田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北海道立文学館 拝見

2015-07-21 22:03:20 | 札幌(圏)探訪
 「文学」などという冠が私をその館から遠ざけていたように思う。身近にありながらも、遠い存在だった「北海道立文学館」に初めて足を踏み入れた。そこには“北海道”に関する文学作品、作家が網羅された素晴らしい展示があった。 

 「文学」などというと、私から最も遠い存在の一つである。札幌都心のオアシス「中島公園」内にある「北海道立文学館」(中央区中島公園1番地)は、側は通れども内部に足を踏み入れることはこれまでなかった。
 7月17日(金)午後、私が所属する退職組織の団体の年に一度の研修先として「北海道立文学館」に選ばれたことで初めて訪れることになった。

          
          ※ 北海道立文学館の正面入り口です。

 道立文学館は、エントランスのフロアーがある上階と半地下の下階からなっていたが、私たちが見た「北海道の文学」に関する展示は下階にあった。
 文学館では学芸員が私たちのために説明についてくれ、逐一丁寧に説明してくれた。

          
          ※ エントランスフロアーから常設展のある地下フロアーを望んだところです。

 「北海道の文学」の黎明期はやはり北海道の開拓の歴史との関わりが大きいようである。それは文学というよりも、間宮林蔵の樺太探検記や、松浦武四郎の北海道探索記のような類いのものがその最初である。
 やがて、北海道農学校(現北大)の誕生により、そこから内村鑑三、新渡戸稲造、有島武郎といった逸材が輩出された。特に本格的な文学者としては有島武郎が最初に記される人材といってよいのかと思われる。

 この明治期には、幸田露伴、国木田独歩、石川啄木などが、文学的興味からか北海道を訪れ、北海道に関する作品を著している。
 文学館では、この明治期の北海道の文学を《20世紀への胎動/助走期の苦闘/漂白と彷徨》と呼称し、時代分けをしている。

 続く大正期~昭和戦前期については《道産子作家の誕生/逆流のさなかで/モダニズムの台頭》と称している。
 この時代には、子母澤寛、森田たま、小林多喜二、伊藤整といった明治期以来の移民の子弟から作家が誕生した時代である。小林多喜二のプロレタリア文学、伊藤整のモダニズム文学など、日本を代表する作家も誕生した時代である。

 続いては昭和の戦中期~戦後期であるが、この時代を《戦火の中で/復興と再生》と文学館では時代分けをしている。
 この時期の作家としては、坂本直行、亀井勝一郎、船山馨などが有名である。

 最後の区分けは高度成長期~現代として、この時期を《成長期の精華/変転する現代》と称している。この時代になると、純粋に北海道に生れ、北海道に根ざした作家が誕生してきた時代とも言えよう。その代表格が「挽歌」の原田康子であり、「氷点」の三浦綾子である。
 また、芥川賞や直木賞作家が誕生するのもこの時代になってからである。ちなみに北海道に関係する受賞者は、芥川賞が1979年上半期の高橋揆一郎、1988年下半期の池澤夏樹、直木賞が1989年下半期の藤堂志津子、2013年上半期の桜木紫乃などが道内関係者として挙げられる。

          
          ※ 「北海道の文学」の展示室の一部です。

 以上のように北海道立文学館では、「北海道の文学」を4つの時代区分に区切って展示してあったが、感度の鈍い私としてはそこに北海道としての文学的特徴を見出すことはできなかった。ただ、生粋の道産子が作家として登場するのは戦後になってから、というところに北海道が開拓されてまだまだ日が浅いということの証しの一つなのかな?と思われた。

 また、文学という営みがきわめて個人的な営為ということから、同人誌的な活動はあったものの、そこから大きなうねりのようなものは生れてこなかったようである。

 なお、時代系列的な展示とは別に、口承文芸として語り継がれてきたアイヌ民族の文学のコーナーが設けられていたが、これも北海道の文学の一分野としてけっして忘れてはならない財産なのだと思う。

 私のように文学に縁遠い人間であっても、北海道の歩みを理解する一助として北海道立文学館を訪れてみることは一興のように思われる。

インターネットの功罪  

2015-07-20 22:44:20 | 大学公開講座
 このテーマは、インターネットが普及するにつれて欠かせぬテーマになってきたが、ネット利用者の一人として私もおおいに自覚しなければならない問題でもある。今回改めてその功罪についての話を聞く機会を得た。 

