…という駅を降りた地名は刈谷市高津波町。
海から五粁離れているが、古代はこの地が衣浦湾の入り江であったため、付近に貝塚が多く残っている。
この地名も海が近かった頃の齎した災害が所以であったのであろう。
海跡に流れる逢妻川。
「むかし在原中将に懸想せし女あり、かきつばた姫という。
業平東赴きたもう跡を慕いて八橋にて追い付けるが、業平朝廷を憚り、河をへだてて合い給う。故に後世遇妻川という。その女別れ悲しみて変死ける。その屍を八橋の辺鷹師山に葬る。今にその塚あり」
と語り継がれている。
(2005/05/29)
海から五粁離れているが、古代はこの地が衣浦湾の入り江であったため、付近に貝塚が多く残っている。
この地名も海が近かった頃の齎した災害が所以であったのであろう。
海跡に流れる逢妻川。
「むかし在原中将に懸想せし女あり、かきつばた姫という。
業平東赴きたもう跡を慕いて八橋にて追い付けるが、業平朝廷を憚り、河をへだてて合い給う。故に後世遇妻川という。その女別れ悲しみて変死ける。その屍を八橋の辺鷹師山に葬る。今にその塚あり」
と語り継がれている。
(2005/05/29)