【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

熟議のねばり国会が1日召集 会期は64日間(12月3日まで)

2010年09月30日 20時23分43秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議
 さあいよいよ、あす(2010年10月1日)、第176回国会(臨時国会)が召集されます。10月1日スタートっていうのも、何かいいね。衆議院規則・参議院規則それぞれの1条により、天皇陛下により午前10時に召集されます。が、実際の衆議院本会議は12時スタート。その後、天皇陛下を迎えた参議院での開会式が午後1時から。そして、午後2時から、衆院本会議で菅直人首相の所信表明演説、その後、参院本会議でも同じ演説があります。

 会期は64日間。12月3日(金)まで。臨時国会は2回延長が可能ですから、秋から冬までずっと熟議の国会をやりながら、年末を迎えそうな気配です。

 64日間には、祝日が3日間入りますから、「営業日」は43日間となります。来週から合計9週間の当初会期となります。

 そして、最重要法案は、補正予算案になりそうです。岡田克也幹事長は30日の定例記者会見で「現在の経済情勢の中で、補正が遅れるということはあってはいけない」として、民主党は「国会運営は誠心誠意行う」ので、他党には「大局的見地に立って賛成して欲しい」と呼び掛けました。

 また、補正予算案の提出は会期冒頭ではなく、10月中旬になりそうです。ということは、総理の所信表明への衆参本会議での代表質問→衆参予算委での予算の実施に関する調査があり、ここら辺で、補正予算案が提出されると→衆参本会議での野田佳彦財務大臣の財政演説→衆参本会議での代表質問→衆参予算委での補正予算の審議ということで、初めの1ヶ月が終わってしまうのではないか?との私の危惧を岡田幹事長に質問したところ、「国民生活に直結する補正予算案なので、国会議員ですから補正予算と一般法案は並行して審議して欲しい」と述べました。各常任・特別委員会の理事らに、全閣僚出席でない審議日程の寸暇を惜しんで、大臣の所信表明・一般質疑などをやるように働きかけた発言だと私は思います。

 昨年の秋の臨時国会は当初、「会期36日間」ということで、この短さに私以外にも複数の記者が嫌な予感がしたそうです。案の定、「与党慣れしていない与党(民主党)と野党慣れしていない野党(自民党)」が強行採決したり、審議拒否したりして、国民新党代表で閣僚だった亀井静香さんが一人大暴れした印象だけが残った国会でした。第45回衆院選政権交代チルドレン143人のデビューはほろ苦い物となりましたが、その多くが「国会とはこんなものなんだ」と思い込みだして、私も記者の友達に「相手は国会議員でも、ちょっと前の民主党と今の姿が様変わりしてしまったのを知っているのは僕らなんだから、ハッキリ言おう」と呼び掛けて、12月から洗脳を解くために、記者というよりも国民として何人かが立ち上がってくれました。

 きょう、国会議員会館に行って、私は記者章がないので、セキュリティチェックを受けて入館するのですが、参議院議員会館では17分も待ちました。昨年来の臨時国会、通常国会で法案や請願の処理が遅れており、さらに6月中旬から3ヶ月半の国会休戦があったということで、「ぜひ秋の臨時国会で遅れているこの法案を成立させてください」と各議員事務所を戸別訪問するみなさんでごった返していました。Law-maker 法律工場である国会が待ったなしの状況になっている気がしました。

 とにかく補正予算です。それと、野党・自民党は仙谷由人官房長官をねらってくるんじゃないかな~と感じますので、仙谷ガードが大事です。 

 「ねじれ国会」ではなく「ねばり国会」にしましょう。熟議の政治で日本を前に進めるためにしっかりていねいに確認しながら進んで欲しいです。ここ数日の官房長官会見では仙谷さんが自分の至らなさを一部認めており、クリーンでオープンな熟議の政治が根付きだしたんだと、前向きにとらえています。先輩議員でも、何か勘違いしていたら、しっかり指さし確認して、前に進んで欲しいと思います。

菅首相、補正を指示 「財政法の特例法案」がカギに 玄葉キャプテンが政権の命運握る

2010年09月30日 06時28分49秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議

[写真]民主党政調会長で国家戦略相の玄葉光一郎さん

 総理大臣で民主党代表の菅直人さんは27日、党本部での政府・民主党首脳会議で、ことしの国予算を補正するよう命じました。民主党が組んだ本予算(4月1日スタート)を民主党が補正するのは結党以来これが初めてのケースになります。

 しかし、7月11日の第22回参院選により国会がねじれましたので、与党以外の賛同が不可欠となりました。平成22年度(2010年度)の(第1次)補正予算案は、第176臨時国会に提出されます。衆参の本会議・予算委員会でおそらく2週間前後の審議時間をとられますので、なかなかタイヘンです。

 そして、16日発足した菅改造内閣で、新しく国家戦略相も兼ねることになった民主党政調会長の玄葉光一郎さん(福島3区)が、景気対策だけでなく、来年度当初予算案とその関連法案(日切れ法案)の成立の最大のキーパーソンになりそうです。後述しますが、玄葉さん見事です。

 菅内閣は、一般会計だけで歳入歳出(収支)総額92兆2992億円、そのうち私たちのくらしに役立つ一般歳出は53兆円を計上した、今の国の予算の歳入(収入)や歳出(支出)を増額させたり、ちょっと減額したりして補正予算案を編成します。おそらくですが、総額で、96兆~97兆円の一般会計予算に増額するというような議案を国会に提出するものと思われます。

 29日発表の日銀短観でもリーマン・ショック以来回復してきた日本経済が、円高や給料減による消費減で、年末に少し失速しそうな気配が出ていますが、これを未然に防ぐ景気対策が最大の狙いです。

 ところが、当選6回46歳の玄葉国家戦略相の最近の発言からは、来年の通常国会で迎える“3月危機”(予算関連法案が参議院で通らない、ないしは否決されること)を未然に防ぎ、政権を守ろうとする布石をいくつも感じます。

 例えば補正予算の財源ですが、今年度の税収の国庫への歳入は105%ほどで推移してきています。法人税、相続税が見積もりよりは多く、ジェット燃料税なんかは日航の件もあって歳入歩合は100%を切っていますが、その辺はそんなにウェートが大きくありませんから、おそらく4~6月期だけで2兆円近く、上半期では間違いなく2兆円を大きく上回る上ブレ分が出ています。

 そして、これが玄葉さんのすごいところは、前年度決算で余った不用額などの剰余金を使おうとしていることです。これも1・6兆円ほどあるようで、これを使えば、2兆円(ただし、一部は地方交付税に自動繰り入れ)+1・6兆円+αで4兆円ほどのお金が出てきます。ところが、このうちの1・6兆円のお金は「財政法の特例法案」を成立させないと使えません。

 財政法6条では、「各会計年度において歳入歳出の決算上剰余を生じた場合においては、当該剰余金のうち、2分の1を下らない金額は、他の法律によるものの外、これを剰余金を生じた年度の翌翌年度までに、公債又は借入金の償還財源に充てなければならない」としています。

 ですから、昨年度の剰余金をすべて今年度の補正予算にぶち込もうとするアイディアは、財政法違反なのですが、「他の法律によるものの外」となっていますので、「財政法の特例法案」を臨時国会で成立させれば可能となります。

 で、広い意味で、「財政法の特例法案」というのは、実は大平内閣以来、毎年通常国会で成立してきているのです。すなわち、赤字国債を発行するための臨時公債特例法案です。財政法4条「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない」とする条項の但し書きに基づく立法です。財務大臣として3回本予算を組んで成立させた経験を持つ自民党総裁(シャドウ総理)の谷垣禎一さんは、この「臨時公債特例法案」を人質に取りたいとする趣旨の発言を繰り返しています。だから、財政法の特例法案」を「民公賛成で衆参可決」させるという実績を年内に早めに作っておこう、と玄葉さんが考えているのだ、と私は思います。ここに中期的な視野に立った玄葉さんの政策および政局両面での見通しの良さを感じざるにはいられません。

 第174通常国会の2010年3月2日の衆院本会議でも、臨時公債特例法案、ことしの名称は「平成二十二年度における財政運営のための公債の発行の特例等に関する法律案」でしたが、この法案が審議され、可決し、参議院に送られ、年度内成立しました。

 これについて、当時の衆議院財務金融委員長だった玄葉さんが本会議に登壇しています。そのときの議事録です。

(衆議院議事録より引用はじめ)

○議長(横路孝弘君) 平成二十二年度における財政運営のための公債の発行の特例等に関する法律案、所得税法等の一部を改正する法律案、租税特別措置の適用状況の透明化等に関する法律案、右三案を一括して議題といたします。

 委員長の報告を求めます。財務金融委員長玄葉光一郎君。

    〔玄葉光一郎君登壇〕

○玄葉光一郎君 ただいま議題となりました各法律案につきまして、財務金融委員会における審査の経過及び結果を御報告申し上げます。

 まず、平成二十二年度における財政運営のための公債の発行の特例等に関する法律案は、平成二十二年度の適切な財政運営に資するため、同年度における公債の発行の特例に関する措置を定めるとともに、財政投融資特別会計からの一般会計への繰り入れの特例に関する措置並びに外国為替資金特別会計及び食料安定供給特別会計からの一般会計への繰り入れの特別措置を定めるものであります。

