人類として最高の身体的能力を有する人たちが集い・競うオリンピックは、やはり 観ていて楽しい! 観ていて美しい! 観ていて感動する! そんなリオ・オリンピックも日程の中盤を過ぎた今、想うことを綴ってみたい。
※ カヌースラロームカナディアンシングルで日本に初めてメダルをもたらした羽根田選手りスラロームです。
地球の裏側で開催されるということが影響したのか、開会まではいつものような興味が沸かなかったリオ・オリンピックだったが、始まってみるとスポーツ好き(観戦好き)の私の血が騒ぎ始めた。毎夜のようにテレビ観戦が始まった。
特に好調が続いた柔道競技が私の観戦意欲に火を点けた。
柔道は日本が発祥の地とあって、よく“お家芸”と言われるが、競技を観戦するかぎり、もはや“柔道”ではなく“JUDO”に変質してしまったといえるのではないだろうか?
そんなJUDOは、観ていると技を競うというより、力比べ、胴着の掴み合い、さらにはポイントの取り合いのような様相を呈しているように思える。
特に原沢久喜選手が闘った男子100kg超級の決勝戦は、対戦相手がJUDOに徹して、原沢選手が「指導」を受けたこと利用して、闘わずに逃げ切った試合が象徴的だった。
※ 男子100kg超級決勝で原沢選手に柔道をさせなかった(?)フランスのリネール選手。
そんな中、日本選手たちは本家の矜持を胸に、男子も女子も非常に健闘したリオ・オリンピックだった。
試合時間の5分間(女子は4分間)は一瞬たりとも気を抜けないのが柔道の試合である。それを観る側の私たちも一瞬たりとも気を抜けない。その手に汗握る緊張感を私は楽しんだ。
※ 厳しい試合を勝ち抜き金メダルを獲得した大野将平選手の試合の様子です。
高い身体能力を有する人たちが競い、その中でメダルを獲得するような選手の背後には必ずと言っていいほどストーリーが存在する。家族が、指導者が、あるいは周囲が、彼の高い身体能力をさらに高みに押し上げるために、彼を後押ししたというストーリーが必ずと言っていいほど存在する。
その最たるものが、カヌースラローム男子カナディアンシングルの銅メダリストの羽根田卓也選手だと私は思う。
※ 獲得した銅メダルを手に笑顔の羽根田選手です。
私はオリンピック前にNHKが放映したある番組を観ていた。そこで初めて羽根田選手を知ることになったのだが、彼は18歳のとき単身スロバキアに渡り、以来10年間にわたり、カナディアンシングルの先進地スロバキアでひたすらカヌースラロームに打ち込んできたという。
好きな道とはいえ、人生の中でも最も謳歌できる20代の全てをカヌーのために捧げることは並大抵のことではできないことだと思う。また、そんな羽根田選手を支え続けた父母をはじめとした周りも、彼の可能性に懸けて懸命の支援をしてきたのだと思われる。
最近はスポーツ選手に対する企業等の支援も充実してきているようだが、マイナーなカヌーではそれも皆無に等しかったのではないだろうか?彼のコメントがそのことを語っていた。
リオ・オリンピックはまだまだ続く。
人類として最高の身体的能力を有する人たちの闘いを最後まで見続けたいと思う。
※ カヌースラロームカナディアンシングルで日本に初めてメダルをもたらした羽根田選手りスラロームです。
地球の裏側で開催されるということが影響したのか、開会まではいつものような興味が沸かなかったリオ・オリンピックだったが、始まってみるとスポーツ好き(観戦好き)の私の血が騒ぎ始めた。毎夜のようにテレビ観戦が始まった。
特に好調が続いた柔道競技が私の観戦意欲に火を点けた。
柔道は日本が発祥の地とあって、よく“お家芸”と言われるが、競技を観戦するかぎり、もはや“柔道”ではなく“JUDO”に変質してしまったといえるのではないだろうか?
そんなJUDOは、観ていると技を競うというより、力比べ、胴着の掴み合い、さらにはポイントの取り合いのような様相を呈しているように思える。
特に原沢久喜選手が闘った男子100kg超級の決勝戦は、対戦相手がJUDOに徹して、原沢選手が「指導」を受けたこと利用して、闘わずに逃げ切った試合が象徴的だった。
※ 男子100kg超級決勝で原沢選手に柔道をさせなかった(?)フランスのリネール選手。
そんな中、日本選手たちは本家の矜持を胸に、男子も女子も非常に健闘したリオ・オリンピックだった。
試合時間の5分間(女子は4分間)は一瞬たりとも気を抜けないのが柔道の試合である。それを観る側の私たちも一瞬たりとも気を抜けない。その手に汗握る緊張感を私は楽しんだ。
※ 厳しい試合を勝ち抜き金メダルを獲得した大野将平選手の試合の様子です。
高い身体能力を有する人たちが競い、その中でメダルを獲得するような選手の背後には必ずと言っていいほどストーリーが存在する。家族が、指導者が、あるいは周囲が、彼の高い身体能力をさらに高みに押し上げるために、彼を後押ししたというストーリーが必ずと言っていいほど存在する。
その最たるものが、カヌースラローム男子カナディアンシングルの銅メダリストの羽根田卓也選手だと私は思う。
※ 獲得した銅メダルを手に笑顔の羽根田選手です。
私はオリンピック前にNHKが放映したある番組を観ていた。そこで初めて羽根田選手を知ることになったのだが、彼は18歳のとき単身スロバキアに渡り、以来10年間にわたり、カナディアンシングルの先進地スロバキアでひたすらカヌースラロームに打ち込んできたという。
好きな道とはいえ、人生の中でも最も謳歌できる20代の全てをカヌーのために捧げることは並大抵のことではできないことだと思う。また、そんな羽根田選手を支え続けた父母をはじめとした周りも、彼の可能性に懸けて懸命の支援をしてきたのだと思われる。
最近はスポーツ選手に対する企業等の支援も充実してきているようだが、マイナーなカヌーではそれも皆無に等しかったのではないだろうか?彼のコメントがそのことを語っていた。
リオ・オリンピックはまだまだ続く。
人類として最高の身体的能力を有する人たちの闘いを最後まで見続けたいと思う。