【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

【実況2・29】予算案強行採決

2008年02月29日 23時00分56秒 | 第169通常会(2008年1月~6月)ガソリン国会

(写真=ケータイを取り出し石破防衛大臣との連絡の緊密さをアピールする福田康夫首相、衆院予算委午後4時半)

【国会傍聴記2008-2-29衆院予算委員会・安全保障問題に関する集中審議】

 午前9時開会。

 午前中は自民党の三原朝彦国際局長、浜田靖一元防衛副長官ら防衛族4人が登場。

 まず、三原国際局長が「昭和63年のなだしお事件の死亡者は42人」と発言。これは実際は30人で、十数分後に修正。
 さらに、あたご事故について「ご遺族・・・遺族と言っても亡くなっているが」「決まったわけではないが、たぶん絶望的だが」という発言で幕を開けました。

 福田首相は「毎度繰り返すようで恐縮だが、再発防止に全力を尽くしますと申し上げたい」と述べました。



 高村外相も答弁に立ちました。

 午後1時再開。

 民主党から前原副代表。
 午前中の「ご遺族」などの質問者・答弁者の「前提」を「不謹慎」と指摘しました。
 福田首相は謝罪しました。

 午後2時35分から。
 細野豪志さんが登場。
 中国毒餃子問題を質問するが、細野さんが「急に指名した」政府参考人が冒頭に答弁。
 吉村博人・警察庁長官で、その肩書きに自民党席からどよめきがあがった。

 午後4時20分から。
 社民党の辻元清美さんが登場、重要新事実が出てきました。

 あたご事故直後、海自横須賀基地から艦隊幕僚長4人がヘリコプターであたごに乗り込んでいたとのこと。

 これについて辻元さんは石破防衛大臣に「なぜ(国会で)教えてくれなかったのか?」とたずねました。

 石破防衛大臣は「知ったのは昨日か一昨日」としてうえで、「(国会で)申し上げていたと思った」と答弁。

 「昨日か一昨日」に知った内容を「(国会で)言っていたと思う」とする答弁は矛盾しており、重大な疑義が隠されている可能性があります。

 このあと、福田首相は自らの携帯電話を取り出し、「私と防衛大臣はいつでもメールや電話でやりとりしているんですよ。これを押せば、石破大臣とすぐにつながるんですよ。何なら今やってみましょうか」と述べるなど政府・自民党は懸命な守備戦を続けました。



 午後5時1分 質疑が終了しました。

 次の委員会の開催日時を決めないといけませんが、予算委の与野党理事が委員長席に集まったところで、NHK中継終了。

衆議院TV
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【衆院予算委 08-02-29 衆院予算委 締めくくり質疑】

 午後5時3分から、締めくくり質疑が始まりました。

 自民党の金子一義さんが質問者席に。
 この人は昨年の強行採決時の予算委員長でした。
 (おそらく)委員長職権での開会に抗議する野党委員(と傍聴議員)の声で場内は騒然。

 金子さんの質問に大田大臣が答弁しましたが、お互いに何を言っているか聞こえない状態で
 「聞こえないけど議事録には残ると思うから質問を続ける」(金子さん)との異常な国会になりました。

 できれば、NHKにも国会中継してほしかった。

 5時10分頃に民主党、日本共産党、社民党、国民新党は退席したもようです。



 金子さんは「1時間の質問の予定ですが」としながら、
 5時17分、金子質問終了。ハヤイ!