(中略)

 各案は、去る二月十六日当委員会に付託され、十九日菅財務大臣から提案理由の説明を聴取した後、二十四日から質疑に入りました。二十六日には参考人から意見を聴取し、本日鳩山内閣総理大臣に対する質疑を行うなど、慎重に審査を行い、質疑を終局いたしました。次いで、討論を行い、順次採決いたしましたところ、平成二十二年度における財政運営のための公債の発行の特例等に関する法律案及び所得税法等の一部を改正する法律案はいずれも賛成多数をもって、租税特別措置の適用状況の透明化等に関する法律案は全会一致をもって原案のとおり可決すべきものと決しました。

 なお、平成二十二年度における財政運営のための公債の発行の特例等に関する法律案に対し附帯決議が付されましたことを申し添えます。

 以上、御報告申し上げます。(拍手)

(衆議院議事録より引用おわり)

 これに対して、自民党からは小泉進次郎さんが反対討論に立ちました。そして、公明党の石井啓一さんも反対討論に立ち、その理由を「平成二十二年度予算案は、鳩山内閣における中長期的な財政の見通しが全く示されない中で、将来への不安を増幅する場当たり的な予算案となっています」と述べました。

 しかし、その後民主党政権は「中期財政フレーム」を作り、中期的な財政の見通しは閣議決定しました。また、納税者に不信をいだかせた鳩山由紀夫さん、小沢一郎さんの代表・幹事長コンビは表舞台から去っています。

 ですから、玄葉さんとしては、この臨時国会で、剰余金の今年度補正予算への繰り入れの特例法案を民主党と公明党の賛成多数で衆参ですんなり通して、来年の通常国会では、「臨時公債特例法案」も民公の賛成多数で衆参ですんなり通したいという思惑があるということはほぼ間違いない、と私は推測します。

 玄葉さんは昨年5月16日の野党・民主党の代表選で、「総理大臣になる準備がイチバン出来ている」として、岡田克也副代表を引っぱり出し、敗北しました。このため小鳩ににらまれたようで、政権交代後も衆院財金委員長という、玄葉さんにしては不足に感じられる役回りとなりましたが、そのなかでもしっかりと勉強していたようです。

 ところで、民主党内で、来年3月末に菅内閣は窮地に立たされ、解散に追い込まれるという噂が流れていて、困ったものです。これはまったくおかしな話で、予算関連法案を3月中に成立させられなければ菅政権は確かに窮地です。しかし、参議院では過半数割れ、衆議院では単独過半数はあるが3分の2はないという状況で、衆議院を解散しても全く意味がありません。ですから、追い込まれた場合にあり得るのは総辞職であって、解散ではありません。

 で、予算関連法案が3月末に成立しなかった例としては、2008年の通常国会で福田康夫内閣が租税特別措置法案の成立に失敗し、4週間、揮発油税(ガソリン税)と軽油取引税の暫定税率分が失効し、2000億円以上の税源を失いました。このときに、福田首相は「困っている」とは言いましたが、「解散したい」と言ったことがあったでしょうか。このとき、ガソリン値下げ隊長としてがんばった川内博史さんには、これからもお国のために、国民のために、志を失わずにこれからもがんばってほしい。が、やっかいなのは、そのときの国対委員長だった山岡賢次さんです。与野党問わず、国対委員長を経験したベテランが「3月に解散に追い込まれる」と言えば、信じちゃう若手議員・秘書も一部にいるでしょう。たしかにあのガソリン値下げは素晴らしい実績でしたよ、山岡賢次さん。でも今のようなことをしていると、その実績も胡散霧消してしまいますよ。

民主党:菅総理が内閣総理大臣指示を発令 政府・民主党首脳会議

 政府・民主党首脳会議が27日午後、党本部で開かれ、政府側から菅直人総理(代表)、仙谷由人官房長官、玄葉光一郎内閣府特命担当大臣兼政策調査会長が、民主党側からは岡田克也幹事長、鉢呂吉雄国会対策委員長、輿石東参院議員会長が出席。古川元久、福山哲郎両官房副長官、枝野幸男幹事長代理が陪席した。

 会議後に福山官房長副長官は記者団に、会議では菅総理からニューヨークで開催された国連総会およびオバマ米国大統領との会談についての報告があったほか、鉢呂国対委員長から国会開会に際しての野党との協議についての報告、これに関連して提出法案や会期等について意見交換がなされたと語った。

 また、菅総理から内閣総理大臣指示が出されたとも報告。これは、「現下の円高と厳しい経済情勢に対応しデフレ脱却と景気回復に向けた動きを確かなものとするため、新成長戦略実現に向けた三段構えの経済対策を踏まえ緊急的な対応、ステップ1に続き22年度補正予算編成を含む経済対策ステップ2の実施を検討する」というもの。与野党の提言を踏まえ、(1)雇用・人材育成、(2)新成長戦略の推進、(3)子育て・医療・介護・福祉等(4)地域活性化・社会資本整備・中小企業対策、(5)制度規制改革――が5つの柱。22年度補正予算においては、経済の活性化や国民生活の安定・安心に真に役立つ施策を盛り込みつつ、その他緊要な経費の追加も行うこととするとして、上記の考え方を基本に、政調会長が中心となって官房長官、財務大臣および経済対策のとりまとめ担当である経済財政政策担当大臣と連携しつつ、与党および野党との意見交換を進められたいとしている。

 福山官房副長官は、これを踏まえどのようなかたちで進めていくか等について党側も含め活発に意見交換を行ったと述べた。


菅さんが東京富士美術館訪問で公明党「逆にやりにくい」と照れる

2010年09月28日 07時12分40秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議
 菅直人さんが9月26日(日)、池田大作さんが1983年につくった「東京富士美術館」(東京・八王子市)を訪問し、この日が会期末だった「ポーランドの至宝 レンブラントと珠玉の王室コレクション」を堪能しました。

 詳しい方も、そうでない方もいらっしゃると思いますが、レンブラントはポーランドではなくフランドル、オランダの生まれですから、これはポーランドの美術館のコレクションの一部を運んできた展覧会と言うことになります。平成不況後の我が国の西洋美術の展覧会はこの形式が増えています。

 私も菅さんに触発されて、東京富士美術館に行ってみようかと思いましたが、この展覧会は残念ながらすでに会期末で、このあと、西の文化の巨人・佐治敬三さんがつくったサントリーミュージアム(大阪・天保山)で10月6日~31日、北九州市立美術館・分館で11月10日~12月5日、広島県立美術館で12月15日から年をまたいで1月12日まで開かれるそうですので、お近くの方はのぞいてみたらいかがでしょうか。スケジュール→http://www.fujibi.or.jp/exhibition/old/pohland/index.html

 ちなみに、日本人、とくにその99%以上であるクリスチャンでない日本人には、レンブラントは難しい、肖像画はいいけど宗教画は難しいと言われます。私もそう思いますが、数年前に気付いたのですが、レンブラントは近くの具象的な部分はより具象的に、そして、遠くの抽象的な部分はより抽象的に描いているんですよね。美術学的な説明は私にはできませんが、そういう風に、具象性と抽象性のメリハリが利いていて、だから画面からドカーンと飛び出てくるように見えるんだ、と思うとレンブラントが見やすくなるかも知れませんので、ためしてみてください。

 
[画像]「ポーランドの至宝 レンブラントと珠玉の王室コレクション」のチラシ(同館HP)

 私は八王子の東京富士美術館には行ったことがありませんが、私は中央線沿線の高校に通っていましたから、うちの学校法人は創価学会とは全く関係がなく、むしろ立正佼成会の開祖の親族が同窓生だったりしますが、東京富士美術館の入場券(おそらく割引券ではなく、無料券だと思います)をいただいたことがあります。

 このように、ヨーロッパ貴族の専有物であるレンブラントに、太平洋の島国の日本国民、それも庶民が触れる機会をつくってくれる池田大作さんは、創価学会員ではない私から見ても、すばらしい方だと思います。池田さんは三井不動産の江戸英雄会長にかけあって中国人留学生200人を留学終わりに東京ディズニーランドに招いたりしています。三井不動産、とくに江戸会長のころはしこたま貯め込んだんだから、そのくらいして当然ですが、これも池田さんがかけあってスタートしたということです。

 芸術の秋とはいえ、あまり美術展が好きなようには思えない団塊の世代の菅さんが、東京富士美術館を訪れたことについて、公明党に秋波を送ったとの観測があり、27日付日経新聞2面は、公明党幹部は「魂胆が分かりやすすぎる、逆にやりにくい」と述べたと伝え、公明党幹部が照れるほどの秋波だったようです。

 
 
