【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

「これだけは曲げない」「時間がかかる」

2010年07月30日 22時32分24秒 | 第175臨時国会(2010年7月)ねじれ

 外相の岡田克也さんが、7月29日収録・30日放送のCS番組「国会トークフロントライン」に出演しました。

 TBS元アナウンサーで元政治部記者の川戸恵子さんが司会で、400回記念として、現役外務大臣の出演をお願いしたとのこと。岡田さんは野党時代から、この番組によく出ていて、他の番組に比べて話しやすそうにしています。私は参議院議員会館で川戸さんにお会いした時に、「岡田さんは川戸さんの番組だと、いつも話しやすそうにしていますね」と聞いたら、「理由は分からないんですけど、そうみたいですね」とのことでした。ただ、与党になり、外務大臣になったことから、今回の岡田さんさんは慎重でした。

 さて、この番組で、川戸さんは岡田さんに、ねじれ国会について、特定の政党名は挙げずに連立の可能性を聞きました。

 これについて、岡田さんは、連立の可能性を否定せず、新しい連立の可能性があることを示唆しました。

 岡田さんの発言は「選挙が終わったばかりですから、数あわせで済む話ではありません。野党の方もそのように考えていると思います」としたうえで、

 「(これからねじれ国会の状況下で)国会をやっていく中で、ある程度の信頼感のあるパートナーとして組めるところ(政党)ができてくれば、

 連立を組むということはあるかもしれません

 ただし、選挙が終わってすぐ(連立)というのは、(党の支持者らにとって)分かりにくい。

 少し時間がかかる と思います」と述べました。

 ところで、参院選公示日の6月24日に発売された岡田克也さんの2冊目の著書「岡田語り。」というブログ本のなかで、新規に語り下ろした部分があります。この本の最後の一文ということになりますが、「日本の政治のこれから」と題した一文に次のような重要な考え方を示しています。299頁です。

 (『岡田語り。』299頁から引用はじめ、色づけ部分は当ブログの自主判断)

 私が目指してきた政権交代がしっかりと行われる政治というのは、必ずしも単独政権である必要はありません。常に単独政権であり、主要政党は2つしかないということは、(中略)柔軟性を欠くわけです。二大政党が自己革新を怠れば、常に第三政党がそれに取って代わるという仕組みを用意しておく必要があります。それには、小選挙区300、比例100くらいの制度にすれば必ず第三党が存在する(中略)完全小選挙区制は、やはり問題があるということを改めて感じた次第です。

 基本的にはきちんと政権交代ができる大きな2つの政党が競い合うということであり、それにプラスしていつでも取って代わる勢力が出てくるし、時には連立政権があるという柔軟さが必要だと思っています。(中略)

 民主党も自民党も、現状では期待はずれで、低レベルの競争に甘んじています。お互いがより良い政治を目指して競い合っていくという、本当の民主主義を作り出したいというのが私の切なる希望です。

 もう1、2回政権交代が行われる中で、徐々にその体制ができあがっていくと思います。これからあと10年近く必要かもしれません。政治家としては、できればそこまで見届けたいと思っています。

 (引用おわり)

 というわけで、「第3党」「第3極」の必要性に触れています。またそのためには、衆院に比例代表を残すことが必要だとしています。初当選以来の岡田ウォッチャーである私としても、岡田さんが野党時代(政権交代前)にこのような発言をした記憶はなく、政権交代後に、実際に政権を担いながら、考え方を修正したものだと思われます。

 この収録日と同じ、7月29日の民主党両院議員総会で、1年生議員の藤田憲彦さんが連立に関して発言しました。代表(総理)の菅直人さんと藤田憲彦さんは、東京都連代表-東京4区総支部長という関係で第45回衆院選で当選しました。藤田さんは、菅首相と近いとみられます。

 
[画像]藤田憲彦さん、民主党両院議員総会(2010年7月29日)ネット中継からキャプチャ。

 藤田さんは、「安易な連立理論が、政策の合意無しに数あわせのように行われたら、マニフェストが骨抜きになります。我々(民主党)は、これだけは主張を曲げないんだという強い姿勢を示して欲しい」として、

 「その政策に合わせて、合致して、応援して、合意してくれるというところ(政党)としか組まない」という姿勢(パラダイム)を持った上でないと、「民主党に投票してくれた人に失礼になってしまう」と強調しました。

 東京4区は、公明党立党者で創価学会名誉会長の池田大作さんの出生地であり、創価学会内では「聖地」とも呼ばれています。地方議会では公明党が全国有数の強さを示していますが、とはいえ、衆院小選挙区では、公明党公認候補が立候補したことはありますが、勝ったことはありません。

 公募新人の落下傘候補ながら初出馬で東京4区を勝ち上がった藤田さんの「発言の意図」は分かりませんが、その「現状認識と民主党に求められる姿勢への主張」は正しいと思います。

 民主党政策調査会は、09マニフェストの中で「曲げられる部分」と「曲げられない部分」を仕分けるべきでしょう。

 しかし、それにとどまってはいけません。

 公明党のマニフェストや議員立法などについても、「受け容れられる部分」と「受け容れられない部分」を仕分けるべきではないでしょうか。各委員会の理事が現場で肌で感じる部分があるでしょうから、これを政調部門会議に吸い上げる。それを政調役員会が全体のマニフェストと調整し、党役員会が最終的に党の方針を決定し、国会対策委員会が理事に指示するということができればいいと思います。

 政調部門会議の座長は、衆参常任委員会の筆頭理事らが務めますから、政府と党の一元化だけでなく、国会と党の一元化を図る。

 そして、時間をかけて、来年の通常国会の2月の衆院予算通過~4月の統一地方選~後半国会での個別法案の審査のプロセスで、徐々に民主党と公明党の信頼感を作っていき、閣外協力の要請、連立樹立の要請、そして、最終的には総務省への政治団体登録を通した政党連合へと、じっくり時間をかけながら、話し合っていってほしいと、私は思います。

 その中で、民主党議員を個別に支持している、立正佼成会、天理教、浄土真宗などとの意見交換もていねいにしっかりとやっていく必要があるのは言うまでもありませんが、とにもかくにも、話してみないことには、国政が前に進めません。

