【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

なぜ党員がいない政党に投票したのですか?

2015年08月27日 12時35分44秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

 なぜ党員がいない政党に投票したのでしょうか。

 維新の党は、創設者の橋下徹大阪市長、松井一郎大阪府知事が離党することになりました。

 ところで、維新の党の前身の日本維新の会は、第46回衆議院議員総選挙(近いうち解散、平成24年2012年12月16日投票)で、5名に1名が投票しました。

 ところが、日本維新の会は党員が一人もいませんでした。

 以下、画像は、平成24年定期公表分政治資金収支報告書(総務省自治行政局選挙部)からスクリーンショット。 



 ご覧のように、選挙から2週間経ち、院の構成を定める国会が終わった後の、同年12月31日になっても、党員が一人もいません。

 比例代表では20・8%得票しています。

 投票した人の5人に1人は党員がいない政党に投票しました。

 この1年後には、党員は4562人となっています。

 民主党は34万4873人の党員がいて、3億4483万7000円の党費を集めました。



 自民党は、



 61万9245人の党員がいました。

 公明党は、


 44万9383人の党員がいました。

 日本共産党は、



 

 291万6535人の党員がいました。

 なんで、党員がいない政党に投票したんですか?

このエントリーの本文記事は以上です。

 


追記有)前へ! 民主党惨敗から12日・・・上遠野修前政策秘書が出馬を決断 茨城・城里町長選 2013年2月17日

2014年09月21日 22時39分58秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

(このエントリーの初投稿日時は2012-12-29 00:21:14)

【追記 2014年9月21日(日)午後10時半】

 エントリーから1年10か月かかりましたが、ビッグニュースが飛び込んでまいりました。

 城里町選挙管理委員会の発表によると、 上遠野修候補(37)は、7312票を獲得。私の手元の計算では、相対得票率64・4%、絶対得票率41・0%の地滑り的大圧勝で、城里町長に当選しました。前回のエントリーから2年足らずで、2度目のチャレンジで初当選ということで、この微妙な時間差のお家の事情は知りませんし、今後いっさい知りたいとも思いません。

 いずにせよ、前へ!

 元気が出ました。

 上遠野さんは、衆院選惨敗・町長選落選後、今回の町長初当選までの間、新経済連盟(新経連)におつとめ。

 上遠野さん、おめでとうございます!

【追記おわり】 


[写真]上遠野修「若さと情熱で城里町を元気にする会」代表。

 感動しました。民主党惨敗から12日・・・前政策秘書の上遠野修(かとうの・おさむ)さん(34歳)が来年2013年2月12日(火)告示、2月17日(日)投開票の茨城県城里町(しろさとまち)の町長選に出馬することを決断し、2012年12月28日(金)、茨城県庁で記者会見し発表しました。

 上遠野さんは1978年9月20日生まれ。水戸市出身で、1997年、県立水戸一高を卒業し、東京大学に進学。古川元久元経財相や金子洋一参院議員が輩出した「一高東大弁論部」に所属。2002年東大卒業後は、大林組に7年半務めて、政権交代直後に、高校・大学の先輩である福島伸享(ふくしま・のぶゆき)衆院議員(現民主党茨城1区総支部長)の政策秘書になりました。その後、12月16日の総選挙で福島議員の落選により、「若さと情熱で城里町を元気にする会」の代表に就任しました。

 全国市町村要覧によると、東茨城郡城里町は水戸市に隣接しする人口2万2000人の自治体。2003年2月1日に平成の大合併(1町2村)で誕生。高齢化率は26・4%、第1次産業比率は15・5%。現在の町長は、前回初当選した人のようです。

 ♪朝が来れば良いことがある・・・トゥモロー 

 とにもかくにも前に進まなければ民主党は復活できません。民主党は若いんだから。上遠野さんの挑戦に勇気をもらいました。

 がんばれ、がんばれ、とにかくがんばれ!!!

[お知らせ1おわり]

[お知らせ2はじめ]

 会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。

今後の政治日程 by 下町の太陽

 最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますのでご協力下さい。

[お知らせ2おわり]

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野田内閣が衆議院を解散した2012年11月は景気の谷だった

2014年05月30日 13時45分34秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

 野田内閣が衆議院を解散した2012年11月が景気の谷でした。

 内閣府の「景気動向指数研究会」。あまりなじみのない名前でしょうが、教科書で読んだ日本の景気循環(「いざなぎ景気」など)はここが決めています。

 研究会はことし初めての会合2014年5月30日に開き、「第15循環」は2012年4月が景気の山で、2012年11月が景気の谷という、きわめて短い景気循環だったと暫定的に認定しました。すでに昨年の前回会合でも同じ見解が示されていましたが、その後そろったデータも踏まえて決定しました。

 55年体制以降、初めて自民党員ではない総理大臣が解散詔書をつくった野田内閣。

 まず、野田佳彦の決断は100%正しい。後世、1000年経っても、絶対に正しい。

  そのうえで、2012年11月14日(水)表明、2012年11月16日(金)解散は、経済対策を専権事項とする政府・与党としては、景気循環だけで見れば、最悪のタイミングだったことになります。

 (景気動向指数研究会のデータは次のウェブサイトから取り出すことができます http://www.esri.cao.go.jp/jp/stat/di/di_ken.html)

 ただ、上の資料を見ると、日銀短観は、12月分でも前の分からさらに悪化して、景況感はマイナスになっています。

 2012年11月が「谷」だった、「底」だった、指標に、鉱工業生産指数とその出荷があります。

 というのは、2012年10月ごろには、工場閉鎖にともなう大量解雇が発生していました。ところが、このころの工場閉鎖には、「今月中に廃業すればぎりぎり黒字で終わるから、悪いけど辞めてくれ」という社長が多かったそうです。リーマンショック後、震災後、看板は出しながら、実は週1回しか操業していない工場もあったようです。11月以降、「所定外労働時間」が急増していますので、既存の会社の既存の社員が急に忙しくなったようです。

 TBSが2012年11月9日に「12月16日に衆院選」という大スクープを報じた当日の副総理記者会見で、私は岡田さんに解散について質問。「報道は無限にありますので、そういったことを確認する必要はないと思います。それぞれ書かれているほうがどのぐらいの根拠を持って書かれているのかは分かりませんが、そういったことについて、コメントする気持ちはございません」と述べ、否定はしませんでした。

 この質問をできるような雰囲気へならすため、その前に、私は景気認識について質問しました。岡田さんは「これは個人の感想を言う話ではないというふうに思います。ただ、この場でも私は何度か申し上げておりますように、景気の先行きについては、かなり心配をしております。現実の出てくる数字も悪化をしておりますし、それからいろいろお話を聞いても、あまりいい材料はありません。少なくともヨーロッパの経済危機の影響で、中国を含めた新興国も成長が落ちていますし、したがってそれは日本の輸出にも響いてきます。 加えて、円高ということもあります。そういった輸出が日本の輸出が厳しいということは、そのほかの内需、例えば消費とか、雇用とか、そういうことにも波及しつつあるという段階で、だからこそ先般景気対策を今月中にという総理の指示が出たわけです。メディアによっては、規模が小さいとか、いろいろ御批判もいただきましたが、できることからやっていくということで、まず予備費を使った第1弾を決め、今月中に第2弾の本格的なものを打ち出すと、こういうことで、楽観は全くしておりません。しっかりとした対応が必要であるというふうに考えています」と語りました。

 私はこの日は、「2013年1月解散論もあるが、そこまで行くともっと景気が悪くなると思っているな」との感想を持ちました。今読み直すと少し違うかもしれません。
 
 ただ、平成24年度特例公債法案を自民党に半年以上吊るされたあげくに、解散と引き換えに成立させた。それにより、特例公債法施行により政府支出は11月以降増えているので、山を登りだしたので、11月が「谷」になったというとらえ方もできます。繰り返しますが、12月の短観はマイナスでした。安倍新首相の金融緩和政策で、マーケットは大いに盛り上がった面もあります。

 いずれにせよ、野党第3党の公明党の山口那津男代表が「11月9日解散、12月9日投開票」と具体的過ぎる日程を提示してしまった。そして、なによりも、新進党を解党した小沢一郎に、1月1日以降、小さい子供も含めた人口1人あたり300円の政党交付金がおよそ30億円、公明党よりも多く入ってしまう。それを避け、「7億円」に落とし込む、小沢切り解散は必要でした。

 そして、東日本大震災、タイ洪水被害による波立つ景気と、電力問題。繰り返しますが、特例公債法案を吊るされたのはホントウに苦しかったです。

 ただ、民主党政権をまじかに見たうえでの思うのは、もう少し、会社経営者から話を聞く必要があったと考えます。民主党議員はマクロ経済学も決定的に弱い。 そして、大量解雇でクビになった人の声がより反映されやすいのが民主党政権というシステムであったのだ、と考えます。 

 そして、理科系大学卒業後に20年以上勤めた会社を「今月でやめれば黒字でたためる」と2012年10月にクビになり、ハローワークで民主党総支部の仕事を見つけて、11月から働いたら、民主党のビラを目の前で破られて、「ああいう人おかしいですよ」と憤慨していたXさん。その後、前議員は落選し、年内に総支部も解散になりました。「ことしは帰省できるのかな」と話していたXさんが今どうしておられるか。思いを馳せるところです。


宏池会会長の悲劇は繰り返されるのか? 第46回衆院選「違憲」「無効」訴訟、最高裁判決へ

2013年11月13日 05時49分00秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

 最高裁判所は来週水曜日、2013年11月20日(水)、大法廷で、第46回衆議院議員総選挙(きょねん11月16日解散、12月4日公示、12月16日施行)の1票の格差に関する、「違憲(憲法違反)」「無効」に関して、判決を出します。

これについて、自民党、民主党、公明党は実務者により、「小選挙区比例代表並立制の堅持」を申し合わせており、仮に早い段階での第47回衆院選が必要な情勢になった場合は、「並立制のもとでの定数是正」で、比較的早く、事実上のやり直しとなる衆院選ができるようになっています。

民主党の岡田克也実務者(選挙制度・国会制度改革推進本部長)が動画で説明しています。



最高裁大法廷は、「0増5減緊急定数是正法」(平成24年法律95号)もポイントにすると考えられます。この法律は、11月26日に公布・一部施行されていますが、第46回衆院選の区割りは、旧法律のまま選挙されました。

この「0増5減緊急定数是正法」の第3条は「衆議院議員選挙区画定審議会設置法の一部を次のように改正する。第三条第二項を削る。」

とあります。この「第3条第2項を削る」というのは、2011年3月25日の最高裁大法廷の第45回衆院選をめぐる判決文で、名指しで、最も憲法違反だと指摘された部分です。これは、第44回衆院選をめぐる判決文にはなく、「区割り審設置法第3条の2は憲法違反だ」とする文章が新しく入ったことに、私は気づいていました。インターネットで取り出して、大震災・原発災害のなか、判決文を読んでいたからです。しかし、新聞記者は読んでいなかったようで、「1票の格差2倍以上は違憲だとする最高裁判決」という間違った記事がずっと新聞に載り続けて、政治家も間違え続けていました。

そこで、選挙博士と言われる野党・自民党の細田博之さんが議員立法として、この法案を出してきたのですが、岸田文雄・自民党国会対策委員長率いる第180通常国会では、趣旨説明当日に委員会を欠席するという奇妙な行動に出て、廃案となりました。

 そして、解散当日に成立したのですが、私も完全に騙されました。この法律には「鳥取県 二」と書いてあります。しかし、「区割り審設置法3条の2を削る」と、「鳥取県一」になるはずです。

ということで、野田佳彦総理は、ここでも、安倍自民党にだまされてしまったのです。

 さて、私は18歳から選挙制度改革に半生をかけてきており、大学でも単位を修めています。

ところが、議会制民主政治の根幹であると信じて疑わない、選挙制度改革について、当ブログに書いても、本当に関心が低いです。

そこで、多少でもアクセス数が増えるかと思い、「宏池会会長の悲劇」というタイトルにしてみました。ケネディ家みたいですね。

来週水曜日の判決は、16選挙区に関する高裁判決の統一判断です。

このうち、広島1区では、宏池会会長の岸田文雄外相が、「違憲」「無効」となる可能性があります。ただし、広島1区が無効なら、少なくとも広島県内の全選挙区の区割りが無効となると考えるのが妥当でしょう。

宏池会の歴代会長は悲劇が続いています。

初代の池田勇人会長は、がんのため、内閣総辞職し、早く亡くなりました。

大平正義会長は、総理総裁として、党内で40日抗争をやられ、さらにハプニング解散にまで追い込まれ、選挙中に亡くなりました。

宮澤喜一会長も、内閣不信任を可決されました。

 加藤紘一会長は、加藤の乱で失脚し、復権できませんでした。

さらに分派である、河野洋平・大勇会会長は、自民党総裁になりながら総理になれず、麻生太郎・為公会会長は首相として自民党政権を失い、谷垣禎一・有隣会会長は政権交代直前にシャドウ首相(自民党総裁)から転がり落ちました。

そして、岸田文雄会長に悲劇が来るのではないかという気がします。しかし、彼は憲法違反となった2012年2月25日の時点で自民党国会対策委員長だったので、加藤元会長同様に、身から出た錆ということになるかもしれません。

 ぜひ、選挙制度に関して、もっと関心を持っていただきたいと思います。


徳州会を公選法違反で捜索民主党の追及は徳田虎雄さんへの敬意を持て

2013年09月17日 15時13分04秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗
第46回衆院選に関する公選法違反容疑で、徳州会が、法務省の東京地方検察庁の捜査を受けているようです。
自民党、鹿児島2区の徳田毅さんが「一身上の都合」で第183回通常国会直前に辞任。民主党の追及を受けました。が、徳田虎雄さんは、奄美群島から無医村をなくした方です。グループ拡大で自分を見失ったのでしょうが、鹿児島県警・自衛隊の飛行機で運ばれたのを、島内で診察を受けられるようになったのは、徳州会グループの全国展開によって可能になりました。また、彼は日本医師会に入会していません。
命だけは平等だ。
この徳田虎雄さんの至言を受け止めて、民主党の追及はしっかり敬意と節度をもってのぞんでいただきたい。

民主党開票センターにいます。

2012年12月16日 19時46分16秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

東京都内ホテルの「民主党開票センター」にいます。他に居場所がないので(笑)。開票速報はNHKなど各メディアで!

