【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

小沢一郎グループに不穏な動き 一清会 「国民生活会議」14億円手つかずで、相続議員争い勃発か

2023年06月29日 22時28分19秒 | 小沢一郎氏による解党ビジネス
[写真]小沢一郎さん、きょねん2022年3月、都内で、宮崎信行撮影。

 小沢一郎グループに不穏な動きが出てきており、衆参議員の政策集団「一清会」を立ち上げたと、牧義夫、野間健両衆院議員が発表しました。

 小沢一郎さんと山本太郎さんで「生活の党」を分党したときに、国民の生活が第一からの政党交付金をためた残余金14億円は都選管届出その他政治団体「国民生活会議」(及川めぐみ代表)に手つかずで残っていることが分かりました。

 2012年7月に小沢一郎さんがANAインターコンチネンタルホテルで民主党議員から200万円で「民主党離党届」を買い取り、輿石東幹事長(当時)に「分党による財産分割」を求めながら、拒まれ、やむなく集団離党し、国民の生活が第一を結党して以降の政党交付金をプールしたのがこの14億円です。

 15議員が同調するとの観測もあり、1議員1億円の資金となり、立憲民主党の資金をしのぎます。小沢さんの引退・逝去後の残余財産ねらいとのみかたもできそうです。衆議院解散直後に集団離党して、執行部が対応しきれないシナリオも考えられます。

 新生党結党メンバーの元参院議員・平野貞夫さんが代表の政治団体から人件費が年1000万円強出ており、「私兵」の給料となっているとみられます。

 小沢一郎番新聞記者で、事実上解雇された40代前半の男性がコンサルタント会社を立ち上げており、その連携も考えられます。

 元衆院議員に対して、同じ都連で他区の区議会議員が「小沢一郎グループだという噂がある」と通話アプリで問い合わせたところ「それは過去の話で、今は手塚仁雄グループだ」と答えたとの証言もあります。

 以上です。

新進党解党からきょうで四半世紀、新事実発覚、集団的自衛権は小沢グループ「合憲」岡田克也「違憲」で北側一雄氏「解釈改憲」

2022年12月27日 08時12分43秒 | 小沢一郎氏による解党ビジネス
[写真]岡田克也衆議院議員、8年前の2014年、埼玉・所沢で宮崎信行撮影。

 新進党解党からきょうで四半世紀となりました。

 奈良市民が前夜に発砲音を聞きながら誰も通報せず、翌日の安倍晋三首相暗殺につながりましたが、25年前の今ごろの日本国民も奈良市民のような傍観者でした。

 新進党に関する新しい事実がこのほど発覚しました。

 新進党で坂口力外相、岡田克也、東祥三両ネクスト副大臣のうち、小沢一郎グループの東さんが集団的自衛権は合憲だと主張し、当時すでに保守系若手を代表する存在だった岡田さんが違憲だと主張し、「党憲法調査会」が紛糾。このときの議論を見ていた北側一雄さんが「刑法36条急迫不正の侵害事実があれば合憲だという閣議決定での解釈改憲」の手法をその18年後に採用していたことが分かりました。

 阪神大震災後の新進党参院選対象に危機感を持った野中広務・亀井静香両自民党衆議院議員による「地下鉄サリン事件をおこしたオウム真理教と同じ宗教法人である創価学会がリードする新進党」という大げさなネガティブキャンペーンに世論は大山鳴動。1970年だからおよそ20年間テレビ新聞で「創価学会」の固有名詞は報道されていませんでした。

 が、新進党のセンセイ方は多少高をくくっていたのでしょう。政策論争に没頭。1996年の通常国会では「住専に税金を使うな」で政府予算修正。さらに日米防衛協力のための指針いわゆるガイドラインを前に野党の考えを発表するために憲法論争になりました。

 外務部会で、東さんは小沢党首の代弁者として「日本国憲法と国連憲章はよく似ている。国連決議に基づく多国籍軍の活動での武力行使に違憲判決が無い以上、集団的自衛権は合憲だ」という趣旨の主張を展開しました。

 岡田さんは「なぜ憲法が武力行使に慎重なのかという本質論を踏まえるべきだ。それは先の戦争に対する深刻な反省だ。9条の解釈で集団的自衛権まで認めるのは解釈論の限界を超え、9条の完全な空洞化を招く。有事の際の米軍への後方支援は、国連決議があればかなりの範囲で行えるのではないか」との論旨を展開。

 その後、憲法調査会で山口那津男さんは「集団的自衛権の行使については必ずしも多数意見になっていない」などと反論。

 創価学会出身で小沢グループの東さん、現公明党代表の山口さんも割れていたことになります。

 ところで、ここで重大な歴史の皮肉があります。「鳩船新党」改め「鳩菅新党」と呼ばれた1996年民主党は「護憲の野党第1・2党が必要だ」が最大の結党の精神ですが、小沢党首は「合憲だ」と言っており、憲法改正は主張していません。自公民でPKO協力法を「普通の国」論で仕上げた剛腕が、憲法改正を主張するわけがなく、法的に24年間続き3年間総理もやった1996年民主党は、誤解から結党された政党ということになります。なんとも政治の不条理を感じます。

 創価学会の固有名詞は、2000年ごろから読売新聞社長の渡辺恒雄記者と創価学会の交渉で新聞で使えるようになりました。ですから25年ほど新聞からは消えていたことになります。

 そうすると、統一教会も25年ほどの「不在」があったわけですが、「自民党イコール統一教会だ」というネガティブキャンペーンに国民が大山鳴動する気配はありません。私は日本人が進歩したとは思いませんが、香港、台湾に次ぐ大学進学率を誇る日本ですから、隠されていた情報が明るみになる「ディスカバー」への恐怖心は薄らいできたのかもしれません。

 新進党解党25年。民主党下野10年。心の慰めは、希望の党騒ぎは5年以上前なので、民主下野の10年の中では古い方の5年に入ります。政権交代ある政治の復権はまだ10年以上はかかりそうですが、政策論争とそれをしのぐピーアール能力があれば、立憲民主党衆議院単独過半数政権の樹立は十分に可能だと思います。

このエントリーの本文記事は以上です。
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【訂正】小沢一郎さんの解党ビジネス昨年分は9億円ではなく14億円だった、消費増税反対の口実で離党届を集めた1・4億円が7年で10倍に

2020年11月17日 16時59分15秒 | 小沢一郎氏による解党ビジネス
[写真]小沢一郎さん(左から3人目)の解党ビジネスを追う政治ジャーナリスト・宮崎信行(左端)、おととし2018年12月28日、東京・永田町1丁目のビルで。

 2012年6月に、消費税増税反対を口実に、与党・民主党の国会議員70名から200万円(総額1・4億円)と引き換えに集めた離党届を使って、2012年7月に結党した「国民の生活が第一」の7年後の解党ビジネス益は9億円だと、8月付の記事で報じてきましたが、14億円だったことが、東京都選挙管理委員会がきょう付けで発表した政治資金収支報告書で分かりました。

 2012年6月の1・4億円が7年後にちょうど10倍になったことになります。

 下のように、2019年1月31日に9・2億円を寄付しており、これを「自由党解党ビジネス」だとしましたが、このほかにも寄付があり、総額14・2億円だったと思われます。この原資は、ほぼ99%が総務省からの政党交付金と思われ、企業・団体・国会議員個人からの政党などへの寄付、パーティー収入などが仮に混ざっていても1%以下でしょう。売上ではなく、まるっきり現金を14・2億円得ました。企業がこの現金を得るためにはその10倍の売上高が必要ですし、個人でも2倍近くないと所得税を払った後には14・2億円も残りません。


[画像]都選管政治資金収支報告書のホームページから一部をスクショ。

 
 私は組織ではなく、個人でやっていますので、民事訴訟のリスクを勘案して、前々から、断定調を使わず、仮に間違っても「訂正」という言葉はほとんど使わないのですが、1997年の新進党解党以来、ずっと、小沢一郎さんの解党ビジネスを追いかけ続けていますので、これだけは「訂正」ということで、14・2億円だったと書きます。

 未確認情報では、小沢一郎さんはこの14・2億円を元手に秘書を雇い、小沢秘書軍団を構築しているとされています。小沢さんは今後、小沢秘書軍団を全国各地に派遣して、立憲民主党の新人候補予定者の選挙手段をアドバイスし、時折東京に招集して全国情報を共有。新人候補予定者が当選したら、「小沢チルドレン」として立憲民主党内で一定の影響力を確保しようともくろんでいると思われます。