 北大公開講座「人と環境が抱える難問~その解決の最前線~」第5講が16日(木)夜にあり受講した。第5講のテーマは「インターネットは福音か、災いか」と題して、法学研究科の町村泰貴教授が務めた。

            
            ※ 講師の町村泰貴教授です。

 町村教授はインターネット社会の功罪について、冒頭次のように提示した。
【インターネット社会の光の面】
 (1)インフラとしてネットワークの進歩
 (2)ソフト面の進歩
 (3)人々のネット生活の進歩
 (4)情報収集・情報発信の進歩
 (5)e-commerce
 (6)遠隔サービス
 (7)ビッグデータ情報の活用
【インターネット社会の影の面】
 (1)個人情報・秘密情報の保護と漏えい
 (2)忘れられる権利
 (3)ネット詐欺・悪質商法
 (4)ネットユーザーの加害者化
 (5)社会の脆弱化

 こうした功罪についてのまとめ方は論者によってさまざまではあったとしても、概ね大きな違いはないと思われる。そしてまた、〈光の面〉についてはインターネット社会の進歩の様を驚きの目で見ながらも、それを享受する一人としてさらなる利活用を図ることができれば、と考えている。
 
 対して〈影の面〉であるが、これだけインターネットが発達してくると、当然のようにその負(影)の部分の危うさも増大してきている。
 ここでは、(2)忘れられる権利と(5)社会の脆弱化について、お聞きしたことを詳述してみることにする。
 
 「忘れられる権利」についてだが、これは一度ネット社会の中に情報が流出してしまうと、いつまでのその情報がネット社会の中に存在し続けるという問題である。個人にとっての不利益情報がいつまでもネット社会に存在し、さらには拡散し続けるということは、ネット社会以前であれば時間の経過とともに忘れ去られるようなことが、そうはならないという事実だ。不利益を被る当事者にとっては耐えられない事態である。
 現在、この事態に対しては、プライバシー保護の観点からネット情報の削除申請ができる措置が整備されつつある。また、検索エンジン大手が自主規制のルールを整備する段階となっているようだ。

 次に、「社会の脆弱化」であるが、最近も世間を騒がせた問題でもあるが、日本年金機構の個人情報の漏えい問題など、一部の悪意によって社会全体が大きな損失をこうむる可能性が大きくなってきていることだ。
 インターネットが社会インフラとして、社会のあらゆる分野で整備されてきている今、非常に大きな問題である。
 また、国同士においてもサイバー攻撃などという私レベルでは理解不能な攻防が繰り広げられているとも聞いている。

 何ごとにおいても光があれば、そこに影ができると言われるが、インターネットに関してはその進歩があまりにも早いために、国の体制が、あるいは法整備が追いついていないという指摘もある。国や関係者にとってはこれまで以上に危機感をもってコトにあたってほしいと思う。
 と同時に、インターネットの利便さを享受する我々一人ひとりも〈影の面〉を意識する慎重さを求められているのだ、と改めて思わされた講座だった。



《ウォーキング覚書》  7月11日 ~ 7月20日までの記録

〔月 / 日〕  〔ウォーク歩数〕   〔 備  考 〕
 7/11     9,737    自宅~北大~大通~自宅        
 7/12    10,481    競馬場コース
 7/13    13,210    自宅~かでる~北大~自宅       
 7/14     1,226    休養
 7/15         0    休養         
 7/16    35,913    あやめ野小往復、北大~自宅
 7/17    12,057    自宅~道立文学館
 7/18     9,598    自宅~共済ホール       
 7/19    11,201    大通、円山お店巡り
 7/20     8,916    北大往復      

◇10日間の総歩数 112,339歩  ◇10日間の一日平均歩数 11,233 歩

 いや~、この10日間はまったくでたらめな歩き方である。14日、15日と連続して休養したが、どうも膝の調子がイマイチなのが気にかかるので思い切って休んだ。その反動もあって、16日は少し無理をした。団体の事務所があるあやめ野小までを往復したのは初めてである。
 10日間の平均としては一日一万歩を超えたが、10日間の半分が一万歩以下というのはなんだか危ない兆候にも思える。気を付けねば…。