【追記 2012年12月16日(日)午後9時】

整然とした雰囲気。政治家は他の控え室などに。壇上に、参院議員の大塚耕平・政策調査会長代理があがり毅然としていました。NHKで自らの当選確実が出ている細野豪志・政策調査会長も元気そうでした。情報によると、この後、午後10時過ぎに岡田克也・副総理がテレビ東京などのインタビューで登壇。午前0時ごろから、記者会見があるようです。私は座席がないので、終電前に帰ります。きょうがまた新しい一歩の日です。発想の転換のために、まずはなぜ民主党が負けたか、全国津々浦々で調査。そのうえで、立て直しです。議席占有率予想と比べれば、支持率調査の数字は大きいわけですから、必ず再チャレンジができます。とはいえ、3党合意はなんだったのか。審議拒否はいけませんが、しっかり攻撃できるだけの勇気と知恵を養っていきたい。【追記おわり】


我が党はたとえ倒れるにしても前に向かって倒れよう

2012年12月16日 12時04分37秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗


 まあ、十分にやれたと思うんですよね。

 3年3ヶ月やってきたことを評価されるのが与党の選挙なので、別段特別には思っていません。そして、今夜誕生する第46期衆議院議員の任期は2016年12月15日(木)までになりますので、私もきょうから第46期衆議院がスタートしたととらえたい。つまり、総選挙とは政権の枠組みをつくる選挙ということを徹底したいところです。

 比例代表の成績がなおも気になるところですが、民主党公認候補はよく闘ったと思います

 けさの日経新聞32面に野田民主党の全面広告が載っていました。他の新聞には、他党の全面広告も載っていたようですが、日経は野田民主党だけでした。

 この国を変えたい。その想いを継続してほしい。
 ある会社員の男性からメールをいただきました。「この3年間の政権運営が良かったとはとても言いがたい。しかし、それ以前からの負の遺産が、隠されることなく見えるようになってきたと思う」。
 ある女性は、こう声をかけてくださいました。「ゴタゴタしたり離反があったり、マイナス面ばかり出ているけれど、地味だが真摯な野田総理になり、本来の民主党らしくなってきたと思う。ここからだと思っている。頑張って」。 
 本当にありがたいメッセージです。心底、勇気がわきます。
 ふりかえればこの3年間、私たち民主党は、いたらぬことがたくさんありました。心配をかけ、不安にさせたことを申し訳なく思います。しかし、うまくいかなかったときも、私たちは決して後ろ向きの政治はしてきませんでした。震災は原発事故とも必死に向き合ってきました。古い政治の壁を乗り越えようと、もがきにもがきながら進むなかで、私たちは鍛えられました。この3年間の苦闘こそ、私たちの財産にしていかなければなりません。
 私たち民主党は、皆さんの中から生まれ、皆さんに育てられてきた政党です。古い時代と決別したい、という皆さんの切実な想いで、政権交代も実現することができました。改革も復興も、まだ道半ば。果たされていない約束もたくさんあります。あの日、託された「この国を変えたい」という熱い想い必ず応えたい。もう一度、皆さんと壁を打ち破るチャレンジをさせてください。それを担うにふさわしい民主党をつくります。
 内閣総理大臣・民主党代表 野田佳彦

 このメッセージには「この3年間の苦闘こそ私たちの財産」「もう一度チャレンジさせてください」「それを担うのにふさわしい民主党をつくります」としており、必ずしも第46期衆議院での241議席、すなわち政権の獲得をめざしておらず、政権担当能力のある二大政党勢力の一翼として再出発することを示唆しているようにも感じます。

 そして、何よりも、「私たち民主党は、皆さんの中から生まれ、皆さんに育てられてきた政党です」とすんなり認めていること。だれのおかげで衆議院議員なれたのか分かっていない人もだいぶいましたが、きょうからはそういう人は民主党にはいなくなるでしょう。公示前に静岡3区を歩いたときには、民主党は庶民の党であり、民主党支持者は民主党のことを心配していることが分かりました。マスコミの情勢調査も「民主党を支持していますか?」ではなく「民主党のこと、心配していますか?」と質問した方が、真の支持率が分かったでしょう。代表も「心配をかけ、不安にさせたことを申し訳なく思います」としています。一体何をやってきたんだ、この支持者泣かせの親不孝者め! しかし、3年3ヶ月のまとめにすぎない第46回衆議院議員選挙の闘いぶりをTwitterでまとめてみたら、あることに気付きました。

 この選挙に無責任に自民党に加担する人間が増えたようだけど、私はあの難事に向かった菅さんの真剣さと努力を忘れない。残念なことに途半ばで追われたけど、多くの人が菅さんのあの姿勢を評価し応援し続けるはずだ。菅さん頑張れ。民主党くじけるな。」

 「懐かしいwwwあんまし笑い事にしちゃいけない出来事だけど、心身ともに不安定すぎてたあの当時あれはかなり慰めになったよ…枝野ネロとか」

 「大宮駅前に野田と武正と枝野が来てる。枝野はさっさと寝なさい」

 「枝野寝ろ。的にみんな心配なのでとりあえずゆっくり休んでください。あ、土日のデータは配布しといたので後処理は全部こっちに投げて貰って大丈夫ですよー。」

 「娘が寝ないと、地震の時流行った「枝野寝ろ」タグを思い出す。 娘…寝ろ……」

 「枝野さん、武正さん、野田さんの話を聞いた。俺は民主党に頑張ってほしい。震災のときの枝野さんの姿が忘れられないし、3年半で変えられるほど政治は甘くないと思う。枝野さんはあと5年で変えると言った。変えてください。応援してるから。頑張れ。」

 「
うちの選挙区に枝野ネロで有名な枝野さんがいるんだけど これは気になるw」

  東日本大震災と原子力発電事故で不眠不休で記者会見する枝野幸男・内閣官房長官の姿を見て、私は枝野さんが将来総理になれないのではないかと心配した。このときのテレビの印象が強くて、枝野首相がテレビに映ると、視聴率が5%下げるという状況になるのではないか。菅直人首相も同様です。そして、やはり予想は早くも的中で、東京18区の菅直人さん、埼玉5区の枝野幸男さんらが苦戦しています。

 でも、Twitter上では「心身ともに不安定すぎてたあの当時あれはかなり慰めになったよ…枝野ネロとか」「官房長官といえば枝野寝ろしか思い浮かばない」というつぶやきが出てきました。

 これで落選したら、菅首相・枝野官房長官は貧乏くじにも感じますが、政治にはそういう側面もあります。すべてを受け止めないといけません。例えば不景気の責任を与党は取らされるし、そもそも勝ったり負けたりするのが選挙です。相手があることですから。

 その他、民主党総支部長(公認候補)が全国で十分にたたかったことがtwitterからも分かりました。

「今日は岸本周平の最後のお願いばっかり聞こえてたわ」

「母「もし周平さん勝たんかったらわたし和歌山出るわ!!」 和歌山のみなさま、 岸本周平さんが勝たねば わたしの母が家出しちゃいます‥‥ どうしよう‥‥」

「また戻ってきたwww 高山智司www合いの手入れてる奴誰だよwお前の合いの手で何喋ってるか全然わからないし無駄に気合い入ってるから音量が常識を逸しているww早く帰れよwww >高山智司」
「小山のぶひろの選挙カーに知り合いが乗ってた(笑)」
「豊田町で小山のぶひろ発見(・ω・)」

「ぶぅねーさんマジありがとう。 小山のぶひろの選挙カーの お姉さんが可愛いかったから 手振っといた。」
「その方が好感は持てる RT @nekoguruma: 地元の民主候補は、割りとでっかくロゴ出してて、なおかつ大きく「比例は民主党に!」って書いてたな」
「福岡2区ですが。期日前投票で比例は民主党。小選挙区も、いつも口を半開きにしている稲富修二議員に投票してきました。蓮舫さんの応援は外野が考えている以上に大変でしょうが、頑張ってくださいね。」

「長野1区 地元選挙区を自転車で回り「ボクはノダと違って脱原発だ」などとウソツキキャンペーンを張っていた民主の吹き流し 篠原孝 本当に脱原発で意見が合わないなら離党するはずなのに いけシャアシャアと選挙に出るわ 後援会は毎日やるわで民主の仕事しています」 

「市役所前で演説中の民主党 森山ひろゆきさんに遭遇。素晴らしい日本の未来を造るために日々奔走されているのがひしひしと伝わってきました。彼は本物の人間として尊敬できる人だと思いました。堺はあなたが必要です!頑張ってください!!」

「官房長官って聞くと枝野ネロしか出てこないどうしよう。あの炉心融解は笑ったw」

「衆院議員候補の山尾しおりさんが早朝電車から降りてくるのを見かけた。 この時期は、どの候補も大変そうだ」

「民主党には、今回の政権を担った経験を活かしてちゃんと責任を果たせる政党になって欲しいな、と本気で思っています。政権担当能力がある政党は、複数存在するべきだと思います。」

「石田勝之街頭演説してるのか 野次でも飛ばしにいこうかな」

「岸本周平wwwwウグイス嬢はりきりすぎwwww「岸本、岸本、岸本しゅう、うっっ!!ありがとうございますぅっっっ!!ありがとうございますぅっっっ!!」って、たぶん途中で誰かが手振ったんやと思うけど、見てないこっち側からしたらバグったんかとwwwwあー、たまごかけごはん美味い。」

「岐阜1区は野田聖子が街宣うるさいが自民離党したのにちゃっかり出戻りしてるのはいただけないw(^_^;) まあ、今回は民主の柴橋正直に1票!(^O^)/」

「枝野寝ろの人が演説してた」

「親が選挙の話してたから斉藤進のうぐいす嬢のまね何気にしてたら、お前そんな特技があったのか!ってお父さんに言われたwww」

「森山ひろゆきwwwwwwww」


「党ゎ民主党にいれて 人ゎ 柿沼正明にいれましたーん !」


「玉木雄一郎。ツインパる長尾の体育館?講堂?が満杯になるとは大したものです。日本の宝となる逸材だけに国政に送り出したい。敵は風車でも、見えない影でも、利権を背景とした組織票だろうと、、、打ち破って貰いたい。相手にもよるが、今回は、惜敗率でも残らないように完全に差がつくことを願いたい」

「電車なう~! 目の前に 元気モリモリ森山ひろゆき おる(笑) あ、今電車降りてった めっちゃダッシュで走ってた!」

「元気もりもり森山ひろゆきでございます」

「山尾しおりさんがきてた。山尾さん誠実な感じでいいですよね、美人だし。」

「武正さんって最終日の最後に自分の選挙区外で締めたのかーまぁ同じさいたま市ですしねー総理もきましたしねー(^o^)」

 さあ、きょうはまた新しい出発の日です。

 しっかりと問い合わせに対応して、午後8時を迎えましょう。眠れなかった人はあす朝6時から立って、あいさつしましょう。朝7時では駄目です。朝6時です。なぜなら7時台は忙しいので、6時台でないと、なぜ落ちたかを教えてくれる人がいません。そして、今週末は3連休で、あと15日間で年越しです。新年会で話を聞いたら、現職も元職も、すこし休んでいいでしょう。

 ところで、ニコニコ動画のインターネット用語解説「ニコニコ大百科」によると、「我が党とは、民主党のこと」だそうです。「我が党」とは「2ちゃんねるで民主党を揶揄するネットスラングである。対して自民党(自由民主党)のことはラ党(ライバル党)と呼ばれている。セットで使われることもあるが、基本的には単体で使われることが多い。由来は、民主党員自身が所属する党のことを「我が党は~」と発言することから来ているが、他党でも同じように使用しているので由来とするには根拠は薄い」とのことです。

