渡辺恒雄の後継者、宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

「3・11」で国難を軽減した無名の英雄、徳山日出男さんが国土交通事務次官に昇格へ、の報道

2015年07月11日 15時59分01秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

[画像]国土交通事務次官昇格が内定した、徳山日出男さん、2013年10月9日の参議院インターネット審議中継からスクリーンショット。

 東日本大震災の東北地方整備局長として「櫛の歯作戦」を立案実行し、自衛隊の輸送路を確保することで、東京電力福島第一原子力発電所爆発という未曽有の国難による被害を軽減した、

 徳山日出男さん(昭和54年建設省技官)が、今月末に国土交通事務次官に昇格する人事が内定したようです。

 11日付読売新聞など各メディアが報じました。

 事務次官は通常国会中には異動しない慣例がありますが、同省は、今週、「建築物の省エネ向上法」(平成27年法律53号)が公布されたことで、同省が今国会に提出した法案がすべて出来上がりました。このため、9月27日の閉会を待たずに、7月末で昇格させ、8月末の平成28年度概算要求の陣頭指揮にあたらせることを、太田昭宏大臣が判断したと考えられます。

 旧建設省では、事務系と技術系が交互に事務次官に昇格する慣例でしたが、橋本行革・中央省庁再編法施行にともない、建設省・運輸省・国土庁・北海道開発庁の4省庁合併後はこの慣例が崩れていました。技術系職員を統括する「技監」は、徳山さんの前2代は事務次官に昇格せずに退職しており、徳山さんは3代ぶりの技監から事務次官に昇格することになります。

 徳山さんの功績および事務次官昇格の可能性が高いことは、1年前のエントリーにもまとめているところです。 

 「前へ!東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録」(麻生幾著、新潮文庫)によると、3000人の職員を束ねる東北地方整備局長だった徳山さんは、本省道路局課長補佐として対応した阪神大震災とは違うと直感。3月11日夜、大畠章宏大臣とのテレビ会議で、「阪神淡路大震災とは違います。津波型大災害を想定すべきです」と報告し、大臣から「すべて任す。国の代表としてあらゆることをやってくれ!」と命令を受けます。そこで、徳山局長は部下に「みんな、聴いてくれ。無駄な動きは致命傷となる。内陸部の被害にいちいち対応すべきじゃない。重要な被災地を見誤る。目標は、太平洋沿岸部の都市だ。明日から、人命救助と救援のルートを確保するため、そこへ向かう道を、我々は啓開によって開ける。今からその準備を徹夜でやって欲しい。(夜が明けた)明日からが勝負だ」 と語りました。

 徳山さんの言葉のうち、「内陸部の被害にいちいち対応すべきでない」という言葉は、政治家はなかなか言えない言葉です。

 「啓開(けいかい)」 とは何とか車両が通れるようにすることを意味し、太平洋沿岸から国道4号へとつながる道路を同時に啓開する「櫛の歯作戦」を部下のアイディアも取り入れて立案、実施。これにより、陸上自衛隊が福島原発に向かうことができました。

 正直言って、私は民主党政権時代、各府省庁など行政府の動きは、民主党国会議員である政務三役も含めて、予想外に把握できませんでした。岡田さんが2012年1月に再入閣してくれて、内閣府の行政改革担当と社会保障と税の一体改革担当が少し見えてきた程度です。

 霧の中ですが、どうやら民主党政権も、官僚と喧嘩ばかりしていた者だけではないようです。 

このエントリー記事の本文は以上です。
(C)宮崎信行 Nobuyuki Miyazaki 2007-2015

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おつかれさま菅直人さん ベストショットは? & 引き継がれた“奇兵隊”内閣  

2011年09月03日 00時10分16秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意


 2011年9月2日(金)の午後2時から皇居で親任式(内閣総理大臣の任命式)と認証式(国務大臣の認証)がありました。これにより、野田内閣が正式の発足し、8月30日午前の総辞職後も、職務執行を続けてきた菅直人さんは内閣総理大臣をやめました。

 まずはお疲れ様でした。

 本来、二大政党デモクラシーでは、国民が選んだ政党は党首とセットですので、首相は次の総選挙まで変わらないの定石にすべき。そうでないと、私たち国民の1票の価値が損なわれます。例えば、18年間野党を続けていて、危機感が募っていた労働党が、トニー・ブレア党首をあわせて「新しい労働党(ニューレーバー)」を標榜。その翌年、長年の懸案だった労働党規約4条「すべての生産手段を公有化する」という社会主義条項を直すことに成功。その翌年の総選挙に勝利して、政権交代。政務三役経験がないブレア首相が誕生し、労働党では3連勝し、11年間政権を担うことに成功しました。その間に、ブレア首相からブラウン首相に代わりましたが、ブラウン氏ははじめから財務卿で、「次」は約束されていたようです。ブレア派とブラウン派の激闘のなかで、その時期を探っていく、というのが小選挙区制における与党の多数派争いということになるようです。

 ですから、菅さんには「石にかじりついても」第46回総選挙の直後(あるいは直前まで)総理をやってほしかった。サミットに2年連続で出席したのは小泉首相以来ということになりました。しかし、2月17日の会派離脱ショック、6月2日の不信任決議案をめぐる混乱のなか、力尽きました。菅さんは昨年9月の代表選で、凌雲会の会合で「菅総理vs小沢前幹事長」の闘いを西南戦争に例えた、と報道され、その後修正されることがありました。西南戦争勝利の後、「そこまでやるか」という世論を持つ勢力が一定数いて、その人たちの逆恨みを買ったために翌年、紀尾井坂の変に倒れた、故事に似ています。「創業と動乱の十年」がおわり、「より若い世代に責任を引き継」いだ「建設の十年」にしていきたいところです。

 菅さんは組閣時「奇兵隊内閣」と名付けました。

 いろいろな出身、経歴の人が大臣として責任を分かち合ったからです。

 野田内閣でも、選挙区を父親からブランク無く世襲した議員は、鹿野道彦農相ひとりとなりました。

 私が注目しているのは、玄葉光一郎外相で、上智大学法学部卒業のSophian。ミッションスクール(キリスト教とくにカトリック団体などが携わる学校法人が運営する私学)の大学の卒業生の外相就任は、どうやら明治維新・太政官布告以来初めてのようです。もちろん、同志社英学校で英語を勉強した人がいますし、より人格形成に影響がある幼稚園などでミッションスクールに通った人もいるかもしれませんが、”第一の開国”の果実ともいえる、ミッションスクール大学の外務大臣となると、欧米社会の外交官、国際機関職員の考え方の底に流れる部分を理解しやすいし、コミュニケーションも円滑になるでしょう。国際機関では上智大学、同志社をはじめとするミッションスクール出身者は活躍していますが、国内ではやはり日本の国立大学出身者がエリート(政治的資源を持つ人)となっています。細川護煕首相が上智大学卒業生で、国際会議に出席していたわけですが、玄葉さんが松下政経塾(8期生)→県会議員→最後の中選挙区で無所属で国会議員当選→当選を重ねる→国家戦略大臣→外相という人材供給ルートで、外相になりました。でもまあ、横浜開港から150年というのは、遅すぎますよね。こういった人材を活用しないといけないし、潰しちゃいけません。ただ、それは今のグローバリゼーションの中では日本一国ではあがなえない状況となっています。ミッションスクール出身者は、「宗教の授業があるくらいで、後は他に関係ないから」と言い人が多く、これをやや自慢げに言う人もいるのが、私には解せないところですが、神父ないし牧師も兼ねる教育者から宗教に限らず、語学だとか様々な指導も得て、なんと言っても、学校法人の構内だけでも、教会(チャペル)があって、大事にされているという周辺環境というのが大事だと考えます。玄葉外相にはキリスト教社会に限らず、一神教が国教だったり主流だったりする国、すなわちほとんどの国連加盟国ということになるわけですが、よく理解し、また日本の立場をよく理解できるようなコミュニケーションを期待したいです。とはいえ、くり返しますが、横浜開港から152年たって、太政官時代から外相はいたのに、あまりにも人材を活用することが出来ないのが日本という国であり、また選挙というものなのだと思います。

 さて、国会傍聴記ですから、菅直人内閣総理大臣の在任中の国会議事堂内でのベスト・ショットは何か? 私は、インターネット生中継で国会審議をみている間に、頻繁に「プリントスクリーン」で、キャプチャして、保存しています。ブログ内で使うのは、その一部です。この1年3ヶ月を見て、どれがベストショットか考えてみました。

 

 そして、これは2011年3月29日(火)の衆院本会議。防災服姿でアタマを下げる菅直人首相(イチバン右)や、野田財務相(左から2人目)らです。菅内閣が概算要求基準をつくり、政府原案をつくって、国会に提出し、衆院予算委員会での答弁を乗り切り、参院予算委員会の審議では、前原誠司外相辞任ということになり、さらに東日本大震災で大幅にスケジュールが空くことになり、そして衆参ねじれのため、参議院で否決されてしまったけど、日本国憲法60条により、衆本で衆院の議決が優先され、成立が決まった瞬間の菅直人・内閣総理大臣。

 私はこれを、菅内閣1年3ヶ月のベストショットにしたいと思います。ちょっと菅さんの顔がうつっていないのが残念ですが、私からして、本予算成立を総理として成し遂げてひな壇からアタマを下げている菅直人、さらに防災服姿もあいまって、似合っていない。ものすごく似合わない。ムチャクチャ違和感があるわけです。客観的事実を言えば、野党暮らしが長かったからです。定期的に政権交代する二大政党デモクラシーを今度こそ確実につくりあげなければ、人材が枯渇します。

 野田新内閣でもさっそく、人材潰しらしき動きが始まっており、産経新聞社が全閣僚に、2005年10月の野田さんの「戦争犯罪人は国内法上は存在しない」という質問主意書について質問しました。これを読んでいる産経新聞の記者は、日本が1956年に国際連合に加盟したとき、ニューヨークの国連本部前のポールに日本国旗を掲げた外相が重光葵だということを確認すべきです。

[画像]目で見る議会制度百年(衆議院など編)から、1956年の国際連合に加盟し国際社会に復帰したときの外相(日本政府代表)の重光葵(右上の写真で日本国旗を見上げる人物)。

 1945年、ポツダム宣言を受諾し、東京湾内の米戦艦「ミズーリ」の艦上で降伏文書にサインしたのが、重光葵です。そして、吉田茂内閣がサンフランシスコ講和条約(多国間条約)で独立を回復し、その条約の第11条にもとづき、東京裁判(極東国際軍事裁判)が行われました。そしてサンフランシスコ講和条約のすべてを受け入れた上で、国際連合に復帰したのが1956年。そしてその外相が重光葵でした。そして彼はA級戦犯として服役し、仮釈放されました。1956年の時点では「仮釈放」の扱いはどうなっていたかは分かりません。しかし、仮に日本の国内法上戦争犯罪人として有罪となり服役し仮釈放された人物を晴れの国連(国産連合)デビューに送り出したとはヘンテコな話です。また国連(Unitad Nations)としても許せないことだったでしょう。

 
[画像]岡田外相のかわりに、国連パキスタン洪水緊急会合で、国連総会上で演説(日本語)する外務副大臣時代の藤村修さん。

 それでもちゃんとわが国は国連の一員で居続けています。



 これは2011年4月28日(木)、平成23年度第1次補正予算(案)で代表質問で答弁する菅首相。東日本大震災ということで、4月中に異例の補正予算提出ということになりました。こうした未曾有の国難でも、本会議場での振る舞いは堂々としていました。



 これは2011年6月1日(水)の参院本会議です。さきほども言及したように、サミットに2年連続で出席した首相は、小泉純一郎さん以来となりましたが、そのサミットから帰国後に、参議院から求められてのサミット報告(演説)とそれに対する各党代表質問で演壇に立ったシーンです。ちなみに、翌6月2日には、衆本でも同じ議題が予定されていましたが、自民党・公明党・たちあがれ日本が提出した「菅内閣不信任決議案」が慣例にもとづき、緊急上程され、延期されたまま、衆本で議題になることはありませんでした。ですから、後世の歴史家が「3・11」後、最初の主要な多国間会議だった2011年フランスG8サミットについて調べるときは、参議院の議事録だけを参照することになります。

 代表選のときは「政治はうんざり」という人がまた増えてしまったようですが、野田演説から組閣にかけて、じゃっかん「もう一度だけ政治に期待しよう」という人が増えてきたように思えます。3党合意をしっかり守れば、3次補正、当初予算、そして来年度(4kの政策検証)まで参議院でも法案は通せます。3党合意は未来に向けての合意であり、またロケットブースターが巧妙に入っているすぐれたものです。

 義経(菅さん)さんが花道を「名誉」をもって引っ込んでいきました。それを見届けた弁慶(岡田さん)も飛び六方を踏んで、花道を引っ込みました。

 意外感を持たれた方もいるようですけど、どこに向かったんでしょうかね?(笑)。

 野田内閣は、野党が長かったため初入閣が10人ということです。私としては、初入閣10人とは思えない(民主党・国民新党がかかえる人材の中では)重厚な布陣となった印象の野田内閣。みんな苦労して、努力した人たちばかりです。ただ、その中でも、とくにイチバン努力した人は、鉢呂吉雄・経産大臣、イチバン苦労した人は前田武志・国土交通大臣ではないか、という私の感想を最後に申し添えておきます。そして、苦労した人10人が初入閣したところに、衆院任期がもう半分を切っている、ということを改めて実感します。外は秋の風情です。


