フレデリックとイレーヌ・ジョリオ - キュリー夫妻の簡単な評伝についてはセグレ『X線からクォークまで』(みすず書房)237-243ページを読んでほしい。またフレデリックについては参考文献の『ジョリオ・キュリー遺稿集』(法政大学出版局)を参照してください。
イレーヌは言わずと知れた有名なキュリー夫人の長女であり、体つきも性格も母親そっくりであったという。血筋とその母親からの教育によって母親と同じ放射線科学の研究に入った。
一方、フレデリックは物理学者ランジュバンの学生であったが、その並外れた技術的な才能を買われてキュリー夫人の助手として推薦された。彼は陽気で活発な上に気持もやさしくまた想像力にも富んだ人物であった。
彼らは後にチャドウィックが中性子の発見をするきっかけとなる現象を発見した。また1938年の核分裂反応の発見にきわめて近いところにいたが、この発見も逃している。しかし、1934年には人工放射能を持った物質を創成することに成功して1935年のノーベル化学賞を夫妻で受賞した。
フレデリック等はハーンの核分裂反応の発見後、すぐにその追試に成功し、また、その核分裂の際に2個以上の中性子が放出されることを発表した。すなわち原子核からエネルギーを取り出せることを示し、このことを機密にしておこうと思っていたシーラドたちを大いに慌てさせたのであった。
(注)ジョリオ - キュリーはドイツ語でいえばドッペル・ナーメ(英語でならdouble name)である。
日本ではそういう人はいないのだが、たとえば私が生まれは田中という姓名だとして、鈴木という女性と結婚したとする。こういうときに田中-鈴木という二重の姓名を名乗ることがあるのだ。
日本の法律ではそういうことが許されないのだろうが、そういうことをすることが少なくともヨーロッパではままある。
もちろん、キュリーはすでに世界的に有名な家柄として認識されていただろうから、ジョリオとキュリーとを合わせた二重の姓名を名乗ったのであろう。