田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

Sea to Summit を振り返る 1

2016-08-27 21:54:13 | 北海道低山紀行 & Other
第1日目(田子の浦海岸 ⇒ 大渕・農家民宿「やまぼうし」 約14キロ)

 富士市が提唱する「富士山へ、0(ゼロ)からの挑戦 富士山登山ルート3776」は3泊4日の行程で組まれたものだった。その第1日目は炎暑に悩まされ、脱水症寸前に追い込まれた私だった。 

          
          ※ スタート前、公園の小高いところから田子の浦港の向こうに聳える富士山です。

          
          ※ 公園の高い構造物の上でM女史にポーズをとらされた私です。

          
          ※ この日、最も富士山が良く見えた一枚です。

 1日目(8月21日)、富士山が遠くに望める好天の中を「ふじのくに田子の浦みなと公園」をスタートした。
 農家民宿「やまぼうし」のフェイスブックの制作を担当するM女史が私の歩いている様子を撮影するからと、富士市役所まで一緒に歩くことになった。
 はじめはいろいろとお話をしながら歩いていたのだが、徐々にM女史が遅れ気味となってきた。
 スタートから富士市役所までは平坦な道が続いた。しかし、8月の太陽の照り返しは強く、すでに全身汗まみれになっていた。

          
          ※ JR東海道本線(手前)と東海道新幹線(向こう側)をくぐって進みます。

          
 スタートから1時間15分後、富士市役所に着いた。富士市役所の屋上には富士山が望める展望台があるということだったが、日曜日のため閉鎖されていた。残念!
 M女史はここまでで、このあとはご主人が運転する車で、ところどころで私を待ち受けて撮影することになった。
 私は一休みして再スタートを切った。

          
          ※ 富士市役所をバックにM女史を反対に私が写しました。

 ここからは「大淵街道」という一本道をこの日のゴールである大淵集落を目ざした。この大淵街道はひと時の休みもなく、ずーっと坂道が続く一本道だった。たくさんの車が行き交う中を、一人荷物を背負った男が黙々と歩いていく。
 正午が近づき、気温はぐんぐんと上がっていく(この日の最高温度は手元の温度計で34.8度を指した)。坂道は続く。9キロ超の背中の荷物が肩にぐっとのしかかる。
 再スタートから1時間も歩かないうちに、道路わきにあったコンビニに飛び込んだ。 
 冷たい果物を買い求め、それを食しながらライブレポを発信した。

          
          ※ 第二東名高速道路をまたいで…。

 午後の照り返しが強い中、坂道ウォークは続いた。周りを眺める余裕もなくなり、ひたすら歩を前へ進めることに専心した。歩くスピードはかなり落ちたのではないだろうか。
 12時45分を回った時だった。大淵街道で最後のコンビニになる「ミニストップ」の店舗の前にソフトクリームの看板に釣られるように店に吸い寄せられた。

          
          ※ 道は絶えず登り勾配で私を苦しめた。
          
 暑さと疲れでヘロヘロになっている体にソフトクリームはことのほか美味しさがしみた。
 おまけにこのミニストップには店内にイートインコーナーが設けられていた。冷房が効いた店内を離れがたかった。
 空腹感はなかったが、冷やしソーメンで昼食とし、さらにフルーツの寒天ゼリーを買い求め、長居を図った。結局、この店で私は50分も居続けた。

 13時30分過ぎ、ようやく重い腰を上げ、再び歩みを開始した。
 長く休んだとはいえ、歩き始めて少し時間が経つと辛さが私を支配した。

          
          ※ 大淵集落が近づくと、こうしたヒノキの林が目立ってくるようになった。
 
 M女史が宿泊先の農家民宿「やまぼうし」のご主人とともに近寄ってきて「大丈夫か?」と声をかけてくれた。ところは、富士市のモデルコースでは宿泊先となっている「よもぎ湯」が近づいた地点だった。「やまぼうしまでは残り1.5キロくらい」だという。
 坂道は一段と険しくなった感じだった。懸命な歩みを続けたが、ここからが長かった。1.5キロがなかなか届かないのだ。疲れた体は思うように距離は稼いでいなかったのだろう。

 待ちつかれたM女史は、今度はご主人の車で再び近づいてきた。私の歩くさまが相当心配だったようだ。
 喘ぐようにして、翌日のスタート地点のところに着いた。「やまぼうし」は脇道にそれていることから、そこからは車に乗せていただいた。
 車に乗った時だった。ふくらはぎが激しく痙攣した。以前に登山をしたときにも似たような症状を経験したが、脱水症の一歩手前の症状である。
 
 農家民宿「やまぼうし」に着くと、民宿のご夫妻をはじめ、ご夫妻の友人などたくさんの人が迎えてくれた。「古希の人間が海抜0(ゼロ)から富士山に登る」ということで多少は話題になっていたのだろうか?
 それなのにちょっと情けない姿を見せてしまったことが悔やまれた。
 それでもなんとかかんとか第1日目を歩きとおすことができてホッとした私だった。

          
          ※ 農家民宿「やまぼうし」のエントランスです。

 なお、この日M女史が取材した様子は農家民宿「やまぼうし」のHP内に公開されている。