 我が党 

 さあ、新しい民主党がきょうからスタートしています。


これが民主党の公認候補者一覧だ 第46回衆議院議員総選挙、16日投票

2012年12月15日 19時35分46秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

(このエントリーの初投稿日時は2012-11-23 11:32:42)

第46回衆議院議員総選挙(2012年12月4日公示、16日投開票)

民主党小選挙区公認候補

2012年12月4日現在

【累計(選挙区)】

合計265
前職210
元職2
新人53
 男性228
 女性37

選挙区名/候補者名/読み仮名/性別/年齢/ 生年/月/日/現元新/期数/役職・経歴

北海道1区横路 孝弘ヨコミチ タカヒロ男71 1941/1/3 前10 前衆議院議員
北海道2区三井 辨雄ミツイ ワキオ男69 1942/11/24 前4 前衆議院議員
北海道3区荒井 聰アライ サトシ男66 1946/5/27 前5 前衆議院議員
北海道4区鉢呂 吉雄ハチロ ヨシオ男64 1948/1/25 前7 前衆議院議員
北海道5区中前 茂之ナカマエ シゲユキ男40 1972/2/2 新元国土交通省職員
北海道6区佐々木 隆博ササキ タカヒロ男63 1949/3/10 前2 前衆議院議員
北海道7区仲野 博子ナカノ ヒロコ女53 1959/3/3 前3 前衆議院議員
北海道8区逢坂 誠二オオサカ セイジ男53 1959/4/24 前2 前衆議院議員
北海道9区山岡 達丸ヤマオカ タツマル男33 1979/7/22 前1 前衆議院議員
北海道10区小平 忠正コダイラ タダマサ男70 1942/3/18 前7 前衆議院議員
青森1区波多野 里奈ハタノ リナ女39 1973/2/15 新アナウンサー
北海道12区山崎 摩耶ヤマザキ マヤ女65 1947/1/9 前1 前衆議院議員
青森2区中村 友信ナカムラ トモノブ男57 1955/3/16 新元青森県議会議員
青森3区田名部 匡代タナブ マサヨ女43 1969/7/10 前3 前衆議院議員
青森4区津島 恭一ツシマ キョウイチ男58 1954/2/4 前3 前衆議院議員
岩手1区階 猛シナ タケシ男46 1966/10/7 前2 前衆議院議員
岩手3区黄川田 徹キカワダ トオル男59 1953/10/14 前4 前衆議院議員
岩手4区及川 敏章オイカワ トシアキ男56 1956/10/9 新党本部職員
宮城1区郡 和子コオリ カズコ女55 1957/3/31 前2 前衆議院議員
宮城2区今野 東コンノ アズマ男64 1947/12/17 元2 参議院議員 元衆議院議員
宮城3区橋本 清仁ハシモト キヨヒト男41 1971/5/8 前2 前衆議院議員
宮城4区石山 敬貴イシヤマ ケイキ男42 1969/12/18 前1 前衆議院議員
宮城5区安住 淳アズミ ジュン男50 1962/1/17 前5 前衆議院議員
宮城6区鎌田 さゆりカマタ サユリ女47 1965/1/8 元2 元衆議院議員
秋田1区寺田 学テラタ マナブ男36 1976/9/20 前3 前衆議院議員
秋田2区川口 博カワグチ ヒロシ男65 1947/8/4 前1 前衆議院議員
秋田3区三井 マリ子ミツイ マリコ女64 1948/5/21 新元東京都議会議員
山形1区鹿野 道彦カノ ミチヒコ男70 1942/1/24 前11 前衆議院議員
山形2区近藤 洋介コンドウ ヨウスケ男47 1965/5/19 前3 前衆議院議員
福島1区大場 秀樹オオハ ゛ヒデキ男43 1969/11/7 新NPO法人理事長
福島2区斎藤 康雄サイトウ ヤスオ男63 1949/5/7 新国会議員秘書
福島3区玄葉 光一郎ゲンバ コウイチロウ男48 1964/5/20 前6 前衆議院議員
福島5区吉田 泉ヨシダ イズミ男63 1949/2/26 前3 前衆議院議員
茨城1区福島 伸享フクシマ ノブユキ男42 1970/8/8 前1 前衆議院議員
茨城2区石津 政雄イシヅ マサオ男65 1947/3/10 前1 前衆議院議員
茨城4区高野 守タカノ マモル男53 1959/7/22 前1 前衆議院議員
茨城5区大畠 章宏オオハタ アキヒロ男65 1947/10/5 前7 前衆議院議員
茨城6区大泉 博子オオイズミ ヒロコ女62 1950/1/20 前1 前衆議院議員
茨城7区柳田 和己ヤナギタ カズミ男62 1950/3/30 前1 前衆議院議員
栃木1区石森 久嗣イシモリ ヒサツグ男50 1962/5/3 前1 前衆議院議員
栃木2区福田 昭夫フクダ アキオ男64 1948/4/17 前2 前衆議院議員
栃木4区工藤 仁美クドウ ヒトミ女57 1955/5/31 前1 前衆議院議員
群馬1区宮崎 岳志ミヤザキ タケシ男42 1970/2/14 前1 前衆議院議員
群馬2区桑原 功クワバラ イサオ男67 1945/2/4 前1 前衆議院議員
群馬3区柿沼 正明カキヌマ マサアキ男47 1965/9/26 前1 前衆議院議員
群馬4区青木 和也アオキ カズヤ男24 1987/12/13 新政党役員
埼玉1区武正 公一タケマサ コウイチ男51 1961/3/23 前4 前衆議院議員
埼玉2区石田 勝之イシダ カツユキ男57 1955/1/30 前4 前衆議院議員
埼玉3区細川 律夫ホソカワ リツオ男69 1943/8/8 前7 前衆議院議員
埼玉4区神風 英男ジンプウ ヒデオ男51 1961/10/10 前3 前衆議院議員
埼玉5区枝野 幸男エダノ ユキオ男48 1964/5/31 前6 前衆議院議員
埼玉6区大島 敦オオシマ アツシ男55 1956/12/21 前4 前衆議院議員
埼玉7区島田 ちやこシマダ チヤコ女50 1962/9/27 新元参議院議員
埼玉8区小野塚 勝俊オノヅカ マサトシ男40 1972/5/5 前1 前衆議院議員
埼玉9区五十嵐 文彦イガラシ フミヒコ男64 1948/11/2 前4 前衆議院議員
埼玉10区弓削 勇人ユゲ ハヤト男39 1973/10/23 新学校法人経営
埼玉12区本多 平直ホンダ ヒラナオ男47 1964/12/2 前2 前衆議院議員
埼玉13区森岡 洋一郎モリオカ ヨウイチロウ男37 1975/1/10 前1 前衆議院議員
埼玉14区中野 譲ナカノ ジョウ男45 1967/1/7 前2 前衆議院議員
埼玉15区高山 智司タカヤマ サトシ男42 1970/4/20 前3 前衆議院議員
千葉1区田嶋 要タジマ カナメ男51 1961/9/22 前3 前衆議院議員
千葉2区樋口 博康ヒグチ ヒロヤス男53 1959/7/2 新党本部職員
千葉3区青山 明日香アオヤマ アスカ女30 1982/8/30 新元衆議院議秘書
千葉4区野田 佳彦ノダ ヨシヒコ男55 1957/5/20 前5 前衆議院議員
千葉5区村越 祐民ムラコシ ヒロタミ男38 1974/2/13 前2 前衆議院議員
千葉6区生方 幸夫ウブカタ ユキオ男65 1947/10/31 前4 前衆議院議員
千葉7区中沢 健ナカザワ ケン男57 1955/1/7 新国会議員秘書
千葉8区松崎 公昭マツザキ キミアキ男69 1943/9/8 前4 前衆議院議員
千葉9区奥野 総一郎オクノ ソウイチロウ男48 1964/7/15 前1 前衆議院議員
千葉10区谷田川 元ヤタガワ ハジメ男49 1963/1/17 前1 前衆議院議員
千葉13区若井 康彦ワカイ ヤスヒコ男66 1946/3/1 前2 前衆議院議員
神奈川1区中林 美恵子ナカバヤシ ミエコ女52 1960/9/24 前1 前衆議院議員
神奈川2区三村 和也ミムラ カズヤ男37 1975/9/9 前1 前衆議院議員
神奈川3区勝又 恒一郎カツマタ コウイチロウ男49 1962/12/11 前1 前衆議院議員
神奈川4区荻原 隆宏オギワラ タカヒロ男42 1970/1/25 新元横浜市議会議員
神奈川5区田中 慶秋タナカ ケイシュウ男74 1938/3/6 前6 前衆議院議員
神奈川6区池田 元久イケダ モトヒサ男71 1940/12/20 前6 前衆議院議員
神奈川7区首藤 信彦ストウ ノブヒコ男67 1945/4/5 前3 前衆議院議員
神奈川8区伊藤 久美子イトウ クミコ女53 1959/10/28 新元神奈川県議会議員
神奈川9区笠 浩史リュウ ヒロフミ男47 1965/1/3 前3 前衆議院議員
神奈川10区城島 光力ジョウジマ コウリキ男65 1947/1/1 前4 前衆議院議員
神奈川11区林 公太郎ハヤシ コウタロウ男30 1982/9/22 新元衆議院議秘書
神奈川12区中塚 一宏ナカツカ イッコウ男47 1965/4/4 前3 前衆議院議員
神奈川13区橘 秀徳タチバナ ヒデノリ男43 1969/6/24 前1 前衆議院議員
神奈川14区本村 賢太郎モトムラ ケンタロウ男42 1970/4/17 前1 前衆議院議員
神奈川16区後藤 祐一ゴトウ ユウイチ男43 1969/3/25 前1 前衆議院議員
神奈川17区神山 洋介カミヤマ ヨウスケ男37 1975/5/24 前1 前衆議院議員
神奈川18区網屋 信介アミヤ シンスケ男55 1957/10/3 前1 前衆議院議員
山梨1区齋藤 勁サイトウ ツヨシ男67 1945/7/10 前1 前衆議院議員
山梨2区坂口 岳洋サカグチ タケヒロ男41 1971/2/18 前1 前衆議院議員
山梨3区後藤 斎ゴトウ ヒトシ男55 1957/7/22 前3 前衆議院議員
東京1区海江田 万里カイエダ バンリ男63 1949/2/26 前5 前衆議院議員
東京2区中山 義活ナカヤマ ヨシカツ男67 1945/2/13 前4 前衆議院議員
東京3区松原 仁マツバラ ジン男56 1956/7/31 前4 前衆議院議員
東京4区藤田 憲彦フジタ ノリヒコ男39 1973/6/5 前1 前衆議院議員
東京5区手塚 仁雄テヅカ ヨシオ男46 1966/9/14 前3 前衆議院議員
東京6区小宮山 洋子コミヤマ ヨウコ女64 1948/9/17 前4 前衆議院議員
東京7区長妻 昭ナガツマ アキラ男52 1960/6/14 前4 前衆議院議員
東京8区円 より子マドカ ヨリコ女65 1947/2/10 新元参議院議員
東京9区福村 隆フクムラ タカシ男49 1963/9/11 新会社役員
東京10区江端 貴子エバタ タカコ女52 1959/12/22 前1 前衆議院議員
東京11区太田 順子オオタ ジュンコ女45 1967/10/18 新歯科医師
東京13区藤尾 直樹フジオ ナオキ男33 1979/1/29 新弁護士
東京14区犬塚 直史イヌヅカ タダシ男58 1954/9/28 新元参議院議員
東京15区田中 美絵子タナカ ミエコ女36 1975/12/16 前1 前衆議院議員
東京16区今野 克義コンノ カツヨシ男40 1972/7/12 新元国会議員秘書
東京17区早川 久美子ハヤカワ クミコ女41 1971/1/18 前1 前衆議院議員
東京18区菅 直人カン ナオト男66 1946/10/10 前10 前衆議院議員
東京19区末松 義規スエマツ ヨシノリ男55 1956/12/6 前5 前衆議院議員
東京20区加藤 公一カトウ コウイチ男48 1964/4/6 前4 前衆議院議員
東京21区長島 昭久ナガシマ アキヒサ男50 1962/2/17 前3 前衆議院議員
東京22区山花 郁夫ヤマハナ イクオ男45 1967/1/18 前3 前衆議院議員
東京23区櫛渕 万里クシブチ マリ女45 1967/10/15 前1 前衆議院議員
東京24区阿久津 幸彦アクツ ユキヒコ男56 1956/6/26 前3 前衆議院議員
東京25区竹田 光明タケダ ミツアキ男57 1955/8/13 前1 前衆議院議員
新潟1区西村 智奈美ニシムラ チナミ女45 1967/1/13 前3 前衆議院議員
新潟2区鷲尾 英一郎ワシオ エイイチロウ男35 1977/1/3 前2 前衆議院議員
新潟3区黒岩 宇洋クロイワ タカヒロ男46 1966/10/13 前1 前衆議院議員
新潟4区菊田 真紀子キクタ マキコ女43 1969/10/24 前3 前衆議院議員
新潟5区田中 眞紀子タナカ マキコ女68 1944/1/14 前6 前衆議院議員
新潟6区筒井 信隆ツツイ ノブタカ男68 1944/11/10 前5 前衆議院議員
富山1区村井 宗明ムライ ムネアキ男39 1973/5/30 前3 前衆議院議員
富山3区朴沢 宏明ホウザワ ヒロアキ男37 1975/4/23 新県連職員
石川1区奥田 建オクダ ケン男53 1959/1/16 前4 前衆議院議員
石川2区宮本 啓子ミヤモト ケイコ女65 1947/11/7 新県連女性局長
石川3区近藤 和也コンドウ カズヤ男38 1973/12/12 前1 前衆議院議員
福井1区笹木 竜三ササキ リュウゾウ男55 1956/11/27 前4 前衆議院議員
福井2区糸川 正晃イトカワ マサアキ男37 1974/12/21 前2 前衆議院議員
