ピンチである。ネタがない。年末年始を家でゴロゴロしていたツケが回ってきた。
そこでわずかな体験をもとに日本の正月について少しだけ考えてみた。
私が札幌へ来てからの三年間の年末年始の行動はパターン化している。
NHKの紅白歌合戦が終わる頃、近くの西本願寺札幌別院で除夜の鐘を突きながら新年を迎えている。
そして、1日の午後、北海道神宮まで徒歩で赴き、初詣をしてくる、というパターンである。(3年前は除夜の鐘を突いたその足で初詣に出かけたが、その人出の凄まじさに驚き、次の年からは午後にしている)
そこでいつも感じることは「日本人ってこんなに信心深かったかなぁ?」ということだ。
除夜の鐘は11時30分にお寺の境内に着いたのだが、もう長蛇の列だった。私が手にした札には247番と記されていた。その後も続々と鐘を突きたい人が集まってきたので総勢では500人は超えたのではないかと思う。
※ 真夜中にマンション街に長蛇の列ができました。
また、初詣である。新年直後の人出の凄さに驚き、1日の午後にしたのだが状況はそれほど変わらなかった。
神宮が近づくと表参道に続く歩道はもうラッシュアワー並みの混雑ぶりだ。
第二鳥居をくぐり表参道に入ると、何度も何度も足止めされ、拝殿への入場制限措置が取られていた。
※ 北海道神宮では表参道に入ると人・人・人の波でした。
三が日の北海道神宮への初詣の人出予想が80万人というから札幌に住むおよそ2.5人に1人が参拝に訪れる計算になる。これは凄い数字である。いくら札幌でも三日間で80万人も集まる行事がそうそうあるはずがない。
※ 拝殿に向かう階段の上から後の続く人たちを撮りました。
そこで最初の疑問である。
「神様や仏様なんて信じな~い」と普段はうそぶいている若者がなんと多いことか。その若者が除夜の鐘や初詣で目立っているのだ。いや若者だけではない。今やそうした精神構造は私たち中高年層にまで及んでいると私は見ている。(私もかなり色濃いが・・・)
それが何故、この時期だけは違うのだろうか?
私は思う。
それは急に信心深くなったわけでも、神や仏に頼ろうとしたわけではないのだと…。
それは単にイベントに参加する感覚でお寺や神社に集っている人が大方なんだろうと…。
でも、でも、それでいいんだとも思っている。
一年間の中でほんのひとときでも、神を思い、仏に向かおうとする気持ちを抱くかぎり、そこには脈々と(微かに)日本人の精神文化が息づいていると思うからである。
そのことに多くの日本人が意識するしないにかかわらず、神や仏に向かう機会を与えてくれるのが日本の正月なのかもしれない。
※ 初詣に向かう途中、フラワーショップのセンスの良いお正
月用のディスプレーに思わずパチリ。