【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

我が党は下野を前提にしてたたかうべきだ 

2012年12月11日 05時00分00秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

 まあ、厳しいでしょうね。

 残り6日間(投票日含む)となった選挙戦ですが、終盤戦、我が党は下野を前提にして、語るべきでしょう。「3党合意の誠実な履行」などといって連立与党に色気を出すべきではありません。正直、財務省にだまされたような気がしなくもありません。

 立党直後に大きく名を挙げた金融国会(第144回臨時国会)の勢力図をみると、衆議院では自民党が263議席、民主党・無所属クラブが93議席、公明党・改革クラブが52議席となっています。このころの定数は500でした。衆議院2階裏側の第14控え室で代議士会をやっていた時代で、私は今でも代議士会と言うと、第14控え室のイメージが強いです。このころは、民主党総務会という組織があって、北海道知事3期12年を経て国政復帰した横路孝弘さんが会長をすることで政権担当能力をアピールしようとしたのですが、一部の社会党出身のベテラン代議士が総務会を根城にして執行部にくだを巻いてしまい、やむなく組織そのものを廃止したことがあります。

 そのころの経験を考えても、そういった人は小選挙区には初めから公認されていませんから、80~110議席でもシャープにバックアップ政党として、いつでもとってかわれる政党としてやっていけるのではないでしょうか。

 野田佳彦さんの著書『民主の敵ーー政権交代に大義あり』の50ページに、非常に印象的な文章があります。

 [「民主の敵」から引用はじめ]

 疑問票の判定作業が予想以上に手間取り、開票結果の確定が全国300選挙区中最後でした。結局、一睡もしないで、お酒をガーッとあおって、翌朝6時、街頭に立ちました。そうすると、みんなの顔色がわかるわけです。当然、私が落ちたことは知っています。応援してくれた人たちは、悔しそうな顔をして、「残念だったね」などと慰めてくれます。

 ところが、いつも応援してくれたのに、来ない人もたちもいます。私から遠く離れたところを隠れるように急ぎ足で改札に向かう人もいます。私に投票しなかったのでしょう。表情でわかりました。「あっ。あの人たち、入れてくれなかったんだ」と不思議にピンと来る。私のほうも、戦が終わった直後で、一番研ぎ澄まされていたのだと思います。

[引用おわり]

 ぜひ、2012年12月17日(月)の午前6時には、すべての総支部長に駅頭・道路に立ってほしいものです。

 また、激戦区の中では、総支部長(候補者)の年齢がより若い選挙区を優先すべきでしょう。

 第46期衆議院の任期は2016年(平成28年)12月15日までになります。その間に、第23回参院選が2013年7月に、第24回参院選が2016年7月にあります。統一地方選は2015年4月です。かなり長い空白になるかも知れません。第45期衆議院ではある中堅が「野党のころが楽しかった」と言っていました。私もそう思います。当選しさえすれば、与党でも野党でも歳費は同額です。もちろん、野党は後半国会(衆院では3月~6月)では、1週間に2つの委員会で30分ずつ質問しなければなりません。若手、中堅は複数の委員会を掛け持ちし、会派への割り当て時間が短いので30分ほどですが、1週に2本はけっこうきついようです。もちろん、それは当選できた人だけです。月曜日に駅頭をした後は今後の身の振り方を考えないといけません。例えば、衆議院事務局に提出している国会議員収支等報告書を読むと、安住淳さんは不動産所得が年間230万円あります。ああいう風にハッキリと物を言えるのはそういった環境もあるのでしょう。経済的な自立をしっかりしないといけません。民主党が与党になって、1期生議員というのは、ずいぶんと党幹部の顔色うかがいをするものだな、と感じました。野田さんが有権者の顔色をうかがっていたのとは大違いです。

 野田さんは特別国会まで首相ですが、いつまで代表でいるかは分かりません。2012規約では、今年中に代表選をやった場合新代表は、野田代表と同じく2015年9月末日までの任期になります。年をまたぐと、2016年9月末日までになりますが、その間に参院選が2回はいるので、これは、けっきょく、今年やってしまっても同じことになるでしょう。

 そして、2月の衆院予算委員会では、NHK入りの日はすべて代表が質問に立つ。そしてその日のうちに日本のもっとも離島か、もっとも奥地に行き、午後7時から地元総支部長主催の集会で語らう。昼間NHKに出ていた人が、目の前にいる。そうやって足腰を鍛え直して、中間テストとして参院選に47都道府県すべてに公認候補を立てて、衆院総支部長、県議、市議が連動するシステムを確立する。自民党的ですが、このやり方に、自民党も民主党もありません。

 民主党は野党で強くなった政党です。国会審議で強くなった政党です。政策調査会の部門会議と、国会対策委員会の副委員長と、衆議院委員会の理事がうまく連動したときに、初めて民主党の力が出ます。そして、これからは、295総支部が毎月の調査リポートも含めて、全国津々浦々の情勢を党本部に届けるシステムが加われば、十分に政権復帰できます。それと、まかりまちがっても、連合と一線を画すべきだと、という主張には耳を貸すべきではありません。民主党と連合は一蓮托生であり、連合あっての民主党です。地域事情はさまざまでも、その程度のことを腹にため込めない総支部長は小選挙区に立つべきではありません。

 さて、悲観論はこのくらいにして、情勢調査はマスコミの間違いかも知れませんから。

 300総支部すべてで、残り6日間、一人でも多くの支持者を獲得するために努力しないといけません。足腰の強い総支部をつくらないといけません。

 赤坂で同僚同士飲んでいても無駄だと私は断言していました。私は与党の3年3ヶ月で一番痛感したのは「財源が無いと何もできないんだなあ」という当たり前のようだけど、まだうまく言葉で説明ができないことです。しかし、赤坂で飲んでいても無駄だという考えは終始一貫変わらないし、現実にそう後悔している人も多いでしょう。議員連盟も衆参ねじれの突破口にできなければ、一部の二国間友好議員連盟を除き、無駄でした。

 ものすごくきつい状況です。しかし、一つだけ言えるのは、月曜日に駅頭に立って、マイクを持つようではいけません。「おはようございます」のひと言で良い。そして、心の中でただ、ひと言こう言うべきです。

 「私は、私たちは、いったい何がいけなかったのでございましょうか?」 


藤村修官房長官、内閣改造時に野田総理の「選挙に戻れません」に「分かりました。私は責任を完遂します」

2012年12月09日 10時38分59秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

 野田佳彦首相(民主党代表)は選挙サンデーの2012年12月9日のNHK日曜討論で、「内閣改造の際に官房長官を呼んでお願いしたんです。私は(8月8日の自民党・公明党党首との「近いうちに信を問う」との約束を果たすために)近いうちに解散をします。ということは、官房長官は(大阪7区の)選挙に戻れません。(橋下徹大阪市長ら日本維新の会で躍進で)厳しい選挙になりますが引き受けてください」と。その時に、藤村修官房長官は「分かりました。私は責任を完遂します」と言いました。とし、総理は「彼は覚悟をもって公務優先にあたっているはずです」と語りました。

 大阪7区には、日本維新の会新人の上西小百合さん、日本共産党新人の石川多枝さん、自民党元職で小泉チルドレンの渡嘉敷奈緒美さん、日本未来の党前職の渡辺義彦さん、民主党前職の藤村修さんの5人が立候補しています。
 
 貧すれば鈍するとはこのことで、藤村官房長官は劣勢が伝えられる大阪7区に帰った際に、番記者に対して、北朝鮮が予告しているミサイル(人工衛星)発射について、「早く上げてほしい」とし、選挙運動に専念したいがゆえの失言をしてしまいました。永田町・霞が関の情報交差点である官房長官の番記者に対する失言は通例報道されませんが、政権末期が近いために報道されてしまったようですが、とはいえ大失言です。

 野田さんと藤村さんは1993年政権交代ある政治を目指して日本新党公認で立候補し、当選した35人の新人で、当選直後に細川内閣樹立を達成しました。その後、野田さんは落選を経験し、新進党解党を経験。その後、民主党に合流してからは、野田さんを総理にする会である「花斉会」(かせいかい)を設立。野党時代は20人ほどのメンバー。リーマンショック前でまだ景気がそこそこだったころには、パーティールーム(カラオケ付きのソファで揚げ物を食べたり、お酒を飲んだりするところ)で会合を開いたり、安い居酒屋で飲んだりするという自民党はおろか民主党でも珍しい文化を持ち、異端視されました。しかし、そのかわりにこの20人は結束がたいへん強く、藤村事務局長、手塚仁雄さん、蓮舫さん、近藤洋介さん、武正公一さんら、野田会長(総理)とともに心中する心構えができた珍しいグループです。

 野田さんが内閣改造のときの官房長官との会話を披露したことについて、日本維新の会代表で、元自民党清和会閣僚の石原慎太郎さんは「そんなことここで言うことはない。何のために来たんだ、おい」と不規則発言をしました。清和会の後輩にあたる自民党の安倍晋三総裁(シャドウ首相)は悪天候のため、前日、北海道から帰れず中継で出演しました。 


◎1期生の玉木・後藤・岸本・緒方・大西・小山・櫛渕・石井が当落線上 勝てば一気に代表候補だ、電話を!

2012年12月09日 00時00分00秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

[写真]静岡3区の前職、小山展弘(こやま・のぶひろ)さんの支持者がつくった事務所の郵便受け、2012年12月3日(月)、静岡県磐田市内、筆者撮影。

 最初で最後の選挙サンデーです。

 とにかく100議席はとらせていただきたい。

 国会傍聴記としては、民主党が衆議院115議席のときをよく見ていました。これだと、衆議院予算委員は12人が獲得できるわけですが、国土交通委員会でガソリン国会で火を噴いているときは、テレビ入り予算委員会の集中審議に抜擢して、パネル入りで与党を攻撃しました。

 この3年3ヶ月間は、政権交代し、自民党が119議席ということで、ベテランが多い中、意外な人が攻撃的で野党的だったりしました。

 郵政選挙は民主党は小選挙区で52とりましたが、今回は比例が厳しいので、何とか70~80区勝たないと、110~120議席になりません。参院第1党でも衆院が党執行部、ネクスト・キャビネット、議院運営委員、国会対策委員、各委員会筆頭理事らで回していくには、110~120議席必要です。

 公示日と公示翌日に、読売、朝日、日経の10万人以上の電話調査があり、6日付で議席予想、6日付読売、7日付朝日、日経で各選挙区の情勢が掲載されました。大変衝撃的な数字でした。このうち、二大政党の占拠率がどの程度になるかというと、第45回衆院選直後では88%でした。これが解散当日には73%まで減っており、これに関しては一方的に民主党の責任であり、申し訳ないのひと言に尽きます。そして、読売・朝日・日経の調査では、現段階で二大政党の獲得議席予想は71%にまで落ちそうな情勢です。しかし、参院ではどの党も過半数に遠く及ばないのですから、二大政党が政権交代をし、そのたびに、官邸や霞が関の情報が表に出てくる政治を私たちは獲得すべきです。衆院選は民意の集約、参院選は民意の反映ということで、衆院は総理大臣をつくる選挙ということを徹底したいと考えます。

 二大政党政治の実現で、人材登用が早くなりました。あの暑い夏の総選挙の直前、警護官(SP)が誰もいない民主党ホールで、記者会見の司会を終えて、ソファで、一服していたノーネクタイの衆院議員。スポーツ新聞の記者から「すいません、都議会議員選挙のことで、お話ししていいですか」と声をかけられ、「私で良いんですか?」とあわててタバコの火を消していました。その人が2年2ヶ月後には内閣総理大臣になる。それが政権交代ある政治のダイナミズムです。

 情勢調査によると、2009年初当選の「政権交代チルドレン」のうち、玉木雄一郎さん、後藤祐一さん、岸本周平さん、石井登志郎さん、緒方林太郎さん、大西健介さん、櫛渕万里さん、小山展弘さんが横一線の情勢です。友人とか党内系列とか関係なく言います。何とか、玉木、後藤、石井、緒方、大西、小山、櫛渕、それから50歳代ですが、岸本さん。この8人。ここでも私の中では「仕分け」をしていて、心苦しいばかりですが、心を鬼にして、この8人は絶対に小選挙区で勝たせないといけない。

 これは民主党員に限りませんよ。日本のためです。また全国民主党員に言いたいのは、玉木雄一郎。この人は通せば、一気に近いうちに代表候補です。例えば、大平正芳首相は党内政局の上、亡くなりました。中選挙区時代でも政治家を消耗するシステムが日本にありました。大平先生の出身地は香川です。玉木さんをここで立派に小選挙区で2回生にすれば、早ければ今月にも代表かもしれませんよ。仮に民主党代表が連立閣僚にならない場合は、玉木代表で、ベテランが幹事長で脇を固めて、来夏の参院選にのぞむ可能性もあります。真夏の参院選でも玉木さんは43歳だから、大平先生のように倒れません。これは民主党員に限らず玉木雄一郎を育てなければ行けません。玉木さんのブログに奥さんが記したところによると、「息子の尊敬する人は、お父さんです。玉木が、家族のためにも、日本のためにも必死で戦っていることを、息子なりにしっかり受け止めているようです。息子は世界の偉人伝を読むのが好きで、リンカーンやガンジーなどの偉人の写真を自分の部屋に貼っているのですが、その一枚にお父さんの写真が並んで貼ってあります」とのことです。

 日曜日です。電話してください。玉木さんの香川2区は坂出市、さぬき市などです。電話してください。香川2区には、民主党前職の玉木雄一郎さん(43歳)、自民党新人の瀬戸隆一さん(47歳)、日本共産党新人の佐伯守さん(52歳)が立候補しています。次のエントリーも参考にしてください。

[当ブログ内エントリーから引用はじめ]

心強い、玉木雄一郎さんカメラ目線でついにテレビデビュー 

2012年03月01日 21時46分30秒 | その他












[引用おわり]

 第45期参議院で法案答弁のために参議院本会議の壇上に立ったのは、後藤祐一さん一人だけです。さらに、震災国会では、参院第1委員会室で、菅直人首相に向かって「総理、これじゃダメなんです」と言ったのが後藤さんです。神奈川16区です。厚木市や伊勢原市、愛甲郡、相模原市に新しく合併した旧町村です。日本維新の会新人で吉本芸人の富山泰庸さん(41歳)、自民党新人で参院から院替えした「ヤンキー先生」こと義家弘介さん(41歳)、民主党前職の後藤祐一さん(43歳)、共産党新人の池田博英さん(50歳)が立候補しています。なお、自民党新人は長野県出身で横浜市内に自宅があるように理解しておりますが、地元で活動しやすい状況なのでしょうか。後藤さんは厚木高校ですので、その仲間にも期待です。 

[当ブログ内エントリーから引用はじめ]

民主党1年生議員の後藤祐一さん、参院本会議での答弁を実現 法案提出者として

2011年06月13日 21時29分52秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意











「総理、これじゃダメなんです!」民主党1年生の後藤祐一さん、岸本周平さんが答弁 元気の源は?