福井3区松宮 勲マツミヤ イサオ男68 1944/5/28 前3 前衆議院議員
長野1区篠原 孝シノハラ タカシ男64 1948/7/17 前3 前衆議院議員
長野2区下条 みつシモジョウ ミツ男56 1955/12/29 前3 前衆議院議員
長野3区寺島 義幸テラシマ ヨシユキ男59 1953/8/28 新長野県議会議員
長野4区矢 公二ヤザキ コウジ男53 1959/9/26 前1 前衆議院議員
長野5区花岡 明久ハナオカ アキヒサ男33 1979/11/4 新元内閣官房専門調査員
岐阜1区柴橋 正直シバハシ マサナオ男33 1979/7/3 前1 前衆議院議員
岐阜2区堀 誠ホリ マコト男39 1973/11/9 新国会議員秘書
岐阜3区園田 康博ソノダ ヤスヒロ男45 1967/6/9 前3 前衆議院議員
岐阜4区熊崎 陽一クマザキ ヨウイチ男25 1987/9/18 新元参議院議員秘書
岐阜5区阿知波 吉信アチハ ヨシノブ男49 1963/6/21 前1 前衆議院議員
静岡1区牧野 聖修マキノ セイシュウ男67 1945/5/4 前4 前衆議院議員
静岡2区津川 祥吾ツガワ ショウゴ男40 1972/1/25 前3 前衆議院議員
静岡3区小山 展弘コヤマ ノブヒロ男36 1975/12/26 前1 前衆議院議員
静岡4区田村 謙治タムラ ケンジ男44 1968/3/19 前3 前衆議院議員
静岡5区細野 豪志ホソノ ゴウシ男41 1971/8/21 前4 前衆議院議員
静岡6区渡辺 周ワタナベ シュウ男50 1961/12/11 前5 前衆議院議員
静岡7区斉木 武志サイキ タケシ男38 1974/5/13 前1 前衆議院議員
静岡8区斉藤 進サイトウ ススム男42 1970/11/8 前1 前衆議院議員
愛知1区吉田 統彦ヨシダ ツネヒコ男38 1974/11/14 前1 前衆議院議員
愛知2区古川 元久フルカワ モトヒサ男46 1965/12/6 前5 前衆議院議員
愛知3区近藤 昭一コンドウ ショウイチ男54 1958/5/26 前5 前衆議院議員
愛知4区刀禰 勝之トネ カツユキ男42 1970/8/27 新元愛知県議会議員
愛知5区赤松 広隆アカマツ ヒロタカ男64 1948/5/3 前7 前衆議院議員
愛知6区天野 正基アマノ マサキ男42 1970/3/19 新元愛知県議会議員
愛知7区山尾 志桜里ヤマオ シオリ女38 1974/7/24 前1 前衆議院議員
愛知8区伴野 豊バンノ ユタカ男51 1961/1/1 前4 前衆議院議員
愛知9区岡本 充功オカモト ミツノリ男41 1971/6/18 前3 前衆議院議員
愛知10区松尾 和弥マツオ カズヤ男39 1973/9/11 新元国会議員秘書
愛知11区古本 伸一郎フルモト シンイチロウ男47 1965/3/11 前3 前衆議院議員
愛知12区中根 康浩ナカネ ヤスヒロ男50 1962/8/17 前2 前衆議院議員
愛知13区大西 健介オオニシ ケンスケ男41 1971/4/13 前1 前衆議院議員
愛知14区磯谷 香代子イソガイ カヨコ女47 1965/10/15 前1 前衆議院議員
愛知15区森本 和義モリモト カズヨシ男46 1966/6/16 前1 前衆議院議員
三重1区橋本 千晶ハシモト チアキ女44 1968/3/19 新元国会議員秘書
三重2区中川 正春ナカガワ マサハル男62 1950/6/10 前5 前衆議院議員
三重3区岡田 克也オカダ カツヤ男59 1953/7/14 前7 前衆議院議員
三重4区森本 哲生モリモト テツオ男63 1949/9/29 前2 前衆議院議員
三重5区藤田 大助フジタ ダイスケ男36 1976/9/26 前1 前衆議院議員
滋賀1区川端 達夫カワバタ タツオ男67 1945/1/24 前8 前衆議院議員
滋賀2区田島 一成タジマ イッセイ男50 1962/6/15 前3 前衆議院議員
滋賀3区三日月 大造ミカヅキ タイゾウ男41 1971/5/24 前3 前衆議院議員
滋賀4区奥村 展三オクムラ テンゾウ男68 1944/8/10 前3 前衆議院議員
京都1区祐野 恵ユウノ メグミ女33 1979/4/20 新元長岡京市議会議員
京都2区前原 誠司マエハラ セイジ男50 1962/4/30 前6 前衆議院議員
京都3区泉 健太イズミ ケンタ男38 1974/7/29 前3 前衆議院議員
京都4区北神 圭朗キタガミ ケイロウ男45 1967/2/1 前2 前衆議院議員
京都5区小原 舞オハラ マイ女38 1974/7/10 前1 前衆議院議員
京都6区山井 和則ヤマノイ カズノリ男50 1962/1/6 前4 前衆議院議員
大阪1区吉羽 美華ヨシバ ミカ女32 1980/7/26 新元寝屋川市議会議員
大阪3区藤原 一威フジワラ カズタケ男29 1983/1/12 新学習塾運営
大阪4区吉田 治ヨシダ オサム男50 1962/3/16 前4 前衆議院議員
大阪5区尾辻 かな子オツジ カナコ女37 1974/12/16 新元大阪府議会議員
大阪7区藤村 修フジムラ オサム男63 1949/11/3 前6 前衆議院議員
大阪8区松岡 広隆マツオカ ヒロタカ男30 1982/2/25 前1 前衆議院議員
大阪9区大谷 信盛オオタニ ノブモリ男49 1962/12/4 前3 前衆議院議員
大阪10区辻元 清美ツジモト キヨミ女52 1960/4/28 前4 前衆議院議員
大阪11区平野 博文ヒラノ ヒロフミ男63 1949/3/19 前5 前衆議院議員
大阪12区樽床 伸二タルトコ シンジ男53 1959/8/6 前5 前衆議院議員
大阪13区樋口 俊一ヒグチ トシカズ男61 1951/10/5 前1 前衆議院議員
大阪14区鳥居 豊橘トリイ ホウキツ男48 1964/4/23 新医師
大阪16区森山 浩行モリヤマ ヒロユキ男41 1971/4/8 前1 前衆議院議員
大阪17区西 哲史ニシ テツシ男35 1977/7/7 新 前堺市議会議員
大阪19区長安 豊ナガヤス タカシ男44 1968/9/5 前3 前衆議院議員
兵庫1区井戸 正枝イド マサエ女46 1965/12/13 前1 前衆議院議員
兵庫2区向山 好一ムコヤマ コウイチ男55 1957/7/18 前1 前衆議院議員
兵庫3区横畑 和幸ヨコハタ カズユキ男41 1971/11/11 新神戸市議会議員
兵庫4区高橋 昭一タカハシ ショウイチ男48 1964/6/24 前1 前衆議院議員
兵庫5区梶原 康弘カジワラ ヤスヒロ男56 1956/10/14 前2 前衆議院議員
兵庫6区市村 浩一郎イチムラ コウイチロウ男48 1964/7/16 前3 前衆議院議員
兵庫7区石井 登志郎イシイ トシロウ男41 1971/5/29 前1 前衆議院議員
兵庫8区室井 秀子ムロイ ヒデコ女57 1955/10/14 前1 前衆議院議員
兵庫9区浜本 宏ハマモト ヒロシ男60 1952/4/22 前1 前衆議院議員
兵庫10区岡田 康裕オカダ ヤスヒロ男37 1975/7/13 前1 前衆議院議員
兵庫11区松本 剛明マツモト タケアキ男53 1959/4/25 前4 前衆議院議員
兵庫12区山口 壯ヤマグチ ツヨシ男58 1954/10/3 前3 前衆議院議員
奈良1区馬淵 澄夫マブチ スミオ男52 1960/8/23 前3 前衆議院議員
奈良2区百武 威ヒャクタケ タケル男37 1975/7/2 新医師
奈良3区吉川 政重ヨシカワ マサシゲ男49 1963/10/12 前1 前衆議院議員
奈良4区大西 孝典オオニシ タカノリ男56 1956/3/30 前1 前衆議院議員
和歌山1区岸本 周平キシモト シュウヘイ男56 1956/7/12 前1 前衆議院議員
和歌山2区坂口 親宏サカグチ チカヒロ男52 1960/8/28 新元国会議員秘書
鳥取2区湯原 俊二ユハラ シュンジ男50 1962/11/20 前1 前衆議院議員
島根1区小室 寿明コムロ ヒサアキ男52 1960/9/18 前1 前衆議院議員
島根2区石田 祥吾イシダ ショウゴ男32 1980/6/16 新県連副代表
岡山1区高井 崇志タカイ タカシ男43 1969/9/26 前1 前衆議院議員
岡山2区津村 啓介ツムラ ケイスケ男41 1971/10/27 前3 前衆議院議員
岡山3区西村 啓聡ニシムラ ケイト男36 1975/12/9 新弁護士
岡山4区柚木 道義ユノキ ミチヨシ男40 1972/5/28 前2 前衆議院議員
岡山5区花咲 宏基ハナサキ ヒロキ男46 1966/8/14 前1 前衆議院議員
広島1区野中 幸市ノナカ コウイチ男49 1963/5/22 新経済ジャーナリスト
広島2区松本 大輔マツモト ダイスケ男41 1971/8/5 前3 前衆議院議員
広島3区橋本 博明ハシモト ヒロアキ男42 1970/7/22 前1 前衆議院議員
広島4区空本 誠喜ソラモト セイキ男48 1964/3/11 前1 前衆議院議員
広島5区三谷 光男ミタニ ミツオ男53 1959/6/16 前2 前衆議院議員
広島7区和田 隆志ワダ タカシ男49 1963/7/18 前3 前衆議院議員
山口1区冨村 郷司トミムラ サトシ男29 1983/1/22 新県連副代表
山口2区平岡 秀夫ヒラオカ ヒデオ男58 1954/1/14 前5 前衆議院議員
山口3区中屋 大介ナカヤ ダイスケ男34 1978/2/3 前1 前衆議院議員
山口4区財満 慎太郎ザイマ シンタロウ男45 1967/4/8 新元国会議員政策担当秘書
徳島1区仙谷 由人センゴク ヨシト男66 1946/1/15 前6 前衆議院議員
徳島2区高井 美穂タカイ ミホ女40 1971/11/30 前3 前衆議院議員
徳島3区仁木 博文ニキ ヒロブミ男46 1966/5/23 前1 前衆議院議員
香川1区小川 淳也オガワ ジュンヤ男41 1971/4/18 前2 前衆議院議員
香川2区玉木 雄一郎タマキ ユウイチロウ男43 1969/5/1 前1 前衆議院議員
愛媛1区永江 孝子ナガエ タカコ女52 1960/6/15 前1 前衆議院議員
愛媛3区白石 洋一シライシ ヨウイチ男49 1963/6/25 前1 前衆議院議員
愛媛4区高橋 英行タカハシ ヒデユキ男40 1972/1/17 前1 前衆議院議員
高知1区大石 宗オオイシ シュウ男32 1980/9/11 新高知県議会議員
福岡1区松本 龍マツモト リュウ男61 1951/5/17 前7 前衆議院議員
福岡2区稲富 修二イナトミ シュウジ男42 1970/8/26 前1 前衆議院議員
福岡3区藤田 一枝フジタ カズエ女63 1949/7/20 前2 前衆議院議員
福岡4区岸本 善成キシモト ヨシナリ男38 1974/5/4 新元福岡県議会議員
福岡5区楠田 大蔵クスダ ダイゾウ男37 1975/4/20 前3 前衆議院議員
福岡6区古賀 一成コガ イッセイ男65 1947/7/30 前7 前衆議院議員
福岡7区野田 国義ノダ クニヨシ男54 1958/6/3 前1 前衆議院議員
福岡8区山本 剛正ヤマモト ゴウセイ男40 1972/1/1 前1 前衆議院議員
福岡9区緒方 林太郎オガタ リンタロウ男39 1973/1/8 前1 前衆議院議員
福岡10区城井 崇キイ タカシ男39 1973/6/23 前2 前衆議院議員
佐賀1区原口 一博ハラグチ カズヒロ男53 1959/7/2 前5 前衆議院議員
佐賀2区大串 博志オオグシ ヒロシ男47 1965/8/31 前2 前衆議院議員
長崎1区木 義明タカキ ヨシアキ男66 1945/12/22 前7 前衆議院議員
長崎2区川越 孝洋カワゴエ タカヒロ男69 1943/7/12 前1前衆議院議員
長崎4区宮島 大典ミヤジマ ダイスケ男49 1963/6/6 前2 前衆議院議員
熊本1区池 一郎イケザキ イチロウ男60 1952/2/23 新洋菓子店経営
熊本2区濱田 大造ハマダ ダイゾウ男42 1970/7/19 新元熊本県議会議員
熊本3区森本 康仁モリモト ヤスヒト男34 1978/1/25 新会社役員
大分1区吉良 州司キラ シュウジ男54 1958/3/16 前3 前衆議院議員
大分3区横光 克彦ヨコミツ カツヒコ男69 1943/11/4 前6 前衆議院議員
宮崎1区川村 秀三郎カワムラ ヒデサブロウ男63 1949/2/8 前1 前衆議院議員
宮崎2区道休 誠一郎ドウキュウ セイイチロウ男59 1953/4/1 前1 前衆議院議員
鹿児島1区川内 博史カワウチ ヒロシ男51 1961/11/2 前5 前衆議院議員
鹿児島2区打越 明司ウチコシ アカシ男54 1958/4/11 前1 前衆議院議員
鹿児島4区皆吉 稲生ミナヨシ イナオ男62 1950/7/9 前1 前衆議院議員
沖縄3区崎浜 宏信サキハマ ヒロノブ男56 1956/7/6 新団体役員
沖縄4区大城 信彦オオシロ ノブヒコ男45 1967/11/23 新南風原町議会議員