Salon du Brillia

2015-07-19 21:37:59 | その他

 マンション内の和やかな交流の場を創ろうと、交流の場を起ち上げた。その名も「Salon du Brillia(サロン・ド・ブリリア)」昨日(18日)、その2回目を開催した。楽しい会合は、実りある会合の場へと発展しそうな予感がする。 

          
          ※ 「Salon du Brillia」を行う集会室の前に張り出した表示です。

 マンション内に住む人たちを中心にして、夏の間、定期的に(およそ2週間に1度程度)近代美術館前の歩道の清掃活動のボランティアに取り組んでいることは、拙ブログでも何度か取り上げてきた。その地道な活動も今年6年目を迎えている。

 そうした活動を継続する中で、「ボランティアの活動だけではなく、もう少し会員間の交流も図りたいね」という声が徐々に大きくなっていた。
 私としては何の異論もない。ただ、マンション内の一部の人が集まることによって、それがマンションの管理などに関しての派閥的な集いになることだけは避けたいという思いが私にはあった。
 そうしたことにならないように留意することを約束し、今年初めから会員間で相談し、5月に第1回目をスタートしていた。昨日はその第2回目だったのだ。

 Salon du Brilliaではあまり堅苦しいテーマは設けずに会話を楽しむことを主たる目的とはしているものの、やはり話のタネになるようなものは必要と考え、今回はマンションの近くにある「お薦めの店」をそれぞれ紹介することにした。
 それぞれがイチオシの店を紹介してくれた。気軽に入れるうどん店やカフェ、ちょっと気張ったときに入る和食の店やフレンチ…、私の引き出しもおおいに拡がった。

          
          ※ 会員から紹介のあったお店の一つ「増田うどん店」です。

          
          ※ もう一つ、オムライスが美味しいと評判の「円山 花笑夢(はなえむ)」です。

 話が一段落したところで、ある方がマンションのメンテナンスの話題を持ち出した。すると、参加した方々の話に熱が帯びてきた。換気、バス、トイレ、全てがオートメ化されたマンション内の掃除を担っている方(やはり婦人が担っている?)にとって、メンテナンスに関してはかなり難しい問題であり、関心の高い話題である。
 喧々諤々の情報交換が始まった。そのとき、一人の男性会員(私ではない)が、そうしたメンテナンスに詳しく、自ら各所の掃除していることが分かった。とにかく詳しいのだ。そこにいた方々が次々と男性氏に質問が集中した。
 彼の話を聞いていて、私は「次回のSalon du Brilは『○○(男性氏の名前)のマンションメンテナンス講座』としましょう!」と提案したのだった。
 これは多くの方々の関心を呼ぶと思われる。

 今のところ2ヶ月に一度の開催と、開催間隔が少し長いのだが、それも会員の中から「もう少し間隔を短して!」という声が上がってきたときには検討したいと思っている。
 次回は9月開催となるが、とても待ち遠しい感さえしてしまうSalon du Brilliaである。


映画 137 網走番外地 北海篇

2015-07-18 23:47:42 | 映画観賞・感想

 今は亡き高倉健の出世作である「網走番外地」の第4作目となる「北海篇」である。内容としては、私が語るほどもない駄作と言ってもいいのでは? 稀代の名優と言われた高倉健にとって、荒唐無稽の典型のような映画に、当時はどのような思いでカメラの前に立っていたのだろうか? 

               

 めだかの学校の7月の定例学習会が7月13日(月)午後、かでる2・7で行われた。
 今年度の学習は「映画の中の北海道~昭和編」として北海道に関する映画を視聴することを中心に学習を進めている。そうした中、今月取り上げたのが「網走番外地 北海篇」だった。

 映画「網走番外地」の第1作は1965年に封切られたが、当時は映画2本が同時に上映される中の添え物的な白黒映画として制作された。ところがこれが思わぬ大ヒットとなってシリーズ化されるのである。「北海篇」はそのシリーズの第4作目にあたるが、同じ1965年に制作されているというから、一年間で4本制作されたことになる。その粗製乱造ぶりが容易に想像される。

               