[写真]上・池田大作さん(創価学会ホームページ)下・特別展の入場10万人突破を喜ぶ東京富士美術館のみなさん、9月17日(同館HP)。

 人生の成功者が1ヶ月(30回)にわたりその歩みを振り返る日経新聞の「私の履歴書」ですが、池田大作さんは35年も前に登場しています。それをまとめた聖教文庫のはしがきで池田さんは「47歳と、ようやく半世紀に達しようとしている若い私にとって、人生はいよいよこれからが正念場である」として、執筆を依頼された1971年頃から数回執筆を求められていて、「お断りばかりもできなくなって、お受けしたしだいである」と書いています。

 ところで、これとは別に1968年12月に、池田さんは『マイライフ』という印刷物に、次のような随筆を書いてます。タイトルは『一枚の絵』で、「私の自室に一枚の絵がある」と書き出し、初めてのヨーロッパ旅行でみつけた複製画のエッチングを購入した思い出をつづっています。ところが『一枚の絵』という随筆なのに、どういうわけかもう1枚の絵の話になります。「私の事務をとる会館に、一枚の絵が懸かっている」として、東山魁夷(ひがしやま・かいい)の『青い沼』という絵を紹介しています。

 池田さんは東山魁夷の『青い沼』について、「いかなる一本の木も、氏の手にかかると、一つの性格さえ帯びて、そのすがすがしい瑞々しさを発散する」と評しています。これを読んで、私はサラリーマン時代に見飽きた一つの絵を思い出しました。

 
[画像]日本経済新聞社の社章「太陽樹」東山魁夷の作品

 日経新聞社の社章、「太陽樹(たいようじゅ)」で、東山魁夷の筆によるものです。これはまさに「いかなる一本の木も」「一つの性格さえ帯び」「すがすがしい瑞々しさを発散」しています。この随筆を発表した3年後に、日経は池田さんに「私の履歴書」の執筆を依頼し始めたことになります。池田さんが送った秋波と見ることもできます。

 池田さんは随筆を「一枚の絵について語ろうとして、つい二枚の絵を語ってしまった。その罪は私にあるのではない。東山魁夷の一枚の絵が強引に発言を求めて、きかなかったからである」と締めくくっており、どうやら池田さんが照れ屋さんであることがうかがえます。そして、記念すべき1975年(昭和50年)2月1日付日経『私の履歴書』の第1回を池田さんは次のように書き出しています。

 「私の履歴書はいたって平凡である。」

 
池田さんはやはり照れ屋のようです。

 ◇

 民主党幹事長の岡田克也さんは『岡田語り。』で次のように述べています。
 
[画像]岡田克也著『岡田語り。』

 「今回のイギリスの一件(2010年5月6日の総選挙)を見て、完全小選挙区制は、やはり問題があるということを改めて感じた次第です」「基本的にはきちんと政権交代ができる大きな2つの政党が競い合うということであり」「時には連立政権もあるという柔軟性が必要だと思っています」(の299~300ページ)。

 二大政党を動かすうえで欠かせないのは第三極の存在です。私もこの1年間でようやく分かってきました。そしてそれが我が国においては公明党であることは言うまでもありません。積極にデートに誘う菅さんの民主党と照れ屋さんの公明党ですが、ここはお互いの組織のためではなく、ニッポンのたまに大人の連携に踏みきらなければなりません。

 さあいよいよ、第176臨時国会がこの金曜日(10月1日)にスタートします。2010年10月1日を、日本の歴史を前に進める記念日にしましょう。これから3年間続くのは「ねじれ国会」ではありません。民主党と公明党の熟議が作り上げる「ねばり国会」です。もう、ああだこうだいっている場合ではありません。

 ◇

 きょう(9月28日)、午前10時から参院外交防衛委員会で尖閣諸島問題で閉会中審査が開かれます。内閣最年長の防衛大臣、北澤俊美さんが答弁に立ち、安定感を示すものと思われます。質問には佐藤正久シャドウ防衛副大臣らが立ちます。1年前の小沢一郎独裁体制に比べれば、日本は少しだけ前に進んでいる、と僕は思います。

再選の公明党の山口代表が八丈島で小沢一郎氏に引退勧告か?

2010年09月24日 21時53分26秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議

[画像]公明党代表の山口那津男さん(公明党YouTubeからキャプチャ)

 公明党ウェブテレビ公明党YouTubeなどによると、公明党代表の山口那津男さんが9月22日の定例記者会見で、きょう(9月24日)届出が始まり、10月2日(土)の公明党第8回定期大会で選出される次期代表に名乗りをあげました。



 

 定例会見冒頭の山口さん。記者から質問される前の冒頭発言の中で、自ら、9月21日、八丈島で、小沢一郎氏と鉢合わせになったとの一部報道について「驚いた」「接触もない」「誤解のないように」と弁明し、まったくの偶然であったことを強調しました。

 前々から、この日の記者会見で、晴れやかに代表選出馬表明をしようとしていたのに、その直前に、よりによって「小沢一郎氏と八丈島で密談か?」との冷や水がかかって、公明党内外から疑念がかかりました。

 太田昭宏前代表の第45回衆院選落選および党敗北の責任をとってリリーフした今回の任期と違い、定期党大会からスタートする新しい任期に向けて、同党中央幹事会で決意表明をした晴れの舞台が台無しになりかねない事態に、自ら「身の潔白」を証明したようです。政党党首が定例会見の冒頭発言で、特定の政治家との接触を否定するのは極めて異例のことです。

 山口さんは「一部報道されましたが、私は昨日(9月21日)に八丈島(東京都八丈町)に来月(10月17日)の町会議員選挙を前にして、新人候補を擁立する(予定である)ことから、党の関係者と打ち合わせなどをするためにおもむきました。帰りの(飛行機の)便で驚いたことに、小沢一郎元代表と同じ便で帰ることになりました。びっくりしましたけれども、帰り際にごあいさつを申し上げたということでありまして、それ以外の接触も小沢さんがどういう理由で八丈に来られていたかおも全く承知するところではありません。誤解のないように申し上げます」

  として、同じ時間帯に八丈島に居たのは事実だが、まったく偶然だったので、誤解しないでくださいと強調しました。

 また記者からの質問に答えました。

 山口さんは小沢一郎氏に対して

 「お疲れになりましたでしょう、しばらくでございました」と声をかけたそうです。

 山口さんは釣りに疲れたと言っているのではなく、「(代表選挙で)お疲れになりましたでしょう。(新進党解党・自自公連立政権離脱以来)しばらくでございました」という政治用語と解釈できるでしょう。つまり、「お疲れになりましたでしょう」とは、「もうそろそろ政界から引退したらどうですか」という意味だととらえるのが筋でしょう。

 山口那津男さんと小沢一郎さんには大変な因縁があります。

 2人はともに、かつて新進党衆院議員として同じ釜の飯を食った仲でした。しかし、山口さんは1996年の第41回衆院選で東京17区に出馬しましたが、落選しました。

 第41回衆院選は私も大学生として、山口さんと同じ新進党東京都連、私は東京11区でしたが、選挙を手伝っていました。その前年の第17回参院選では、東京・西新宿の魚住裕一郎選対本部に東京11区総支部から派遣され、情勢を報告しろ、と言われて分からないなりに答えました。同じ新生党出身で東京9区の吉田公一先生の秘書さんが助けてくれました。

 新進党東京ブロックは、小選挙区を得られなかった創価学会5議員と連合系新人1人が比例単独となりました。そして、小選挙区立候補者は小沢氏の「国会議員が小選挙区で勝ち上がれなくてどうする」との持論で、いっさい比例重複しないことになりました。ところが、小沢氏が東京5区に野村沙千代さんを擁立すると、なぜか彼女だけ比例名簿6位に重複登載されるという「小沢のダブルスタンダード」に東京都連に白けムードが走り、東京の25小選挙区中、新進党はわずか5議席という大惨敗となりました。野村さんは候補者でありながら、なぜか東京11区の応援弁士にやってきました。この応援演説は、当時ヤクルトスワローズ監督の野村克也さんとツーショットという豪華なものでした。ですがなぜかウグイス嬢は「野村克也さんが応援演説に・・・野村克也さんが・・・」と繰り返し、球団名と肩書きをまったく言わないことに違和感が残ったと、聴衆の間で話題になりました。その野村さんですが、東京5区で「惜敗率51・15%」と大敗北を喫しました。当然惜敗率51・15%の候補者の応援を受けた当陣営も落選。当選した自民党新人とは7、100票差の次点でしたが、3位の共産党ベテランに6、663票差まで迫られていました。今振り返ってそのことに気付きました。何もかもグチャグチャな選挙でした。私は就職活動に時間を取られ日本経済新聞社に入社が内々定した直後から小選挙区に張り付きましたが、都連や党本部はシッチャカメッチャカの大混乱だっただろうと想像されます。自分で小選挙区比例代表並立制の改正公選法をつくっておきながら、運用段階では自分の党では重複させないと宣言し、そのあげく公示直前に特定の候補者だけ重複させるという小沢一郎党首にありがちな戦略ミスでしたが、それでも全国では衆院の3分の1近くの議席を得ましたので、結党直後にもかかわらず50議席をとった鳩菅民主党と協力して、もう少し辛抱すれば未曾有の平成不況の第42回衆院選で政権交代できたでしょう。