 そのプロセスの国民への公開は不可欠。衆参の議院運営委員会や、各委員会の理事会のネット中継などに、衆参とも踏み出して欲しいです。

西岡武夫さんが参議院議長に 公明党の協力で薄氷の勝利

2010年07月30日 20時08分50秒 | 第175臨時国会(2010年7月)ねじれ

[写真]参議院議長選挙で、いの一番に投票する公明党の竹谷とし子議員(壇上の淡いブルーのスーツ姿)、登壇前に一礼する公明党の石川博崇議員(右下の紺のスーツ姿)。議長席は、山東昭子さん。

【2010年7月30日 参院本会議】

 第175回臨時国会が30日召集されました。第22回参議院通常選挙の当選者の任期が7月26日から始まったことにより国会法2条の3により、政府は臨時国会の召集が義務づけられています。

 このブログは3年前の臨時国会の召集日からスタートし、ねじれ国会をウォッチしてきました。ここ10ヶ月間はねじれが解消されていましたが、再びねじれ国会をウォッチすることになりました。きょうは国会議事堂には出向かずに、ネット中継で傍聴しました。

 本会議ではまず、山東昭子副議長が議長席に登壇し、参議院名物のギャベル(木槌)を叩き、「第175臨時会の召集」と「会議を始めます」と宣言。江田五月さんからの辞表提出に伴い、参議院議長の選挙を取り仕切りました。

 議席は仮指定されており、この議席番号順に参議院事務局参事が点呼します。

 まず読み上げられた名前は、「竹谷とし子さん、石川博崇さん・・・」。竹谷さんと石川さんは真っ先に登壇し、投票しました。ともに公明党新人で、それぞれ東京選挙区、大阪選挙区で上位当選しました。

 堂々巡りが終わり、集計の結果を、山東副議長が結果を読み上げました。

 投票総数 239(過半数は120)
 「西岡武夫」さんが139票
 「江口克彦」さんが 11票
 「尾辻秀久」さんが  1票
 「白票」     が 88票

 で、民主党の西岡武夫さんが参議院議長に選ばれました。

 ◇

 さて、ここでこの選挙結果を分析する重要性は極めて高いと思いますが、現時点ではTVや新聞夕刊ではまったく報じられていないようです。

 西岡さんには民主党(106議席)と国民新党(3)に加えて、公明党(19)、共産党(6)、社民党(4)と無所属のうち1人が投票したと思われます。これを足すと139票になります。

 みんなの党(11議席)は同党の新人で党最高顧問の江口克彦さんに投票したのでしょう、これはピッタリ符合しています。

 自民党(84議席)は「白票」を投じたと思われます。

 また、「白票」プラス「尾辻」が89票となりますが、自民党(84)、たちあがれ日本(3)、新党改革(2)が統一行動をとったら、89票にピッタリ符合します。尾辻さんに1人入れたのは、うっかりミスかもしれませんし、確信犯的な政治行動かもしれません。

 この投票結果はまさに「ねじれ国会」の荒波とその党派別の方向性を予見させる結果となりました。

 第一党から議長、第二党から副議長は、あくまでも「慣例」であって、法律でも規則でもありません。

 まず民主党は、薄氷の勝利に襟を正すべきです。

 みんなの党が11人一致して、独自候補に入れた理由が、「みんなの党の躍進を印象付けて、影響力を誇示するため」だと思いますが、説明して欲しい。そういう理由なら、それでよしと私は思いますから、正直に説明して欲しい。

 そして、自民党は、たち日、新党改革と、どのような関係なのか説明してほしい。第174通常国会召集日には、この3党の議員は、ほとんどが自民党だったわけです。比例代表で注目を集めるために、分党した、自民党の衛星政党なのではないかと疑いたくもなりますから、ぜひこれも説明が欲しいですね。

 さて、私のブログを、参院選後読んで頂いてくださる方はご理解いただけると思いますが、私がイチバン申し上げたいことは次のことです。

 公明党(19)が仮に西岡さんに投票しなかったとしたら、過半数(120票)ギリギリでの当選となっていたことになります。ただ、この後の副議長選挙は1人投票者が多いので、議長選挙では棄権者がいた可能性が高いと思います。この棄権者が白票などを投じていたら、西岡さんは当選せず、決選投票が必要となっていました。

 つまり、公明党が「西岡」と書いてくれたから、議長人事がすんなり一発で決まったのです。

 すなわち、ねじれ国会初日は、公明党が民主党を助けてくれたという図式になります。

 この辺のことは、私は持論に確信を持ちつつありますので、エントリーを改めて、また何度でも書いていきます。民主党はまずは公明党に協力を要請し、そして、互いの支持者を説得できたら、閣外協力か、連立樹立。また自公連立で、公明党および創価学会は影響力を高めながら、公明党の議席は減らすというジレンマを経験しました。これをふまえると、民主党と公明党が、例えば「民主・公明会議」というような政治団体を総務省に届け出て、「政党連合」という方向性に向かっていくべきだと思います。公明党という単体だと、やはり創価学会の下部組織という印象がぬぐい去れず、政党としては長期低落傾向を脱せないと思います。エントリーを改めると書きながら、やはり長くなってしまいました。とにかくまた改めて書きますので、参議院本会議に戻ります。

 ◇

 西岡さんが議長席に座ると、仮議席をそのまま正式なものとして議席の指定をしました。

 山東昭子副議長から辞表が提出され、副議長選挙になりました。


 ですから、副議長選挙は再び、竹谷さん、石川さんと堂々巡りになりました。

 投票総数 240(過半数は121)
 「尾辻秀久」さんが235票
 「白票」     が   5票

 で、自民党の尾辻秀久さんが参議院副議長に選ばれました。

 この後、西岡議長が常任委員長を指名しました。

 常任委員長15人のうち、民主党8人、自民党6人、公明党1人が選ばれました。前国会では、公明党は2つ委員長ポストを持っていましたが、第22回参院選の結果を反映して、行政監視委員長を自民党(伊達忠一さん)に譲り、法務委員長(浜田昌良さん)1ポストに転落しました。