 映画としての「北海篇」は語るほどもない内容である。確かに映画は冬場の北海道を舞台にロケしたものであるが、映画の中で刑務所内のシーンは時間にしてわずか10分の1程度で、主人公の橘(高倉健)が網走刑務所を仮出所したという設定で、冬の雪道上において展開される映画である。
 荒唐無稽とも思えるストーリーについて、紹介する気も起らないほどである。私は第1作目も観ているが、それは手錠をはめられたまま脱獄した二人の脱獄囚が列車の車輪で手錠を壊すというスリリングな場面が印象に残った。しかし、「北海篇」では何一つ印象的シーンすら残らない映画だった。それにもかかわらず、興行成績は1965年の第2位だったという。当時、映画に寄せる人々の関心が奈辺にあったのか窺い知ることができる興味深い事実である。

               
               ※ 往年の高倉健さんのポートレートです。

 さて、そのような映画に出演し続けた高倉健の心中についてであるが、Wikiの中で興味深い事実を知った。やはり当時高倉健はこの映画に出演することを躊躇ったらしい。ところが、当時の東映首脳部は「それなら他の者に演じさせる」と当時無名の高倉を半ば脅迫するように促したようだ。そのようなことがあり、高倉も吹っ切って出演を続けたのではないだろうか?

 映画は翌年、翌々年と年間3本ずつが制作されたが、やはりその粗製乱造が人々から飽きられたのだろか?徐々に興行成績が落ちたことにより、1967年をもってシリーズは一度途切れることになるのである。
 それむべなるかな、と思う私だった…。


豊かさの陰で遺された課題

2015-07-17 23:34:11 | 大学公開講座
 原子力の恩恵を受ける中での「核のゴミ」…。石炭や金属の恵みを享受する中での「鉱山廃水」…。そのどちらもが、私たちの今の豊かな生活を支えてくれる(た)陰で半永久的に排出され続け、解決の目途の見えない課題である。そうした重い課題について考える講座だった。 

 北大公開講座「人と環境が抱える難問」の第4講が7月13日(月)開講された。(第3講は都合により欠席した)この日のテーマは「どうする?!核のごみと鉱山廃水」と題して、工学研究院(環境地質学)の佐藤努教授が講義を担当した。

              

 原子力発電によって発生する放射性廃棄物、特に使用済核燃料の再処理に使われた廃液および固化体は「高レベル放射性廃棄物」と言われているが、これは国で地下300mの深い地層に処分されることが決まっているそうだ。そのことの適否について、受講者に判断の材料を提供することが講義の一つのテーマだったが、私にとっては難解を極めた。
 地質学的な説明は専門的過ぎて、私の理解の及ばないところだった。したがって、以下の部分は私が恣意的に感じたことであることをお断りしておく。

 講師は日本の国土の地質学的特徴について多方面から言及した。そこで言わんとしていたことは、日本という国土が地質学的に見て、地震、火山、活断層が多数ある変動体にある非常に危うい、特異な存在であることを指摘したと私は受け止めた。
 そうした日本において地下深くの地層に処分することの安全性がはたして確保できるのかという難しい問題がある。
 さらに、高レベル放射性廃棄物は減衰するのに数十万年から100万年単位の時間を必要とすることは良く知られたところである。
 ということは、現代が抱えてしまった難しく、危険な課題を未来世代に先送りしてしまうことになる。
 
 専門家の間では、安全性が確保されていない地下処分により、事故等が発生して対処できないという事態を招くより地表近くに貯蔵して監視が可能な状態にする方が被害を最小限にすることができるのではないかとの指摘がなされているとのことだった。
 それにしても、その費用が多年にわたって莫大なことは言うまでもない。

 次に、「鉱山廃水」の問題であるが、こちらも深刻である。
 日本では過去、石炭をはじめ、金・銀・銅山、その他さまざまな鉱山が存在したが、採鉱が経済的に見合わないとの理由から次々と廃山となり、現在稼働している鉱山は国内で僅か二ヵ所だけだそうだ。
 廃山とはいっても、経済的に見合わないだけで、そこには有用な鉱物資源が残っているという。その鉱山跡のトンネルに雨水や地下水が浸透し、取り残された金属と反応し、有害重金属となり「鉱山廃水」として流れ出す問題が発生しているという。
 この処理もまた、鉱物資源が無くならないかぎり付いて回るという問題だということだ。