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第177通常国会が閉会 

2011年08月31日 13時16分51秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意


 第177常会(第177回通常国会)2011年(平成23年)1月24日(月)の召集から、70日間の会期延長を経て、きょう8月31日(水)、閉会しました。

 政権交代後に、再ねじれで迎える初めての通常国会でしたが、当初予算は年度内成立。しかし、特例公債法案をめぐって半年間にわたる3党協議が続き、最終的に3党合意という一つの果実をつくることができました。先例の積み重ねでやがては、両院協議会改革など国会法の改正など、ルールづくりに与野党が知恵をしぼってほしいと思います。衆参ねじれのおかげで、衆院の強行採決がまったくない国会ともなりました。

 3月11日に東日本大震災が発生しましたが、これを奇貨として、野党の予算要望、議員立法などが活発化し、与党も修正協議で応じて、多くの法律が成立しました。

 横路孝弘・衆議院議長はあいさつで「東日本大震災に対処したまさに『震災国会』になりました」とし「前例にとらわれない」国会運営ができたと述べました。

 歴史に残る国会となりました。

 自民党の谷垣禎一総裁の「信なくば立たず」という言葉が心に染み入りました。

 私も220日間という国会史上5番目のロングラン国会を、けっこうスムーズに完走することができました。ことしは、けっこう楽しかったです。

 傍聴券手配などをお願いした国会議員、秘書、衆議院事務局職員、参議院事務局職員、民主党本部事務局など関係各位に心より感謝申し上げます。

 日々のページ毎のアクセス数、検索キーワード解析などから明らかになっている、ブログアクセス数を増やせるであろう話題、固有名詞の情報にとらわれず、私が国会の話題として面白いと思ったこと、国民が知るべきだと思う事項を優先して、執筆することができたました。これは、日々安定して当ブログをお読みいただいているおよそ800人前後と思われる常連読者のみなさまのおかげであり、心の底から感謝します。民主党が野党でメディア露出が少なかった2007年、2008年当時の楽しさを取り戻すことができましたし、違った意味で楽しかったです。

 ありがとうございました。

 しばらく休みたいなというのが実感です。でも何かあれば、”飛び六方”で駆け付けます。

 正念場を迎えていた衆議院・参議院を見たうえで判断すれば、日本はしっかり前進していると、私はここに断言します。

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参院は薄氷の勝利 国会が野田佳彦さんを内閣総理大臣に指名 陛下の任命後、野田内閣発足へ

2011年08月31日 12時37分47秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

【2011年8月30日(火)衆議院本会議】
【参議院本会議】

 野田佳彦さんが、第95代内閣総理大臣に指名されました。天皇陛下の任命を受けて、正式となります。

 首班指名選挙は、昨年6月に鳩山内閣総辞職を受けて、実施されて以来です。ですから、昨年7月に参院に初当選した新人は初めての首班指名選挙です。昨年9月に民主党代表選がありましたが、これは現職総理が当選しましたから、国会での首班指名選挙の手続きが不要でした。

 衆議院では、民主党・無所属クラブ、国民新党・新党日本、会派離脱中の横路孝弘議長に加えて、無所属となっている土肥隆一さんも「野田佳彦」さんに投票しましたので、308票となりました。過半数の240を大きく上回りましたが、「3分の2」数の319は大きく下回りました(衆議院は次期総選挙まで欠員1以上)。

 参議院では、すでにホームページで、全員の投票結果が明らかになっていますが、当ブログで、政府・民主党に応援してくれるであろうと指摘した、沖縄県選挙区で伝統ある「革新共闘」で当選している糸数慶子さんは、1回目は福島みずほ・社民党党首、2回目は白票(社民党と同じ投票行動)となっていました。また、自由党初当選の無所属、大江康弘さんは「谷垣禎一」さんに入れていました。

 1回目の投票結果は、

 野田佳彦さん 110票 (民主党・新緑風会の106票、国民新党の3票、無所属の浜田和幸さんの1票)
 谷垣禎一さん  85票 (自民党82票、無所属の尾辻秀久副議長、大江康弘さん、長谷川太紋さん)
 山口那津男さん19票 (公明党19票)
 渡辺喜美さん 11票 (みんなの党11票)
 志位和夫さん  6票 (日本共産党6票)
 福島みずほさん 5票 (社民党4人と糸数慶子さん)
 平沼赳夫さん 3票 (たちあがれ日本)
 舛添要一さん 2票(新党改革)

 となりました。

 統一会派「たちあがれ日本・新党改革」は各々の党首に投票しました。また、衆院と違い、参院では慣例で議長は投票しません。

 そして、決選投票では、

 野田佳彦さんが110票

 谷垣禎一さんが107票(1回目の85票に加えて、公明党19票、たちあがれ日本3票)
 白票が24票(みんなの党、日本共産党、新党改革、社民党、糸数慶子さん)

 となり、野田さんが当選しました。

 ちなみに浜田さんの引き抜きがなければ1票差だったことになります。また、社民党、新党改革はやはり厳しかったことになります。

 6月1日に衆院で、自民党・公明党・たちあがれ日本が「菅内閣不信任決議案」を提出し、2日の衆本での採決で混乱があり、震災と原子力災害での人心の不安もあいまって、不安定な政局に。力のある議員はドンドン議員立法するチャンスを得ました。が、政府を支える役人をはじめとする日本の総力を結集しにくい状態になりました。最終的に8月30日、首班指名ということになりました。ここで、自民党・公明党・たちあがれ日本の3党が統一した行動を参院の決選投票でとったことは、6月1日→8月30日の3ヶ月間の「政治空白」(谷垣総裁、山口代表らの表現)をへて筋を通したことになります。

 しかし、野田新首相はこれから天皇陛下の任命を受け、組閣をし、政務三役を決めて、体制を整えなければ行けません。おそらく9月9日(金)ないし9月12日(月)に第178臨時国会が召集され、所信表明と各党代表質問をやると思います。ということは、3月11日からの半年間のうち、その半分以上が「政治空白」だったことになります。内閣不信任案を権力闘争に利用することなどありえないことです。私は断じて許せません。

 さあ、衆参ねじれをチャンスとして、国民がしっかりと監視をしながら、与党内のニューリーダーと、野党を育てていきましょう。

  ところで、菅内閣は2011年8月30日(火)午前10時の閣議で総辞職していますが、陛下が野田さんを内閣総理大臣に任命するまでは職務執行内閣となります。災害や第三国からの攻撃などがあれば、菅内閣はすばやく対応します。

 このなかで、内閣と皇居の橋渡しをする、内閣総務官の原勝則さん(昭和54年厚生省入省)も早稲田大学政治経済学部卒業生で、野田さんの1年先輩になると思います。「総理も早大(私大)、内閣総務官も早大(私大)」というのは、橋本行革前の首席内閣参事官がどのくらい昔までさかのぼる官職なのか知りませんが、間違いなく太政官制度始まって以来の取り合わせだと思います。今は人事院総裁をやっている江利川毅さんら旧内務省(厚生省など)官僚のエリートコースとされています。古川貞次郎さんは九州大学法学部卒業生後、長崎県庁(出身は佐賀県)に2年ほど勤めてから厚生省に入ったということで相当な変わり種とされるのが、官僚のならわしです。九大は旧帝大だし、九州地方では東大と同格の扱いです。それでも、入省時には、心ない言葉を同期から浴びせられたようです。

 ホントウに時代が変わったとしかいいようがありません。ただ、両人の後輩になる私でも「大丈夫なの?」と思ちゃったり(^^;)。長年の慣れがありますからね。東大が当たり前、というより、東大法学部が当たり前で、大学院卒はかなりの変わり種、なぜなら、入省後に海外の大学院に国費留学できるので、東大法学部から直接入った方がいい、という官僚の世界も少しずつ変わってきているのでしょう。早大に限りません。初代司法大臣が建学した日本大学や、例えば、慶大経済学部、中大法学部など競争の激しい私学には、良い人材がたくさんいます。一方、国公立大学では、いわゆる駅弁大学と言われる、地方の国立大学にも人材はいますし、バブル期の名残りもあり、アメリカなど海外の大学、大学院を修了した人材は明治維新以来最多でしょう。

 成果主義では、ゴマすりが出世しますので、官僚はある程度、メリットシステム、年功序列がいいと思いますが、政治家も官僚も、およそリーダーの本物と偽物の選別のスピードが速くなっていることは、野田さんの代表選での演説やふるまいをみていても感じます。世界は待ってくれません。振るい落とされた偽者も、日本は農耕民族ですから、食べられなくなるわけではないし、再チャレンジが早くできる。いいことです。非世襲首相から非世襲首相へのバトンタッチはそれ自体が政権交代の目に見える成果です。そういう意味では、逆の発想で、宮澤喜一さん以来途絶えている東大法学部卒業の首相と私大卒の内閣総務官という取り合わせもいずれは見てみたい気もしますが、ゆっくり着実に。まずは何が何でも衆院解散までの2年。絶対に野田内閣を続けてもらわなければ、日本が潰れます。

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ちょっとしたクイズです 政権交代後初めて、参議院で首班指名決選投票

2011年08月30日 08時43分19秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意


 あすで220日間の会期も終わりますので、ホッとしたいところですが、なかなか代表選の後は、スッキリしないのも事実。

 ということで、ちょっとしたクイズです。クイズというか、アタマの体操。ここ4年間の政治の流れを反芻するのにいいと思います。

 きょう午後1時半から参議院本会議が開かれ、菅内閣からの総辞職の申し出を受け、首班指名選挙が行われます。

 意外でしょうが、昨年夏の第22回参院選で当選した、谷亮子さん、三原じゅん子さん、竹谷とし子さん、石川崇弘さん、松田公太さんらにとっては初の首班指名選挙となります。

 そして、参院の首班指名は1回目は当選者が出ず、野田佳彦さんと谷垣禎一さんの決選投票になる見通しです。

 前回の決選投票は、政権交代前の平成20年(2008年)9月24日(水)以来3年ぶりとなります。

 ちなみにこの決選投票では、与党党首の麻生太郎さんではなく、野党党首の小沢一郎さんが当選し、衆参で別々の人物が当選しており、両院協議会の結果、衆議院の院議を優先し、麻生太郎さんが首相となっています。

 このときと違い、今回は、参院の決選投票でも野田佳彦さんが当選する見通しです。

 野田佳彦さんvs谷垣禎一さんの決選投票で、公明党がどう行動するかなどが注目です。例えば、いまだに「自公」というようにあたかも両党が一つの政党のように書く人がいますが、はたしてそうでしょうか。与党・国民新党も政府外議員が1回目に「亀井静香」と書くハプニングがあるかも。

 結果は野田さんが首相になります。

 しかし、デモクラシー(民主政治)はプロセスが大事です。

 きょうの参議院本会議は、ここ4年間の政権交代前後の衆参ねじれに思いを巡らすイイチャンスだと思います。参議院の記名投票採決(堂々巡り)は1回20分程度ですから、そんなにくたびれません。

 この辺のことを、新聞が全然報じていないので、とりあえずブログを更新してみました。

 プロセスが大事です。それと、安易に内閣不信任案などをもてあそぶと、どれだけの時間のムダがでるかということも感じていただきたいと考えます。

 首都圏にお住まいの方は、午後1時前までに、参議院議員面会所(地下鉄「永田町駅」が近く、「国会議事堂前駅」も可能)に行くと先着順(定員あり)で傍聴券をもらえます。10歳以下のお子さんはダメだと思います。小学校5年生以上なら夏休みの宿題にもいいかもね。

 こういうのをみてもらえると、当ブログが「3党合意」のことにこだわった理由も分かっていただけると思います。

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◎野田佳彦さんが民主党代表・第95代内閣総理大臣に 新進党勢で初 思い出す18年前の日比谷公会堂

2011年08月29日 14時34分53秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意


 菅直人首相の代表辞任表明にともなう、民主党代表に衆議院千葉県第4選挙区選出の当選5回生で財務大臣の野田佳彦さん(のだ・よしひこ、Yoshihiko Noda 1957-) が2011年8月29日(月)就任しました。はやければ今国会中に、第95代内閣総理大臣に就任します。民主党が一つになり、民自公が一つになり、日本が一つになるうえでベストの選択で、民主党が土俵際の徳俵の危機感で巻き返しのラストチャンスをつかみました。

 野田さんは松下政経塾1期生。同塾からは初の総理となります。菅直人さんと同じく非世襲・非二世議員で、これは、平成になってからは、竹下登首相→宇野宗佑首相→海部俊樹首相以来となります。

 それと、まことに卑近な2つ。付け加えさせてください。新進党勢からは初の総理。そして、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業生としても初めての総理です。この2つ、ぜひ付け加えさせてください。

 野田さんは、政見演説のなかで、「昭和35年10月、浅沼委員長が日比谷公会堂で暗殺されたのを白黒テレビで見た」のが政治を身近に感じたきっかけだとしました。浅沼稲次郎は、55年体制の二大政党の一翼を担った日本社会党の書記長から党首に昇格していました。「演説乞食」と言われた沼さんも、早大政経の先輩です。

 

 私が野田佳彦さんをはじめて見たのも、その日比谷公会堂でした。民間政治臨調、いまは21世紀臨調ですが、その記録をみると、その日はは1992年11月12日、自民党「政治改革を実現する若手議員の会」(石破茂代表)が日比谷公会堂で開いた「政治改革国民集会」だということで間違いないと思います。このときは、若手議員たちの精神的支柱だった後藤田正晴先生があいさつのときに転んでしまいました。そして、私は1階席で早稲田大学の政治サークル鵬志会の1年生で、仲間とともに、聞いていたのですが、2階席の方で聴衆としてマイクをにぎったのが早大雄弁会の3年生だった斎藤淳一郎さん。「雄弁会」というと、会場が割れんばかりのどよめきで、私たちのサークルは知名度ゼロですので、残念な気がしましたが、個人的にも仲の良い斎藤さんなので、うれしかったです。斎藤さんは栃木県庁職員を経て、この4月、1人区を制して、みんなの党の県会議員に初当選しています。

