東海道吉田から渥美郡田原及び福江まで通じていた街道。
明治9年の道路制度公布により、正式に「田原街道」と呼ばれるようになった。
当時の道程は、現在の国道259号線西側の道路、東海道の本町から花園町を通り、吉田新銭座、中柴町諏訪神社の前を通って松山町、柳生橋へと経ていた。
然し先の空襲により、市街地の殆どを焼失したため、当時の面影は全く残されていない。
明治9年の道路制度公布により、正式に「田原街道」と呼ばれるようになった。
当時の道程は、現在の国道259号線西側の道路、東海道の本町から花園町を通り、吉田新銭座、中柴町諏訪神社の前を通って松山町、柳生橋へと経ていた。
然し先の空襲により、市街地の殆どを焼失したため、当時の面影は全く残されていない。