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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 キリングフィールド №284

2020-05-20 17:28:25 | 映画観賞・感想

 Killing Fields…「殺戮の荒野」と解した私は、無慈悲な殺戮が繰り返される戦争映画だと思っていた。確かにそうした場面も映し出されたが、映画の主題はカンボジア内戦の悲惨な状況の中で育んだ二人の男の友情の物語だった…。

           

 映画に飢えていた。しかし、今の状況で映画館に足を運ぶ勇気は私にはない。そんな中、昨日(19日)午後、NHK・BSプレミアムで「キリングフィールド」が上映されたのを観た。久方ぶりに映画の面白さを堪能した2時間だった。

 映画はちょっと古く1984年製作で、カンボジア内戦を取材するニューヨークタイムズの記者シドニー・ジャンパーク(サム・ウォーターストン)と彼の通訳を務めるディス・プラン(ハイン・S・ニョール)の二人の交流を通して、カンボジア内戦におけるクメール・ルージュの狂気とも思える人民殺戮の悲惨さを伝えようとするものである。

 映画で描かれていることはジャンパークが体験したこと、プランが味わった悲惨さをもとにした実話がベースになっていることでより説得力のある仕上がりとなっている。

     

     ※ 左ディス・プラン(ハイン・S・ニョール)、右シドニー・ジャンパーク(サム・ウォーターストン)

 カンボジアにおいては1975年、カンボジア民族統一戦線がプノンペン占領し、翌年ポル・ポトが首相に選出されている。1975年というと私は職を得て3~4年目だったが、ポル・ポト率いるクメール・ルージュが民族浄化の名のもとに国民を大量に虐殺しているとの報に接してはいたが、遠い異国の出来事としてそれほどの関心を抱いていなかったことを率直に恥じたいと思う。

 映画ではプノンペンが陥落したことによりジャンパークたち外国人記者たちは国外へ脱出するが、カンボジア人だったプランはジャンパークたちの奔走も実らず連行され、強制労働を強いられる。その間も、クメール・ルージュたちは知識人である、外国語が話せるという理由だけで虐殺の対象となり殺されていく。プランはそうした過酷な状況の中でなんとか生き延び、隣国へ脱出することに成功する。そして、プランの行方をたえず気にかけていたジャンパークとの再会を果たすのである。

     

 プランの体験を聞いたジャンパークは、自らの体験も交えた記事を新聞に公表することによってピューリッツァー賞を受賞したことが契機となって、この映画が実現したという。

 映画の最後に耳慣れた印象的なメロディーか流れてきた。それはあのジョン・レノン作詞作曲の「イマジン」だった…。

 なお、映画を観た後「Killing Fields」について調べたところ、語源はクメール・ルージュによる「処刑場跡地」を指す言葉だそうだ。1975~79年の間に殺害された一般人への追悼の意味を込めて1997年にワット・トゥメイ寺院が建てられ、慰霊塔の中には人骨や遺品が保管され、当時の悲惨さを物語っているそうだ。この処刑場跡地は一般人でも見学が許されているそうだ。

 映画を観終えて、映画解説者だった故水野晴朗が発した有名な言葉が思い出された。「いやぁ、映画って本当にいいもんですね~」