 東京湾の底から「私の離党届を返して」の声が聞こえてきそうです。

 以上です。 

「小沢一郎さんに頃された」と言われる故・党職員を墓参りした小沢・9億円・一郎さん「恩義」と元部下に向かって謎の言葉

2020年09月28日 05時14分25秒 | 小沢一郎氏による解党ビジネス
[画像]「小沢一郎事務所」インスタグラムの掲載画像をスクリーンショット。右端真ん中の矢印のような部分は、インスタのシステム上のもの。

 先々週発足した、「立憲民主党」(2020年9月15日結党)に参加した小沢一郎さん。昨年の「自由党」(2012年7月11日結党)の解党により、9億円強のお金を自らが支配する政治団体に移しました。この金額が、昨年末2019年12月31日時点の立憲民主党や国民民主党の本部の繰越金(政党助成法に基づく分に限る)よりも多額であることが、先週末(9月最終金曜日)午後5時の総務省公開インターネットで分かりました。

 そして、「小沢一郎事務所」のインスタグラム(フェイスブック社が経営する写真中心のSNS)は、おととい、小沢さんが「八尋家の墓」と書かれた墓石に対して、背広にマスク姿で弔意を示す写真を掲載。ハッシュタグとして「#立憲民主党 #お墓参り」としました。

 2006年秋に亡くなった、八尋護さんのお墓参りとみられます。

 小沢事務所は「恩義は決して忘れません」。

 広辞苑によると、「恩義」とは「報いるべき義理のある恩」。上司が仏になった部下に使う言葉としてやや不自然で「報いるべき義理」とは謎の言葉です。立憲民主党での動向が注目されます。

 八尋さんは、竹下派秘書軍団から、新進党経理部職員に勤務。1997年末の新進党解党の直前に、溜池にある党本部ビルから、赤坂見附にある小沢事務所まで、現金25億円を2人組で疎開させるミッションを遂行。このミッションを遂行したもう1人は今月立憲民主党職員になりました。

 八尋さんは新進党を衣替えした自由党でも経理部職員となり、2003年の自由党解党で、11億円が幹事長のF衆議院議員に振り込まれ、そこから経由して小沢さんの支配下になったとされます。

 その後、民主党の岡田克也幹事長の採用面接を受けました。岡田さんは誠実に対応して、党職員として就職。しかし、その後、亡くなりました。訪英中の小沢一郎さんは「私が帰国するまで葬儀を待ってほしい」という趣旨のことを言い、妙蓮寺で弔辞を読みました。しかし、永田町関係者は「八尋さんはお金のことでストレスを感じており、小沢一郎さんに頃されたようなものだ」と公然と語り合いました。

 その後、小沢さんは郵政選挙・偽メール事件を経て民主党代表に。この間、不動産の買い売りを続け、解党ビジネスマネーのロンダリングであることは明白でしたが、検察が西松建設の政治献金という見当違いで時代遅れの方角から捜査したため、小沢さんは生き延びました。このお金を、2009年に個人献金し、小沢グループ140人を組織。現金200万円と引き換えに離党届を集め、輿石東幹事長に「民主党分党」を迫りましたが、拒否され、2012年7月、国民の生活が第一を結党しました。それが2019年解党され、9億円を小沢さんは得ました。

 こういったことを、小沢グループや小沢信者が、2009年頃。私はひっしに書いていたのですから、知っていてくれれば、若い政治生命をなくすことはなかったでしょう。

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恩義は決して忘れません。 #小沢一郎 #立憲民主党 #お墓参り

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以上です。

福山さんを責めないでむしろファインセーブだ、立憲民主党3億9000万円しかなかった、自民党178億円とゴリラ対ゴジラ状態、一年間の支部に対する交付金は自民1100万円と立憲900万円

2020年09月25日 20時32分00秒 | 小沢一郎氏による解党ビジネス
[写真]福山哲郎さん、今月2020年9月15日、都内で、宮崎信行撮影。

 福山哲郎幹事長は責められるどころか、むしろファインセーブだったようです。京都には、勘定がうまい参議院議員と勘定が下手な衆議院議員がいるようです。

 きょねん1年間、自民党本部が支部交付金を1100万円出したのに対して、立憲は900万円にとどまったことが分かりました。旧立憲衆議院議員からきょねん後半、不満が出ていました。

 年末の政党交付金部分に限った残高は自民党178億円に対して、立憲が3億9000万円。余裕があるとされた国民民主党はわずか2億円。50対1、ゴジラ対ゴリラ並みの差で、ことしを迎えていたことが分かりました。当面、自民党が選挙に勝ち続けそうです。


 2019年7月21日に参議院議員通常選挙があり、各党ともこのスケジュールを見すえて、本部から衆参議員が代表をつとめる支部に対して交付金がされていました。

 自民党本部は、神奈川2区総支部(菅義偉代表)に対して年間1100万円を交付しました。4月26日に200万円、5月20日300万円、7月31日200万円、10月31日200万円、12月9日に200万円。このうち5月の300万円は、参議院選挙をバックアップするためのファイトマネーだったと推測されます。

 立憲党本部は、ある衆議院現職議員の総支部に対して、1月31日200万円、4月22日200万円、7月17日200万円、10月21日100万円、12月5日200万円の総額900万円を交付しました。

 ちなみに、総務省から党本部に交付された日から、立憲は3日後、自民は7日後に振り込んでおり、立憲の方が事務はすばやいともいえます。

 立憲はきょねん4月の統一地方選の大勝利で大いに気勢が上がりましたが、7月の参院選であっという間に大失速しました。

 きょねん1月から12月まで一年間の途中。7月参院選投票日時点では、立憲600万円対自民500万円。立憲の方が多かったことになります。

 参院選敗退後、立憲衆議院議員に衝撃を与える出来事がありました。10月21日の振込額が100万円だったのです。1月、4月、7月と3か月ごとに200万円振り込まれたので、てっきり10月も200万円だと思っていたら、半分の100万円。一部の議員では、総支部スタッフの人件費に食い込んでしまった人もいたようです。基本は議員歳費から総支部に貸し付けたり寄付したりします。自民党はこの時期(10月31日)に200万円が振り込まれていました。肝胆あい照らす仲の友人が議員仲間にいる人は異変に気づきました。

 この時期に、枝野幸男代表が福山幹事長に財布を預け切っていることもあり「枝野・福山独裁批判」が上がりました。

 しかし、党本部の交付金の年越し額は、自民党の178億円に対して、立憲はわずか3億9000万円。その前年は9億円でしたので、さらに減っていました。参院選の結果による増収がわずか4億円(年換算では8億円相当)にとどまったからだと思われます。だから、10月21日の支部交付金が100万円だったのでしょう。福山幹事長にしたら、無い袖は振れない。

 ところで国民民主党の繰越額は2億円とさらに少なかったです。巷間言われていた「四十億円台」は党費や寄付として政治資金に移されていたお金だと思われます。国民の年間の政党交付金は51億円ですが、一年間(参院選含む)でほぼ使い切った計算で「50億円」はこの金額との混同かもしれません。いずれにせよ、今月の解党時点でも十数億円しかなかったとみられます。

 参院選で、立憲がもっと借金をしていたら、もっと勝てたかもしれないと事情通は語ります。党本部の土地が財務省と衆議院の土地なのに、建物は一般財団法人自由民主会館の私有物としている自民党はそれを抵当に銀行からお金を借りられます。立憲は銀行から借りられませんでした。

 一方、小沢一郎さんはきょねん国民の生活が第一・自由党を解党して9億円を手にしました。小沢さんの解党ビジネスの方が立憲・国民の政党交付金残高よりも多かったという驚くべき実態が見て取れます。9億円は小沢さんの50年分の歳費や文通費総額に相当します。時給1000円で働いたら90万時間かかります。1997年の新進党解党以来の、小沢さんの解党ビジネスが日本の民主主義を壊してきたことは疑いようのない事実です。

 最後に、選挙や政治をビジネスにしたい若い人には経営者である私からはアドバイスがあります。政治に成長がありません。衆参の定数は今後も増えないと思われますので、選挙で勝って議席を伸ばしたとアピールしても、次では減るかもしれません。例えば、十数年後に「弊社は衆参で3000議席分の選挙を請け負っている」という実績を作りようがありません。永田町のGRPは2兆円程度と考えられますが、そのパイは今後もまったく増えないと考えられます。なので、「年商2兆円で利益率わずか3%の労多くして実り少ない電通」が一事業部門としてやれば黒字になりますが、個人の中小企業が十数年後に「弊社は国会で3000議席分を売り上げている」ということはありえません。銀行もお金を貸してくれないかもしれません。言われてみれば、その通りでしょ?