 そのうち、最重要ポストである議院運営委員長には自民党の鈴木政二さんが選ばれました。予算委員長には、民主党の平野達男さんが筆頭理事から昇格しました。民主党から37歳の林久美子さんが総務委員長になりました。同期で隣席の蓮舫さんもにっこり。

 江田五月さん、3年間の議長職、お疲れ様でした。


「官房機密費を受け取ったことはない」

2010年07月28日 09時24分36秒 | 岡田克也、旅の途中
[写真]岡田元也さん、岡田克也さん、高田昌也さんの岡田3兄弟=岡田かつや公式サイトから

 東京新聞は2010年7月28日付5面に、本社で第268回『読者と対話の日』が7月17日開かれた、として、読者と東京新聞編集局幹部のやりとりを詳しく伝えました。

 この中で、「記者クラブ問題や官房機密費では社側の見解を求める声も聞かれた」として大きな見出しを立てています。

(紙面より引用はじめ)

 官房機密費に関し高田政治部長は「私も政治部で20年たつが、私の知る限り、先輩も含め機密費を受け取ったということはない。現政治部員にしても同様だ」と述べた。

(引用おわり)

 として、編集局政治部長の高田昌也さんは、官房機密費(内閣官房共通費の報償費)を受け取った経験がないことを明らかにしました。

 

[画像]2010年7月28日付東京新聞5面

 東京新聞のスター記者で政治部長の高田昌也さんは、外相の岡田克也さんの実弟で、母方の祖母に跡取りがいなかったため、高田姓を名乗っています。イオン創業者の岡田卓也さんの長男は岡田元也イオン社長、次男が克也外相、三男が昌也さんです。

天皇陛下、第175臨時国会を7月30日に召集

2010年07月27日 20時04分27秒 | 第175臨時国会(2010年7月)ねじれ
[写真]官報

 天皇陛下は、7月27日、詔書を発せられ、7月30日に臨時国会を召集しました。

 日本国憲法第7条(国事行為「2国会を召集すること」)と国会法第1条(召集詔書の公布)および、その第2条の3(参院通常選挙のあと、その任期が始まる日から30日以内に臨時会を召集しなければならない)に基づきます。

 天皇の国事行為は内閣の助言と承認が必要なので、「内閣総理大臣 菅直人」と添え書きがあります。

「新進党潰しは許し難し」

2010年07月27日 06時14分11秒 | 第175臨時国会(2010年7月)ねじれ

 総務相の原口一博さんが、26日、防衛政務官の長島昭久さんのセミナーで講演し、「政権交代すると言いながら、新進党をぶっつぶした。許し難し、とずっと思っていた」などと、小沢一郎氏を批判したそうです。

 朝日新聞、時事通信、共同通信などの報道によると、原口さんは、

 「時々、自分のチームが信じられなくなることがある。1年半に1回くらいある」

 「心理学的に言うとトラウマか何かを持っている」

 「改革は自分のチームを信じられる人間にしか(できない)」

 「もしそれ(人間不信)が出なければ、こんなにすごい人物はいない」

 「政権交代すると言いながら、新進党をぶっつぶした。許し難し、とずっと思っていた。だから、今、親小沢と言われるのは何でかなと思っている」

 「大なたがときどき間違って僕らの仲間にも来るから、ちゃんとブロックしておこうかなと思う」

 などと発言したそうです。

 この原口発言は9月の代表選と絡めて解釈しようとする人が多いと思いますが、私は公明党の協力に向けて秋波を送っているといううがった見方もある、とあくまでも私は推測します。

 9月の臨時国会のエントリーでより詳しくご紹介したいと思いますが、書き出して、計算したら、公明党に関して興味深いデータが出ました。だいたい合っていると思いますが、改めて調べてみたいと思いますが、私の計算では次のようになりました。

 公明党の国会議員は40人(衆院21人、参院19人)です。

 そのうち新進党を経験している議員は、25人ですから、62%に上ります。

 このうち「新進党」と、その友好政党であるローカルパーティ「公明」の結党メンバーは18人ということになると思います。公明党現職議員の45%を占めます。衆院公明党では、61%が結党メンバー。山口那津男代表のほか、幹事長の井上義久さん、おなじみの坂口力元厚労相、政調会長である斉藤鉄夫・元環境相、幹事長代理の高木陽介さんのほか、参院のベテランの白浜一良、草川昭三両参院議員らです。

 さらに興味深いのは、「新進党公認の新人」として初当選した新進党1期生(95年参院選、96年衆院選)が7人に上り、党全体の17%を占めます。国対委員長の漆原良夫さん、参院では、魚住裕一郎、松あきら両参院議員らです。

 そして、新進党解党後のこの12年間に初当選した議員は15人。これは昨日(7月26日)から参院議員になった人も含めてですけど、全体の37%にとどまります。少ないですよね?

 衆院公明党では、42%が「新進党結党メンバー」、33%が「新進党一期生」で、76%が新進党から、新党平和を経て、現在の公明党議員になっています。つまり、それから12年間に5人しか初当選していません。

 これは、公明党が新進党合流により、すそ野を増やして、議員を増やしたが、2000年代の自公連立で、長期低落傾向に陥っているといえるでしょう。

 私は創価学会員ではありません。が、新進党学生部の活動をしていたなかで、公明党の現職国会議員や地方議員には、様々な思い出があります。公明党議員の顔というのは目に見えにくい所がありますから、そういったことも、いずれ、ご紹介したいと思います。公明党も創価学会を基軸に新しい支持層を開拓していくことで、長期低落傾向を払拭したらいいのに、と思います。

 私は、新進党の旗の下に、政権交代ある二大政党デモクラシーをめざした、「新進党の立党の精神」に帰って、民主党と公明党が連立政権に踏み出すべきだと考えています。

 