 こうして見ると、私たちは原子力からも、鉱山からも、多くの恵みを受けてきたが、その見返りというか、豊かさを享受した陰で大きな課題を背負ってしまったことをもう少し自覚しなければならないのかもしれない…。

札幌エスタ 空のガーデン

2015-07-16 22:22:00 | 札幌(圏)探訪
 札幌エスタの11階の屋上に広がる「空のガーデン」を初めて訪れた。花が中心というよりは、グラス(草)ガーデンとも称されるイギリス風ガーデンの様相を呈していた。 

          

 10日(金)にJRタワーのスカイレストラン「丹頂」へ行ったときに、35階の窓から下を眺めたところ、エスタの屋上に広がる庭園が見えた。
 「そういえば、まだ行ったことがなかったなぁ…」との思いから、ランチを終えた後、妻と二人で訪れてみた。

          
 
 札幌の街の主だったところは大概のところ訪れている私だが、ここ「空のガーデン」だけは何故か訪れたことがなかった。(主だったところではなかった?)
 調べてみると「空のガーデン」は、富良野の「風のガーデン」を手掛けたガ―デナー上野砂由紀さんの監修で2011年にオープンしているという。
 オープン時にはTVニュースでも流れたのを記憶しているが、もう4年も前のことだったのだ…。
 初めて訪れた「空のガーデン」は、たくさんの買い物客で喧騒状態の10階以下の店内とは異なり、屋上は何人かの先客はいたが、静かな雰囲気だった。
 その上、気持ちの良い青空が広がり、ガーデン散策日和とも言えた。

          

 上野さんの監修らしく、「空のガーデン」はイギリス風のグラス(草)が主役の構成で、その中に花々が散りばめられているという構成だった。
 ガーデンの草花の間に配されている木道やレンガも効果的な役目を果たしていた。

          

 ちょうど昼どきとあって、ガーデン脇に設けられたテラス席ではお弁当を広げているグループもあった。
 けっして広いガーデンとはいえないが、都会のビルの屋上にこうしたオアシス的空間があるのも「いいものだなぁ」と思えたひと時だった。

                

札幌グルメ紀行 13 スカイレストラン「丹頂」

2015-07-15 22:33:16 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 久しぶりのグルメ紀行の投稿である。JRタワー35階からの眺望を楽しみながら、和食ランチを楽しんだ。繊細な料理の数々はやはり日本料理ならでは、との思いを強くしたランチだった。 

 久しぶりの妻とのランチだった。
 お店の選択はこの日も妻の主導で、JRタワー日航ホテル35階にある日本料理の「丹頂」に行くことにした。

          
          ※ 私たちが座った席から見たJRタワーから南側を見た光景です。

 この日、予約せずに直接入店したのだが、ちょうど昼どきだったこともあり、店内は満席状態だった。しかし、「50分程度だと窓際の席を用意できる」とスタッフから案内されたので、その席を希望した。

          
          ※ 「丹頂」オリジナルの箸と箸置きです。
 
 ランチのメニューは3種類用意されていた。
 その中から私は「北海道発『列島縦断 美味紀行』特選二段弁当~北海道・青森の味覚満喫~」というなんとも長い名称の弁当を注文した。(2,900円)
 妻は最もリーズナブルな「丹頂弁当」(1,900円)を頼んだ。

          
          ※ こちらは「丹頂弁当」です。ややあっさりとした印象です。

 ちなみに私が頼んだ特選二段弁当の内容を記すと、

 【一の重】造 り  牡丹海老 烏賊 そい
      焼 物  青森県産海峡サーモン 平目黄味焼き
      天婦羅  王様しいたけと牛蒡のかき揚げ
      食 事  青森県産鯖の棒寿司と牛蒡巻き
 【二の重】~旬彩九種盛り~
      青森ねぶた漬け
      ほや塩辛
      しじみ貝山椒煮
      鮪時雨煮
      昆布麺
      帆立貝マリネ
      寄せとうもろこし
      烏賊メンチ
      豚肉の冷しゃぶ
 【甘 味】青森県産林檎のゼリー寄せ
      カシスシャーベット
 この他に、みそ汁と香の物が付いてきた。

          
          ※ こちらが「特選二段弁当」です。ややボケてしまったのが残念!

