佐田岬は半島でも中途半端な半島ではない。40数キロにわたって九州の方へ向かって伸びている。先日お花見を兼ねて一泊どまりでこの半島へ出かけた。四国電力の伊方原発があるので有名なところだが、そこへは行かなかった。いまでは山の上に風力発電の風車が沢山並んでいた。
風力発電については騒音公害が言われているが、ある環境保存の活動家は渡り鳥がその羽根に当って死ぬから反対と言っているそうだ。確かにそういうことが起こる確率は0ではないだろうが、鳥もそういう危険性を逃れて飛ぶことができないようだともともとその種の生存は難しかろう。
でも私にはそれがもし主な理由で風力発電に反対だというのなら、それはやはりちょっとおかしいと思う。主な理由がそうでないのならば、その訳を知りたい。
人間は自然に働きかけて生きている。確かに人類の生存を脅かすような重大な自然への働きかけはできるだけ避けるべきだと思うが、本質的に人間は自然を利用することによってしか生きられないのだ。そこのところを見誤ると何をしてもいけないということになろう。
将来にわたって何百年も放射能汚染が残るとかいうとこれは人類の生存が直ちに脅かされることになる。だから反対するのは間違いではない。ヨーロッパの反原発の運動はチェルノブイリの原発事故によって自分たちの生存が危うくなったという認識がヨーロッパに広がったためだと聞いた。
環境保護者は環境の保護を訴えるが、それも程度問題であろう。それほど影響がないと考えられるのに狼少年のごとく警告を発するのは本当に警告をしなくてはいけないことへの警告を印象が薄くすることにはならないのか。
また人間は自然に働きかけて生きているという自覚があるのか。それが問題であろう。しかしもちろん野放図に自然を改変して利潤を追求していいはずはないのだが。