田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

桜とは決別 激しい雨 断続的に激しく降る 

2011年05月11日 | 日記

5月11日(水) お湿りと思っていた雨も激しく降る  昼も 夜も 激しい雨

朝は静かに降る雨で明けた。雨が降ってくれると云うことは外仕事は休める。畑も花壇もバラの垣根を作る作業も今日は予定から外した。

だから何もない一日を過ごすと云うわけではなく、宿題と云うか俺におハチが廻ってきている作業がたまっている。夕べ、社協報の編集会議で何気なく地域の断水騒ぎのことをしゃべったら、それを記事にしたら ・ ・ ・ と声に押された。もう一つは前から言われていた原稿を丸々書き直して昼前にメールに添付して済ませた。

外は朝の雨とは代わり本格的に降り出している。一昨日まで花が勝っていた桜も、今は重たい雨に花も葉も下向きになっている。

散る運命にある桜、青空に舞いながら散るものと、雨に打たれて直線的に地面に落ちる桜がある。どちらが良いかは解らないが、俺が桜になれるのなら青空を選びたい。しかし、それと同じくらいに思うのは、ほんの少し、僅かな霧雨のようなものでよいが湿り気の中に散っていくのを選びたい。桜は何を思うのかは解らないが、昨日の命は最期の艶やかさを魅せてくれていた。

一連の春の花は桜で幕を下ろすのかと思っていたが、土手から立ち上がっているエゴの樹?それともカイドウ?蕾を一杯付けて雨をしのいでいる。花が開いて雨に打たれると下を向くが、蕾の時は上を向いて雨に向かっている。しかも、ガラス玉のように光る雨粒負けない勢いがある。

 

午後3時ころは一番激しくなった雨。その雨にも、自然樹の蕾にも負けずに俺は「町活センター総会」の打合せに向かった。

東日本震災ボランティア体験談をお願いするHさんの熱い口調が耳に残る。

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母の日だという 五月も半ば 

2011年05月10日 | 日記

5月10日(火)  曇り   湿り気のある暖かさ  やがて雨

春は遅いと云いながらも辛夷が一番、次に梅が咲き、水仙が開き、黄色い艶やかなレンギョが辺りを染め上げ、桜も染井吉野、雅、そしてヤマ桜と春の花が短い間に花を見せてくれた。一番遅い山桜も昨夜の突風で緑が目立つようになった。

今日の日が待ち遠しかったと云うか、4月の20日から今日で二十日、種を蒔いた畑には五月十日に収穫とマジックで書いた札を立てておいた。文字通りの二十日大根、サラダにもならないことを承知で引き抜いてみた。まだ双葉が少しだけ変形して四枚の葉となったただけなので判っていること ・ ・ ・ 信州の寒さ、今年は格別の寒さだったと云うのだから、看板通りにはいかないものだ。

 昼近くになって宅配便で大きな段ボールが届いた。中には母の日だと云う花束が ・ ・ ・ 日曜日から二日あとになっているが素晴らしいバラが勢揃いしている。訳あって遅いのだろうが、妻の日というのを聞いたことはない。今からでも遅くはないと思うが、花よりダンゴと耳に響いてくる。

 昨夜までは9時から田舎暮らしネットワークの会議があることを自覚していた。朝になって集落の役から呼び出しがあり急いで山へ ・ ・ ・ 

9時の予定はどこへ行ったのか ・ ・ ・ 携帯も軽トラの中では不携帯、ゴメンナサイと電話で平謝り、雨も落ちて来たの畑へ急いだ。畑では思っていたとおり、今年の厳寒を乗り越えた数株のイタリアンパセリが見事な緑を見せてくれた。寒さに耐えたお祝いに、彼らがメインとなる料理でも作りたい。

 いただいたネギ苗の絡んだ根を分けていると直ぐ近くに山鳩が来た。しかりと地面をつかみ一歩一歩確認するように歩いてくる。レンズを向けて近寄せると意外にも足指がピーンと伸びる。近づいて来るの見ていると、鶏と同じで首を前に振るごとに足が前に出る仕組みになっているようだ。

瞬間的に振り向き、“ヨケイなことを云うんじゃないよ” と睨みをきかせた。平和の象徴と云う鳩も爪は鋭く目線も厳しい。 

 雨が本格的に降り出す前にネギを二列植えた。下仁田ネギと松本一本ネギ、俺の家の前を通る古道「大内道(おおないどう)」は西は松本、東は下仁田に通じている。東の終点はまだ先で群馬の倉賀野だと云う。ネギたちも倉賀野から川を下り江戸へと運ばれたのだろうか?