このエントリー記事の本文は以上です。 


神奈川12中塚・16後藤依然やや劣勢 東京3松原は「逆転」も、埼玉15高山、愛知7山尾・13大西健ギリギリ

2012年12月15日 19時13分53秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

 投票終了まであと24時間となってきましたが、最新の情勢では、12党大分裂ゆえ、24~45~74選挙区で、投票日ギリギリで決着がつくとの分析が出ています。

 投票日も友人への電話掛けはでき、「投票所に行って」と言えます。しかし、「ダレダレに投票して」とは言えません。メールなどインターネット媒体も同様です。「よろしく」で伝わる友人へ声をかけないと、自分自身が後悔します。また、ツイッターやブログで、「私はダレダレに投票しました」と宣言するのは問題ないと考えられます。留守番電話は間違いがおきやすいので避けた方が賢明です。

 15日発売の夕刊フジでは、東京3区(品川区と大田区の一部)で民主党前職の松原仁候補が自民党元職の石原伸晃候補をギリギリで逆転したとの観測が出ています。

 神奈川12区では、民主党員初の金融担当大臣である中塚一宏(なかつか・いっこう)さん47歳が、自民党新人の星野剛士さん49歳にビハインドとなっていて、投票日決着となりそうです。神奈川16区も同様で、自民党新人(前参院議員)の義家弘介さん41歳が後藤祐一さんをわずかに上回る状況が続いています。

 東日本大震災時の首相の菅直人さんの東京18区、内閣官房長官の枝野幸男さんの埼玉5区、1週間後に官房副長官についた仙谷由人さんの徳島1区がそれぞれ自民党の候補者(東京18区と埼玉5区は元職、徳島1区は新人)と投票日決着のもようで、「震災テレビ」「原発テレビ」の深層心理は分かりますが、これでは民主党政権だろうが自民党政権だろうが、政府で重い責任を担う議員がいなくなりかねない憲政の危機となります。

 愛知7区では東京都認証保育所「キッザニア永田町」で子どもを預けながら働く山尾志桜里(山尾しおり)さん、愛知13区では大西健介さん、兵庫10区では岡田康裕さん、福岡9区では緒方林太郎さんが一進一退を続けており、組織を挙げての攻防戦となっています。

 埼玉県、長野県、静岡県、愛知県、大分県など民主党組織が強いところでは死のにじむような涙ぐましい努力が続いており、筆舌に尽くしがたい闘いです。

 埼玉1区の武正公一財務副大臣、埼玉6区の大島敦総務副大臣、埼玉15区の高山智司環境大臣政務官ら政務三役が苦戦しており、「これでは報われない」との声が上がり始めました。

 新潟1区の西村智奈美厚労副大臣も盤石ではありませんし、大分1区の吉良州司外務副大臣は、地元で辻立ちしまくった前回敗北の自民党新人に対してビハインドの情勢。

 このほか、マスコミでは、「どうも民主党が盛り返している」との観測がありますが、300選挙区を完全に俯瞰できているメディアはないもようで、大混戦が続いています。

 目の前で、しっかりと確認し、責任を共有しあう日本をつくる朝がもうすぐ明けます。

 簡単に物事をあきらめる人間は、何度でも、中途半端になるでしょう。今と未来に誠実になりましょう。

 さあいよいよ、爆発的な大反転攻勢ののろしがあがっています。


靖国神社に昇殿参拝してきました 民主党「100」で国を守る誓い、英霊に 但し松岡・東条ら除く 

2012年12月15日 17時38分37秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

[写真]雨の靖国神社大鳥居(第1鳥居)、2012年12月15日(土)午後、筆者撮影。

 きょうは靖国神社に昇殿参拝してきました。筆者の昇殿参拝は1998年1月1日以来14年ぶりでした。ですから、1998年4月の我が党立党以来初めてということになりました。

 政権交代ある二大政党政治をめざしてきて、最大のピンチ、存亡の危機が迫ってきて、何をしたらいいのか分からないのですが、とにかく心残りがないようにと考え、今自分がすべきことを判断し、行動しました。

 先月、おじ(父方だけど苗字が違い血縁関係はない)が大往生しました。おじは、農学校を出た後、80年前の関東大震災・昭和・世界恐慌のころ、どういうゆかりか分かりませんが、大阪府警の巡査をしていたことがあるそうです。そこで応召。日本領中国大陸に渡り陸軍憲兵隊に。15年戦争は、太平洋戦争になり、昭和21年10月に復員しました。この間、おじは砲弾が太ももに入り、傷痍軍人となりました。外地にいたこともあり、恩給生活ということもあり、公に奉じようという意識が強かったようで、長野県更埴市議会議長(千曲市に合併)をつとめました。おじが靖国の神霊にあたるのか、あるいは先月亡くなったばかりで招魂されているのかはよく分からないのですが。靖国神社はお願いするところではなく、お誓いするところだという考えが私にはあり、二大政党政治を守り抜く決意で、国家の存続をお誓いしようというのがきょうのイチバンの趣旨でした。ちなみに、英国では野党第1党は「女王陛下の反対党」と呼ばれています。先の大戦では日本でいう衆議院本会議場が敵国に焼かれるところまで追い込まれましたが、チャーチル首相(保守党党首)が国を守り抜きました。しかし勝利直後に解散に打って出て、見え見えの策略を国民に見抜かれ、下野してしまいました。しかし、英雄だけに、再び保守党は政権交代を果たし、第2次チャーチル内閣が発足。英国での首相返り咲きはこれが最後となりますが、この内閣で、エリザベス女王陛下の戴冠式を迎えたのは、みなさんよくご存じの通り。

 しかし、この靖国神社は、247万柱の多くを死に追いやった、松岡洋右元外相、東条英機元首相らが合祀されてしまっています。彼らは英霊を死に追いやった悪人であり、これはいびつなことです。

 新しい参集殿で申込み、神様の前に出ました。ひんやりとおごそかな気持ち。まず松岡を心から排除しようとしましたが、そもそも松岡の顔を知らないので、思い浮かびません。その一方で、心の底から英霊にお誓いするわけですが、顔を知りませんので、現在祀られているかどうか分かりませんが、おじの生前の顔を想像させていただきました。やがて玉串を捧げました。2礼2拍手1礼。しかし、おじの顔を思い浮かべながらも、東条、板垣らは排除するという心の葛藤はけっこう疲れて、最後には東条の顔だらけになって、泣いてしまいました。東条が憎い、東条が憎い、東条が憎い。

 とはいえ、民主党「100」で、バックアップ政党として、二大政党政治をしっかりと続けて、この国、みたまをお守りするという決意は、私の心の中で、お誓い申し上げることができたと私は認識しています。


[写真]参拝前に第2鳥居の前で筆者。

 冒頭に書いたとおり、筆者の昇殿参拝は1998年1月1日午後以来14年ぶりでした。その前年の8月15日にも拝殿参拝しています。1998年4月の民主党立党以来初めての参拝となりました。なぜこれだけご無沙汰してしまったかというと、1998年秋から3年半、横浜支局に異動・転居していたことと、その後東京本社でも多忙を極めて、イラク戦争開戦当日(2003年3月20日)から2年半にわたり編集局長付き休職となり、郵政選挙の1週間後に休職期間満了退職。 その後も療養し、このブログを立ち上がるまで回復したのが2007年8月4日(逆転の夏のあとの最初の臨時国会召集日)でした。

 その前年2006年7月に昭和天皇が松岡洋右や、その他A級戦犯(東条英機ら)が合祀されたことに怒り、靖国神社にご親拝(参拝)されなくなったとの「富田メモ」が日経新聞で報道され、新聞協会賞を受賞しました。私は初めは半信半疑でしたが、どうやらその通りで、きょう、展示施設「遊就館」のなかに、「昭和50年を最後に現在まで天皇陛下のご親拝は行われていない」とハッキリ書いてありました。それなのに、昭和天皇の親拝風景の絵や、天皇・皇后両陛下の東宮時代の昭和44年の参拝、東宮殿下の皇太孫時代の写真などが展示されていました。しかし平成になってからも、「靖国神社遷座祭」に陛下がご出席になられていますが、ご親拝はなく、やはり昭和天皇を利用し、多くの日本人を死に追いやった、松岡・東条らA級戦犯の合祀を問題視しているのだと考えます。

 繰り返しますが、東条は英霊を死に追いやった人殺しです。ところが、展示施設「遊就館」のご遺影のパネル番号22の10列の7段目に「東條英機命 昭和23年12月23日 東京都巣鴨拘置所で法務死」とあるではないですか。他は「戦死」「戦病死」「公務死」はありますが、「法務死」は他に戦後の東南アジア各国であるようですが、日本国内で法務死。また、ご遺影にはないようですが、松岡はA級戦犯ですが、病死です。なお、パネル番号20の5列の8段目には日露戦争の英雄「軍神広瀬」こと広瀬武夫中佐のお写真がありました。

 これについては第163回特別国会の野田佳彦・衆議院議員の質問主意書で「昭和二十七年五月一日、木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の解釈について変更が通達された。これによって戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われることとなった。さらに「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の一部が改正され、戦犯としての拘留逮捕者を「被拘禁者」として扱い、当該拘禁中に死亡した場合はその遺族に扶助料を支給することとなった。これら解釈の変更ならびに法律改正は、国内法上は「戦犯」は存在しないと政府も国会も認識したからであると解釈できるが、現在の政府の見解はどうか」などと質問。

 自民党の小泉内閣は「
平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律(昭和二十七年法律第百三号)に基づき、平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が刑を科した者について、その刑の執行が巣鴨刑務所において行われるとともに、当該刑を科せられた者に対する赦免、刑の軽減及び仮出所が行われていた事実はあるが、その刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」と断言。すなわち、東京裁判(極東国際軍事裁判)における戦犯は日本国内法における犯罪者ではないことになります。そのうえで小泉内閣は「お尋ねの死刑判決を受け絞首刑となった七名、終身禁錮刑及び有期禁錮刑とされ服役中に死亡した五名並びに判決前に病没した二名については、右のいずれの制度の手続もとられていない」と答弁しています。すなわち、東条らは国内法における犯罪者でなく、その名誉を回復している措置もとられていません。そして、戦死もしていません。ですから、靖国神社に祀られていることは、私はあり得ないと考えます。答弁書は「靖国神社の行う合祀は、宗教法人である靖国神社の宗教上の事項であるから、政府としては、合祀についていかなる問題があるのかお答えする立場にない」としています。