 逢沢予算委員長は「民主党、日本共産党、社民党、国民新党が退席しました。与党側理事に出席を呼びかけさせますので、しばらくお待ちください。速記を止めてください」



 5時26分、逢沢委員長が「野党議員の出席を得られないので議事を再開します」

 公明党の富田茂之さんの質問が始まりました。「15分質問する」。
 5時42分、富田さんの質問が終了。

 逢沢委員長は「再度、民主党など4党に出席を呼びかけさせています」。

 5時46分、逢沢委員長
  「民主党など4党の出席を得られません。これより、4党の質疑時間に入ります」



 7時15分、逢沢委員長「民主党など4党の質疑時間は過ぎました」

  自民党の増原義剛さんが「質疑打ち切り」動議を提出。
  委員長が動議を採決、起立総員で可決。

  続いて委員長は平成20年度当初予算案などを採決。
  やはり起立総員で、

   平成20年度一般会計当初予算案
   平成20年度特別会計当初予算案
   平成20年度政府関係機関当初予算案

 の3案は衆院予算委で可決しました。


【衆院本会議】

 午後9時55分、河野議長が「これより会議を始めます」。
 報道ステーションの時間に重なったのが、不幸中の幸いか。

 自民党、公明党、日本共産党が出席し、民主党、社民党、国民新党が欠席。

 直後に議事進行係が「ギチョー!」

 自民党の御法川信英さんが、
「平成20年度当初予算案など3案の審議するよう願います」に議場は「異議なし!」

 まずは自民党の逢沢一郎さんが委員長報告。

 日本共産党の笠井亮さんが反対の立場から討論。
 自民党の遠藤利明さんが、自公を代表して賛成討論。



 10時13分、河野議長が討論の終局を宣言。

 3案について、の記名投票(堂々巡り)が始まりました。

 10時28分投票が終わりました。

 衆院事務局員が木札を集計。
 事務次長が確認し、紙片を事務総長に渡します。

 事務総長が立ち上がり
 投票総数 347
 賛成    336
 反対     11

 河野議長は
右の結果、平成20年度一般会計当初予算ほか2案は委員長報告の通り可決しました


 ◇


 闘いは参院に。
 ただし、日本国憲法60条第2項の規定により「福田予算」の年度内成立は100%確実になりました。 



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【衆院予算委】“埋蔵金”は68兆円 厚年除く特会 民主党・細野豪志さん

2008年02月28日 22時42分57秒 | 第169通常会(2008年1月~6月)ガソリン国会

【08-2-28衆院予算委】

 民主党の細野豪志さんは、特別会計の積立金など余剰資金の総額が約68兆円に上るとする試算を公表しました。
 特別会計の資産から負債を引いた額が「埋蔵金」に当たると主張しました。
 「68兆円」の細野シミュレーションは、今後の議論の参考指標となりそうです。

 細野さんは、103独立行政法人の余剰金は16兆円余りなどとも指摘。これは手間がかかりますが、「あることはある」、ということでしょう。

 福田首相は「特別会計の積立金にはそれぞれの目的がある。無駄があるとは理解していない」としたうえで、「可能な限り財政健全化を図るという観点から、目を見張らしていかなければならない」と述べました。


【思い出写真館】

2008年02月27日 19時54分46秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)

