【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

北朝鮮、ICBM発射、米本土射程のもよう、NHK室蘭で航跡撮影、ガイドライン安保法で米本土への攻撃は日本への攻撃、官房長官、日米韓軍事攻撃排除せぬかまえ示す

2017年07月29日 22時21分30秒 | 国際

 NHK(北朝鮮「ICBM 2回目の発射実験に成功」)などが報じたように、北朝鮮は、ゆうべ、平成29年2017年7月28日(土)深夜に、ICBM=大陸間弾道ミサイル=「火星14型」を発射しました。意図的に高高度にとばす「ロフテッド軌道」で、「高度が3724.9キロに達し、飛距離998キロを47分12秒で飛行した」と北朝鮮は発表しました。日本の排他的経済水域内に落ちた航跡は、NHKが北海道・室蘭で撮影し、放送されました。

 北朝鮮が、米西海岸を射程にした、ミサイルを手にしたのは確実。今後は、ワシントンを射程にしたり、核弾頭を改善したりすることになりますが、これらはすべて時間の問題です。また、「刈り上げ君」「黒電話」こと金ジョンウン・朝鮮労働党委員長の動静や衛星写真などから、ICBMの発射が近いと報じられていましたが、予想と違う場所から発射されており、極めて深刻な段階になりました。歴史的転換点です。

 2015年4月の再改定日米防衛協力の為の指針(いわゆるガイドライン)と平和安保法制・戦争法(2015年9月成立2016年4月施行)によって、米本土への攻撃は「存立危機事態」として日本への攻撃と同じになりました。

 このため、菅官房長官は記者の「日米韓の軍事攻撃も含めるのか」という趣旨の質問に「わが国としては、米国と韓国と緊密に連携しながら、いかなる事態にあっても国民の安全安心を守るのが最大の責務である」と語り、
否定的な答えをしませんでした。伝統的に、アジアへの介入が遅い共和党政権ですが、北朝鮮基地に対する、巡航ミサイルトマホークなどでの攻撃・戦争が近づきつつあると言えそうです。

 なお、発射翌日のこんやは、恒例の「隅田川花火大会」でしたが、雨で見づらかったようです。平成海部内閣のころのKEDOあたりからの歴史の流れの着地点ということになりますが、だいたい歴史的転換点というものは、その時にいる人は、気づかないようです。

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岡田克也常任顧問「次の代表が決まるまでは、蓮舫代表・野田幹事長」との見解示す、早期解散懸念に予防線

2017年07月28日 19時51分29秒 | 第48回衆院選(2017年10月10日公示)

[写真]民進党常任幹事会にのぞむ岡田克也・同党常任顧問、2017年7月18日、東京・永田町の民進党本部内、筆者・宮崎信行撮影。

 岡田克也・常任顧問は、「次の代表が決まるまでは、蓮舫代表と野田幹事長に全力投球してもらう必要がある」とし、次期代表が決まるまでは「蓮舫・野田体制」であるとの見解を強調しました。

 これは、蓮舫・第2代民進党代表が、辞任を表明した翌日となる、平成29年2017年7月28日(金)のメールマガジン・公式フェイスブックページなどで発信しました。

 岡田さんはメルマガで、蓮舫代表辞任表明を「大変残念なことですが、ご本人が決断された以上、受け入れざるを得ません。ただ、安倍政権の抱える問題は山積しています。次の代表が決まるまでは、野田幹事長ともども全力投球してもらう必要があります。私たちももちろん、しっかり支える決意です」としました。

 これは、蓮舫執行部が、再来月に党員サポーター投票付きで代表選を行うよう、常任幹事会にはかろうとしていることに対して、与党・自民党が、その間隙をついての、臨時国会召集・ほぼ冒頭衆議院解散を検討しだした、との観測をふまえ、予防線を張ったものと思われます。

 岡田さんは、蓮舫さんから幹事長を打診されたとの報道について、「全く根拠のないことです」とし、「いま、報道したテレビ局に抗議し、説明を求めているところです。どこかで聞いてきた噂話のたぐいを、ニュースで流すというのでは、フェイクニュースと言われても仕方ありません」としました。

 前年のトランプ大統領当選にいたる経緯で流行語となっている「フェイクニュース」という言葉を、メルマガなどで使ったのは、はじめてとみられます。

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蓮舫民進党代表、辞意表明

2017年07月27日 15時06分37秒 | 第194回臨時国会(国難突破冒頭解散2017年9月)