2011年06月14日 23時59分59秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

[写真]民主党1年生議員の左から後藤祐一さん(神奈川16区)と岸本周平さん(和歌山1区)

[引用おわり]

 和歌山1区は和歌山市です。1期生ながら、民主党税制調査会事務局長を経て、経済産業大臣政務官になった岸本周平さんが56歳ですが、優秀なチルドレンです。和歌山1区には、民主党前職の岸本周平さん(56歳)、日本維新の会公認で元自民党衆院議員の元職、林潤さん(40歳)、自民党新人の門博文さん(47歳)、日本共産党の国重秀明さん(52歳)が立候補しています。このうち、自民党の門さんは、長年やった県議の息子さんと認識しています。お父さんはよく東京の勉強会でお会いしたことがあります。

 福岡9区は、北九州市若松区、八幡東区、八幡西区、戸畑区で、いわゆる北九州工場地帯です。北橋健治・北九州市長が長く当選してきました。ここには、日本共産党新人の真島省三さん(49歳)、日本維新の会新人の荒木学さん(47歳)、自民党元職の三原朝彦さん(65歳)、民主党前職の緒方林太郎さん(39歳)が立候補しています。 

[当ブログ内から引用はじめ]


緒方林太郎さんが語った「国家の存続」 特例公債法案、衆財金委審議入り

2012年11月10日 09時02分10秒 | 第181臨時国会(2012年10月)7奉行内閣












[当ブログ内から引用おわり]

 愛知13区は碧南市、刈谷市、安城市など。ここは民主党がずっと勝てた筈の選挙区なんですが、前の人がさぼっていたらしく、また、新幹線三河安城駅前の新住民の方に浸透できずに、取りこぼしていた選挙区ですが、前回大西健介さんに候補者がかわり、初出馬初当選しました。愛知13区には、自民党新人の大見正さん(54歳)、日本未来の党前職の小林興起さん(68歳)、民主党前職の大西健介さん(41歳)、日本共産党新人の宮地勲さん(58歳)も立候補しています。大西さんも党にとって重要な選挙区を任せられるだけあって、当選前から同じ県連内に政治とカネの問題が起きたときには早くから辞任要求をしました。物言える政治家です。

[当ブログ内から引用はじめ]

【前田マルチ事件決着】小沢代表、「自分で考えろ」→前田雄吉さん、離党・不出馬へ

2008年10月16日 01時16分08秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代
 

 [写真は10月14日の記者会見で前田議員とマルチ商法企業に関する質問を神妙な面持ちで聞く民主党の小沢代表]

 前田雄吉・衆院議員(愛知6区比例復活)は15日夜、民主党を離党し、第45回衆院選に出馬しないことを決めました。小沢一郎代表との話し合いで表明しました。

 前田議員は、マルチ商法企業から資金提供を受けて、複数のマルチ商法企業の事実上の広告塔といえる役回りを演じていました。衆院予算委員会でマルチ商法を擁護する質問を4年連続で経産省、国民生活センターにぶつけ、「ひどいじゃないですか」「外国では当たり前」「来年もまた同じ質問をします」などという特定団体との利害関係が見え見えの幼稚で悪質な発言を続けていました。

 前田さんは民主党内で小沢代表を支持する当選1~3回生でつくる選挙互助グループ「一新会」の事務局長=辞任=でした。

 このため、小沢代表自身が14日夜、個人事務所に前田さんを呼んだそうです。「他に献金はないか」と確認した後、前田さんに対し「(対応は)自分で考えろ」と指示したようです。民主党幹部の間で、「厳しい対応が必要だ」との声が高まり、前田さんが15日夜、小沢さんを訪ね、「党に迷惑を掛けた」として離党と衆院選不出馬を申し出たようです。

 結果としては、一番いい格好になったと思います。

【同じ県連の新人候補がブログで批判】

 とりあえず、民主党の危機管理はうまく言ったと思います。

 その中で、非常に感心するできごとがありました。

 愛知13区総支部長の大西健介(おおにし・けんすけ)さんが14日付のブログで、前田さんを批判していたことです。大西さんは前田さんと同じ愛知県連。前田さんは48歳の当選3回生、大西さんは37歳の新人です。

 大西さんは「その言葉を待っていました!」と題したエントリーで、小沢代表が記者会見で「非常に不適切な行為だ」と語った報道にふれた上で、

(引用はじめ)

 本件に関して、鳩山幹事長が前田議員を擁護するかのような発言を行った時には、内心、がっかりしました。

 しかし、このニュースを読んですっきりしました。前田議員は党内の小沢代表を囲む政策グループの事務局長ですが、不適切なものは不適切と断じるこの毅然な態度こそ国民が求めているものだと思います。
(引用おわり)

 として、小沢代表の発言を評価し、前田議員を公然と批判しています。

 愛知13区は碧南市、刈谷市、安城市、知立市、高浜市で構成。民主党は最初の第41回衆院選では小選挙区で勝ちましたが、その後3連敗。ところがここは全トヨタ労連の組合員が多く住むベッドタウンなので、3連敗はあり得ない選挙区だと思います。民主党の初代政調会長で、副代表やネクスト外相を務め、現在は議員を引退し、トヨタ車体工業の監査役をしている伊藤英成さんは中選挙区分割時には、愛知13区から出馬した方が有利だと考えていたけれども、トヨタ自動車本社があるのが愛知11区(豊田市、西加茂郡)なので、そこから出馬することになったそうです。分割した地盤は島聡さんに譲りましたが、島さんは前回落選直後にソフトバンク社長室長に転じてしまいました。ちなみに島さんも前田さんも松下政経塾員です。

 大西さんは京大法学部在学中に第1回の政策秘書試験に合格。卒業後は参院事務局に入り、外務省からワシントン大使館に派遣され米国連邦議会(キャピタル・ヒル)ウォッチを担当。帰国後、馬淵澄夫(まぶち・すみお)さん(奈良1区)の政策秘書をしていたそうです。そして昨年公募に合格し、愛知13区にパラシュート(落下傘)。

    [大西健介さん]

 大西さんのことはあまり知らなかったのですが、民主党総支部長にこれだけ潜在性のある人材がまだまだいることに驚きました。

[引用おわり]

 静岡3区は磐田市、掛川市、袋井市、御前崎市、浜松市天竜区の旧竜洋町です。自民党新人の宮沢博行さん(37歳)、日本共産党新人の岡村哲志さん(62歳)、民主党前職の小山展弘さん(36歳)、日本維新の会新人の鈴木望さん(63歳)です。私は前回の土曜日から月曜日にかけて、この選挙区に行ってきました。ていねいに組織周りを束ねる小山さんに手応えを感じましたが、広い選挙区なので、そうでもなく、2番手になっています。磐田市出身者が3つ巴という、静岡3区では初めての構図ですが、全域でのご支援をお願いしたいところです。

[当ブログ内エントリーから引用はじめ]

小山展弘・衆議院議員がまさに順風満帆の初質問

2010年02月19日 20時41分39秒 | 第174常会(2010年1月)反動、菅内閣


[引用おわり]

 さらに、当ブログ内でのエントリーはありませんが、東京23区の櫛渕万里(くしぶち・まり)さんです。町田市と多摩市です。ここには、日本未来の党新人の石井貴士さん(39歳)、日本維新の会新人の伊藤俊輔さん(33歳)、みんなの党新人の白川哲也さん(31歳)、民主党前職の櫛渕万里さん(45歳)、日本共産党新人の松村亮祐さん(32歳)、自民党新人の小倉将信さん(31歳)です。


[写真]櫛渕万里さん(東京23区)。

 そして、兵庫7区(芦屋市、西宮市)の石井登志郎さんです。私の尊敬し、この19年間私と党籍が一致する2人しかいない国会議員の一人、石井ピンさんの甥っ子ですが、ピンさんの地元神戸市中央区とは違う選挙区から出ています。兵庫7区には、みんなの党新人の畠中光成さん(40歳)、日本共産党新人の浜本信義さん(59歳)、民主党前職の石井登志郎さん(41歳)、自民党新人の山田賢司さん(46歳)です。ちなみに、山田候補も芦屋出身ではないでしょう。高級住宅地で立候補しようとする人は、より身の程をわきまえた人が必要です。


[写真]石井登志郎さん(兵庫7区)。

 ブログゆえ、細かい点の間違いがあればご容赦ください。

 このほか、2期生以上で当落線上のうち、次のみなさんも政権交代ある政治において、第2党(バックアップ政党、女王陛下の反対党)に必要なみなさんです。

 埼玉1区(さいたま市の見沼区、浦和区、緑区、岩槻区)の武正公一さん

 
[写真]武正公一さん。

 埼玉15区(蕨市、戸田市、さいたま市桜区、南区)の高山智司さん

 
[写真]高山智司さん。
 神奈川12区(藤沢市、高座郡)の中塚一宏さん

 
[写真]中塚一宏さん、内閣府行政刷新会議YouTubeからキャプチャ。

 この3人。

 もっとお願いしたいところですが、きりがありません。地元の事務所を訪ねて、公選ハガキを1枚で良いですから書いてください。私は地元に公認候補がいないので、隣の選挙事務所まで行き、党の証紙入りポスターを6枚もらってきました。例年、国政選挙では4~5枚自宅に張りますが、逆風ゆえ脚立に載って6枚張りました。少しでも気合いを示しました。誰のためでもありません。私の心持ちの問題であり、自分ができることは何かを考え、この1週間後悔したくないのです。

 電話してください。メールと違って、長距離料金がかかりますが、故郷へ、懐かしい友人へ、親戚へ電話してください。初恋の人にも電話してください。恋が芽生えるかも知れません。選挙とは人生です。選挙とは特別なものではありません。日本に生きるすべての日本人の人生が凝縮されたのが、総選挙です。だから、初恋の人に電話してください。

 小選挙区で70以上、全体で110議席以上いただけなければ、政権交代ある政治はまた1回やり直しです。

 お願いですから、助けてください。傍観者にならずに、当事者になってください。

 反省しています。

 伏して、伏して、伏して、伏して、伏して、伏して、伏して、伏して、伏して、お願い申し上げます。

 政権交代ある二大政党政治の根を残してください。地域の不満を頭をたれて国政に吸い上げるシステムを残してください。定員20人の委員会も含めて、衆議院を回すためには第2会派は100議席以上必要です。

 どうか、電話一本で、日本の議会制民主政治を救ってください。

山口さん「過去に触れられたくないから未来なんて言っている」と小沢一郎を批判 新進党解党15年目の師走

2012年12月08日 19時00分46秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

 新進党解党から15年目の師走となった第46回衆院選で、山口那津男公明党代表が、太田昭宏前代表を応援しました。東京12区(北区全域と足立区の一部)は、第41回衆院選で自民党公認候補と新進党公認候補の当選確実が出るのが、全国300小選挙区で最も遅く、自民党が28・4%、新進党が27・9%とわずか0・5ポイント差で決着がついていらい毎回激戦となってきました。しかし、今回は太田さんの他には、日本未来の党の前職青木愛さん、日本共産党の新人池内沙織さん、幸福実現党の服部聖巳さんの4人で、二大政党がともに公認候補を立てていないことから、一転して無風区となっています。

 第41回衆院選では新進党公認で東京17区で自民党新人の平沢勝栄さんと激突し苦杯をなめた山口那津男さんと、比例東京ブロック単独2位にまわり当選した太田昭宏さんですが、その後、ともに公明党党首を担うまでになりました。

 山口代表は太田候補を2012年12月7日(金)、応援演説し、「過去に触れられたくないから、『未来』なんて言っている」と批判し、15年前の師走に、旧公明党・創価学会のお金を持ち逃げした小沢一郎新進党党首を皮肉りました。そのうえで、比例名簿の提出で混乱したことに触れて、「こんなことでスタートから失敗する政党では、未来は暗くなる」と徹底的に批判しました。

 争点が見えない選挙と言われます。二大政党選挙率は第45回衆院選の直後は88%でしたが、解散時には73%に減りました。これは一方的に民主党のせいですから、申し訳ない気持ちでいっぱいです。しかし、情勢調査では、第46回衆院選での獲得議席予想では、71%にまで落ちてしまいます。しかし、これでは決められない政治は続きます。もちろん、旧自民党と連合、創価学会の新進党と、地方議員・各種団体の自民党なら、もっと安定してスイングする二大政党政治が実現し、私たちの生活はもっと楽な現状だったでしょう。それを壊しのは誰か。それは小沢一郎氏です。この選挙は小沢一郎氏を倒すのが最大の歴史的使命であることは言うまでもありません。

 どうか、自民党の前職・元職・新人を評価するのは良いのですが、なんとか民主党に100議席以上を与えてください。郵政選挙の小選挙区52勝が一つの目安となりますが、比例が厳しいので、なんとか80勝させてもらわないと、政党交付金・議員歳費・公設秘書などで「次の次」の芽が残りません。公示後の電話には規制がありませんから、全国どこでも民主党の激戦区に電話してください。あすは日曜日です。お願いします。メール、手紙は長距離でも料金が同じですが、文書違反になるからできません。電話です。チャットはどうなのかな、分かりません。電話でしたら具体的に「○○候補に投票してください。期日前投票にも行ってね。ご近所にも働きかけてください」とハッキリ投票依頼をして大丈夫です。久しぶりに故郷の気になる人に電話するチャンスでもあります。我が党公認候補はシャープで、力のある候補です。悪いのは小沢一郎氏です。助けてください。お願いします。足腰強く踏ん張っていると思います。あすは唯一の選挙サンデーですから、踏ん張っていると確認したら、電話してください。お願いします。

 新進党15年目でやってきた忠臣蔵。

 石破さんら自民党、山口公明党、野田民主党が力を合わせて、47士が乗り込みましょう。

 小沢・吉良上野介・一郎を倒すときです。

 民自公3党の総力を結集して、

 今度こそ、小沢一郎の息の根を止めましょう。 


◎民主党、地域住民に居場所と出番がある政治の実現へ 調査委託費20万円を継続、支部活動費充実へ

2012年12月06日 05時13分15秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

 民主党最高幹部は都内で記者団に「次の次を目指す」「来夏の参院選での浮上を目指す」と語りました。民主党執行部は、非議員の衆議院小選挙区総支部長が毎月地域に関するリポートを提出するかわりに、個人名義に20万円(源泉徴収後)を振り込む「調査委託費」をこれからも継続する方針。政党基金150億円のうち衆院選で残った分を原資にします。

 総支部のスタッフ人件費・維持費などに充てる支部活動費も月50万円~100万円を確保し、議員秘書の総支部スタッフ転身を促すほか、2015年4月の統一地方選など地方議員転出希望者をかかえる総支部には加算も検討する見通し。代表選では、総支部長も0・5票を持つことなどにも配慮し、郵政選挙と同じく、選挙後2ヶ月以内に第47回衆院選公認内定を出す見通し。総支部長の選定にあたっては、これまでの「2アウトルール」を見直し、当選回数・落選回数に限らず、第46回衆院選の得票数のみならず、個人後援会の名簿人数、選挙区在住者にかかわらず個人献金者数や選対コアメンバー15人が確保てきているかを点検。改正公職選挙法による新区割りに対応できるように柔軟な後援会づくりを重視します。連合地方協議会など党全体の支持団体との関係では総支部長の言い訳は認めない意向です。そのうえで、総支部の数は改正公職選挙法により全国295総支部以内にし、比例単独の総支部は設けない考えです。

 民主党は来夏の参院選での党勢拡大をめざして、47都道府県すべてに候補者を擁立することを目指しており、各総支部が一丸となって県連をまとめ上げて、参院選をたたかう姿勢を強化することを考えています。最高裁判所が第46回衆院選を「無効」「やり直し」を命じる可能性や、衆参ダブルの可能性もあり、対応を急ぎます。

 政権交代ある二大政党政治の確立に向けて、次の次へを見すえた動きが始まっています。

 地域住民に居場所と出番がある政治の実現をめざして、立党から14年。

 全国の選挙事務所には、きょうも、公選ハガキを書いたり、電話掛けをしたり、ジャンパーを着て一緒に手を振ったり。自発的な有権者が以前よりも集まるようになっています。

 政治を国民の手に取り戻す。民主党の挑戦はこれからが本番ですo(^-^)o
  


朝日新聞「熱狂の果て」が報じない鳩山スタンディングオベーション男のその後とは?