以上です。

小沢一郎氏「9億円」活用か、2012年7月11日結党「国民の生活が第一」解党ビジネスで調達

2020年08月18日 11時27分24秒 | 小沢一郎氏による解党ビジネス
[写真]小沢一郎さんの「国民の生活が第一」結党大会、永田町の憲政記念館で、今から8年前の2012年7月11日、筆者・宮崎信行撮影。

 小沢一郎さんの解党ビジネスによる「9億円」が活用されそうです。

 今から8年前の、2012年7月11日に結党した「国民の生活が第一」。筆者が強く批判したことは語り草。そして、当ニュースサイトは2012年9月20日付記事で「国民生活会議」の新設を報じました。

 「国民の生活が第一」は「日本未来の党」「生活の党」「自由党」など改名を繰り返し解党。その際、存続する「国民生活会議」に「9億円」が寄付された、と2019年9月29日付の記事で報じました。

 この「9億円」は1年半前。川島さん、平野さんへの人件費以外の大半は残っていると考えられます。

 小沢一郎さんが来月2020年9月上旬に結党する「衆参150人規模の新党・野党第一党」(名称未定)に向けた工作資金に充てることになりそうです。9億円の資金力がある衆議院議員は他にありません。当たり前ですが、岡田克也衆議院議員にも9億円はありません。あるように思ったら、それは何かの先入観や偏見です。

 こういうことを書くと、かえって、小沢さんに興味がある人が増えそうですが。

 2012年7月、小沢さんは70名ほどの衆議院議員からANAインターコンチネンタルホテルのスイートルームのキングサイドベッド脇で、現金200万円と引き換えに離党届を集めました。小沢さんは輿石東・民主党幹事長に離党届の束をたたきながら「分党」を要求。輿石幹事長ははねのけ、小沢さんは「離党」に追い込まれ、「国民の生活が第一」を結党しました。

 亡くなった三宅雪子さんも「国民の生活が第一」結党に参加しました。

 小沢さんの思惑に翻弄され、「消費税増税反対」という些細な話で政界の波におぼれていった人は不憫でならないような気がしなくもありません。

 こういうこと書くと、来月上旬にかけて、小沢さんに興味を持つ人が逆に増えそうですが。

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インターネット版官報

Ⓒ2020年、宮崎信行 Miyazaki Nobuyuki

小沢一郎さんら、「国民の生活が第一」「日本未来の党」から改称した「自由党」解党の9・2億円を国民生活会議(都選管移管)に寄付、宮崎信行の7年前の指摘的中、今明かす輿石東幹事長のファインセーブ

2019年09月29日 16時31分03秒 | 小沢一郎氏による解党ビジネス
 与党・民主党を集団離党した小沢一郎さんが党首をつとめた「国民の生活が第一」は「日本未来の党」を経て「自由党」に改称されましたが、ことし解散しました。残余財産9・2億円が「国民生活会議」に寄付されていたことが、おととい金曜日に公表された、政党交付金使途報告書で分かりました。

 このような動きは、筆者・宮崎信行は7年前に予測し、このブログに書いていました。
 

 受け皿の「国民生活会議」は、おととし、総務省から東京都選挙管理委員会に移管。そちらの政治資金収支報告書は再来月、都選管で出ます。

 「自由党」の担当者は、元参議院議員、元政党職員、元秘書。「国民生活会議」は元秘書の元衆議院議員でした。但し、国民生活会議の会計責任者は元秘書の元衆議院議員のままですが、代表者は私の知らない人物にかわっています。

 2003年のときは11・5億円だとされましたが、2019年は9・2億円。小沢さんが使うというよりも、側近たちの人件費になるのだと考えられます。9・2億円あれば一生食べていけますからね。但し、自由党と、国民生活会議の担当者の名前が変わっていることから、口封じされないか懸念は残ります。

 また、名前を出すのもなんですが、2012年に、小沢さんが、加藤学さん、三宅雪子さんらから集団で離党届を集めて、当時の与党・民主党輿石東幹事長兼参議院議員会長と面談。この際報道では「消費税増税法案の修正を求めている」となっていましたが、実際には「この離党届分だけ分派として政党交付金のたまり金を人数分だけ分けろ」と交渉していたのです。輿石さんは、参議院側の会派常任役員室に呼び出すなどして、小沢さんの要求を突っぱねました。それで、小沢さんらは「国民の生活が第一」を結党し、除籍されたことになります。輿石さんファインセーブでした、すばらしい。

 その後の、政党交付金のたまり金ということになります。小沢さんが大きな借金を抱えているということはないと考えます。

 この当事者たちは、宮崎が1990年代からお世話になった人たちですが、当然、私を敵だと認識しています。ある元衆議院議員は「宮崎さん、その説はお世話になりました」とやくざなようなことを言う。一方で、亡き羽田孜先生のご家族からは、「その元衆議院議員が、麻布十番で奥さん(側近元議員の娘)ではない女性と二人で、焼き鳥を食っていた」との情報提供でのアシストも受けてきたところです。

 こういうことをするためだけに、「消費税増税反対」と言っていたのです。小沢さんは年末で勤続50年で政権交代ある政治のシステムを作り続けてきました。側近たちもそうです。

 2012年前半の政局で、小沢さんが本気で消費税増税に反対していると勘違いしてしまった、小沢チルドレン、小沢ガールズ、小沢信者の問題は深刻なことでした。私なんかは、悪魔チルドレン、悪魔ガールズ、悪魔信者だと思っていますが。私はもはや普通選挙のしくみを再考し、制限選挙に戻すべき(男女制限選挙)ではないか、とまで思っています。

 

宮崎信行が小沢一郎代表に記者会見で質問して恩讐を乗り越える、アントニオ猪木議員の自由党公認を希望、本人は態度保留

2019年02月21日 20時07分17秒 | 小沢一郎氏による解党ビジネス

[写真]小沢一郎さん、きょう2019年2月21日、東京都港区、宮崎信行撮影。

 小沢一郎さんに質問してみました。

 きょう(平成31年2019年2月21日木曜日)、午後2時から、東京都港区紀尾井町の「ホテルニューオータニ」で、玉木雄一郎・国民民主党代表、小沢一郎・自由党共同代表、アントニオ猪木参議院議員が記者会見をしました。

 猪木さんは「国民民主党・新緑風会」に入会することを発表しました。

 猪木さんは6年前の選挙で、「維新」で当選し、国政復帰。個人名での得票は35万6605票で、全体で8位。「維新」では断然トップでの当選となりました。小沢一郎さんが党首をつとめていた「生活の党」は、山岡賢次さん、三宅雪子さんらを擁立しましたが、議席はとれず。比例代表の青木愛さんは非改選ですので、7月の選挙では比例の現職はいないことになります。

 そこで、小沢さんは抜群の知名度の猪木さんに、自由党公認での出馬を呼びかけましたが、猪木さんは「一寸先はハプニング」とけむに巻き、態度表明を保留すると、明示しました。

 とはいえ、小沢自由党は、玉木さんの国民民主党との合流を視野に入れています。この場合、国民民主党の労働組合出身の現職よりも、猪木さんの前回35万票は最上位に来ますので、合併の場合の公認は総務会で異論が出るかも。猪木さんの態度はこの辺の計算だと考えられます。猪木さんは、訪朝での小沢さんの同行を求めました。玉木代表はきょうの記者会見では、訪朝については、態度を示しませんでした。


[映像]宮崎信行の質問にこたえる、小沢一郎さん、2019年2月21日、宮崎信行撮影。

 1993年の新生党学生塾(部)結成よりちょっと前(改革フォーラム21)からの元祖小沢チルドレンの宮崎信行。このブログを始めた2007年7月から2009年5月までは政権交代ある二大政党政治で、安倍・福田・麻生自民党内閣から、小沢一郎・民主党内閣で政治を国民の手に取り戻す」と訴えてきました。但し、私は新進党を維持すべきだったとの強行な考え方で、岡田克也・民主党副代表が、2009年5月に民主党代表選立候補をしてからは、もともとそうだったのですが、ブログ上でも、岡田系であることを初めて明言。その後の、「国民の生活が第一」政局で対立しました。

 私には不思議なのですが、日本が転落を始めた1997年の時点で、例えば28歳ぐらいだった人が、「新進党」というものを知らない。現代史というよりもリアルタイムを知らない。ということで、バブル期の自民党幹事長の小沢さんに過度に期待しすぎる「小沢信者」から激しく攻撃されました。その後、側近の元衆議院議員から「お前はもったいない」とちょっとよくわからない理論で激しい罵声を浴びたり、それとは別の側近元議員から「その節はお世話になりました」と嫌味を言われたり、小沢さんに媒酌人をしてもらった経営者が経営する飲食店から出入り禁止になりました。ちなみに、小沢系の飲食店については、最近「出入り禁止になっているのにメールマガジンが届くので、確認してください」とのメールを送ったところ、メルマガは引き続き届くので、出入り禁止ではないのかもしれません。
 
 そういったなかで、きょうは小沢さんは真摯に答えてくれました。私には選挙がありませんが、そうはいっても、持続可能で、岡田克也先生とともに平成政治の荒波を乗り越えてきた私だから、こうやって平成最大の政治家である小沢先生からも話を聞けたということになります。いずれにせよ、私が国益だけをみすえているから、こうなるのでしょう。ただし、党を大きくするのはいいのですが、党を割ろうとしたら、小沢さんに雷が下るでしょう。



[写真]左から玉木雄一郎さん、アントニオ猪木さん、小沢一郎さん、2019年2月21日、宮崎信行撮影。




[写真]小沢一郎さんに質問した、宮崎信行、ホテルニューオータニ、2019年2月21日。

(前略)

アントニオ猪木氏が小沢・玉木氏らと会見 国民会派入り報道(2019年2月21日) 

The Page さんの記事から、抜粋引用させていただきます、はじめ]

自由党の比例候補擁立作業の現状は?