[写真]蓮舫さん、きょう、筆者宮崎信行撮影。

  蓮舫民進党代表(ネクスト首相)が辞任することを表明しました。政治家の出処進退ですから、あれこれ言いません。定例の、平成29年2017年7月27日の記者会見の場を活用して発表しました。

  前々日の両院議員懇談会、前日の幹事長など人事の構想をへて、きょう臨時の執行役員会を定例の火曜日以外に招集しました。決断はきのう。蓮舫さん自ら、記者会見でこのように説明しました。

  後任は、共産党、ファーストの両方を睨みながら、総理大臣をやれる人、ということになります。

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【公布】日本スロベニア租税協定が公布、平成29年7月26日条約26号

2017年07月26日 11時58分01秒 | 第193回通常国会(2017年1月から6月まで)学校法人森友・加計学園国会

【官報 平成29年2017年7月26日(水)】

 「日本スロベニア租税協定」が平成29年7月26日条約26号として公布されました。来月発効のようです。

 国会では、193条約15号として審議されました。

 ところで、私は、やってしまいました。なんと、先の第193回国会の、4月19日の衆議院委員会採決、5月11日から17日までの参議院でのプロセスすべてで、「×スロバキア」と間違ってしまいました。4月7日(金)の衆議院外務委員会審議入りと、4月21日(金)の衆議院本会議採決では「○スロバニア」と正しく表記していました。なぜ、このミスが起こったかは私の中ではきょう判明しております。与党国対が各府省に議案提出の締め切りとした3月10日(金)の閣議で決定し、国会に提出されており、この日に作成した私の手元の資料類に私が誤記していました。たいへん失礼しました。

(関連エントリー

パナマ文書「タックスヘイブン」の旨味を無くせ、日本とオーストリア、ベルギーが互いの投資で減税、5つの租税協定の承認案国会提出へ

 )

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【参議院】

 委員会の閉会中審査はありません。

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【訃報】木村太郎・自民党衆議院議員享年52 2010年区割りでの青森4区選出

2017年07月25日 15時27分28秒 | 第48回衆院選(2017年10月10日公示)

 時事通信(自民・木村太郎衆院議員が死去=青森、愛媛で2補選へ)をはじめとする、各報道機関が報じたところによると、木村太郎・衆議院議員がけさ、平成29年2017年7月25日(火)、膵臓癌のため、亡くなったそうです。享年52。謹んでお悔やみを申し上げます。衆議院地方創生に関する特別委員長でしたが、先の通常国会で、衆議院インターネット中継を見て、私は、なんらかの抗がん剤治療のようなものをされているのではないか、と垣間見ておりました。

 総裁派閥「清和会」所属で、連続当選7期。8日後に内閣改造をしたい意向を安倍晋三首相(自民党総裁)は既に示しています。ただ、同党の7期生は25名いて、未入閣は、木村さんを入れて、12名もいました。いずれにせよ、力尽きた、ということになります。

 それ以前に解散が無い限り、10月12日(木)告示、10月22日(日)投開票の、秋の国政統一補欠選挙になります。2010年区割りによる、青森4区。すでに施行済みの2015年国勢調査を反映した公職選挙法では、ほぼ、「新青森3区」の区割りとなります。「2010年青森4区」に、1区から五所川原市が加わって、「2015年青森3区」になるイメージです。青森県は基本的に八戸市(2010年3区)が「2015年2区」と「2015年3区」に分割されるイメージの区割り変更が、なされました。

 1996年以降の、青森4区では、木村太郎さんが7連勝している間に、野党候補の惜敗率の最上位は、2009年政権交代選挙での86・83%。このときに、比例復活当選した元職は、前回の衆院選には出ていません。今の任期となる第47回衆院選では、民主党(当時)はダブルスコア、共産党も1割以上得票しながらも、惨敗している選挙区です。ただ、その区割りは「新青森3区」にほぼ引き継がれる中での、任期1年の補欠選挙になります。

 木村さんのお父さんは、木村守男・元衆議院議員で、改革フォーラム21、新生党メンバー。唯一、宮沢内閣不信任決議採決に欠席しました。その後、青森県知事をつとめました。木村守男さんはご健在のようです。

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【閉会中審査】首相、前日発言を訂正、加戸参考人「薬学部は2倍なのに、獣医学部は不変」参・予算委