 こうして記すと、なんとも賑々しいばかりであるが、特に【二の重】はいずれもが小盛りされたもので、弁当特有のさまざまな味を楽しめる趣向となっていた。
 それは、グルメリポーターの彦摩呂風に表現すると「まるで玉手箱やぁ~」という感じだった。
 いずれも美味しくいただいたが、特に私は鮪の時雨煮としじみの山椒煮がお気に入りだった。(あれっ?煮物ばかりだ!)
 しかし、これまで食した日本料理で一番だったか?と問われると「う~ん?」と悩んでしまう。
 それでも高いところからの眺めを楽しみながらのランチは、味覚+αの味が楽しめるのが魅力である。

          
          ※ デザートの二種です。

【スカイレストラン「丹頂」 データー】
 北海道札幌市中央区北五条西2 JRタワーホテル日航札幌 35F
 電  話  011-251-6377
 営業時間  朝  食/ 7:00~10:00
         ランチ/11:30~14:30
         ディナー/17:00~21:00    
 定休日   無休
 駐車場   有(ホテル駐車場)
 座 席   座席数は不明
 入店日   ‘15/07/10

人間はどこまで自然に手を出せるのか

2015-07-14 21:56:08 | 大学公開講座
 なかなか興味深いテーマだった…。しかし、結論としては、人間と自然がどこで折り合いをつけるのか、その時々に真剣に考え・対処していく必要がある、ということだった。北大総合博物館のセミナーを聴いた。 

 北大総合博物館の土曜市民セミナーが始まった。このセミナーは、博物館学の今を市民向けに解説してくれる講座として人気が高い。私も数年前から受講しているが、今年度のセミナーが先日7月11日から始まり、これから毎月来年3月まで計9回の講座が予定されている。
 北大の総合博物館は現在リニューアル改修中である。いつもは博物館内での講義なのだが、今年度は近くの人文科学研究棟での講義となった。

 第1回は「利尻・礼文の植物保全研究 ~人間はどこまで自然に手を出せるのか ~」というテーマで、植物体系学の高橋秀樹教授が講義した。

          
          ※ 講義中の高橋教授です。写真は今回のではなく博物館での講義の様子です。

 礼文島にはレブンアツモリソウ、利尻島にはリシリヒナゲシという絶滅が心配される植物種があるという。
 レブンアツモリソウは国の特定国内希少野生動植物種(RDB)の絶滅危惧種IB類に分類されている。
 一方のリシリヒナゲシの方は、北海道の希少野生動植物種に指定されているとのことで、若干の差異はあるようである。

 レブンアツモリソウは、礼文島にだけ自生する野生のランで、花弁が淡いクリーム色なのが特徴だそうだ。(一般には花弁が赤いアツモリソウが広く分布している)
 その希少価値から1980年代に盗掘が繰り返され、絶滅寸前となったが1994年にRDB入りして、保護・増殖の努力が続けられているということだ。
 ところが、レブンアツモリソウの世代更新の仕組みは複雑かつ繊細なため、自然界においては今現在も減り続けているという。
 ただ、人工増殖の手法が確立されているということで、その手法を用いた人工培養は可能のようだ。しかし、それは厳密に言えば、人が自然に手を出したことになる典型例である。
 そのあたりが、今後減り続けるレブンアツモリソウの保護との関わり合いの中でどう折り合いをつけていくか、ということなのだろう…。

               

 一方、リシリヒナゲシの方も植生地である利尻山々頂付近の山体崩壊などで危機に瀕しているそうだ。さらには栽培ヒナゲシとの交雑も心配されている状況だという。
 こちらも良く似たヒナゲシを栽培し、繁殖することは可能なのだが、リシリヒナゲシとはDNAに違いがあるという。

               

 こうした事例から、高橋教授は自然保護と人間との関係について私たちにクエッションを投げかけたものと受け止めたが、研究者の間では絶えず議論が交わされているテーマなのだと思われる。

 タイトルのテーマは、現代世界においてさまざまな分野で議論を巻き起こしているテーマである。
 自然の中で生きる人間…。自然の恵みを享受する人間…。持続可能な地球を模索する人間…。等々、重い課題ではあるが、今や一人ひとりが真剣に向き合わねばならないテーマの一つでもある、と感じた講座だった。