 そして、私の記憶だと、この後、壇上に、なぜか千葉県議の野田さんが登場したのです。だれだろう?と思いました。そして、「無所属の県会議員として2期やってきた」とか演説して、だんだん演説のトーンが高くなってきました。演説は最高潮を迎え、自分ができる具体的な政治改革として、「私は来るべき総選挙に、日本新党公認で立候補することを決めました」と語りました。会場はやんややんやの大喝采。私はゾクゾク、鳥肌が立ちました。

 この2週間後、11月24日には、日本新党代表の参院議員、細川護煕さんが初の公募国会議員候補予定者として、野田佳彦さん、牧野聖修さん、石井紘基さん、河村隆之(河村たかし)さんの4人を発表します。これに先立つ、11月3日には江田五月・社民連代表ら27人が政策集団「シリウス」を結成していました。そして、12月18日には、改革フォーラム21が正式に自民党羽田派となり、翌1993年6月18日の宮澤解散につながります。

 日比谷公会堂で野田さんを見たとき、演説は感動しましたが、上下色違いのスーツを着ていたような記憶があり、違和感を覚えた感じがします。そして、その野田さんが松下政経塾の出身だということを次第に知るようになり、同じ系統の人は、同じように上下色違いのスーツなど派手な出で立ちが多い傾向があるような気がしました。最近の野田さんは、そのような出で立ちを見ることは皆無です。

 それはさておき、日比谷公会堂で沼さんが倒れる映像を見ながら、野田少年は母親から「政治家って命懸けなのよ」と言われた気がするということです。

 野田さんは最初の小選挙区でしくじり、3年8か月間浪人しましたが、その間、「当時所属していた政党は解党し、政党助成金は来ませんから」として、「中小企業・零細企業のおやっさんに助けてもらった。銀行振り込みは失礼だから、歩いて集金して、領収書を書いた」としました。天井を見ながら眠れない日々。6歳の長男と3歳の次男を膝の上にのせたときの髪の毛のにおいが忘れられないといいます。

 臥薪嘗胆の日々。どじょうが金魚の真似をしたらおしまいだーー野田さんは「都市部選出なのにシティーボーイに見えない」ので、野田内閣発足後、しばらく支持率が上がらないだろうとして、解散はないから安心してくださいと語りました。

 ◇

 2000年、国政復帰。逆境に強くなった野田さん。

 郵政解散の大敗北で沈み込んでいた2005年10月の第163回特別国会。野田国対委員長は「審議拒否をしない健全野党・政権準備党」をめざします。

 そして、本来は敵である与党・自民党総裁の小泉首相が、選挙後1ヶ月経った10月17日に、靖国神社を公式参拝(拝殿参拝)したことについて、その当日、タイムリーに質問主意書を出しました。そして、国内どころか中韓の外交ルートからも、「”A級戦犯”という戦争犯罪人が合祀されている靖国神社に総理が参拝することは、日本が軍国主義を美化するあらわれとなる、という論理」の反対論が起きていると指摘しました。そして、巣鴨プリズンで行われた東京裁判(極東国際軍事裁判)は、サンフランシスコ講和条約第11条という国際条約に基づくものだと指摘。だから、国内法上、戦争犯罪人、戦犯は存在しないのではないかと指摘しました。

 これに対して、政府(第3次小泉自民党内閣)は、25日付で答弁書を閣議決定し、「平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律(昭和二十七年法律第百三号)に基づき、平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が刑を科した者について、その刑の執行が巣鴨刑務所において行われるとともに、当該刑を科せられた者に対する赦免、刑の軽減及び仮出所が行われていた事実はあるが、その刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」との答弁を引き出します。

 すなわち、東条英機らへの東京裁判の判決と刑の執行(絞首刑含む)は、多国間条約である「平和条約(サンフランシスコ講和条約)第11条」にもとづいており、日本の国内法にもとづいていない。だから、国内法上は戦犯は存在しないということになります。

 ですから、中国、韓国がときに正式な外交ルートで示した見解は、認識自体が違うということになり、国内外、与野党、左右で入り乱れた知恵の輪を解き、国益を守ったことになります。ただし、小泉首相も守ってしまいましたが、責任野党の矜持を示しました。そして、この後、参院でも衆院でも民主党は勝つことができました。それは小沢さんのおかげかも知れません。そして、もちろん堀江メール事件があり、千葉県連の仲間である永田寿康・衆院議員が辞職し、そして飛び降り自殺をして命をおとすことになったことは、痛恨の極みであり、野田さんは一生涯、月命日ごとに永田さんのことを考えて欲しいと考えます。



 野田さんは政権政党とは雪の坂道をみんなで雪だるまを押して坂の上をめざす作業だとしました。

 それまでにも、いろいろなことがありました。2002年の中野寛成幹事長(幹事長代理は岡田克也さん)おろし、永田さんの件、1996年落選後に選管を地裁に告訴などいろいろ眉をひそめるような気持ちになったことがあります。それらも含めて、挙党一致で前に進んでいかなければなりません。国会で「野田」といえば、一に野田聖子さん、その次に野田毅さん、だいぶ距離を置いて、野田佳彦さんで、「あの堀江メールの国対委員長だった人」という知名度の無さでしたが、面白いなあと思ったのは、野田さんの腹心が「握手させてあげるよ」と言われて楽しみに付いていったら、そこには代表経験者で知名度が高い岡田克也さんがいて、岡田さんと握手したそうで、この辺は「冷めたピザ」と言われながらも、人の使い方が上手かった小渕恵三さんに似ているのかなあと思います。「金魚になれないドジョウ」は第二の小渕のように民主党や日本の力を人事で引き出すことができるかどうかが、ポイントになります。

 今第177通常国会では、先日も書いたように、衆院財金委理事の公明党の竹内譲さんがやんわりと誤答弁を修正してあげたり、閣法2号の「国税改正法案」、閣法4号の「地方税改正法案」では、藤井裕久さんと野田毅さんが修正協議で可決。閣法1号の「特例公債法案」も、岡田幹事長や公明党幹事長の井上義久さんや、自民党政調会長の石破茂さん、公明党政調会長の石井啓一さんが3党合意に半年間奔走。実務者では、公明党の元厚労相・坂口力さんや、民主党政調会長代理の城島光力さん、自民党政調会長代理の鴨下一郎さんらがキッチリやりました。鴨下さんは日本新党同期生で、そのほか、竹内さん、藤井さん、野田毅さん、岡田さん、井上さん、石破さん、石井さん、坂口さん、城島さんらはみんな新進党仲間なんです。そして、鴨下さんは日本新党1期生になります。このほか、自民党国対委員長の逢沢一郎さんは、松下政経塾1期生の同期ですから、「怨念」を乗り越えれば、民自公3党は、衆参ねじれを力に変えて、力強く政策で前に進むことが出来ます。

 松下政経塾1期生。日本新党1期生。新進党1期生。それはとても勇気がいることです。第一空挺団のパラシュート部隊だったお父さん譲りの勇気で、成長と財政の両輪で、日本を救うため。

 一つになりましょう。中庸の政治、和の政治。日本の正念場です。

 おめでとう、野田さん。あす、首班指名が行われますが、参議院でもイッパツで野田首班指名となることを願っています。

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「3党合意」が最大の争点に急浮上 きょう民主党代表選

2011年08月29日 06時55分55秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意


 おはようございます。

 いよいよ、第177回国会は、国会史上220日間の会期を今週で閉じます。残り3日間となりました。

 そして、きょう2011年8月29日(火)民主党代表選(古賀一成・中央代表選挙管理委員長)が開かれます。

 やはり与党ということで、土曜日は日本記者クラブ主催の会見(司会は企画委員の川戸惠子さん=元TBS政治部記者・アナウンサー)、日曜日は、フジテレビ新報道2001、NHK日曜討論、テレビ朝日サンデーフロントライン(サンフロ)、党主催の討論会(ネット中継)、夕方には日テレ「バンキシャ」で5人の候補が討論しました。そこそこ良い議論が出来て、民主党の支持率の底上げにつながったと、私は思います。

 そして、ここに来て、驚くべきことに、トップランナーとみられた候補者が「新執行部は、3党合意を白紙にするか、見直すか検討して決める」との発言をくり返すという驚くべきハプニングがありました。これはこの候補者(現職閣僚)が、6月2日(木)の自民党・公明党・たちあがれ日本による菅内閣不信任案に対して前夜賛同する意向を示す夜会合を開いた71衆院議員らが属する「マニフェスト原理主義派」に擁立されたため、3党合意を見直すことを示唆したのだと思います。

 公明党代表の山口那津男さんは、6月2日の内閣不信任案否決のあと、支持者に対して平謝りの状態でした。が、8月26日、菅直人さんが退陣する意向を表明したことについて、「(6月2日に)実質的な退陣表明をして約3ヶ月の政治空白をつくった責任は重い」としたうえで、「新しい代表は3党ですでに合意されたことをきちんと与党として履行する責任を持つべきだ。3党で合意した土俵を生かし、復旧・復興、円高などの当面の課題に取り組むことを求めたい」と記者団に語った、と報じられています。

 仮に3党合意を白紙にした場合は、第3次補正予算の編成で、子ども手当、高速道路無料化の“2k”の歳出の部分的減額補正ができなくなり、年金財源の国庫負担分の1次補正で転用した歳入の2・5兆円の穴埋めができなくなります。いわば、“勧進帳”にたとえれば、義経(菅さん)を見逃した富樫(自民党)、番卒(公明党)の顔に泥を塗ることになります。国会はちゃぶ台返しの大混乱。とくに自民党では幹事長が党内や、参院執行部から突き上げられるでしょう。そして、3次補正予算(案)は参議院で否決されるか、参・議運委員会(自民党の鈴木政二さんが委員長)が本会議に上程させず、補正予算では異例の30日ルール適用も視野に入るかも知れません。これではだれが総理になっても、民主党政権は年内に倒れます。

 公明党の漆原良夫・国対委員長は、公明新聞日曜版(8月28日付)で第177通常国会を振り返り、特例公債法案(閣法1号)について、「自民党の一部では、これを解散・総選挙を迫る手段とする考えもあったようですが、公明党の考えは全く異なり、あくまで政策判断で対応しました」と述べています。そこで、3党協議いわば”勧進帳”においての政策協議(“山伏問答”)では、「赤字国債の発行は、次の世代への“ツケ”となります。そこで少しでも次世代への負担を減らすため、公明党は、子ども手当、高速道路無料化など不要不急の予算の見直しによる歳出削減を行い、第1次補正予算に流用した年金臨時財源2・5兆円の補てんなどができるならば、認めても良いとの考えでした」と説明しました。そして、漆原さんによると、「8月4日に公明党が呼びかけ、民主、自民との3党協議が始まりました。その結果、『政局より政策で判断すべき』との公明党の主張を自民党も理解し、8月9日に3党幹事長が合意したのです。評論家の森田実氏は、この合意を『国会の危機を救った公明党』と高く評価しています」と自画自賛しています。

 これに対して、半年間、特例公債法案について党幹事長と政調会長、実務者による協議内容を把握しながら答弁してきた財務大臣は「3党合意がなければ、3次補正はできません」「これやらないと信頼損ねます。内閣もたないと思います」とテレ朝で述べました。この候補者は「与党とは、坂道をみんなで雪だるまを持ち上げていく作業だ」として、民主党内の人材を使い切るとの姿勢を示しています。また農相も、4kの一つがターゲットになったこと、およびその政局感から、「3党合意、これはきちっと守っていかないといけません」と述べ、「3党合意の政策効果を検証する」と先を見た発言をしました。前外相や前国交相も3党合意を守ると述べました。

 この経産相の発言は、致命的な大失言だと考えられます。ただ、民主党は衆院1期生が多いことと、参議院議員の、中央代表選有権者に占める割合が以前より下がったことから、「3党合意見直し」という失言が地雷、自爆装置であることに気が付かない人も一定数いることが予想されます。また、経産相がきょうの投票会場での15分間の演説で発言を修正する可能性もあります。

 ところで、財務相と前外相が激しい2位争いをしています。2位以内にならなければ、決選投票の得票は「ゼロ」。この両陣営の2位争いが、結果として決選投票での末脚につながる可能性が出てきました。民主党代表選の結果は、午後2時過ぎには明らかになるもようです。

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幼保一体化法案は提出されず 情報公開法改正案、公務員給与関連法案、労働者派遣法案らは継続審査に

2011年08月26日 05時27分55秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意


 国会史上5番目の会期220日間となった第177回国会ですが、残り4営業日となりました。

 「前川清成さん、被災者差し押さえ禁止法案を議員立法 「私たちの正義に反します」」のエントリーでご紹介した、参院民主党の前川清成さんが提出した第177国会参法15号議案「東日本大震災にかかる義援金の差し押さえ禁止法案」は、与野党修正協議により、参院災害対策特別委員長提出の第177国会参法20号議案となり、衆院に送られ、8月23日(火)に全会一致で可決、成立しました。委員長(自民党)提出のかっこうになりましたが、事実上は、民主党政府外議員が筆頭発議者となった議員立法といえ、「前川法」と呼ぶべき法律ではないでしょうか。

