[写真]赤丸が輸出管理令規制対象のコンプレッサー、4年前の2019年、東京・北区の「宮崎機械」敷地内で、宮崎信行撮影。
大川原化工機の事案で、「東京都及び国」を被告とした国家賠償請求の判決は、東京都1・62億円、国に1・58億円の巨額判決となりました。報道では、公安部(都)と地検(国)が扱われ、弁護士の高田さんもそれねらいだったようですが、発端は経産省の貿易管理部の知識の無さでした。象徴の一例として、経産省内での貿易管理部と公安部の打ち合わせで「殺菌と滅菌の違い」がウィキペディアのコピーだったというあきれた実態が裁判で明らかになりました。
化学機械「スプレードライヤー(噴霧乾燥機)」は「オーストラリア・グループ」という条約ではない国際約束を国内実施法に落とし込んだ「外為法・輸出管理令」で規制対象ではありませんでした。私の家業は工作機械販売ですので、「ワッセナー・アレンジメント」になりますが、これは「東芝機械ココム違反事件」の「ココム」が改称した国際約束です。基本はアメリカの締め付けですから、日本の行政は「なんちゃって規制」「骨抜き」をしつつ審査するパラダイムのはず。現役職員と公安部は、アメリカの締め付けを国内で骨抜きにするというパラダイムを忘れているし、ましてや愛宕署に飛ばされた外事1課警察官は違法は警視庁が正すものだと思い込んでいたようです。
貿易経済協力局の予算定員は321。その半数を占める貿易管理部の課長級の肩書を見ると、東大工学部卒のキャリアもいますが、ほとんどがJICA職員、外務省、防衛装備庁、農林水産省、内閣府の原子力、復興庁の参事官など門外漢とみられます。
自動車の生産・販売と、機械の生産・販売は似て非なる世界で、自動車はエンジン以外は技術が理解できている人が販売していますが、機械の営業マンはそもそも機械の機関の理解していないし、自分で運転したこともありません。製造ラインの組み方や電気系統だけは理解しており、あとは販路の囲い込みと人間としての信用、金融機関対策だけです。ですから、国土交通省自動車局ができることと、経産省貿易管理部のできることは全く違う世界です。
前に書いていますが、5年前の私が、宮崎機械の第2代社長兼100%株主の地位になり異論を持つ社員を解雇して在庫の全廃棄を決めました。この際、神戸製鋼製の「エアーコンプレッサー(空気圧縮排出機)」が規制対象と分かりました。スクリュー(固定回転翼)の型式です。当時の貿易管理部の部屋は、きょう国賠判決がでた顔ぶれと同じだったはずです。「システック安全保障貿易情報センター」に丸投げだから分からないとの回答で、同センターもリストを机上において照らし合わせるだけで、スクリューの型式をまったく理解できていませんでした。リストが分からないから、世耕弘成大臣時代にキャッチオール規制へのシフトがなされたのでしょう。
街を歩いていたバングラデシュ人ビジネスマンから、在庫を売ってほしいと言われました。後日社長が来たので、私は「バングラデシュはすばらしい、印パはとんでもない、核兵器を持っているから。ところで、審査をできますか」と聞いたところ、バングラデシュ人社長は「審査」を「中古の冷蔵庫だけど10年間動くとの権威ある民間機関の認証を受けること」だと誤解していました。私は断るために経産省への問い合わせが必要になりました。その問答が上述のあきれはてた行政で、神戸製鋼からの電話は「規制対象です」との回答でした。私は容赦なく全在庫を、警視庁の道路占有許可もとって重機で産廃処理場に送りました。法人の棚卸資産表と在庫に仮に齟齬があったらキャッシュフローも節税効果もないのに税務署に更正されたら損失だとの予断も含んだ私の経営判断です。
[写真]輸出管理令規制の機械を容赦なく重機で産廃処理場に送るようす=同。
[写真]赤丸が輸出管理令規制対象のコンプレッサー、4年前の2019年、宮崎信行撮影。
細田博之さん、世耕弘成さん、西村康稔さんらこの3カ月で、経済産業省のOBや大臣は災難続き。弁護士が「警視庁公安部と東京地検」をターゲットに絞っており、マスコミもさすがにそちらに関心が行くわけですが、貿易管理の在り方を考えれば、総理をめざす高市早苗・経済安全保障担当大臣の来年の法案提出以降も、本当に日本全体のGDPを上げるものかどうか疑わしいと考えます。
国家安全保障会議事務局経済班も含めて、基本はアメリカの締め付けだということをよく理解して、それから考える。全当事者がそうあるべきだと考えます。
ところで、輸出管理や安全保障貿易情報センターの体制の第一人者は早稲田大学の山本武彦名誉教授で、この方は私のゼミ教授です。
ところで、これからの1段落は、この場を借りて全く輸出管理と関係ない話ですが、北区の宮崎機械の創業者夫妻と、長野市を代表する住宅建設メーカー「小山木材」の創業者は3親等とかなり近い姻族です。私と県区選出の北沢俊美民主党参議院議員(1992年から4期)との24年間の会話で、彼が腰を抜かさんばかりに驚いたのはこのことです。今年のお彼岸の墓参りで、父の兄(当主)も最近初めて知ったとびっくり仰天していました。本人からは小山木材創業者と5親等の姻族だと90歳を過ぎて初めて知ったことになります。これが今年の話なので、ここで書いておこうと思います。私と創業者が4親等、当代社長と6親等。私は第2代社長とは六畳間で数時間居合わせたことがありますが、これまでもこれからも、長野市の経済、社会でお会いすることはないでしょう。私たち一家も半世紀、このことをほとんど認識しておらず、長野市経済における「小山木材」の知名度が格段に向上された。なので半世紀にわたる相対的な関係性が2023年現在では、長野市地域で驚愕のファクトになったのだと思います。宮崎機械は廃業しましたが、皇居まで8キロで専業大家をしており張り合う必要は全くないでしょう。なので、一応書き残しました。
大川原社長ら3役員の原告にお祝いを申し上げるとともに、亡くなった役員のご遺族である原告にもお悔やみとお見舞いとお祝いを申し上げます。