第3日目(表富士グリーンキャンプ場 ⇒ 新7合目「御来光山荘」 11.8km)
第3日目は、前半5キロにわたってアスファルト道路の坂道を歩いた後、いよいよ自然道の休養林コースに入る。そして最後は本格的富士山登山に移行し、新7合目まで登るというコースだった。疲れはもちろんあったが、変化に富んでいたこともあり、苦しいながらも楽しめたコースだった。
なぜだろう?疲れているはずなのになかなか寝付けなかった。
前日午後6時にシュラフ(寝袋)に入ったのだが、12時を過ぎても寝付けず、朝方になりようやく寝入ったようだった。しかし、5時半には目覚ましが鳴り、完全に寝不足状態で3日目の行動を開始しなければならない羽目になった。
※ この日午前7時、私は「表富士グリーンキャンプ場」のセンターハウスを後にしました。
朝食、荷物の整理、パッキングを終え、午前7時表富士グリーンキャンプ場を出発した。
天候は晴れ、樹間から太陽の光が顔を覗かせる中、坂道ウォークが始まった。
天候が戻ったからだろうか、道路を盛んにバスやトラック、乗用車が通り過ぎてゆく。
※ 道路上には前日の暴風雨の激しさを物語るような痕跡が残されていました。
30分後、「西臼塚駐車場」に着いた。計画段階で「表富士グリーンキャンプ場」の宿泊予約がなかなか取れなかった時、場合によってはここの駐車場の東屋のようなところでの野宿も覚悟していたところだ。
わずか30分間しか行動していないのに、体もう疲労を訴えていて、早くも休憩する羽目になった。
※ 「西臼塚駐車場」内に設置されているバードウォッチング用に観察小屋ということです。
「西臼塚駐車場」を出て、さらに坂道を歩くこと1時間あまり、8時40分にアスファルト道路の終点「旧料金所ゲート」に到着した。
そこにはゲートを通過する車をチェックする係の方が3人ほど務めていた。
彼らの話では、以前はここから先は有料道路となっていて(だから旧料金所と称するようだ)、富士宮口5合目までは誰もが行けたという。ところが富士山が世界遺産に登録されたことにより、排ガスの規制のために観光&定期バスや許可車のみが走行を許されることになったそうだ。
※ 「富士山スカイライン」の旧料金所ゲートです。私はゲート手前から森の中に入ったのです。
係の方が言うには「人は通ることができますよ」ということだったが、自動車道は5合目に至るまで何度も何度もつづら折りを繰り返し、私が行こうとする「富士山自然休養林コース」よりはるかに長い距離である。私は丁重にお断り申し上げた。
この「旧料金所」のところで、私はライブレポを発信しながら30分間の休憩をとった。
※ 「富士山自然林休養林コース」の入り口です。暗い中に突入していきました。
用意してきたトレッキング・ポールを取り出し、9時10分、いよいよ自然休養林コースに分け入った。
雰囲気は一変した。これまでのアスファルト道路から自然道である。勾配は変わらず上がり続けているのだが、なんだかホッとしたような気分になって歩き、そして登り続けた。
※ 休養林コースの始めはこのようなコースが続きました。
少し不安だったのは、休養林コースのところどころに案内板が立っていたのだが、その表示が「高鉢駐車場、御殿庭」と掲示されていたことだ。「高鉢駐車場」とは目ざすところとまったく方向が違う。「御殿庭」という表示はガイドブックには表記されていない。ただ私が向かう先には「御殿庭下」、「御殿庭中」という表示がガイドブックに表記されていた。
多少不安ではあったが、途中から「高鉢駐車場」と「御殿庭」は分岐するのだろうと考えそのまま進んだ。例え「高鉢駐車場」に導かれても、大幅な廻り道とはなるものの、迷うことにはならないと考え…。
※ 標識に表示されているのは「高鉢駐車場」と「御殿庭」だけ、少々不安になりました。
休養林の中は湿度が高いようで、苔に覆われた一帯が続いたり、雑誌などメディアで有名な「青木ヶ原」の樹海を思い起こさせるように光景が広がっていたりした。
そして、予想どおり、休養林の入り口から1時間半後、「ガラン沢」というところに達すると、高鉢駐車場と御殿庭は行き先が分かれていた。
※ 苔むした樹海のような雰囲気です。
※ そして「青木ヶ原」のような林が果てしなく広がっていました。
※ 「ガラン沢」の複雑な標識。でもこの標識で迷わずに進んでいることを確信したのでした。
ガラン沢で一休みした後、休養林はそれまでの緩い勾配から一転して、険しい登りを伴ったコースに変身した。いよいよ富士山の登りに差し掛かったらしかった。
ペースはかなりダウンしながらも、できるだけ休まずに登り続けた。
ここまで三日間、私のような旅人、あるいは山登りをしている人に一人も出会わなかった。ところが御殿庭に至ったところで初めて若者たちの集団が私を勢いよく追い抜いて行った。中にはペットボトル一本を手にして登っている若者もいた。「ずいぶん軽装ですね」と声をかけたところ、どうやら団体でバスでやってきて、一部はバスでそのまま5合目まで行きそこから登山を開始し、元気の良い一部がゲート前で降りて、私と同じように休養林コースを登って、6合目で合流するということのようだった。