 なお、野田さんが民主党代表になった当日のエントリーでもこのことは書いています。

当ブログ内から引用はじめ]

 2000年、国政復帰。逆境に強くなった野田さん。

 郵政解散の大敗北で沈み込んでいた2005年10月の第163回特別国会。野田国対委員長は「審議拒否をしない健全野党・政権準備党」をめざします。

 そして、本来は敵である与党・自民党総裁の小泉首相が、選挙後1ヶ月経った10月17日に、靖国神社を公式参拝(拝殿参拝)したことについて、その当日、タイムリーに質問主意書を出しました。そして、国内どころか中韓の外交ルートからも、「”A級戦犯”という戦争犯罪人が合祀されている靖国神社に総理が参拝することは、日本が軍国主義を美化するあらわれとなる、という論理」の反対論が起きていると指摘しました。そして、巣鴨プリズンで行われた東京裁判(極東国際軍事裁判)は、サンフランシスコ講和条約第11条という国際条約に基づくものだと指摘。だから、国内法上、戦争犯罪人、戦犯は存在しないのではないかと指摘しました。

 これに対して、政府(第3次小泉自民党内閣)は、25日付で答弁書を閣議決定し、「平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律(昭和二十七年法律第百三号)に基づき、平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が刑を科した者について、その刑の執行が巣鴨刑務所において行われるとともに、当該刑を科せられた者に対する赦免、刑の軽減及び仮出所が行われていた事実はあるが、その刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」との答弁を引き出します。

 すなわち、東条英機らへの東京裁判の判決と刑の執行(絞首刑含む)は、多国間条約である「平和条約(サンフランシスコ講和条約)第11条」にもとづいており、日本の国内法にもとづいていない。だから、国内法上は戦犯は存在しないということになります。

[当ブログ内から引用おわり]

 またマスコミ報道を受けて、菅内閣から野田内閣の引き継ぎのエントリーでも次のように書いています。

当ブログ内から引用はじめ]

 野田新内閣でもさっそく、人材潰しらしき動きが始まっており、産経新聞社が全閣僚に、2005年10月の野田さんの「戦争犯罪人は国内法上は存在しない」という質問主意書について質問しました。これを読んでいる産経新聞の記者は、日本が1956年に国際連合に加盟したとき、ニューヨークの国連本部前のポールに日本国旗を掲げた外相が重光葵だということを確認すべきです。

[画像]目で見る議会制度百年(衆議院など編)から、1956年の国際連合に加盟し国際社会に復帰したときの外相(日本政府代表)の重光葵(右上の写真で日本国旗を見上げる人物)。

 1945年、ポツダム宣言を受諾し、東京湾内の米戦艦「ミズーリ」の艦上で降伏文書にサインしたのが、重光葵です。そして、吉田茂内閣がサンフランシスコ講和条約(多国間条約)で独立を回復し、その条約の第11条にもとづき、東京裁判(極東国際軍事裁判)が行われました。そしてサンフランシスコ講和条約のすべてを受け入れた上で、国際連合に復帰したのが1956年。そしてその外相が重光葵でした。そして彼はA級戦犯として服役し、仮釈放されました。1956年の時点では「仮釈放」の扱いはどうなっていたかは分かりません。しかし、仮に日本の国内法上戦争犯罪人として有罪となり服役し仮釈放された人物を晴れの国連(国産連合)デビューに送り出したとはヘンテコな話です。また国連(Unitad Nations)としても許せないことだったでしょう。

 
[画像]岡田外相のかわりに、国連パキスタン洪水緊急会合で、国連総会上で演説(日本語)する外務副大臣時代の藤村修さん。

 それでもちゃんとわが国は国連の一員で居続けています。



 これは2011年4月28日(木)、平成23年度第1次補正予算(案)で代表質問で答弁する菅首相。東日本大震災ということで、4月中に異例の補正予算提出ということになりました。こうした未曾有の国難でも、本会議場での振る舞いは堂々としていました。



 これは2011年6月1日(水)の参院本会議です。さきほども言及したように、サミットに2年連続で出席した首相は、小泉純一郎さん以来となりましたが、そのサミットから帰国後に、参議院から求められてのサミット報告(演説)とそれに対する各党代表質問で演壇に立ったシーンです。ちなみに、翌6月2日には、衆本でも同じ議題が予定されていましたが、自民党・公明党・たちあがれ日本が提出した「菅内閣不信任決議案」が慣例にもとづき、緊急上程され、延期されたまま、衆本で議題になることはありませんでした。ですから、後世の歴史家が「3・11」後、最初の主要な多国間会議だった2011年フランスG8サミットについて調べるときは、参議院の議事録だけを参照することになります。

 代表選のときは「政治はうんざり」という人がまた増えてしまったようですが、野田演説から組閣にかけて、じゃっかん「もう一度だけ政治に期待しよう」という人が増えてきたように思えます。3党合意をしっかり守れば、3次補正、当初予算、そして来年度(4kの政策検証)まで参議院でも法案は通せます。3党合意は未来に向けての合意であり、またロケットブースターが巧妙に入っているすぐれたものです。

 [当ブログ内から引用おわり]

 軍恩連盟全国協議会の会旗がことし3月22日に奉納されており、展示されています。軍恩連盟は昨年末に解散しました。これを考えると、私の推測としては、太政官布告(現代でいう霞が関官僚が執筆した政令)でできた靖国神社と軍事恩給などの「利権」を守る上で、A級戦犯を合祀しようという圧力が宗教法人内にあり、それを、監督官庁である厚生省はおさえられないばかりか、むしろ推進したのではないか。そして、日本遺族会の支援を受ける自民党50年政権がそれを見て見ぬふりをしてきたのではないか。すなわち、自民党政権におけるシロアリが、昭和天皇を怒らせ、参拝しにくい奇々怪々な神社になってしまったのではないでしょうか。厚生族議員の安倍晋三さんにそのシロアリ退治ができるでしょうか。

 おなじく厚生族議員の岡田克也副総理はことし8月10日の記者会見で筆者の質問に次のように答えています。

記者会見録から引用はじめ]

記者
 フリーランスの宮崎ですが、先程の靖国神社参拝に関して、A級戦犯が合祀されているから参拝しないということでした。これは昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を示したとされる富田元宮内庁長官の富田メモというものの信憑性が正しいと思われていらっしゃるのでしょうか。また、このA級戦犯7人以外の英霊に何かゆかりのある方の参拝についてはどう思われますか。

岡田副総理
 私が申し上げているのは、やはりA級戦犯というのは、これは何回もいろいろな場で申し上げているのですが、東京裁判そのものの問題がないわけではないけれども、しかし、日本が自ら戦後を総括していない以上、やはり東京裁判というものを尊重するという考え方に立たざるを得ないと。その東京裁判の結果、A級戦犯というふうに断じられた方々が祭られている、神として祭られているということについて、そこに閣僚が行くということは、私は望ましくないというふうに考えております。
 これは2005年でしたか、小泉さんと党首討論の議事録を見ていただければよく出ているというふうに思います。小泉総理と全く意見は、ある意味では一致したのですが。永久に戦犯が戦犯であると、戦争犯罪人であるということは一致したので。

[引用おわり]

 海外に間違ったメッセージを与えることになりかねない靖国神社。もっとスッキリした形にならないものでしょうか。

 ただ、頭で考えてスッキリせず、参拝中も、「松岡、東条は排除」と考えていて疲れましたが、この夏、羽田雄一郎国土交通大臣と松原仁国家公安委員長の旧内務省系の閣僚2人が参拝したことが背中を押してくれました。

 とにもかくにも、日本を守り抜きたいとの気持ち。

 雨の靖国で、再確認することができました。

 日本を、守り抜く。

 そのためには、100以上の勢力が2つ以上、しっかりとチェックしあうことがスタートです。 


安倍晋三総裁、年上の有権者に座席を譲らず「謝っているじゃないか」と逆ギレし、たぬき寝入り

2012年12月15日 05時28分46秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

 首相の座が射程に入った安倍晋三・自民党総裁。

 第46回衆院選最終日の2012年12月15日(土)。

 自民党ウェブサイトによると、「15:20~【静岡2区】焼津駅南口 16:45~【静岡6区】沼津駅南口 17:15~【静岡5・6区】三島駅北口」と激戦の静岡2区、5区、6区を行脚しています。事件はこのとき起きました。15日付朝日4面によると、自民党の安倍総裁(シャドウ首相)がJR東海道線の列車で移動中に、初老の(年上の)男性が、後から乗ってきた安倍さんが座ったため、隣に立ったまま、苦言を呈したところ、安倍さんはしばらく聞いていた後、

 「だから、すみませんって言ってるじゃないか!」と怒り、その後は座ったまま目を閉じ、狸寝入りをしました。

 朝日の安倍総裁番記者が記事にしたのは、選挙が最終盤だからで、これが序盤戦だったら、嫌われて番記者活動に支障がでる可能性があるので、書かなかったかもしれません。 

 私は安倍さんがこのような振る舞いをしているということを関係者からよく側聞していました。こういうところがあるから、9月の自民党総裁(シャドウ首相)選挙では、石原伸晃候補がふさわしいと考えましたが、自民党員の総意で安倍さんが総裁になりました。安倍さんはこういう風に逆ギレするので、比例代表で民主党が一定の議席を取ることで、バックアップ政党(女王陛下の反対党)として、すぐに政権を担えるように用意させておくことが日本のためになると考えています。

 箸が使えず、年長者に狸寝入りをする安倍ちゃん。

 朝日新聞によると、東海道線の座席は、JR東海がおさえていて空席だったようです。

 その安倍さんの10年間で200兆円の国土強靭化計画の自民党。小選挙区はまだしも、比例区でも自民党、あるいは日本維新の会に投票する有権者が多いのは、まさに「滅びるね」としか言いようがありません。

 それにしても、2016年(平成28年)12月まで任期があるのに、小選挙区はまだしも、なぜ2枚目まで自民党、あるいは日本維新の会と書くのか、私には不思議でなりません。

 安倍ちゃんに日本を渡すな!
tag http://regimag.jp/b/sample/list/?blog=65 


ことし最後の年金支給日に思う 安倍ちゃんの「最後のお一人までお支払いします」ウソ公約 国家が潰れる

2012年12月14日 07時05分37秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

 備えあれば憂い無し。自民党の方が、追加経済対策の補正予算の編成はうまいでしょうが、どこがやろうと、世界不況ですから来年1~2月の景気は底です。年金にしろ、あるいは政党にしろ、バックアップが大事です。

 きょうはことし最後の年金支給日。おせちとお年玉用ですから計画的に使わないといけないですね。また、きょうの支給分から、私の手元の計算で、おそらく初めて「年金特例債」(解散当日に法律成立)から国庫負担分が出て、国民年金月7万円の方ならそのうち1万円は年金特例債が財源ということになるのでは。

 第1次与党期の民主党は、消えた年金記録5000万件(2007年12月時点)のうち、2860万件(ことし9月時点)の記録を解明し、1671万件を統合し、一生涯の給付額に計算して延べ1兆7000億円分の年金を回復しました。

 ところで、2008年(平成20年)4月というのは、政権交代ある二大政党にとって後世特筆される月でしょう。まず1日から、田中角栄衆院議員が「臨時税率」として議員立法し、田中内閣が「暫定税率」に名を代えた恒久税制である揮発油税に関する時限立法が、自民党の国会対策のミスで失効し、ガソリン1リットル辺り25円下げが実現しました。4月5日はドライブにでかける人が増え、「国民に笑顔の花咲く“民主の春” 暫定税率撤廃サタデー」となりました。

 4月1日から、民主党が乱闘採決で抵抗しながらも成立した改正健康保険法にもとづき、「後期高齢者健康保険制度」がスタート。4月15日の年金支給日には、後期高齢者健康保険料の天引きで自治体に問い合わせが殺到。これに先立ち、福田康夫自民党内閣は4月1日に急遽「長寿健康保険制度」に改名しました。4月27日の補欠選挙では、山口2区で、民主党の平岡秀夫さんがゼロ打ち当確。そして、4月30日、自民党と公明党は衆議院本会議で3分の2ルールを使い、暫定税率を10年間延長する法案を参院が否決したとみなして、再可決しました国会同意人事では、空席期間をおいて、白川方明日銀総裁が誕生しました

 さて、何よりも問題なのは、これに先立つ2007年7月の第21回参院選で、当時の安倍晋三自民党総裁(首相)が、「2008年3月末までに名寄せを完了する」と公約しながら、本人が10月に総辞職したうえ、後継の福田康夫首相のもとでも、8%417万件の記録回復にとどまり、公約が守られなかったことです。

 参照)2008年4月1日付【政見放送】自民党総裁は「年金ウソ公約」を謝罪しろ!