調べて見ると松本ネギは江戸時代から松本地方で栽培されていたそうだ。片方の下仁田ネギは明治から昭和に掛けて三度も皇室に献上されたと云う。俺の(家の前の)道を松本ネギが通ったかは定かでないが、秋には大きくなって欲しいものだ。辺りの草をマルチ代わりにしっかりと被せたので少しぐらいの激しい雨には大丈夫だろう。

 夜は社協の編集会議、会報も思考を懲らそうとあれやこれ、震災モードから復興モードと災害ボラの募集を掛けていざ、東日本へっと行きたいところだが、汚泥の運び出しには足腰が持たない。三泊四日のボランティアツアー大枚を自腹でイザ如何。。

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散る桜 残る桜も散る桜 俺も桜となり得るか

2011年05月09日 | 日記

5月9日(月) 快晴  午後からは 雲が広がる  夜中には激しい風

《オキナグサ 雨粒を頭に載せて》

昨日は昼、夜と会議、総会前に云っておきたいことを言葉に表す難しさを感じつつ ・ ・ ・ 口ごもるわけではないが、「モノを云えばおハチが廻ってってくる」ことを皆 承知しているのだ。

お金の事だけは数字でハッキリと分かる。精算するモノはしっかりと精算して、使途不明金も領収書がないから自腹を切れとは誰もいわない。それなりに、野良仕事や重労働をコナシての会計、仕方なくおハチが廻ってきて、呑めないからと、酒を買い足しに。。。 領収書など腹の中に収めようと云うのが仕来りのようだ。町からの補助金も今年も申請して、公園の整備も益々充実したものとなっている。

《桜も緑の葉が目立ってきた、今の強風で明朝はあえないであろう》 

夜の会議の前に、お世話になった方が亡くなられたと云うので焼香へ伺う。春にはりんご園で声を交わしたとことを覚えているが、人の命は儚いものだ、一年に数回会い声を交わしたが、少ない言葉の中に学ばせてもらったことが多い ・ ・ ・ 合掌

夜にはボランティア集団「町民活動センター」の総会に向けた役員会が開かれた。名称を変えて出直して二年一期を終えたことになるが、検めて活動の諸々を見なおすと大幅な会則の改正を提案されている。17ヶ条の条文ながら、人それぞれ思うこと感じることが違う。更には出身母体の代表として参加してしている故、納得難いところがある。ある ・ ・ ・

決められた90分で終えることが出来ると思ったが、肝心の総会プログラムが全く手を付けられなかった。時間も押すことから、“たたき台は俺に任せろ”と酒を呑んでるわけでもないのに見栄を張ってしまった。

そんなこんなで今日1日はPCにかじりつき、タイムテーブル、広報宣伝、一人合点なので仕事は素早くともないが、なんとか夕方にはメールで飛ばした。今日の予定は種まきとバラの棚作り、予定は未定と決定には至らなかったが、明日は雨、雨上がりに種まきでもしよう。

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今頃って云われるが ジャガイモの種まき 

2011年05月07日 | 日記

5月7日(土)  曇り   午後からは風も冷たく 夜には雨

いろいろなイベントも一段落したところで、ジャガイモの種を蒔く。種と云っても芋、「種芋を蒔く」と云うのが正しいのだろう。少し前に畝立てと云うほどではないが、冬を越した畑の土を軽く起こしておいた。ジャガイモだけではないが、肥料は特別にはやらないが、種芋を撒く溝に、薪ストーブの灰を薄くいれた。あとは、辺りの草を刈り取ったものを畝に沿って置いておくだけ、大きなジャガイモはできないがそれなりに美味い。

瞬間的な作業で3畝50個の種芋を撒いた後は、2年前にMが挿し木をしたハコネウツギと名前が分からない2種類の木を植え換えた。これは西の外れ、土手の中棚に沿って植えた。土手には既に草が繁茂して、少し離れたところから見ると、どこに何を植えたか解らない。昨日写した写真は曇り空と云うこともあり、全く何を撮ったのか分からない、快晴の今朝カメラを持ってもう一度訪ねた。

無花果は冬囲いをせずに冬をこさせたので、芽が出るか解らないが枝を剪定した。剪定したと云うと巧技を用いたおだが、ただただ、ノコギリで枝を切り落としただけだ。この手の木は切り口から出る樹液にカミキリムシが群がるので、しっかりと塗布しておいた。

あっという間に昼飯となったが、外飯をするには風が冷たすぎる。厚い雲に覆われ風も強くなると、作業中止命令が頭の中で発せられた。

 

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子どもの日 わくわく感は今でもあるのだろうか?