 「思い出写真館」をアップします。


僅差の勝利。僕の感触としてはダブルスコアもあり得ると思ったのですが・・・

 ◇


 当確から10数分後の歓喜の輪。
 「当選確実(確定)」の一報が入った瞬間は、

 百人がジャンプしながらガッツポーズ。
 「勝ったでー!」 「やったやった、ほんまに勝ったんか!?」

 抱き合う人、ケータイ電話を取り出し大切な人に連絡する人。
 生涯忘れないであろう光景です。

 ◇


 自慢の夫人の肩を抱き報道各社のリクエストに答える玄素君

 ◇


マイクを持ち、あいさつする新・町長

 ◇


NHKのインタビュー(町役場内)。
「当確」からわずか1時間半後の光景です。



 翌日付の地元紙「日高新報」さんです。
 選挙中も良心的な報道を続けました。
 この紙面に掲載した写真の構図から分かります。

 ◇

 和歌山県は私たちの親戚にとってあまり良い思い出のない土地でした。私の母方の祖父は国鉄職員で設計・建築の技師をしていました。「3ちゃん農業」のはしりみたいなもので、昭和10年前後だと思いますが、長野の自宅を離れ、紀伊半島を転々としながら仕事をしていました。当時では珍しい単身赴任です。国鉄から与えられた任務は峻険な紀伊山地とその海岸線のわずかな平野部に鉄道(紀勢本線)を通すことです。祖父がしたのは、プラットフォームの設計と現場監督。実際の仕事にあたる人の多くは現地採用ですから、コミュニケーションのためにお酒を飲む機会が多かったようです。謹厳実直で無口な祖父はいつしかアルコールなしでは生活できないようになってしまいました。長野に帰ってからは毎日、サントリーの「オールド」を一本空けるようになってしまい、酔っぱらって大事な製図を用水路に落としたり、転んで歯を折り血だらけで帰宅したり、長野から各駅停車で一駅なのに、碓氷峠を越えてなんと上野駅まで乗り過ごしまったり、とことが度々あったというさんざんな国鉄人生となりましたが、55歳定年まで勤めました。定年後の夢は「自分が設計した紀勢本線に列車が走っている光景を一度見てみたい」。家族で紀勢本線一周旅行に出かけたのが一番楽しい思い出だったようです。その後鉄道弘済会に10年間勤めたあと、隠居。そのころ、東京で私が生まれたので上京し、毎日のように世話をしてくれたそうです。祖父は長年のアルコールがたたり、その2年後、67歳で肝臓癌でなくなりました。長野で開かれたお通夜のさいちゅうに私はよちよちと自分の脚で歩き出し、親戚をびっくりさせました。早速、祖母は霊前に報告、親戚たちは「生まれ変わりだ」「将来酒飲みになるんじゃないか心配だ」と口々に言ったそうです。幸い私はお酒はたしなむ程度です。子どもの頃、謹厳実直な黒縁メガネの祖父の遺影と酒飲み伝説のギャップが不思議でなりませんでしたが、私も齢33にもなると、謹厳実直な男が酒に走った意味は分かりすぎるほど分かるようになりました。

 5年前、まだ社員記者のころ、久しぶりに休みが取れ、南紀白浜に遊びに来ました。玄ちゃんに頼んで、クルマで白浜駅に連れて行ってもらいました。「神戸」ナンバーが目立つ白浜は関西で一番良い海岸だといわれます。この駅は紀伊山地の崖と海岸線が数キロしかない地域に立地しており、きわめて難工事だったと予想されます。そしてプラットフォームも直線→カーブ→直線→カーブ→直線と2回カーブ。始発列車を出すために「1番線」「2・3番線」とプラットフォームが2面ある同線では珍しい作りの駅です。今はモダンな駅舎になっていますが、プラットフォームのコンクリートの基礎部分は開通当時から変わらないとJR西日本の駅員が教えてくれました。玄ちゃんに車で待ってもらって、改札口から身を乗り出すと紀伊山地の向こう側からとても不思議な感じの風が吹き下ろしてきました。調べてみると、白浜駅は祖父の設計ということでほぼまちがいなさそうです。僕は運命的な出来事はたびたびあったのでそれがどうという訳ではありませんが、今回もおじいちゃんが僕を守ってくれた気がしました。


 ◇



どうぞみなさん、印南町にお出かけください(お帰りください)。

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“デモクラシーの担い手”

2008年02月27日 16時26分53秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)
(写真は紀伊民報)

 東京でパソコンをカチカチやっていたら、こんな記事を見つけました。
 紀伊民報のこの記事が、今回の選挙戦とその背景を分かりやすくまとめていると考えます。

【紀伊民報】印南町長に玄素氏 「若さ」前面に勝利

http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=141168(紀伊民報)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080225-00000001-agara-l30(Yahooニュース)

 前町長の辞任に伴う印南町の町長選挙が24日投開票され、玄素彰人氏(34)=無所属=が森尾正稔氏(67)=無所属=を116票差で破って当選した。現職では全国最年少の首長となる。当日有権者数は7678人、投票率は87・67%で前回(2005年)を2・69ポイント下回った。

印南町長選開票結果
確定
当 3,394 玄素 彰人 34 無新 (1)

   3,278 森尾 正稔 67 無新  

▽有効6,672 ▽無効59 丸数字は当選回数(敬称略)


 玄素氏は町政刷新を旗印に、基盤整備の遅れた情報化社会への対応、育児環境改善や働き場所の確保などの人口増加策、財源確保のための町財政改革を訴えた。また若さを前面に出して各地区でミニ集会を開く草の根運動を展開。質問に対して具体的な施策を打ち出し行政手腕をアピール、住民の支持を広げた。森尾氏は前町長の支持基盤を引き継ぐ組織戦を進め、農林漁業の振興などを訴えたが及ばなかった。

