きょうは寒い大晦日です。これが、ことし最後のエントリーになると思います。
2009年9月18日。この日は第172特別会の開会式が開かれました。
この写真は「開会式」を終えて皇居に戻られる陛下の車列を見送るため、中庭に集まった国会議員です。
[写真]は天皇陛下を見送る準備をする民主党最高顧問の羽田孜元首相、自民党総裁の麻生太郎前首相、同党の細田博之幹事長、大島理森国対委員長らです。
この国会で、内閣総辞職した麻生前首相はずいぶんと肩の荷が降りたようすでした。
開会式を終えた国会議員が中庭に出てきて、整列します。
天皇陛下の車が議事堂を出発し、国会議員の前を通り、正面玄関から出ます。
衛視さんが敬礼している方向がかわったことが上下の写真で分かります。国会というのは、すべてが憲法に準じていますから面白いですね。
さて。
国会から皇居まではU字になった道を通りますので、見通しが良いとはいえませんが、遠くまで見通せます。
国会議員の中で、最後の一人になっても、陛下の車列をお見送りし続ける人物がいました。
僕はこの時点で、この人物が誰か知りませんでした。
「国会議員要覧」をひもとくと、この人は、民主党新人で、近畿ブロック比例単独で当選した松岡広隆・衆院議員だと分かりました。
[写真]松岡広隆・衆院議員=民主党大阪府連のホームページから
僕は松岡さんが関西電力社員だと知って、納得しました。関電は原子力発電をやっています。そのような会社が、目の前の出来事を最後まで見届けない人を社員として採用するわけありません。採用後も厳しく指導されたはずです。
僕は後日、松岡さんが27歳で、現在最年少の国会議員であることに気付きました。松岡さんは1982年2月5日の生まれです。現在は27歳で、現在すべての国会議員最年少です。1980年生まれ(昭和55年)が福田衣里子さん、昭和56年生まれが横粂勝仁さんと自民党の小泉進次郎さん。そして、昭和57年生まれは松岡広隆さんただ一人です。
[写真]首相公邸での記念撮影。阪口直人さんのブログからお借りしました。上段右端から時計回りに松岡広隆、室井秀子、横粂勝仁、福田衣里子、阪口直人、相原志乃、田中美絵子の各衆院議員。
国会開会中はとても忙しく、中庭で見送ったのも国会議員の半分程度です。お見送りが終わると、訪問客のアポがあるので、あわてて議員会館に引きあげます。松岡さんは小選挙区を持たないので、訪問客も少ないでしょうし、正直、勝手が分からないので最後まで中庭にいたという面もなくはないでしょう。早く、何でも相談に乗ってくれるベテラン政治家を見つけてほしいし、民主党も日常活動できる小選挙区を割り当ててほしいものだと思います。
こうやってイチバン若い国会議員に志があり、物怖じせず、しっかりとふるまい、その目が輝いている限り、日本が小さくなっても潰れることはないとの確証得たり、との思いで、こうして今年最後のエントリーでご紹介しようと思ったのです。
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2009年夏、政権交代。
総選挙を勝利に導いた民主党幹事長、岡田克也は「そして、ダメになったらまた政権交代する。当たり前の民主主義をこの国に作り上げる」--大阪府内でそう叫びました。
ダメになったら、私たち国民が政権をかえますから、政務三役はそれまでの期間、思う存分やりたいことをやればいいのです。笑っちゃうほどカンタンな話です。
何も恐れることはありません。
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きょう2009年12月31日をもって、「長野県上水内郡信州新町」が幕を閉じます。あすから私の本籍地と同じ長野市になります。
町長を務めた中村靖(まもる)さん。1992年の参院選、北澤俊美事務所で選挙の勉強をした際に、メニューを組んでくださり、叱咤激励してくださった恩人です。中村さんは当時、羽田孜蔵相(のちに首相、現・民主党最高顧問)の秘書でした。
今月中旬、都内の会合で同席したので探したのですが、ご挨拶できませんでした。4期15年にわたる町長の重責、お疲れ様でした。
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ことし1年間、このブログにかかわってくださったすべてのみなさまに心より感謝します。
ありがとうございます。
どうぞ良いお年を。