 山口さんは浪人中に新進党を解党されてしまったので、苦労したでしょう。5年間の浪人生活を経て、公明党の最重要選挙区である参院東京選挙区から国政に帰りました。このことから、山口さんは公明党立党者で創価学会第三代会長の池田大作さんに信頼されていると、推測されています。

 このように山口さんの人生だけを見ても、小沢さんにずいぶん翻弄されてきたことが分かります。小沢さんに「お疲れになりましたでしょう」と言うのは当然でしょう。

 きょうも元気で、あしたも元気で。そして、100年後の私たちの子どもたちが『きょうも元気で』と歌えるように。そのためには、ねじれだろうが、何だろうが、民主党主流派と公明党・創価学会のみなさんは、小沢一郎氏にレッドカードを突き付け、歴史を前に進めなければなりません。

 
[画像]レッドカードを突き付ける山口那津男さん(NHKから)

 ◇

 公明党代表選は山口那津男さん以外に立候補者がなく、24日山口さんの続投が決まりました。10月2日の定期党大会で了承されます。公明党の党首選は一度も選挙になったことがないことから、立党者の了承がないと立候補できない、と言われています。このことから、公明党・創価学会は池田大作さんら、その組織をあげて、小沢氏と距離を置いていることが明確になりました。

 その一方で、衆院4期生でバイオベンチャー企業の技術者の経験がある江田康幸さんが8日に菅直人首相を官邸に訪ね、13日の「HTLV-1(ヒトT細胞白血病ウイルス1型)特命チーム」に参加するなど、超党派というよりも、菅内閣に公明党専門家議員が飛び込むという新しい動きが起きています。

 自民党さんにはバックアップ政党として第46回衆院選に向けてじっくり準備をしていただきましょう。

 やはり大衆のこと、庶民のこと、福祉のことを知っている「チーム3000」の力が必要ですし、統一地方選で政策をつくるチャンスです。民主党主流派も「クリーンでオープンな民主党」をしっかりと構築し、元祖クリーンの公明党さんに信頼してもらえる土壌作りが必須です。

公明党代表選:山口・公明、試行錯誤 きょう再選、手腕問われ(毎日新聞)
 ◇「政権にレッドカード」一転「是々非々」
  公明党は24日、党代表選挙の立候補を受け付け、山口那津男代表(58)が無投票で再選される見通しだ。昨年8月の衆院選で惨敗し、野党に転じた同党はこの1年、民主党政権との距離感を巡って試行錯誤を続けてきた。「ねじれ国会」でいかに存在感を高め、来年の統一地方選や次期衆院選につなげるか。山口氏にとっては党再建の手腕が問われる2期目となる。【岡崎大輔】

 21日、東京・八丈島から羽田空港に向かう飛行機に山口氏と民主党の小沢一郎元幹事長が同乗した。到着後、小沢氏に気づいた山口氏が「お疲れさまです」と声をかけると、小沢氏は「大丈夫。元気だよ」と応じた。

 これが一部で報じられると、山口氏は22日の記者会見で「帰り際にあいさつしただけ。それ以外の接触はなく、小沢氏の目的も知らない。誤解ないように」と自ら切り出した。実際に偶然だったが、山口氏の釈明は、公明党が民主党との関係に神経質になっていることを印象付けた。

 公明党は今年1月、細川連立政権で小沢氏と「一・一ライン」を築いた市川雄一元書記長を常任顧問として復帰させた。2月には支持母体・創価学会の秋谷栄之助・最高指導会議議長らが小沢氏と東京都内でひそかに会談。通常国会では政府の子ども手当法案と高校授業料無償化法案に賛成した。一連の動きは「民・公連立の布石」との憶測を呼び、支持者の反発を招いた。

 公明支持層は「政治とカネ」問題に敏感だ。小沢氏に対しては今秋にも検察審査会の議決が出る見通しで、同党が民主党と距離を置く一因になっている。

 だが、7月の参院選で「レッドカード」を突きつけた菅政権に対する姿勢には変化のきざしもみえる。13日に発足した政府の「HTLV-1(ヒトT細胞白血病ウイルス1型)特命チーム」に、公明党から江田康幸衆院議員がオブザーバー参加したのはその一例。党幹部は「菅さんは正面からくるだろうから、こちらは是々非々だ」と語る。統一選を前に政策で実績を上げなければ党勢回復はおぼつかないという危機感がにじむ。

 一方、選挙戦略では自民党との違いが目立ち始めた。菅政権を早期解散に追い込みたい自民党に対し、山口氏は16日の会見で「(衆院)解散一辺倒で求めていくわけではない」と明言。統一選と近い時期の衆院選は好ましくないとの見解も示した。公明党の動向は、11年度予算関連法案の審議が大詰めを迎える年度末に向け、国会での野党共闘の成否を左右することになる。

tag 新進党を解党した小沢一郎を歴史法廷の断頭台に送ろう。


来週10月1日(金)召集 第176臨時国会

2010年09月22日 20時02分51秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議

[写真]民主党国対委員長の鉢呂吉雄さんと国対委員長代理になった牧野聖修さん

 民主党の鉢呂吉雄・新国対委員長、牧野聖修・新国対委員長代理らは、第176臨時国会(秋の臨時国会)について、野党の要求を受け入れて、召集日を来週に繰り上げることを決めました。鉢呂国対委員長は「10月1日に召集する」という案を、と国民新党の下地幹郎・国対委員長、自民党の逢沢一郎・新国対委員長、公明党の漆原良夫・国対委員長らに提案し、了承を得ました。

 これにより、天皇陛下は憲法第7条により、菅直人内閣の助言と承認により、10月1日(金曜日)に第176臨時国会を東京に召集する運びとなりました。

 菅さんは早期召集にこだわる野党に配慮し、ASEM(アジア欧州会議)の出席をあきれめて、ねじれ国会での話し合いを優先することにしました。

 日程は1日(金)に菅さんの所信表明。土日を挟んで、4(月)~6(水)に衆参で各党からの代表質問。7(木)8(金)に衆院予算委。3連休を挟んで、12日(火)13日(水)に参院予算委に臨む予定。言うまでもなく、参院での審議は重要です。

 この後、その他の衆参常任委員会で大臣所信表明と一般質疑が行われますが、ごく一部の委員会では閉会中審査で大臣のあいさつが終わっているところもあります。

 第1次補正予算案の提出は会期途中になりますが、その際は、本会議での野田佳彦財務大臣の財政演説と質疑、衆参予算委員会で、他の委員会が最低1週間ストップします。

 このことを考えると、当初の会期設定は別として、臨時国会は、2回延長できますが、おそらく年末まで、あるいは越年も含めたロングラン国会になりそうです。

 この間、行政刷新会議の事業仕分けが合計10日間ほど行われます。この辺でもうまく国会との両立が可能となるよう、仕分け人とそれ以外の議員との意識の共有を期待したいです。また政務三役は、財務省などによる来年度当初予算政府原案の査定作業(12月20日ごろ閣議決定か?)や、政府税制調査会での税制改正の話し合いなど与党内での調整と国会での答弁を両立させることになります。

 ねじれ国会は公明党、社民党、みんなの党などと連携すれば法案は成立します。対決法案に関しては、全方位外交ではなく、「自民党はあくまでも敵だ」というキッパリとしたメリハリのある対応を、衆参各委の理事に持って欲しいと私は思います。

臨時国会は10月1日召集、野党要求で前倒し(読売新聞) - goo ニュース

臨時国会は10月1日召集、野党要求で前倒し
2010年9月22日(水)11:09
 政府・与党は22日午前、臨時国会を10月1日に召集することを決めた。

 政府・与党は菅首相や閣僚の外遊日程を考慮し、6日召集で調整していたが、野党が円高対策の審議などを理由に早期召集を求めたため、日程を前倒しした。1日に首相の所信表明演説を、4~6日に衆参両院本会議での代表質問を行う予定だ。

 これに伴い、首相は10月4、5日にブリュッセルで開かれるアジア欧州会議(ASEM)首脳会議への出席を取りやめた。

 民主党と国民新党の国会対策委員長は22日午前、国会内で会談し、通常国会で廃案になった郵政改革法案を臨時国会に再提出する方針を確認した。

 民主党の鉢呂吉雄国対委員長は今年度補正予算案を臨時国会で扱うかどうかについて、「内閣が最終的な決定をしていない。内閣の方向を見定めながら対応する」と述べた。


松本龍・環境大臣兼防災担当大臣に関心高まる

2010年09月22日 17時48分33秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議

[画像]環境相・防災担当相就任記者会見にのぞむ松本龍さん、2010年9月17日深夜、首相官邸(政府インターネットテレビからキャプチャ)

