物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

エンリコ・フェルミ1

2024-04-17 09:37:31 | 物理学
エンリコ フェルミEnrico Fermiについてはセグレ『エンリコ・フェルミ伝』(みすず書房)を読んでほしい。また、フェルミ夫人である、ラウラ(Laura)の著したラウラ・フェルミ(崎川訳)『フェルミの生涯ー家族の中の原子』(法政大学出版局)が夫人の眼から見たエンリコの伝記である。

セグレによれば、フェルミのもっとも優れた業績を3つ挙げれば。次の通りである。

 1.フェルミ統計の発見
 2.ベータ崩壊の理論
 3.中性子の実験的研究

この中でもベータ崩壊の理論を私はもっとも重要なフェルミの業績と考えているが、フェルミがノーベル賞をもらったのは中性子の実験的研究、特に遅い中性子による核反応の研究に関係のである。

今世紀最大の理論物理学者の一人のランダウは「理論物理学者にして実験物理学者であった最後の人フェルミ」と評している。

(続く)

講義ノート

2024-04-16 18:16:48 | 本と雑誌
国立大学法人化のためであったかどうかは忘れたが、定年退職が近くなったときに歴史の先生の代わりというか、歴史の講義まがいのことをしたことがある。

題して「技術と科学の歴史を考える」というコースの第2部である。前期は私の知っている情報工学科の教授のNさんがコンピュータの歴史の講義をして、後期は私にバトンタッチされた。しかたがないので、ー原爆製造の歴史と原子核物理ーというサブタイトルで15回の講義をした。

そのときに資料として学生に27ページほどの私の書いたメモを講義録の代わりに渡した。そのほかにこのブログにもご披露した「ドイツ語圏世界の科学者」を付録としてつけた。これが11ページほどである。

当時の学生から資料を読んで面白かったというような反応はまったく聞いていないが、最近この講義資料を見つけて読んでみると結構おもしろい。

細かなことはさておいてもどういうことを話したのかのタイトルだけでもここに載せておきたい。
 1.原爆製造の歴史を何故考えるか 。自己紹介を兼ねて
 2.原子物理学の発展ーーX線、放射能、電子、中性子
 3.核分裂反応と連鎖反応、その発見者たちの人物像
 4.原爆の製造
 5.原子炉の原理と原子力発電
 6.放射線障害と原子力の将来
 7.核と政治
である。この中にOtto Hahn, Enrico Fremi, Leo Szilard, Frederic et Irene Joliot-Curieの話も含まれている。

機会があれば、このブログで5人の話を書いてみたい。



微分形式のわかる本

2024-04-15 12:33:52 | 数学
微分形式のわかる本とは私の読んでという意味である。私は頭が悪いから他の人が読んで理解できることがなかなかわからない。

この微分形式もそういった一つの数学の分野である。微分形式がもしわかるとベクトル解析の中心定理である、ストークスの定理だとかガウスの定理がわかるという。

そして、さらにそれらが微分積分学の基本定理の拡張になっているということがわかっている。それでこれらを私の納得のいくように説明された本があるかどうかを探している。

昨日からどうかと思って探しているのだが、スウ『ベクトル解析』(森北出版)の第10章 「微分形式」345-380の35ページを読めばいいかなと思い始めている。

第10章はこの本の最後の章にはなっているが、それほど難しくはなさそうである。この箇所を拡大コピーして読んでみたらどうかと思いはじめている。問題はこのページを見終える間くらい私の気力が続くかどうかである。私は根気がなくて、すぐに息切れしてしまい、読み続けられないことが多いので。

微分形式に関した数学エッセイを一部書いた自分の原稿を見つけたので、こういうことを思いついたのである。例によって最後まで書けていないから今のところこの原稿は有用性がない。


4月の子規の俳句

2024-04-14 10:15:31 | 本と雑誌
今日は4月14日で四月も中旬である。

忘れてはいけないので恒例の子規の俳句を紹介する。

 若草に坐ってみゆや川いくつ  子規

 sitting on the fresh grass
    counting the streams
    I can see                                      Shiki 1895

E大学校友会発行のカレンダーでは小田川の筏流しの写真がでている。連なった筏の上に8人の筏師が棹をもって筏を制御している、なんとも勇壮な写真である。

こういうお祭りがあるのだろうか。

子規の俳句にもどれば、英訳ではstreamsと訳されているので、小さな小川であろうか。それを一つ、二つと数えているのであろう。

この頃は

2024-04-13 16:06:25 | 本と雑誌
この頃は毎日、「『物理数学散歩』の目次」のブログにこの本の内容の一部を紹介した記事を書き加えている。

私自身がこの本を書いておきながら、やはり十分にこの本の価値を分かっていなかったのではないかと、ここ数日は反省しきりである。

私にはこの本があまり体系的でないとの意識があって、自分の書いた本でありながら、十分にPRできていなかった。もちろん、この本が体系的でないのはたしかに残念ではある。しかし、世の中で無料の(?)のPDF文書が配布されたりしていたのはやはりその理由があり、また需要があるということだったのだろう。