宮崎:フリーランスの宮崎信行と申します。小沢代表にお伺いしたいんですが、自由党は今度の参議院選挙に関して、現職が改選は迎えないかと思いますけれども、その辺で比例の候補者の擁立に関して、すいません、統一名簿っていう話はありますけど、ちょっと今日、今は統一名簿の話ではなくて、自由党としての比例の候補者擁立作業について、どのような状況なんでしょうか。

小沢:私は、党派どうのこうのっちゅうんじゃなくて、今、猪木先生のお考えもお話しなされましたけども、ぜひ引き続いて参議院議員として国政に参加し、そして本当に大事な問題の解決にお力添えいただけるようになったらいいなと、そう思っているところであります。

司会:じゃあもう1回どうぞ。

宮崎:ではあらためて確認ですが、まだ半年ありますけれども、自由党公認という形で猪木先生に比例に出てほしいということですね。

小沢:これからの進路を決めるのはご本人自身の判断ですけれども、どういう形であれ、私としては今言ったように、国政に引き続いて参加していただいて大きな、大事な問題に尽力していただけるということを、僕は希望しております。

(後略)


[The Page さんの記事の、抜粋引用おわり]

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新進党解党者・小沢一郎氏、「改革フォーラム21」の2億円を国民の生活が第一→生活の党に「貸し付け」

2013年11月29日 17時52分31秒 | 小沢一郎氏による解党ビジネス

[写真]新進党結党大会があったパシフィコ横浜を背に、船に乗り込む人々の、安全な航海を祈りたいが、「狂った船頭」を海に突き落とす勇気と判断も必要だ=神奈川県・横浜市、筆者(宮崎信行)撮影。

 やられました。

 我が新生党、我が新進党のお金が本格的に、国民の生活が第一を通じて、生活の党に移されてしまいました。

 平成24年(2012年)の政治資金収支報告書の総務省届け出分(県選管は各県公報)が2013年11月の月末の29日(金)午後5時にインターネットで公開されました。

 2012年は、7月11日に小沢一郎氏が「国民の生活が第一」を結党。12月16日に第46回衆議院議員総選挙。年末に「生活の党」を結党しました。

 生活の党の報告書では、旧自由党の献金受け皿団体で解散していなかった「改革国民会議」(代表者・会計責任者とも平野貞夫さん)から6億円、陸山会(代表者・小沢一郎氏、会計責任者・川辺公設秘書)から3億円、亀井静香後援会から2億円を借り入れています。

 そして、なによりも、改革フォーラム21から2億円を借りています。この改革フォーラム21は、1992年秋に結成した「自民党羽田派」の正式名称で、その後、1993年6月に「新生党」になっています。そして、細川・羽田内閣で平成6年政治改革4法を成し遂げた後、新生党は解党して新進党になりました。

 改革フォーラム21の代表者と会計責任者は、小沢氏の私設秘書を経て前衆院議員、現在生活の党事務総長の川島智太郎氏。事務担当者は及川女史。同女史は改革国民会議の事務担当者も兼ねています。

 

 というか、改革フォーラム21から国民の生活が第一に2億円を貸し付けて、国民の生活が第一から生活の党に債権・債務が譲渡された、とたしかにそれぞれの政治資金収支報告書には書いてあります。

 ところが、単式簿記なので、改革フォーラム21には平成24年に「支出」として貸付が処理されており、繰越金は2000万円になってしまいました。

 私は2億円の貸し付けは財産だと思いますが、これは単式簿記、政治資金規正法では、どうやら、2億円の「支出」と処理されてしまうのでしょう。そして、忘れられるのでしょう。


[画像]改革フォーラム21の平成24年政治資金収支報告書のpdf5ページ。

 この2億円は、本当に生活の党から改革フォーラム21に返してもらえるのでしょうか。いずれにしろ、川島智太郎・生活の党事務総長の支配下にあるから、まあ、むりでしょう。

 しかたないけど、それが政治です。

 で、たまにおかしな反論がありますが、改革フォーラム21は自民党の派閥時代も、新党結党、与党、新進党への合流まで、一貫して「羽田孜代表→羽田孜党首」ですからね。私も子供心に羽田さんではなく、小沢一郎代表幹事が動かしていることは知っていました。しかし、「第80代内閣総理大臣、羽田孜」 という日本史をどうとらえる。

 私は羽田孜先生を我が命ある限り、尊敬し続けます。そして、後継者の岡田克也さんを支持し続けます。そうでないと、私の人生の存在意義が崩れる。

 小沢一郎氏は成仏できないでしょう。

 新進党を返せ、新進党を返せ、新進党を返せ。返せないなら腹を切れ。
 新進党を返せ、新進党を返せ、新進党を返せ。返せないなら腹を切れ。
 新進党を返せ、新進党を返せ、新進党を返せ。返せないなら腹を切れ。

 日本国民全員の総力を結集して、小沢一郎氏を歴史法廷の断頭台に送りましょう。

 小沢一郎の息の根を止めることが、政権交代ある二大政党政治のスタートです!

 前へ(*^_^*) 


◎今初めて明かす真実 小沢一郎氏の新進党解党をテレビ局が視聴者に伏せた本当の理由とは

2012年10月06日 11時34分00秒 | 小沢一郎氏による解党ビジネス

 山一證券の野澤社長の涙(1997年11月)、長野オリンピックの朋ちゃんスマイルや原田の失敗ジャンプ(1998年2月)の映像は覚えているのに、今なお日本の政治の混乱・経済の低迷に大きな影響を与えている「新進党解党(1997年12月)」の映像が記憶にないのはなぜでしょう。

 それはテレビ局が新進党解党のニュースを視聴者(有権者)に隠したからです。

 ではなぜ隠したのでしょう。小沢一郎氏は新進党を解党する両院議員総会を1997年12月27日(土)の午後1時3分を狙って開きました。1月1日までに手続きをとらないと政党助成法の分党の手続きが間に合わないからです。そして、土曜日の午後に解党すれば、土日は帯番組のキャスターニュースがなく、そのまま広告料の書き入れ時である年末年始特番の期間に入るからです。

 例えばNHKニュース7はこの当時、平日の午後7時から午後8時までの1時間番組を女性の森田アナウンサーが1人で伝えていた時代です。やたらとテンションの高いテーマソングがNHK報道局のニュース7にかける意気込みを感じました。ところが、新進党解党を受けた27日のニュース7はわずか20分で終了。その後の40分間は、報道局製作の「’97ニュースハイライト政治編」を放送しました。後から振り返ると、「1997年は11月に山一證券・北海道拓殖銀行がつぶれ、12月に小沢一郎氏が新進党をつぶした年」のひと言。

[画像]新進党解党当夜のテレビ番組表。

  「恋のから騒ぎ」「めちゃいけ」「筋肉番付」など新進党解党の報道特番よりも優先される番組には思えませんが、広告枠を売ってしまっている以上さしかえは売上高に影響します。報道の現場では「官邸クラブでも、平河クラブ(自民党)でもない、新進党クラブは左遷ポスト」という意識なので、左遷ポストに報道の主導権を与えるわけにはいきません。有権者の中でも、私のようにリクルート事件以降、非自民反共の考えを持っていた人も、バックアップ政党(政権準備政党、女王陛下の反対党、野党第1党)を育てようという意識が希薄。私のように新進党に党員会費を払ったり、政治献金したりしていた人は、第2回党首選(小沢一郎候補vs.羽田孜候補)の投票権1000円を除けば、少数派でしょう。

 この中で、当ブログでもたびたび取り上げている1997年12月27日の民主党両院議員総会での岡田克也衆議院議員の発言がほとんぼ完全な格好で復刻できそうです。岡田さんの発言は次のようです。

【1997年12月28日の民主党両院議員総会での岡田克也さんと小沢一郎さんとのやりとり】
 
 岡田克也衆議院議員 「小沢一郎)党首におたずねしたい。参院の公明が(来夏の参院選を独自名簿でたたかうために新進党から)出るだけですね。分割政党は新進党と同じ規約、綱領、旧(参院)公明党系議員を除いた同じメンバーで運営されるんですね。保証されるのですね。それとも全くのクーデター、乗っ取りなのか。新進党のままの移管を約束して欲しい

小沢一郎党首「約束するたぐいの話ではありません。分党方針が確認されれば、あとは一人一人の議員が判断することです。みんなの意見が一致すればそうなるが、私が強制したり、保証したりする性格のものではありません」

 岡田克也衆議院議員「新進党の分割後をどう描いていくかは党首の責任です。新進党を分割して、あとは勝手にやってくださいでは、新進党と書いてくださった有権者に対する裏切りだ!!!