 菅改造内閣で、環境大臣・防災担当大臣に福岡1区の7回生の松本龍さんが入閣したのは若干驚きました。しかし、それ以上に驚いたこと。内閣改造当日の9月17日だけで、グーグル・ヤフー検索で、「松本龍」で206PV(ページ・ビュー)、親族が経営する会社である「松本組 松本龍」と組み合わせた検索を含めると、300PV以上、「松本龍」関連のキーワードでこのブログに来てもらいました。昨年6月に書いたエントリー(松本龍さんがトップに 所得ランキングは2年連続で民主党)は1日で合計365PV(ページ・ビュー)読んでもらいました。

 なぜ、松本さんにこれだけネット検索が集まったかということですが、これは、松本さんが「解放の父である松本治一郎の孫」であり、本人も「解放同盟副委員長」を務めている、ということでしょう。つまり「」と「大臣」という組み合わせが、これが日本におけるネット社会と親和性が高いということだと思います。しかし、「それがどうした?それより、大臣としての仕事ぶりはどうなの?」というのが圧倒的な2010年の世論でしょう。こういったネット検索の結果からも、時代が静かに、でも急速に動いていることが分かります。

 官邸での就任会見や報道各社のインタビューで、松本さんは「未来の子どもたちから地球環境を預かっている」との心構えを示し、第174通常国会で、参院委員会で採決直前まで行きながら、閉会で廃案となった「地球温暖化対策基本法案(岡田・福山法案)」について、「速やかに(第176)臨時国会に提出して成立させる」と明言。その中で、「国会審議の中で、よい案が出てくれば取り入れたい」として野党からの修正可決に柔軟な姿勢を示しました。これは第174通常国会で、元環境大臣で公明党政調会長の斉藤鉄夫さんが、当時の環境大臣の小沢鋭仁さんの答弁に納得しない場面が多々見られ、審議が滞ったことが念頭にある、と私は推測しています。また、野党時代の民主党地球温暖化対策本部(本部長・岡田克也副代表、事務局長・福山哲郎参院政審会長)がつくった「2020年に1990年比で25%削減する中期目標」について、「(09マニフェストを掲げた衆院)選挙のころは非常に高いと思ったが、志(こころざし)高くやる!」(日経20日11面)と述べました。

 「民間人です」さんが応援している来月の名古屋での「COP10(生物多様性条約第10回締約国会議)での遺伝資源の利用ルールを定めた名古屋議定書については「先進国と途上国の意見をとりまとめ、後押しする」として、国連総会で各国の環境大臣との下ごしらえに意欲を示しました。松本さんは衆院環境委員長を2回やっています。

 一部情報では、国際会議が多い環境大臣と防災担当大臣は両立しにくいのではないかとの意見を仙谷由人官房長官に申し入れているという話もあり、地位や評価に執着しない「お坊ちゃん大臣」の良い面が表れており、期待したいと思います。

 ◇

 戸籍法第107条1項は「やむを得ない事由によって氏を変更しようとするときは、戸籍の筆頭に記載した者及びその配偶者は、家庭裁判所の許可を得て、その旨を届け出なければならない」とあります。この戸籍法は1947年12月22日に、戦前の戸籍法を廃止する格好で、公布されました。家父長制廃止に伴う立法措置で、これは戦後ニッポンわが国民が自ら洋々たる前途を切りひらくために判断した、ということでは残念ながらなく、進駐軍(GHQ)命令である、というのが定説です。

 手前味噌な話で恐縮なのですが、私の祖父は、農業を兼ねながら、長野県篠ノ井市、1966年に長野市に合併していますが、篠ノ井市の市会議員をしていたことがあります。島崎藤村の『破戒』とは同じ長野県でもかなり場所が離れていますが、それでも、集落にはまったく不合理に言われなき差別を受けている方がいらして、その方々がある2つの苗字に集中している傾向があることに気付いたそうです。で、その方々に、この戸籍法第107条を使って、「苗字を変えたらいい」と説得して、書類を代書して、列車に乗って長野家庭裁判所まで一緒に行って手続きをしていたそうです。、ご近所さんからは「幸隆さん、そんなことしても一銭の得にもならないからやめなよ」と言われ、祖母は「畑仕事を全部押しつけられた」と怒っていましたが、選挙は強かったようです。私は入れ替わりで、祖父の顔を知りませんが、合理的な人だったんだろうと思います。

 私は東京で生まれ育ったので、同和問題という言葉を知ったのは中学3年の教科書です。中学生のころ、神宮球場に野球見物に出かけたら、試合中のグラウンド整備の合間に、オーロラビジョンから「法務省からのお知らせです!」というコマーシャルが突然流れ、面食らいました。そのコマーシャルを見て、いっしょに行った友人と「これ、あれじゃね、マンデラさんの南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)のことじゃねえの?」などと話しましたが、まさか我が国の現在形の話とは思いもよりませんでした。後で知ったのですが、その友人のお父さんは公明党の区議会議員だったんですが、東京っ子というのは知らないんです。全国から学生が集まる早稲田大学に入学して以降に、この問題を口頭で詳しく教えてくれた学生がいて、彼は現在衆議院議員をしています。

 「解放の父」の孫が入閣して、それが別段違和感がないというところに、前に進んでいるという手応えを感じます。

 ◇

 私も毎日ログ解析をみています。もしも、私がアクセス数を増やすことを目的にこのブログを書くなら、ログ解析から導かれる戦術はひとつ。「小沢と検察」をテーマをどんどん書くばアクセス数はうなぎ登りになるでしょう。そしてそれを見て、「小沢とマスコミ」を書いて、「検察とマスコミ」を書いて、と繰り返すと、情報がある方向にスパイラル、拡大再生産していってしまい、ネット世論とリアル世論が大きく齟齬をきたすことになります。さきの代表選では、ネット世論と、テレビ・新聞世論に著しい乖離現象が生じました。

 私がブログを書いている目的は、「日本における二大政党デモクラシーの定着」であり、「小沢と検察」、「小沢とマスコミ」は別です。例えアクセス数が少なくても自分が書きたいことを書く。政権交代から1年経って、主な政治ブログと私のブログの内容が随分変わってきたようですが、私は自分の書きたいことを書き続けます。


発売中の「FLASH」に蓮舫さんについてコメント載っています

2010年09月22日 03時23分43秒 | その他

[写真]蓮舫さん(民主党ホームページ)

 ご連絡が遅れてしまいましたが、21日(火)に発売された光文社の「FLASH(フラッシュ)」の2010年10月5日号にコメントを寄せさせてもらいました。私自身もまだ現物をみていないのですが、行政刷新大臣に加えて公務員制度改革担当も兼ねることになった蓮舫さんについて、政権交代前の野党時代からその素質を感じた、という趣旨のコメントが載っていると思います。

 週刊誌ですので、全国的には、きょう、あす、あさってぐらいにターミナル駅の売店や書店などで探して頂ければ、よいのではないかと思います。



<蓮舫総理>Xデーで動き出した-小沢ぶっ潰しの立て役者が・・・ | エキサイトニュース
誌名: フラッシュ [2010年10月5日号]

ページ: 10

発売日: 2010年9月21日

カテゴリ: 政治

キーワード: 民主党 蓮舫 代表選 小沢一郎前幹事長 菅直人首相

キーワード2: 舛添要一 事業仕分け 政治ジャーナリスト・宮崎信行 野田佳彦 松本剛明 村田信之

 記事の扱い: グラビア(2頁以上)

 ◇

 ちなみに、同じ光文社さんからは、光文社新書で「『日銀貴族』が国を滅ぼす」(上念司著)も一読の価値がありますので、オススメします。猛暑が続きますが、おそらく来週ごろからは、読書の秋でしょうか。再来週あたりに秋の臨時国会・ねじれ国会が始まりますが、あっという間に年の瀬になりそうな気配がしますね。


岡田克也さん、幹事長就任会見で“内助の功”を認める

2010年09月18日 00時36分13秒 | 岡田克也、旅の途中

[画像]幹事長就任記者会見にのぞむ岡田克也さん、2010年9月17日、民主党本部(党本部ホームページの会見中継映像からキャプチャ)

 民主党幹事長に1年ぶりに復帰した岡田克也さんは17日午後4時から党本部で就任記者会見を開き、まず、「定例会見」をこれまでと比べて倍増(週1回月曜日→週2回月・木曜日)させることを表明し、さっそく「オープンな民主党」を目に見える態度で示しました。

 そして、「私たちが民主党を立ち上げたときの志に立ち返って、新しい政治を実現する、国民の期待にこたえる政治を実現するために、民主党を日本の政治の本領を担う政党として形作っていきたい」として、政権政党としての民主党の骨格を組み上げていきたいとの意欲を示しました。

 総理である菅直人代表は、政権の重荷をみんなで分担する「412人内閣」、全員参加の政調、クリーンでオープンな熟議の政治をかかげています。

 ところで、岡田さんは堅物、原理主義者、タリバーンといわれますが、私は16日のテレビニュース映像で「あれ?」と思ったことがあったので、質問しました。

 岡田さんは菅さんに「幹事長受諾」を伝えた後、首相官邸でぶら下がりインタビューに答えて、「ちょうど1年前まで、私、幹事長だったんですね。ですから『なんか外務大臣になったときに、(幹事長を外されたと)ずいぶん憤慨していたじゃない』と妻に言われまして、そういうこともあったのかな、と。また振り出しに戻ったような感じですよ、(政権交代した)1年前の」と語っています。