2017年07月25日 15時13分22秒 | 第193回通常国会(2017年1月から6月まで)学校法人森友・加計学園国会

【参議院予算委員会 平成29年2017年7月25日(火)】

 前日の衆に引き続き、予算委閉会中審査、集中審議「安倍内閣の基本姿勢」がありました。参議院、NHK、ヤフーなどの各ネット媒体は、アクセス数増をにらんだ、特別態勢をしきました。

 前日の衆から、けさの朝刊にかけて話題になった、安倍首相が「加計学園の獣医学部の特区申請は、ことし1月20日の、国家戦略特区諮問会議で初めて知った」との発言。

 これについて、蓮舫代表、桜井充さん、小池晃書記局長らから、質問主意書(193質問第82号)の1、と違うとの指摘が出ました。

 福島瑞穂(福島みずほ)さんの質問主意書は、その1で「安倍首相は、学校法人加計学園の加計孝太郎理事長が今治市に獣医学部を作りたいと考えていることを二〇一六年十一月九日以前に知っていたか。知っていたのであれば、いつから知っていたのか。」と問うています。これに対する答弁書と食い違っていると指摘されました。

 安倍首相は「今治市が申請すると知った」と語り、前日の答弁を修正しました。加計学園と今治市のつながりを認識していなかったと強調したことになります。自治体と企業がセットになった上での、内閣府への申請は、構造改革及び国家戦略特区の骨組みにあたる部分ともいえるでしょう。起死回生の集中審議の中で、1日目の答弁を、2日目に修正する、という痛恨事となりました。世論がどう反応するかは分かりません。

 加戸守行前愛媛県知事は、「同じ文部科学省高等教育局でも、獣医学部は専門教育課、薬学部は医学教育課が担当している。薬学部の定員は、6000名から1万2000名に増えているのに、誰も文句を言わない」とし、獣医学部が新設されなかった岩盤規制への配慮をうながしました。これは私は説得力を感じました。名指しされた2つの課は、新しい文部科学省の14階で、間仕切り無しに隣り合っているようです。

 柳瀬唯夫元安倍首相事務秘書官は、「記憶をたどっても、(今治市企画課長らと)会っていない」と答弁しました。

●日報、安倍首相4カ月以上問い合わせず。

 南スーダンPKO「戦闘」日報問題では、安倍晋三首相が、2月の問題発生から、4~5カ月以上、防衛省・統幕・陸幕に、直接問い合わせていないことが明らかになりました。

【衆議院】

 なし。

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【閉会中審査】火種がくすぶり支持率暴落の加計問題、首相、衆予算委集中審議で、過去の答弁を謝罪しながらも「お友達」は完全否定、文部・建設・経産官僚OBらの答弁藪の中

2017年07月24日 15時09分22秒 | 第193回通常国会(2017年1月から6月まで)学校法人森友・加計学園国会

[写真]衆議院インターネット審議中継からスクリーンショット。

【衆議院予算委員会 平成29年2017年7月24日(月)】

 衆議院予算委員会は、学校法人加計学園の獣医学部開設構想への疑念が消えないことから、集中審議を行いました。

 午前8時55分設定、同時59分頃スタート。タイトルは予算の実施状況に関する件・安倍内閣の基本姿勢・国家戦略特区等に関する集中審議です。午後3時55分頃に散会しました。NHK国会中継のほか、TBSの恵俊彰さんの番組や、フジの坂上忍さんの番組なども、生中継に近い対応をしたようです。

●首相は説明の仕方を謝罪したうえで、決定には一切働き掛けないと断言。

 与党・自民党の小野寺五典さんは「国民の疑念に聞く」。首相は「李下に冠を正さずというが、足らざるところがあった」とこれまでの説明の姿勢を謝罪。そのうえで、「加計孝太郎さんとは学生時代からの友人だが、この件に関して働きかけはいっさいなかった」と答弁しました。現時点では、ベターな答弁だと感じました。内閣支持率の続落は、大山鳴動し過ぎです。

●安倍首相「加計さんとは、おごったり、ごちそうになったり、割り勘だったりする」

 私が一番気になったのは、民進党の大串博志さんの時間に、安倍さんが加計孝太郎さんとの会食について「私がごちそうすることもあるし、先方がごちそうすることもある、割り勘もある」と答弁したことです。けっこう驚きました。1年単位の割り勘でなくても、会費制にするのは通常だし、特別職とはいえ、国家公務員倫理規程を指導する立場です。おそらく「私」の中には、政治団体も入っているのではないでしょうか。この辺の、自民党の二世議員で、あまり民法(自然人と法人の違い)に詳しくない人の特徴を、安倍さんが持っていたことに、今さらながら率直に驚いたことがあります。