※ 富士山が修行の山だったことの一つの証かもしれません。
若者の集団が去った後、私の単独行は続いた。
徐々に周りの木の高さが低くなっていく。高度が増してきたせいのようだ。
そしてついには、木が生えてることのできない森林限界を突破したようだ。そのころから、私の行く手には霧が立ち込めるようになってきた。
そしてその霧の中に入っていくように登り続けていると、霧は小雨に変わってきた。気温も下がってきたので、早めの対策にレインウェアを着込んで登り続けた。
13時40分、山体観測装置というところに出た。休憩時間を入れたとしてもずいぶんなスローペースである。山体観測装置のあるところは宝永山の火口の外縁にあり、私は宝永山の火口を右手に見ながら登り続けた。
「宝永山第二火口縁」に達すると、標準時間で30分ほどで山小屋のある6合目に到達するとガイドブックが表示していた。見通しが立ったことで少し元気を回復した。
※ 「山体観測所」の標識です。バックには何も見えません。霧が周りを覆っていました。
※ 富士山の山腹にできた「宝永山」に向かうグループです。
14時20分、ようやく人気(ひとけ)のする6合目の山小屋の「雲海荘」に着いた。
※ 富士宮口5合目にある山小屋の一つ「雲海荘」です。
そこからは富士宮登山口5合目からのコースと合流し、標準時間で1時間を要す新7合目の「御来光山荘」を目ざした。
コースの両脇にロープが張られたお馴染みの富士山登山路である。距離にすると1キロ程度だろうか?
雨は間断なく降っていた。私はレインウェアの上だけしか装着していなかった。(途中で下を装着するのはけっこう面倒なのだ)そのためズボンはかなり濡れてしまったが、本降りではなかったこともあり、なんとかしのぐことができた。
6合目から1時間強かけて15時30分無事にこの日の宿となる7合目「御来光山荘に」到着した。
朝から7時間20分もの長い時間を要した一日が終わった。
※ 5合目からは、こうしてロープが張られた中を登り、山頂を目指します。
※ 霧が晴れて、宝永山の山容を眺めることができました。
※ ようやくこの日の宿「御来光山荘」に到着しました。
第3日目は、アスファルト道路、緑濃い休養林コース、そして火山岩の中を往く本格的な登山路と、変化に富んだコースだったこともあり、時間はかかり、それなりに疲労感はあったものの楽しく歩き、そして登ることができた一日だった。
第3日目は、前半5キロにわたってアスファルト道路の坂道を歩いた後、いよいよ自然道の休養林コースに入る。そして最後は本格的富士山登山に移行し、新7合目まで登るというコースだった。疲れはもちろんあったが、変化に富んでいたこともあり、苦しいながらも楽しめたコースだった。
なぜだろう?疲れているはずなのになかなか寝付けなかった。
前日午後6時にシュラフ(寝袋)に入ったのだが、12時を過ぎても寝付けず、朝方になりようやく寝入ったようだった。しかし、5時半には目覚ましが鳴り、完全に寝不足状態で3日目の行動を開始しなければならない羽目になった。
※ この日午前7時、私は「表富士グリーンキャンプ場」のセンターハウスを後にしました。
朝食、荷物の整理、パッキングを終え、午前7時表富士グリーンキャンプ場を出発した。
天候は晴れ、樹間から太陽の光が顔を覗かせる中、坂道ウォークが始まった。
天候が戻ったからだろうか、道路を盛んにバスやトラック、乗用車が通り過ぎてゆく。
※ 道路上には前日の暴風雨の激しさを物語るような痕跡が残されていました。
30分後、「西臼塚駐車場」に着いた。計画段階で「表富士グリーンキャンプ場」の宿泊予約がなかなか取れなかった時、場合によってはここの駐車場の東屋のようなところでの野宿も覚悟していたところだ。
わずか30分間しか行動していないのに、体もう疲労を訴えていて、早くも休憩する羽目になった。
※ 「西臼塚駐車場」内に設置されているバードウォッチング用に観察小屋ということです。
「西臼塚駐車場」を出て、さらに坂道を歩くこと1時間あまり、8時40分にアスファルト道路の終点「旧料金所ゲート」に到着した。
そこにはゲートを通過する車をチェックする係の方が3人ほど務めていた。
彼らの話では、以前はここから先は有料道路となっていて(だから旧料金所と称するようだ)、富士宮口5合目までは誰もが行けたという。ところが富士山が世界遺産に登録されたことにより、排ガスの規制のために観光&定期バスや許可車のみが走行を許されることになったそうだ。
※ 「富士山スカイライン」の旧料金所ゲートです。私はゲート手前から森の中に入ったのです。
係の方が言うには「人は通ることができますよ」ということだったが、自動車道は5合目に至るまで何度も何度もつづら折りを繰り返し、私が行こうとする「富士山自然休養林コース」よりはるかに長い距離である。私は丁重にお断り申し上げた。