 これを受けて、私が「原理主義者と言われる岡田さんだが、奥さん(岡田多津子さん)のアドバイスで考え方を変えることがあるのか」と質問したところ、「考え方を変えたわけではありません。が、そういうこともあったかな、と思い出しただけです。私は仕事をやると全力でやりますので、いったん始めると次に入るというのは抵抗があります。もう少ししっかりやりたい、という傾向があるのかな、と思った次第です」として、今回の決断に内助の功があったことを、オープンに認めました。幹事長がオープンなら、みんなオープンでないといけないですね。

 
[写真]岡田克也さんの奥さんの岡田多津子さん、2009年8月30日、三重県川越町(岡田克也さんのホームページ

 また、党綱領の策定、党規約の「与党らしい」改定、党代表選挙規則の見直しの3つの課題については、「(菅代表の任期が)これから2年間あるので、落ち着いたところで議論したい」、「課題が山積しているねじれ(国会)の状況の中で、どう物事を進めていくのか優先順位をつけなければならない」などと述べ、重要性は理解しながらも、まずはねじれ国会対応や政権としての経済・雇用対策など重要課題・法案に対処していく考えを示しました。

 また、「与党の幹事長の責任は重いと言われるが、野党の幹事長も責任は重かったので、まだ実感がわかない」と岡田さん。正直な発言が多かったです。オープンな熟議をしようよ!というワクワク感を感じながら、私は記者会見場のある党本部をあとにしました。


鉢呂吉雄・国対委員長が就任会見「前大臣も筆頭理事に」「同期の桜も誠実に道拓く」

2010年09月17日 23時53分56秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議
[写真]国対委員長就任会見にのぞむ鉢呂吉雄さん(2010年9月17日夕、民主党本部、宮崎信行撮影)

 総理で民主党代表の菅直人さんから、ねじれ国会の国対委員長に指名され、9月17日の両院議員総会で承認された鉢呂吉雄さんが国対委員長就任会見にのぞみました。

 鉢呂さんは早めに到着し、岡田克也・新幹事長の記者会見を40分にわたって聞き入った後に、登壇。

 「きょう5年ぶりの国対委員長、そして野党から与党に代わって初めて国対委員長を拝命しました」として、「ねじれ国会では、政策や法案について、各党に誠心誠意、政権与党としての考え(を示し)、協議をさせていただく。『熟議』ということが言われているが、それだけで終わらせてはいけない。必ず合意を得る」と抱負を述べました。

 野党国対委員長としては「ガチンコ相撲の突破力」をモットーとしていたものの、ねじれ国会の与党国対委員長としては「ねばり強く成案を得る」との心境を強調しました。

 そのうえで、これは私が質問したんですが、衆参の常任委員・特別委員の配置は、秋の臨時国会前に転換して、慣らして、年明けの通常国会に臨むタイムスケジュールが慣例となっていますが、「ちょうどその時期だ」として、各議員の希望をとりまとめて第176臨時国会で配置換えをすることを明らかにしました。

 また内閣改造で、大臣も含めた政務三役経験者が党務に帰ってきます。

 鉢呂国対委員長は「政務三役(経験者)にも、党務のところで、国対で、筆頭理事ですとか、委員長ですとか、理事ですとか(やってもらう)。とりわけ臨時国会で実績をあげる(=法律を成立させる)ということになりますと、政治家一人一人がその(専門)分野で、衆院、参院あげて、野党のみなさんに法案の中身を訴え、結果としてのその成案化が求められています。(衆院での)3分の2条項も使えません。もちろんマニフェストの原則に基づいて私たちは制度、法案をつくっていきますけど、野党のみなさんにも説得して、結果としての実績(=法案成立)につながるよう、国会対策委員長としてリーダーシップをとっていきたい」として、「(前の)大臣、副大臣、政務官にも汗を掻いていただきたい」と述べました。

 また私は、鉢呂さんが1990年衆院初当選ということで同期当選組に、自民党の石原伸晃幹事長公明党の山口那津男代表(現在は参院議員)と井上義久幹事長のコンビ、さらには参院自民党の小坂憲次幹事長、そして党内でも岡田克也幹事長、仙谷由人官房長官ら同期当選組がいます。このネットワークをねじれ国会を前に進める車輪にするつもりはありますか?と問いました。

 鉢呂さんは「まあ建前からいけば答えにくいですが・・・そういう気心の知れた人も多くいます。単になれ合いとか水面下とか、そういうことに陥らないように注意しながら、私もそんなに付き合いのいい方ではありませんが、誠実に、誠意をもって、そういう風に道を拓いていきたいと思います」と述べました。

 55年体制では、自民党内閣は初めから社会党が法案修正するための「のりしろ」を付けて内閣提出法案を書いていた、しかも官僚が書いていた、というのが歴史の真実のようです。さらに料亭での接待の後には、ズッシリ重い紙袋がお土産に。官房報償費→自民党国対→社会党国対にオカネが流れていた、と証言している人もいます。

 それに比べれば鉢呂さんは「まあ建前からいけば答えにくいですが・・・」とのことでしたが、90年初当選つながりもドンドン活用して欲しいです。それはクリーンでオープンな政治でしょう。国会議員と官僚の接触が禁止されている英国では、国会開会中は夜ごとにロンドンで様々な「同窓会」が開かれ、それは半ば公然に認められていると聞きます。

 各委員会の理事も、「故郷が近い」「名前が似ている」「趣味が同じ」など、徹底的に活用して、それをクリーンでオープンにしながら、ねじれ国会を動かしていってもらいたいです。

これも「天命」なのかな 岡田克也さん、民主党幹事長に1年ぶりに復帰

2010年09月16日 19時38分43秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]岡田克也さんと菅直人さん(首相官邸ホームページ、トリミング)

【民主党幹事長に岡田克也外相】


 民主党代表で総理大臣の菅直人さんは16日、代表再選を受けた民主党幹事長に、外相の岡田克也さんをあてることを決めました。岡田さんの民主党幹事長就任は3度目。政権政党としての幹事長の就任は、鳩山由紀夫さんが首班指名された後に限れば、初めてということになります。

 岡田さんは「外務省のみなさんには申し訳ないが、政権交代をして頂いた国民の気持ちを考えたら、いろんなことを考えていられない。天命でしょう」と述べました。

 1回目の岡田幹事長は菅代表の下、2004年の第20回参院選を勝利に導きました。ただし、菅さんの年金未納問題で、参院選時点では代表に無投票で昇進していました。そして、2回目は鳩山代表の下、2009年の第45回衆院選で日本初の選挙による政権交代を実現させました。参院選でも、衆院選でもともに民主党初の国政第一党を実現した幹事長は岡田さんです。

 逆に言えば、岡田さんとしては、幹事長としてこれを上回る実績はあげようがありません。そのため、以前から、3度目の幹事長には慎重な姿勢を周囲に示してきました。

 菅さんは、ねじれ国会対応から、結党時の参院国対委員長である北澤俊美さん、幹事長・国対委員長・衆院議運委の筆頭理事を経験した川端達夫さんなど、衆参の議運・国対の長い議員をあてる方針で、私もそれが適当だと思っていました。

 が、岡田さんの「外相を最低2年間はやりたい」、「閣内なら財務相もやってみたい」と周辺にこぼしていた希望はかなわず、政治家としての責任、代表(総理)からのご指名ということで、「天命だ」と引き受けることになりました。

【1年ぶりの幹事長復帰】

 岡田さんは2009年9月15日の両院議員総会で、「党規約を与党にふさわしいものに変えていきたい」といった抱負を述べながらも、鳩山代表に解任されてしまい、小沢一郎さんに幹事長の座を奪われました。総選挙に勝利した幹事長が交代するのは、日本の政権政党では極めてまれです。私は、ちょうど1年前の岡田幹事長解任という、どんな理由があったか想像はつきますが、この判断は、鳩山政権のすべてのボタンの掛け違いにつながったと考えています。

 岡田さんの過去2回の幹事長就任は、ともに代表選に出馬して敗れて、新代表から指名されたものです。しかし、今回は内閣の一員として菅さんを支持し、三重3区で、87・52%の得票率で、菅陣営でもっとも党員・サポーターをまとめ上げることができました。
 
[画像]2010年9月の民主党代表選での党員・サポーター票の小選挙区別得票率(朝日新聞9月16日付4面)

 ただ、岡田さんは11月のAPEC横浜の準備会合にいそしんでおり、楽しみにしていました。また、ライフワークである気候変動(地球温暖化)に関する国際会議や、ドイツ外相と共同論文を米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)に発表するなど非核および「国連安保理改革&日独の常任理事国入り」にも意欲を示していましたので、今度の幹事長就任は複雑な思いがします。まさに菅さんの命令と言うよりも、天命というべきでしょう。