 安倍議員の政策秘書は元毎日新聞政治部記者ですが、数年前、安倍さんが所有する土地について問い合わせた時、「安倍晋太郎先生から相続した」という説明を受け違和感を感じたことがあります。安倍晋太郎さんには配偶者と子供も複数いるのですが、政治団体の世襲が安倍晋三さんでも、土地の相続者は政治家としての安倍晋三議員ではないはずです。それはスタッフの話ですが、安倍晋三首相は、公私混同は無いような印象でしたので、意外でした。世論はどう受け止めたか。なかなかこの情勢になると、理論や理屈とは違う世界の疑獄になっていると思います。

●文部、建設、経産官僚たちの全体像が無い答弁。

 当初報道された参考人以外に、第2次安倍内閣の首相事務秘書官で、現在は出向元に戻って、経産審議官をしている柳瀬唯夫さんも、政府参考人ではなく、参考人として呼ばれました。今治市役所と連絡をしたのではないか、と報じられています。柳瀬さんは「記憶がない」を繰り返しました。ただ、首相事務秘書官が、内閣官房・出身省・財務・外務省、自民党、団体以外と接触することは稀です。長期安定政権なので、政務秘書官の単独訪米などがある安倍政権ですが、今治市役所と会う場合に、会議室の予約などをしなくていい間取りに今の広い官邸はなっているのでしょうか。

 元文部官僚の加戸参考人。常々言っていますが、先輩の加戸さんは元官房長、後輩の前川さんは事務次官。この関係がキャリアの世界のすべてだと思います。加戸さんは「文科省の後輩たちは、先輩たちに対してけんもほろろ。加計学園というと、ぼろくそに言われた」「そこで、通用門から入れないかと考え、(安倍官邸肝いりの)教育再生実行会議で、付録として考えてほしいと働きかけた」と語りました。こういう答弁していて、来春からの学生とその親、学校法人加計学園の経営にどう響くか、まったく考えてないんでしょうね。

 建設省出身の和泉首相補佐官が初めて登場しました。和泉さんは、「獣医学部は岩盤規制改革の象徴」と何か美辞麗句のように首相の決まり文句を語ったうえで、「(証人喚問は)国会が決めることですが、私は従います」と霞が関のお決まりのフレーズ。午後の、共産党・宮本徹さんは、「内閣府の仕事である国家戦略特区を、自ら働きかけることはおかしい」としました。和泉さんは「知り合いの前川さんに来てもらって、状況を確認した。私は地方創生の担当であり、私の関心事について、今の状況を確認した」と語りました。

 文部省、建設省、経産省とも、みんな、全体像が見えていないなと感じたところです。総理をはじめとする自民党族議員に取り入れば出世するのが日本の国家公務員ですが、複雑な国家戦略特区法の改正の繰り返しで、官僚たちも詳細が分からなくなっているようです。

 まあ、前川さん、加戸さん、和泉さん、現時点での柳瀬さんの4人のうち、前川さんだけが事務次官経験者というところが、なんともいえないところがあります。

●日報問題は、内局、陸自、統幕の招致を要求。

 稲田朋美防衛大臣が指揮する、南スーダンPKO(撤退)の「戦闘」日報問題は、あまり時間は割かれませんでした。共産党の笠井亮さんは内局、陸自、統幕の関係者の具体名をあげて招致を求めました。首相は「戦闘」の言葉について、一般的な用語だとの趣旨を答弁。平和安保法制の「戦闘」とは違うという趣旨にとらえられる発言で、私は以前から重大視しています。ところで、質疑中に、安保委が近々開かれるようなやりとりがありましたが、特別防衛監察の結果が出たら、理事懇談会をやる、というところまでしか決まっていないようです。

●維新「憲法改正への影響を危惧」

 維新の浦野靖人さんは、「憲法改正という本当にやらねばらならないことにも影響があるのではないか、と非常に危惧している」と語り、改憲スケジュールがずれ込むことを懸念しました。

【参議院】

 あす、予算委。

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【7・23仙台ショック】民共自社4党連携「郡和子新市長」で2連勝、昨夏第24回参院選の宮城全県区51%に続く、民進党内で安住淳県連代表ら「4党連携」発言力増大へ

2017年07月23日 22時14分56秒 | 第48回衆院選(2017年10月10日公示)

