1949年制作のあの有名なアメリカ映画ではない。1964年日本の日活映画が華やかしころ、当時の日活が誇った若手女優陣がそろって出演した青春恋愛映画である。ストーリーは他愛ないものであるが、当時の世相や風俗などを懐かしく観ることができた。
またまたBS映画である。すっかり巣ごもり生活が常態化してしまっている。なんとかせねばと思いつつ無気力な生活を続けている。気を付けねば…。そんな私に格好の材料を提供してくれるのがNHKBSプレミアムの映画上映である。取り上げられる映画はアラン・ドロンものと同様一昔前のものであるが、私にとっては懐かしさを感じさせてくれるものも多く、録画して深夜に楽しんでいる。
今回取り上げた「若草物語」は、リード文でも触れたように日活映画である。1964年というとちょうど東京オリンピックが開催された年であるが、当時の日活は石原裕次郎を筆頭として多くのスターを擁し、我が世の春を謳っていた映画会社である。
そうした中、若手女優陣も多彩であった。その女優陣の中、当時人気を誇っていた芦川いずみ(長女役)、浅丘ルリ子(次女役)、吉永小百合(三女役)、和泉雅子(四女役)が四姉妹として出演した映画である。当時の彼女たちの年齢を調べてみた。芦川いずみ(29歳)、浅丘ルリ子(24歳)、吉永小百合(19歳)、和泉雅子(17歳)という若さだ。いずれもが当時のトップ女優であるから、その美しさも際立っていた。私的には浅丘ルリ子の華やかな美貌がもっとも映えていたように思われた。
4姉妹はその容貌、伝え聞かれたイメージどおりの女性を演じていたように思えた。長女の芦川いずみは控えめながらしっかりした姉さんタイプを、次女の浅丘ルリ子はその華やかな容貌を活かして奔放に恋愛を楽しみ、三女の吉永小百合は次女をライバル視するも次女には勝てないことを悟り我慢しつつも機会を伺うという役割を、四女の和泉雅子は我関せずとばかりに気ままに生きていく末娘役を、それぞれがそれなりの役割を演じていたようだった。
彼女たち4人を支える男優陣たちも懐かしい。浜田光夫、和田浩治、山内賢といった懐かしい顔が出演していた。私としてはポップス歌手として一世を風靡した(?)田代みどりのえくぼ顔も懐かしかった。
懐かしいといえば、オリンピックを控え活気に満ちた東京の様子が活写されていたことだ。浜田光夫がニュース映画社のカメラマンとして地上から、空から東京を写す。そこには東京オリンピックを控えて変貌する東京の街が様々な角度から写されていて、まだまだ高層ビルなどは少ないものの活気ある東京の街を見ることができた。
時代を感じたのは、東京の街よりスキーをするシーンだった。スキーほど当時と現在のファッションが異なっているものはないかもしれない。細いスキーパンツにセーター姿でスキーに興じる姿に時代を感じた。
また、和田浩治は資産家のお坊ちゃま役で出演していたが、家や車など当時の上流階級の様子が映っていたが、映画を観る当時の庶民は高度経済成長で潤う中、いつか自分もあのような生活を、と夢見ながらスクリーンを凝視していたのではないだろうか?
敢えてストーリーには触れなかったが、日活が誇った4人のトップ女優の若いころの姿を見られただけでも心楽しい映画だった。