「地デジ対応に期待」 仁坂知事

 印南町長選挙で元町議の玄素彰人氏(34)が初当選したことを受け、仁坂吉伸知事は25日、玄素氏が公約で地上デジタル放送の整備促進を掲げていたことから「計画の空白地になっていた地域で、地デジ対応に期待したい」と述べた。

 総務省が昨秋に公表した「地上デジタルTV放送市町村別ロードマップ」によると、2011年のデジタル放送の切り替え時に県内の地デジカバー率は全国最低の96・1%になる見通し。印南町では1000世帯を超える難視世帯が発生する可能性があるとされている。

活気ある町政を

 解説 

「改革」を訴える若手元町議と、前町長の跡を継ぐ前教育長の激しい選挙戦。「沈滞する町をどうにかしたい、してほしい」という住民の思いが、全国最年少の首長という若いリーダーを誕生させた。

 取材を通じて住民から聞いたのは「町に活気がない」という嘆き。印南町は過去、自主財政再建団体に陥った苦い経験から節約財政に努め、財政の優良さは県内の自治体でも上位になった。そのつつましさの半面、町の衰退も進んでいる。

 人口は2005年までの5年間で600人減った。若者は減り、町立の2つの幼稚園と、4つの保育園はいずれも定員を大きく割り込んでいる。高速道路の延長で、国道42号の交通量が減り、閉めた店もある。

 町の補助金で運営していた町最大のイベント「しょくの祭典」は打ち切られ、交流人口がなくなったという。情報網の整備の遅れに不安も募る。「町がマスコミに取り上げられることもなくなった。陸の孤島だ」という悲痛な声も聞いた。

 住民の改革への期待は大きい。これまで築いてきた健全財政を崩すことなく、町を浮上させるという難題に取り組まねばならない。玄素彰人氏は合併について、当面は単独との考えを示している。予算項目の見直しなどで、地上デジタル放送の対応や保育施策、企業誘致などに取り組むと公約している。ぜひ、実現してもらいたい。

 町内では積極的な地域づくりが評価され、農林水産省などから表彰される地域もあり、人を呼ぶ催しをしようと動きだしている住民もいる。まちおこしに向け、こうした住民の意欲を引き出すような活気ある町政を期待したい。

最終更新:2月25日17時1分

紀伊民報 

 ◇

 今思うと、紀伊民報編集部の湯川優史記者、みなべ支局の横出祥子記者が精力的に取材する姿をよく見かけました。こまめに候補者、選対だけでなく、町民と懇談していました。

 「事件は現場で起きている」でしたっけ?

 こういうジャーナリストの存在を知るとホッとするし、僕も若返って両記者の姿を見ならわないといけないな、と感じます。

 日本の新聞は自由民権運動の政党機関紙が発祥です。
 新聞がなければ、帝国議会・国会も存在しなかった。

 今もむかしも、新聞が“デモクラシーの担い手”であることは言うまでもありません。

【速報】「廃棄命令出していない」中国製毒餃子で舛添厚労相

2008年02月27日 00時00分00秒 | 人物

【国会傍聴記2008-2-18衆院予算委】

 中国・天洋食品製の殺虫剤成分入りの餃子(ギョーザ)による食中毒について、食品衛生法54条の「廃棄命令」を出していないことが明らかになりました。

 民主党の細野豪志さんの質問に、舛添厚労相が認めました。

 舛添厚労相は「業者に対して回収命令を出している」として、廃棄命令を出す必要がなかったとしました。

 食品衛生法違反があったときは、厚労相が営業者にその食品、添加物、器具、容器包装を廃棄させることになっています。

 細野さんは「中国製と書いてあるだけで、『天洋食品製』と書いていない製品がある」として、廃棄命令を出さなければ、回収命令が伝わらずに販売した業者などに罰則がかからないという問題点を指摘しました。

 なぜ廃棄命令が出ていないのかは、質問者・答弁者とも「不明」とのことでした。政府の単純ミスの可能性が高いと思われます。

 午後2時20分頃の質疑です。

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東京に帰りました

2008年02月26日 16時29分04秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)