[写真]郡和子さん(左端)や、安住淳・民進党宮城県連代表、共産党の高橋千鶴子さん(比例東北)ら、野党4党連連携の当事者ら、昨夏の第24回参院選、日本共産党の機関紙「赤旗」ホームページから。

 そこそこ長い物語の始まりです。

 郡和子さんが、宮城県仙台市長に当選確実となりました。

 NHKは、平成29年2017年7月23日(日)の午後10時13分頃、仙台市長に郡和子さんの当選が確実になった、とニュース速報で報じました。自民党の会社経営者さんも良い候補だったと聞いています。

 宮城県は、昨夏の第24回参院選で、民共自社4党連携による、候補者が宮城県全域で、51・1%の高得票率で当選。それからほぼ1年経った、きょう、平成29年2017年7月23日(日)、郡和子さんが仙台市長初当選を確実にしました。


[写真]民共自社4党連携路線(岡田路線)をすすめる、安住淳民進党宮城県連代表、2017年5月、国会内、筆者・宮崎信行撮影。

 郡さんは、2005年岡田克也代表率いる民主党(当時)公認候補として初当選。2009年には、現在は自由党共同代表をつとめる小沢一郎先生が国策捜査でやむなくネクスト総理を退陣した後、安住淳・宮城県連代表らとともに、「岡田総理」をめざすグループに参加しました。政権交代後は、初代復興政務官として、宮城仙台駐在をつとめました。岡田系の郡市長、安住さんのもと、民共自社が2連勝したことで、民進党内の、岡田系・野党連携勢力の発言力を増すことは確実となりました。

 伊達政宗はたたかわずして、徳川家康の軍門に下りました。「独眼竜」のイメージとは違い、読書家で、25歳違いなのに、義父家康ともっとも話があったようです。それから500年の時が経ち、今でも政宗は杜の都の顔です。敵は誰かを正しく見定め、持続可能性を見定める。その政治家が100年先、500年先も尊敬を集めることは当然のことです。

 一方、第193回通常国会閉会直後の都議選惨敗を受けて、安倍自民党内閣の支持率は暴落が続き、28%ぐらいの数字が出てきました。ちょっと、暴落が過ぎる気がします。とくに都議選惨敗を受けて、次々と不支持を表明する大山鳴動ぶりには、私は逆に恐怖心すら覚えます。岡田克也先生、安住淳先生のもと、蓮舫代表を100%支える姿勢が民進党の未来を拓くことになるでしょう。

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畠山理仁さんおめでとう、第15回開高健ノンフィクション賞、「黙殺 報じられない“無頼系独立候補“たちの戦い」

2017年07月22日 22時24分41秒 | 人物

[写真]開高健ノンフィクション賞の受賞が決定した、畠山理仁さん、集英社ホームページ内の写真をスクリーンショット。

 おめでとうございます!

 集英社は、平成29年2017年7月、「第15回開高健ノンフィクション賞」を

 畠山理仁(はたけやま・みちよし)さん

 「黙殺 報じられない“無頼系独立候補“たちの戦い」に授賞する、と発表しました。

 (集英社出版4賞のホームページ参照)。

 畠山さんは、2009年政権交代での民主党政権での記者会見オープン化に始まった、我々フリーランス・独立系メディア記者の、記者クラブ内外での、既存メディアとの攻防を描いた、「記者会見ゲリラ戦記」(2010年)で著名な、フリーランスライター。

 受賞作は、畠山さんの20年近くの選挙取材の蓄積を活用して、「何者にも頼らず独自の戦いを続ける無名の新人候補」の物語で、畠山さんは「無頼系独立候補」と名付けました。

 今後は、世間一般の「泡沫候補」ではなく、畠山さん命名の「無頼系独立候補」の呼び名が静かに主流となっていくでしょう。

 かくいう私も、受賞作「黙殺」を、まだ読んでいません。というのは、まだ出版されていないからです(2017年7月22日現在)。ぜひ、早く店頭の平積みから手に取って取り出して、読みたいものです。

 畠山さんは「私も、あなたも、あの人も、無視されていい存在ではない」とのメッセージを送っています。

 ▲畠山理仁(はたけやま・みちよし)=1973年、愛知県生まれ。フリーランスライター。早稲田大学第一文学部在学中の1993年より雑誌を中心に取材・執筆活動を開始。関心テーマは政治家と選挙。国内のみならず、アメリカ、ドイツ、イラク、ヨルダン、北朝鮮、台湾なども取材。自著に『記者会見ゲリラ戦記』(扶桑社新書)、『領土問題、私はこう考える!』(集英社)。取材・構成、編集協力した書籍に『日本インディーズ候補列伝』(大川豊著・扶桑社)、『10分後にうんこが出ます』(中西敦士著・新潮社)、『新しい日米外交を切り拓く』(猿田佐世著・集英社)などがある。東日本大震災以降は、被災地に生きる人々も取材している。==集英社発表の略歴より。