 この法律は短いものです。読んだ限りでは、金融機関に限らず、自治体の税務課も対象になると思われます。

 私も含めて、一般に、被災者に寄せられた義援金を差し押さえる行為は、「とんでもない」「許せない」と思うでしょう。しかし、差し押さえようとする債権者も被災者だったり、被災自治体から見て「悪質な税金滞納者」かつ「自治体の中では程度が軽い被災者」かもしれません。そういった場合の差し押さえも禁止されるんだと思います。そういう状況を超越して国民の代表である国会議員の「私の正義が許さない」(前川さんの参院での趣旨説明)法律は、これは内閣提出では不可能であり、議員提出だからできたものだと考えます。

 日本国憲法第29条の「財産権は、これを侵してはならない。財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる」と定めています。ところで、日本国憲法では、わが国の政治体制を議会制民主主義とハッキリ定めていますが、経済体制に関して、「自由主義経済」「資本主義経済」体制をとるという定めは実は、どこにも書いてありません。この29条の「私有財産」制、およびその権利の確保が、わが国が自由主義経済体制をとることの唯一の憲法上の根拠といえると思われます。そして、今までほとんど見過ごされてきた日本国憲法第83条の「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基づいて、これを行使しなければならない」という条文。これは「財政民主主義の定め」ということになりますが、これは私が第177通常国会をみながら、最もこの国会で光った条文なんだと思っています。

 2009年8月30日に多くの国民の期待を受けた政権交代でしたが、鳩山由紀夫代表が総理就任直前に、岡田克也幹事長を解任するという私にとっては暴挙と思える行動に出ました。そして、そのかわりに就任した小沢一郎幹事長が政府外議員の法案提出を禁止しました。そのため、議員立法は与野党とも低調な状態が続き、さらには閣法まで低調となりました。菅代表になった第175通常国会、第176臨時国会も低調でしたが、第177通常国会から文科委、厚労委などで、首相経験者も含む超党派議連による議員立法が成功。その後、「3・11」による、政府の法案提出ペースの遅れに、どうやら自民党と公明党が党所属の地方議員、推薦首長から突き上げられる事態(もちろん国のためには好結果)になり、ねじれ参院野党の提出法案が成立するなど、前回の衆参ねじれではなかったことが次々と起きました。

 小沢一郎幹事長は、民主党議員が国民の請願の紹介者になることを禁じる暴挙もしでかしました。請願権は、日本国憲法第16条に定められた国民の権利であり、大日本帝国憲法(明治憲法)の第30条でも定められています。小沢(氏)の行為は憲法違反だった可能性があります。また、岡田幹事長は、「与党らしい規約作り」を定めていましたが、小沢幹事長は、民主党規約改定委員長だった川端達夫さんが文部科学大臣に入閣後、後任をおきませんでした。岡田幹事長は、代表の任期を「次の総選挙まで」と変えるつもりでしたので、現在のように「来年9月の代表選までのつなぎだ」というよく分からない議論はあり得なかったことになります。小沢信者のみなさんはホントウにこれで良かったのでしょうか。今、小沢さんが再び注目を浴びて、喜び勇んで日々を過ごしているのでしょうか。

 さて、会期が国会史上5番目の220日間でありながら、廃案(継続審査)となりそうな議案が出てきました。

 まず、公務員の給与関連法案は軒並み廃案となる見通しです。議会制度百年史を読んでいますと、この公務員の給与関連法案は以前の国会でもたびたび会期末攻防の材料となっていたようです。とくに、日本社会党が野党第一党で「総評」が強く、かつ、政府機関として国鉄(国労など)があったころは、会期末処理に失敗して、再度臨時国会を開いた例もあるようです。今後は、給与関連法案は、各組織の所管の委員会ではなく、一括して、内閣委員会に付託するという知恵もあっていいと考えます。

 閣法2号だった「所得税などの改正法案」はちぎって成立、ちぎって成立を2回やりながら、残った「法人税率の引き下げ」、「相続税率の引き上げと基礎控除額の引き下げ」は廃案ですから、この部分の税制改正は持ち越しということになります。

 前国会からの郵政改革法案は、特別委員会を設けながら、自民党が委員名簿を出さないなどの妨害により、趣旨説明だけで終わりそうです。

 社民党が力を入れていた、労働者派遣法案も、廃案が確実。

 民主党が野党時代の参院議員立法から、4通常国会連続で出している「地球温暖化対策基本法案」も、原発爆発によるエネルギー基本計画の見直しにより、前提がかわってしまい、廃案となる見通しです。昨年の第175通常国会で、衆院で可決し、参・環境委員会で採決直前まで行っていたのに、つくづく惜しいことをしたという感じです。

 条約の承認案件では、原発輸出に関連して、日本とヨルダンの原子力協定が間に合わず、議案としては審議未了となりそうです。

 また、会期末によく「法案成立率」というのが報じられるのですが、あくまでも参考程度にすべきです。なぜなら、内閣が重要法案を出していないケースがあるからです。例えば、菅直人首相が前回の第176回秋の臨時国会の平成22年10月1日(金)の所信表明演説で「幼保一体化を含む法案を来年の通常国会に提出する準備を進めます」と述べましたが、この法案は出ませんでした。また、行政刷新担当大臣だった当時の枝野幸男さんが意欲を示していた、裁判官によるインカメラ審査などを盛り込んだ情報公開法改正案も審議入りせず、継続審査となりました。

 ただ、民主党政権になって、ようやく、閣法が成立し、議員立法も通るようになりました。衆参ねじれなのによく行ったと感じます。気になるのは、補正予算(案)の編成・提出のペースが遅いように思えるのと、決算審査のペースが遅いことです。この辺は、自治体議会を見習うべきだと考えます。

 私も220日間というロングラン国会でしたが、なんとか完走できそうです。「3・11」以降、2ヶ月間ぐらい自宅でのネット傍聴に専念する心持ちになったのと、意外にお盆休みがあり、久しぶりに午前9時過ぎに起きる生活を楽しんだら、代表選で小沢氏の存在が復権してきてしまい、今通常国会冒頭の1月の「衆院政治倫理審査会での説明」と「党員資格停止」が何だったのだろうという気持ちで、心持ちが穏やかでなくなりました。

 1ドルが75円ということになり、国際基軸通貨「ドル」の終わりが始まりました。これにより、経済におけるグローバリゼーションはいったん、踊り場を迎え、ふたたび内向きなローカリゼーションになってくる可能性があります。もはやTPPの議論の前提さえ崩れ去った感もありますが、今国会が多くの法律が成立する第一歩となったことは喜ばしいことだと考えています。

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議員立法に憲法89条論争おこる 橋本聖子さん、大島九州男さんら 参院文科委

2011年08月20日 13時53分36秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

【2011年8月18日(木) 参院・文教科学委員会】

 さて、お盆明け8月15日週でしたが、国会審議は、参議院で委員会が一つだけ。衆議院は何にもなしの体たらく。

 今週、設定された唯一の委員会は、「自民党らの議員立法に対して、民主党議員が日本国憲法89条論争を挑む」という談論風発としたものになり、さすがにクソ暑い中設定されたにふさわしい良い国会となりました。

 参議院文教科学委員会は、委員長ポストは自民党がにぎっていて、二之湯智(にのゆさとし)さん、京都選出です。

 議題となったのは、第177国会参法21号「東日本大震災に対処するための私立学校の建物の災害復旧の特別の助成措置に関する法案」です。

 提出者は、メダリストで元外務副大臣の自民党・橋本聖子さん、“ヤンキー先生”こと義家弘介(よしいえ・ひろゆき)さん、83歳の最長老議員の公明党の草川昭三さん、71歳の新人議員(元PHP研究所社長)でみんなの党の江口克彦さんら


[画像]法案の趣旨説明をする参院自民党の橋本聖子さん、2011年8月18日、参・文科委、参議院インターネット審議中継からキャプチャ。

 私立学校の建物の復旧などへの国庫補助率を3分の2にかさ上げするという議員立法です。そういう風に聞くと、「私学に国庫がそれだけ負担する必要があるのか?」と思うところですが、私学教員の経験がある義家さんの答弁によると、私学助成金は生徒数で計算されるため、県外避難をした家庭の生徒がいると、学費も助成金も減ってしまうという現実が被災地の私学を待ちかまえているとのこと。

 そして、義家さんの答弁や、自民党の熊谷大(くまがい・ゆたか)さんの討論によると、与党・民主党では、委員長提案による与野党超党派での議員立法を予定していたものの、政調部門会議でストップがかかり、衆院文部科学委員会の与党側筆頭理事は辞表を出した、とのこと。また、民主党は財政負担増を懸念した「財務省に言われて反対に回った」(熊谷さん)とされました。

 このような背景があったからでしょうが、質問に立った民主党の大島九州男(おおしま・くすお)さんは、日本国憲法第7章第89条の「公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用、便益もしくは維持のため、または公の支配に属しない慈善、教育もしくは博愛の事業に対し、これを支出し、またはその利用に供してはならない」との条文と法案の整合性について、問答を挑みました。


[画像]憲法89条論争を挑んだ民主党の大島九州男さん、2011年8月18日、参文科委、参議院インターネット審議中継からキャプチャ。

 なお、はじめに言及しますが、大島さんは私の日大二高の12年先輩ですので、大島さんの国会傍聴記はじゃっかんひいき目な書きぶりになりますので、ご了承下さい。東京電力から広告料を受け取っていることをかくして、「東電賠償スキーム、国が大幅負担へ 素案判明」なんて書く新聞よりずっと良心的だと自負しています。そもそも、議会制デモクラシーの国会を公正中立に書くのなんてムリだし、つまらないです。

 私はかねてから、憲法89条は、もっとも違憲立法・違憲行政の議論の余地がある条文だと思います。つまり公金の教育への支出が憲法で禁じられている、と読めます。そうなると、学校教育法第59条の「国や自治体は、教育の振興上必要があると認める場合には、別に法律で定めるところにより、学校法人に対し、私立学校教育に関し、必要な助成をすることがある」としています。

 違憲立法・違憲行政は、最高裁に行った場合は、大法廷で15人の裁判官が裁きます。ただ、お昼のNHKニュースを恒常的に見ている人ならば気付くでしょうが、実は大法廷は近年では年に1回前後しか使われていません。国政選挙のたびに選挙区ごとに弁護士が訴えている、一票の格差について「格差は違憲」としながら「選挙は有効(事情判決)」とする判決が年に1回前後あるだけ。裁判所の判例は条文と同じ効力がありますから、日本国憲法は60歳を迎えて、こなれてきたという風に言えるでしょう。

 委員会室に戻ります。大島さんは憲法89条について、日本国憲法制定前の審議での議事録や、昭和21年(1946年)の憲法に続き、昭和24年(1949年)に私立学校法ができたときの経緯をひもときながら、細かく指摘。これに対して、まずなぜか橋本元外務副大臣はまったく答弁せず、義家さんが答弁に立ちます。「本法案は、衆議院法制局と参議院法制局と長時間、協議した上でつくったものです」と強調しますが、かなりしどろもどろになってしまいました。この日の審議では、政府参考人は、文科省私学部長ひとりだけで、内閣法制局の長官・部長や、参院法制局の局長・部長などはいっさい呼ばれていませんでした。文科省私学部長もあまり想定していなかったようで、あまりハッキリした答えは出てきません。


[画像]答弁する法案提出者の自民党の義家弘介さん、2011年8月18日、参文科委、参議院インターネット審議中継からキャプチャ。

 ここで大島さんも武士の情けという風情で、「正直なことを言うと、私もこの法案が出て来なければ、ここまでしっかり憲法や議事録を読み込まなかったと思います。とはいえ、この憲法制定当時に国会で先輩たちがどういう議論をしていたかということを私たちはもっと虚心坦懐にとらえて、法案を審査すべきではないでしょうか」と語りかけます。

 見かねた江口さんが「大島議員のお話はごもっとも」と答弁したので、笑ってしまいました。さらに江口さんは「私のように人生を長くやっていますと、公立だけでは(受け入れる生徒数などが)やっていけないということはよく分かります」と人生経験アピール。


[画像]法案提出者でみんなの党最高顧問・参院議員の江口克彦さん、2011年8月18日、参文科委、参議院インターネット審議中継からキャプチャ。

 大島さんは「ですから、大きな幹の枝葉だけをチョコチョコ変えるような法令をそろえるのではなくて、幹をしっかりつくるのが私たち国会議員の仕事ではないでしょうか」と語りました。

 これに対して江口さんは「同感ですが、今は非常時だからチョコチョコやらないとダメなんです。被災者のためなんです」と答弁します。しかし、冷たいように感じるでしょうが、非常時だからこそ、チョコチョコやってはいけない、それが法治国家における立法府だと私は考えます。まあ民主党内閣の法案提出のスピードがtoo late であることは私も認めます。

 大島さんは「私学助成金があって運営されているのが私学の実態であって、私学助成金という制度の幹をしっかりつくり、行政を監督するのが国会の役目だ」と強調して質問を終わります。ただ、この法案は一度は民主党が共同提出に合意したのに反故になった経緯があったようですから、大島さんとしても逃げの質問だったんでしょうが、やはりそういうテクニックは必要です。そして、逃げの質問を憲法論争に持っていった大島さんはなかなかダイナミックな政治家だと感じます。

 次に法案に賛成する予定の自民党の熊谷さんが質問に立ちました。この時点で、憲法論争はおされ気味だったので、「ここで改めて文科省に憲法89条との整合性についてお聞きします」と質問しました。

 これに答えるのは、民主党参院議員でもある文科副大臣の鈴木寛さんで、ペーパーをみながら、答弁しました。

 そして、熊谷さんは自分の認識を示した上で、「発議者にお聞きしますが、私の認識で正しいでしょうか?」と述べると、義家・発議者は「まったく認識を一致しています」と述べました。熊谷さんのナイスフォローとなりました。

 けっきょく、委員長(自民党)が採決に加わらないことから、委員会採決では、自民党、公明党、みんなの党の賛成少数で否決されました。これは「20人委員会で」、日本共産党と参院会派「たちあがれ日本・新党改革」は委員を出していません。しかし、22日(月)の本会議では二之湯委員長の報告のあと、参議院議員全員で採決しますので、賛成が反対を上回る見込みで、可決し、衆院に送られる見通しです。参議院は、こういった綱渡りで輿石東会長ら政権与党は参議院を運営しているのに、衆議院側の政府外議員が、民自公3党の修正協議をみて、「岡田幹事長はマニフェストの魂を売った」などと言うのはホントウに恥ずかしい。昨年7月の直近の民意(参院選での与党・民主党へのお灸→衆参ねじれ)を無視しているというか、気付いていなくて、あの人たちは憲法の二院制を無視した“違憲議員”ではないでしょうか。代表選の会合なんか出てないで、参議院の委員会を傍聴したらいいんですよ。

 さまざまなねじれがあるなかでの、議員立法と憲法論争ですが、ただ、政務三役も含めて、議員同士が憲法の「解釈」を議論するのは少し違うような感じがします。ただ、大島さんが「正直、この法案が出たからこれだけ勉強した」という触媒になったのは大歓迎です。

 熟議の国会は、ホントウに実現してきていると、正直に感じています。

 法案は衆院送付後に、与野党修正協議がされるものと思います。会期末(8月31日)まであまり時間がありません、急げ!

