flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

逢妻

2005-10-13 18:38:32 | 漂い紀行
…という駅を降りた地名は刈谷市高津波町。
海から五粁離れているが、古代はこの地が衣浦湾の入り江であったため、付近に貝塚が多く残っている。
この地名も海が近かった頃の齎した災害が所以であったのであろう。
海跡に流れる逢妻川。

「むかし在原中将に懸想せし女あり、かきつばた姫という。
業平東赴きたもう跡を慕いて八橋にて追い付けるが、業平朝廷を憚り、河をへだてて合い給う。故に後世遇妻川という。その女別れ悲しみて変死ける。その屍を八橋の辺鷹師山に葬る。今にその塚あり」
と語り継がれている。
(2005/05/29)
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閉まらずの踏切

2005-10-13 01:30:08 | 天祐語録
 この踏切は、先日の昼飯線中山道踏切。
休止中であるため、ここ15年、開きっぱなしである。
 東京の開かずの踏切で、人身事故が起きた。
複数の路線が重なる都心部では、運行本数で割ると30秒に1本程となる。
それでも実現されない立体交差。
当然のことながら、先ず予算によって却下される。
然し既存の踏切は何処もお粗末なものが目立つ。
それは道路の幅に対して比例しない路肩の狭い踏切の渡り板のことである。
踏切の拡幅は、鉄道会社の条件で、理想は立体交差。それが不可能であれば、近隣の踏切を廃止することによって拡幅に応じる…などという取り決めがあるからである。
ただ向こう側に越えることが、橋の無い川のように不便になっているわけである。

東京の踏切も、高架や地下化にするといった高予算な事業は別として、地下道を造るなり、歩道橋を造るなり、自治体と協力すれば低予算で安全と効率が確保されることができようと思うが、頭の固さと事勿れ主義の自治体と特殊法人の招いた事故である…。
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「百年公園駅」

2005-10-13 00:00:00 | 漂い紀行
(岐阜県百年公園 岐阜県関市小屋名 2005年7月17日)
 小屋名の地へは今年の桜の時節に訪れているが、そのときは百年公園へは立ち寄ることはできなかった。15年振りに百年公園に訪れ、休日とあってか、大勢の人が来園していた。園内に入ると、以前と変わらないと思われたが、「らくらく号」なるケーブルカーのような昇降機が設置されており、人が群がっていた。
   
 博物館に入ると、「岐阜鉄道のあゆみ展」が催されていて、これによって人出が多かったようである。「百年公園駅」のゲートをくぐり、県内の鉄道敷設の歴史を紹介していたが、「これからは、路面電車の時代」と説明されており、この地に訪れるために、廃止された美濃町線に代わってバスで来た私にとって矛盾感以外何物でもなかった。
(旧徳山村民家)

(関連記事:百年公園1990年 小屋名道標 鮎之瀬
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