 民主党と公明党が連立すると、衆院(過半数240)で「328」、参院(過半数121)で「125」となります。

 「チーム3000」のポスターにあるように、公明党には地方議員が3000人います。立党の精神に帰った「平和と福祉の公明党」の訴えは、チーム3000人によって、説得力を増し、また、足腰の強い選挙活動につながったのでしょう。公明党は、東京、大阪、埼玉の3選挙区で、上位で候補者を当選させました。とくに埼玉選挙区では、これまで相対的に支持が薄かった県北の農村部を回るという、3年前の民主党を彷彿とさせる川上戦術に成功したようです。

 一方、民主党幹事長の枝野幸男さんは26日の記者会見で、「統一地方選の公認候補300人を8月中に決めたい」としながらも、記者からの「公認候補の人数の最終目標は?」との質問に言葉を濁しました。

 
 このwikipediaにある写真のように、原口一博さんは昨年5月の民主党代表選における有楽町マリオン前の街頭演説会で、私が支持しなかった候補者の応援演説に立ちながら、その夜の日テレ「太田総理」の中で、支持候補をたずねられたのに、全国放送では答えないというふるまいをしました。政権交代後の総務大臣就任後も、「出先機関の統廃合」「ひも付き補助金の廃止と地方一括交付金の創設」「基礎自治体の再編と強化」といったマニフェストの実行が遅いどころか、それとは矛盾した方向性の発言を繰り返し、マスコミをひきつける。「痩せたソクラテス」のような岡田さんとは対極的な、彼のふるまいは初心を忘れており、初めて与党を味わった議員の醜い姿を見てしまった感じがして、失望していました。

 しかし、ことし6月の代表選では、私が支持した候補者に投票したと思われ、また多くの国民に新進党の原点を惹起する発言をしました。新進党の原点を共有してくれていることが確認できたので、きょうからは、もう一度、原口さんの挑戦を見つめていきたいと感じました。

 私はなんとなくですが、世論は「霞が関をぶっ潰す」ことよりも、「安定政権による景気回復」に移りつつある、と感じています。

 ◇

「時々、身内が信じられなくなる」原口大臣の小沢氏評
朝日新聞電子版http://www.asahi.com/politics/update/0726/TKY201007260378.html

 「大きなパラダイムを変えることができる、すごい人物」――。原口一博総務相は26日、都内で講演し、民主党の小沢一郎前幹事長についてこう語った。一方で原口氏は「時々、自分のチームが信じられなくなることがある。1年半に1回くらいある」とも評した。

 原口氏は1996年、小沢氏が党首だった旧新進党から衆院議員に初当選し、同党の解党で民主党に合流した。初当選当時の状況を「生みの親が小沢さんなんです」と振り返ったが、解党については「政権交代すると言いながら、新進党をぶっつぶした。許し難し、とずっと思っていた」と批判した。

 小沢氏が民主党代表に就いてから再び関係は近くなったとされており、9月の党代表選では小沢系候補としての原口氏擁立論もある。


tag 新進党を解党した小沢一郎を歴史法廷の断頭台に送ろう。


「いもうと」の英断を応援したい

2010年07月27日 00時11分06秒 | 第175臨時国会(2010年7月)ねじれ

[画像]Youtubuの「irukaclub」さんの映像(http://www.youtube.com/watch?v=9m3pqKjEeuA)の6分59秒から、キャプチャ・トリミングさせていただきました。

 大阪10区(高槻など)選出の衆院議員、辻元清美さんが、社民党を離党することになりました。かなり悩んだ末での決断のようですが、私は辻元さんの決断を支持したいと思います。

 辻元さんは第45回衆院選で、民主党の推薦を得て、50・5%の得票率で当選しています。当選4回、鳩山内閣で前原誠司国交相の下、国土交通副大臣を務めました。

 辻元さんは選挙に出る前から、市民団体「ピースボート」の活動で有名でしたから、社会部の記者とすでに知己が多かったようです。辻元さんが1年生議員になったとき、その記者が政治部に異動して総理番をしていました。当時は・自社さ連立で、社民党は与党でしたから、大きな会合で、辻元さんがその記者と再会を喜び、「久しぶりやね」「私、『政治家に向いていないって』って言われて、悩んでいるんや」という会話をされていました。それが現在当選4回の中堅代議士になっているわけですから、精神力が強く、ねばり強い人なのでしょう。

 また、政治とカネの問題で国会を去っていた時期もありましたが、ダンマリを決め込む政治家よりもマシです。

 社民党政審会長時代、民主党政調会長だった岡田克也さんと二人三脚。関西弁で冗談を言い合い、互いに「きょうだい」と呼び合うほどの仲になったそうです。僕は正直、辻元さんという人は、あまりよく知らないのですが、岡田さんが「いもうと」と呼び、選挙区のみなさんが過半数の得票率で国会に送り込んでいるのだから、確かな人材なのだろうと思います。

辻元さんは昨年5月26日付の自身のブログ(http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2009/05/26-1841.html)で次のように書いています。

(引用はじめ)

強くなったボンボン・鳩山代表に庶民の厳しい現実をインプット


(中略) さて、一方の岡田さんは小泉郵政選挙敗北の責任を取って第一線から引かれて以来、コツコツと日本国内だけではなく海外特に途上国にも足を運び、活動されていた。私が前回の選挙で復帰した直後、予算委員会室で立ち話した時、「復帰おめでとう」と声をかけてくれた岡田さんに「どれくらい充電するの?」と問うと「三年くらいかな...」という天井を見つめながら呟いた姿を思い出した。

(中略)小泉政権の初期、岡田さんが民主党政調会長、私が社民党政審会長時代、隔週金曜日の朝八時から野党政策調整の議論をしていた。当時自由党や共産党も含めて野党四党で予算の組み替えまで手がけた。岡田さんは「原理主義者」と言われるが、私は粘り強く政策合意にむけてお互い議論してきたので親近感があった。野党共闘での政策論議の活性化を期待したい。

 (引用おわり)

 つまり、辻元さんは、岡田さん同様、他党とねばり強く政策にすりあわせをするプロなのです。これは、「ねじれ国会」になくてはならない能力です。「右だ、左だ」と柔軟性のない輩は弾き飛ばされるでしょう。でも、政治家としての志がない輩も、その柔軟さに対する納得ある説明ができないから、これも消えていくでしょう。