2012年12月05日 16時52分56秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗


 総選挙となると、新聞社は政治部だけでなく、社会部、経済部、支局もそわそわしてくるものです。私は第42回衆院選で横浜支局で神奈川県内の速報を取り仕切った経験があります。とはいえ、日本経済新聞だけに、「他社が選挙取材でかかりっきりになるのにつられて、日経新聞の本業である経済取材がおろそかにならないように」と東京本社地方部から全国向けにファクスが送られてきました。

 そうはいっても、朝日新聞はさすがで、公示翌日5日付の第一社会面で、社会部ないしは支局の記者が書いた「熱狂の果てーー乱流総選挙」は読ませるものがありました。第44回2005年郵政解散、第45回2009年政権交代選挙を経た第46回衆院選にあたって「工場が次々撤退の浜松」「公共事業が減る新潟」という2本の見出しを立てたルポルタージュ。前日の経済面の農業ルポに続いて、さすがです。

 浜松を含む東海経済圏・中京工業地帯はリーマン・ショック・震災・タイ洪水の後も、日本経済を先導してきましたが、内閣府の地域経済動向では、全国11地域の中で唯一「東海地方は悪化している」となっています。これまでが良かっただけに、真っ逆さまに落ちつつあります。こうなると、現与党には選挙情勢が厳しくなるのは、議会制デモクラシーの先進国では当然の法則です。

 朝日ルポで登場した機械部品加工業の70歳代の男性は、ここは静岡7区になりますが、05郵政選挙のときに、JR浜松駅前広場に小泉純一郎自民党総裁(首相)の演説を聴きに行った話も載っています。JR浜松駅前は静岡8区になります。静岡8区は浜松市のうち、中区(花川町・西丘町を除く)、東区、南区(増楽町、高塚町、東若林町、若林町を除く)で構成しています。第46回衆院選には、自民党公認で前職の塩谷立(しおのや・りゅう)前自民党総務会長・元文部科学大臣、日本未来の党公認で新人の太田真平さん、民主党公認で前職の斉藤進さん、日本共産党公認で元職の平賀高成さん、みんなの党公認で新人の源馬謙太郎さんが立候補しています。第45回衆院選では斉藤進さんが得票率48・9%で当選し、塩谷立さんが得票率45・4%(惜敗率92・82%)で比例東海ブロックで復活当選しました。

 
[写真]自民党の塩谷立前総務会長

 朝日ルポによると、社長さんは浜松創業の世界的メーカーの1次下請けとしてオートバイのアルミフレームを30年間納入し、繁忙期は夜10時過ぎまでの機械を動かしてきましたが、公示日、「もう3日間、機械は止まったまま。おまんま食い上げだよ」と語ったとのこと。2005年郵政選挙では、JR浜松駅前広場で小泉純一郎自民党総裁に「古い組織から、目新しい人が出てきたんだから」と魅力を感じたそうです。その1年後に、世界的メーカーは国内市場の低迷から二輪車生産を熊本県に集約すると発表し、2009年3月に生産を終了し、発注はピタリとやんだそうです。2007年から2010年にかけて浜松市の製造業者数は2900→2300に減りました。2009年8月の政権交代で「何かが変わるかもしれない」。それから3年余り。家族3人で乗用車の部品加工でしのぐが、立場は2次下請けに。「改革、マニフェスト、皆だめだった。もう失敗できない。余力、ないもん」。ーー投票先はまだ決めていない、と朝日記事はまとめています。

 ◇

 2009年夏。政権交代。

 朝日新聞は、政権交代後、事実上初の国会となった第173回臨時国会召集3週間後の朝日新聞日曜版の1面企画記事は次のような書き出しで始まります。

[2009年11月15日(日)付け朝日新聞1面「政権交代60日目」から引用はじめ]

 スタンディングオベーションの仕掛け人--。夕刊紙にこう報じられた。

 10月26日、鳩山由紀夫首相の所信表明演説。2列目に座っていた斉藤進氏(39)は演説が終わると同時に思わず立ち上がった。だれに指示されたわけでもなかったが、「遊説で私の手を離そうとしないおばあさんがいた」と紹介した、自殺で息子を亡くしたお年寄りのくだりに感極まっていた。

 そんな斉藤氏が、近く自らも国会の舞台に立つ。委員会で質問する機会を得たのだ。

 東京・小平市議だった06年5月、党の公募に応じ、1年後に母親の出身地・浜松市を含む静岡8区の立候補予定者になった。総選挙まで2年間、延べ3万軒を自転車で回り、有権者の声に耳を傾けた。

 「昨夏に汗をかきながら寄って下さった時、好感の持てる方だと感じました」。当選直後にメールが届いた。夫が慢性骨髄性白血病で3千円の薬を毎日4錠飲む、月8万円の出費は苦しい--。自己負担を軽くしてほしいと訴える内容だった。

 斉藤氏は、政務三役と民主党議員の対話の場である、厚生労働省の政策会議で訴えようと意気込んだ。だが、10月13日の初会議は指名すらされなかった。旧知の厚労政務官に駆け寄って「どうすればいいのか」と聞いたが、「質問は厚生労働委員会でやって欲しいが、難しいかもしれない」。

 11月6日夕、その厚労委の理事から、質問を希望するかどうかの調査票が回ってきた。締め切りまで1時間。支持者から要望が寄せられていた不妊治療の問題とあわせて2項目を記し、ファクスで送り返した。

 希望はかなった。国会図書館に足を運んで厚労省や社会保険庁の資料を集めた。議員会館には弟と大学弁論部の後輩しかおらず、ほとんど1人でこなした。脱官僚依存に反するかも知れないと、官僚を呼んで説明を求めることはしていなかったが、同僚に相談したら「もう何度も会っているよ」。早速、厚労省や衆院調査局に電話した。

 13日。議員会館の事務所を厚労省課長補佐、衆院調査局スタッフが相次いで訪れた。これまでの勉強の成果を確認するような質問を重ね、レクチャーは計3時間に及んだ。

 委員会質問は18日の予定だ。それに向け、16日にはメールをくれた女性と会う。「声を上げられない人の声を誰かが訴えないと、国政も動いていかないと思う」

(後略)

[引用おわり]

 当ブログでは第173回臨時国会召集初日のエントリーで「所信表明で異例のスタンディングオベーション 起こしたのは新人の斉藤進さん」と書きました。


[画像]鳩山首相の所信表明演説が終わるやいなや、立ち上がって拍手した斉藤進議員、2009年10月26日、衆議院インターネット審議中継から。


[写真]斉藤進議員が立ち上がったのにつられて、総立ちになり拍手するスタンディングオベーションを鳩山首相に送る民主党議員たち、2009年10月26日衆議院本会議、テレビニュースから。

 この日の私の国会傍聴ノートをみると、「2時2分 議長入場。総理、拍手すごい、ひな壇」とかかれ「あの暑い夏の総選挙の日から2ヶ月~~」と演説が始まったことが見て取れます。そして「2時18分 ミスがおこってもそれをかくさずにーー」との演説の部分では赤い鉛筆で丸囲みにし、「ディスクロージャー」と書きなぐった当時の私を思い出します。ただ、「私の尊敬するアインシュタイン博士」との下りでは、ノートの欄外に、「きょうは外交官の傍聴が多いけど、メッセージなのか」という趣旨のメモをしています。そして「2時55分」「ねらっていた? 斉藤進さん、立ち上がる→○国対副委員長渋々→全体 さらに菅副総理、岡田外相、ひな壇は2人だけ」とのメモがあります。このときの映像については、「某国のようだ」などの声がネット上で流れ、民主党1期生を「フラワーロック隊」と揶揄するようになりました。


[画像]初当選直後の斉藤進衆議院議員、画像中央、2009年、NHKスペシャル「永田町権力の興亡」から。

 そして明くる2010年の第174回通常国会。1月29日の鳩山首相の施政方針演説の本会議での私のノートには「民主党はひな壇 関係(者)入場に拍手なし。(与党閣僚席である)ひなだんに座るまで(結党以来)11年もかかったのにあっという間にその価値は忘れられました」とメモ書きしてあります。「命を守りたい。命を守りたいと思うのです」という施政方針演説の終了後、斉藤さんは立ち上がらず、スタンディングオベーションも起きませんでした。これが大事。しっかりと休符を打っている。斉藤さんの静岡8区内にある浜松アクトシティには世界を代表する楽団が演奏し、新幹線を使って全国からファンが集まりますが、その浜松アクトシティで指揮がとれそうなメリハリ。目立つだけではなく、目立たないことも政治の大事な要素です。私はここに斉藤進さんのメリハリを感じます。

 鳩山内閣は9ヶ月間で、支持率が70%→20%へと真っ逆さまに落ち、退陣直後の公示された第22回参院選で民主党は大敗。衆参ねじれのまま、大震災を迎え、第45期衆院は解散しました。

 その後の斉藤さんですが、こちらは解散4時間前の斉藤進・衆議院議員(当時)です。ごらんのように元気です。


[写真]3年3ヶ月の議員生活を過ごした議員会館自室でポーズをとる斉藤進・民主党衆議院議員、2012年11月16日(金)の解散4時間前、筆者撮影。

 この3年3ヶ月間、斉藤さんは衆議院厚生労働委員を務めました。当選前のリーフレットには「1税金の無駄遣いを一掃!」「2誰もが安心して暮らせる国へ!介護、医療、障害者福祉、子育て、教育、年金」と書いてあります。そして直近のビラには、「格差を縮めて誰もが安心して暮らせる社会をつくる」として、「政権交代以前は、新自由主義と呼ばれるような、行き過ぎた規制緩和や社会福祉切り捨てなどの諸政策が当時の(自民党の)政府により行われ、医療や介護、障がい者施策、雇用の分野を含め、様々な制度が壊され、多くの方々が苦しむ結果となりました」としています。そのうえで、「私は、政治は誰もが人生を送る中で、その立場になりうる弱い立場の方々を支えるためにある」と書いています。当選後、議員特権を自慢し、酒池肉林に溺れ、ふんぞり返った傲慢な人も目の当たりにしました。が、斉藤さんはこの3年3ヶ月間ぶれていないし、謙虚だったように、私は感じました。

 もちろん、与党とはいえ1年生ですから、第45期衆議院において特筆すべき実績はありません。上の写真のように、厚生労働関係が8割、地元関係が1割、各種団体・役所から寄せられた要望書や資料をていねいに整頓しているとはいえ、山積みになっている斉藤議員の姿があります。これが一つの実績です。そしてもう一つ。

 
[写真]解散の朝の、衆議院青山仮議員宿舎、筆者撮影。

 斉藤さんが3年3ヶ月、東京で寝起きしたのは、青山宿舎(仮宿舎)です。お化けがでそうな古くて狭い建物です。家賃も安い。

 ご存じの通り、民主党議員は都内に自宅などを持っている人が少ないため、政権交代で、赤坂議員宿舎が満杯となりました。そのため、1期生のうち、年齢順に赤坂宿舎に入れるよう民主党国会対策委員会が手配したのですが、斉藤さんは現在42歳ですから、赤坂宿舎に入ろうとすれば入れたのでしょうが、家賃が安い青山宿舎に入りました。

 民主党政権の実績は仕分けです。そして、消費税が再来年4月から上がりますので、その増収分をどのように分配するか、第46期衆議院では、より仕分け力がある議員が必要になります。そのための議員は高潔でなければならないと私は考えています。とはいえ、景気が悪ければ、現政権与党に鉄槌を下すのが、議会制デモクラシーの先進国でみられる傾向。そのような投票行動が我が国でも主流になるでしょう。こういった観点から、私は興味深く、この選挙区を見守っているところです。様々な要素を含んだ議員仕分けがなされます。

 
[画像]JR浜松駅前の「出世の街 浜松」の看板。

 「出世の街 浜松」。しかし、今、日本でも有数の雇用難にさいなまれています。リーマンショックの2番底があるとは思わなかったでしょう。浜松の社長さんは「今月いっぱいで工場を閉めればギリギリ収支トントンになるから、今月で会社やめるから」とあっさり言うこともあるようです。斉藤さんは衆議院東日本大震災復興特別委員もやりました。第177回通常国会(震災国会)の7月13日には質疑に立ち、「震災から四カ月が経過しました。この間、私も、岩手、宮城、福島の各被災地に赴きまして、瓦れきの撤去やヘドロの除去といった支援活動を初め、避難所のニーズや被災者、事業者向けの雇用の特例制度の運用状況、原発作業員の方々の健康管理、環境改善などの調査活動を行ってまいりました」と話しています。このころの斉藤さんは「もう3週間も妻と子どもの顔を見ていないんですよ」と嘆きながら、被災地に行きっきりになっており、同僚から「斉藤さんはまだ地元の地盤が固まっていないのに、あんなに被災地に行きっきりで大丈夫だろうか」と心配されていました。浜松も震災によるサプライチェーンの寸断による被害が大きかったようですが、「困ったときには、もっと大変な所に行け」という社長さんが多かったそうで「浜松の人にはそういうところがある」と浜松出張のさいに私は聞きました。本田宗一郎は政経塾こそつくりませんでしたが、その日本経済への貢献は多大です。浜松生まれの斉藤進さんを、第46回衆議院議院総選挙で、浜松の方々がどう評価するのか興味のあるところです。

[朝日新聞過去記事データベースから引用はじめ]

政権交代 60日目)闘病のメール、原動力に 民主1年生、143人の2カ月
2009.11.15 東京朝刊 1頁 1総合 (全3,658字) 

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 スタンディングオベーションの仕掛け人--。夕刊紙にこう報じられた。

 10月26日、鳩山由紀夫首相の所信表明演説。2列目に座っていた斉藤進氏(39)は演説が終わると同時に思わず立ち上がった。だれに指示されたわけでもなかったが、「遊説で私の手を離そうとしないおばあさんがいた」と紹介した、自殺で息子を亡くしたお年寄りのくだりに感極まっていた。

 そんな斉藤氏が、近く自らも国会の舞台に立つ。委員会で質問する機会を得たのだ。

 東京・小平市議だった06年5月、党の公募に応じ、1年後に母親の出身地・浜松市を含む静岡8区の立候補予定者になった。総選挙まで2年間、延べ3万軒を自転車で回り、有権者の声に耳を傾けた。

 「昨夏に汗をかきながら寄って下さった時、好感の持てる方だと感じました」。当選直後にメールが届いた。夫が慢性骨髄性白血病で3千円の薬を毎日4錠飲む、月8万円の出費は苦しい--。自己負担を軽くしてほしいと訴える内容だった。

 斉藤氏は、政務三役と民主党議員の対話の場である、厚生労働省の政策会議で訴えようと意気込んだ。だが、10月13日の初会議は指名すらされなかった。旧知の厚労政務官に駆け寄って「どうすればいいのか」と聞いたが、「質問は厚生労働委員会でやって欲しいが、難しいかもしれない」。

 11月6日夕、その厚労委の理事から、質問を希望するかどうかの調査票が回ってきた。締め切りまで1時間。支持者から要望が寄せられていた不妊治療の問題とあわせて2項目を記し、ファクスで送り返した。

 希望はかなった。国会図書館に足を運んで厚労省や社会保険庁の資料を集めた。議員会館には弟と大学弁論部の後輩しかおらず、ほとんど1人でこなした。脱官僚依存に反するかも知れないと、官僚を呼んで説明を求めることはしていなかったが、同僚に相談したら「もう何度も会っているよ」。早速、厚労省や衆院調査局に電話した。

 13日。議員会館の事務所を厚労省課長補佐、衆院調査局スタッフが相次いで訪れた。これまでの勉強の成果を確認するような質問を重ね、レクチャーは計3時間に及んだ。

 委員会質問は18日の予定だ。それに向け、16日にはメールをくれた女性と会う。「声を上げられない人の声を誰かが訴えないと、国政も動いていかないと思う」(小川弘平)

     ◇

 鳩山政権の船出から2カ月。143人の民主党の新人議員たちは、党運営の息苦しさ、政策に関与できないもどかしさを感じながらも、政治主導の一翼を担おうと模索している。1年生たちの試行錯誤を追った。

 

 (2面に続く)

  受け取った名刺1000枚超す 現場の声「我々が伝える」 民主1年生の2カ月

  (1面から続く)

  9月16日、初登院。玉木雄一郎氏(40)は興奮して寝付けず、ホテルから小1時間歩いて午前3時に国会に着いた。一番乗りの同僚と自己紹介や選挙戦の苦労話をしたあと、朝8時の開門まで、携帯電話に登録してある番号を見返しては、4年間の浪人生活に思いをはせた。「いろんな人に助けてもらったなあ」

