flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

高山 -Wood City-

2005-10-08 19:25:11 | 街道・宿場町
(2003年9月14日)
 Hietsu Lineの往路を、匠の郷まで向かうのは初めてである。
渋草焼と春慶塗、宮川と朝市、からくり山車と陣屋…カテゴリは多数あるが、やはり山間の小京都、飛騨越中街道の宿場町でもあり、情緒風情と伝統工芸は大事にしている。
新旧が理想的に混在できているところといえるであろう。
その魅力に因り、街の人口以上の訪問者が集まるのである…。
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鵜沼連絡線

2005-10-08 19:13:09 | RODEN-哀愁のRailway-

(岐阜県各務原市)
 名古屋鉄道線が日本国有鉄道線に、それまで高山線鵜沼駅構内で行われていた方向転換をせずに乗り入れるため、昭和47年(1972)に敷設した全長約600mの連絡線である。名鉄線は、この線を用い、最長豊橋~富山地方鉄道線立山間の列車を走らせていた。然し乗客の減少から、平成2年、新名古屋~高山間に短縮された。その後もJR高山線列車と美濃太田駅で連結、切り離しを行っていたが、乗客バランスに差が生じ、平成12年10月1日、名鉄は高山線乗り入れ列車を廃止した。この線区を走行していた気動車は現在、会津鉄道で使用されている。
 
 残された連絡線は、中濃新線の夢を含み、今もそのまま佇んでいる。

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Grand Tamakoshi

2005-10-08 12:39:13 | STRUCTURE-構造物残影-

(グランドタマコシ 愛知県一宮市本町)
 繊維の街のランドマークといっても過言ではなかったローカルデパートである。大正9年(1920)創業、昭和42年(1967)本社兼店舗としてこの場所に開店し、その後増築された。RC造7階地下1階、店舗面積15,840㎡となり、屋上遊園地をも持つこの地の商業のメインを担ってきたが、繊維業界の衰退と市街地空洞化、そして顧客の多様化により閉店の道を辿った。平成15年3月、発生した債権を整理回収機構に譲渡したが、平成16年2月19日、民事再生法申請に至りグループ3社が経営破綻した。同年3月22日、同じ流通グループであった滋賀県の中堅スーパー平和堂との基本合意締結をし、6月に10店舗が営業譲渡された。然し、この一宮店と岐阜店大垣店は老朽化を理由に譲受されず、一宮店は同年9月30日をもって閉店、翌年解体となった。

 私の青春時代からの思い出と共に封印されたのである。

    
 
 2005年6月12日


(地域関連記事:第36回 第56回一宮七夕まつり 萩原宿 尾張一宮平成十八年 一宮一里塚 一宮城 一宮線大江川橋梁跡 大赤見城 漫ろ尾張一宮2009 2011 浅野屋敷 妙興寺 梅ヶ枝公園 今伊勢古墳群

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三河三谷

2005-10-08 02:50:46 | ご近所漫ろ歩き
 私が生まれた場所に程近い、三河湾を見下ろす標高約100mの弘法山がある。
山頂には昭和13年に寄進された、高さ百尺(30m)の子安大師像があり、高野山系の堂宇が建つ。
以前はロープウェイがあったが、今は乗降口のコンクリートだけが寂し気に残る。
車で訪れる者が殆んどのようで、登山道も朽ちている。
眼下の温泉街も廃れ放題で、老舗旅館も解体途中であった。
建物を崩す音、そして打ち寄せる波の音、性質の違う音が重なり、今の辺りの自然の成り行き音として耳に響いた。


(関連記事:星越峠 吉良道三谷

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