小樽市のJR小樽駅からそう遠くない市の中心部の小高い丘一帯が「小樽公園」だった。公園内には小樽市の文化施設、スポーツ施設が集中している感があった。そんな「小樽公園」を巡ってみた。
8月20日(土)、「小樽公園」内にある「小樽市能楽堂」において公演があり、それを観賞するために訪れた機会に、「小樽公園」をざーっと巡ってみることにした。
まず、公園の入り口付近に建つ「小樽市文化会館」である。ややくたびれた感じの外観であるが建設が昭和38(1963)年で築59年というから無理からぬところか?私は札幌に居を移して間もなく、この会館で開催された「武田鉄矢と海援隊」のコンサートを聴いたことを記憶している。この市民会館で「面白い!」と思ったのは「小樽市民食堂」なるものが入っていることを今回知った。「どんなところだろうか?」と興味を抱いたのだが、残念ながら休業日だった。
※ ちょっとくたびれた感もある「小樽市民会館」の建物です。
※ その市民会館の一角に「小樽市民食堂」がありました。「市民食堂」とは珍しいネーミングですね?
市民会館から「小樽市公会堂」を横目に坂を上ると「小樽市総合体育館」がある。こちらも建設が昭和49(1974)年というから、かなり年数が経った体育館であるが、アリーナ―以外に体育室が3部屋のある大きな体育館のようである。
※ 「小樽市能楽堂」が敷設された「小樽市公会堂」の由緒ある外観です。
体育館の前には「公園運動場」という多目的の照明付きのグランドが広がっていた。照明が付いているだけに、さまざまな使い方があると思われる。
※ かなり大きな「小樽市総合体育館」です。アリーナはずーっと奥にあります。写真に写る照明塔は下の写真の「公園運動場」を照らす照明です。
※ 多目的にさまざまな競技やレクリェーションに使えそうな「公園運動場」です。
体育館からさらに丘を登っていくと野球場が見えてくる。「桜が丘野球場」という名の硬式野球向けの球場である。私が行ったときに成人の人たちが練習をしていた。おそらく小樽の名門クラブチームの「小樽協会」の選手たちだと思われた。この球場は小樽地区の高校野球の予選大会にも使われている球場である。
※ 硬式野球ができる「桜が丘球場」です。
球場を後にしてさらに上っていくと各種遊具が備わっている「こどもの国ゾーン」である。私が訪れた時は夕方近くとあって遊んでいる子どもの姿はなかった。
※ 小樽公園の丘の頂上近くに「こどもの国ゾーン」が広がっていました。
そしてその上、公園の最上部に出る。「見晴台」と呼ばれるちょっとした広場である。 ここで目立ったのは巨石を立てた石碑だった。表面には「長紀聖蹤(ちょうさせいしょう)」と刻まれていた。この日は明治天皇が明治14(1881)8月30日に北海道に初めて足を踏み入れたのが小樽市手宮桟橋だったことから、その日から50年後に小樽市で成功した豪商・渡辺翁によって建立されたそうだ。その巨石の大きさだが、ある方が畳6~7枚ほど、と言っていることから、その大きさを想像してほしい。
※ 「見晴台」から見た小樽港の眺めです。
※ 「長紀聖蹤」碑です。周りに大きさを比較するものがないので、その大きさを実感できないのが残念です。
その近くには、反対に小さな小さな「ラジオ体操像」が立っていた。その大きさの対比が面白かった。この「見晴台」の広場が市民のラジオ体操の会場になっていると思われる。
※ 小さな「ラジオ体操像」です。人物だけでは50cm程度だったように思います。
「見晴台」から反対側を下りていくと、「日本庭園」があった。公園自体の開設が明治33(1900)年というから、当然のように「日本庭園」が造成されたのだろう。「日本庭園」というと、小樽市はニュージーランドのダニーデン市と姉妹提携しているが、私は2013年にダニーデン市を訪れたことがある。その際に、ダニーデン市内に小樽市から寄贈された「日本庭園」があった。若干整備されていないところが気になったが、今はどうなっているだろうか?
さらにその下方には歌人・石川啄木の歌碑も立っていた。歌碑には「我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて 死なぬと思ふ」とあった。
私が巡って歩いたところは以上であるが、その他に公園内には「庭球場」、「弓道場」、「市立図書館」などもあるということだ。文字どおり「小樽公園」は小樽市民の文化・スポーツ活動の拠点的役割を果たしている公園ということがいえそうである。