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山口那津男さん、「大連立否定しない」「3党協議の実績を」「大連立そのものを代表選の争点にしないで」

2011年08月20日 09時14分33秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

[写真]カメラを使って、回りの情報を収集する、公明党代表の山口那津男さん、2010年、与那国島、同党の遠山清彦さんのツイッターから。

 公明党代表の山口那津男さんは、2011年8月19日(金)、北海道で、「大連立そのものを否定するわけではないが、民主党内でいろいろな意見がある以上、民主党としてどうするのか方針を決めて明らかにすべきだ。大連立という枠組みを代表選の争点とすることが妥当なのか、よく考えてもらいたい。我々は国民のために優先順位を決めて、何をやるかを最も重視したい。これまで民自公の3党協議を重ねてきた実績を生かしながら、臨んでいきたい。まずは震災の復旧・復興で合意形成を進めるのが妥当だ」と述べました。きょう(20日)付の公明新聞が伝えました。

 
[写真]民自公3党協議のようす、2011年8月9日、民主党ホームページから。

 山口さんは、同日開かれた北海道や東北を担当する参院議員の横山信一さん(全国比例)の政治資金パーティーのため、北海道・札幌を訪れていました。横山さんのパーティーでの講演では、特例公債法案が「辞任3条件」になったことについて、「公明党は(3党間での)合意形成を積極的に図った」として、菅直人首相を退陣させるために合意を急いだわけではないと強調。山口さんはこのところ、地方議員向けの夏期研修会などで、2013年の都議選・参院選・衆院選トリプル選挙に向けて、じっくりと日常活動をして党再建をめざす考えをくり返していますが、ゆうべのパーティーでは「政権の追い込みを画策する時ではない」としました。また、首相の菅さんが6月2日の「退陣」ととられかねない発言をしてしまって以降、「内政・外交の課題に対応できず、空白の不利益」が出ているとして、民主党に「必要なことは新体制で取り戻す気概を示すことだ」としました。

 先日、当ブログ開設5年目入りということで、初心に返るために傍聴した参・農水委では、この横山さんが質問に立ち、「ホタテ養殖の丸カゴが、(震災の影響で)ベトナム製、中国製が大量注文されており、国内産の調達を急ぐべきだ」、「岩手の漁業者から『横山さん、無保証の融資はないのか』と聞かれたが、その融資制度はある。周知されていない」、「漁業者を無収入のまま浜に縛り付けておくことはできないが、サラリーマンになってしまい生活が落ち着いたら、もう後継者(としては漁業に)は戻ってこない」などと、まさに庶民の生活の代弁者として、鹿野道彦農相に声をダイレクトに届けていました。鹿野農相がどういう答弁をしていたかは、ちょっとノートにもとっていないし、覚えていないので、ちょっと分かりません。

 なお、けさ(8月20日朝)放送のTBS「みのもんたのサタデーずばっと」の中で、鳩山グループが「岡田幹事長は衆参ねじれなのに、他党と根回しをしない人だ」と述べたところ、ひごろ強硬派の参院自民党幹事長の小坂憲次さんが「でも、交渉の過程(プロセス)を目に見えるところでのはいいことだ」と鳩山グループをたしなめるシーンがありました。ちなみに、山口さん、小坂さん、岡田さんは3人とも、第39回衆院選(1990年2月)初当選組です。

 また、今週はニクソン・ショック(1971年8月15日)から40周年でしたが、New Yorkでは金曜日後場で1ドル=75円をつけるシーンがありました。山口さんは円高対策について中小企業の「現場の人々の生活に寄り添って考えれば一刻の猶予もない」と述べました。

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衆・財金委「特例公債」&3党合意レビュー 「高速」撤回 「子ども」修正「高校」と「戸別」は継続決定

2011年08月13日 21時30分57秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

[画像]半年間にわたった特例公債法案の修正可決を宣言する石田勝之・衆議院財務金融委員長=衆議院インターネット審議中継からキャプチャ。

【衆院財務金融委員会 2011年8月10日(水)】

 ついついホッとしてしまったのですが、この委員会は書いておかねばなりません。

 2月16日(水)。衆・予算委の昼休みを利用して、財金委で財務大臣の野田佳彦さんと、金融担当および郵政改革担当大臣の自見庄三郎さんの所信表明がありました。他の委員会より早く所信表明があったのは、今国会の政府提出(閣法)1号議案である「特例公債法案(平成23年度の赤字国債発行法案)」を早く衆院を通過させ、参院で否決されても、衆院で再可決させようという思惑からです。これは、民主党執行部はおろか、キャスティングボートをにぎれる社民党幹事長の重野安正・衆院議員も考えていたことです。ところがその翌日の2月17日午前、渡辺浩一郎氏ら16人の民主党比例単独衆院議員が民主党幹事長室に突然、会派離脱届けを、岡田克也幹事長不在にもかかわらず、職員に置いていくという事態が発生してしまい、この時点で「3分の2」カードは消えました。この日から半年間、重野さんのお姿をテレビで見ることが少なかったような感じがします。たぶん誰も気付いていないでしょうが、この騒動でイチバン損をしたのは重野さんだと思います。

 翌週の2月23日(水)。茫然自失とした先が見えない状態で、衆・予算委が休憩になった直後の、午後0時10分から、特例公債法案の提案理由説明がありました。野田財務相はその最後を、「なにとぞご審議のうえ速やかにご賛同いただきますようお願いします」との決まり文句でしめくくりましたが、誰にも先が見えない状態でした。

 3月1日(火)。衆院本会議で平成23年度当初予算案を可決しました。この中には、歳入に赤字国債の発行などの見積もりが盛り込まれていましたが、その裏付けとなる法律がいつ成立するかは不明なままでした。例年だとこの日に一括して法案は採決されるはずでした。昨年は自民党の1期生小泉進次郎さんが討論に立ち、「予算に反対、特例公債法案には賛成」と演説しました。しかし、ほとんど同じ内容の法案にもかかわらず、自民党は賛成してくれませんでした。

 3月2日(水)の財金委は、白川日銀総裁らへの一般質疑で終わってしまいました。

 そして、3月9日(水)。ようやく自民党が起き出します。参院予算委が終わった午後5時10分から委員会がスタート。民主党は早朝、昼間、夕方、夜を全部使って審議をしてほしいと要望していましたが、この日は2時間だけ。冒頭、自民党の後藤田正純・筆頭理事(当時)が「この委員会は古い伝統もあり、定例日以外はやらない。夜なべもやらない。私は個人的には夜8時でも、9時でもよかろうと思うが、きょうは夕なべの2時間の審議となった」と語りました。後藤田さんとしては、野党としてそろそろ起きて、少しずつ与党をいたぶろうという気があったようです。ところで、私も傍聴ノートを振り返ってみて、この過程で毎週(水)だけしか財金委は開かれていなかったことに気付きました。理事会では、毎日でもやろうとする、古本伸一郎・民主党側筆頭理事と野党側理事との攻防があったと考えます。ぜひ、理事会もネット中継を考えて欲しいです。

 しかし、この3月9日の起き抜け2時間審議。いうまでもなく、その2日後、3月11日に東日本大震災が発生しました。不透明の次に来た大不安。そして、特例公債法案の審議がストップしている間に後藤田筆頭理事は女性スキャンダルが雑誌で発覚し、山本幸三さんが筆頭理事のバトンを受け継ぎました。この「3月9日起き抜け2時間」という間の悪さは、私は、後藤田さんにとってはある意味、天命であり、彼の性根が生んだ事態なのかもしれません。あまり、後藤田さんのことはよく知りませんが、そういう傾向が今国会にはあります。

 ◇

 話は飛んで、7月29日(金)。この日は金曜日ですが、財金委が開かれ、久しぶりに特例公債法案が議題となりました。ただし、実務者(民主党・城島光力さん、自民党・鴨下一郎さん、公明党・坂口力さん)の修正協議が進んでいるため、本題とはズレがちでしたが、野田財務相が「野党の理事のみなさまのご協力で審議ができ感謝します」として本来は自民党用語である「バラマキ4k」という言葉を民主党財務大臣が自ら使って、低姿勢を貫きます。そこで、自民党1期生の齋藤健さんが「震災が起こったことを契機に財政を見直したらどうか」と発言。で、今調べたら、やっぱり齋藤さんは東京っ子(港区)なんですね。こういう空気を固めて言葉にするのは東京っ子議員の役回り。野田大臣が特例公債法について「会期末(8月31日)までに成立しないと(次の第178国会前には)予算の執行の抑制につながります」と答弁すると、齋藤さんは「よく分かりました。その点を踏まえて国会も対応しないといけないですね」と応じました。

 そして、8月2日(火)にはまたしても驚くべき事態が。この日も特例公債法案が議題となりましたが、自民党・無所属の会が持ち時間の2時間40分を、茂木敏充さん一人に配分しました。茂木さんは質問がスタートして1時間半後の時点でも、「金融担当大臣、ちゃんと質問通告しているでしょう。このパネルをちゃんと見てください」と、さすが自民党広報本部長と思わせる一人舞台を演じました。とはいえ、1人に2時間半も質問時間を与えているのですから、「もうそろそろいいのではないか」という雰囲気が出たのではないか、と想像します。

 そして、8月9日(火)に3党合意が成立しました。

2011年8月9日(火)の民主党、自民党、公明党の3党合意文書。
民主、自民、公明の3党は、以下の点について確認する。
一、歳出の見直しについては、以下の通りとする。
    高速道路無料化については12年度予算概算要求において計上しないこととする。
    高校無償化、農業戸別所得補償の12年度以降の制度のあり方については、政策効果の検証を基に、必要な見直しを検討する。
    なお、これらを含めた歳出の見直しについて、11年度における歳出の削減を前提に、11年度第3次補正予算ならびに12年度予算の編成プロセスなどに当たり、誠実に対処することを確認する。
一、歳出の見直しと併せ、子ども手当等の見直しによる歳出の削減について、11年度補正予算において減額措置することを、特例公債を発行可能とするための法案の付則に明記する。
一、法人税減税等を含む11年度税制改正法案(その内容を一部切り出して6月22日に成立した法律にあるものを除く)については、復興のための第3次補正予算の検討と併せ、各党間で引き続き協議する。
一、東日本大震災復興基本法第8条に規定する復興債の償還財源の具体的内容や償還ルールなど、あらかじめ決めることとされているその償還の道筋については、第3次補正予算の編成までに、各党で検討を進める。
 一、11年度第1次補正予算における財源措置として活用した年金臨時財源については、第3次補正予算の編成の際に、復興債で補填(ほてん)することとし、そのための財源確保策と併せて、各党で検討
する。
一、以上を踏まえて、特例公債を発行可能とするための法案について速やかに成立させることとする。
 以上、確認する。


 これを受けて、8月10日(水)の午後1時半に財金委が開かれました。初の菅直人首相が入っての財金委員会となりました。そして、民自公3党が、「補正予算での減額」を盛り込んだ修正案を出しました。午後3時38分、修正案は可決され(日本共産党が反対)、翌日8月11日(木)の本会議で参院に送られました。

 さて、この8月10日(水)の財金委は、あたかも、野田佳彦財務大臣、自民党で質問に立った野田毅さん、公明党で質問に立った竹内譲理事ら3人とも旧新進党員でした。そして自公の旧新進党員が、イデオロギー対立のない政権可能な二大政党による政権交代ある政治を1994年~1997年にめざした旧新進党員からは一人も出ていない内閣総理大臣を出そう。固有名詞は言わなくても誰のことだか分かりますが、そのような風情でした。やはりオリジナル民主党の共同代表が2人総理をやったので、ここで、「新進党勢」を首相にして民自公にちらばる人脈を活用すれば、衆参ねじれの中、政治を前に進めることができるのではないかと考えます。総理が使い捨ての状況が続いていますが、ここで土台を作り、国会法や内閣法の改正までいってから解散すれば、どちらが政権を担おうとも首相が使い捨てにならないシステムをつくれるのではないかと考えています。これについては、固有名詞も絡み、いろいろと叩かれやすいので、エントリーを改めて、来週にもアップしたいと思います。