札幌ぶらり散歩 76 空を見上げて歩いたら…(4)

2015-07-13 22:08:26 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 「札幌ぶらり散歩 №75」に続いて、「空を見上げて歩いたら」シリーズである。札幌の繁華街ススキノは空を見上げ歩いても興味深い光景に出会うことが多い。本日はそんなススキノの空の光景を切り取った。 

◇屋外広告もここまで来ると… 
 札幌は大都会だけあってビルなどの屋上に屋外広告が目立つ。私としては、屋外広告は景観を損ねるような感じがして好ましいとは感じていない。しかし、ススキノの南4条西3丁目角のススキノビル(?)の壁全体が広告に埋まったこところは別格である。あそこまで徹底すると「お見事!」と言うほかない。
 おそらく宣伝効果も、広告費用も北海道では一番なのだろう。

          
          ※ ちょっと悪戯心で魚眼風レンズを使用してみました。

          
          ※ 別の角度からススキノビルを写してみました。


◇またまたペンシルビルが!? 
 以前、南2条西6丁目にあったその名も「ペンシルビルディング」という名を冠したビルをレポートしたが、今回ススキノの南4条西2丁目のところを歩いていたら、またまた細長いビルを目撃した。
 先の「ペンシルビルディング」ほどではないが、やはりかなり細長いビルである。調べてみると「ホシ(星)ビル」という名称のようだ。ススキノにあるビルらしく、飲食店が名を連ねるビルのようである。

          
          ※ 二つのビルの挟まれた細いビルが分かりますか?

                  
                  ※ いや~、細いですねぇ~。


◇ススキノの空に釈迦如来像? 
 同じ南2条西6丁目の一画で周りのビル群に取り囲まれるようにして、少し小さなビルの屋上に周りとは雰囲気を異にする立像が立っていた。詳しいことは分からないが、「釈迦如来像」ではないだろうか? それとも「観音様」? はて?
 それは置いといてビルを調べてみる、そのビルは「米原仏具店」といって、北海道各地で手広く仏具店を展開する本店(本社)ビルのようである。

          
          ※ やっぱり大きなビルに挟まれて…。

          
          ※ これは釈迦如来像?それとも観音像?


 繁華街だからこそ、人々が集まるところだからこそ、空を見上げても興味ある物件に出会うことが多い。まだまだ未発見のものがあるのだろうか?ときおりススキノまで遠征することも必要なのかな?(と云っても昼間でなければなかなか発見できませんなぁ…)

Pacific Music Festival 2015 Sapporo  ※

2015-07-12 23:43:14 | ステージ & エンターテイメント
 もはや札幌の街の夏の風物詩ともなった「パシフィック・ミュージック・フェスティバル」(PMF)が今日から始まった。昨日のプレコンサート、そして本日のオープニングコンサートと続けて楽しむことができた! 

          

 PMFは昨年25周年を祝い、今年が26年目であるが、もうすっかり札幌の街の夏の風物詩となった感がある。
 国際教育音楽祭と位置づけられたPMFは若手音楽家たちにとっては一つの登竜門的役割を果たしているようだ。それは札幌で活躍する音楽家の中で、このPMFのアカデミー生であったことを自らの経歴の中で誇らしく表していることからも理解できる。

 ようやく爽やかな夏が戻ってきた昨夕、そして今日と、いずれも戸外におけるコンサートだった。(今日は少し暑すぎたが…)
 昨日(11日)は、大通公園西6丁目広場で17時からプレコンサートとして「PMF大通公園コンサート」が行われた。
 そして今日(12日)、芸術の森野外ステージで13時から「PMF2015 オープニング・コンサート」が催されたのだ。

          

 昨日のプレコンサートは、出演者のほとんどがPMFにおいて若手音楽家の指導に当たる指導陣たちだった。ウィーンオーケストラの弦楽家たち、ベルリンオーケストラの吹奏楽家たち、と豪華な顔ぶれだった。
 その中で特に私の印象に残ったのは次の二人だった。