前書の『数学散歩』(国土社)は少部数の発行ながらけっこう売れて私の手元にももう数部しか残っていない。もっとも『数学散歩』の方は小学校とか中学校くらいの数学にも触れていたが、『物理数学散歩』はそういう初等的な内容は入っていない。

『物理数学散歩』は理系の大学生にもっと読まれることを願った出版だったのだが、国土社は教育系の出版社で大学の理系の学生に向けた本などほとんど出版していないのと、出版に関係した人にはその価値がわからなかったのであろう。これは致し方がなかった。

車、スマホ、USBメモリ

2024-04-12 11:17:01 | 本と雑誌
「車、スマホ、USBメモリ」とはまたまた三題噺めくが、妻がいつも依存している大事なものである。

妻にはこれらのどれが欠けても大騒ぎである。昨日も「USBメモリがない、ない」と大騒ぎであった。しかし、よく考えて見ると、これを必要があってある方に預けていたという話であった。これでは自分の家をどれだけ探しても出てくるはずはない。

スマホもなしでは済まされないらしい。最近では紐をスマホにつけて常時肩から架けている。

車もどこかに行くのに欠かせない。特に自分以外につきあいのある友人、知人の要望でどこかにその知人とか友人とかを連れて行ったりすることが多くなっている。

これは車に乗らない老人が増えていることがその理由であろうか。もっとももともと車に乗っていたのに止めたという人ではないらしい。何と妻の人のいいこと。いい加減にした方がいいと私はひそかに思っている。

そういう私もまだ車の免許を返納していないが、妻に車に乗せてもらうことが多い。

数学・物理通信14巻2号の発行

2024-04-11 15:35:07 | 数学
先ほど一日遅れで数学・物理通信14巻2号のを発行した。

昨日発行する予定であったが、他の用事をしているうちに忘れてしまった。こういうこともある。

編集作業はいつもと同じくらいの回数をしたと思うが、今回もだが共同編集人のSさんのおかげでだが、いつものに比べて努力感が少なくてすんだように思う。

きょうの新聞にヒッグス博士の逝去が報じられていた。素粒子物理学の分野では知らない人はいないだろう。94歳だったというから、ちょうど私と10歳だけ歳がちがっている。

私も94歳まで生きたいと思っているが、はてさて実際はどうなるか誰もわからない。

検索されたブログ

2024-04-11 11:25:41 | 本と雑誌
毎日のことであるが、検索された私のブログを再読して、場合によっては加筆する。これは大抵 (何年何月何日付記)の形でする。こういう風にしていくとだんだん記事の記載量が増えていく。

無限に書くことが増えていくことはないにしても、それでも記事によってはけっこう後で読んでみて書くことがあるのが楽しい。自分で読んで楽しいというのはおかしいが、それが本当なのでしかたがない。

旧稿の修正

2024-04-10 10:50:47 | 数学
「四元数(補遺1)」というタイトルのエッセイを昨日から修正している。これは2015.1の日付が入っているから、ほぼ9年くらい前のエッセイである。

これは『四元数の発見』(海鳴社)を補完するつもりで書いたらしい。そういうエッセイは「四元数(補遺n)」としたエッセイはn=4まで書いている。ところがn=1以外のすべてのエッセイは改訂版を出しているのだが、どうしたものかこの「四元数(補遺1)」だけは改訂をしていなかった。

大きな変更はないのだが、やはり10年近くも経てば、細かなんは表現は変えた方がいいと思えてきた。そしてこれも「数学・物理通信」に発表しておいた方がよさそうである。


少し時間ができそうなので

2024-04-09 09:21:58 | 本と雑誌
少し時間ができそうなので長年の念願の仕事をしようかと思い始めている。

「ははあ、そうか」と思われる方もおられかも知れない。あまりこういうことを大々的に公言するとそれが達成できないときには自分でも落ち込むのでここでは言わないでおく。推察できる人はして下さい。

6月に「数学・物理通信」を発行するときにはまた忙しくなるので、その間のちょっとしたすきを狙っての仕事です。もっとも短期間ではできないので、時間が一年以上かかるでしょう。

来年の2月にはまた私の腹部大動脈溜のCT検査があるので、それまではすこし仕事が進めばいいのですが。47ミリとか46ミリとかいま私の腹部大動脈溜の大きさが言われている。それが50ミリを越すと手術してもらえるのだが、なかなか50ミリを越えない。これは数年前から経過観察中である。

手術するときに突然死亡する確率も小さいながらもないとは言えない。それまでの命かもしれないにしてもせっかくの命だから大事にしたいと考えている。

編集が終わった

2024-04-08 14:58:11 | 本と雑誌
「数学・物理通信」14巻2号の編集が終わった。まだまだ先が長いかもしれないがと昨日書いたところだったが、それにもかかわらず編集業務は昨日終わってしまった。