 なお、閣法2号である「国税などの改正法案」はいまだに衆・財金委にとどまっています。私としては、おそらくこの法案は会期末で廃案になるのではないか、と推測しています。廃案になると、法人税率の5%引き下げと、相続税率の5%引き上げと控除額の引き下げ(5000万円→3000万円)が実施されません。税理士さんでもどうなるか分からない人がいるでしょうが、当面、相続税制は変わらないのではないでしょうか。国会の場で税制改正が部分的とは言え見送られる、という異例のケースとなりそうです。

 それと、石田勝之委員長(埼玉2区)がしっかりと委員席にすわり、議事を進めました。委員長は理事に席をときどき替わってもらえますが、石田委員長は他の委員長と比べても、しっかりと委員長席(議長席)に座り、きっちりと議事をこなしていた印象です。選挙区のライバル、自民党の新藤義孝さんが訪韓で名を馳せましたが、地味に委員長職をこなした石田さんを選挙区の人はきっちりを評価に入れて欲しいと願います。

 ところで、予算関連法案を中心に現地やネットで傍聴していて気づいたことがあります。今国会の衆院では、財金委が可決し、翌日の本会議の日程として採決されることが多かったです。その一方で総務委員会では午前中に審議し、可決し、その日の午後の衆本に緊急上程して採決することが多かったように思います。財金委は衆院議員の野田大臣と参院議員の自見大臣が出席するのに対して、総務委は、民間人の片山大臣だけですから、日程調整はしやすいと考えます。それなのになぜ総務委は緊急上程ばかりだったのか。前半国会で与党側筆頭理事をしていた人は「3・11」で両親、奥さん、長男、秘書が津波で流され難儀した方なので、あまり触れたくないのですが、なぜ総務委の日程は財金委より半日ずつ遅れたのか? 国会というのは、人がやっているんだという当たり前の現実を痛感し、小沢一郎氏という人の独断的手法で新進党を壊してしまったことで、救いようのない天罰を現代の日本国民にもたらしている、と私は改めて思います。

2011年今後の政治日程を以下のブログで更新しています。
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 国政を理解し、自分の意見を反映させる上では、「日程感」をつかむことが大事です。「今後の政治日程 by 下町の太陽」では、今後予想される政治日程のうち、政局に影響を与えるものに絞って紹介していきます。ぜひご活用ください。
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国によるがれき処理の代行法が成立 民自公修正協議

2011年08月12日 11時00分26秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

(このエントリーの初投稿日時は2011年8月12日 午前11時)

 会期末(8月31日(水))を前にして、参院での審議時間を考えると、衆院通過のリミットが近づいています。

 そのため、いくつかのエントリーが前後重複すると思います。いずれ時間があったら調整しますが、2011年8月12日の金曜日の参院本会議で、国のがれき処理代行法が成立しました。

 これはまず、小里泰弘さん、田中和徳さんら自民党、江田康幸さんら公明党などが衆院に共同提出した法案で、後から、閣法も提出。衆院本会議では同時に審議入りしました。

 これは、橋本行革で廃棄物行政が厚生省から環境省に移ったものの、法律の想定外の多量のがれき(災害廃棄物)の発生でてんてこ舞いになっています。自治体が処理して、環境省に概算払いを要求するのですが、これが滞っており、江田五月・環境大臣も「職員を現地に常駐させています」(メールマガジン)とはいうものの、なかなかうまくいかないようです。

 また、総務大臣の片山善博さんも、発災直後から、総務委員会などで、「阪神大震災との違いは、(神戸市、芦屋市などと違い)、失礼ながら今回の被災自治体はどこも財政状態が悪い」とたびたび答弁しています。自治体ごとの能力差というのは、どのような行政課題でも、必ずあり、それはある程度認めるべきですが、がれきを除去しないと、復旧から復興へ何も始まりません。

 もちろん、現在進行中の問題ですので、今から環境省から他省に移すというわけにも行きませんが、自公案提出時の7月28日の本会議での小里さんは「復興庁ができるまでは復興実施本部に頑張ってほしい」「平野達男・復興大臣、『私がやる』と言ってください。国交省もがんばってください」としました。また、現行の制度だと、被災自治体の中から財政再建団体がでかねない、とも小里さんは指摘しました。

 その後、民自公の修正協議をして、昨日、衆院本会議を通過し、その後、参院復興特別委員会で審議、採決。きょう午前10時の参院本会議でスピード可決・成立しました。内容は、「処理費用の95%を国が負担し、残りの5%も後から地方交付税で補てんする」というものになりました。

 私はこの審議を聞いて思ったのは、これまで野党の議員立法は、官僚統治機構(いわゆる霞が関)を使えないので、政府案に比べると内容が乏しくなりがちだったのですが、自民党と公明党はともに、民主党を上回る地方議員や推薦首長がいるので、市町村の情報ルートはむしろ、自民党や公明党の方に吸い上がる現状にあるように思います。

 この辺の市町村のルートが機能している自民党や公明党は、陳情という格好で、党本部に情報が来る。一部では、復興基本法(民自公が修正で立法)の内閣府復興庁は、公明党本部がてんやわんやになって大変なので、復興庁をつくってほしい、という事情があったようにも聞きました。これは公明党にとっては、名誉だと思います。

 今国会での震災立法が野党の議員立法ペースで進んでいるのは事実です。これは民主党政府にとっては情けないことですが、非常時ですし、国会もガバメント(Government)の構成要素ですから、自民党や公明党は、自分たちの党員である地方議員や推薦首長のためにやってほしいし、民主党も虚心坦懐に頭を垂れるべきです。

 震災法案では、このほか、参院自民党の片山さつきさんらが立法した二重ローン対策法案も参院を通過して、衆院に送られており、今国会中に立法ないしは政令改正が行われると思われます。
 

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◎小沢一郎氏、また岡田克也幹事長に負ける 16人「自称・新会派」から半年・・・特例公債法成立へ3党合意

2011年08月09日 19時36分50秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意


 ホッとしました。

 2011年8月9日(火)今国会の内閣提出第1号議案(177閣法1号)である、「特例公債法案」(平成23年度の赤字国債発行法案)を成立させることで、民主党、自民党、公明党の3党幹事長が合意しました。

【追記 2013年1月30日(水) 午前5時】

 こちらのエントリーにも3党合意の全文を載せておきます。

2011年8月9日(火)の民主党、自民党、公明党の3党合意文書。
民主、自民、公明の3党は、以下の点について確認する。
一、歳出の見直しについては、以下の通りとする。
    高速道路無料化については12年度予算概算要求において計上しないこととする。
    高校無償化、農業戸別所得補償の12年度以降の制度のあり方については、政策効果の検証を基に、必要な見直しを検討する。
    なお、これらを含めた歳出の見直しについて、11年度における歳出の削減を前提に、11年度第3次補正予算ならびに12年度予算の編成プロセスなどに当たり、誠実に対処することを確認する。
一、歳出の見直しと併せ、子ども手当等の見直しによる歳出の削減について、11年度補正予算において減額措置することを、特例公債を発行可能とするための法案の付則に明記する。
一、法人税減税等を含む11年度税制改正法案(その内容を一部切り出して6月22日に成立した法律にあるものを除く)については、復興のための第3次補正予算の検討と併せ、各党間で引き続き協議する。
一、東日本大震災復興基本法第8条に規定する復興債の償還財源の具体的内容や償還ルールなど、あらかじめ決めることとされているその償還の道筋については、第3次補正予算の編成までに、各党で検討を進める。
 一、11年度第1次補正予算における財源措置として活用した年金臨時財源については、第3次補正予算の編成の際に、復興債で補填(ほてん)することとし、そのための財源確保策と併せて、各党で検討する。
一、以上を踏まえて、特例公債を発行可能とするための法案について速やかに成立させることとする。
 以上、確認する。

【追記おわり】 

 成立の前提となる、4kの見直しについては、まだ詳細が分かりませんので、エントリーを改めるか、このエントリーに追記することにしますが、小沢一郎氏による「2・17ショック」(比例単独16人をたぶらかしての自称・新会派騒ぎ)により、「3分の2」が絶望的になって以来、与野党協議をねばり強く、忍耐強くつづけた岡田さんの勝利となりました。小沢氏にとっては1月31日の検察審査会による強制起訴に伴う「判決確定まで党員資格停止」処分に次ぎ、岡田さんに2連敗となりました。

 同法案は今週中に衆院財務金融委員会で可決し、衆院本会議を通過。来週にも、参院で審議入りし、財政金融委員会で可決し、参院本会議で成立することになると思います。例年は3月上旬に参院に送られ、3月中に成立している同法案ですが、今国会では、衆参ねじれを考慮し、民主党執行部は日本国憲法59条第2項(3分の2ルール)による可決・成立を見通していましたが、小沢一郎氏に手引きされた民主党比例単独16人衆が2月17日、突如「自称・新会派」の立ち上げを一方的に発表。これにより、3分の2が絶望的になり、民自公3党の政調会長や幹事長に調整がゆだねられていました。

 8月9日午前中に、自民党は総務会で、公明党は臨時常任役員会で執行部一任を決定。民自公の政調会長が下ごしらえをしたうえで、今国会を動かしている岡田克也さん、石原伸晃さん、井上義久さんの3人が合意しました。この3人は1990年2月18日の第39回衆院選で初当選した同期の桜で、岡田さんと石原さんは自民党、岡田さんと井上さんは新進党で同じ政党のメンバーとして活躍していました。また、石原さんと井上さんは同じ政党に属したことはありませんが、1999年~2009年にわたり一緒に政権を担いました。岡田さんと井上さんも細川・羽田連立内閣を支えた仲です。

 3人の政治キャリアを下の表にまとめました。



 


[画像]民自公3党幹事長の歩み、宮崎信行作成。

 この岡田人脈が大きく国会を動かしたことになり、現時点でも衆院会派「民主党・無所属クラブ」の会派分割に岡田・会派代表者は応じておらず、1月31日の強制起訴後に、乾坤一擲の作戦で2月17日にしかけた小沢一郎氏による「会派分裂作戦」は失敗に終わった格好になりました。

 私の国会傍聴ノートを振り返ると、召集日である1月24日(月)の週の木曜日(1月27日)にBS11番組に公明党の漆原良夫・国対委員長が出演しています。この中で、この日の菅総理の施政方針演説に対する井上幹事長の衆本での代表質問にちなんで、「井上さんのような慎重な性格の人と違って、私のような野蛮な人は違う」と自己紹介しながら、特例公債法案などについて「民主党は『最後に公明党が(賛成に)乗ってくれる』と思っているが、とんちんかんだ。根拠のない期待だ」と強硬路線を示唆していました。

 一方、2月7日(月)の記者会見で岡田幹事長は「公明党のご意見、確かに厳しいものがありますが、しかし、子ども手当というのは公明党が推進してこられた児童手当の充実の延長線上にあるとも言え
る」「手直しをすることも含めてやぶさかではありませんし、何よりもこの法律が通らないことになれば、子ども手当も児童手当も支給できない事態になりかねません」と述べていました。半年かかりましたが、この岡田さんの2月7日の目的地に、着陸することができたことになります。やはり、岡田克也の先を見通す目は優れていると思います。なかなか、世間受けはよく分かりませんが。大変口幅ったい言い方ですが、岡田さんはこの半年で成長したといえるでしょう。

 NHK日曜討論で、与党時代に予算委員長や議運委員長の経験がある自民党国対委員長の逢沢一郎さんが「民主党はもっと知恵を絞らないといけない。民主党はもっと苦しまないといけない」と言っていたときはイヤなこと言う人だなあ、と感じましたが、今となっては、私自身にとっても良い糧になったと考えます。

 また、「子ども手当つなぎ法」の成立の際に、参院本会議で賛成に回ってくれた、市田忠義(いちだ・ただよし)さんら日本共産党のみなさんにも感謝です。

 そして、当初予算2・1兆円と、年少扶養控除をすでに廃止したことと、所得制限という連立方程式が必要になったときに、登場した、公明党の元厚生労働大臣、坂口力(さかぐち・ちから)さんの存在が何よりも大きいでしょう。坂口さんの登場について、6月16日の会見で岡田幹事長は「坂口先生が、専門家として自らの見解を述べられたということだと思います」「党に諮ったものではないことは、私もお聞きしております」「そういったことが説明できるような制度設計が望ましいと考えております」「そう言っておかないと、所得制限にどうのこうのと書かれても困るからね。私はニュートラルです」として、最後の所得制限を含めた子ども手当の見直しにつながりました。ちなみに、「所得制限をしない」ということは民主党マニフェストには書いてありません。

 
[画像]公明党の坂口力さん。

 今週になって、公明党は、自民党を振り切ってでも特例公債法案賛成という動きが出てきました。そこで、自民党はあわてて3党合意を決定したような風情です。ということは、公明党がしかけ、来年4月からの児童手当法の復活という果実(ただし、手当の名称は未定)を得たということになり、野党としては公明党の方が、自民党よりもベテランという感じになります。

 自民党総裁の谷垣禎一さんからは「信なくば立たず」という言葉がたびたび出ました。谷垣さんは今国会野党初発言となった1月26日の衆本代表質問で「小沢の出鱈目マニフェスト」という表現で、マニフェストの撤回を求めました。それから3・11を経て、半年以上たった延長国会で、どうやら「信なくば立たず」で党と国民のための成果をとげたのは、岡田さんのようです。

