年06月10日 | 日記

6月10日(金) 霧     薄日が射す   蒸し暑さを感じる

朝は僅かに雲が紅に染まり晴れるのではと思わせた。しかし、山にへばりついていた霧がどんどん濃くなり日の出時刻には直ぐ近くの神社の森も見えなくなった。

やがて明るくなると霧もやの仲、裏山との境の背の低いニセアカシアの白い花が目立ち始めた。この花も命は短く、やがては雨となって降り注ぐようになる。アカシアの雨、花つぶが雨のように落ちて来てそれに打たれて死んでしまうと云う。なんとももの悲しい歌詞なのだが ・ ・ ・ 確かにこの花びらが散るときには茶色く変色して見る影もない。ノーテンキな俺には、雨に打たれて死ぬのは無理な話だがメロディーだけはなんとなく思い出す。

 だいぶ明るくなったので、外に出てみると地面にはうすく影が落ちている。我が家の苗木畑(立派)では去年挿し木をした柏葉アジサイが小さな花を開いた。ここを苗木畑と命じたのは、俺が草刈り木で再々首を撥ねるから、丸太で囲い立ち入りを禁じられたところだ。

 黄金シモツケも挿し木をして大きく育てたが、今では実生の苗が雨水の流れに沿って芽を出している。しかし、この花の名が思い出せない。以前このブログで教えていただいたように思うのだが ・ ・ ・ こう言う全く記憶から抜けていることを忘却というのだろう。花のだから良いようなもの、我が家の太陽ともなるMの名や顔を忘れ去る日が来るのはいつ頃なのだろうか?身の回り目の付くところに書き殴って置けば忘れることはないと思うが ・ ・ ・ 後ろではムリだと云う声が聞こえる。

 庭の中央に大きくなりすぎたハマナスが満開になっている。一日花として蕾から花へ変身するときに最高の香をふりまき虫たちを集める。朝に開き夕方には花の形が崩れる。一日を一生としていきる姿を見習いたいものだ。

 なんだか寂しい方向に思考が偏るが、フタリシズカと云う植物としては賑やかな者がいた。普通は2本立ちとなるのだが、これは5本に分かれていた。裏山との境の木陰で子孫を可能な限り増やそうとしたのだろうか。

 草だらけの庭の外れ、こういう所がこの花として、居心地がよいらしい。陽当たりの良い庭では白い花は消えてしまったが、この木陰では西日が僅かに当たる程度。根は草に覆われ常に湿り気を持っているようだ。シュンランと云う蘭の仲間ではないのだが、名ばかりの蘭と云うことだろう。

この冬は今まで以上に寒さが厳しかったと誰もが云う。 このイブキジャコウ草も寒さに強いと聞いていたが、雪溶け水が凍り一冬氷に閉ざされたことで匍匐していた先のは枯れてしまった。

朝の薄い陽射しも直ぐに雷とともに雨、昼前には止んだが再び雨、予定していた草刈りは来週に持ち越されることとなった。

 

コメント
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