2011年05月05日 | 日記

5月5日(木)   薄曇り    風は冷たい  午後からは晴れ

昨日は一日中断水騒ぎ、予定も大幅に変更となったがその割には、翌日の今日は静かに開けた。俺の家は断水した地域の中でも標高の高いほうから5番目くらいだから、夜にならないと水がこないと聞いた。システムはど~なっているのか知らないが、結局午前1時ころに蛇口を拈ると細く水が流れ落ちてきた。

17世帯の夜から朝までの水として500リットルタンク二つが夜通し待機していたようだ。

五月五日は毎年恒例の、佐久環境フェアにたてしなエコ・クラブで参加した。今年のメインは段ボール式生ゴミ堆肥化、ブースのセッティングをしている内からいろいろ聞いてくる人が多い。

若い夫婦で子どもの将来のことを話す人、生ゴミの臭いをなんとかできないか?と云う中年女性、暖かくなるにつれて生ゴミの悩みは多いようだ。堆肥となった完成品1kg(プランターの元肥)は用意していったものは完売した。また、腐葉土と米糠は2セット販売できた。販売することが目的ではなく、生ゴミは資源として畑に戻すと云う、循環を大切にしようと云う趣旨だ。

環境フェアは様々なブースが参加しているが、多くは長野県の出先機関が多い。自転車の発電量を量ってそれなりの商品を出していた。

長野県環境保全研究所などアンケートと電気使用量でエコ度を測る、ゲーム間感覚で環境意識を高めるブースなどが多い。

午後3時で終了と云うことで短時間だったが、朝から座ることなく沢山の人と生ゴミについて話をすることができた。持ち込んだ手作り資料は全て手渡すことができたので、多くの人が生ゴミを燃やすゴミに出さなくなるとを願いたい

生ゴミは焼却炉にはこばれてもそのままでは燃えない、燃やすためには石油など化石燃料を使いながら焼却させる。化石燃料が炉の温度を高温にするため、今度は水道水を霧状にして噴霧すると云う。生ゴミを燃やさない、腐らせないことが大切、今回も腐ることと発酵する違いを説明するのが難しかった。解りやすくパネル表示することが次の課題だろう。

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被災者と同じ断水 などと云ってはいけない 

2011年05月04日 | 日記

5月4日(水) 晴れ なんとなく曇りとなり 午後はぼんやりとして

 庭の花も第二陣が咲き出し、桜が終わりを告げたと思うと隣の白い花、地元では小梨と云うそうだが、強い風が吹いても花びらは舞うことがない。レンズを近づけてみると黄金のリングがティアラのように見えた。

 庭を見て歩くとフサスグリも花を開きだし、3㎜はないと思う花でしっかりと密を吸っている虫がいた。カメムシの仲間か背中を見ようと覆い被さるように覗き込むと既に姿がない。

 桜より遅く咲き出したアーモンドが満開になった。低いところの枝先の花を見ると、やはり凛々しい。さくらと云うよりもアーモンドとカタカナ表記が似合う花だ。

 庭を半分くらい回ったところでMが水がでないと声がかかる。俺が顔を洗ったときには出ていたが ・ ・ ・ 7時30分になるのを待って役場に電話をすると、当直が寝起きなのかはっきりしない声で、断水の情報はないし、工事の話もないと云う。断水の原因究明中ながら、給水車が9時半にくるので集会所に容器を持ってきてくれと役員から伝言が伝えられた。

我が家は高齢者二人と犬二匹、飲料用以外の水は井戸の水があるのでど~てことはなが ・ ・ ・ と強がりを云う。昼頃には水が出るようになるとの腹づもりの言葉だ。

 昼飯前に給水車が来たので軽トラに積んだポリタンクを満タンにした。ところが、非力な高齢者には20リットル入れたタンクを家の中に運ぶのは大変だ。大きなタンクで欲張らず、5リットルを数多くすることがこれからの生活の知恵だろう。

水運びのあと再び庭を歩くと、道路脇の水辺ではホバリングの名手ホソヒラタアブ(上の写真)がいた。 土手の草のないところでは今年は初めてカメラでとらえた紅シジミ、懐かしい愛くるしい姿が嬉しい。

 庭の云い番低いところで桜草が咲き出した。桜草は湿り気のある水分の多いところを好むという。去年は花芽が少なかったが、今年は沢山の緑が顔をだし、マッチ棒の先ほどの小さなピンクがのぞいている。

明日の佐久環境フェアに使う道具を軽トラに積み込んでいると、役場の水道課の大の字課長が重たそうに水のタンクを届けてくれた。

 

夜になっても蛇口を拈っても水の出る様子はない。原因は水道タンクの水位を保つ部分のパッキンが壊れたとそうだ。それにしても、12時間以上の断水、俺たちは自分で選んだ住処だから、こういう事態も納得と云うところだが ・ ・ ・ 