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木内登英さん、佐藤健裕さん、日銀審議委員、民主党政権提案者全員去る、最後の会合でも異次元の金融緩和執行部案に2名のみ反対、特に木内さんは異論(年45兆円修正)を否決され続けながらも提案し続ける

2017年07月20日 16時56分29秒 | 人物

[写真]日本銀行、東京都中央区日本橋本石町、2016年、筆者・宮崎信行撮影。

 木内登英、佐藤健裕、両日本銀行審議委員が、5年間の任期を終えることになりました。木内さん、佐藤さんの在任期間は、平成24年2012年7月24日から、平成29年2017年7月23日(日)までで、きょう、最後の金融政策決定会合を終えました。

 これにより民主党政権下で同意された金融政策決定会合メンバーは全員、日銀を去りました。最後の決定会合で、黒田東彦総裁が提案に反対したのは、木内さん、佐藤さんの2名だけ。特に、「年80兆円ペースの維持」に反対したのは、木内審議委員ただ一人でした。

 木内さんは、2013年4月の異次元の「年50兆円」金融緩和スタートに賛成したものの、2014年11月の衆議院解散後の会合では、「年80兆円ペースへの拡大」には、反対。その後、毎回のように、「年45兆円ペースへの修正」の木内案を提案。1対8で、否決され続けました。黒田東彦総裁が提案する「年80兆円ペースの維持」や「日銀当座預金のマイナス年0・1%金利」には反対し続けました。

 最後の会合でも一人異論を出し、反対多数で否決されました。

 義を貫き通しました。


[画像]きょうの議事要旨の一部、日銀ホームページから。

 きのうきょう開かれた、最後の会合でも、「年45兆円ペースへの修正」を提案し、否決。ただ、日銀執行部は、この会合で、「2年で2倍で2%」すなわち「2013年から2015年までにマネタリーベースを2倍にして、物価(CPI)を2%にする」との目標を「2019年度にずれこませること」を決めざるを得ませんでした。

 野田佳彦内閣は、平成24年2012年の第180回通常国会で、他の人物の同意案を出しましたが、民主党賛成、自民党・公明党反対で否決されました。その後、「木内・佐藤案」は、民自公賛成、み共反対で、同意されました。

 木内さんと同じ日に就任した、佐藤健裕・審議委員も、きょうの会合で、反対票を投じました。

 これ以降は、すべて安倍内閣で、同意された、総裁・副総裁・審議委員となります。9名すべてがリフレ派となったことで、暴走機関車は、行き着くところまで行くしかないといったところです。正直、どうにもならないでしょう。

 木内さんは52歳ということで、私と同じ早稲田大学政治経済学部の卒業生です。よく「早稲田の政経」と言われ知名度も抜群ですが、残念ながら、公職で義を貫く人はあまりいません。しいていえば、今行われている横浜市長選で「横浜のドンがカジノに反対」と話題になっている、藤木幸夫・横浜港運協会会長らでしょうか。木内さんの今後の去就は分かりませんが、日銀の重々しい雰囲気の建物の中で、毎回反論を唱え続けた人物ということで、さらなる活躍の場があればいいし、そういう日本であってほしいと考えます。

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衆参予算委閉会中審査へ、来週、加計学園獣医師特区問題 衆参災害特の「九州北部豪雨」閉会中審査は無い見通し【追記有】

2017年07月19日 20時22分21秒 | 第193回通常国会(2017年1月から6月まで)学校法人森友・加計学園国会

 衆参予算委で、来週、加計学園獣医学部の国家戦略特区問題について、首相出席の集中審議が開かれることになりました。

 先の第193回国会の閉会中審査として開かれます。予算委の集中審議は、首相、財務大臣と、質疑者の要求を受けた大臣です。

 24日(月)は衆議院予算委員会で5時間コース。

 25日(火)は参議院予算委員会で5時間コース。

●災害対策特別委員会、九州北部豪雨は、閉会中審査の予定はなし。

 これとは別に、衆参の災害対策特別委の理事は、きょうまでに、各々、理事懇談会で、内閣府から、説明を聞きました。福岡県の朝倉市など、大分県の日田市などの、九州北部豪雨災害についてです。衆参とも閉会中審査としての委員会質疑は無いもよう。ただ、国政調査として委員を派遣したい意向で、与野党理事が調整することになっています。