[画像]「新進党と書いてくださった有権者に対する裏切りだ」と小沢一郎氏をなじる岡田克也さん、テレビ朝日さん映像から。

小沢一郎党首「民主主義は十分に理解しています。 政治家は国民の負託で国政に参画しており、信念を持って行動すべきです。岡田さんのお話はよく伺いました」

【終わり】

 こういったやりとりも当日は放送されなかったし、翌日は日曜日だし、その後は年末特番、さらには年始特番ですから、年を越せば放送されることはありません。それがテレビです。これはテレビジョン放送会社の問題以前に、商用テレビジョン放送固有の問題点なので、このことはテレビ放送会社の責(せめ)に負うことではなく、見て見ぬふりをする、備えよ常にの当事者意識がなく、国家に対して傍観者たれ、が美徳とする日本国民の責です。私は、小沢一郎氏が新進党を解党した行為は、小沢一郎氏に目の前で家族を殺されたのとまったく同じ感覚を持っているので、今でも、小沢に復讐する機会を日々虎視眈々とねらい、「江戸の敵を長崎で討つ」ことを日々の励みにしているのです。

 さて、NHK番組制作局の「NHK紅白歌合戦」は2004年の年末の放送で、インド洋大津波に言及しないなど政治とは距離をとった姿勢が目立ちます。ところが2005年年明けのウィーンフィル・ニューイヤーコンサートでは、インド洋大津波に配慮して、毎年恒例の大トリ「ラデツキー行進曲」は演奏されませんでした(聴衆一人一人の心の中で演奏)。この年はロリン・マゼールが指揮をとりましたが、彼はフランス生まれのユダヤ系で、幼少期のドイツのフランス占領期にアメリカに渡った人です。だから、世界はそういった配慮ができる人が影響力を持つことになります。人間社会の当然の帰結です。

 「歌手1年、総理2年の使い捨て」。経世会の竹下登さんは自民党政権をそう評しましたが、竹下総理は1年1ヶ月、リクルート事件のすべての責任を背負い込んで、自ら使い捨てとなりました。

 そして、2006年以降、総理1年の使い捨てになりました。菅直人さんが1年3ヶ月石にかじりついて、サミットに2回行きました。野田佳彦さんも新進党勢初の総理として、1年2ヶ月目に入りました。竹下越えです。

 そして、この新進党解党を国民に伏せた1997年12月のテレビジョン。第48回NHK紅白歌合戦。石川さゆりは20回目の出場で「天城越え」を歌い、小林幸子は19回目で「幸せ」。一方、天童よしみさんは意外にも2回目の出場でしたが、「珍島物語」を歌い、固定ファンを固めました。森山良子さんは7回目で「さとうきび畑」。白組では、SMAPがすでに7回目の出場で「ダイナマイトセロリ」を歌い、北島三郎が34回目で「竹」、森進一が30回目で「襟裳岬」。

 そして、この年の紅白の売り文句。「白組司会・中居正広の若さの前にベテランアッコの厚い壁」ーーこれ、今年の紅白のキャッチコピーでもおかしくないですね。使い捨てになったのは「総理1年」だけ。そりゃ政治は劣化します。そして、それはすべて小沢一郎の新進党解党によって、政権交代可能な二大政党政治が9年程度日本に導入するのが遅れたからです。

 この暴挙を許した国民は、二大政党に政治献金をしなければ、天国や極楽浄土に行けないだろう、との指摘もあります。


[写真]1997年12月28日付毎日新聞。

 
[写真]1997年12月28日付毎日新聞。

[お知らせ]

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◎「国民の生活が第一」が「国民生活会議」設立 小沢一郎が悪質なマネーロンダリング継続

2012年09月20日 10時55分37秒 | 小沢一郎氏による解党ビジネス

[写真]小沢一郎氏、筆者撮影。

 本当に悪い奴だ。やれやれ、小沢一郎氏の「病気」はまったく治っていないようで、またしても、政党助成金などをめぐる悪質なマネーロンダリングに向けて、悪の温床を作りました。


[画像]2012年9月20日付官報。なお総務大臣の個人名(民主党員)は消させていただきました。将来的にこのページをご覧になった方が、何か勘違いをすることを未然に防ぐためですのでご了解下さい。

 2012年7月11日(水)に「結党」を宣言した小沢一郎氏が党首を務める政党「国民の生活が第一」の政治資金管理団体として「国民生活会議」の設立が告示されました。代表者は、小沢秘書軍団の実質トップ(実際には閣僚を務めた父親の秘書出身)である同党参議院議員、佐藤公治さん、会計責任者は、民主党を(おそらく定年で)退職した西尾利逸職員の名前で、平成24年8月29日付で届け出ました。主たる事務所の所在地は、同党本部と同じ住所。

 これが何が問題か。

 小沢一郎氏は新進党解党の資産を自由党に移しました。この自由党の政治資金管理団体は「改革国民会議」という名前でしたが、自由党解党後も政治団体として存続し、直近の政治資金収支報告書では、代表者・会計責任者とも側近の元参議院議員、平野貞夫さんが務めており、9億円ほどの繰越金が残っています。さらに、それ以前に1992年の経世会分裂後にできた自民党羽田派こと「改革フォーラム21」も残っており、直近の政治資金報告書では、代表者・会計責任者とも小沢秘書出身で衆議院議員の川島智太郎さんが務めており、2億円ほどの繰越金があります。なお、改革フォーラム21は、羽田孜代表でしたが、この団体の存続に羽田さんはタッチしていません。

 一方、民主党の政治資金団体(献金の受け皿団体)は「国民改革協議会」と呼び、これは直近の政治資金収支報告書では、代表者は元民主党参院議員で初代組織委員長(元連合副会長)が務めており、会計責任者は西尾利逸さんになっています。定年退職に前後して、最も政治資金に詳しい西尾職員が小沢新党に参加したようです。

 ここまでで、固有名詞がグチャグチャでしょうから、党名と政治資金団体(受け皿機関)を整理すると、

 自民党=国民政治協会

 民主党 =国民改革協議会

 国民の生活が第一=国民生活会議

 になります。

 そして、かつて小沢氏が党首や代表幹事を務めて、現在は政党が存在しないのに、政治資金管理団体が残っているのが、

 (通称・自民党羽田派、新生党)=改革フォーラム21
 (自由党)=改革国民会議

になります。

ですから、現在小沢氏が支配下に置いていると思われる政治団体の中で、古い順に、

 改革フォーラム21
 改革国民会議
 国民生活会議

 となり、3つめが新しく加わったことになります。このほかに、政党本体の「国民の生活が第一」も資金を受け入れられるし、支部として「国民の生活が第一衆議院岩手県第4区総支部」というような名称の団体も届けられたか、届けられる見通し。このほかに、小沢一郎・衆議院議員(候補者含む)の政治資金管理団体として「陸山会」があります。さらに日中友好や、草の根国際交流の政治団体も小沢氏の支配下にあります。

 今回の「国民生活会議」という名称は、明らかに混同をねらったものと思われます。ここまで行くとうんざり感が出るので、テレビ媒体は当然として、雑誌・新聞ですら、「うんざり」「もういい」という感じで、ジャーナリズムによる、取材・追及・検証が弱まると考えられます。

 このため、政党である「国民の生活が第一」に5億円以上の振り込みがあると思われる2013年4月19日よりも前に、総選挙をして、小沢グループ新党「国民の生活が第一」を根絶やしにする必要性が高まったと考えられます。

 このようにプロセスを不明確化し、お金を動かすのが小沢流であり、今回の「国民生活会議」はこれからも同じような政治手法をとり続ける宣言と思われます。さらに、「誠山会」という団体を解散し、そのうえで、今回、新しい政治団体を少なくとも3つ(政党、政治資金管理団体、支部)つくったことにより、さらに小沢マネーの把握は複雑になり、小沢氏本人だけが思うように動かすことが可能になります。

 とにかく、総選挙で、小沢グループを根絶やしにしなければなりません。政治改革どころか、民主政治の危機です。

 日本国民全員の総力を結集して、小沢一郎の息の根を止めましょう!