 それから2カ月。受け取った名刺は1千枚を超えた。連絡先の登録が携帯1台ではあふれ、米アップル製の端末「iPhone(アイフォーン)」を買った。

 香川県さぬき市出身で、父は元農協職員。財務省主計局主査だった05年に「霞が関は机の上で政策を決めている」と香川2区で立候補し、今年2度目の挑戦で当選した。

 妻と子どもを地元に残し、議員宿舎で単身生活。起床は午前5時ごろ。腕立て伏せやスクワットをし、バナナやゼリー飲料の朝食。そして、その日着るワイシャツにアイロンをかける。「大げさに言えば精神統一の儀式です」

 11月12日朝7時半、歩いて衆院議員会館へ。民主党農林水産委員会質問研究会に出た。政務三役と党に残った議員が話し合う場として、省庁ごとに「政策会議」が設けられた。「質問研究会」はその下部組織のようなものだ。

 思い切って手を挙げ、政府に意見が届かないもどかしさを、約100人を前に発言した。「政務三役は忙しすぎて『事務』に追われている。我々が地元を歩き、生の声を聴き、現場の思いを政府へ伝えるべきだ」。2~3人から拍手も起きた。

 党政策調査会が廃止され、国会での与党議員の質問省略も打ち出された。1年生には、地元回り優先や朝の会議への出席のほか、派閥の会合出席は好ましくないといった様々なしばりがかけられている。「小沢幹事長の恐怖政治だ」「新人は言われたことだけやれ、ということか」と不満を漏らす1年生もいるが、公然とは口にしない。

 玉木氏の発言は、こうした中では踏み込んだものだった。「みんなおとなしいと感じる時もある。僕の口は選挙区の人たちの口。あいつ目立ってるな、ぐらいでちょうど良い」

 日中は会議や陳情、面会が重なる。「障害者施設の改装に補助金がもう少し増えないだろうか」と相談を受けると、厚生労働省に問い合わせる。県や自治体が示した補助金の算出式に誤りがあり、1億円の増額が認められたという。支持者から鳩山由紀夫首相のサインを頼まれ、周辺の人たちに頼んでいたら「所信表明演説をした歴史的な10月26日にもらえました」。

 13日には、民主党議員との人脈を作ろうと訪ねてきたフランス大使館員に日仏の政治の違いを説明した。「メニー、メニー、アマクダリ」「私の選挙区の産業は農林水産業。『農業ってかっこいい』と思わせるくらいにならないといけない」

 夜は、会合を終えると事務所に戻る。受け取った名刺や勉強会の資料を整理するためだ。「田中角栄は毎晩その日にもらった名刺を眺め、覚えてから寝た、と聞いたことがある。その域に近づきたくて」

 14日は羽田午前7時40分発の便で地元へ。高松空港で待っていた父の車に乗ると、選挙区の農家を訪ねて回った。「高齢化が進み、畑を耕す人がいなくなる」「不況で得意先の外食産業の業績が悪くなり、農家は安定収入が得られないままだ」。メモ帳に切実な声がつづられていく。

 「今まさに日本は変わりつつあります!」。夜は公民館で国政報告会を開き、玉木氏は詰めかけた男女約80人に説いた。「政権交代で隠されていた世の中の動きが見えるようになってきた。好例が事業仕分け。財務省で予算を担当していたから分かるが、今までは省庁の担当同士の『なれ合い』。一部だが編成過程が国民の前にオープンになった。これは革命的なことなんです」(上地兼太郎)

 

 ◆宿舎 一時はカプセルホテル

 奈良3区の吉川政重氏(46)は赤坂議員宿舎に入らず、1泊4千円のカプセルホテルを寝床にしてきた。朝、歯ブラシや着替えを詰めたバッグを抱えて議員会館に向かう。

 衆院唯一の議員宿舎である赤坂宿舎は家賃9万2千円で、完成時に「豪華で安い」と批判された。「こんな豪勢な所に住めば自分は偉いのだと勘違いする」と入居を希望せず、青山宿舎の改修工事が終わるのを待つ身だ。赤坂宿舎に入居できた新人は約80人で、ホテル暮らしの新人は少なくない。

 借り入れた選挙費用や事務所維持費もあり、経費を切りつめたいとの本音もある。見かねた支援者の紹介で、吉川氏は1カ月前から天理教の施設で寝泊まりさせてもらうように。畳部屋で自分で布団を敷き、洗面台で洗濯する生活だが、「荷物を運ばない分、楽になった」。(下司佳代子)

 

 ◆地元 「北風路線」「太陽路線」

 「スムーズに話し合っていくためにも『鎧(よろい)』を脱いでほしい」。石川3区の近藤和也氏(35)は4日、陳情で初めて議員会館を訪れた地元・珠洲(すず)市の泉谷満寿裕(いずみやますひろ)市長(45)に、挑発的な言い方で自民党と距離を置くよう促した。泉谷市長は「自民を応援したとか、小さなことにこだわらず、いろんな意見を聞くべきだ」と言い返した。次の選挙に向け、首長をどう引き寄せるか。近藤氏は「北風路線」で臨むが、泉谷市長は「彼の発想は自民党を根絶やしにすることだ」と、今のところは平行線だ。

 喫茶店マスターやラジオDJ、建設コンサルタントの経歴を持つ京都1区の平智之氏(50)は「太陽路線」だ。

 政策会議は秘書と手分けして必ず出席。配布資料を名刺交換した地元の人に郵送したり、メールで送信したり。中小企業金融円滑化法の資料は銀行員へ、取り調べの可視化なら弁護士にといった具合だ。「政策決定の過程を有権者に伝えるのは新人の役割だ」(菊地直己、松谷慶子)

 

 ◆仲間 同じ名字や隣県で共闘

 11日、「たまき会」の初会合が国会近くの居酒屋であった。新人研修後のパーティーで、比例近畿の玉置公良氏(55)が名字の読みが同じ玉木朝子(57、比例北関東)、玉木雄一郎(40、香川2区)、玉城デニー(50、沖縄3区)各氏に呼びかけたもので、「官僚主導が進んでいないか。政治主導を貫けるのか。チェックしなければ」と語り合った。

 玉置氏は和歌山が選挙区。世界遺産「熊野古道」がまたがるからと、それぞれ奈良、三重が選挙区の大西孝典(53)、藤田大助(33)両氏と「三県会」もつくっている。(増田啓佑)

[朝日新聞過去記事データベースから引用おわり]

当ブログ内から引用はじめ] 

 政治に必要なのは「言葉と想像力とほんの少しのお金」と言われますが、これに加えて「態度」で政治が動く時代を迎えつつあるといえます。


 「幸せなら態度で示そうよ」という歌がありますが、日本国民だから日本語が堪能とは限らないし、コミュニケーションの取り方が難しい時代です。ネット社会もしかり。だからこそ、今こそ態度でハッキリ示すことが大事です。

 第173臨時会が26日召集され、鳩山由紀夫首相が政権交代後初めての所信表明演説をしました。この演説終了時に「スタンディングオベーション」(立ち上がった拍手を送り讃えること)が起こるという日本の国会では珍しい出来事があり、話題になっているようです。

 今の衆議院本会議場では、「腹切り問答」「粛軍演説」「吉田野坂論争」など様々は歴史的出来事が起きました。2009年10月26日の「鳩山所信表明スタンディングオベーション事件」も議事録には残らないけど、国会史に残るかも知れません。

 私は傍聴席で見ていましたが、このスタンディングオベーションは新人の斉藤進さん(静岡8区)が起こしたように見えたので、直接確認したら、やはりその通りでした。

 斉藤さんは52分間の鳩山スピーチの文脈に沿って、「よし!」「そうだ!」といったあいの手を入れていました。斉藤さんは学生時代に弁論部で活躍していました。中央大学辞達学会というサークルの代表を務めた経験があります。辞達学会は海部俊樹首相が輩出するなど政界に多くの人材が出ています。海部元首相は早大編入学後に早大雄弁会に入っています。傍聴席からかなり遠いので確認は難しいのですが、阿知波吉信さん、坂口岳洋さん、畑浩治さんら数人の新人が演説にあわせて、上手くあいの手を入れているように見受けられました。

 このため興味を持って見ていたら、所信表明終了と同時に議長から見て「右2列2番」の座席(座席番号442)斉藤議員が座席から飛び跳ね、拍手をし、そこから「ウェーブ」ができたように見えました。
 ウェーブは周辺の1年生議員に広がり、徐々に後列の中堅、ベテランの議席にも広がっていきました。中堅の国対副委員長は戸惑った顔をしながらも、ウェーブがやってきたのでしかたなさそうに立ち上がり、やがて、民主党議席全体が総立ちになりました。当たり前ですが、自民党議席は全員座ったまま、拍手もしませんでした。

 ウェーブはさらにひな壇(閣僚席)まで駆け上がり、菅副総理、岡田外相の2人の閣僚も立ち上がって拍手をしながら、鳩山首相が席に戻ってくるのを出迎えました。

 議長の真正面の座席に座っている他の新人は「自民党議員の野次がひどいなあと右を見ていたら、左からウェーブがやってきたので、思わず立ち上がらざるを得なかった」と証言しています。

 斉藤さんは先輩議員からの指示は一切ないとし、アメリカ議会の大統領教書演説で、政策項目ごとに与党議員、あるいは与野党議員が立ち上がって大統領に賛辞を送るのをみて、当然そうするものだと考えていたそうです。

 与党・民主党の新人には、国会での質問の機会や、議員立法、質問主意書の提出など「表現の自由」が制約されるのではないかと懸念しています。斉藤さんはまさに「態度」で意思を示したことになります。

 中央大学で弁論を鍛え、東京都小平市議会議員を経て、浜松市中心部の静岡8区に政治活動の拠点を移してからも徹底的な日常活動で、現職閣僚を破って初当選した政治青年が実質、国会デビュー日に衆院本会議に吹かせたフレッシュな風。

 何だか新しい日本がスタートした感じがしました。

[当ブログ内から引用おわり]

このエントリー記事の本文は以上です。 


◎野田代表、福島・宮城・岩手で第一声し、上野駅前で演説。「年金記録の回復」で自民党と争点化か?

2012年12月04日 20時58分20秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

[写真]二大政党党首。

 第46回衆院選の公示日第一声。

【12党党首が第一声】

 民主党の野田佳彦代表はいわき市、自民党の安倍晋三総裁は福島市とともに福島県で挙げました。このほか、朝日新聞夕刊によると、公明党の山口那津男代表は神奈川県横浜市旭区で、国民新党の自見庄三郎代表は鹿児島県薩摩川内市で、みんなの党の渡辺喜美代表は栃木県那須塩原市で、日本未来の党の嘉田由紀子代表は福島県飯舘村で、日本維新の会の石原慎太郎代表は大阪府大阪市で、社民党の福島瑞穂党首は福島県会津若松市で、新党改革の舛添要一代表は東京・有楽町で、新党日本の田中康夫代表は兵庫県尼崎市で、日本共産党の志位和夫委員長は東京都新宿区で第一声を挙げました。新党大地の鈴木宗男代表は公民権停止中で選挙運動ができないため、北海道札幌市で記者の質問に答えました。12党のうち、党首が第46回衆議院選挙に出馬しているのは、民主党の野田佳彦候補(千葉4区)、自民党の安倍晋三候補(山口4区)、みんなの党の渡辺喜美候補(栃木5区)、日本維新の会の石原慎太郎候補(比例ブロック東京単独)、新党大地の田中康夫候補(兵庫8区)、日本共産党の志位和夫候補(比例南関東ブロック単独)の6候補だけ。平成最初の参院選以降、過半数を占める会派が一度もないなか、どうやって安定した内閣をつくるかも、この衆院選の焦点です。現職議員が仕分けされる中、有権者にも安定政権をつくる責任ある投票行動が迫られています。

【野田代表が福島・宮城・岩手遊説を終えて、上野駅前で演説したので見てきました】

 「すべては東日本大震災の復興、福島の再生からはじまる。」と大書きされた2012マニフェストをかかげる民主党の野田佳彦代表は、福島・宮城・岩手遊説をおえて、新幹線を降りて、上野駅広小路口で午後6時半から演説しました。出がけに父に聞いたら、私の父も60年前、上野駅から東京に降り立ってそうで、今も首都の北の玄関として機能しています。

 当地・東京2区(台東区、文京区、中央区)には、前職として民主党の中山義活さん。元職で日本維新の会の松本和巳さん。新人で、自民党の辻清人さん、 みんなの党の大熊利昭さん、日本共産党の桑名文彦さんの5人が立候補を届け出ました。

 第45期衆議院で、首相補佐官や経済産業大臣政務官をつとめた中山義活さんは「商店街を回ると、最近は「(値段を)まけてくれ」と言われることが多いと聞きます。その分だけ利潤が減ります」と演説したところで「ここで、ちょっとお待ちください」として、救急車の通過を待ち、1分間ほど演説を止めました。この後、「今地元の所轄(消防署の)消防車が行きました。このように危機はいつでも起きます。私たちの政権で法律を変えて、消防車のたらい回しが減りました。私たちは野田総理の判断力を継続させてほしいとして、前回のマニフェストを(政権を担当した)反省を踏まえてつくり直したので今、みなさんにお配りしているので読んでください」としました。

 真冬の師走の選挙に対応して、暖かいモコモコジャンパー姿の中山さん。初の与党議員として過ごした第45期衆議院を振り返り、経産政務官の経験から「日本人は清潔好きなので、新幹線のシステムの評価は高い。私は外国の方には上野駅に来て(新幹線のシステムを視察して)もらっています」「日本の火力発電所は環境面での評価は高く、総理の命令で、インドネシアに行き、発電所を3つ売りました」「ベトナムでは道路を見せてもらったときに、ここが日本のやったところですというところは大丈夫ですが、他の国がやったところは壊れていました」として、「どんどん外国に売ります」とインフラ輸出・トップセールスの継続を訴えました。

 そのうえで、中山さんは「私たち(民主党)は今まで、やったことを説明できないという問題がありました。しかし、その反省を踏まえて、改革を継続していきたい。もう時計の針を戻すことはできませんが、私たちは時計の針を前に進めているという自信はあります」と訴えました。ここで、東北新幹線を降りて、野田代表が登場。



 東北遊説を終えた野田総理。すでに午後6時半過ぎ。この後のNHKニュース7拡大版では、「党首のスケジュールの都合」で自民党の安倍晋三総裁からインタビューがスタート。そこまでして、街頭演説をしようとする、まさに「駅頭演説はNODA」。

 野田代表は、社会保障、経済、原発、外交、政治改革の順で演説しました。

 野田代表は「自民党政権の負の遺産もいっぱい溜まっています。そして、まだ改革も道半ばです。その改革を前に進めるか、後ろに進めるかが今度の選挙の争点です」としました。

【二大政党党首対決は、「消えた年金」の実績争いが最大の焦点になりそうな気配】

 そして、「安倍政権のときに消えた年金記録問題が起きました。みなさんがこつこつ収めた年金がもらえない。そういう問題が起きました。消えた年金記録5000万件を国家プロジェクトとして探してきました」としました。「2850万件、1300万人、1・7兆円見つかりました」として、「私たちが気付き、探さなければ見つかりませんでした」としました。

 これについては、次の動画をご覧ください。第21回参院選(2007年7月29日投開票)にあたっての安倍晋三自民党総裁(総理)の政見放送です。当時の録画の関係で、お尻が切れている関係で、ダイジェスト版にしました。これからの12日間、私も、次の安倍総理(当時)の「いったい社会保険庁何をやってきたんだ」「私の内閣で解決し、最後のお一人までお支払いします」という発言。責任転嫁のうえ、その日亡くなる方もいるのに「最後のお一人までお支払いします」という地頭(じあたま)が弱い発言について、問うていきたいと考えています。



