力が拮抗する早明両校の追いつ追われつの好ゲームとなった。「北海道ラグビーの日」に招待された大学ラグビーの伝統の一戦「早明戦」は思っていた以上の接戦となり、観戦した私は大いに楽しむことができた一戦だった。
「北海道ラグビーの日」とは、2019年に札幌ドームでワールドカップラグビーが開催されたことを記念し、4月31日と5月1日を「北海道ラグビーの日」として、各年代のプレイヤーが集い競う機会をつくり、北海道のラグビー振興を図ることを目的として指定したそえだが、そのメインの試合として「早明戦」を招請したということのようだ。
先日の拙ブログでオープン戦と私は記したが、実際には関東大学春季大会Aグループの公式戦ということだった。(両校にとって最も重視しているのは秋の「対抗戦」であることに変わりはないのだが…)したがって両校とも現時点でベストの布陣で対戦に臨んだものと思われた。
得点経過を記すと次のとおりである。
◇前半10分 早大がトライ(Gは失敗) 5―0
◇前半26分 明大がトライ(Gも成功) 5―7
◇前半40分 明大がトライ(Gも成功) 5―14
(ハーフタイム)
◇後半 6分 明大がトライ(Gは失敗) 5―19
◇後半14分 早大がトライ(Gも成功) 12―19
◇後半38分 早大がトライ(Gも成功) 19-19
◇後半47分 明大がトライ(Gも成功) 19―26
※試合時間が40分を経過しているが怪我などのためロスタイムが設けられていた。
この試合経過を見ていただければ、まさに追いつ追われつのシーソーゲームだったことがお分かりいただけると思う。実は明大はこの他にPG(ペナルティゴール)を2度試みているのだが、2度とも失敗してしまい試合がもつれた要因にもなっているのだが…。
※ 早稲田大が攻撃中のところです。
※ ラインアウトは明治大に一日の長があったように思いました。
※ スクラムは両校相譲らずといった感じでした。
※ 明治のキッカー広瀬選手はこの日不調だったようです。
※ ノーサイド、健闘をたたえ合う両校フィフテーンです。
私はこの早明戦を観戦するにあたって、どちらか一方のチームを応援するという気持ちはなかったのだが、観戦しているうちにいつの間にか明治大に肩入れしている自分に気が付いた。というのも、私は過去に明治ラグビーに心酔していた時期があったのだ。その頃に書いた一文を見つけることができたので、それを転写してみたい。文章を綴ったのは1992(平成4)年12月8日、実に30年前の文章である。題して「時にはスポーツを語ろう」と題して書いた文章である。
明治が好きである。
明治といっても明治製菓ではない。
明治大学ラグビーフットボールチームが好きなのである。
私は、無類といって良いほどテレビのスポーツ観戦が好きである。テレビでスポーツ中継が集中する日曜日など、スポーツ観戦を主にしてスケジュールを立てるほどである。なぜスポーツ観戦か、なんて深く考えたことはないけれど。今夜はちょっと考えてみようと思う。
スポーツはよく筋書きのないドラマだと言われる。まさにその通りである。試合終了の合図があるまで勝利がどちらに転ぶかわからないスリリングさは、ありふれたドラマの比ではない。
また、スポーツはルールのある戦争に例えられる。だからそこには、人間の知力を駆使した戦略・戦術が 展開される。そこを読むのがたまらなく楽しい。
その他、それぞれのスポーツが固有する魅力に触れることができるのも、スポーツ観戦の大きな楽しみである。
しかし、私が スポーツ観戦に魅かれる最大の理由は、選手たちの “ひたむき” さが伝わってくることが魅力なのだ。
数多いスポーツの中には、その “ひたむき” さが伝わってこないスポーツもある。そんなスポーツは、私にとってはあまり魅力のないスポーツといえる。
6日(日)、早明ラグビーを観戦した。
むろん明治大学を応援しながらである。
私が明治ラグビーに魅かれるのは、強いからというミーハー的な部分も確かにある。
しかし、それ以上に明治ラグビーの底に流れる愚直なまでの戦いぶりに魅力を感じている部分が大きい。
90歳を超えた北島監督の「前へ!」という教えを体現しようとする15人の戦士たちは、局面によっては別な戦術があるだろうと素人の私でも考えるのに、ひたすら前へ、前へと突進する愚直にも見えるその戦いぶりに共感を覚えるのだ。
いったい、私たちの前から “ひたむき” さが消えてしまったのはいつの頃からだろうか。
“ひたむき” な生き方を、ダサイなどと一言で片づけるようになったのはいつの頃からなのだろうか。
うまく生きる、策略を張って生きる、……そんな生き方を否定していた若者がやがて大人になって、何の疑いも反省もせずに同じような生き方を志向しているのを見る時、私は怒りすらおぼえるのである。
冬は、ラグビーをはじめとして、サッカー、マラソンとビッグイベントが目白押しである。彼らの “ひたむき” さに共感しながら、今冬もテレビの前から声援をおくろうと思っている。
上記文章は前述したように30年前の文章である。明治のラグビーが当時と同じだとは思ってはいない。やはり時流に沿った戦略・戦術を採り入れているが、その底流には脈々と北島ラグビーが息づいていると私は今日そのことを再確認した思いである。
※ 試合の最終結果です。