 辻元さんのように、柔軟かつ、志があり、かつ小選挙区で50%を超える得票率を持った人が、その任にふさわしい。

 例えば、衆院民主党と参院社民党の両方と会話できるというのは、辻元さんしかいないでしょう。

 「ねじれ国会」というのは、いつどこでだれの人脈が生きるか分からない。辻元さんは、早大同窓生では、二世の田中眞紀子さんに次ぐ女性国会議員の代表格となっているから、例えば、自民党元総裁の森喜朗さんともサシで会えるはずです。

 辻元さんはまたしても罵詈雑言言われることがあるだろうが、僕は辻元さんの英断に拍手を贈り、その背中を押したいと思います。

 そして、できることならば、いつの日か、辻元さんには民主党に入党して欲しい。民主党サポーター登録者の私は、諸手を挙げて、辻元さんを歓迎したいと思います。
 

【共有動画】「irukaclub」さんという方が撮ってくださった、岡田克也民主党幹事長による、辻元清美候補予定者(社民党公認、民主党推薦)の応援演説。2009年7月の衆院解散後→衆院選公示前のタイミングです。
http://www.youtube.com/watch?v=ibYj_2pOBEg

http://www.youtube.com/watch?v=9m3pqKjEeuA


Google対策で、一時的にタイトルを変更します

2010年07月24日 16時02分22秒 | その他
 読売などの報道では、民主党代表選を9月11日に実施するとのことですが、この日だけは避けて欲しい。9・11は民主党の敗戦記念日ですから。

 さて、7月30日~8月6日の第175臨時国会と、9月11日(?)の代表選をのぞき、当ブログは、9月中旬の第176臨時国会まで、基本的に長期の大型夏休みをいただいています。

 といっても、書くのが日課なので、こうやって「登校日」を作ってしまうのですが。

 「宮崎信行」でGooglie検索すると、ひどいですね。私の悪口ばっかり。まあ、リンク先を読めば、日本語がおかしかったり、論旨がおかしかったりで、思いこみによる誹謗中傷なのですが、あまり「嘘つき」「迷走哀れ」との言葉がおどっています。

 ということで、夏休みのおおそうじということで、秘策をとらせて頂きます。

 一時的にタイトルを「国会傍聴記by下町の太陽・宮崎信行」から、変更します。ただし、http://blog.goo.ne.jp/kokkai-blogのままです。以前には、年末年始限定で「自民党撲滅キャンペーンby下町の太陽」に変えたり、総選挙へ気合いを入れるため「民主党ガンバレby下町の太陽」に変えて数日で思い直して戻したりしていますので、その延長です。

 ときおり、タイトルを変えることで、Googleの検索のしがらみをほどいて、変なブログへのリンク、という、枝葉を摘み取っていきたいと考えております。

国会は当分暇です

2010年07月20日 00時16分03秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議

 本格的な国会は9月召集の第176臨時国会となりますので、ブログの更新は大幅にペースを落として、久しぶりにゆっくり休ませていただきます。

 ことしがスタートした1月中旬、第174通常国会召集直前に友人2人が東京拘置所に身柄を拘束される事件がありました。それ以来、「パニック障害」に似た兆候があり、悩んでおります。(注、医者から「パニック障害」という診断名は受けていません)。私が今年になってから、1対1で話し合っているさいちゅうに突然、帰ってしまったことは、複数の民主党国会議員も知っているか、ないしは「宮崎さん、どうしたんだろう?」と感じていると思います。

 医者からは運動療法が大事だと処方されており、家の片づけ、資料整理、スポーツクラブ、海辺の小旅行(さすがに今年は海外旅行はむりですね)などをしたいと思います。

 なお、雑誌社、新聞社、放送局のみなさまは気にせず、いつでもご連絡ください。どんなご質問にもすばやく気の利いたコメントを心がけております。

宮崎信行のプロフィール
http://blog.goo.ne.jp/kokkai-blog/e/da8d65a26e296ce081306d9da584c2da

宮崎信行のメールアドレス
miyazaki@wa2.so-net.ne.jp


参院選の結果、私の昨年末の「AERA」での予想が的中

2010年07月13日 20時19分33秒 | 第22回参院選(2010年7月11日)反省の夏

 さて、当ブログは昨年暮れに、2010年の第22回参院選は、1998年7月12日の第18回参院選(1998年7月12日)に似ていると予言していましたが、ピタリ的中しました。

 自民党「44」議席で、与党全体でも「44」議席(第18回参院選)
 民主党「44」議席で、与党全体でも「44」議席(第22回参院選)

 ということで、定数が変わっていますが、ピタリ。

 「世論は参院選では、与党にお灸を据えようとする」「評判は高いと思われていたのに大敗」と述べています。また、「山一証券破綻処理など」とし、参院選は経済・景気に左右されやすい傾向がある、と取材で指摘させて頂きました。

 

【過去エントリ】下のリンクをクリックしてご覧ください。
AERA2010年1月4日・11日号にコメントを載せてもらいました。

 なぜ、昨年末から民主党が大敗すると思っていたかというと、みんなが油断していたからです。これは選挙の鉄則ですね。それと、「参院選は組織の闘い」、という「組織」とは、基本的に県連のことです。なのに、小沢一郎幹事長(当時)の全国的各種団体への働きかけに対して、批判する声が党内になかった。

 民主党が議長をやっているのは岩手県議会と東京都議会、そして、「新政みえ」の名前でやっている三重県議会のたったの3都県。残りの44道府県は自民党系が議長です。そして、第22回参院選からわずか8ヶ月後には、統一地方選挙で、これは44道府県(東京、茨城、沖縄除く)の県会議員が改選になるから、自民党県議は必死になります。

 そのほかにもいろいろあるんですが、宜しければ、取材のご要請があれば、お話しします。小生若干営業に不得手なところがございまして、現時点で1件ありますが、その他にもご連絡お待ちしています。取材では、中立の立場から参院選を総括いたします。