【民自公の幹事長は、1990年初当選トリオに】

 ねじれ国会への対応では、自民党総裁のの谷垣禎一さんはこのほど、第39回衆院選で初当選の石原伸晃さんを自民党幹事長に指名しました。公明党の井上義久幹事長とあわせて、1990年初当選組が民自公の幹事長トリオとなりました。さらに言えば、現在は参院議員にまわった公明党代表の山口那津男さんも同期当選です。石原さんとは自民党、山口さん、井上さんとは新進党で同じ釜の飯を食った仲です。

  
[画像]石原伸晃・自民党幹事長、井上義久・公明党幹事長(両党ホームページ)

 この1990年の第39回衆院選。このときの旧三重1区(5人区)では、新人の岡田さんが初当選したことで、公明党政審会長だった坂口力さんが弾き飛ばされて落選した経緯があります。しかし、このことで、衆院厚労委員が長い岡田さんとしては、後に厚労大臣を4年間つとめる坂口さんら「福祉の公明党(創価学会)」に一目置かれることになりました。

 その後、岡田さんの「新生党」と「公明党」は、細川内閣で合流。岡田さんは8党派の若手による「いしずえ会」の事務局長として、当時の公明党書記長(市川雄一さん)や、当時の創価学会副会長(野崎勲さん)を講師として招いたことがあり、公明党とのパイプがあります。というよりも、むしろ、新進党解党に最後まで抵抗した経緯から、中堅以上の公明党議員は、岡田さんを尊敬しているように感じられます。

 例えば、衆院安全保障委員をつとめる公明党の佐藤茂樹さん。

 第173臨時国会(昨年11月26日)では、「私は、もう今から十六年前ですか、八頭馬車の細川政権のときから、いしずえ会の事務局長ということを岡田外務大臣がされたときから、ぶれない人であると」と質問の冒頭に語りました。

 第174通常国会(ことし5月28日)では、「私は、(平野博文)官房長官という人は、昔から人物はよく知っておりますけれども、どうもこの普天間基地の問題の取り扱いを見ておりますと、やはりこの分野についてはど素人で、自分の発言がどれだけこの日米関係に影響を与えるかというのをもう少し両大臣からもしっかり注意してもらった方がいい、そのように思うんですね」と述べています。

 仮に民主党と公明党が協力すれば、参議院で過半数、衆議院では3分の2の議席になりますので、ねじれ国会の視界が良好になってきます。

 私としては、岡田さんが幹事長になってくれると、また記者会見に出られるようになるのですが、APEC横浜を岡田外相で迎えられないのはなんとも残念です。北澤幹事長も見てみたかったし、川端さんは1回目の幹事長は郵政選挙で玉砕し、屈辱的な辞任だったので、汚名返上をしてほしかった気もしますが、政党は公のもの、私情は許されません。岡田幹事長はやはり「天命」なんでしょう。

          
天命   
 天によって定められた人の宿命。
「天の命ずる之を性(さが)と謂う」(四書の1つ『中庸』のことば)。
広辞苑第6版より。


 まかりまちがっても、党内から、岡田幹事長に後ろから鉄砲を撃つようなことがないようにしてほしいものです。それは絶対に許せません。脱小沢ではなく、小沢卒業で、クリーンでオープンな菅民主党による全員参加の熟議のデモクラシーに向けて。まずは体制の構築です。まっすぐにひたむきに前に進みましょう。

 一つだけ、お願いをさせていただければ、岡田外交の続きを、いずれ別のかたちでけっこうですから、ぜひやらせてあげてほしい、と思います。


[資料映像]菅民主党、カツカレーで総決起大会 ここから始まる熟議のデモクラシー

2010年09月15日 07時05分49秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議
 臨時党大会に先がけて、東京タワー足元、芝公園の「東京プリンスホテル」で、菅直人陣営総決起大会が開かれました。江田五月選対本部長、鉢呂吉雄選対事務総長らがカツカレーを食べて、2時間後に迫った党大会に向けて、最後の団結を図りましたが、民主党らしいオープンで熟議の政治を感じさせました。ニュース動画にまとめてみました。



 さて、民主党国会議員は412人います。そのうち何人が優秀で、何人がそうでないか。それは206人が有能で、206人が無能です。つまり政治家には、絶対的に素晴らしい政治家などいなくて、その評価は相対的なものです。衆院小選挙区は300選挙区どこでも、必ず1人だけ当選します。得票数が相対1位の人が必ず当選する、それがデモクラシーです。

 ですから、「与党もダメ、野党もダメ」、「誰がやっても同じ」という言いぐさは、その人が有権者としての能力がないことを示しています。民主党は野党一筋11年だったため、当選回数7~4回生あたりの一部に政権の重荷を理解していない人がいます。2009年にいたるまで、国民がなかなか政権交代を選択しなかった責めもあります。が、とにもかくにもそれが現実として、前に進むしかありません。

 しかし、これは私の直感、このカツカレー総決起大会に参加した人が、これから向こう20年~30年の政治の主役になる気がするんです。

 民主党結党後、15回目の代表選です。そして、初めて、内閣総理大臣が候補者となった代表選です。与党らしくなってきました。ですから、演説なんかどうだっていいんです。円高とか、中国の船舶だとか、総理にしゃべらすのはアンフェアです。政策本位の代表選ではありません。どういう政治のしくみをつくるか問われた代表選でした。そして、「信頼」。カツカレーで団結した仲間は、観光バスに乗って、党大会会場に向かいました。そして、勝ちました。

 この東京プリンスホテルに集まった精鋭かつ勇者が向こう20年間の国政の主役になりそうな気配を僕は感じる。もちろん、政権交代すれば、野党にまわって国会での攻撃にまわります。もちろん、まだ見ぬ立候補者が、あっという間にトップリーダーに駆け上っていくかもしれません。

 見て見ぬふりする日本人から、物を言う日本人へ。一人一人が主権者です。そのためのお手伝いをするのがこの総決起大会に集まった国会議員です。これは党大会とは別のホテルで開かれています。ひやかし半分で参加した人はいません。この映像に映っている政治家は、みんなホンモノです。

 さあ、一緒に政治に参加しましょう。もちろん、「いやいや俺は第46回総選挙で自民党に政権交代させるから民主党政権に知恵なんかやらないよ」、それもまた大いにけっこう。

 2009年8月30日政権交代の夏の思いを、もう一度だけ民主党にかけてみましょう。

小沢一郎氏、降壇の道順を間違える

2010年09月14日 23時59分59秒 | 第175臨時国会(2010年7月)ねじれ

[写真]握手する菅直人総理と小沢一郎氏、2010年9月14日民主党大会、民主党ホームページから。

 2010年9月14日の民主党大会で、敗れた小沢一郎氏が、菅直人総理と握手して降壇する際に、道順を間違えていたことが分かりました。MSN産経が伝えています。残念ですねえ。やはり、最後はていねいにしめてほしいものです。

 9月14日の民主党大会。NHKをはじめ、TV各局が生中継をする。凄まじい警備と右翼という窮屈さもありますが、その隆盛はすさまじい。おごれる者は久しからずと言いますが、その隆盛こそ、民主党が結党以来12年間めざしてきた政権交代ある政治が日本に実現した証明です。菅総理は、演説の中で、政権交代を見ぬままこの世を去った、石井紘基さん、山本孝史さんの名前を出しました。あるいは、総理のあいさつには出てきませんでしたが、奥田敬和先生、山花貞夫さん、久保亘(クボタン)さん、吉田之久先生、神田厚さん、岩田順介さんら、民主党の礎を築いた故人も喜んでおられると思います。

【民主党代表選】沈黙、屈辱の剛腕 支持議員、大差の党員・サポーター票に「なんだよ、それ」 (1/4ページ) - MSN産経ニュース

 「剛腕」の小沢一郎氏が敗れた。14日の民主党代表選。党員やサポーターからの圧倒的支持を受けた菅直人首相の再任が決まった。日本の政治のキーマンの1人として20年近くにわたり影響力を持ってきた小沢氏。口を真一文字に結んだまま代表選会場を後にした。

 大差で敗れた小沢氏。代表選が行われたホテルの通路にごったがえす報道陣を前に、「ゴホン!」と大きなせき払いをすると、表情を変えることのないまま、無言で会場を立ち去った。

 小沢氏の表情は朝から一貫して厳しかった。代表選会場で笑顔が見えたのは2回だけ。雌雄を決した後、再び壇上に上がり菅氏と“和睦(わぼく)”の握手を交わした際と、壇上から降りる道順を間違え、ばつの悪そうに浮かべた苦笑いだけだ。


民主党代表選は菅総理が圧勝

2010年09月14日 15時48分07秒 | 第175臨時国会(2010年7月)ねじれ

 民主党結党以来初めて現職の内閣総理大臣が出馬した、党通算15回目の2010年9月14日の定期代表選挙は、菅直人・総理大臣が下馬評を上回る圧勝で、2012年9月の任期を獲得しました。