この「旧料金所」のところで、私はライブレポを発信しながら30分間の休憩をとった。
※ 「富士山自然林休養林コース」の入り口です。暗い中に突入していきました。
用意してきたトレッキング・ポールを取り出し、9時10分、いよいよ自然休養林コースに分け入った。
雰囲気は一変した。これまでのアスファルト道路から自然道である。勾配は変わらず上がり続けているのだが、なんだかホッとしたような気分になって歩き、そして登り続けた。
※ 休養林コースの始めはこのようなコースが続きました。
少し不安だったのは、休養林コースのところどころに案内板が立っていたのだが、その表示が「高鉢駐車場、御殿庭」と掲示されていたことだ。「高鉢駐車場」とは目ざすところとまったく方向が違う。「御殿庭」という表示はガイドブックには表記されていない。ただ私が向かう先には「御殿庭下」、「御殿庭中」という表示がガイドブックに表記されていた。
多少不安ではあったが、途中から「高鉢駐車場」と「御殿庭」は分岐するのだろうと考えそのまま進んだ。例え「高鉢駐車場」に導かれても、大幅な廻り道とはなるものの、迷うことにはならないと考え…。
※ 標識に表示されているのは「高鉢駐車場」と「御殿庭」だけ、少々不安になりました。
休養林の中は湿度が高いようで、苔に覆われた一帯が続いたり、雑誌などメディアで有名な「青木ヶ原」の樹海を思い起こさせるように光景が広がっていたりした。
そして、予想どおり、休養林の入り口から1時間半後、「ガラン沢」というところに達すると、高鉢駐車場と御殿庭は行き先が分かれていた。
※ 苔むした樹海のような雰囲気です。
※ そして「青木ヶ原」のような林が果てしなく広がっていました。
※ 「ガラン沢」の複雑な標識。でもこの標識で迷わずに進んでいることを確信したのでした。
ガラン沢で一休みした後、休養林はそれまでの緩い勾配から一転して、険しい登りを伴ったコースに変身した。いよいよ富士山の登りに差し掛かったらしかった。
ペースはかなりダウンしながらも、できるだけ休まずに登り続けた。
ここまで三日間、私のような旅人、あるいは山登りをしている人に一人も出会わなかった。ところが御殿庭に至ったところで初めて若者たちの集団が私を勢いよく追い抜いて行った。中にはペットボトル一本を手にして登っている若者もいた。「ずいぶん軽装ですね」と声をかけたところ、どうやら団体でバスでやってきて、一部はバスでそのまま5合目まで行きそこから登山を開始し、元気の良い一部がゲート前で降りて、私と同じように休養林コースを登って、6合目で合流するということのようだった。
※ 富士山が修行の山だったことの一つの証かもしれません。
若者の集団が去った後、私の単独行は続いた。
徐々に周りの木の高さが低くなっていく。高度が増してきたせいのようだ。
そしてついには、木が生えてることのできない森林限界を突破したようだ。そのころから、私の行く手には霧が立ち込めるようになってきた。
そしてその霧の中に入っていくように登り続けていると、霧は小雨に変わってきた。気温も下がってきたので、早めの対策にレインウェアを着込んで登り続けた。
13時40分、山体観測装置というところに出た。休憩時間を入れたとしてもずいぶんなスローペースである。山体観測装置のあるところは宝永山の火口の外縁にあり、私は宝永山の火口を右手に見ながら登り続けた。
「宝永山第二火口縁」に達すると、標準時間で30分ほどで山小屋のある6合目に到達するとガイドブックが表示していた。見通しが立ったことで少し元気を回復した。
※ 「山体観測所」の標識です。バックには何も見えません。霧が周りを覆っていました。
※ 富士山の山腹にできた「宝永山」に向かうグループです。
14時20分、ようやく人気(ひとけ)のする6合目の山小屋の「雲海荘」に着いた。
※ 富士宮口5合目にある山小屋の一つ「雲海荘」です。
そこからは富士宮登山口5合目からのコースと合流し、標準時間で1時間を要す新7合目の「御来光山荘」を目ざした。
コースの両脇にロープが張られたお馴染みの富士山登山路である。距離にすると1キロ程度だろうか?
雨は間断なく降っていた。私はレインウェアの上だけしか装着していなかった。(途中で下を装着するのはけっこう面倒なのだ)そのためズボンはかなり濡れてしまったが、本降りではなかったこともあり、なんとかしのぐことができた。
6合目から1時間強かけて15時30分無事にこの日の宿となる7合目「御来光山荘に」到着した。
朝から7時間20分もの長い時間を要した一日が終わった。
※ 5合目からは、こうしてロープが張られた中を登り、山頂を目指します。
※ 霧が晴れて、宝永山の山容を眺めることができました。
※ ようやくこの日の宿「御来光山荘」に到着しました。
第3日目は、アスファルト道路、緑濃い休養林コース、そして火山岩の中を往く本格的な登山路と、変化に富んだコースだったこともあり、時間はかかり、それなりに疲労感はあったものの楽しく歩き、そして登ることができた一日だった。