[お知らせ]

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鹿野道彦農相と小沢一郎氏の「知られざる過去」が放送される 新進党解党

2011年02月21日 07時33分42秒 | 小沢一郎氏による解党ビジネス

 毎週土曜日の午前11時から、テレビ東京・BSジャパンで放送されている「田勢康弘の週刊ニュース新書」の2011年2月19日の放送に、農相の鹿野道彦さんが出演し、元代表・小沢一郎氏との「知られざる経緯」として、1997年末の新進党党首選→小沢氏ぶち切れ解党のビデオが放送されました。元日経新聞政治部記者で、司会の田勢康弘さんは、山形の人(中国黒竜江省生まれて山形に引き揚げ)ですので、鹿野さんと同郷ということになります。


[画像]珍しくセミカジュアル姿の鹿野農相(テレビ東京さんの映像からキャプチャさせていただきました、以下同)


[画像]再現VTRがスタート。自民党時代の鹿野さん。この場所は清和会の事務所があった赤坂プリンスホテル旧館だと思います。


[画像]自民党幹事長時代の小沢一郎氏、1990年ごろ?の映像


[画像]自民党にかわる政権担当能力可能な政党として細川・羽田内閣退陣後に「新進党」結党。鹿野さんは清和会→新党みらい→新進党、小沢さんは経世会→改革フォーラム21(自民党羽田派)→新生党→新進党に合流しました。


[画像]新進党結党。1列目左から、細川護煕元首相、海部俊樹元首相、石田幸四郎元総務庁長官、鹿野道彦・現農相、2列目に野田毅元建設相中野寛成・現国家公安委員長、小沢一郎氏、3列目には神崎武法元郵政相ら閣僚経験者がずらり。


[画像]1996年の第41回総選挙で敗北した新進党を建て直すために1997年の党首選(代表選)に立候補を表明した鹿野道彦さん。


[画像]当初はダークホース的存在だったが、選挙戦中に支持を伸ばし、党首選当日を迎えた鹿野さん、後ろ左は北側一雄・現公明党副代表。

 
[画像]結果は鹿野182票、小沢一郎230票。大善戦。


[画像]左から、握手を求める鹿野候補、加藤六月元農相、石田幸四郎元総務庁長官、小沢一郎党首。


 
[画像]小沢党首の強引な党運営に対して、反省を求める党の意思を示せたことで、笑顔で小沢党首の腕を持ち上げる鹿野さん。握手を見守るのは米沢隆・元民社党委員長。

 
[画像]小沢辰男・元厚相の音頭取りで、政権交代に向けて「新進党バンザイ」をやる、小沢氏、鹿野氏ら。後ろは高木義明・現文科相


 しかし・・・


[画像]降壇の直前に、鹿野さんの方を振り向き、にらみつけるようなそぶりを見せた小沢氏。

 

 そしてわずか9日後・・・小沢一郎が選んだのは「融和」ではなく、「純化」だった・・・

 
[画像]両院議員総会を突如開催し、新進党解党を一方的に「報告」する小沢一郎党首。右上の切り込み画面(ワイプ)は、VTRを見るスタジオ内の鹿野さん。


[画像]両院議員総会で、新進党解党に反対する草川昭三・現公明党副代表(国会最年長議員)=背中。その後ろには、岡田克也さん。執行部側には野田元建設相、西岡武夫・現参議院議長(元文相)ら。


[画像]両院議員総会終了後、報道陣のインタビューに答える岡田克也さん。


[画像]両院議員総会後、報道陣にモミクチャにされる、鹿野道彦・前党首候補。鹿野氏の隣は、日経・山口真典記者。


[画像]VTRは最後は、小沢氏を「壊し屋」と表現して終了。まあ、こうまとめるしかないでしょう。




[画像]スタジオで、新進党解党の経緯をきかれる鹿野農相。




 1997年の新進党解党と、2011年の渡辺浩一郎・笠原多見子・川島智太郎氏ら16人の民主党離脱届提出はかなり意味合いは違います。

 まず、新進党は、閣僚経験者を大量に擁しながら、野党の経験しかありません。政権は、村山・橋本両首相の自民党・社会党連立内閣ですから、政権政党だったことは1日もありませんでした。それに対して、2011年の民主党は政権政党です。また新進党は結党時、小沢氏は幹事長(海部俊樹党首)で、その後、党首になり、解党時まで、党首か幹事長のいずれかにいましたが、2011年の民主党では一兵卒に過ぎません。

 このように新進党は多くの閣僚経験者を有していましたから、消費税引き上げや山一・拓銀ショックによる平成不況のなか、第42回総選挙を闘っていたら、2000年には政権交代できていたかもしれません。しかし、小沢党首と側近らの強引な党運営に疲れて、かつ導入されたばかりの小選挙区の特徴をまだよく体感していなかったことなどから離党者が相次ぎ、また、自民党による一本釣り工作で、自民党に復党・入党する人が相次ぎました。また国会運営では、住専処理問題での国会内ピケ戦術が極端だったのと、自民党の亀井静香氏らによる、「新進党は創価学会だ」キャンペーンで、創価学会の秋谷栄之助会長が国会に引きずり出される事態になったことなどから、求心力が大きく低迷していました。それでも新進党を建て直そうとしたのが鹿野さんの立候補で、当初は大差で敗北すると思われていたのが、岡田克也さんら政治改革議員や民社協会、旧日本新党系議員らの運動が急浸透して、あわや小沢党首落選というところまで追い上げました。これに驚いた小沢氏が、「純化路線」ということを言いだし、地方政党「公明」や、民社協会に解体を迫ったところ、受けれ入れられなかったので、新進党を解党することになりました。ということは、解体を拒否した、地方政党「公明」の判断は正しかったということになります。

 こういった歴史的経緯は、多くの議員がトラウマであり、語りたくないようで、あまり表に出てきません。この悔しさを頑張る力に変えられたのは、選挙も強く、年も若かった岡田克也さんで、まっすぐにひたむきに政権交代まで走り続け、この局面でも菅直人・総理の総辞職も解散もない、と断言できる政治家になります。一方の鹿野さんは、第44回郵政選挙で、完全落選してしまい、4年間の浪人を経て、ようやく第45回総選挙で国政復帰し、衆院予算委員長、そして21年ぶりの農相(1992年の総務庁長官以来18年ぶりの入閣)として政権に参加しました。

 新進党解党については、過去にも、以下のエントリーなどでまとめています。

新進党解党史 辛くても書かねばならない 

岡田vs小沢、“天命”の最終戦がスタート 新進党解党から13年

 最後に触れたいのですが、山一證券社長の「悪いのは私たちですから。社員は悪くありませんから、どんどん雇ってやってください」という野澤正平社長の号泣は覚えているけど、新進党解党はほとんど覚えていないという人は、それはテレビの見過ぎです。わずか14年前の話です。ただ所属議員が誰かということを見ていくとグチャグチャになってきますから、一つだけ歴史の教訓だけ、知っていて欲しいのです。「日本を衰退させたのは、小沢一郎だ」ということです。


石破茂氏「小沢一郎さんは真の改革者と信じましたよ」 岡田克也さん宮澤喜一邸夜討ち「大変丁寧に応対」

2010年12月17日 23時02分03秒 | 小沢一郎氏による解党ビジネス

 自民党政調会長の石破茂さん。「政治改革を実現する若手議員の会」の代表として、岡田克也さん、河村建夫さん、岩屋毅さん、簗瀬進さんらと「宮澤総理・総裁邸」(東京・渋谷)夜討ち事件を起こし、宮澤解散後に自民党を離党。新生党や新進党議員を経て、自民党に帰り防衛相、農相をつとめました。

 その石破さんが17日朝、関東ローカルのラジオ局、文化放送に出演。かつての代表幹事・党首だった小沢一郎さんについて、「あの頃(1993年)は、この人こそ真の改革者だと信じましたよ。我々若い議員は感動しました。あのときは光り輝いていた」と述べました。これに先立ち、「この20年間、小沢さんに大いに振り回されてきました。では、小沢さんがいなければ日本の政治が動かなかったかというと、そんなことはない。小沢さんがいる限り、日本は振り回し続けられる」として、「トータルに必要なことかといえば、水沢に帰る・・・今は奥州市っていうのかな・・・水沢に帰ることだ」と語りました。