 党員・サポーター票は、小選挙区ごとのウィナー・テーク・オール方式で、

 小沢一郎候補 51ポイント
 菅直人候補  249ポイント

 地方議員票は、総数のドント方式で、
 小沢一郎候補 40ポイント
 菅直人 候補 60ポイント

 国会議員票は1人×2ポイントで、
 小沢一郎候補 200票で400ポイント
 菅直人 候補 206票で412ポイント
 (棄権 2人 無効票3票)

 合計で
 小沢一郎候補が491ポイント
 菅直人候補が 721ポイント

 となりました。

 で菅総理が下馬評を上回る圧勝でした。地方議員票では、小沢陣営の健闘が見られましたが、課題だった国会議員票でも菅さんが勝ったことで、秋以降の政権運営がスムーズに行きそうです。

 勝てるとは思っていましたが、議員票でも上回ることが出来て、これはホントウにホッとしました。当ブログは一貫して、菅陣営を応援してきました。私としても初めてサポーター郵送投票の資格を得て、「菅直人」に投票しました。

 おめでとうございます。
 お疲れ様でした。
 ありがとうございました。

 政権の重荷をみんなで分担して担いでいきましょう。


土俵際の小沢一郎氏、東スポ1面で独占インタビュー

2010年09月13日 23時01分49秒 | 第175臨時国会(2010年7月)ねじれ
[画像]東スポ2010年9月13日発売号(14日号)1面

 民主党代表選で土俵際に追い込まれた元代表・小沢一郎氏は、2010年9月13日午後発行(9月14日付)の超一流夕刊スポーツ紙「東スポ(東京スポーツ)」の1面に登場し、四股を踏むなど、剛腕・強面のイメージと違った気さくな姿を披露しました。

 小沢氏は東スポの独占インタビューに「俺が総理になったら絶対に景気をよくしてやる!!」と豪語。東スポ記者が書いた「後記」によると、「一部週刊誌に青木愛衆院議員(45)との『京都不倫密会騒動』が報じられた直後だったが、(略)どんな質問にも終始笑顔で答えてくれる庶民的感覚もあった」と書いてあります。取材日は9月10日(金)前後だと思われます。

 記事をよく読んでも、インタビューとどう関係があるか分からないのですが、小沢氏は雲竜型の土俵入りを見せ、大々的に写真が展開されています。68歳の小沢さん、さすがに膝は曲がっていますが、当ブログが分度器で測定したところ、股が135度開いており、なかなかの柔軟性。インタビューでは妻・小沢和子さんについて、「女房はね、俺もそうなんだけど外に出るのが嫌いだね」と述べ、対抗馬の菅総理夫人の菅伸子さんをけん制しました。

 また、「宇宙人は信じますか?」との問いに、「いると思うよ。だって宇宙はどでかいもん。地球上の動植物と同じかどうかは別として、いるんじゃないかな」と述べ、盟友の鳩山由紀夫さんへの配慮をみせました。

 しかし、同じ東スポ紙面でありながら、同日付10ページには、社外の書き手である堤堯さんの連載「阿呆の遠吠え」第424回が、「小沢の使途不明金は114億円」と辛辣な小沢批判。

 
[画像]東スポ17面「風俗業界は小沢氏にエール」

 ところが、17ページでは、松岡和也記者が、「風俗業界は小沢氏にエール」との見出しで、「地方経済が活性化すれば当然、風俗も恩恵にあずかれる。そりゃ期待もする」との関係者のコメントを紹介し、小沢氏を援護射撃しました。

 いろいろな内容が載っていますが、東スポはすべて署名入りで、社内外の書き手が自由に書けて、不偏不党だなと感じました。東スポの発行地域は、4大都市圏のはずですので、小沢ファンが多い地方にも届けばいいと思いました。

 一方、残念な勇み足もありました。

 小沢一郎事務所のyoutube公式チャンネルに、投票日前日に議員会館をまわる小沢一郎氏の映像が2分2秒にわたって載っています。しかし、この映像には、議員会館の廊下で撮影した部分が多くあります。議員会館の廊下は撮影禁止となっており、私なんかもつねに気をつけております。



http://www.youtube.com/watch?v=FfBPWF5phzo

 スタッフの出入りが激しい小沢一郎事務所では、前々から意図的かどうかは別として、遵法意識に乏しい面が多々見受けられます。大将が政治生命を賭けた戦いをする日の前夜に、このような脇の甘さをみせるようでは、小沢事務所も変わっていないなと、言わざるを得ません。

 2010年9月の民主党定期代表選は、現職で内閣総理大臣の菅直人候補と、元代表・小沢一郎候補の2人が立候補しています。

新進党解党の歴史がよく分かる1998年4月27日の民主党結党大会での恒三さんのあいさつ

2010年09月12日 23時24分09秒 | 第175臨時国会(2010年7月)ねじれ

[写真]民主党結党大会で来賓あいさつする渡部恒三衆議院副議長(民主党ホームページ)

 民主党のホームページを見ていたら、以前私が記憶をもとに書いた渡部恒三さんの1998年4月27日の民主党結党大会でのあいさつ文が載っていました。衆議院副議長として党籍離脱中に、新進党という「帰る家」を壊され、「私の帰る家をつくってくれ!」という悲痛な叫び、これ、ホント冗談ごとじゃないですよね、「私の帰る家をつくってくれてありがとう」という恒三さんのあいさつは、小沢一郎氏の新進党解党が歴史への重大な罪だったことがうかがい知れると思います。ぜひ読んでみてください。歴史を前に進めましょう。

(以下、民主党ホームページから全文引用)

民主党統一大会
http://www.dpj.or.jp/news/?num=12163

来賓祝辞 渡部恒三氏(衆議院副議長)

一昨年の11月、私は当時の野党第一党の新進党の皆さんのご推薦で副議長に就任いたしました。副議長に就任するとき、なんか悪い予感がして(笑)、両院議員総会で「私の留守中もみんな仲よくして、仮にも私の帰る家がないようなことにならないようにしっかりやってくれ」と、こうあいさつしたんですけれども、残念ながら去年の秋、私の帰る家はなくなってしまいました(笑)。

 これは国民にとって非常に残念なことで、いまでも残念でたまりません。あのとき新進党が残っておったら、これだけ橋本さんがしくじっているんですから、いまごろは民主党と一緒になって橋本政権にかわる新しい政権をつくろうと、こういう話になっておったと思います。

 これはぜひ皆さん自信を持っていただきたいんですけれど、一昨年10月20日の衆議院の選挙、自民党勝った、野党負けたというようなことを言う人が野党のほうにおったもんですから、なんかみんな負けたような感じになっちゃったんですが、数字が事実です。あのときの選挙をもう一遍思い出してください。自民党が取った票が1800万票、新進党が取った票が1600万票。200万しか違わない。そして当時の民主党が取った票が900万票。1600万と900万と合わせるとなんぼになりますか、2500万。国民の意思は自民党1800万。新進党と民主党が1つになればはるかにこれをオーバーする2500万なんです。ところが、まあ言うてかいないことだけれども、あれこれのことがあって、いま国民の皆さんの期待にこたえられないようなことになってしまった。

 しかし、さっき小沢辰男さんの話がありましたように、この国の民主主義を安定・発展させるためには、時の政権がしくじったらいつでもこれにかわり得る野党がなければ、民主主義は存在いたしません。いまの国民の皆さんのいらいらはそこにあるんです。橋本さん、あなたがやめることは景気をよくすることだ、みんなそう思っている。しかし、「今度私がかわります」と、これ、まだ菅さん言えない。

 いま帰る家ができたと、こういう話がありましたが、まだこうやって聞いていると、帰る家になっていないような気がする。どうぞきょう私の前にごあいさつをなさった他の野党の皆さん方と1つになって、国民の皆さんが「あれなら新しい政権ができる。景気もよくしてくれるだろう」と。菅さん頑張ってくださいね。(拍手)ちょっと物足りないようにも感じますけれどもね(笑)。

 これぜひ聞いてください、私は一昨年、あの小選挙区になったということで選挙区に帰って中小企業の若い20~30人の皆さん方と懇談したんです。そしたらその若い人たちが「渡部先生もしっかりこれから頑張って、菅さんのような厚生大臣になってください」と、こう言われる。ちょっと私はがっくりきた(笑)。私が厚生大臣のとき菅さんは2回生ぐらいだったかなあ、社会労働委員会で質問して。その菅さんのような厚生大臣になってくれと、こう言うんですから(笑)。しかし、これがどんどん新しく変わってくる国民の気持ちなんだなあと、こう考えてさっぱりしました。(拍手)羽田さんもさっぱりして幹事長を引き受けたんだろうと思う。(拍手)

 いま日本の国民が望んでいるのは、いつでも政権交代可能な立派な政党ができることであります。新しく誕生する民主党がお互いに譲るべきことは譲り合って、足の引っ張りなどは絶対しないことを誓って、あるいは「おれはおもしろくねえ」なんて出ていくなんてことは絶対しねえことを誓って。私だっていつまでも副議長やっておれませんから(笑)、副議長をやめたとき胸を張って帰っていけるような政党になってくださることをお願いして、ごあいさつにさせていただきます。(拍手)


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