水が足りなければ、集会所に朝まで給水車を置いてあるから ・ ・ ・ と親切な言葉をもらった。

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つかの間の旭 黄色い太陽 

2011年05月03日 | 日記

5月3日(火) 黄砂は相変わらず 午後からは 雨

朝日の昇る姿を見て、今日は晴れと確信した。昨日は猛烈な黄砂に、予定が大きく狂った。バラの棚を作り、霜に弱いエビネの霜回避用の覆いも用意する予定だった。このスケジュールが今日は完遂できると朝日を拝んだ。

 

太陽が昇るにつれて何時もの赤い色とは違い黄色い。

浅間山も太陽が姿を現してもぼんやりしたまま、寝起きがわるい。朝焼けも瞬間的に紅色を見せたが直ぐに、黄色いと太陽と化した。

昨日よりは治まったかに見えるが、時間がたつほどに黄砂の影響がある。これほど黄砂を嫌うのは俺だけだろうか?何故時期のほこりっぽいを嫌うのは、東京武蔵野育ちのためだろう。関東ローム層の赤土が畑から舞い上がり、隣の家も見えないことがあった。

信州では杉花粉は見えないが、五月も半ば頃になると赤松の花粉で屋根も車も太陽光発電パネルも黄色くなってします。救われるのは 、藤木の根回りでさいているツルニチニチソウの緑と青の花が清々しさを感じさえてくれた。

ぼんやりとしながらも朝日は地面低く届いたが直ぐに厚い黄砂に消された。午後には雨も降ってきたので、太陽が消えたのは黄砂だけではなさそうだ。

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花より団子 散る桜 残る桜も散る桜

2011年05月02日 | 日記

5月2日(月) 黄砂   強風  黄砂   一日中黄砂に暮れる

昨夜は霜注意報で花壇のエビネや顔を出したばかりの草花の芽を新聞紙で覆う作業を暗闇の中で済ませた。ところが、今朝になってみると黄砂の影響か太陽は薄ぼんやりと暖かい朝となった。暖かさから、リビングから観る桜も満開、残る桜も散る運命を待っているようだ。

町でも桜の名所とされている愛宕山、我が家から晴れていれば一面桜色に見えるのだが、黄砂では花見客もないと見えて、カラスも当てが外れた餌場を電信柱から観察していた。

 ヒヨドリは最後の桜花まで見逃さないぞと首をひねりながら、花から花えと巧みに密を吸う。

 モズは枯れ木に止まると云われているが、桜に止まり花より団子。子育てに懸命な母百舌、咥えているのはダンゴムシ。

 ダンゴムシかは定かでないが、睨む芝生に飛び降りて、虫を咥えて花へと戻る。

 春を食するのは人も同じ、棘トゲの木の芽を食らうとは勇気がある。鹿に先を超されたものは仕方が無いとしても、我が家と友人が口にするくらいは充分ありそうだ。

  

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信州では卯の花はこれから 卯月は終わったというのに

2011年05月01日 | 日記

5月1日(日) 雨は外れ 突風が吹きまくる  夜になっても 強い風

昨日、大内道沿いの罵倒観音が倒れていたのを直した。その前に最後の雪で小さい方が倒れたのを誰かが直してくれたのが、また倒れたのだ。コンクリートで土台を作り直すのもよいが、出来るだけ昔ながらのもので修復したい。昨日の作業は土を掘り返し底を平らにして、龍の髭を二列に植えた。この草がしっかり根付くまでは林檎の木で支えを拵えてやった。昨夜の雨で崩れたてはお見なしたがセーフのようだ。

馬頭観音のある土手の反対側にはスズランで花芽を出したばかりだ。まだまだ霜が降りる日が多いと思うが、負けないで欲しい。

土手を左に進みクマザサをかき分けて獣道を進んだ。急坂を笹に脚を採られながら登り切ると東側に下る。フタリシズカの芽が出ていないかと確かめたが姿はない。斜面に立つ唐松の幹に鹿が角でも研いだかの傷跡が生々しい。

更に左に登ると道に出る手前で蕗の花が咲いている。ここは陽当たりが少ないので、今頃になって蕾が開いたようだ。今頃、里では蕗の薹は貴重品になっているのだろうが、この大きさでは口にするには勇気が要る。

今日から5月だが、寒暖計を見ると4月の最低、最高気温が残されている。低い方は-9℃、高い方は22℃もあったようだ。最高気温が20℃を超しながら、今年は寒いと言い、田植えがだいぶ遅くなりそうだと聞いた。

今、外は猛烈な風、使うことのない雨戸が音をたてている。 

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