 一人はウィーンフィルから来たヴァイオリンのライナー・キュッヒルである。キュッヒルはウィーンフィルのコンサートマスターでありながら毎年のようにPMFで指導している。いつも苦虫を噛んだような渋面をみせているが、その繊細な指捌きはまさに芸術的である。彼の渋面と繊細な指捌きを見るのがこの数年の恒例となっている。

                

 もう一人はベルリンフィルから今年初めてやってきたホルンのサラ・ウィルスである。非常にフレンドリーな印象で、11日のプレコンサートでは振袖を着て、生徒たちは袴姿とサービス精神満点の笑顔が印象的だった。ホルンの重厚な低音も素晴らしかった。

                

 その他の演奏家たちもいずれも垂涎の的のような方たちばかりだった。
 そうした方の演奏を11日、12日と連続して聴けた僥倖の二日間だった。
 さらに12日は、今年のアカデミー生によるフルオーケストラの演奏も聴くことができた。世界各地から集まってまだ日が浅いにもかかわらず、それぞれがプロに近い実力の持ち主たちだから、指導陣の指導を得てしっかりとまとまった演奏を聴かせてくれた。

 私自身の記憶のために、二日間のプログラムを記しておくことにする。

【PMF大通公園コンサート 7月11日(土)】
 ◇デュカス:「ラ・ペリ」のファンファーレ
       PMFベルリン PMFオーケストラ・ブラス・メンバー(サラ・ウイルス他5名)
 ◇ハイドン:弦楽四重奏曲 変ホ長調 作品9-2
       PMFウィーン(ライナー・キユッヒル他3名)
 ◇モーツァルト(ヴェント編曲):「魔笛」から抜粋によるフルートとオーボエのための二重奏曲
       PMFベルリン(アンドレアス・ブラウ & アルブレヒト・マイヤー)
 ◇ラヴェル(ジョーンズ編曲):『クープランの墓』から「リゴードン」
  マランド(シュマイザー編曲):オレ・グアッパ
  ロドリゲス(シュマイザー編曲):ラ・クンパルシータ
       PMFベルリン(アンドレアス・ブラウ他4名)

          

【PMF2015 オープニング・コンサート 7月12日(日)】
 ◇ドヴォルザーク:弦楽五重奏曲 第2番 ト長調 作品77 第1楽章 第4楽章
       PMFウィーン(ライナー・キュッヒル他4名)
 ◇デュカス:「ラ・ペリ」のファンファーレ 他4曲
       PMFベルリン(アンドレアス・ブラウ他6名)
 ◇バーンスタイン:「キャンディード」序曲
  J・ウィリアムズ:『スター・ウォーズ エピソード4』から 「メイン・タイトル」「王座の間/エンド・タイトル」
       久保田昌一(指揮) PMFオーケストラ

          

 PMF2015は始まったばかり、これからも数々のプログラムが続く。8月1日の「PMF GARAコンサート」をはじめ、できるだけ参加し、楽しみたいと思っている。




《ウォーキング覚書》   7月1日 ~ 7月10日までの記録

 はっと気が付いたら、覚書を記す10日を2日も過ぎていた。あわてて7/1~7/10までの記録を記すことにする。

〔月 / 日〕  〔ウォーク歩数〕   〔 備  考 〕
 7/ 1    11,005    自宅~豊平公園~あやめ野小
 7/ 2    10,131    北大往復
 7/ 3     9,725    ススキノ往復       
 7/ 4    11,923    自宅~北大~桑園~自宅
 7/ 5    10,747    動物園コース          
 7/ 6    16,923    北大校内散策
 7/ 7    11,831    空見撮影(ススキノ他)
 7/ 8    17,485    朝ボラ、市民ホール往復       
 7/ 9     9,176    ライフォート~ススキノ~自宅
 7/10    13,747    駅~自宅 競馬場コース      

 ◇10日間の総歩数 122,693歩  ◇10日間の一日平均歩数 12,269歩

 この10日間は特にイベント的なものはなく、一万歩を確保することをかなり意識した10日間でもあった。
 北根室の後遺症だろうか?膝の調子が今一つなのも気懸りである。膝さえ気にならなくなれば、坂口氏に刺激を受けたこともあり近郊登山に出かけるタイミングをうかがっているのだが…。
 暑い夏がやってきた!汗をいっぱいかきながらのウォークに、登山に精を出しましょうか…。