河崎さんは、主催者の北海道歯科医師会へのリップサービスとして「歯を食いしばって書く」という演題を決めたのか?と思ったのだが…。さにあらず、講演の内容も河崎さんの歯にかかわる話に終始され、河崎さん独特のあの骨っぽい文章を産み出す深淵を垣間見ることができなかったのは少し残念だったが
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本日午前、札幌パークホテルにおいて北海道歯科医師会が主催する「道民公開講座」が開催され、「ともぐい」で昨年下半期の直木賞を受賞した河崎秋子さんが講演すると知って馳せ参じた。
河崎さんは「歯を食いしばって文章を書く」と題して講演された。リード文で記したように、題名はあくまで主催者に対するリップサービスなのだろう、と思いながら河崎さんのお話を聴き入ったのだが…。
お話は河崎さんの幼少の頃からの歯にまつわるお話に終始された内容だった。
河崎さんは脱サラされたお父さんが別海のパイロットファームに入植され、酪農業に従事され両親の4番目の子として生まれたという。幼少の頃のエピソードとして、兄や姉たちはぐずる河崎さんに飴玉を与えて機嫌を取っていたことを成長してから聞かされたという。そうしたこともあり小中時代に街の歯医者にかかることもあったが、送迎が大変なここと、また深刻な状態でもなかったことから歯科治療にかかったことは数回程度だったという。
そして大学を卒業して河崎さん自身が酪農に携わることになって再び別海で暮らすようになったそうだが、30歳ころのとき前歯が痛んで通院もしたが、歯科医院が遠いこと、酪農業が多忙なことから必要最小限の通院に止まったという話をされた。
さらに河崎さんの父親が重篤となり介護せねばならない生活となった時、父親の口腔ケアに務めねばならなかったことを話された。
というようにお話は歯にまつわることに終始された講演だった。
現在、河崎さんは脱サラされた兄に酪農業を任せ、ご自身は高校時代を過ごした帯広で作家専業生活に入っているとのことだ。
多忙な酪農との兼業生活に別れを告げ、作家専業生活に入ったことで「今度は十分に時間が取れる」と思っていたが、なかなかそうはならないという。時間があると思うとなかなか集中できないそうだ。面白いことを披露された。それは「作家というものは締め切りが近くなるとようやく覚醒する」そうだ。
河崎さんは成人になってから「親知らず」が育ち始め、それを抜く困難な経験をしたことも披露した。その「親知らず」が他の違いかなり特殊なものだったために、抜く治療も大変だったらしい。その思いは近著「愚か者の石」に反映されているとのことだった。これは早速購入して読まねば。
河崎さんは最後に、このように自らの経験も生かしつつ、経験のないことは十分に取材をして、読者に届けたいと話され話を締めた。
順風満帆の作家の道を歩み始めた余裕からだろうか?話の端々にユーモアが溢れ、お話自体も具体性に富み、楽しく聴くことができた河崎秋子講演会だった。