【ふたたび、野田さんの上野演説に戻ります】

 それはさておき、野田演説に戻ります。「政治家の世襲も問題だが、貧困の世襲はもっと問題だ」として、高校授業料無償化法の実績をPRしました。

 社会保障と税の一体改革では、「一番の弱者は将来世代だ」として、バブル期に増税を決断できなかった自民党を批判しました。

 そして、「我々はどの政党よりも、将来世代を考えている政党だ」として改革の継続を訴えました。

 2030年代に原発ゼロをするために、あらゆる政策資源を投入するとしながら、「すぐに原発ゼロにしろという政党もいます」としながら、震災前に電力の3割を原発に依存していたことから、経済的にすぐに原発ゼロにするのは不可能だとしました。

【消えた年金記録を回復できなかった安倍ちゃんに日本を渡していいのか、と問いたい私の第45回衆院選】

 年金記録問題を「社会保険庁いったい何をやっていたんだ」と憤り「最後のお一人までお支払いします」と理論的におかしなことを言ったうえ結果として嘘ついた安倍さんが首相に返り咲いて良いのでしょうか。安倍ちゃんに日本を渡すな。その思いの中で、私も、この12日間、しっかりと議論よりも説得へ、説明へ。自分自身の能力を高めることができるように、しっかりとたたかっていきます。
  


◎さあいよいよ、第46回衆議院議員総選挙が公示 比例代表で二大政党の対応分かれる

2012年12月04日 09時30分36秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

[写真]二大政党党首。

【震災後初の第46回衆院選が公示】

 さあいよいよ、第46回衆議院議員総選挙(第46回衆院選、第46回総選挙)のスタートです。天皇陛下は2012年(平成24年)12月4日(火)、日本国憲法第7条による総選挙を公示されました。内閣の助言と承認によるもので、詔書には野田佳彦総理大臣が副署。民主党員が総選挙公示の詔書に副署したのはこれが初めて。

 
[画像]第46回衆院選を公示する天皇陛下の詔書、2012年12月4日(火)付官報第5940号2ページから、一部キャプチャ。

 あの壮絶な国難、きょねん3月11日の東日本大震災・東京電力福島第一原子力発電所事故から1年9ヶ月、初めての国政選挙。前日午後5時の日経平均株価は9485円18銭(時価総額275兆132億円)、1ドル=82円30銭~82円32銭、1人民元=13・085~13・095円、長期金利は0・705%と異例の低水準。日銀当座預金はナント39兆3700億円もあります。ことしの新語・流行語大賞はお笑い芸人「スギちゃん」の「ワイルドだろぉ」や、今年開業の東京スカイツリーにあやかり「東京ソラマチ」、夏のロンドン五輪の「手ぶらで帰らせるわけにはいかない」、震災後初の日本人ノーベル賞(生理学・医学賞)を受賞した山中伸弥さんの「iPS細胞」などが選ばれました。

【衆院選のルールの確認を】

 衆議院議院総選挙は、小選挙区は全国を300分割した小選挙区(おおむね人口40万人ずつの区割り)と、全国を11ブロックにわけた比例代表の投票用紙2枚。それぞれ単記式(立候補数に限らず、1つのみ記入)となり、小選挙区は立候補者の名前、比例代表は名簿届け出政党の名前のみ記入します。下の総務省ホームページをご参照下さい。

  
[画像]「なるほど!選挙」総務省自治行政局選挙部ホームページから。

【比例名簿で二大政党の対応分かれる。民主党は小選挙区全員が全ブロックで比例重複1位、自民党はまちまち】


 比例の対応では主要政党で対応が異なりました。

 公明党は小選挙区に9人を立候補させ、比例11ブロックに45人を公認します。小選挙区9人は比例重複していませんので、小選挙区で落選すれば第46期衆議院の議席はありません。

 民主党は野田佳彦候補(千葉4区)、岡田克也候補(三重3区)ら小選挙区全員が比例名簿に重複立候補し、かつ小選挙区全員を全ブロックで1位にしました。ですから、日本中どこに住んでいようと、比例代表への「民主党」は、ブロック内で小選挙区で落選した民主党候補のうち、1位(当選)者との得票数の割合である惜敗率が高い人が、第46期衆議院の本会議場の椅子に座ることになりました。民主党の比例単独立候補者は前職3人で、東京ブロック(定数17)の25位に吉田公一さん、北陸信越ブロック(11)の20位に若泉征三さん、中国ブロック(11)の19位に三浦昇さん。いずれにしろ、比例での「民主党」は、ブロック内小選挙区で勝ち抜けできなかったけど、惜敗率が高い人に「次のチャンスの芽」を与えることになります。全国どこでも同じです。

 自民党は比例代表73歳定年制をとっているので、山形3区の加藤紘一さん、京都1区の伊吹文明さん、大阪17区の岡下信子元議員、佐賀3区の保利耕輔さんは小選挙区のみの立候補。このほか、安倍晋三総裁(山口4区)、石破茂幹事長(鳥取1区)、小泉進次郎青年局長(神奈川11区)、三ツ矢憲生シャドウ国交大臣(三重5区)、二階俊博さん(和歌山3区)、福岡10区の山本幸三さん、保岡興治元衆議院議員(鹿児島1区)の7人が比例名簿を辞退。ただし、比例単独1位もいて、北海道ブロック(定数8)は新人の渡辺孝一さんが1位単独で、2位は小選挙区立候補者。東北ブロック(14)は加藤紘一さんを除く小選挙区立候補者、北関東ブロック(20)は1位が小選挙区立候補者全員、南関東ブロック(22)は小泉進次郎さんを除く小選挙区立候補者が1位となります。東京ブロック(17)・北陸信越ブロック(11)は小選挙区全員、東海ブロック(21)は三ツ矢憲生さんをのぞく小選挙区全員、近畿ブロック(29)は伊吹文明さん、岡下信子さん、二階俊博さんを除く小選挙区全員、中国ブロック(11)は安倍晋三さん、石破茂さんを除く小選挙区全員、四国ブロック(6)は小選挙区全員、九州ブロック(21)は山本幸三さん、保利耕輔さん、保岡興治さんを除く小選挙区全員が1位。たいへん分かりにくい対応ですが、ぜひ、ご家族などでよくご確認いただきたいと思います。 

【羽田雄一郎国交相が院替え断念で参院の現有勢力がかわる】

さて、総理大臣をつくる選挙である衆院選では、参院の勢力図を理解した上で、安定政権をつくるよう考えて投票すべきだと11月17日付エントリーで書きましたが、この「公示前日予想」の勢力図にやや違いが出てきました。まず、衆院長野3区で引退した羽田孜さんを世襲して立候補すると思っていた、羽田雄一郎・国土交通大臣が参議院にとどまる決断をしました。


[写真]院替えによる長野3区世襲立候補断念を発表する民主党の羽田雄一郎・国土交通大臣(参・長野選挙区来夏改選)、2012年11月20日(火)、NHKニュース7映像から。

 このため、民主党の議席数は「公示前日予想」より1つ多いことになります(会派離脱中の参議院議長含む)。

 一方、自民党からは安倍総裁の実弟、岸信夫さんが院替えし、義家弘介さんも院替えします。岸さんは2016年夏まで任期があったので、2013年4月28日(日)に補欠選挙が山口県であります。義家さんは比例なので、第21回参院選の次点を近く、中央選挙管理会が繰り上げます。統一会派「たちあがれ日本」の藤井孝男さんも3度目の院替えで日本維新の会東海ブロック1位に名簿登載される見通しとなりましたし、他の2人は政党「日本維新の会」となっています。現有は83議席(副議長含む)とします。

 みんなの党は3人が衆院小選挙区に離党・院替えしますので、3議席減りました。ただし、中央選挙管理会が近く3人名簿から繰り上げ当選させる見通し。現有は8議席となりましたが、総選挙後の第182回国会では11議席に回復する見通し。

 解散時にあった会派「国民の生活が第一」は、政党を解党し、「日本未来の党」として、中村哲治さんら3人が院替え出馬。8議席となります。これはすべて来夏改選の選挙区選出議員なので、来夏まで議席は8議席のままになります。




 このため、現時点では民主党・国民新党の議席占有率は38%、自民党は36%と差が開きました。これも衆院選での投票行動を家族、友人と決定する上での参考になります。

【再来年4月からの消費税増税を前に仕分け力が問われる議員仕分け選挙だ】

 再来年4月から消費税が8%になるので、国庫は5兆円~7兆円の増収となります。第46期衆議院では前の期に続き、税金の使い道を「仕分ける」ことが大事になります。そのためには、仕分けにふさわしい身辺が高潔で、難しい予算書・決算書を読み解く力がある議員かどうか。その「議員仕分け」が今回の第46回衆院選になるでしょう。まずは前職が立候補していれば、過去の国会での発言を国会会議録データベース(国会図書館運営)でチェック。そのうえで前職を「廃止」か「継続」か判定しましょう。

 
【画像】内閣府行政刷新会議事務局の事業仕分けの判定表のイメージ図をお借りして、一部加筆させていただきました。

 そのうえで、前職が「廃止」ならば、その代替策をマニフェストなどを活用して判定。さらに小選挙区と比例代表の2枚をつかって、以下に安定政権を作るか。そのためには、上のように、比例ブロックの人数など衆院選のルールをよく検討し、来夏まで変わらない参議院の勢力図を念頭に置くべきでしょう。そうやって、まずは家族。そこで、投票先を1人1枚ずつ紙に書いて、投票所で書き写し、その紙を保存しておくと、政治に対してほどよい責任感を持てると同時に、ふだんから政治へひと言言える権利を持てるでしょう。あるいは、仲がよい人と、話し合い、もしも投票行動が一致する数人がいれば、「みかんの会」でも「押しくらまんじゅうの会」でも勝手に名前を付けて、推薦状を選挙事務所に届ければ、今回は12党乱立でみんな不安ですから、喜ばれるでしょう。そして、4年の任期中に「ここぞ」というときには、ひと言口出す権利ができるでしょう。他人から自分の背中を見られていると思う人は、単に投票するだけでなく、友人に働きかけたり、特定の1党だけの証紙張りポスターを自宅に張ったりするといいでしょう。メールを書くときは、投票依頼と受け止められる文章は書かないように気を付けてください。特定の1陣営だけの遊説をメール、電話、口頭、インターネットで案内したり、投票所に行くように促したり、自分自身が期日前投票でどういう投票行動をとったか明示することはまったく問題ありません。また、戸別訪問はできませんが、会社のなかで、部下や同僚に投票依頼をすることは戸別訪問にはならないので、問題ありません。公示後ですので、投票依頼をすることは問題ないどころか、当然であり、積極的にすべきです。ただし、インターネット媒体(メール含む)、手紙、手製のコピーなどで投票依頼をすると、これは文書図画の頒布(ぶんしょとがのはんぷ)になりますので、止めてください。また、インターネットで「お礼」を書くことは事後買収の防止のために止めてください。さらに、人気投票を発表することは、選挙賭博を誘引し、投票行為をゆがめますので、謹んで下さい。

 さあ、12日間の選挙戦ですが、長いようで短い。自治体によりますが、期日前投票はあす午前8時半ごろから始まります。

 議員仕分けのために、まずはしっかり家族で選挙の話をするところから始めていただきたいと存じます。3年前の衆院選で「家族から働きかけられた」人はわずか9・1%と選挙における日本人の孤独ぶりが明らかになっており、これでは政治が不安定になったり、新党が雨後の竹の子にようにできるのも当然です。まずは家族で2枚に投票行動について情報を共有し、確認しあうことからデモクラシーは始まります。12党はすべての有権者に出番と居場所がある選挙をつくるべきだし、有権者もしっかりと参加する選挙にしていきたいと考えています。


広告主に配慮する新聞が報じない公示前のホントウの情勢とは? 実際に歩いてみました。

2012年12月03日 15時42分38秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

[写真]公示前に出陣式と応援演説の事務文書のご案内をしながら歩きました。筆者撮影、一部修整。

 2泊3日で出張してきました。公示前ということで、政権交代前の2009年のゴールデンウィークに歩いた町を3年半ぶりに歩いてみました。そこにはやはり第3極乱立で、自分自身世論が見えなくなっているという心持ちがあったからです。

 選挙事務長さんは3年前と同じ人だし、事務所の事務連絡の郵送や法定ポスターのテープ張りはメドが付いているようなので、出陣式のご案内と野田佳彦総理の応援演説などの事務連絡文書2枚を持って、およそ150戸ほど訪問し、80人~90人の方と話すことができました。一つの選挙区内の一つの町を一日歩いただけですが、自分の中では、公示前情勢をしっかりと描くことができました。

 2枚の紙を「受け取れません」と言ったのは一人だけ。罵声を浴びせられることはまったくありませんでした。また、「この辺の町内会は本人がよく回っている」、「つい先日、趣味の会合に来賓で来た」との声があり、本人が回っていると、回るのが楽です。

 側溝のふたが欠けていれば、国地方問わず政治への不満があるかもしれません。門構えを拝見すれば、その方の生活環境が推測できます。

 感じたのは、30歳代~50歳代を中心とする女性の第46回衆院選への関心が以前より高いように感じること。

 すべて「民主党の○○○○事務所の者です」と、「民主党の~~」から言いましたが、「民主党」という単語で拒否反応を示す方は一人もいませんでした。もちろん、自宅をうかがえば、初めは全員が不審そうにこちらを見ます。商店の方は慣れたものです。

 「後援会事務所(公示後は選挙事務所)が近くにできましたので」と言えば、半分以上反応してくれます。これは単純に、事務所から遠い地区になると、ご存じない場合が多い。

 そして、やはり民主党としては初めて使える、「野田総理が応援演説に参ります」というキーフレーズが受け止めがいいです。演説会場は、選挙区内とはいえ、新幹線駅で0・5駅離れたところなので、午前中は「○○駅前で(やるので当地から遠い場所なので)申し訳ありませんが、野田総理が参ります」と言っていたのですが、午後からは「野田総理が参ります。掛川駅前で申し訳ありませんが」と口上を入れ替えたら、反応はよく、笑いが漏れることもありました。

 本人と「娘が小学校中学校の同級生」というお母さんは、「最近テレビで国会中継を見るのが好きなんですよ」。「暇だから、暇だから」と強調されていましたが、娘さんの同級生が(前)衆議院議員となれば、国会中継も身近に感じるのでしょう。ただ、「今回は逆風なので心配している」とのことでした。

 また、実際にお宅を回っているので分かるのですが、興味があるけど、なかなか移動が自由でない方がどうしても多いです。こういった方々の世論の反映に関しては、各党、各陣営に加えて、マスコミも気にしてほしいところです。

 自民党の候補予定者の室内掲示用ポスターが張ってあるお宅でも温かい反応でした。この辺、自民党はどういう意図で、どういう経緯で室内掲示用ポスターをお願いしているのか、野党3年間でどう変わったのか、今後の論点として興味が残りました。もちろん、自民党の陣営が回ってきたら、もっと温かい反応をされるのでしょうが。

 このほか、「事務所前の駐車場が狭いんじゃないの? 近所の駐車場は借りているの?」との70代ぐらいの女性。「民主党がダメになったのは、マニフェストとかじゃなくて体制。小沢さんのようなぶれない人を、野田、菅、岡田、枝野が引きずり降ろしたから応援できない。小沢さんは筋の通った立派な人だ」「本人に言わなくてもいいけど、選対会議でそういう話になったら言っておいて」との70代くらいの男性。この2人は、自民党員だろうと思います。小選挙区二大政党の時代になり、あくまでもしっかりと51%を積み上げるたたかい。もちろん、しっかりと対応しました。2泊3日で、電車と歩きで事務所に行ったのですから当然、駐車場のことは知らないし、選対会議にも出ていません。さすがに、「どうぞお上がりになってお茶でも飲んでゆっくりしていったら」という自民党員にはついぞお会いしませんでしたが、今後は増えるかも。