 安倍さんは政見放送の中で次のように語っています。


 「多くの国民のみなさまはこの問題に対して強い憤りを感じていると思う。私も「社会保険庁いったい何をやってきたんだろう」、そういう気持ちです。

 しかし、私は現在の行政の長として、この問題にかんして、一番大きな責任があります。まずは国民のみなさまにおわびを申し上げなければならないと思います。
 そのうえで、この問題は基礎年金番号に統合した10年前から今日に至るまで、社会保険庁において、先送りしてきた問題です。
 私の内閣で、すべて、解決をして参ります。そのためには二つ、私に使命があります。

 第一の使命は最後のおひとりに至るまで、記録をチェックして、まじめに保険料を払って来られた方々にしっかりと年金を正しく、お支払いをしていくということです」

 と話していました。しかし、これは理論的にあり得ない話で、2007年7月の政見放送のさいちゅうにも、年金記録が回復されないまま亡くなった方がいるわけですから、「最後のおひとりに至るまで」「しっかりと年金を正しく、お支払いをしていく」ことができるわけがありません。そのうえで、年金記録の名寄せ期限までに8%しか回復できなかったのです。

 安倍さんの嘘公約は国家の存亡に関わりかねない重大な問題です。 

(画像はTV朝日「報道ステーション」)

[当ブログ内から引用おわり]

 これについて、福田康夫首相は7日の衆院予算委員会で「過分な期待を持たせたという意味で、おわび申し上げねばならない」と一応謝罪しました。翌日の衆院本会議で舛添要一厚労相は「公約違反に当たらない。誤解を与えたことはお詫びする」と答弁しています。「誤解を与えた」とは何様のつもりでしょうか。

 さらにさかのぼれば、参院選の「来年3月まで」公約から100日余りしか経っていない、2007年11月22日に舛添厚労相は「すべての名寄せは不可能」としており、この時点で
◎安倍首相の公約は嘘と判明していました。

 これについて、おそらく2007年12月14日の衆院本会議散会後にテレビ局からマイクを向けられた安倍晋三・衆院議員は質問に答えず「事務所を通してくれないかな」と語っています。その場面が次です。

当ブログ内2007年12月17日付エントリーから引用はじめ] 

Scene 1 謝罪しない福田首相



Scene 2 こういう約束をした安倍前総理の責任は?


Scene 3 安倍さんを直撃!(14日の衆院本会議後だと思います)



Scene4
国民へのヒトコトは、
事務所を通してくれないですか


Scene5 ガード役は安倍政権の中川政調会長




 何も語らず国会議事堂を後にしました。 

[引用おわり]

 このとき、ボディーガード役をつとめた中川昭一・衆院議員は亡くなりましたが、安倍さんは体調を回復して、総理返り咲きが目の前です。

 安倍さん、ひと言謝罪したらどうなんでしょうか。

 ダメだよ、ウソついちゃ、安倍ちゃん! 謝れよ、安倍ちゃん!

 で、実際に93歳の女性が消えた年金のため、年金受給資格の25年間(2015年10月から10年間に短縮)に足りず、一円も年金をもらえないまま亡くなっています。平成20年12月5日の第170回国会の衆院予算委。野党・民主党の山井和則さんの議事録をお読みください。

国会会議録検索システムから引用はじめ]

(前略)

○山井委員 それで、次のフリップをお願いいたします。
 この消えた年金問題で一番残酷なケースは、二十五年ルールというのがありますから、二十五年に足りなかったら無年金になっておられるんですね。私たち民主党、消えた年金問題で無年金になっている人がいるんじゃないかということを今までから追及してきて、やっと五月、六月だけ初めて出してもらいました、無年金の方を。そうしますと、五月、六月だけで三十五人、年金が消えていたせいで無年金だったということがわかったわけです。
 それで、これをごらんになってください。二番目の方は九十三歳なんです。十三年分国民年金が欠けていて、そのせいで無年金になって、何と三十三年分、一千三百万円未払いになっていたんですよ私はこれを見たとき、非常にショックを受けました、本当に三十三年間どれほど苦しい生活をされていたんだろうかと。
 それで、この発表があったときに、一日も早く、特にこの九十三歳の方には払ってください、謝りに行って払ってくださいとお願いしたんですが、舛添大臣、この方、ちゃんと全額もうもらわれましたか、今どうされていますか。
○舛添国務大臣 この九十三歳の女性は十一月上旬にお亡くなりになっております
 年金につきましては、初回の支払い分、五年以内分については十一月に支払い済みでございまして、残りについては、今、十二月の支払いに向けて支給額の処理中でございます。
○山井委員 舛添大臣、確認しますが、一銭でも、この方は年金を生きている間にお受け取りになったんですか
○舛添国務大臣 大変残念ながら、お支払いしたのが十一月中旬お亡くなりになったのが十一月の初旬、間に合いませんでした。(中略)
○山井委員 なぜ本人に謝りに行かないんですか。御子息夫妻に謝ったとかじゃなくて、入院されていたということがわかったら、それこそすぐに払わないとだめじゃないですか。入院されていて、一千三百万未払いが社会保険庁のミスでわかった、そうしたら、一日も早く払わないとお亡くなりになるというのが容易に想定できるじゃないですか。
 五月十五日にこれがわかって、お支払いされたのが十一月中旬。なぜ半年間もおくれたんですか。その間も、私たち必死に、早く払ってくれ、年金というのは生きている間でないと意味がないからと言ったわけですよ。(後略)

[引用おわり]

 みなさん、これを許していて、選挙と政治のしくみがこれからも作用しますかね?

 当時野党第1党で衆議院で115議席持っていた民主党が2008年4月1日に発表した声明全文を最後に付けます。

[当ブログ内民主党、消えた年金&ウソ公約を徹底追及へ 声明全文から引用はじめ]

2008年4月1日

「消えた年金」問題の解決に向けた民主党声明

 5000万件に及ぶ「消えた年金記録」について、「2008年3月末までに名寄せを完了する」としてきた政府・与党の公約は、ついに守られなかった。

 言うまでもなく年金は、国が国民に加入を義務付け、老後の生活を保障する、国民生活の最後の拠りどころである。したがって、年金保険料の納付記録が消えるという事態は、国民生活の根底を揺るがし、国民の政治不信を決定的にするだけでなく、国家の危機そのものである。

 だからこそ、我々民主党は、長年にわたって隠され続けてきた「消えた年金」問題を粘り強く究明し、政府・与党の責任の追及と問題解決のための提言を繰り返し行ってきた。

 それにもかかわらず、政府・与党は我々の要請をことごとく無視し、当面を糊塗することに汲々としてきた。その結果、5000万件のうち、記録が回復(統合)されたものは、全体の8%、417万件にとどまっている。それでもなお、政府・与党は「ねんきん特別便」の送付をもって「公約は守られた」と開き直り、国の総力で問題を解決しようとはしない。

 その姿勢を転換しない限り、「消えた年金」問題は永遠に解決されず、国民の権利は侵され続けることになる。

 加えて、本日から導入された「後期高齢者医療制度」は、不確実な年金から医療保険料を天引きする高齢者いじめの制度であり、即時撤回すべきである。導入を強行した政府・与党の責任はその二重の意味で極めて重い。

 よって、我々民主党は、政府・与党が率直に公約違反を認め、国民に謝罪し、問題解決の再スタートを切ることを要求する。その第一歩として、まず厚生労働大臣は国民に対して責任を取らなければならない。
 
 そのうえで、①社会保険庁解体までの2年以内に、問題解決のめどをつけるために、官民あげての国家プロジェクトとして取り組む②8億5千万件の紙台帳のほか、埋もれている台帳を探し出し、年金記録を徹底的に訂正する③問題の全体像を正しく把握するため、サンプル調査を行う――などの抜本的対策を直ちに実施するよう求める。

 もし、政府・与党がこれまでの手法の間違いと公約違反を認めず、問題解決を放置し続けるならば、国民生活を守るために、速やかに政権を交代して、我々民主党に問題解決を委ねるべきである。

 [引用おわり] 


民主党大逆転勝利が見えてきた 北朝鮮ミサイルで中止の野田総理演説、高校生電車に乗り別会場へ

2012年12月13日 17時34分57秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

 北朝鮮がミサイルを発射した2012年12月12日(水)、野田佳彦総理は首相官邸で執務をとりました。このため応援演説が一部中止になりました。

 民主党ニュースによると、上の写真のように、滋賀県・彦根では、彦根中学のみなさんが、「野田総理」のプラカードを持って駆けつけていたようですが、空振りとなってしまいました。「政治家の世襲も問題だが、貧困の世襲はもっと問題だ」と演説している野田総理。世界に広がる未来へ、彦根中学のみなさんに花の生涯あれ。

 滋賀・近江八幡駅で中止を聞いた高校生は、電車で移動して草津駅へ。安全を確認してかけつけた総理は北朝鮮の暴挙に対して、「国際社会が連携して強く自制を求めてきただけにとても遺憾であり、到底容認できない。北朝鮮には強く抗議した」、「あわせて国連安全保障理事会の議長国であるモロッコに対し、早期に安保理会議を開催し、協議をするよう求めた」と演説しました。

 ちなみに与党経験が1日もなかった2009マニフェストでは5つの章立て(民主党の5つの約束)の中に外交・安全保障は1本も入っていません。「普天間」「TPP」と政権の重荷を1100日間背負った経験にもとづく、2012マニフェストでは4本目に外交・安全保障を章立てしました。そのうえで、「平和国家としての、現実的な外交防衛」と書きました。「平和国家としての、現実的な外交防衛」など当たり前すぎる表現に思いますが、1100日間政権を担って、そう書いています。

 高校授業料無償化法により、経済的理由で後期中等教育(高校)をあきらめる人が減りました。その一方、民主党政権の税制調査会は、財源難の苦しさから最終局面で、特定扶養控除を削りすぎてしまいました。所得控除は世帯収入にかかりますから、例えば、テレビに出てくる15人大家族で、父、母、兄、姉が働く中で、自分も働く中で高校に通う生徒の場合は、世帯収入に限れば1000万円以上の「高収入世帯」でしょうから、かえって負担増になってしまいました。これは民主党第1次与党期の最大の失敗だと私は認識しています。

 今、中学生・高校生の生活は切実なものがあります。スウェーデンには、各政党に子どもも参加できる下部組織があり、青年組織のリーダーの討論がテレビ中継されたり、子どもの模擬投票があるそうです。イギリス保守党は18年ぶりに下野した後、学生部長出身の30歳代の党首を選びました。学生部長時代にサッチャー首相(党首)と握手している写真が出回って、野党としての新鮮さが薄れたと批判されたことから、党首は引きずり降ろされました。それでも13年ぶりの政権復帰以後、ヘイグ外相として、主要閣僚に収まっています。

 近江八幡駅から草津駅まで、goo路線情報によると、通学定期を持っていなければ、片道320円かかるようですが、総理の話を聞くのは、「バラマキではなく将来への種まき」といえるでしょう。

 民主党の大逆転勝利が見えてきました。 


あれれ?安倍さんの箸の持ち方が・・・ 二大政党「党首を追う」NHK

2012年12月11日 22時11分29秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

[写真]NHKニュースウォッチ9「党首を追う」で放送した安倍晋三・自民党総裁の箸の持ち方、2012年12月11日、テレビ画面から、このエントリーはすべて同じ。

 二大政党「党首を追う」が2012年12月11日(火)のNHKニュースウォッチ9で放送されました。

 上の写真は、自民党の安倍晋三総裁(シャドウ首相)がカツ丼を食べる際の映像ですが、何か変ですね。親指と人差し指で箸をつまんでいます。

 
[写真]「選挙はカツ丼でしょ カツ丼かカツカレーと決まっていますから」と安倍総裁(シャドウ首相)。

 一方、我らが野田佳彦代表(総理)の箸の持ち方。

 

 このように、人差し指と中指で箸を挟んで、薬指であやつるのが正しい箸の持ち方に思えますけど、違いますかね。

 安倍晋三さんのお母さんは、岸信介元首相の娘である安倍洋子さん。私も実際にお見受けしたことがありますが、大変気品高く雅な方です。そしてお父さんは安倍晋太郎さんですが、そのお父さんの安倍寛(あべ・かん)さんも大政翼賛会に参加せず無所属で当選した非翼賛議員で、尊敬されています。安倍さんは名前は「晋三」ですが、次男で、お兄さんは三菱商事の幹部社員です。安倍晋三さんは、自民党有力議員が家庭教師についていたそうですが、箸の上げ下げは習わなかったようです。

 一方、NHK記者から、「どんぶりの汁まで飲みますね」と声をかけられた総理は、次の表情。



 安倍さんか、野田さんか。できれば二大政党による党首討論を見たかったのですが、どうやら民主党の要望に自民党は答えてくれませんでした。残念な思いです。

 一方、もともと箸の上げ下げができない子を議員にしてあげて、その後に、箸の上げ下げを教えるのが小沢一郎さんのやり方で、だから大量の議員が彼についていくんですね。そして、それはまた、偏差値は高いのに、箸の上げ下げができないという、高度・安定成長期における親の家庭への不在がもたらしたもので、いわば資源の最適配分の間違えです。1時間早く、親が会社から家庭に帰っていれば、過労死も少子化も箸の上げ下げも今よりはできる国だったでしょう。家庭とは国家の構成要素にほかなりません。