 今回、岡田さんを助けてくれた厚生関係議員の先輩である坂口力さんは、一度落選経験があります。3党幹事長がきら星のごとく政界デビューした第39回衆院選で、党政調会長の要職にありながら落選してしまいました。選挙区は中選挙区時代の三重1区。このとき、最後に当確が出たのは、自民党新人の岡田克也さんでした。公明党・創価学会は厳しい組織ですから、「選挙に強い人の評価が高い」という傾向は他党を上回ります。地道に2年間、戸別訪問をしながら、先代から受け継いだ後援会をしっかりと岡田後援会に変えていった36歳の若者の姿を坂口さんは見ていたのでしょう。そして、1997年12月、小沢一郎氏による新進党解党に公然と異論を唱えた、岡田さんの背中を、井上さんも坂口さんも見ていたようです。このときのことは、創価学会の方々はよく覚えていらっしゃいます。政治家はどんなときでも、誰かが自分の背中を見ていることを忘れてはいけません。まさに正念場(性根場)国会です。

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前川清成さん、被災者差し押さえ禁止法案を議員立法 「私たちの正義に反します」

2011年08月09日 13時23分32秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

[画像]2つの法案を起草し、趣旨説明する、民主党の前川清成さん、2011年8月9日、参議院インターネット審議中継からキャプチャ。。

【2011年8月9日(火) 参院・災害対策特別委員会】

 「被災者の多くが二重ローンに苦しむなか、銀行や高利貸しが(被災者が受け取った弔慰金や義捐金を)差し押さえて横取りしてしまうことは、私たちの正義に反します」。

 「正義に反する」という言葉を久しぶりに国会で聞いた気がします。

 政党というよりも、各国会議員、あるいは国民の性根が明らかになる第177通常国会。

 前川清成(まえかわ・きよしげ)さんといって、奈良選挙区から蓮舫さんと同期当選(2004年岡田民主党、2010年菅民主党)の弁護士。お父さんは大阪ガスの会社員、お母さんは学校給食調理員で、長男として関大法学部に進学。平成2年(1990年)に弁護士登録し、住宅金融債権管理機構や、RCC整理回収機構で働いた経験もあります。

 政務三役の経験はありませんが、まだまだ、民主党にはこういう人材がいるんですね。

 前川さんは、9日昼休みに開かれた災害対策特別委にさしかえで登場し、

災害弔慰金の支給等に関する法律及び被災者生活再建支援法の改正案(177国会参法14号)

義援金に係る差押禁止等に関する法案(177国会参法15号)

 の2つの法案を起草し、松下新平委員長(自民党)の名前で、参院本会議に提出することが全会一致で決まりました。また、民主党、自民党、公明党、みんなの党、日本共産党を代表した委員会としての決議文も、前川さんが提案し、全会一致で可決。東日本大震災復興担当大臣の平野達男さんが議決をしっかりと受け止めて、政府が対応することを請け負いました。

 この経緯は、8月3日(水)に参議院へ提出した被災者支援金・弔慰金、義援金を差し押さえ禁止にする法案が、与野党の合意を得て「委員長提案」の形式をとることになり、基の法案の筆頭発議者だった前川さんが、法案を趣旨説明して、委員会決議についても提案することになったものです。参院本会議や、衆院災害対策特別委員会での趣旨説明は松下委員長がすることになります。

 このところ、政府提出の東日本大震災関連の閣法の提出が遅れていて、佐藤正久さんら参院自民党・浜田昌良さんら参院公明党らの「仮払い法」(成立・公布済み)、小里泰弘さんら衆院自民党・江田康幸さんら衆院公明党らの「がれき処理の国代行法案」(きょう夕方にも与野党修正合意)など衆参自公、みんなの党、たちあがれ日本、新党改革など野党の議員立法が目立っていました。

 が、今回は参院民主党の前川さんがていねいに野党を回って、法案を起草し、政府をバックアップする格好になりそうです。

 このように第177通常国会は、できる人にはできる国会になっています。

 小沢先生も議員立法の一本ぐらい出したらどうでしょうか。

 それにしても、「私たちの正義に反します」から法案を出さざるを得なかった前川議員(弁護士)の正義感。かなり久しぶりに国会で聞いたような気がする言葉です。ここ数年は、「立秋とは名ばかりの猛暑日」というフレーズがよく聞かれますが、前川さんのふるまい(性根)はまるで、「立秋とは名ばかりの梅雨明け直後の青い空」のようでした。まだまだ、こういう人がいるんですね、ホッとしました。

 ◇

 今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行
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 tags 岡田民主党・岡田克也 菅民主党・菅直人 小沢先生・小沢一郎 

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◎ありがとうございます 国会傍聴記5年目に突入! 初心に戻って、参院の20人委員会を傍聴。

2011年08月04日 21時08分02秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

[画像]参議院農林水産委員会を傍聴する、筆者の宮崎信行=川崎稔参院議員の肩の後ろの赤いリボンをつけた人物、2011年8月4日、参議院インターネット審議中継からキャプチャ。


 ありがとうございます。

 きょう、2011年8月4日(木)、「国会傍聴記by下町の太陽・宮崎信行」は開設から4周年を迎え、5年目に入りました。

 これもひとえに、当ブログの読者のみなさま、関係者のみなさまのおかげです。心より感謝申し上げます。

 で、この国会傍聴記は基本的には、インターネット傍聴をしたノートを元に、自分なりに切り取ってエントリーにしているわけですが、衆参の本会議も委員会も現地で傍聴しているときもあります。基本的には召集日などに新しい院の構成のイメージをアタマに入れておいて、ネットで審議と、議場の雰囲気も想像も含めて立体的に再現させながら、書いています。
 
 ところが、このところ、参院の分館で開かれる委員会を現地で傍聴しておらず、どうしても、一般傍聴人の入り口(ロッカーやボディチェック)がどうなっていたか、思い出せない。これはいけない、ときょうは、参議院分館の第32委員会室で開かれた参議院農林水産委員会を現地でみっちり傍聴しました。なぜ農水委かというと、イチバン小さい20人委員会(参院の内閣委、法務委、文教科学委、農水委、環境委、国会基本政策委、このほか10人の懲罰委もある=参議院規則第74条参照)ということで、記念の日に初心を思い起こさせていただきました。ちなみに、きょうは20人全員出席(途中で委員のさしかえ、一事退室はあり)で、とっても良かったです。で、なぜ入り口を忘れていたかというと、衆院分館の傍聴人入り口は衆院別館にあるのに対して、参院分館の傍聴人入り口は参院分館の中にあったから。なんのこっちゃと思われるでしょうが、これは大事なことです。これを知れただけでも良かった。学びて時に之を習うまた喜ばしからずや。また、きょうは初めて、委員長(主浜了さん)が私の傍聴申込用紙にサインしてくれるのを直に見ました。きょうは審議中にも何人か一般傍聴に訪れた人もいて、質疑中や答弁中に、委員長席の後ろから参院事務局の職員が渡して、委員長がサラサラと万年筆でサインしていました。けっこう大変なんだなあと思いました。

 きょうの委員会では、野党時代からずっと書いている、農業者戸別所得補償も議題になりました。自民党参院議員で元JA全農専務理事の山田俊男さんが登場。答弁席には、野党時代に所得補償をつくった、鹿野道彦ネクスト農相と篠原孝ネクスト農水副大臣が、リアル大臣・副大臣として着席。山田さんの所得補償攻撃は質疑を聞く度に弱くなっていて、きょうは「最近は、農家の方から、『山田さんねえ、戸別所得補償は(自民党が歳出削減を求めている)バラマキ4kに入れないで(存続させて)ください』と言われています」「戸別所得補償のために、“担い手育成”、“農地の基盤整備”の予算が減らされているんですよ~~と説明するんだけど・・・なかなか厳しいんだよなあ」とかなり苦しくなってきました。篠原副大臣もこれに先立つ答弁の中で、「戸別所得補償は一面では生産調整に参加するという(しばりも)あるが、地方分権を吹っ飛ばして、農民主権、農民分権ではないかと自負しています」と2008年9月20日付当ブログエントリーでのお得意のフレーズが聞けました。やはり政権交代は野党時代が大事です。とはいえ、山田さんの「初年度となった昨年は、米価の変動(下落)を補てんしただけに終わったのではないか」との指摘には、政務三役も「検証すべきだ」ということになりました。その反面、「昨年の価格決定には公平性がなかったのではないか」と篠原さんも応酬。ぜひ、山田さんには、次の選挙まで、しっかりと持論を展開してくれれば、与党・民主党政権の理論も裏打ちされるし、政権交代した場合は、自民党農政がスムーズに進むでしょう。農業者無視の「ネコの目農政」から脱却できれば、民主党か自民党かというのは道具にすぎません。

 それから、日本共産党の紙智子さんの質問を虚心坦懐に聞いている自分が居て、その辺は少し成長できたのかなと言う気もしました。

 ただ、ちょっと参議院は閉鎖的ですかね(^^;) もっと参議院の委員会を一般傍聴する人が増えてくれると、だいぶ雰囲気も変わってくるのかなと思います。また、参議院は理事会を国会内ケーブルテレビで中継していますから、先がけて理事会のネット中継もしちゃえば、面白いのではないでしょうか。

 委員会傍聴を終えて、ロッカーからケータイを取り出し、電源を入れると、自民党がちまちま抵抗していた子どもの手当について、民自公3党幹事長・政調会長合意が成立というグッドニュースも入ってきて、なかなかハッピーな一日でした。

 
[写真]夏の入道雲に映える国会議事堂、2011年8月4日、宮崎信行が国会正門外から撮影。

 ちなみに、国会議事堂も前回の衆院選の間に、水滴を吹き付けてブラッシングする作業をしたので、以前とくらべて、とてもきれいな色にかわっています。国会の中の審議も同様に、審議拒否や強行採決も少なくなり、磨きがかかっている気がします。



 2007年8月4日付の初エントリーは「臨時国会開幕! 江田五月(民主)議長が誕生」というものでした。

 日経政治部記者としてできなかった「国会審議を聞いて、記事にする」という「国会傍聴記」。そして、政治というのは流れがあり、国会は、委員会→本会議、衆議院→参議院という流れがあるので、ブログという形態で「日めくり式」に国会を終えるようにすれば、既存マスコミと違った政治が見えてくるのではないかと考えました。

 2002年10月~2005年9月までは日本経済新聞編集局長付として、1日も出社することなく自宅療養していました。その間に、第44回衆院選があり、新生党時代から羽田孜さんと同様に応援してきた岡田克也さんが反対党のシャドウ首相として衆院選にのぞむということで、ベッドからテレビ越しに「これで日本もよくなるし僕も立ち直れる」と思っていたら、9月11日大惨敗。「日本はどうなってしまうんだろう」と茫然自失としながら、9月19日、今度は私が休職期間満了で日経新聞を退職しました。その後も、自宅療養をしながら、だんだんと美術鑑賞、音楽鑑賞、プール、飛行機を使った旅行などにでかけるようになりました。2007年の4月に早大の同級生の石川知裕さんが衆議院議員に当選したので、久しぶりに議員会館に入りました。その後、第21回参院選があり、2007年7月25日には富山に飛び、首相の自民党総裁、安倍晋三さんの演説と、民主党代表の小沢一郎さんの演説を聞きました。帰りの飛行機は、安倍総裁と一緒でしたが、私は同29日、この選挙の議席数を完全に当てることができました。ところが、それを発表する媒体がない。というわけで、「ブログのはじめ方」などの本を大量に読んで、当初は「FC2ブログ」で開設しようとしたのですが、最終判断でNTTレゾナント社の「gooブログ」に開設することに考えを改め、2007年8月4日の第168回臨時国会召集日にあわせて、ブログを始めました。とくにねじれ国会になったことで、複雑な分、日めくり式の国会傍聴記は分かりやすいのではないかと思いました。なお、このとき、日本だけでなく、アメリカとイギリスのブログを必死に見回しましたが、今にいたるまで「国会傍聴記」というブログは、私のブログしかないようです。というわけで、第1人者だと自負しております。

 ◇

 ブログ初日は、時間を間違えて、「逆転の夏チルドレン」の初登院の取材ができず。このとき、なぜか落選した候補者まで初登院していてスポーツ新聞さんが取材していたのですが、カバンの中にカメラを忘れてしまい、あわてて傍聴受付に行ったら、参院本会議の先着順30人が埋まってしまい、現地で見られず帰宅して、ネット傍聴するというドタバタでした。

 さらに苦難は続き、臨時国会は院の構成だけを決めてすぐに閉幕してしまいました。そして、満を持して、第169臨時国会の開幕を迎えましたが、すぐに安倍首相が辞任してしまい、総裁選挙という自民党の内輪の話になってしまいました。日々、資料を見たり、ほとんどがマスコミフルオープンだった野党時代の民主党の政調部門会議に出席したりして時間を過ごしました。その後、第169臨時国会では「法案の嵐作戦」ということで、参議院から議員立法が続々と審議入りし、可決しました。私はマニフェストを読んだり、法案を読んだりしていたので、記事が書けるわけですが、大新聞は「民主党が提出した農業者戸別所得補償法案が●日の参院本会議で可決し、衆院に送られた。衆院では与党が過半数を占めるため、否決される。」とだけ報じました。これはハッキリ言えば、新聞記者が法案を読んでいないし、民主党マニフェストが比較的複雑であること(戸別所得補償なら生産価格と販売価格の調整うんぬん)から、内容を書けなかったんだと思います。自分も社員記者時代に、野党提出の法案を読む時間はなかったです。

