プレジデント社から今月4日付で刊行され、アマゾン「自伝・伝記」ランキング5位に入っている、
「イオンを創った女 評伝小嶋千鶴子」(東海友和著)
について、岡田克也さんは、「その本は読んでいない」としながらも、「非常に勉強家ですよね」とおばへの思いを明らかにしました。
これは、週1回衆議院第一議員会館内で開いている、無所属の会の岡田代表の定例記者懇談会で、きょう平成30年2018年11月30日(金)に、ブログ主の私・宮崎信行が質問したことに答えたものです。
岡田さんは小嶋千鶴子さんについて、「現在102歳で元気にしているし、あちこち出歩いている。その長寿は引き継ぎたい」と語りました。
そのうえで、「非常に勉強家ですよね。その本に書いてあるかどうかは分からないけれども、戦争があったとき、第一次世界大戦後のドイツで起きた超インフレを分かっていて、(岡田屋に)残っていた現金を、名古屋に行って、全部商品にかえたと聞いている」としました。
[写真]記者会見する岡田克也代表、この写真は3年前の2015年、宮崎信行撮影。
きょう岡田さんから聞いた話。帰宅して読み直しましたら、「イオンを創った女」の21ページ以降に出てきます。小嶋さんは、戦後まもない、1946年、コンビニほどの大きさの新・岡田屋を開店。これに先立つ、1月、会社に残っていた現金(旧円)を名古屋に持って行って、全部商品にかえました。2月に幣原内閣がハイパーインフレ対策として旧円を新円に切り替えて通貨の価値を切り上げました。3月に再開した岡田屋には、混乱の中で物資を求めた客が殺到。商品を新円で購入しました。このため、岡田屋には新円だけがどんどんたまっていきました。預金封鎖時には、銀行口座にあずけた新円を担保に新円を借金してしのぎました。1946年6月には、早くも、小嶋千鶴子さんは、岡田屋代表取締役社長の座を、東京・早稲田大学に通っている実弟・岡田卓也さんへバトンタッチ。
この時代に、姉弟に両親は亡く、評伝は「小嶋は母であり、岡田卓也の父でもあった」としています。
で、7月に、卓也新社長が打ったセールのチラシが、以前の記事で紹介した、「7月2日3日、焦土に開く 天下分け目の大売り出し」のチラシで、このときお客さまのご婦人が「やっと平和が来ましたね」と卓也さんに涙を流した。これが「小売業の繁栄は平和の象徴」という、非の打ちどころが無さ過ぎて誰も文句のつけようがない、卓也さんの生涯の信条となり、ついに年商8兆円という巨大すぎるイオンになり現在に至る。というのが、千鶴子・卓也姉弟の物語のようです。
千鶴子さんは1977年にイオンの役員を退きましたが、102歳の現在も、毎日新聞社の週刊誌「エコノミスト」を愛読している、と評伝の著者、東海さんは書いています。
私は、この1946年7月よりも前のことは知りませんでした。正直、小嶋千鶴子さんの名前は、著作の発行に先だつプレジデントオンラインの記事で最近知りました。
で、なぜ、この記事を書いたかというと、私は雑誌プレジデント2018年10月1日号で=下の写真=「高校大学実力激変マップ 就職に強い学校、出世する学校」の特集の、「国会議員・知事編」に登場。私若干44歳にして、上から目線で、国会議員になるにはこの大学の学部に入ると良い、と力説させていただきました。どや顔で学歴ネタというグレーゾーンを論じて、永田町内でだれかになぐられやしないかという緊張感が快感でした。
ただ、当時、私は亡父(先月他界)の看取りの最終段階になっており、いつもと違う情報の出入りに慎重で、このブログでご紹介していませんでした。雑誌プレジデントは定期購読者がかなり多くて、色々な人に読んだよ、と言われて驚きました。ことしは、「ムラ」が野党第3会派という絶望的な地位に下がり、亡父の介護もあり、政治ジャーナリストとしてのインプット量はスカスカ、過去10年でもっとも少ない状態ですが、プレジデントさんにも登場させてもらって、けさは旧知の有名週刊誌記者からも取材の電話がかかってきたし、来年2019年は夏の参院選に前後して、どんどん上がっていこうと考えております。
ということで、利害関係をいちいち明白にしないと、書評も書けない正直な私ですが、まあ、商業流通経営者は読んでおいて損は無い、というところでしょう。
「イオンを創った女 評伝 小嶋千鶴子」は、東海友和著、定価1600円+税、プレジデント社で、ISBN 978-4-8334-2292-5 です。