やはり、14巻2号の編集においても編集作業を今回だって5,6回はしている。それが普通なので特に回数が多いとは考えたことがない。

毎回それくらいの回数の編集をしているわけである。それは大変だろうと思うかもしれないが、そういう作業をもうほぼ3か月ごとに120回以上していることになる。2009年の年末に「数学・物理通信」の発行を始めたと思うので、10年以上のこの編集業務をしていることになる。

「よく続いてできたな」と我ながら思うが、幸いにして健康なのでできる。もし、どこか体が痛いところがあれば、こういうことはできないであろう。「神様、仏様、皆様に健康でありがとう」である。

「数学・物理通信」14巻2号の発行は水曜日の予定である。というのはすぐに発行するとつまらないミスをするかもしれないからである。 





まだまだ先は長いかもしれないが、

2024-04-07 10:59:28 | 本と雑誌
まだまだ先は長いかもしれないが、「数学・物理通信」14巻2号の編集の終わりに近づいて来たようだ。

私のエッセイを査読して下さった方の S さんはとても優秀な方だが、私のエッセイの掲載についてほぼ OK を出してくださった。ほかには2編の論文があるが、こちらは問題がない。

それで3月中の14巻2号の発行にはならなかったが、遅くても4月中旬にはこの2号を発行できるだろう。最近は発行月に1回だけの発行としていたが、今回は発行月には収まらなかったが、久しぶりに2号の発行となる。

だが、私の現在の仕事の詰まり具合からすると、この2回発行はたぶん負担があまりに私には大きすぎる。しばらくは発行月の1回の発行で我慢してもらわねばならないだろう。

そういう状態から抜け出て、もう一度の発行月の2号発行に戻りたい気持もあるが、元にはたぶん戻れないのだろう。


今日から、ただ塾の先生

2024-04-06 11:06:51 | 数学
今日の午後から「ただ(無料)塾」の先生をすることになった。先日中学校の元先生だった方が訪ねて来られて、中学校のただ塾の数学の先生だった方が健康を損ねて、いま数学の先生がいないので、お前が先生の役をしてくれないかと頼まれた。

友人のEさんにも声をかけて、もしよかったら「ボランティアの」(ドイツ語ならehrenamtlichだろうか)ただ塾の数学の先生をしてくれないかと頼んでみた(注)。ちょっと行ってみるとだけは言ってくれたので、午後に教育会館で会えるだろう。

生徒さんは多くても4,5人だろうか。中学校のテクストをT先生が私のところへ持って来てくれた。内容は難しくないのだが、問題となると、テクストにある問題でもなかなか考えあぐねるというものもあるというありさまである。

計算問題はさすがに中学生のはやさしい。大学の理系に入学したが、落ちこぼれそうになった理工系学生のために昔つくったe-Learningのコンテンツが役立ちそうである(注)。

もっとも図形についてはあまり私には教えた経験がないので、これは少し時間をかけて教材をつくる必要がありそうだ。

(注)私の勤めていたE大学工学部では外国語のできない学生はいたが、あまり理工系で、その勉学について来れない感じの学生はすくなかった。

一人だけそういう学生を知っているが、彼は文系の学部にも変わってみたが、最後には大学を中退してしまった。だが、どこかにちゃんと勤めて働いているらしいからそういう意味では問題があまりない。

(注)ehrenamtlichについては前にこのブログに書いたことがあるので、ここでは繰り返さない。要点だけ言うと「名誉職的な」意味もehrenamtlichにはある。


語るに落ちる

2024-04-05 13:11:32 | 本と雑誌
昨日だったか一昨日だったか「語るに落ちる」という日本語を使った。ちょっと気になって後で広辞苑を引いてみたら、「思わず本当のことを言ってしまう」とあった。

日本人は身内の自慢などしてはいけないので、私が妻は「懐の深い」などというのは古来の日本の常識からは許せない発言であろう。そういうことは重々承知しているのだが、つい口が滑ったということで寛容な皆様のお許しをお願いしたい。

単に私がたまたま使ってみた言い回しだったので、こういう言い方をいつもしているわけではない。念のため。

それもこれも「棹(さお)さす」という語の意味を妻が知ったと数日前に私に話してくれたことがきっかけになっている。この言葉の遊び的な、連鎖が長くつながれなければいいのだが。




計5回の歯科通いが終わった

2024-04-04 13:08:57 | 本と雑誌
今日は9時30分から歯科の予約があった。

続けて5回目の歯科通いがこれで終わった。Gott sei Dank. (ゴット ザイ ダンク)。 

Gott sei Dankは直訳すると「神に感謝あれ」であろうが、別に神様に感謝しているわけではなく単に「やれやれ」という意味のドイツ語である。

3月半ばに左の奥歯の義歯がとれて3回通ったが、その後に2回だけ歯の掃除に通ったのである。こちらの方は半年に1回くらい歯科通いしている。

歯が健康であることは体の健康の基本であるという考えている。一部に義歯とかはあるけれども基本的には自分の歯がまだ十分に健康である。これこそGott sei Dankであろうか。今度は「おかげさまで」という意味のつもりだが。

中年以降は毎食後の歯磨きは一生懸命している。