 到着後すぐに、公示前に到着しないといけない郵送物の宛名張りが大量にあって、「どうしたものか?」と思いつつ、4時間ノンストップで張りましたが、後で分かりましたが、突然、大量に新しい名簿をご協力いただいて、大量に新しいラベルシールが印刷されたとのことでした。それと関係あるかどうかありませんが、「きのう職場で○○さんの後援会に入会したばかりよ!」という女性。原子力災害に興味を持っておられ、比例代表では日本未来の党を検討しているというご意思をおっしゃっていました。ただし、党首名、政党名を正確にはご存知ないようでした。「東京工業大学出身の菅直人首相」を高く評価していて、野田さんは松下政経塾だから好きではないとのことでした。ご主人は、自民党陣営の集会に行っておられるとのこと。衆院選は総理を選ぶものですから、と強調したら、安倍さんの国防軍について、主婦仲間が「うちの息子を軍隊にとられたら困る」と猛反発しているとのこと。安倍さんは誤解もあると強調していますが、誤解を招かないよう、誤解を修正するようメッセージを発信するのも政治家の力です。ちょっとこの「国防軍」に関しては、2週間で払拭できないように感じますが、どうなるか。

 10歳代後半の女性も選挙には興味があるようで、選挙の話をされて、とてもうれしそうにしていました。大人の階段をのぼったような気になられたようです。安倍元首相は国民投票法の投票権を18歳にしましたが、選挙権の18歳への引き下げは第46期衆議院の議題となってよさそうです。

 門構えの立派な2つのお宅では、それぞれ奥様と思われる方が対応していただきました。お1人は、物腰柔らかくも「よく分からないので、受け取っておきます。ご苦労様です」との反応。もうお一方は、「○○さんはよくやっているけど、民主党代表選で○○さんに投票したのは理解できない。ちゃんとそう伝えておいて」とのこと。私も「同感です」と受け止めたうえで、あくまでも一般論として、「衆院選は小選挙区で民主党の当地の公認は1人だけですから」と返答したら、「そうね」とあっさり。そのうえで、「考えておく」とのことでした。もちろん、公示前ですから投票依頼はしていませんが、「考えておく」とのことでした。門構えが立派な方だからハッキリ言えるのかもしれないし、ハッキリ言えるから門構えが立派なのかもしれません。ただ、意見をコンパクトにさっと述べた上で最後に「考えておく」と保留するという方法は、若い方は参考にされたらいいかもしれません。

 ただ、今回私が、再認識したこと、あるいは初めて認識したこと。それは「民主党は庶民の党だ」ということです。それは、私たち自由主義経済・穏健なる保守の考え方を持つ者から、社会民主主義・平和主義を信奉する人まで、幅広く「民主中道勢力が結集」した立党時の私たちの基本理念。野田代表が著書を演説で主張する「中道ではない中庸」。そういう難しい話でもいいんですが、それ以上に、民主党を支持し、さらには民主党のこと、本気で心配している方は庶民なんです。それを噛みしめました。あるいは初めて知ったかもしれません。笑顔で「がんばって」。そういって背中を押してくれる人。その方々の多くが庶民であるという現実は、わが党の綱領とかマニフェストとかより重い

 一方で、選挙に初めて興味を持っている30歳~40歳代前後の女性がどう参加するか、参加をうながすか、残り2週間ですが、興味深いところです。いろいろな政党が出てきて、不安になっているという声もお1人。農家の高齢女性がご近所のお友達の女性と話しているところにお声がけしたら、「またにしてください」とのことでしたが、「またにしてください」はこの1回だけでした。玄関で声を潜めたり、ご近所の様子をうかがう方も、当地では1人もいませんでした。それから、立派な門構えだけどインターフォンに蜘蛛の巣というお宅が複数あって、そのうち、お出になったお1人は70代以上の女性で不安そうでした。おそらく一人暮らしなんだと感じます。そういった現状に踏まえて、地域社会の最構築ができる制度づくりが第46期衆議院に求められます。

 いかんせん、自民党陣営が回ったら、おそらくもっと好感触なんでしょう。私が見たところ、民主党対自民党の比較第1党争いは五分五分か、巷間言われている通り、自民党がややリードしている公示前情勢でしょう。それにしても、第3極の政党名は1回だけ、正式な呼び名はついぞ1回も聞きませんでした。

 まあ、前回はゴールデンウィーク中だったので、鯉のぼりの大きさに驚いた町でした。もちろん3年の間に3歳分お歳をとられ、ちょっとだけ空き家も多くなったかもしれません。しかし、さまざまな統計指標からも、世論を先導する地域と私はとらえていますし、日本の古い良き伝統と、新しい価値観が共有する素晴らしい町です。やはり足腰強く日本は生きていける。私もその一人なので、こういう言い方も変ですが、日本人はねばり強さには感服します。

 そしてこれだけ勉強になる戸別訪問を、公示後禁止している公職選挙法138条の問題。国難の時こそ、法律やルールはしっかり守るべきなので、この選挙はこのままでいいです。しかし、公選法138条は第46期衆議院では改正すべきではないでしょうか。岡田克也副総理は11月9日(金)の閣議後定例記者会見で「選挙制度の自由化というか、あまりにも規制の多いこの選挙運動について、何とかしなければという意見は常に出るのですが、結局はなぜか結実しないというのは非常に残念に思っております。戸別訪問なども、戸別訪問すると何か「モノ」を持って行くのではないかとか、現金のやりとりが行われるのではないかとか、そういう極めて国民を信用しない、そういうことで禁止されているとすれば、またとんでもないことでありまして、もっと自由な中で活動が行われるということが必要だと思っています」と述べています。 


野田佳彦代表(総理)は「仕分けの継続」に演説内容を変えるべきだ 記者会見オープン化のまとめ

2012年11月30日 19時47分26秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

 第45期衆議院は解散されましたが、民主党内閣は12月16日の総選挙後の特別国会まで職務継続内閣となります。

 今週は、私・宮崎信行にとって、一つの記念すべき出来事がありました。2012年11月27日(火)の午後3時からの霞が関での岡田克也副総理の記者会見午後5時からの永田町の野田佳彦総理の民主党代表としての記者会見の両方で、トップバッターとして質問しました。記者会見のトップバッターは各々の記者クラブの幹事社(新聞社、通信社、あるいはテレビ局が月ごとに交代)の記者が質問する慣例のところが多く、また、霞が関は経済部、永田町は政治部という役割分担が多いので、2重3重に異例なことでした。

 ちなみに、内閣府の岡田大臣の記者会見は「9.上記メディアが発行する媒体に定期的に記事等を提供する者(いわゆるフリーランス)」として参加を認められています。一方、民主党の記者会見は「8) 発行する媒体の目的、内容、実績等に照らし、(1)から(7)のいずれかに準ずると認め得る者」として参加しています。すなわち、このブログ「国会傍聴記by下町の太陽」の執筆者として参加が認められています。元来私はこのブログを「政権交代ある二大政党政治の実現」と「記者会見よりも国会審議を報道する」という2つの目的を果たすために開設しました。そのため、記者会見のオープン化には特段の思い入れはありませんでした。国会審議で疑問があれば、個別取材で解決したいし、記者会見に出席するというのはそれ自体が、その場においては情報を独占にしている者、すなわち政治家に利用されることでもあるからです。

 政権交代後の記念すべき記者会見オープン化の幕開けとなった霞が関の2009年9月29日の岡田克也外務大臣の記者会見では、質問し、記者会見で出た情報は全員の共有になりますので、朝日新聞さん、毎日新聞さんが記事にしてくれました。 ところが、この後、外務省の報道室長から私は出席できないとの連絡があり、いったんどのような力が働いたのか分かりませんが、別段闘う意思もなかったので、国会を聞くことに専念しました。

 その後、岡田外相が与党としては初めて、民主党幹事長に就任することになり、2010年9月17日(金)の永田町の民主党本部での記者会見では、再びトップバッターで質問しました。その後、幹事社の番記者が何が何でもトップバッターで質問するようになったので、私は2番手以降に質問するようになりました。

 ちなみに、今週火曜日の記者会見は、霞が関の副総理会見、永田町の総理会見(代表会見)とも、早めに行き、最前列の席を取っていました。

 ことし1月からの岡田副総理の記者会見をやっている庁舎は、私が日本経済新聞政治部記者時代に担当していた総務庁が入っていた場所で、ことし1月から14年ぶりに入れて楽しかったです。食堂の味は変わりませんが、世間はデフレなので、けっこう高値の食堂になってしまいました。庁舎の外の「北方の領土かえる日平和の日」の看板はことし掛け替えられ「いつかを今に日本の領土北方領土」ととなりました。

 記者会見オープン化の活動の先頭に立った上杉隆さん、神保哲生さん、畠山理仁さん、田中龍作さんには感謝の言葉ばかりです。しかし、3年3ヶ月経って、民主党閣僚や民主党本部の記者会見でお見受けすることはなくなりました。とはいえ、感謝です。岡田副総理の記者会見では、安積明子さん、月刊誌「FACTA」の代表取締役・編集人の宮嶋巌さん、元北海道新聞編集委員の上出義樹さんと私の4人でメンバーが固定的になりましたが、その他のフリーランスや、規制改革に関する業界紙の記者の方も参加しました。民主党幹事長会見でも安積明子さんが出席率ナンバーワンで、横田一さんらも出席しました。そして、ニコニコ動画の「770(ナナオ)」こと七尾功・株式会社ドワンゴ政治担当部長もここぞというとき質問していました。

 ぜひ、次の政権で誰が総理になろうともこの流れは続けてほしいです。

 私を除いてです。

 私は民主党と玉砕する覚悟はできています。それは覚悟だけではありません。ジャーナリスト活動の環境面でも、この3年3ヶ月、国会開会中の平日の昼間は国会傍聴に専念できる自由をつくってきました。そして、与党としての驚くべきほど厖大な情報量をひっしに、ブログ(web log)に残してきました。とにかく書きたいことを長文で雑でもひたすらに記録する作業に専念してきました。

 私は、立党以来の民主党員として、民主党とともに語らい、民主党とともに闘い、民主党とともに死んでいく腹づもりでやってきました。ですから、総理、副総理でトップバッターを務めたのはこれが最初で最後になるかもしれないし、それでかまいません。選挙後は筋肉質で結束の強い、以前の民主党に戻れると考えています。

 さて、野田佳彦代表は公示前の演説で、「1.社会保障 2.経済 3.原発」の順で演説していますが、私には異論があります。私が解散後に聞いた街頭演説会での聴衆の反応では、「仕分けの実績とその継続」に一番拍手が多いと、私としては認識しています。そして、この仕分けの意味合いは広い。野田さんは「内閣府行政刷新会議事務局の事業仕分け=仕分け」と認識しているように、記者会見でお互いの目を見ているときの表情から感じられました。しかし、他の街頭演説会での聴衆は、「しわけ」とはもっと広い意味で、歳費の暫定2割削減も、農業者戸別所得補償も、年金記録の回復も、情報公開も「しわけ」の中に入るようです。そして、民主党には「しわけの継続」を期待しつつ、候補者(予定者)がしわけをするにふさわしい高潔な人物かどうか見極めようとしている。一方で、自民党にはしわけができない、という考えもある。それに実態経済をよくする術は自民党の方が持っていると思っている。それが公示前情勢だと、私はとらえています。

 なぜ、野田さんは「しわけ」と演説しないのでしょうか。一つの推論があります。それは首相官邸は永田町にありますが、実際は霞が関です。スタッフは官僚が大多数です。太田充・事務秘書官をはじめ、肩書きは内閣府事務官になっているでしょうが、野田内閣が終われば、霞が関に席があります。だから、総理と心中しようとしません。なので、スタッフが「社会保障、経済、原発」という演説草稿を書いているのではないでしょうか。もちろん、演説するのは野田さんです。また与党代表である総理の演説を見れば分かるとおり、たくさんの警察官が取り巻いています。総理の近くにいるのは、47都道府県どこでも、東京都の地方公務員である警視庁の警察官です。

 

 上の写真のように、総理大臣とは孤独な仕事です。

 警視庁が各道府県警の警察官を指導する格好で、演説会の会場が構成されます。すわなち、総選挙とは、警視庁が他の46道府県警に対する上下関係をつくる場所でもあります。これは、昭和10年、陸軍の一部勢力により、首相官邸が襲撃され岡田内閣が倒れた2・26事件以降、内務省(警察庁)が陸軍省・海軍省(防衛省)に国内での秩序維持でも10年間負け続けたことへの意趣返しだとされています。内務省(警察庁)は昭和20年8月15日正午をもって、再び、陸軍省よりも上位に立ちました。その後、首相秘書官は警察庁からの出向官僚が、防衛省との連絡役を買って出ることになり、エリート候補生ははじめから、若いうちに防衛省の課長として出向経験を積むコースがありました。これが、この第45期衆議院において、北澤俊美防衛大臣の働きかけで、首相秘書官に防衛官僚が初めて常駐することになり、その秘書官が防衛省との連絡役になったようです。これは戦後レジームの霞が関の権力構造においては、画期的なことです。

 世襲議員が連続して総理になったのは、「慣れ」に尽きます。ですが、野田さんの孤独をみんなで支え合って、第46回衆院選を闘っていきたい。そして、当選して残る民主党議員は、一緒に闘える人が残ると感じます。

 二大政党制が定着する過程において、そのいずれにも居場所がない候補者たちが新党をつくっていますが、それは歴史の流れにおいて、遠心分離器で弾き飛ばされるでしょう。二大政党に収斂していく過程ではそれも必要なことです。

 戦前の二大政党政治が失敗した理由は一つです。それはテロリズムです。ですから、現代とはまったく違います。ちなみに、関東大震災後の帝国議会開院式の直前におきた虎ノ門事件では、警察官は難波容疑者の身柄を拘束することよりも、難波容疑者に殴る蹴るの制裁を加えようとする群衆を抑えることの方が大変だったようです。

 警察官のみなさんもご苦労様ですが、ぜひ、有権者も与党への妨害について、声や拍手で守りましょう。政治家を育て、守るのは有権者の役目です。

 さて、公示後には戸別訪問ができなくなります。戸別訪問ができる期間中に、私は有権者の声を聞き、自分なりに世論、民意を探ろうと考えています。思えば、この3年3ヶ月の民主党第1次与党期において、公私とも出張・旅行をしていませんでした。それほどまでひっしに、「与党の大変さ」をこのブログに書き殴ってきました。

 ぜひ、野田さんは「しわけ」の聴衆の反応について、政治家である仲間に問い合わせてほしいと思います。そして、有権者のみなさんは「自分に何ができるのか」ということについて、正直、分からない方が大半だと思います。例えば、公選ハガキを書いてほしいと言っても、分からないと思います。そういった大人としての未熟さを反省し、選挙との関わり方の術を知って、そして、これからに備える力を持ってほしいと考えます。分からない人は、家庭で選挙の話をしてほしいと考えます。自分一人で投票しないで、投票行動の責任を共有できる仲間を可能な範囲内でつくってください。参議院の現有勢力や、日本国憲法60条59条を勉強してください。自分が住む選挙区の比例ブロックの定数を学んで、死に票にならないように、2枚目(比例代表の政党名)を検討してください。とにもかくにもまずは前職が立っていれば、前職のチェックから。地元の現職の第45期衆議院での国会での発言を調べてほしいところです。



 民主党ホームページ内の動画から↑。野田さんは「民主党による、しわけの継続」を有権者に訴えてほしい。 


◎攻めの農政へ公明党が転換 農業者戸別所得補償法の成立が第46期衆議院で確実か

2012年11月29日 16時52分34秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

[画像]公明党の山口那津男代表、第46回衆院選公明党マニフェストから。

 公明党の機関紙29日付「公明新聞」1面コラム「北斗七星」は「衆院解散の翌日(今月17日)から26日までの10日間、さまざまな政党は新聞にどれだけ登場しただろうか」「朝日新聞では、日本維新の会418件、みんなの党は169件だが、公明党は98件にとどまる。毎日新聞でもほぼ同様である」として報道が公正でないとけん制しました。

