現代時評かなにかで高橋さんが今朝の朝日新聞で書いていたことの中に表題の音楽に関係すると思われる、話が出ていた。
ピアニストの森下唯さんのブログ(http://www.morishitayui.jp/samuragochi-niigaki/)に「より正しい物語を得た音楽はより幸せである」というタイトルらしいが、つぎのように書いてあるとのことである。
(引用はじめ)私は、純粋に(どんな付帯事項もなく)音楽を聴くことは不可能だし、そんなことを目指す必要もないと考えている。「彼」の「作品」は薄ら寒い「物語」を背負っているにもかかわらず、丹精込めた「工芸品」のように聴こえ、初めは違和感を感じていた。事実が明らかになった後、感じたのは、ふだん報われることのない現代音楽作曲家がある拘束の中で、想像力を解き放ったという「より正しい物語」の中でこそ、よりよくその曲を理解できるということだった・・・。(引用終わり)
この意味するところがわからなかったので、妻に読んで聞かせたが、妻は真実がわかって曲がすなおに聴くことができ、評価できたという風にとっていた。
私にはこの文章の意味を正確に理解できていない。妻はすぐにスマホで検索して交響曲Hiroshimaの一部を聞かせてくれた。私にはその曲が悪いとは思わなかったが、妻は少し古くさいようだと言っていた。
最近STAP細胞の報道で驚かされたが、それを批判する報道も出て来ており、そういうインターネットのサイトもあるらしい。こういうことは素人には判断がつかないことなので、コメントはさけるが、他の実験者の追試がもうされていたのだと思っていた。
ところがそこら辺がまだはっきりしない。特に難しい実験かどうかは知らないが、短時間で成否が決まるはずなので、いずれ結果の成否はわかるであろう。
私はSTAP細胞が疑惑とかとは無縁な確かな成果であったとしても、それの目鼻がつくのは10年とか早くても5年くらいはかかるだろうと述べた。そういうものであろう。
私たちはマスコミとは違うので、別に熱くなることはない。冷静であることが必要である。
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