山陰のほうから来て、東京へ帰るらしい。
「豊橋の辺は静かそうでいいね。それと東海道線は便利だ、山陰や宮崎のほうは、五時間に一本で大変だった」という。
以前、サラリーマンをしていたが、体が丈夫ではないため、流れ者をしているとも言っていた。
両親も他界し、自身も離婚したため、身元保証の無い状態とのこと…この話しを聞いて、人事に感じなかった。
浜松で、元気で。と言って別れたが、人生を改めて考えさせるための出会いだったかもしれない。
(和歌山県伊都郡高野町 世界文化遺産 国指定史跡 国指定重要文化財 2004年10月3日参拝)
商都堺を出発、南海電車天下茶屋からこうや号で河内平野を東進、紀伊山地へ。乗客は流石に平均年齢が高い。よって手洗いには行列が絶えなかった。橋本を過ぎると、近郊路線から山岳路線へと変わる。そして紀ノ川を渡り、軋み音を絶えず起てながら30km/hの低速で登り始める。立山線を思い出した。学文路と書いてカモロという駅を過ぎ、周りには緑と霧が押し迫る感じになってくる。隧道間の面持ちのある小さな駅を幾つか数えると民家の全くない猫の額のような場所につくられた極楽橋駅に着いた。
聖域突入
極楽橋駅は鋼索線に乗り換えるためだけの駅といってよい。鋼索線は標高差330m、864mを5分で登る。そして頂駅に到着。ここもバスに乗り換えのためだけの駅。一番手前の伽藍、女人堂まではバス専用道となっており、徒歩で向かうことはできない。否応無くバスに乗る。終点奥の院で下車。木立の参道を進んで行くと、霊界の風を浴びるかの様に冷たい霧に包まれ、無数の墓標が立ち並んでいる。濃緑と黒灰色の視界。そこに柿色の袈裟をつけた僧侶が参拝していた。どうやら高野山の僧ではないようだ。
三拝
禅宗僧侶であることがわかった。各伽藍を順番に参拝する禅僧の後をつき、同様に仏前で低頭した。辺りには団体向けガイドが多数生業にしていたが、どれも上からものを言う、いわゆる説教口調で案内している。仏教関係の高飛車さがここにも露呈していた。時間がないので、掻い摘んで総本山金剛峯寺へ。そして女人堂から徒歩で鋼索線乗り場へ向かおうとしたが、やはりバス専用道であり、同じ道を進むことはできなかった。然し途中、乗り場への看板が立っている道があったので、行ってみることにした…。
勘違い
その道の入口に500m先工事につき通行不能という看板が立っていた。然しすぐに人が登ってきた。「女人堂まで何mですか?」と聞かれ、「300m位ですよ」と答えた。今度はこちらが「極楽橋から来られたんですよねぇ」と聞き「ハイそうです」と返答がきた。…ということは、取り敢えず通行できるということだ。舗装されてはいるが、急な坂道を下ること暫し、周りの人気の無さでフッと気づいた。極楽橋は鋼索線の頂駅ではないことを…。今更戻ることを躊躇い、このまま下ることとした。然し道のりは遠かった…。
極楽橋駅