松山千春さんが支持される第一の理由は「圧倒的な歌唱力」であると前回書きました。
それとともに、彼の魅力を支えるもう一つの側面が「冴えわたるトーク」です。
けっしてきれいな言葉とはいえない北海道弁を丸出しにして、観衆(聴衆)を「お前ら」と呼びながら、彼の世界に引きずり込む話術は相当のものです。
今回のコンサートでも、彼のトークは冴えわたり、独特の千春節で笑いを誘い、素晴らしい歌声と共に、楽しさも演出してくれました。
彼の魅力の一つは、北海道弁で語る高慢と受け取られる語り口と、透明感のある素晴らしい歌声の間にあるあまりにも大きな落差が逆に魅力になっているのではないか、と田舎おじさんは思うのです。
ところで、そのトークにについて一つだけ苦言を呈しておきたいと思います。
それは彼が政治問題や社会問題について言及するときです。彼はことのほか、こうした問題に言及することを好むようです。STVラジオを聴いているとよく分かります。
今回もその例に漏れず、最近の事象を取り上げて語っていました。問題は彼の価値観のようなものをなんだか押し付けられているように私には感じられる点です。私たちは彼の価値観を拝聴するためにコンサートに行ったわけではないのです。
おじさんにはそれくらい批評できる力はありますが、若い人たちの中には「ああ、そういうことなのか」などと彼の言っていることを素直に納得してしまうとしたら、これは単なるコンサートではなくなってしまうと思うのです。
松山千春さんには、純粋に彼が創造した音楽を広めるアーチストであってほしいと思っています。
松山さんのファンは、けっしてオピニオンリーダーやコメンテーターとしての松山さんを望んではいないと思います。
(と言っても松山千春は、松山千春であり続けるんだろうなぁ…)
それとともに、彼の魅力を支えるもう一つの側面が「冴えわたるトーク」です。
けっしてきれいな言葉とはいえない北海道弁を丸出しにして、観衆(聴衆)を「お前ら」と呼びながら、彼の世界に引きずり込む話術は相当のものです。
今回のコンサートでも、彼のトークは冴えわたり、独特の千春節で笑いを誘い、素晴らしい歌声と共に、楽しさも演出してくれました。
彼の魅力の一つは、北海道弁で語る高慢と受け取られる語り口と、透明感のある素晴らしい歌声の間にあるあまりにも大きな落差が逆に魅力になっているのではないか、と田舎おじさんは思うのです。
ところで、そのトークにについて一つだけ苦言を呈しておきたいと思います。
それは彼が政治問題や社会問題について言及するときです。彼はことのほか、こうした問題に言及することを好むようです。STVラジオを聴いているとよく分かります。
今回もその例に漏れず、最近の事象を取り上げて語っていました。問題は彼の価値観のようなものをなんだか押し付けられているように私には感じられる点です。私たちは彼の価値観を拝聴するためにコンサートに行ったわけではないのです。
おじさんにはそれくらい批評できる力はありますが、若い人たちの中には「ああ、そういうことなのか」などと彼の言っていることを素直に納得してしまうとしたら、これは単なるコンサートではなくなってしまうと思うのです。
松山千春さんには、純粋に彼が創造した音楽を広めるアーチストであってほしいと思っています。
松山さんのファンは、けっしてオピニオンリーダーやコメンテーターとしての松山さんを望んではいないと思います。
(と言っても松山千春は、松山千春であり続けるんだろうなぁ…)