【追記 2017年8月9日】

 参議院災害対策特別委員会は、2017年7月31日(月)に、九州北部(福岡県、大分県)に委員派遣を行いました。

 これを踏まえて、8月10日(木)の午後1時から3時間コースで、委員派遣の報告と、政府の報告とそれに対する質疑を行うことになりました。

【追記終わり】

このエントリーの本文記事は以上です。
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Miyazaki Nobuyuki


蓮舫代表、国籍問題で臨時記者会見、「国・共」の共感性は特になく「さまざまな生き方を祖母の代からしてきた」

2017年07月18日 20時48分32秒 | 人物

[写真]蓮舫代表の臨時記者会見にそなえる、報道陣、2017年7月18日、民進党本部内、筆者・宮崎信行撮影、写りの関係などでモノクロ風に加工しました、他意はありません。

 民進党の蓮舫代表は、平成29年2017年7月18日(月)、臨時記者会見を開きました。1年前の、民進党代表(ネクスト総理)選挙の前後からずっとくすぶっていた、台湾(中華民国)と日本との二重国籍問題についてです。

 筆者としては、その経緯はさほど興味があるわけでなく、略しますが、私としては二重国籍問題は解消したんだろうと思います。資料として配られた、戸籍謄本ないし戸籍抄本の個人部分の一部に、「国籍選択の宣言日 平成28年10月7日」と書いてあり、代表選後に国籍選択をしたことは事実でしょう。私としては、これをもって、了としたいところです。

●メディア側も「なんでこんな大きな話になったのだろう」

 私自身がメディア側の者ですが、きょうの150名ほどの報道陣は何人も「なんでこんな大きい話になったんだろう」と言っていました。そういっても、「逃げれば追いかける」ことをしないと、商売あがったりなので、やはり蓮舫さんが説明から逃げる姿勢があったことが、ここまでくすぶったことになると考えます。

 また、きょうの記者会見では、国籍法の改正議論に言及。これは悪い表現ですが、「泥縄」のように感じます。ここは、黙って世論がおさまるのを待つべきではないでしょうか。

●国共関係なく、「様々な生き方をしてきた」

 会見では、私が聞きたかったことを聞きました。1年前の外国人特派員協会で代表選3候補の記者会見。蓮舫さんは17歳のときに、台北駐日経済文化代表処(日本・東京)で、お父さんと職員が台湾語で話しているのを聞いた、としていました。私はこの発言を1年間疑問に思っていました。これについてただすと、今日の蓮舫さんは「私は17歳のときに、あまり北京語と台湾語の区別がつきませんでした。北京語とは違うイントネーションのやりとりが要所要所であった」とのことでした。

 国民党(中国国民党)は、1949年に台湾を占領して以来、北京語を強制しました。なので、国外とはいえ、国家公務員であり、外交官ともいえる、職員は北京語を話すはず。もちろん、その当時、台湾関係者で北京語を話す人は少ないから、日本語で便宜を図ることはあったでしょう。ただ、台湾語でやり取りをするものだろうか、と思っていました。まして、蓮舫さんはその後、北京に留学しています。きょう聞いたら、やはり、台湾なまりがある北京語だった、と考えていいだろう、と私は理解しました。

 もう一つ、1971年の日華断交以後も、台湾国民党(中国国民党)に共感し、中国共産党を拒む感情を持っていた人はかなり多かったはず。これが国籍離脱の時期に関係しているのかと、私は心に引っかかっていました。このへんも質問しましたが、蓮舫さんは「(1989年の)天安門事件があって、自分で勉強した」と話し「台湾人が必ずしも国民党を歓迎していたわけではない」としました。そして、国民党、共産党、台湾、大陸というよりも、「様々な生き方を祖母の代からしている」と語りました。間を縫うことで貿易で財を成したということでしょう。機を見るに敏、風見鶏。私は良い意味だと考えます。

●記者会見で出なかった、「名の変更」。

 実は事前のブリーフィングで質問が出ながら、記者会見では質問にならなかった部分で、「戸籍に記載されている者 【名】蓮舫」の下に、身分事項として、上から下に、出生、名の変更、婚姻とあります。この「名の変更」というのはあまりないもので、芸名としても本名としても親しまれている、「蓮舫」という名前が、変更されていたのかもしれません。私の関心事ではありませんから、女性週刊誌などに譲ります。