 政治改革を実現する若手議員の会は、今でも日本政治の中核で、政権交代時には、河村建夫官房長官(当時)から岡田克也さんと政調会長(直嶋正行さん)が引き継ぎを受けました。危機管理などを中心に、おそらく報償費に関する情報の引き継ぎも受けたと私は想像しています。河村さんは一度も自民党から出ず改革にまい進。一方の岡田さんは“あの日”(宮澤解散当日の1993年6月18日)から一度も自民党にも戻らずに、連立も組んだことがありません。簗瀬進さんもそうです。岩屋さんは河村さん同様、自民党で頑張ってきました。岡田さんは新進党時代に「一度裏切った人間は二度裏切るということを覚えた」と語っています。岡田さんが石破さんのことに言及することは滅多にありません。

 松野頼久さんらから「小沢問題」で直談判を受けた後、宮澤邸夜討ち事件について、岡田さんが月曜日(12月13日)の記者会見で述懐しました。私(宮崎信行)が質問しました。

 「宮澤さんのご自宅に押しかけたことは私の懐かしい思い出の1つですが、そのときに宮澤さんは、夜、突然お邪魔したにもかかわらず、大変丁寧に応対していただきました。そこは、私は、非常にいい、強く印象を持ちましたので、なるべく今日も、最初は院内で、と連絡してあったのですが、皆さん党本部にお集まりだということで、いったん私は院内に行ったのですが、党本部に戻りましてお話をさせていただいたということです。なかなか宮澤さんのような応対になったのかどうか、しかし、誠実に私は私の考え方をお答えさせていただいたつもりです」。

 宮澤さんは、自民党を象徴する人物です。田中角栄さんを自民党の象徴のようにイメージしている方は多いでしょう。私もそう思ってしまいますが、実際には、角さんは自民党には極めて異質な存在だったから、幹事長・総理・総裁になれたのでしょう。それに比べて、二世議員で、東大法卒で、官僚出身で、地方選出で、日米講話交渉の密使だった池田勇人蔵相の秘書官として、ワシントンで英語を駆使した、宮澤さんが自民党の象徴です。

 自民党と言えば、民主党と違って、政調が事前審査制なので、部会がもめて、当選3・4回生の部会長がまとめきれず、先輩が大声で「部会長一任!」「部会長一任!」と叫んでまとめることがありました。安倍晋三さんは自民党厚労部会長時代に、先輩の衛藤晟一さんに助けてもらい、落選後の参院院替えに助力しました。

 私は月曜日、「幹事長一任」になったと聞いて、古き良き自民党の薫りを感じました。

 古き良き自民党と、インターネット生中継の記者会見でそれを発表する先進性。岡田克也という男にそれが併存し、そして矛盾していない。岡田克也のアウフヘーベンに、安定感をつかみ取りました。まあ、石破さんも頑張ってください。


新進党解党史 辛くても書かねばならない

2010年04月15日 15時57分25秒 | 小沢一郎氏による解党ビジネス

 新進党解党の歴史は、私にとって、傷口に塩水を塗り込むようなもので、筆舌に尽くしがたい辛さがあります。

 このエントリー2月に、私のツイッターの方で、「新進党の歴史を知りたい」というご要望にお応えし、1時間ほどで勢いで書いた新進党解党の歴史のツイートをまとめたものです。まとめたというよりも、箇条書きの状態です。

 もう少しまとまったものを書くには、時間が必要か、あるいは私の手には負えません。新進党解党の歴史を知ってください。

 では、まとまりのない文章で失礼します。(固有名詞を部分的に書き直しました)。

 ◇

  新進党解党について知りたいという方がいらしたので、少し書きます。新進党は首相経験者で自民党を離党した海部俊樹党首でスタートしましたが、小沢一郎幹事長側近議員(今はみんな落選しました)が専横を極めました。最初の小選挙区選挙では、小沢さんの戦略ミスと直前の鳩菅民主党結党があったのもかかわらず156議席を取りました。

 ◇

 156議席(当時は衆院の定数は500)といったら、今の野党第1党・自民党よりも3割ほど多い議席を持っていました。もしも、鳩菅民主党と選挙協力して、30選挙区ほどの自民党議席をひっくり返せば、第42回衆院選で政権交代は可能だったと思います。ところが、その前に新進党は解党しました。

 ◇

 例えば、民社党出身の川端達夫さんは、新進党を離党して、その後復党しました。悩んでいたのでしょう。自民党の亀井静香政調会長らの「新進党は創価学会だ」というネガティブキャンペーンに、創価学会員の秘書団による国会バリケード封鎖で抵抗するという戦術ミスもありました。これも小沢執行部の浅知恵によるものです。

 ◇

 党首選も小沢軍団は強いのはいいとしても、やり方が極端で、敗戦後の羽田孜陣営がその尊厳を傷つけられて、離党せざるを得ないところまで追い込みました。このとき羽田陣営で、北澤俊美さんは羽田さんと行動を一にし、一緒に離党し、太陽党を結成。一方、“脱出ボート”に乗り込むかどうかの瀬戸際で、岡田克也さんは「二大政党制の実現」のために新進党に残る決断をしました。

 ◇

 それでも二大政党のために新進党を立て直そうという機運は健在でした。1997年11月の党首選には、閣僚経験2回(農相、総務庁長官)があるとはいえ、ダークホース的存在だった鹿野道彦さんが敢然と出馬しました。鹿野さんというのは小沢さんよりも腰が高いという「珍しい政治家」でしたが、(笑)、「小沢230票」対「鹿野182票」まで追い上げました。

 ◇

 これに驚いた小沢さんは、鹿野さんに投票した人の排除をめざして「純化路線」という言葉を党運営に使い出しました。ちなみに「純化」とは、国によっては、少数民族の虐殺や混血推進(すなわち・・・レイプということです)に使われる恐ろしい政治用語です。小沢一派は、党内の不満分子を「分党」という格好で、新進党から追い出そうとしました。ここで甘かったのは、小沢一派は、「純化」をしても野党第1党の地位は保てると考えていたことです。実に甘い認識です。

 ◇

 新進党は1997年12月に分党しましたが、これは今の歴史では「新進党解党」と呼ばれます。新進党は8つの政党に大分裂してしまいます。細川護煕元首相は「フロムファイブ」、岡田さんと鹿野さんは「国民の声」、神崎武法さん、冬柴鉄三さん、浜四津敏子さんら創価学会員は「新党平和」、旧自民党議員ながら創価学会の支援も欲しい首都圏の議員は「改革クラブ」(石田勝之幹事長)、中野寛成・川端達夫・直嶋正行さんら旧民社党は「新党友愛」・・・

 ◇

 第1次民主党(鳩菅共同代表)、新党友愛(中野寛成代表)、太陽党(羽田党首)、国民の声、民主改革連合(土肥隆一幹事長)らは1998年の通常国会を統一会派「民主友愛太陽国民連合」(民友連)で臨みました。そして、小沢党首率いる「自由党」は「純化」の結果、なんと野党第2党に転落してしまったのです。

 ◇

  通常国会中に、「民主友愛太陽国民連合」は第2次民主党を結党しました。結党大会の司会は、岡崎トミ子さんと松沢成文さんでした。野党第2党は自由党、(小沢党首・野田毅幹事長)、そして、創価学会員のほとんどの議員は野党第3党の「新党平和」(後に「公明党」に名称復帰)になります。

 ◇

 民主党結党からわずか3ヶ月で臨んだ1998年の参院選で民主党は大勝し、その日のうちに橋本龍太郎首相は退陣。「官邸の森蘭丸」とまで呼ばれた首相秘書官(政務)の江田憲司さんも、突如、失業してしまいました。自民党総裁は小渕恵三さんになります。野党第2党になった小沢自由党はあせって、小渕内閣と連立。さらに野党第3党の公明党も加わり、「自自公連立」に。自民党は息を吹き返し、政権交代ある二大政党制は遠のきました。

 ◇

 新進党解党当時、渡部恒三さんは衆院副議長でしたので、慣例にもとづき無所属となっていました。第2次民主党結党大会の来賓としてあいさつし、「私が(副議長退任後に)帰る家を作ってくれてありがとう」「山一・拓銀ショック。今解散があったら、政権交代できた」と語りました。そして、「もしも新進党が残っていれば政権交代できた・・・あっ、そこに小沢君がいた。来賓だって。よく恥ずかしげもなく来られるね」と語ると満場が嘲笑の渦になりました。議員も秘書も記者も、来賓としてやってきた小沢一郎・自由党党首を指さし、嘲り笑いました。

 ◇

 当選2回生の河村たかしさんは、世渡り失敗で、新進党から自由党に行ってしまいましたが、小沢党首に敢然と離党の理由を口頭で述べて、離党届を出しました。半年間ほど無所属で「黒い経歴ロンダリング」をして、1998年暮れに民主党に入党しました。