 そういった、イメージ・ギャップあるいはリップマン・ギャップ(TVなどでできあがった民主党のイメージと、国会内での実際の姿の実像のひずみ・ギャップ)の隙を突くという作業をひたすら続けていたのが、政権交代するまでの2年間のこのブログです。そしてそのリップマン・ギャップの隙を突く最大の好機は、ブログ開設初年の月末に来て、第168臨時国会中でしたが、「第15回長城計画および第1回(日中)交流協議機構」による訪中団に参加したことです。民主党国際室に電話して、現地からのブログ更新は可能だという確認をもらい、訪中記を書きました。日本国内では「国会開会中に議員140人で出張とは何事だ」という論調と、民間放送局のリポートは「野党外交の限界を見せました」という内容でした。ちなみにそうでなければ「二元外交なのですが」。この報道と私のブログの内容が違うということで、当時開いていたコメント欄に通信社電を貼り付けて、違うよ、という趣旨のことを書いた人もいますが、こういったことについては、私も意地がありますから、私は私が書いていることが正しいと思って書きました。睡眠時間2時間で胡錦涛さんと集合写真を撮ったのはきつかったし、自由時間をすべてブログ執筆にあて、北京の街を一人歩きすることはついにできないという代償を払ってまでブログを更新したところ、1000IP、4000PVまで増えることができ、軌道に載りました。

 2008年になると、国会傍聴記だけでなく、政権交代に向けた選挙情報も充実させ、車の両輪のようになりました。2008年の10月の麻生さんの解散先送りに関しては、私は「解散するもの」だとばかり思って、断定的に書いてしまったのですが、このころになると、民主党内の協力者も増えてきて、「いやあれは違うだろう」という情報が入り、ギリギリのところで軌道修正するようなこともできました。この辺もブログの特性ですが、双方向とは言え、ブログは情報を発信するものであって、情報を受け取るには、やはり実際に会ってみないとダメだと思います。そもそも、私はけっこういい加減な性格なのですが、「きまじめな性格を心配しています」というコメントが書かれたりして、「あれ知り合いなのかなあ」と気持ち悪い思いをすることも増えてきました。

 2009年になると、第171通常国会で、選挙対策上ハッキリとは書きませんでしたが、「民主党が野党として与党を攻撃する国会は当面最後になる」との認識が強くなり、2月の衆院予算委員会での民主党議員の質疑は、基本的質疑、集中審議に限らず、テレビが入らず記者の取材もほとんどない一般的質疑も含めて、すべて(ネットも含めて)傍聴するパーフェクト傍聴の目標を達して、ヘロヘロになりました。

 自信がついて3月は参院審議は失礼し、天下分け目の第45回衆院選まで任期満了半年となったの、3月から地方行脚で、当選前の総支部長の活動を手伝ったり、ブログで宣伝しようと楽しくプランニングしていました。そこに、暗黒のひな祭りがやってきました。2009年3月3日の西松事件です。私はこれについては、この時期のシャドウ首相への法務省の介入はのぞましくないとの一点で、「国策捜査」だと断じました。そして、マスコミ報道とのギャップの中で、自民党長期政権の中で、隠蔽されてきたことにやっと気付いた人が出てきて、私はこの反動を政権交代につなげられると確信しました。また、私は事件記者の経験がまったくないので、あまり触れたくなかったのですが、西松事件の報道が出てからわずか60時間後には、新聞の「政府高官が与党である自民党には捜査が及ばないとの認識を示した」との報道でこの政府高官とは前警察庁長官である内閣官房副長官だと暴露して、おおきく捜査とそれをめぐる報道、国会審議、世論を変えることができました。これがなければ小沢さんは逮捕されていたかもしれません。
 3月の地方行脚計画は西松事件で台無しにされましたが、ゴールデンウィークになってようやく行けるようになりました。大学生以来、久しぶりに(後援会の増強活動としての)戸別訪問を1日200軒したり、スポット演説ごとにビラを投げ込み、いろいろな人のご意見を総支部長の隣りでうかがったりして勉強になりました。ころが、好事魔多しで、旧自由党の支持者とおぼしきブロガーから「彼は知り合いの知り合いだ」「今度会ったら注意する」というわけの分からない攻撃が彼のブログなり、私のブログのコメント欄に来ました。東京では友人の友人は他人であり、知り合いの知り合いなどまったくの他人です。その「地上げ屋」と名乗りブロガーから「知り合いだ」「直接注意する」という極めて気味の悪い書き込みに対して、旅先でネット接続環境が悪かったこともあり、帰京後、直接表現に対する対処のコメントを送りましたが、今度は私のことを「(笑)がい者」と揶揄するコメント返しをうけました。ホントウにこの「(笑)がい者」という表現だけは許せません。この6日後、5月7日付で「しばらく更新休みます」というエントリーを掲載するに至りました。ところが、その4日後に、小沢代表が辞任し、5月11日付で号外エントリー(「号外)小沢代表が辞任 テレビ血盟団に撃たれても「男子の本懐」」)をカキ、さらにその2日後の5月13日には岡田副代表が立候補を表明するということで、特報エントリー(【動画】「日本のリーダーになる」岡田克也さんが民主党代表に名乗り、あの日と同じ澄んだ瞳で)を書くという事態になりました。更新を休んでられない状態になります。ちなみに、私は羽田孜・民主党初代幹事長が特別代表に祭り上げられてしまった後、総理をやってほしい政治家は岡田克也さんだけで、属人的には父に似ている渡辺美智雄さんもいましたが、それを含めても、総理になってほしい政治家は羽田再登板を含めても3人だけでした。ただ、岡田副代表が「kill the time (充電)」していることに気付いたので、この時点まで、まったく岡田さんはあくまでも民主党の執行部外だけど有力議員だということでこのブログで時々取り上げる程度だったのが、思わぬ本命の登場に、「民主党の社長にふさわしいのは鳩山さんかもしれないが、(3ヶ月以内にある総選挙で民主党が第1党になった場合の)日本の首相にふさわしいの断固、岡田克也さんだ」と主張して、猛ダッシュして、ほとんど肉離れ状態の中、岡田さんは負けてしまいました。さらに私が長年の岡田さんの支持者であることを書いていなかったことから説明不足になり、ブログ読者から不信感を招くことになりました。

 このとき、鳩山陣営の60歳代の人から、「あんたなんでブログ更新停止しちゃったの。あんた力があるんだから、だれに何を言われても続けなさいよ」と言われて、続けようと思いました。ところが、このときは、当時「にほんブログ村人気ブログランキング」に参加していて、「政治部門」で2位だったのですが、岡田さんを応援したとたんに、ランキングにクリックが激減するという事態に陥りました。いかにも日本的な、村社会、陰湿な世界です。ブログの文字数では英語を100とすると、日本語は80であり、日本語はブログ界の準公用語です。すなわち日本社会がモノを言いづらい閉鎖的な社会だから、かえってブログが栄えるのだと思うのですが、そのブログ社会まで陰湿なわけで、ブログランキングは退会し、現在に至ります。おそらく長年テレビジョンに親しんだ地方の高齢者が政治ブログを見ているので、こういうことになるのではないか、と思うのですが、私には極めて不思議な事象であり、このできごとの社会心理はいまだに私の中で分析できていません。

 そして、7月21日に衆議院解散。この日の衆議院本会議場での一般傍聴は、立ちくらみがしそうでした。そして、総選挙では全国をまわりました。「8月30日の午後7時でブログ更新を止めます」ということを一度はアナウンスしましたが、これは、徹底的に条文、判例、事例を研究していたという自信がありましたが、公職選挙法を尊重しているということを、警察当局にメッセージとして発していたという意味合いも、実はあります。

 政権交代。与党側からの国会傍聴記というのはなかなか苦労しました。とくに、官邸や政務三役の動きは国会での答弁でしかなく、試行錯誤の連続でした。

 10月23日からはレジまぐ社提供の有料ブログを立ち上げました。実はこの時点で、こちらのブログの過去のエントリーはすべて移し替えてあり、公開のタイミングを待つばかりだったんです(現在にいたるまで未公開)。しかし、有料ブログの方の操作が不慣れで、コメント欄があることに気付いていないまま、当時話題になっていた、内閣官房の報償費、通称・官房機密費について、自分の経験からすると、あれは報償費から出ていたんだろうなという記事を書きました。これについて、かなり後で気付いたのですが、「たかりだ」というおそらく女性の書き込みがありました。また、おそらく年配の男性から「この内容じゃ月840円は払えないねえ」という書き込みがありました。報償費に関しては、これは文章を読めば、社会儀礼上、その場で拒否することはできないものだと分かりそうなものですが、インターネットの社会というのは、私や私の両親、親戚のような人ばかりのものではないことが分かりました。精神的に相当きつくなり、登録者全員に退会してもらうよう呼びかけました(契約上の更新回数を守る必要がなくなるとの考え)が、私と比較的境遇が近い「しっくい」さん(実際にお会いしたこともあり、本名のお名刺も持っております)の助けで、「今後の政治日程by下町の太陽・宮崎信行」ということで、政治日程に特化した有料ブログとして、今日まで続けることができました。

 2010年になると、9月に岡田克也外相が幹事長になるという幸運もあり、国会運営の疑問点があると、国会審議がない日なら、幹事長会見に出かけて、直接岡田さんに質問できるようになりました。

 2011年3月11日には、東北太平洋沖地震があり、放射能災害に関して、私も情報が入らない状態になりましたが、このときもしっくいさんから「情報発信を続けてください」との電子メールをもらい、続けることができました。

 ◇

 「ねじれ→政権交代→再ねじれ」の4年間ということですが、衆院の任期が残り2年、参院の半数改選も2年、さらに今国会中の民主党代表選はない見通しとなってきましたがら、当分落ち着いて、国会傍聴ができそうです。その間に、国会審議の活性化があり、野党提出の議員立法が成立し、公布されるなど、国会は大きく進歩してきました。そして、「西松事件と特捜部」「日本航空と政府の癒着」「東京電力と政府の癒着」に加えて、「マスコミ報道が与党偏重である」ということなど、やっと国民が理解するようになって、ハッキリ言って遅いのですが、多少なりとも日本も良くなってきたと思います。

 あとは、できれば、私としては、新進党解党を小沢一郎さんが謝罪し、新進党員経験者から第1号の総理が出て欲しい、そして、公明党に一つの党とは言いませんが、新進党の志にもとづく、「政党連合」とか「閣外協力」のようなかっこうで、国政と自治体の、とくに財政構造を一体改革してくれたらいいと思います。とにもかくにも、たまに私が岡田さんに総理になってもらいたいためにやっているように思う方も居られるようですが、そうではなく、すべては政権交代ある政治の完成が目的です。そして、マスコミももっと記者会見ではなく、国会内のヒラバの言葉を記事にして欲しいと思います。また、自民党、とくに国会外の支部長の記事も、出張旅費が使えるのですから、ドンドン書いてほしいと考えます。そして、なにより、新進党解党により絶望的な状態になった政権交代ある政治について、わずか2年間で、急速に理解してきた日本国民を評価したいと考えます。

 ◇

 私が20歳、政治学科2年生、細川内閣のころ、大学の学生生活センターというところからもらった雑誌があります。季刊誌ですが、なぜかこの号だけ大事にとってあります。そして、当時感銘を受けた記事を十数年ぶりに読みかえしました。これは作家の原田宗典さんという人のインタビューで「(20歳のころの自分は)そうとう恥知らずの青年だったよね。その(当時自分が書いた)読書カードを見ると、三島由紀夫だとかドフトエフスキーをむこうにまわして、ガップリ四つに組もうとしてる(笑)。自分の方が上だと思って批評しているの。若さの恐ろしさっていうのは、そういうところだと思う。何にもわかってやしないのに、自分が一番だと思い込んでる。だからパワーがある。もし今、そういう二十歳の若者に出会ったら、ぼくはおそれを感じるだろうね」(早稲田大学学園誌『新鐘』1993年冬号(通巻49号)の76ページ)。

 20歳のころ、僕がこの雑誌を保存用に書棚に入れていたのは、ありがとう、という気持ちです。やはり、僕は、このブログを日本国憲法前文にのっとり、有権者だ、国民だ、として自分が最高権力者だと考えて国会をウォッチしているから、書き続けられるし、一定のご支持もいただけるのだと思います。その「上から目線」をけっして忘れることなく、続けていきたいと思います。少なくとも第46回衆院選までは、このブログを続けることでしょう。

 そういった「何にも分かっていないのに、自分がイチバンだと思い込んでいる」という若さの狂気を持ち続けられるか。ともすれば「けっこう国会のこと分かってきたから、後でビデオライブラリーでチェックすればオッケー(^_^)v」というたぐいの慢心を持ってやしないか。歳はとるものではなく、重ねるモノ。知らず知らずのうちに、自分を老いさせ、船出をしないシンドバッドになってやしないか。そういう初心を確認するために、きょうは、参議院の一番小さい委員会の一つを傍聴させていただいた次第です。「上から目線」には自信が必要です。

 政権交代ある政治の完成に向けて、青春の志と澄んだ瞳そのままに、さあいよいよ、5年目に突入です!

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 国政を理解し、自分の意見を反映させる上では、「日程感」をつかむことが大事です。「今後の政治日程 by 下町の太陽」では、今後予想される政治日程のうち、政局に影響を与えるものに絞って紹介していきます。ぜひご活用ください。

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