 マスコミ報道で公明党が埋没しています。この危機感もあってか、山口那津男代表が「攻めの農政」を打ち出しました。

 山口さんは2012年11月23日(金・祝)午後、松山市で比例四国ブロック公認予定候補の石田祝稔さん(元農林水産副大臣)を応援演説し、「(日本再建に向けた新しい成長戦略として)攻めの農業をやっていく。日本農業を世界に誇る成長産業にするため、具体策を掲げ、5年間で日本農産品(の輸出)を倍増させていきたい」とし、「農業全体の経営環境は厳しい状況だが、世界を見ると経済発展の中で農業生産物に対する需要はむしろ増えてきており、今がチャンスだ」とし、「攻めの農業」と「農業経営の安定化」を両立さえる考えを示しました。

 そのうえで、民主党政権の実績である農業者戸別所得補償(農業直接支払い)に言及し、「今の農業者戸別所得補償制度を見直し、法律をつくり安定したしくみをつくっていく」と述べました。

 民主党09マニフェストの4kのうち、高校授業料無償化法(平成22年法律18号)と子ども手当(改正児童手当法)の2つは恒久法になっています。高速道路無料化は断念しました。そして、戸別所得補償は政権交代初年度から予算措置がされていますが、法案はついぞ提出されませんでした。これについて、第177通常国会(震災国会)2012年8月4日(木)の参・農水委員会で鹿野道彦農相は「ねじれ国会、衆議院と参議院の意思決定が異なる、こういうような状況の中でなかなかこの法制化というふうなものは難しいと、こういうような判断から予算措置でというふうなことの考え方を取らさせていただきました」「法制化を目指していきたいと思っておりますが、また現実を考えればそう簡単なものではない」と語っています。

 このため、現時点でも予算書にとどまっており、裏打ちする法律がないので、第181臨時国会では、もう稲刈りが済もうとしている時期に、自民党の石破茂幹事長から、特例公債法を成立するための見返りとして減額補正の対象にあげられました。

 公明党は2012マニフェストの13ページ。「7つの日本再建」の「4.力強く伸びる日本経済へ」の「5.攻めの農林水産業に挑戦」の「2.日本の農林水産物を世界に」を打ち出しました。ここでは「農家の所得補償制度は、固定部分を維持」とし、「法制化を目指します」としました。

 マニフェストには入っていないようですが、山口演説では、「野菜、果樹、花き農家向けの経営安定対策として、積立方式の収入保険制度を創設」に言及しており、税金方式の米に加えて、積立方式での収入保険制度に触れました。このため、JA共済の商品価値が下がるほか、5年間で倍増することで、自由貿易に踏み出す考えが感じられます。

 これに対して、自民党は2012マニフェストの25ページに「戸別所得補償から農地を農地として維持する支援」として「多面的機能直接支払い法」案を提示しており、公明党と自民党のマニフェストは大きく違っています。

 これは自民党候補(予定者)がJAの政治団体「農政連(農業政治連盟)」からのしめつけが厳しいのに対して、公明党は農政連の支持をそれほど受けていないから打ち出せるものだと推測されます。 

 かつては、農民とともに語らい、農民とともに闘い、農民とともに死んでいく、という政治家が無産政党にも、自民党にもいました。アメリカの農場主と農夫(農奴)を題材にした小説を読んで発憤して政治家を目指した人も民主党には複数います。

 農業者戸別所得補償というと、民主党の2005年岡田マニフェストから始まりました。岡田克也副総理2012年11月22日(木)の定例(翌日は祝日のため繰り上げ)記者会見で「公明党らしいマニフェストだというふうに思いますなかなか中身もよく練られていて、一読した感じは非常に考え方はかなり違うのですが、我々民主党、あるいは私と違うところはたくさんありますが、公明党らしいマニフェストだなというふうに思いました」「やはり弱者に対して光を当てる政策、そういったところが公明党らしいなと思いました。ただ、それが自公政権の中でできるかどうかは、これはまた別の議論ですね」と語り選挙後の連携に秋波を送りました。

 2012年12月は新進党解党から15年。第45期衆議院解散を決断した官邸三羽烏の忠臣蔵。それは憎き吉良上野介を討つことであり、ぜひ47士に賛同してほしいところです。 

 ところで、減反が行政指導に過ぎなかったことを初めて知りました。

 農林水産省は2012年11月28日(水)、来年の主食用米の生産数量目標を2万トン減らして791万トンに減らすとしました。これを同省が都道府県ごとに割り当てると生産数量目標として決まるそうです。まさに農水省、JAの下に農民は土地を所有していても農奴としか私には思えません。我が国では、青色申告をしている農家は40万戸だそうです。私は農政を経済政策としてとらえる新自由主義経済には与しませんが、青色申告をしている農家が40万戸とはあまりに少ない。もっと、サクランボ、イチゴ、リンゴなど攻めの農家があっていいのではないでしょう。

 岡田副総理は2012年11月27日(火)の記者会見で

 「今まで減反をいわば行政指導というか、法的根拠なくやってきた結果、減反を守らない人は守らない、ある意味では正直者は損をするというような仕組みもありましたが、この戸別補償とセットにすることで、実効性が上がって、そしてそういう意味では、そういう生産調整の率も上がるようになって、それがすべてと言うつもりはありませんが、今年米の値段が少し下がらずに、むしろ上がっているというのも、そういったことの一つの結果ではないかというふうに思っております。別に上がることがいいことばかりではありませんが、どんどん過剰生産になって下がり続けるという、そういうことの歯止めにもなっているわけで、やはり私は戸別所得補償方式の意義というものは、改めて確認されていると思います。もちろん内容的に、更にいいものにしていく、特に集約化に向けて、今もそういう集約効果はあるのですが、更にそういったことについて、インセンティブをつけていくというような改革は必要だというふうに思います」

 と語りました。

 これに先立ち、

 「 「直接支払いということについては自民党も否定していないと。実際にどういう形でそれを行うかというのは、名前は変わりましたが、実態はどう違うかというのははっきりしません、中身は、これから議論していけばいいことだと思いますが、ただ直接支払い制度を入れたということは同じですから、これは非常に大きな転換だったのですね。そのことのやはり必要性というのは認めざるを得なかったと、彼らもいい制度だから基本的には変えられないということだと思っております」

 と語り、自民党も直接支払い(小沢一郎民主党代表が「農業者戸別所得補償」に改称)を認めたことに満足感を示しました。

 2012民主党マニフェストには20ページに「現在予算事業として行われている農家への戸別所得補償を法律にもとづく安定した制度とすることで、食料自給率50%をめざす」と2行あるだけ。実績になると、選挙の争点では小さくなってしまうのが、与党らしいマニフェストとも言えるでしょう。しかし、稲刈りを親戚に手伝ってもらっている人は、しっかりこのこと、忘れないでほしいですね。

公明党ニュースから引用はじめ]



野菜・果樹・花き農家新たな収入保険制度を

公明党の山口那津男代表は23日午後、愛媛県松山市で街頭演説し、日本再建に向けた新たな成長戦略として「『攻め』の農業をやっていく」と強調した。日本農業を世界に誇る成長産業に転換するため、具体策を掲げ「5年間で日本農産品(の輸出)を倍増させていきたい」と訴えた。石田祝稔四国方面協議会議長(衆院選予定候補=比例四国ブロック)も参加した。

この中で山口代表は、「農業全体の経営環境は厳しい状況だが、世界を見ると経済発展の中で農業生産物に対する需要はむしろ増えてきており、(今が)チャンスだ。生かさない手はない」と指摘。

その上で、今後の日本農業の道筋として、「農業経営の安定化」と「『攻め』の農業」の二点を力説した。

農業経営の安定化に向けた方策としては、農業者の所得を安定させるため「今の農業者戸別所得補償制度を見直し、法律をつくり安定した仕組みをつくっていく」と表明。

「攻め」の農業については、「世界に誇れる農業のブランド力を付け、競争力を付けることによって、われわれの農業は新しい道を切り開いていくことができる」と主張した。

さらに、野菜や果樹、花き農家向けの対策として「収入を安定化させるよう積み立て方式による収入保険のような仕組みを取り入れ、経営を安定化させるセーフティーネット(安全網)も整えていく」と提案。

また、「国際基準に合わせた農場の整備をしていく必要がある」として、国際的な取引条件となっている「GLOBAL・GAP(農業生産工程管理)認証」を取得する農場の拡大や、認証取得に向けた普及指導員の育成・活用による支援が必要と力説。世界で競うための情報提供については、「すでにあるEPA(経済連携協定)やFTA(自由貿易協定)など世界の自由貿易の仕組みを生かして日本の優れた農産物をどんどん輸出できるようにしていかねばならない」と述べた。

石田氏は、「人の命を守る防災・減災対策をやり抜くため、四国の1議席を断じて守り抜く」と決意を披歴。

街頭演説には自民党の塩崎恭久元官房長官も応援に駆け付けた。

[引用おわり]
2012年11月22日(木)の岡田克也副総理の記者会見録から引用はじめ]

記者

 別の観点で、自民党と恐らく今後も協力を続けられる公明党のほうもマニフェストを発表されているのですが、このことへの評価もお願いします。

岡田副総理
 公明党らしいマニフェストだというふうに思います。なかなか中身もよく練られていて、一読した感じは非常に考え方はかなり違うのですが、我々民主党、あるいは私と違うところはたくさんありますが、公明党らしいマニフェストだなというふうに思いました。

記者
 公明党らしいとおっしゃいましたが、具体的に1点、2点挙げていただけますでしょうか。

岡田副総理
 やはり弱者に対して光を当てる政策、そういったところが公明党らしいなと思いました。ただ、それが自公政権の中でできるかどうかは、これはまた別の議論ですね。

[引用終わり] 

[2012年11月27日(火)の岡田克也副総理の記者会見録から引用はじめ]

(記者)
 フリーランスで宮崎です。このあと、午後5時から民主党のマニフェストが発表されるところなのですが、先行して発表されています自民党、その前にいわゆるマニフェスト4Kという点がありまして、高速道路の無料化をこれは撤回の上、謝罪と。

(岡田副総理)
 凍結ですよね。

(記者)
 凍結ですね。
それから、高校授業料無償化法、これは法律になりました。
 それから、子ども手当改め改正児童手当法、この二つは恒久法に既になっているところですけれども、農業者戸別所得補償に関しては、今まで法案が提出されていません。この公明党のマニフェストによりますと、所得補償は固定部分を維持しながら変動部分については見直し、法制化を目指しますと、公明党は農業者戸別所得補償法を作りますというマニフェストを出しています。
 一方、自民党のマニフェストでは、戸別所得補償から農地を農地として維持する支援策として、多面的機能直接支払い法というのを作りますというマニフェストになっています。
 一応、私の理解としては、恐らく自民党はこれは農業の担い手ではなく、農地を所有している人への支払いということではないかと思うのですけれども、こういった形で公明党と自民党の対応が分かれてきました。
 この公明党のマニフェスト、多岐にわたってすみません。おもしろいのは、また農業の成長戦略の部分に入れているということもおもしろいのですけれども、こういったところをどういうふうに評価されますでしょうか。

(岡田副総理)
 成長戦略に入れているというのは、どこのマニフェストのことを言っているの。

(記者)
 公明党のマニフェストでは、「7つの日本再建」という中の4番目、「力強く伸びる日本経済へ」というのが今申し上げた部分が入っています。

(岡田副総理)
 個別のことは、個々に評価するつもりはありませんが、直接支払いということについては自民党も否定していないと。実際にどういう形でそれを行うかというのは、名前は変わりましたが、実態はどう違うかというのははっきりしません、中身は、これから議論していけばいいことだと思いますが、ただ直接支払い制度を入れたということは同じですから、これは非常に大きな転換だったのですね。そのことのやはり必要性というのは認めざるを得なかったと、彼らもいい制度だから基本的には変えられないということだと思っております。
 今まで減反をいわば行政指導というか、法的根拠なくやってきた結果、減反を守らない人は守らない、ある意味では正直者は損をするというような仕組みもありましたが、この戸別補償とセットにすることで、実効性が上がって、そしてそういう意味では、そういう生産調整の率も上がるようになって、それがすべてと言うつもりはありませんが、今年米の値段が少し下がらずに、むしろ上がっているというのも、そういったことの一つの結果ではないかというふうに思っております。
 別に上がることがいいことばかりではありませんが、どんどん過剰生産になって下がり続けるという、そういうことの歯止めにもなっているわけで、やはり私は戸別所得補償方式の意義というものは、改めて確認されていると思います。もちろん内容的に、更にいいものにしていく、特に集約化に向けて、今もそういう集約効果はあるのですが、更にそういったことについて、インセンティブをつけていくというような改革は必要だというふうに思います。

[引用終わり]


民主党、マニフェスト発表。野田代表「実現する苦労を知ったが、それでも掲げて選挙を闘う」

2012年11月27日 20時57分44秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

[写真]2012マニフェストを発表する野田佳彦・民主党代表(首相)、2012年11月27日午後5時過ぎ、筆者撮影。

 民主党は2012年12月4日(火)公示16日(日)投開票の第46回総選挙のマニフェスト(政権公約)の前提になる政権政策を発表しました。2009民主党マニフェストは日本を代表する「ホテル・ニューオータニ」宴会場で発表しましたが、きょう11月27日(火)は党本部内ホールでの発表となり、「しわけの民主党」を体現しました。

 2003年の第42回衆院選以来、「マニフェスト」という言葉を初めて日本に紹介した民主党の試みは、与党として初めて衆院選のマニフェストをまとめるという新しい段階に入りました。野田さんは「この3年3ヶ月間で、マニフェストを実現する苦労を知りました。厳しい検証をしながらも、それでもマニフェストを掲げて選挙を闘う」と語りました。マニフェストは公約実現の時期と数値をハッキリ示すもの(イタリア語でマニフェスト)ですが、野田さんは2009マニフェストで政権を担いながら、リーマン・ショックによる減収と東日本大震災が発生したことを踏まえて、数値を柔軟にしたとしながらも、それによりかえって「書いてあることは今まで以上に実現性が高くなり、現実的になりました」「より現実的になったのは間違いない」としました。

 消費税法(平成24年法律68号)の附則18条2項には「税制の抜本的な改革の実施等により、財政による機動的対応が可能となる中で、我が国経済の需要と供給の状況、消費税率の引上げによる経済への影響等を踏まえ、成長戦略並びに事前防災及び減災等に資する分野に資金を重点的に配分することなど、我が国経済の成長等に向けた施策を検討する」となっています。

 2012マニフェストの19ページ、「1.共に生きる社会」の「9.」には「消費税率引き上げによる増収分は、すべて社会保障の財源に充てる」と書いてあります。自民党の「国土強靭化計画」は10年間で200兆円(民間資本含む)となっています。かりに、現在の5%時代に国庫で使える歳入は、8兆円程度であり、地方分、民間分を含めても国土強靭化200兆円はムリ。公明党が求めた低減税率も入っていません。低所得者への給付措置(3党合意で言う「簡素な給付措置」)、「事業者が価格に消費税分を適性に転嫁できるように、独占禁止法・下請法の特例」(いわゆる転嫁Gメン)は入っています。しかし、6月15日の3党合意(すでに法律として公布)に対するゼロ回答ともとれます。民主党内では、修正後の議案を参院で採決する直前に3党首合意(「近いうちに信を問う」)に追い込まれたため、6月15日の3党合意は白紙に戻ったとの認識もあります。そもそも法律には「検討する」としかなっていません。民主党は自民党の国土強靭化計画、公明党の防災減災ニューディールにゼロ回答をしたともうけとめられます。

 このほか、「次の4年間もムダづかいの根絶に取り組む」として「特別会計の数を17会計51勘定から11会計26勘定に減らす法律を来年の国会で成立させる。」「現在の独立行政法人を102法人から65法人に統廃合する法律を来年の国会で成立させる」「行政改革実行法の制定をめざ」す、など、具体的な法案により、政府を縛る与党らしいマニフェストになってきました。

 2009マニフェストは外交防衛で章立てしていませんが、2012マニフェストでは4番目に章立て。しかし「冷静かつ現実的な外交防衛」となっており、政権を担う重荷を感じさせます。

