中越大震災ボランティア

※ ひまわりおじさんの5冊目の著書「神戸から新潟へ
足跡がいつか道に」です。
私Mとひまわりおじさんが会ったのは2004年だった。
1995年に起きた阪神・淡路大震災からはすでに9年が経過していた。
神戸の街は外から見たところ震災の傷跡は修復され、以前の街並みが甦っているように見えた。
しかし人々の心に残った傷跡は癒しがたく、そうした人々の心を癒そうとひまわりおじさんは「ひまわりの夢企画」の仲間とさまざまな取り組みを地道に続けた。
その取り組みとは、ひまわりの種の配付であり、ジャンボひまわりコンテストであり、人々を勇気付ける元気アップイベントの数々であった。中には「中年の主張大会」というユニークな取り組みもある。
そうした活動を続けていた中、2004年10月、新潟県中越地方が強い地震に見舞われた。
それはMが神戸を訪れて間もない時期であった。
「これは中越に行くしかない!」ひまわりおじさんは「阪神大震災で全国から支援を受けたことへの恩返しをしなければ」という使命感のようなものを覚え中越(新潟)をめざしトラックに飛び乗った。
中越支援のために最初に取り組んだのは、阪神・淡路大震災の経験から「被災者が欲しているものの一つにお茶わんがある。お茶わんを集めて被災地に贈ろう!」という「お茶わんプロジェクト」だった。そう発想はしたものの、それを実現するには幾多の困難な壁がある。その壁をおじさんは一つ一つ乗り越え、神戸をはじめ全国から食器類が集まり被災地に贈ることを実現させた。その数、ダンボールにして実に1,250個ということである。
ひまわりおじさんの支援は「お茶わんプロジェクト」だけに止まらない。
被災者を元気づけようと、「ネットアートプロジェクト」、「ひまわりプロジェクト」、「錦鯉プロジェクト」と、湧き出るようなアイデアを次々と実現させていった。
結局、ひまわりおじさんは中越大震災が起こってから一年間被災地と係わり続け、その間神戸と中越を往復した回数が18回、滞在日数は延べ90日を超えたということである。
活動が一区切りついたところで、ひまわりおじさんは一連の活動を記録に残そうと思いついた。
神戸で受けた支援に対して、中越に感謝のボランティアのお返しができた。いつかまた起こる不幸な震災に中越の人たちが感謝のボランティアでお返ししてくれるだろう。そのための足跡を記しておきたい。
そんな思いが「神戸から新潟へ 足跡がいつか道に」という一冊の本に結実した。
実はひまわりおじさんはその本の著述にあたって、Mに原稿を依頼した。
Mに断る理由もなく、喜んで寄稿させていただき、Mの一文が本の一頁を汚すこととなった。
次回はその原稿を・・・。
※ №8に続きます。

※ ひまわりおじさんの5冊目の著書「神戸から新潟へ
足跡がいつか道に」です。
私Mとひまわりおじさんが会ったのは2004年だった。
1995年に起きた阪神・淡路大震災からはすでに9年が経過していた。
神戸の街は外から見たところ震災の傷跡は修復され、以前の街並みが甦っているように見えた。
しかし人々の心に残った傷跡は癒しがたく、そうした人々の心を癒そうとひまわりおじさんは「ひまわりの夢企画」の仲間とさまざまな取り組みを地道に続けた。
その取り組みとは、ひまわりの種の配付であり、ジャンボひまわりコンテストであり、人々を勇気付ける元気アップイベントの数々であった。中には「中年の主張大会」というユニークな取り組みもある。
そうした活動を続けていた中、2004年10月、新潟県中越地方が強い地震に見舞われた。
それはMが神戸を訪れて間もない時期であった。
「これは中越に行くしかない!」ひまわりおじさんは「阪神大震災で全国から支援を受けたことへの恩返しをしなければ」という使命感のようなものを覚え中越(新潟)をめざしトラックに飛び乗った。
中越支援のために最初に取り組んだのは、阪神・淡路大震災の経験から「被災者が欲しているものの一つにお茶わんがある。お茶わんを集めて被災地に贈ろう!」という「お茶わんプロジェクト」だった。そう発想はしたものの、それを実現するには幾多の困難な壁がある。その壁をおじさんは一つ一つ乗り越え、神戸をはじめ全国から食器類が集まり被災地に贈ることを実現させた。その数、ダンボールにして実に1,250個ということである。
ひまわりおじさんの支援は「お茶わんプロジェクト」だけに止まらない。
被災者を元気づけようと、「ネットアートプロジェクト」、「ひまわりプロジェクト」、「錦鯉プロジェクト」と、湧き出るようなアイデアを次々と実現させていった。
結局、ひまわりおじさんは中越大震災が起こってから一年間被災地と係わり続け、その間神戸と中越を往復した回数が18回、滞在日数は延べ90日を超えたということである。
活動が一区切りついたところで、ひまわりおじさんは一連の活動を記録に残そうと思いついた。
神戸で受けた支援に対して、中越に感謝のボランティアのお返しができた。いつかまた起こる不幸な震災に中越の人たちが感謝のボランティアでお返ししてくれるだろう。そのための足跡を記しておきたい。
そんな思いが「神戸から新潟へ 足跡がいつか道に」という一冊の本に結実した。
実はひまわりおじさんはその本の著述にあたって、Mに原稿を依頼した。
Mに断る理由もなく、喜んで寄稿させていただき、Mの一文が本の一頁を汚すこととなった。
次回はその原稿を・・・。
※ №8に続きます。