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生命の複雑さと民法

2016-08-07 21:08:48 | 大学公開講座
 人工授精や体外受精、胚移植など生殖補助医療の進歩に法律(民法)が追いついていない現実があるという。いわゆるテクノロジーの進歩と法の関係が複雑になっているということだ。実際の判例を参考にしながらの興味深い講座だった。 

 8月4日(木)、北大公開講座「テクノロジーと法/政治」の第三講があった。第三講は大学院法学研究科の櫛橋准教授「生殖補助医療と親子関係」と題する講座だった。

 私にとっては人工授精などのことを「生殖補助医療」と称することさえ初耳だったが、その世界の進歩に無関心な向きにとっては驚くほどの進歩を遂げているらしい。
 夫婦間に子どもが授からないということは、当事者にとって深刻な問題であり、その問題を解決しようとする医療の世界は日々進歩を遂げているようだ。
 生殖補助医療というと、人工授精、体外受精、胚移植、代理出産など多くのケースがあるという。
 そうした医療の進歩は、悩みを抱えている方たちにとっては福音なのであるが、いざ子どもが生まれてみると、そこには実子なのか否か、あるいは相続関係はどうなるのか、といった法的な問題がいろいろ発生するという。

 そうした問題に対して、法律(民法)が対応していない現実があるという。つまり、現行の民法は、自然出産によるケースを想定したものであって、生殖補助医療によって出産することを想定したものではないということだ。そのため、裁判などで争われる場合、これまでは考えられなかったような特異なケースも現行の法に照らして判断することになっているようだ。

 講座では、民法に定める親子関係について、一応の理解を図った後に具体的なケースについて2~3の事例を学ぶことになったが、ここではその一例をレポすることにする。もちろんその事例は実際にあったケースである。

〔事案の概要〕
 AB夫婦は不妊治療を受けていた。また、Aは、慢性骨髄性白血病の治療を受けており、骨髄移植を受けることになったが、この手術に伴い多量の放射線を受け、無精子症になるおそれがあるため、精子を冷凍保存した。
 Aは、この手術を受ける前、Bに対し、Aが死亡してもBが再婚しないのであれば、Aの子を産んでほしいという話をしていた。また、手術後には、Aの両親に対し、冷凍保存した生死を用いてBに子を産んでもらい、その子に家を次いでもらいたいとの意向を伝えた。
 Aの手術は成功し、AB夫婦は不妊治療を再開することとし、体外受精を行う病院も決まったが、体外受精の実施前にAは死亡した。Bは、Aの死亡後、冷凍保存した精子を用いて体外受精・胚移植を行い、Xを懐胎して、Aの死亡後あるいは599日目にXを出産した。
 Xは、検察官に対し、XがAの子であることの死後認知を求めた。

 この訴えに対して、最高裁は現行の民法に照らし合わせたときに「親子関係の形成は認められない」という判断をしたという。その理由についての説明も受けたのだが、そのことを簡潔に説明することを私はできないので割愛させていただくが、情状的には?と思える部分もある。しかし、法律家(裁判官)としては妥当な判決ということなのだろう。

 テクノロジーの発達に法(民法)が追いついていないという一つの事例なのだろう。