 かくゆう私もどういうわけか、78歳の父は箸がうまく使えず、私は28歳のときに、母から、新聞の切り抜き(よりによって日経新聞の切り抜き)で箸の使い方を習いました。将来的にトラウマになりそうだからやめてくれ、と言いましたが、10年経っても、元気に選挙の話ができる家庭で良かったと思います。父と母はそう遠くない将来、天寿を全うするでしょうが、そういう家庭、そういう日本を後世に残していきたいと考えています。

 教育基本法第1条は箸の上げ下げから。

 良い日本を残しましょう。 


岡田副総理、逆転に手応え「我々の信念を伝えることが大事だ」「参院議員も一生懸命たたかっている」

2012年12月11日 19時50分23秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

[写真]劣勢が伝えられる我が党同志の宣車に手を振る、岡田克也副総理、2012年12月11日(火)、都内、筆者撮影。

 岡田克也副総理は2012年12月11日(火)、劣勢が伝えられる改革の同志の応援にかけつけた後、報道各者のぶら下がりインタビューに応じました。

 野田佳彦総理と頻繁に官邸内で打ち合わせている内容について聞かれ、総理の言葉は答えないとしながらも、「総理とは国民のみなさんに我々の信念を伝えていくことが大事だとの考えで一致ししている」との認識を語りました。

 

 衆院選と来夏の参院選の連動がうまくできていないとの指摘が、連合地方組織幹部から輿石東・民主党幹事長にあったとの一部報道については、「その(連合地方組織)会長の話は聞いていない」としながら、「参議院議員のみなさんも一生懸命たたかっている」とし、この衆院選においての参院議員の応援態勢は十分で、全党を挙げた総力体制ができているとの見解を示唆しました。




 岡田さんは、公示前日の2012年12月3日(月)の午後11時過ぎにメールマガジン「かつやNEWS」を配信。このなかで、「そういうなかにあって、これからまさしく新しい民主党をしっかりとつくっていく、そういう時代だと思っています。国民の立場に立った、より良い政党にするために、30代、40代、50代、非常にいい人材が揃った民主党ですので、私もしっかりと野田総理とともにこの民主党を立て直し、そして日本の政治を前に進めていきたいと考えているところです」と語り、30代、40代、50代の優秀な人材で、民主党を立て直す決意を示しました。岡田さんは59歳。もう若くはありません。人生最大の正念場。きょうの同志の演説も、様々な意味で寒かった。しかし、握手した後、「使い捨てカイロもらっちゃった」と喜ぶ岡田さんがいました。当ブログも岡田さんと心中する心構えと用意はできています。まっすぐにひたむきに、政治を国民の手に取り戻す動きを、前に進めてほしい。


[写真]厳しい情勢であることを分かっていながら、一切表情に出さずに、聴衆と景気の現状などを語らう岡田副総理。

 そのためには、なんとか「100」。あなたの2枚目は、「次の次へ」。次の次の芽も残していただきたいと存じます。

 十五少年漂流記の教訓。それは「なんであれ、困難に直面した時には、勤勉、勇気、思慮、熱心の4つがあれば、必ずそれに打ち勝つことができるということだ」(ジュール・ヴェルヌ)。

 自民党に負けていると思うあなたは鏡を見なさい。自分に負けているんですよ。己に負けているんですよ。泣きながら前へ。あきらめたらそこで負けだから、泣いた顔のままで笑う。

 

[岡田克也メールマガジン かつやNEWS 2012年12月3日号から引用はじめ]

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      ◇◆かつやNEWS◆◇2012年12月3日号
        編集・発行/衆議院議員岡田克也事務所
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<TOPICS>
○選挙期間中のメールマガジン配信停止のお知らせ
○岡田かつや「TALK-ABOUT」
○岡田かつやホームページ更新情報
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◆選挙期間中のメールマガジン配信停止のお知らせ
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公職選挙法では、選挙期間中に候補者のメールマガジンを配信することが
禁止されておりますので、公示日(12月4日)から投開票日(12月16日)
までの間、「かつやNEWS」の配信を停止させていただきます。予めご
了承ください。

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◆岡田かつや「TALK-ABOUT」 http://katsuya.weblogs.jp/
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○総選挙─厳しい風を乗り越えて、日本の政治を更に前に進めていく

いよいよ総選挙が始まります。

非常に重要な選挙で、かつ民主党に対しては厳しい風が吹いていますが、
それを乗り越えて、しっかりとこの国の政治を担う、そういう民主党であ
り続けたいと考えています。

この選挙で、いくつかのことを私は訴えていきたいと考えています。

まずは、社会保障と税の一体改革。私たちは3年3カ月前に、(政権交代
後の)4年間、消費税を上げないというお約束をしました。にもかかわら
ず、なぜ消費税の引き上げを含むこの改革を実現したのか。それは、まさ
しく状況の大きな変化。すなわち、ヨーロッパの経済危機や東日本大震災、
そういうなかにあって、改めていま私たちが置かれている日本の財政状況
の厳しさを考えさせられたということです。

この問題は、やはり私たち自身が自分の力で乗り越えていくしかありませ
ん。ギリシャやスペインに対しては、世界から手が差し伸べられました。
しかし、それでも解決していません。

日本のような大きな国が、先に送れば何とかなるとか、どこかが何とかし
てくれるとか、そういう幻想を持つべきではない。そういう意味から、社
会保障制度をしっかり持続可能にしていくためにも、負担の増加、つまり
消費税の引き上げも併せて、しっかりとやっていかなければいけないと考
えました。

後世、この判断がどう評価されるか。私は日本の国を財政破綻から防ぎ、
そして社会保障制度の持続可能性を確保したということで、必ず高く評価
されると考えています。

そして、それを実現するにあたって、野田総理のリーダーシップ、政治生
命を賭けたその決意が、私は野党をも動かしたと思っています。

もちろん、社会保障制度の改革も、同時に年金で2本、子ども・子育てで
3本の法律が成立しました。残る大きな課題については、すでに始まった
社会保障制度改革国民会議で、しっかりと結論を出していく責任があると
考えています。

第2に訴えるのは、民主党政権の成果です。マニフェストについて、いろ
いろなご意見があります。しかし、できなかったこともあるが、できたこ
ともたくさんあると考えています。

一例を挙げれば、子ども・子育てに関する政策です。児童手当という名前
には戻りましたが、従来の児童手当に比べると、はるかに充実した私たち
の新しい児童手当。

そして、35人学級。40人の壁をなかなか突破できなかった小学校1、
2年生については、35人学級を導入しました。

そして、高校の授業料の無償化や奨学金の充実。親の所得や経済状況で子
どもが十分に学ぶチャンスがない、そういうことがない社会に大きく前進
させたと思っています。

そして最後に、子ども・子育てを一体改革の中で充実したものにしました。

妊娠すると、必死になって子どもを預ける場所を探す。見つからなければ
仕事を辞めなければいけない。そういう状況を脱して、他の先進国と同じ
ように、子どもを育てることと働くことがきちんと両立できる日本にする。
その思いはかなり達せられたと私は思います。

今後、この子ども・子育てについては、更に充実させる。そして、働くこ
とと子育てがきちんと両立できる日本にする。そのことについて、大きな
第一歩を記すことができたと考えています。

さて、経済ですが、もちろん、日銀と協調して金融緩和をしていくことは
重要なことです。しかし、一方的に日銀のせいにしたり、あるいはお札を
どんどん刷ればいいと、こういう話ではないと思います。

そして、企業が投資を行い、雇用を増やし、所得が増える。そういうなか
で、消費も増える。そういった実体経済をどうやって良くしていくかとい
うことが、より重要であるということは言うまでもありません。

私たちが言っていることは、大きく分けて2つあります。1つは、新たな
成長分野を造っていくということ。従来の自動車や電機、その他の産業も
重要ですが、同時に新たな産業。

1つはグリーン。つまり、省エネルギーや自然エネルギーの分野を日本の
経済の大きな柱にしていく。これは、原発に依存しない、原発のない社会
をつくっていくためにも、是非必要なことです。

そして、第2はライフ。すなわち、健康、医療、介護。こういう分野を大
きな柱にする。3番目は、農林水産。こういった3分野を中心に、日本経
済、そこに日本企業、外国の企業も含めて投資を行い、雇用を増やし、経
済成長していく。そのことを思い描いているわけです。

もう一つは、やはり国を開いていくということです。もちろん、いまも日
本はかなりの程度開かれていますが、更に開いていくということが重要で
す。

アジアの成長のエネルギーを日本に取り込んでいくということが極めて重
要で、そういう観点から、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)や、
すでに調印して交渉が始まった日中韓自由貿易協定(FTA)、あるいは
ASEANを中心に、インドやオーストラリア、ニュージーランドそして
日中韓が入った東アジア地域包括的経済連携(RCEP)。こういうもの
を同時並行的に進めていくことが、極めて重要だと思っています。

この経済連携協定については、私は外務大臣になって非常に驚いたのです
が、自民党政権の後半、政権交代前には、ほとんどのものが上手く動いて
いませんでした。私たちは、日本とインド、日本とペルーの経済連携協定
を結び、そして、日本とEUの経済連携協定の交渉開始までようやくこぎ
つけたところです。

そして、先ほど申し上げたアジアにおける自由貿易圏を将来的に作ってい
くための重要なステップとして、日中韓FTA、TPP、あるいはASE
ANを中心とした広域連携協定をしっかりと前に進めていく必要があると
考えています

さて、今度の選挙で私が非常に重要だと思うのは、ある意味、日本の1つ
の岐路、分かれ道に来ているのではないかということです。

戦後、敗戦の中から立ち上がった私たちの先輩達は、額に汗して働き、お
互い協力をして、そして、豊かで平和な日本をつくろうということを心が
けてこられました。日本国憲法というものも非常に重要な役割を果たして
きました。

いま日本が、様々な試練に直面していることは事実です。内政においては、
先ほどの財政の問題。これを破綻させずに、しっかり立て直していく必要
があります。

少子高齢化が進んでいます。それへの対応。社会保障制度を含めて、非常
に重要になっています。

その他、国内の競争力や雇用の問題、そして、対外的にも領土の問題を含
めて様々な懸案事項があります。そういう問題について、しっかりと一つ
ひとつ正面から向き合って、そして、それを決断によって乗り越えていく
ということが求められています。それは、まさしく社会保障と税の一体改
革で野田総理が行ったことです。

他方で、いろいろな一種の閉塞状況のなかで、1つは石原さんや安倍さん
が言っておられるように、戦後成し遂げてきた価値観というものを、ある
意味否定しながら、その象徴は憲法ですが、「GHQ時代にできた憲法は
廃棄だ」とか、あるいは「全面見直しだ」という意見があります。

憲法も、戦後、国民によって受け入れられて、そして重要なものとして今
日まで来ました。変える必要があるところ、時代が変わったところ、そう
いうところはもちろん直していくことに私は異論ありません。しかし、全
面的に否定するということは、戦後の価値観の否定にもつながりかねない
と思っています。

そして、外交などで非常に荒い言葉を投げかけて、一部の人達にある狭い
ナショナリズムを煽るような政治。そういった政治の行き着く先は、非常
に危ういものがあると私は考えています。

しっかりと重要な問題を正面から見据えて決断し、前に進める民主党。そ
して、野田総理の政治なのか、あるいは、いろいろな一部の国民の皆さん、
この閉塞感のなかでその感情を煽って進める政治なのか。そのことが問わ
れていると思っています。突き詰めれば、野田総理なのか、あるいは安倍
総理、石原総理なのかという選択肢だと思います。

私は、ここで道を間違ってはいけない、そして民主党に引き続き任せてい
ただいて、この国の政治をしっかりと前に進めていかなければいけないと
思っています。

民主党の中には、時間をかけて議論して結論を出しても、それに従えない
という人達もいました。いろいろなことがありましたが、いまや小沢先生
はじめ、一部の人達は離党され、新しい党をお作りになりました。そして、
鳩山元総理、民主党をスタートさせるにあたり大変ご功績のあった方です
が、今回出ないという決断をされました。

そういうなかにあって、これからまさしく新しい民主党をしっかりとつく
っていく、そういう時代だと思っています。国民の立場に立った、より良
い政党にするために、30代、40代、50代、非常にいい人材が揃った
民主党ですので、私もしっかりと野田総理とともにこの民主党を立て直し、
そして日本の政治を前に進めていきたいと考えているところです。

選挙戦が本格的にスタートするにあたり、その直前に私の思いを申し上げ
ました。

期間中はこのホームページは更新することができませんので、以上をもっ
て、私のメッセージとさせていただきたいと思います。