 要諦は、民主党総支部長(衆議院議員?)がうまく有権者に説明し、あるいは説得し、有権者からの声を総支部長経由で党に届けることができるかです。ちなみに、2009マニフェストには「仕分け」という言葉は1回も登場しませんでした。野田さんは「各候補者がそしゃくして、ここに書いてあることは頭の中に入れて、説明してほしい」としました。また前職に関しては「つくる過程に参加していただいております」として、説明はできるはずだとの認識を示しながらも、「項目によっては政調会長に一任をいただいた部分もあり・・・」と言葉を濁しました。政調会長に一任した以上は代表なり、政調会長なりの決定に従うのは、与党・自民党なら当然です。ところが、民主党はこれまでそうでなかった。その民主党自身のあり方が仕分けられる選挙にもなります。野田さんの背中を押しましょう。ただ、きょうの記者会見で細野豪志・政調会長、司会の馬淵澄夫・政調会長代理が「野田総理」と言っていましたが、こういう記者会見では「野田代表」と呼ぶべきです。これは自民党ならば、幹部、議員、職員が徹底しているところです。こういうところがまだまだだと感じます。

 きょうの記者会見で筆者はトップバッターで質問することができました。民主党らしいのですが、やはり与党として守りのマニフェストとして、3年半前、超有名ホテル宴会場記者会見での情報発信と比べると守りでした。ただ、ほぼ同時期、この同じ会見場で、一仕事終えて、外のソファに腰掛けタバコを吹かしていた司会者が、スポーツ紙記者から「すいません、ちょっと都議選の話でお伺いしても良いですか」と声をかけると「私で良いんですか?」と驚く野田佳彦幹事長代理の姿を思い出しました。ちなみに、ソファの近くに分煙スペースができたので、現在そのソファでは喫煙できない状況だと思いますが、野田さんは政権交代後、ずっと政務三役を務めている唯一の政治家なので、そのことを知らないでしょう。たくさんのSPに囲まれる野田総理は私たち庶民の総理です。そして、ソファで一服していた司会者が総理になるというのが、政権交代ある二大政党政治のダイナミズミです。私のように、これからの日本の将来がハッキリと見えている、もちろん違った未来になるわけですが、そうなった要因も楽しんでいきたいという心の世余裕を持ち合わせる人間にとっては、野田という男はよくやっているし、全力で支えたいと惚れ込める。

  ↓クリックすると、マニフェスト(PDF)に飛べます。

 

 テクスト版マニフェストはこちら(http://www.dpj.or.jp/global/downloads/manifesto2012.txt)。

 衆議院は解散されましたが、野田内閣は当然職務を執行しています。岡田克也副総理は、2012年11月27日(火)の閣議後定例記者会見で、3党合意にもとづく発足する社会保障制度改革国民会議の民主党、自民党、公明党が5人ずつ選んだ15人の委員の一人である宮本太郎・北海道大学大学院教授が日本共産党の宮本顕治元党首(参院議員)の長男だという指摘について、「親父は共産党の大幹部でも、息子は社会保障の分野では実績がある有識者」として、親は親、子は子だと強調したうえで、期待を示しました。さらに、「30年ぐらい前の話ですが、自民党が出していた選挙公約は、役所に(執筆を)依頼して、役所がチェックしていた」「(通産省の)会計課(=民間会社でいう社長室に相当)がつくって、各課に回してチェックしていた」「私もチェックしたことがある、30年ぐらい前の話ですよ」と暴露しました。30年前なら、鈴木善幸内閣のころですから、さもありなん。とはいえ、特例公債はすでに発行していました。
 
 さらに、小沢一郎氏は、新生党(羽田孜党首)、新進党、自由党についで、国民の生活が第一の解党を決定。ついに4つめの解党となりました。なお、国民の生活が第一は昨年末に結党した新党きづなが合流しており、政党交付金は2・5億円程度入っていたと思われます。だれか、東京地裁に保全申請をしてほしいものです。もともと、今回の解散は、新進党三羽烏(野田首相、岡田副総理、藤村修官房長官)が小沢氏に政党交付金がわたる前に解散したという見立てがありました。比例東京ブロックと言っても、定数わずか17人で、おおよそ6%の得票率で1議席獲得できる狭き門です。小沢氏が情勢が厳しく、1月1日付の政党助成金要件に絶望して、国民の生活が第一を解党して、日本未来党を旗揚げに走った可能性があります。小沢氏は借金して選挙資金を工面しているのかも知れません。極限状態になると、人間は本性を隠しきれず性根があらわれ、一度裏切る人間は二度裏切るとされます。そうやって小沢氏が燻り出されている。ただ、私は長年、小沢氏に近寄るのは危険だと警鐘を鳴らしてきました。しかし、私が批判されたり、私が冷笑されたりしてきました。ドン・キホーテを気取りながらも、なぜ私の説得が説明が15年間、届いてこなかったのか。東京拘置所に拘束される友人が複数出るまでにいたってもなお、小沢氏に近づく人がいます。激しくなじりたい。「ほらみろ、あなたの人生おじゃんになったじゃないか」、と。その辛さ、私自身の説得力にかける理由をこれから探していきたいと考えます。

 

 そういう中で、きょう質問したときに、「きょうの五反田の演説で代表は「仕分け」という言葉を使わなかったが、(他の)街頭演説では「仕分けの継続」への反応が良いようだ」と言うと、「おおそうですか」と目を大きくしていました。政界では、こういう風に目を大きくする表情は、かならずしも本心でない、何か思惑がらみであることが多いのですが、野田さんの目は本気のように私には感じられました。ただ、では総理のもとにどういう情報が入っているのか。どうもきょうの五反田での演説、社会保障と税の一体改革からスタートする演説は、財務省が書いているように、私には感じられました。内閣総理大臣の漆黒の暗闇の孤独。とにかく総理を裸の王様にしてはいけません。これが官邸運営のコツのコツだと、私は考えています。

 しっかりとていねいに説得できる人間に成長していきたいと考えています。それが私自身の第46回衆議院議員総選挙の自分の中でのたたかいです。克己心です。


野田総理がはしごから落ちかけても、安倍総裁がはしごから落ちない隠された真実とは?【追記・訂正あり】

2012年11月26日 20時51分11秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗


 報道によると、愛知13区(大西健介さん)遊説中の野田佳彦総理(民主党代表)が2012年11月26日(月)、街宣車に乗りかける際に、はしごから落ちかけたそうです。

朝日新聞デジタルから引用はじめ]

首相、街宣車でバランス崩す 「民主党ずっこけません」

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野田佳彦


街頭宣伝車に登ろうとしてバランスを崩し、下から支えられる野田佳彦首相=26日午前10時45分、愛知県安城市、細川卓撮影

 野田佳彦首相(民主党代表)が26日午前、愛知県安城市での街頭演説で街頭宣伝車によじ登る際、体のバランスを崩して地面に落ちそうになるハプニングがあった。このあと演説を始めた野田首相は「アクシデントがございましたが、民主党はずっこけません。必ずよじ登って参ります」と語り、笑いを誘った。

 バランスを崩したのは、手すりのようにつかまっていた宣伝車の看板の縁が突然ぐにゃりと曲がったためらしい。周囲にいた警護官数人が首相の体を支え、ことなきを得た。

[引用おわり] 



 さて、私は、敵情視察、敵の大将、自民党の安倍晋三総裁の東京14区、都電・地下鉄の町屋駅前の街頭演説会に行ってみました。ここで、党本部ホームページでは、午後2時半。東京14区支部の告知では午後2時となっていました。自民党お得意の総裁がわざと遅れるスケジュールとにらみました。

 
 寒い雨の中、お客さんを呼び込むために「この後、安倍自民党総裁がお忙しい中、松島みどりの応援にかけつけて、お話しいただきます」と謎のアナウンス。ちなみにここはまだ民主党の公認予定候補が立っていません。定刻午後2時になっても、予想通り、安倍総裁(以下、安倍ちゃん)は現れず、前都議が「これから安倍総裁が参りますが、同じく私どもの元首相である三木武夫は『雨天の友』と言いました」と述べ、ここに集まった人は雨天の友だと強調しました。そして、午後2時15分から、「区議会議員を順不同でございますが、ご紹介させていただきます」として名前を読み上げました。五十音順でもなく、途中で一人だけ「議長」と呼ばれた人がいて、ホントウに順不同だったようですが、寒い雨のなか、念仏のように名前が響きました。区議の多さはさすが自民党。荒川区議会は今週11月29日(木)から投票4日前の12月12日(水)まで第4回定例会が開かれるということなので、ぜひ専念していただきたい。

 この後、3年3ヶ月浪人してきた、松島みどり元経産副大臣、元国交副大臣が演説。昔の日常活動用ポスターには「自民党から生まれた松島みどりです」と書いてあり、保守合同の年に生まれて、初の小選挙区選挙で、自民党の公募候補として立候補しました。このとき、自民党は朝日新聞政治部の記者全員に声をかけたと言われていますが、応じたのは松島さんだけだとされています。そう言うと、失笑する人がいるかもしれませんが、そういう日本はもう止めましょう。むしろ、松島さんは立派です。松島さんはいじめ問題を取り上げて、「民主党の幹事長をされている人は日教組の親分だそうですが」と演説すると、場が静まりかえりました。これはしかたがありません。「自民党から生まれた松島みどり」さんは、自民党用語として「親分」と言ってしまいましたが、これは私たちの世間でいう「日教組のドン」という意味です。ちょっと自民党に染まりすぎたのかな。さらに公共事業・事前防災にふれて、災害時に、「この下町を燃えない街にする」「荒川を船で渡って避難できるようにする」と生へのあくなき執着心をみせました。100歳まで生きてほしい。

 そして、午後2時半になっても予想通り、安倍総裁は現れず。 ここで女性の聴衆一人が突然大きな拍手。これは乾杯の音頭が長い人へ「早く終われ」の意味だったのでしょうか。しかし、なおも安倍総裁はあらわれず。ようやく午後2時46分に、安倍ちゃんが登場。「そうさい~~~!」という大きな歓声が沸きました。

 

 というわけで、自民党の広報車「あさかぜ」に乗り込む安倍総裁。つまりなぜ、野田首相がはしごから落ちかけたのに、安倍総裁がはしごから落ちないかというと、自民党の広報車「あさかぜ」は後ろ開きで、はしごは使わず、車内から屋上に上がるから、はしごから落ちる場面はないのです。民主党も「ダッシュ号」などの広報車を持っていますが、自民党のように後ろがデッキになった広報車はありません。それでいて、100億円ぐらい借金があるらしいので、お金の使い方が下手な政党です。あさかぜに乗るのが夢という自民党地方議員は多いですが、野党の間に仕分けられなかったのでしょうか。

【追記・訂正 2012年11月27日 午後8時】

 昨日付のエントリー(野田総理がはしごから落ちかけても、安倍総裁がはしごから落ちない隠された真実とは?)の中で、「民党の広報車「あさかぜ」は後ろ開きで、はしごは使わず、車内から屋上に上がるから、はしごから落ちる場面はないのです。民主党も「ダッシュ号」などの広報車を持っていますが、自民党のように後ろがデッキになった広報車はありません」と書きましたが、これは勘違いで、ダッシュ号は後ろから乗り込める構造になっていました。思いこみでした、失礼しました。



【追記・訂正おわり】



 こうして安倍ちゃんの寒空の熱弁が始まりましたが、2枚上の2時15分の写真と、この2時56分の写真とで、たいして観衆が増えていないんですよね。むしろ寒雨に待たされた熱心な党員の腰が冷えて、選挙を戦えなくなりますよ。自民党は「総裁が総理ではない」ということすら理解できないなら、いったいこの3年3ヶ月間何をやってきたのか。昨日の枝野幸男経済産業大臣は党本部の告知時刻より6分早く現れ、「早く枝野にしゃべらせろ」とのヤジに応じて、すぐにマイクを持ち、遅れてやってきた自称「民団」に妨害されたんですよ。いったいどっちが与党で、どっちが野党なのか。そして主権者はだれなのか。まさに「安倍ちゃんに日本を渡すな」と私は言いたい。

 安倍総裁は安倍内閣時代に神戸につくったスーパーコンピューターが「何で一番でないといけないのですか、という民主党の妨害にあいましたが、一番になったんですよ」と、事業仕分けを民主党の妨害と表現しました。また、「~なんですよ」として、上から下へ納得させようとする口調があるように感じました。そして、最後に「私たちはこの選挙負けるわけにはいかないんです」と叫ぶとこの日一番大きな拍手が聴衆からわきました。日本最大のシロアリは自民党なんじゃないの。

 ◇

 さて、冒頭に、1001ピクセル×1423ピクセルの巨大な写真を掲示して、パソコンでクリックして開くと巨大な写真で驚いた人はごめんなさい。

 

 民主党選挙対策本部事務総長補佐の馬淵澄夫さんが2012年11月26日(月)午後5時半から党本部で記者会見して、発表した第46回衆院選の民主党ポスター東京版です(民主党広報委員会提供)。で、はしごから落ちかけた野田さんをSPが支えたのですが、「動かすのは、決断。」という野田佳彦の総理力にハッとした人は、野田民主党を支えてください。支え方が分かりますか。

 例えば、ここに掲示したポスター。これは著作権法第40条1項などから、著作権は存在しますが、自由利用が認められています。だから、上の写真を右クリックで取り込んだり、あるいは、この写真のインターネット上のアドレスはhttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/30/543cb5e5198969b5b8c505b3a503e22b.jpgです。こういった写真や、リンクを友人に送る。そうすると、野田民主党をよろしくと働きかける。背中を押す。あなたはオピニオン・リーダーの仲間入りです。

 ケータイメールのサイズが大きければ、下の写真は中くらい(456ピクセル×640ピクセル)。

 

下の写真なら小サイズ、221ピクセル×314ピクセルなんですよ。


 で、こういった写真は著作権はあるものの自由利用が認められています。この写真をケータイメールで送る行為は、公示前でも、公示後でも公職選挙法の事前運動にも文書図画(ぶんしょとが)の頒布(はんぷ)にも抵触しないと考えられます。一筆添えてもかまいません。思い浮かばない人は無理する必要はありません。その選挙区に住む候補者の名前を教えてたり、街頭演説会場を教えたり、衆院選は選挙区は個人名で比例区は政党名だと教えたり、期日前投票所を教えたりしても問題ありません。ただし、「投票してね」とは書かないで下さい。公示前なら事前運動だし、公示後なら文書違反になるし、送ったとたんに、証拠が残ります。まあ、「よろしく」で分かる友達にしっかりと働きかけてほしいのです。

 上の方の写真の位置とか、アドレスとか、もっと加工しやすく掲載してほしいと思うでしょうが、そのくらい自分でやってください。自立してください。

 馬淵・選対事務総長補佐は「私はデザイナーでありませんし、これは私見ですけど、まさに胆力をもって決断したことを表している」として、14日の解散宣言に触発されたとしました。野田さんと馬淵さんは政権交代前も、そして、政権を3年3ヶ月担当した今も、野田総理とシロアリ退治で心を一つにして、比較第1党に向けてばく進しています。

 そのうえで、同時に発表したTVCM第2弾(12月1日から放送)について「製作費・オンエアの量は明らかにしない」と述べました。民主党は政党なので、入札に関する法律の対象外ですが、政党交付金があるので、野党時代にシロアリがたかっているとの指摘もありました。しかし、岡田克也(前)幹事長が、党職員トップの党事務局長に党広報委員会事務部長を兼任させて責任を持たせる党改革を実施しました。このため、党本部全体が広報委員会に連帯責任を負うかっこうになりました。広報委員長として野田代表最側近の手塚仁雄さんが目を光らせていることもあり、シロアリがたかることなどありません。それは当然です。野田政権は、政府として、もっとすさまじいシロアリを仕分けしているのですから、そんなこと問題ありません。馬淵さんがポスターのベールを取ったとき、思わず息をのみました。今まで見た中で、最高の政治ポスターです。

 総理が転びそうになったら、SPだけでなく、日本国民1人1人が支えないといけません。「どこに投票したらいいのか」と悩んでいる友達の背中を押してあげてください。私たちは一人ではありません。今と未来への責任。動かすのは、決断。