 昨年来、民主党は負けると思っていましたから、このブログは民主党支持を明言していますので、第22回参院選に関しては、議席予測などは自主的に控えてまいり、再選して欲しい政治家の応援に絞りました。民主党サポーター登録者なのだから、口頭で伝えればいいだろうと思われるかもしれません。私は5月11日の代議士会で執行部刷新要求をすべきだ、と複数の議員に働きかけましたがかないませんでした。5月12日以降、幹事長経験者の事務所からも「妙案はないか?」と聞かれましたが、これは「5月11日を過ぎたので、もう無理です」と断言しました。その後に、首相交代劇があり、世論調査の結果には、安堵しましたが、フタをあけたらやはり私の答えはあっていたと思います。公示日朝に取材に赴き、異変を感じて、あわてふためいて代表経験者の事務所に飛び込みましたが、数時間の話し合いの後、「何とか盛り上げていこう」ということで、それは出来たかと思います。

 ところでこのAERA新年号、“龍馬”の福山雅治さんの表紙の次から3頁にわたり三井物産さんが広告を出していて、「ロマンを持て。世界と語れ。」として、創業者・益田孝の写真を載せていました。福井藩士から維新政府を経て三井に転じ、三井物産を創業した益田は浜で中外物価新報を発行。広辞苑にも載っていますが、これが現在の日本経済新聞です。創刊者・益田の力が、元日経浜支局員の僕にも伝わってきたのかもしれません。


第175臨時国会は7月30日(金)召集へ

2010年07月13日 20時18分58秒 | 第175臨時国会(2010年7月)ねじれ
[写真]樽床伸二・民主党国会対策委員長

 民主党国対委員長の樽床伸二さんらは、参院民主党国対委員長の平田健二さんらと相談し、第175臨時国会を7月30日(金)に召集することを決めました。

 陛下が、日本国憲法第7条と国会法第1条によって、東京に召集します。参議院規則それと、もちろん衆議院規則のそれぞれの第1条により、召集詔書に指定された期日の午前10時に各議院に集会しなければならないとされています。当選後初めて登院する議員は、当選証書を事務局に提示し、当選人名簿との対照を受けます。

 このため、7月30日の衆院本会議や参院本会議は「午前10時開議」と表示されますが、実際には、午後1時ごろからスタートすると思います。

 報道によると、会期は5、6日ということで、召集翌日から土日を挟みますから、合計4営業日程度の「院の構成」を定めるだけになりそうです。

 院の構成は、まず参議院事務総長が議長・副議長選挙を取り仕切り、議長らを選出。議長が常任委員長を指名します。なお、第22回参院選で議席を21→19に減らしたことから、公明党が持つ委員長ポストが2→1に減少する見通しです。改選非改選を問わず全議員が常任委員を辞任し、新しい常任委員を指名します。議長、副議長、委員長ポストの配分、委員数の配分などで各会派のかけひきが繰り広げられます。

 第18回参院選で民主党が大躍進した時には、北澤俊美・参院民主党国対委員長が予算委員長ポストを要求し、「民主党が躍進したことが有権者のみなさまがテレビでよく分かるようにしたい」と要求しました。このとき、参院自民党国対委員長だった永田良雄さんが元々高血圧でいらしたと思うのですが、脳梗塞で亡くなり、規定により第18回参院選で富山選挙区次点だった民主党の谷林正昭さんが繰り上げ当選しました。私は、当時日経政治部の民主党担当記者でしたが、国会議事堂内で永田さんのお顔を見て、かなりの高血圧だと思っていました。体調を崩され、横浜市の病院に入院してすぐ亡くなりました。当時の小渕政権で発言力があった自民党の野中広務さんが、長野県上田市で「北沢は永田さんを殺した」と根も葉もないデマカセの根拠のないインチキ演説をして、毅然と抗議し、野中さんが謝罪したことがありました。

 参議院は良識の府ですので、この辺のかけひきは執行部に任せて、衆参とも執行部外の議員は変な動きをしない方が、結果として議員として長持ちする傾向があります。

 本格論戦は、9月5日ごろ実施される民主党代表選の後に、召集される第176臨時国会になる見通しです。その前に、8月中に概算要求をとりまとめないといけません。相変わらず忙しいですが、政務三役が説明不足にならないように、どうしても無理なら民主党政調がかわりに説明することを期待したいです。

民主党は公明党と「125議席」で衆参ねじれを克服すべきだ

2010年07月12日 15時43分26秒 | 第175臨時国会(2010年7月)ねじれ

 国会法2条の3は、「参議院議員通常選挙の後、議員の任期の始まる日から30日以内に召集しなければならない」。

 第20回参院選出者の任期は7月25日まで。このため、7月26日(月)~8月24日(火)に第175臨時国会が召集されます。

 「平和と福祉」の立党の精神に立ち戻った公明党は、選挙区3で全勝しましたが、比例代表ではジリ貧で、議席数は19に減りました。

 公明党代表の山口那津男さんは元新進党衆院議員です。

 山口代表は12日午前の記者会見で、「慣例通り比較第1党である民主党から議長を選出するべきだ」、「議会全体の運営にかかわることだから、党派性を表して(議長を)取り合うということは原則避けるべきだ。比較第1党が議会の要職を占めるというルールは確立している」と述べました。

 議長選挙で、民主党(106議席)と公明党(19議席)が協力すれば、合計125票で、過半数を上回ります

 参議院では、議長・副議長選の過半数は122です。議長選出後の議案では、衆院と違って、参院議長は投票を棄権するのが慣例となっていますから、民主党が議長を獲れれば、その後の国会運営では、「121」が目安となります。

 第174通常国会では、与野党が激しくせめぎ合った「子ども手当法案」が終盤で公明党が修正し、賛成に回りました。

 その時のようすを当ブログ内から引用します。
 http://blog.goo.ne.jp/kokkai-blog/e/6c3788808505efaaa39e7905770caaff

(抜粋引用はじめ)

 「平成22年度における子ども手当支給法案」が衆院を通過しました。衆院厚生労働委員会では、公明党から修正案が出て、児童養護施設が対象に加わりました。参院に送付されます。

