ご存じ(?)のノンフィクション作家・合田一道氏の講座である。古文書を読み上げながら江戸末期から明治に生きた男たちの生きざまを語ってくれた。何時のときも合田氏の話は魅力に満ちている。
※ 講義をする合田一道氏です。
今回の合田氏の講座は道民カレッジの「ほっかいどう学」の一環として12月11日午後、かでる2・7(中央区北2西7)の一室で行われた。したがってカレッジ生が数多く受講していて、100名くらいの受講者がいたようだ。
合田氏は冒頭、「今年もいろいろなところでお話してきたが、今回は年末と云うこともありその総ざらい的意味もあって、たくさんの人たちの生きざまを紹介したい」と述べ、北海道に関わった9名の人たちについて取り上げた。
9名もの人たちを2時間で紹介するのだから、必然的に駆け足となる。ちょっと忙しかったが、それはそれで楽しく拝聴することができた。
取り上げられた人たちは…、
◇榎本 武揚
◇土方 歳三
◇中島三郎助
◇坂本 龍馬
◇島 義勇
◇松浦武四郎
◇井上 伝蔵
◇吾妻 謙
◇永山武四郎
という錚々たる9名である。いずれも北海道に居住したか、北海道に深い関心をもった方々である。その中から比較的著名ではないと思われる二人についてレポートすることにする。
一人は「中島三郎助」であるが、中島は幕末期に幕臣として活躍したが病気がちだったこともあり隠居の身だった。そこを榎本武揚に請われて開陽丸を操船して箱館戦争に参戦する。箱館戦争において劣勢となり新政府軍から降伏を説かれたが応ぜず、最後まで徳川幕府に忠誠を誓い、長男・次男と共に函館の地に没した。
もう一人は「吾妻(あがつま)謙」である。我妻は伊達藩主・伊達邦直の陪臣として伊達藩の北海道移住計画の中心として活躍し、現当別町の開拓に辛酸を舐めながらもその開拓に成功し、当別村初代戸長となった人物である。
我妻の素晴らしさは戸長となって村を治めるにあたり、現在の議会制に近い制度を提議していた点にある。そのことを示す古文書の写しを合田氏は提示して説明してくれた。
我妻らの功績を残す当別町にある伊達記念館を私はこの夏訪れている。改めて我妻の新村開拓にかける情熱に触れた思いである。
合田氏の話はいつ聴いても心躍るものがある。「何故なのだろう?」と考えてみた。その理由は合田氏の豊富な知識にあることには間違いない。実に丹念に調べ、現地へ赴いての調査の回数も並外れている。そこから話されるエピソードを聴くのが楽しいのだ。
そして今回気付いたことだが、合田氏が主に取り上げるのが江戸末期から明治にかけての人物や事件である点だ。この時期は日本の揺籃期にあった時代である。誰もが国の未来を想い、国の建設のために我が身を捧げようとした男たちが輩出した時代ではなかったのか?だからこそ男のロマンを掻き立ててくれるのかもしれない…。