 ◇

 (ツイッターでのやりとりです)。

 @M2_sado そうです。あの(今国会で衆院予算委員長を務めている)鹿野道彦さんです。新進党党首選に出た時点で、元農林水産大臣・元総務庁長官という2つの閣僚経験がありました。山形新幹線を引いた実績もあります。政治改革の夢をめざして自民党三塚派から新進党に移りました。当時も今も清和会出身は民主党で珍しい存在です。

 ◇

 @haruo6 ありがとうございます。新進党史は僕も辛くて、ブログにまとめたことがありませんでした。当時を知っている議員や秘書ともその話はあまりしません。友達の離婚や再婚の話にあまり触れないような感じです。きょうはツイッターをつかって、カンタンに書いてみました。

【追記 2011-3-11】

 このエントリーは初投稿から1年経っても、連日数十人の方に読んでいただいています。資料的価値を高めるため、1994年12月10日の新進党結党大会(パシフィコ横浜)に参加した国会議員(当時の現職のみ)リストを掲載します。

1994年(平成6年)12月10日の「新進党」結党大会に参加した国会議員一覧

 【衆議院議員】

 ◇旧新生党 愛知和男、愛野興一郎、青木宏之、粟屋敏信、井奥貞雄、井上喜一、石井一、石破茂、岩浅嘉仁、上田清司、江崎鉄磨、小沢一郎、小沢辰男、岡島正之、岡田克也、奥田敬和、加藤六月、金子徳之介、木村守男、北村直人、工藤堅太郎、熊谷弘、小坂憲次、古賀一成、古賀敬章、古賀正浩、左藤恵、佐藤守良、笹山登生、実川幸夫、柴野たいぞう、白沢三郎、杉山憲夫、田名部匡省、高橋一郎、月原茂皓、土田龍司、豊田潤多郎、中島衛、中西啓介、仲村正治、二階俊博、西川太一郎、羽田孜、畑英次郎、広野允士、吹田、藤井裕久、船田元、星野行男、前田武志、増田敏男、松沢成文、松田岩夫、宮本一三、村井仁、山岡賢次、山田正彦、山本幸三、吉田公一、渡部恒三

 ◇旧公明新党 青山二三、赤羽一嘉、赤松正雄、東祥三、石井啓一、石田幸四郎、石田祝稔、市川雄一、上田晃弘、上田勇、遠藤乙彦、遠藤和良、大口善徳、大野由利子、太田昭宏、近江巳記夫、長内順一、貝沼次郎、河合正智、河上覃雄、神崎武法、北側一雄、久保哲司、草川昭三、倉田栄喜、権藤恒夫、佐藤茂樹、斉藤鉄夫、坂口力、田端正広、高木陽介、竹内譲、谷口隆義、千葉国男、富田茂之、鳥居一雄、西博義、日笠勝之、東順治、平田米男、弘友和夫、福島豊、福留泰蔵、二見伸明、冬柴鉄三、桝屋敬悟、宮地正介、森本晃司、山口那津男、山田英介、山名靖英、若松謙維

 ◇旧日本新党 阿部昭吾、伊藤達也、今井宏、江田五月、鴨下一郎、河村たかし、小池百合子、木幡弘道、鮫島宗明、須藤浩、武山百合子、樽床伸二、中田宏、中村時広、永井英慈、長浜博行、野田佳彦、初村謙一郎、藤村修、細川護煕、松岡満寿男、矢上雅義、山崎広太郎、山田宏、山本孝史、渡辺浩一郎

 ◇旧民社党 安倍基雄、青山丘、伊藤英成、石田美栄、川端達夫、神田厚、北橋健治、小平忠正、笹木竜三、高木義明、塚田延充、中井洽、中野寛成、西村真悟、柳田稔、吉田治、米沢隆

 ◇旧高志会 今津寛、海部俊樹、野田毅、野呂昭彦、保岡興治

 ◇旧新党みらい 鹿野道彦、北川正恭、坂本剛二、佐藤敬夫、増子輝彦

 ◇旧改革の会 石田勝之、大石正光、笹川尭、西岡武夫、鳩山邦夫

 ◇旧自由党 新井将敬、太田誠一、高市早苗、山本拓、米田建三

 ◇旧リベラルの会 川島実、山口敏夫

 【参議院議員】

 ◇旧新生党 石井一二、泉信也、北沢俊美、釘宮磐、小林正、木暮山人、田村秀昭、永野茂門、野末陳平、林寛子、平野貞夫、星野朋市、松尾官平

 ◇旧公明新党 牛島正、刈田貞子、黒柳明、木庭健太郎、白浜一良、高桑栄松、続訓弘、常松克安、中川嘉美、広中和歌子、矢原秀男、和田教美

 ◇旧民社党 足立良平、井上計、勝木健司、寺崎昭久、直嶋正行、長谷川清、吉田之久

 ◇旧日本新党 寺沢芳男、円より子

 ◇無所属 都築譲、中村鋭一

 以上
【追記おわり】


小沢一郎、民主党本部購入を策謀か? 民由合併時

2009年12月17日 10時03分03秒 | 小沢一郎氏による解党ビジネス
[画像]プルデンシャルタワー(大成建設ホームページから)

 17日付東京新聞1面トップ記事を読んで驚きました。

 2003年、菅直人代表率いる民主党は、少数政党「自由党」を解散させた上で同党所属国会議員を民主党員として引き取りました。いわゆる「民由合併」です。

 東京新聞記事の内容から推測すると、固有名詞は未確認ですので、仮称ということにさせていただくと、

 2002年

 自由党党首だった小沢一郎氏が民主党全体の本部(1996年以来三宅坂ビルを間借り)を
 ↓
ホテル・ニュージャパン(火災により営業禁止→廃業)跡地の
 ↓
「プルデンシャルタワー」(2002年完成)に
 ↓
に移転させた上で、党本部を小沢が購入し、党本部の大家になろうと企て、
 ↓
プルデンシャルタワーの建設を請け負った大成建設の東北支店員に
 ↓
所有者(プルデンシャル生命と森ビル?)にあっせんさせたものの、
 ↓
所有者が「賃貸ビルである」ことを理由に、部分的な売却(分譲?)を断った

 というエピソードがあったそうです。私はまったく知りませんでした。

 この件に関して、小沢一郎・衆院議員の大久保隆規・公設第一秘書の刑事被告人(あす初公判)としての弁護人は、「ビルのことは少し聞いたことがあるが」と話しているようです。

 小沢氏は民主党本部のオーナーになることで、①国から民主党に確実に入る政党助成金から家賃収入を得る②党本部内の間取りやスタッフの配置といった情報を入手する③小沢議員の意向に従わない党幹部に対して「党本部立ち退きカード」をちらつかせることで影響力を持つ――ことなどで「外様大名からの脱却」をねらっていた可能性があります。

 この時の執行部はほとんどが鳩山内閣に入っています。ぜひ、既存メディアによる解明をお願いします。

東京新聞:大手ゼネコン 小沢氏側への献金4倍に 関係者証言『関係修復のため』:社会(TOKYO Web)

 東京都内の大手ゼネコンが、岩手県で胆沢(いさわ)ダム建設工事が始まった二〇〇三年から、小沢一郎民主党幹事長側への献金を年間約五百万円から同約二千万円に増額していたことが、関係者への取材で分かった。同社関係者は「前年に小沢氏事務所側と政党本部の移転をめぐってトラブルになり、関係修復のために小沢氏側の要請で増額した」としている。 

 関係者によると、このゼネコンの東北支店幹部は〇二年、自由党党首だった小沢氏側から、同社が東京・永田町に建設したビルに、同党が合併を計画していた民主党の党本部が入居できるよう、ビル所有者へのあっせん依頼を受けた。

 依頼したのは、小沢氏の公設秘書大久保隆規被告(48)=政治資金規正法違反罪で起訴=で、入居部分を購入する意向を伝えた。だが、ビルは賃借用だったため支店幹部はあっせんを断り、結局入居できなかったという。

 これを機に小沢氏側との関係は急速に悪化。ゼネコン側は〇三年に関係修復に動き、大久保被告の要請に応じて、下請け業者などと分担して、小沢氏関連の複数の政治団体に分散して行っていた献金の総額を四倍に増やしたという。

 ゼネコン側関係者は「小沢事務所側を怒らせると、胆沢ダムなど大型の公共工事が取れなくなると思った」と献金増額に応じた理由を説明。同社は胆沢ダムの関連工事を計約二百三十九億円で受注している。

 小沢事務所は本紙の文書での取材に「事実を把握していない」と回答。大久保被告の弁護人は「ビルのことは少し聞いたことがあるが、献金が増えたとか、大久保被告が要求したというようなことは知らない」と話している。