 「児童手当の公明党」が修正・賛成に回ってくれたことで、名実ともに「児童手当・子ども手当」という継続性ができましたので、自治体も地方負担に関して納得するしかないと思います。とはいえ、民主党が「全額国費」と言っていたのは、なんとも野党風情の財政素人だったと僕は思います。

 児童手当と違い、所得制限はありません。が、今まで児童手当を受け取れなかった高額所得者は新しく手続きが必要です。

(抜粋引用おわり)

 実は、この後の議事録では、公明党の古屋範子衆院議員が賛成討論なのに、激しく民主党を攻撃しました。しかし、これは古屋さんが厚労委という現場の中で、公明党の代名詞とも言える「児童手当」について激しく大臣、民主党議員と闘った悔しさをぶちまけたのでしょう。最終局面で公明党が「賛成」したのは間違いありません。

 衆参のねじれは問題です。統一地方選(来春)で民主党と公明党が対峙する選挙区もあるでしょうが、国と自治体がねじれているのは、問題というよりも当たり前、健全です。

 小沢一郎さんに、「民公協力」を依頼しても、これは無理です。なぜなら、彼は「神崎グループを“純化”する」という、なんだかアフリカとか、中東とかの国で聞くような恐い理論を振りかざして、新進党を解党したからです。

 
[画像]1997年12月、新進党解党に反対する岡田克也さんに視線を送る「浜四津敏子さん(赤丸)」と、前列で耳を傾ける「草川昭三さん(黄丸)」ら。

 
[画像]参議院引退にあたり、「政策を聞いてもらった覚えがない」と新進党時代などの小沢一郎氏を批判する、公明党代表代行(羽田内閣環境庁長官)の浜四津敏子さん=6月17日付朝日新聞から。

 新進党解党後は、神崎グループは「新党平和」の渡し船を造りました。旧自民党系の「民政党」、旧民社党系の「新党友愛」の渡し船で第2次民主党(1998年4月結党)に乗り込んだ国会議員は、新進党で“同じ釜のメシを食った仲”“戦友”です。

 当時は、石田グループ→神崎グループと呼ばれていました。今調べたところ、現在の公明党衆院議員21人のうち16人(当選5回以上の15人+京都市議を経て昨夏国政復帰した竹内譲さん)つまり「76%が元新進党」なんです。

 民主党にしろ、公明党にしろ、1997年12月の新進党解党大会まで頑張った人は“戦友意識”がありますので、「民公協力」のかすがいとなるでしょう。

 日本の安定のために、衆参ねじれ解消のために。すべての議案とは言いません。まずは「参議院議長案」がスタートです。

 民主党は公明党と連携の一歩を踏み出すべきです。

 とまあ、小生の基本方針パラダイムをブログに書いたところで、政局は嫌いなので、リラックスしたり、体を鍛えたり、整理整頓したり、昼寝したりしながら、第175臨時国会を待ちます(^o^)

時事ドットコム:参院議長は民主からと公明代表=平沼氏は野党共闘に賛意-参院選

 公明党の山口那津男代表は12日午前の記者会見で、みんなの党の渡辺喜美代表が野党共闘による参院議長の選出を求めていることに反対し、慣例通り比較第1党である民主党から議長を選出するべきだとの考えを示した。
 山口氏は「議会全体の運営にかかわることだから、党派性を表して(議長を)取り合うということは原則避けるべきだ。比較第1党が議会の要職を占めるというルールは確立している」と述べた。
 一方、たちあがれ日本の平沼赳夫代表は同日の記者会見で「自民党が(参院で改選)第1党になったわけだから、野党側から議運委員長も含めて(議長を)出していくべきだ。野党側でしっかりと協議しないといけない」と渡辺氏に賛意を示した。 (2010/07/12-12:57)

tag 新進党を解党した小沢一郎を歴史法廷の断頭台に送ろう。


【第22回参院選】岡田民主党は完勝!政権・党建て直しに全力を尽くせ!

2010年07月12日 06時00分17秒 | 岡田克也、旅の途中

(初エントリーは2010年7月11日午後11時57分)

  第22回参院選の開票スタートから2時間ほどで、昨年5月16日の代表選で岡田克也さんの推薦人になった改選議員全員が当選確実となりました。

 茨城選挙区で農水副大臣の郡司彰さん
 静岡選挙区で国交政務官の藤本祐司さん
 大分選挙区で厚労政務官の足立信也さんです。

 そのほか、先頭に立って応援した
 東京選挙区の行政刷新担当大臣の蓮舫さん
 京都選挙区の内閣官房副長官の福山哲郎さん
 三重選挙区の芝博一さん
 滋賀選挙区の林久美子さん

 らも、みな当選確実となりました。

 人を見る目がある候補者は、有権者からもしっかり見られているということですな。 おめでとうございます!

 新生党→新進党→民主党と一緒に歩んだ、長野選挙区の防衛大臣の北澤俊美さん、比例区の前田武志さんの72歳コンビが当選し、にらみを利かせます。

 元三重県連仲間である、神奈川選挙区の金子洋一さんも、選挙区のオーラスで、当選しました。 

 岡田さんのアキレス腱だった参院民主党内で、岡田さんの発言力がようやく高まりそうです。

 とはいえ、第20回参院選で岡田民主党が獲得した50議席(投票日時点での公認者)を割り込む見通しとなってきましたので、力を合わせて、民主党政権を発想そのものからしっかりと建て直していく先頭に立ってもらいましょう。また、国会を通じて、自民党さん、公明党さん、みんなの党さんらとみっちり話し合っていく上での議論の中心にならなければいけません。

 自民党の議連「CP研」の仲間の栃木選挙区の簗瀬進さんが落選しましたが、彼は「政権公約を実現する会(鳩山グループ)」の会員だったのだと思いますから、しかたありません。鳩山グループは“依存体質”があり、自分の脚で踏ん張りきれないベテラン・中堅が多い傾向がみられます。