 東京に帰りました。
 やはり故郷はいいですね。
 
 川は流れる。
 僕は埼玉の人の話や、埼玉のFMなどを聞くとほっとしますね。
 やはり荒川の源流が奥秩父だからだと思います。

 というわけで、予算委員会などが緊迫してますが、私自身が流れをつかんだなと感じたところから国会傍聴記を再開します。

 さて、関西定点観測(大阪、和歌山)ですが、やはり黄色信号と言わざるをえないでしょう。
 マネーも人も明らかに減っている。
 黄信号が赤信号に近づいている感じがしました。

おかげさまでベスト10を維持しています。
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【最年少首長】34歳・玄素さん、和歌山県印南町長に当選

2008年02月24日 21時41分00秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)

 和歌山県印南町長選挙が24日投開票され、元町議で会社経営の玄素彰人さん(34歳)が初当選しました。

 新人2人が立候補した「前教育長(67)」vs「前町議(34)」の27年ぶりの一騎打ち。

 公然と「脱しがらみ」を訴えた玄素さんに軍配が上がりました。

 写真は玄素彰人さんのホームページから。

 玄素彰人(げんそ・あきひと)さんは1973年4月17日生まれ。
 全国1800自治体の中で、最も若い首長の誕生です。

 きょう時点での最年少首長は新潟県三条市・國定勇人市長=1972年8月30日生まれ=の35歳。

 過去には1952年に「25歳町長」という記録があります。
 ちなみに玄素さんは「二世政治家」ではありません。

【少子高齢化と人口減少が続く印南町】


 印南町の有権者は7,750人(うち女性は4,100人)。

 西側に中心地・印南漁港、東側は紀伊山地と広大で細長い面積110平方キロの町です。森林と漁村が併存し、限界集落を抱えながら、多目的ダムが建設され、水没予定の世帯もある。

 ある意味、“日本の縮図”と言っていい自治体かもしれません。

 対抗馬の前教育長は任期半ばで病気辞任した前町長の後継者として「話し合いによる町政」を訴えました。

 自民党の二階俊博総務会長の後援会「新風会」が推薦し、多くの組織の推薦を取り付けましたが、敗れました。

【25回のミニ懇談会に800人】

 玄素さんは2年半前の町長選で獲得した3,084票を基礎に、前職の辞表提出後、25カ所でミニ懇談会を開催。総計800人と対話しました。

 「(候補者)1人 対 全有権者 」

 という構図をえがき、組織推薦は有志の会などを除き受けませんでした。

 地勢上、関心が地区によって違うため、ミニ懇出席者の質問に答える形でローカル・マニフェストを説明したり、要望を聞いたりしましたが、「すべての質問に答えた(回答できた)ので驚いた」(後援会員)とのこと。
 政策通をアピールして、「町長には若い」という批判を一部にとどめました。

 年長の町議・県議数人も親身に応援。街頭で堂々と「みなさんのおかげで町会議員に当選させてもらったけど、脱しがらみには、町議では限界があるんです」と訴える町議もいました。改革への志を共有できていたのも勝因のようです。

【玄素彰人さんのプロフィール】

 玄素さんは印南町出身。県立日高高校、明治大学政経学部政治学科を卒業し、新進党東京11区総支部で学生ボランティアから職員に。
 朝日新聞政治部でのアルバイト経験もあります。

 和歌山県に帰郷し、代議士秘書のあと、28歳で町議会議員に当選しました。

 町議会の初質問では、のっけから「古代ギリシャのソクラテスとアリストテレスは~~」とぶちかまし、非凡なところを見せました。

 32歳で町長選に出馬し、次点に終わった後は、会社を設立・経営し、次の町長選に備えていました。妻と長男の三人暮らしで、子育てまっ最中でもあります。

 玄素君と私は互いに学生として新進党総支部でボランティアをしていたころから15年来の付き合いです。

 街頭演説でも、地区ごとに話題や政策を変えており、その成長ぶりや、驚嘆に値しました。家から飛び出して街宣車に向かって手を振ってくださる支持者の方々の姿をみて、感動しました。

 就任直後に予算議会(3月定例会)が始まりますが、彼ならきっと大丈夫でしょう。