●差別の対象にならないよう気をつけることも必要ではないか。

 排外主義者、レイシストの差別につながるという話が出ましたが、きょうの会見には、独立系インターネットメディアの主宰者や記者が多く集いました。無料が基本のインターネットでは、差別や弱者叩きが横行しがちなのかもしれません。ただ、何らかの劣等感は誰にでもあり、差別が絶対に無い社会など、人間が人間である限りあり得ません。その対象にならないように気をつける、という考えがあってもいいのではないでしょうか。

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1年1日前の記事)実は昨年の参院選では二大政党が機関紙でともに勝利宣言していたようですが、今、都議選・マスコミ調査で世論総崩れの様相、安保法制・労働法制・日銀の運用はこの先大丈夫なんでしょうか?

2017年07月16日 15時20分13秒 | その他
 
第24回参院選、二大政党がともに勝利宣言「自民党勝利」「民進党健闘」
 第24回参院選(平成28年2016年7月10日)をうけて、二大政党は党機関紙=筆者・宮崎信行撮影=でともに勝利宣言をしました。 自民党は「参院選わが党が勝利」として、「安定した政......
 

 


組織犯罪防止条約など4条約公布、いずれも当ブログ開設前の、2003年、2005年、2006年に国会承認

2017年07月14日 13時46分37秒 | 法律の執行状況

 4つの条約が公布されました。

 国会で承認された日は、2003年、2005年、2006年。当ブログ国会傍聴記を始めたのが、2007年8月でしたから、条約の公布はずいぶん時間がかかるんだなと思うとともに、飽きなくてよいです。

 「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」は平成29年7月14日条約21号として公布されました。国会では、156条約6号として、平成15年2003年5月14日に、承認されていました。

 「組織犯罪防止条約を、補足する、人(特に女性及び児童)の取引を防止し、抑止し、及び処罰するための議定書」は平成29年7月14日条約22号。国会承認の議案番号は、162条約1号で、平成17年2005年6月8日に承認されていました。

 「組織犯罪防止条約を、補足する、陸路、海路、及び空路により移民を密入国させることの防止に関する議定書」は平成29年7月14日条約23号。承認は、162条約2号として、平成17年2005年6月8日に承認されていました。

 「腐敗の防止に関する国際連合条約」は平成29年7月14日条約24号。承認案は、164条約8号として、平成18年2006年6月2日に承認されていました。

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岡田克也さんきょう誕生日、ハッピー・バース・デイ・ディア・かつや!

2017年07月14日 05時19分45秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]蘇鉄(ソテツ)、東京都千代田区永田町には、首相官邸前庭と国会中庭にソテツがありますが、こちらは国会内のもの、承諾を得て撮影・掲載、2017年、筆者・宮崎信行撮影。

 おめでとうございます。

 筆者が尊敬する、岡田克也さんはきょう、7月14日、誕生日を迎えました。

 インターネットの時代ですから、検索すればすぐわかることを一々書きません。

 この一年の変化としては、あまり新しく書くこともないのですが、岡田さんは民進党常任顧問となりました。これはただ一人の肩書となっており、常任幹事会にも出席しています。このほか、民進党安全保障調査会長や、政治改革の担当者をしています。

 それと、2015年国勢調査を反映した新区割りで、新・三重3区は、少し地域が広がり、岡田さんの地元・中部地区や近鉄四日市駅などが選挙区に入りました。

 7月14日というのは、3年に1回、参院選の投票日前後で、晴れても曇っても、地元、永田町、激戦区のいずれかに居なければならない日。ことしは、国会も閉まっており、穏やかな日となりました。

 一方、筆者・宮崎信行にとっては、前日の午後3時15分頃に、三重県連・芝博一先生といざこざが生じましたが(関連エントリー)、午後3時45分には完全決着。やはり穏やかな日となりました。とはいえ、昨今、北朝鮮情勢、国内経済とも多難なのに煮詰まったようなのに、妙に安定した空気を感じます。嵐の前の静けさともいえるかもしれませんが、岡田さんの2011年冒頭の至言「まあ、なんとかなるものだ」ということで、良くも悪くも変化のときに備えていきたいものです。

 なお、きょうは、古賀篤・自民党衆議院議員も誕生日です。おめでとうございます。

 あらためまして、ハッピー・バース・デイ・ディア・かつや!

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