 対抗馬(鳩山由紀夫さん)の推薦人になった改選議員のうち、比例区の広中和歌子・元環境庁長官と、長崎選挙区の犬塚直史さんの2人が落選しました。犬塚さんは、小沢グループ「参院一新会」(政治団体登録はしていない)の主要メンバーです。

 
[写真]落選した小沢グループの犬塚氏=読売新聞紙面から

 九州の1人区のうち、岡田さんを推薦した足立さんは当選し、鳩山さんを推薦した犬塚さんは落選と明暗がくっきり分かれました。


高田昌也部長が二大政党に処方箋 「政策が前進するなら考え曲げろ」

2010年07月12日 06時00分07秒 | 第22回参院選(2010年7月11日)反省の夏
[写真]高田昌也東京新聞政治部長(左端)と岡田克也外相(右端)

 岡田克也外相の実弟で、東京新聞(中日新聞)政治部長の高田昌也さんが第22回参院選の開票を受けた12日付1面トップに「傲慢さと硬直を捨てよ」と題した署名記事を寄せました。

 

 昌也さんは、菅首相の消費税発言をめぐる説明不足に「政権の傲慢さ」を感じたと指摘。参院選対策のために、予算委員会を開かずに通常国会を閉会した「国会運営の乱暴さ」も目についたとしました。

 国会は再び衆参でねじれるので、閣法はことごとく否決されることになる、とリアリスティックに断定。

 民主党尾は傲慢さを捨てて、野党各党と丁寧に協議して政策を進めていくしか道はない、として「たとえ自分たちの考えが曲げられようとも、少しでも政策が前進するなら受け入れなければならない」と民主党の針路を示しました。

 有権者はねじれを望んだとはいえ、国会が混乱することを望んでいるわけではないと分析しました。

 自民党に対しては、「真摯に民主党と議論して前進させる必要がある」「野党でも政策を着実に実現したという実績を残していくべきだ」と注文し、例えばバラマキ政策の完全撤回を求めるような硬直的な対応をしないよう釘をさしました。

 兄の克也外相にしても、弟の昌也政治部長にしても、「前に進む」ことを重視しており、また多少「曲げる」ためには、「傲慢さと乱暴さ(=小鳩)」を完全にゼロにする必要がある、という認識の一致点が見いだせます。

 (全文)

 「傲慢と硬直を捨てよ」 政治部長 高田昌也

 昨年夏に政権交代を求めた有権者は、今回の参院選で違う答えを出した。民主党はこの結果をよくよく考えなければならない。

 民主党惨敗の原因のひとつに菅直人首相の「消費税」発言があるのは間違いない。首相は国家が破綻してはならないという責任感から各党で協議しようと呼び掛けた。しかし、その説明が足りなかった。国民の痛みを伴うが、責任政党として必要なことを堂々と提案すれば、わかってもらえるはずだと。そこに、有権者はこの政権の傲慢さを感じたのではないだろうか。

 また、参院選対策を優先させるために、予算委員会も開かずに通常国会を閉めるなど乱暴さは国会運営でも目についた。

 国会は再び衆参でねじれることになった。政府与党が提出する法案は、ことごとく否決されることになる。

 菅政権を今後も継続させるならば、民主党や傲慢さを捨てて、野党各党と丁寧に協議して政策を進めていくしか道はない。たとえ自分たちの考えが曲げられようとも、少しでも政策が前進するなら受け入れなければならない。

 議席を大幅に回復した一方の自民党は、菅政権揺さぶりに全力を挙げるだろう。ただ、有権者はねじれを望んだとはいえ、国会が混乱することを望んでいるわけではない。

 景気・雇用対策、社会保障の再構築、財政再建など日本は多くの課題に直面している。それらを解決していくには、野党第一党である自民党も真摯に民主党と議論して前進させる必要がある。民主党との協議にバラマキ政策の撤回などを条件にする硬直的な対応を捨て、野党でも政策を着実に実現したという実績を残していくべきだ。

 与党も野党も自分たちが求める政策が何も実現できないという状況に陥っては、政治は責任を果たせない。各党が議論して、譲るところは譲り、なるべく多くの合意を求めていくという国会本来の機能を再生させる。それが政治の信頼を取り戻すことにもつながる。

(全文引用おわり)

【比例区】前田武志さんが当選確実 

2010年07月12日 03時42分39秒 | 第22回参院選(2010年7月11日)反省の夏

 午前3時半を過ぎましたが、前田武志(前田たけし)さんに当選確実が出ました。朝日新聞のネット版では民主党の比例獲得議席を16議席としており、前田さんの票は現在13位となっており、当選確実を付けています。NHKはまだ出ていません。

 高齢のほか、6年前と違って党に逆風があり、厳しいかと思いましたが、比較的余裕を持った勝利。ここ6年間、国会内での活動量が多かったことと、民主党奈良県連の足腰が強くなったことに加えて、やはり天理教さんの力も大きかったと思います。

 私としても新生党結党メンバーかつ第二次民主党結党メンバーが国会に1人でも多く残ってくれることが、とてもうれしいです。

 いずれにしろ、2016年7月までの任期となります。前田武志さん、当選おめでとうございます。応援してくれた人、おめでとうございます、ありがとうございます。

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【神奈川】金子洋一さんが当選確実 デフレ脱却に希望の光

2010年07月12日 00時51分06秒 | その他

 NHKは12日深夜0時45分、第22回参院選神奈川選挙区(定数3)で、民主党公認の金子洋一(かねこ洋一)さんの当選確実を出しました。自民党の小泉昭夫さん、みんなの党の中西健治さんに続く当選で、複数擁立の中、法務大臣の千葉景子さんを破る厳しい闘いでした。

 金子さんは民主党最強エコノミストで、デフレ脱却論者として知られます。また、外相の岡田克也さん、財務相の野田佳彦さんらと近く、勤続1年ながら、与党現職議員として、力を発揮できそうです。

 神奈川県民の良識と経済観は、日本銀行(日銀)にも大きなメッセージを発信したと思います。

 デフレ脱却に向けて頑張りましょう。

 神奈川県民のみなさまに心からの感謝とお礼、そして祝福をお贈りします。

 ありがとうございました。

 おめでとうございます。