田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

遂に完全制覇! 札幌市のパークゴルフ場めぐり〈64〉月寒公園コース &〈65〉エルムの森公園コース 

2022-10-11 16:58:05 | 札幌市のパークゴルフ場巡り

 遂に札幌市内の全パークゴルフ場65コースの全てを体験するという企てを達成することができた!大して意味があるとも思えない企てではあったが、自ら企画したことをやり遂げることができたことに満足している自分がいる。

月寒公園コース

   

   ※ 月寒公園コースのAコース全体を遠望したところです。

 実は月寒コースはこの企画を始めた早い時期に訪れてプレイしようとしたことがあった。ところがその日が生憎の定休日とぶつかってしまったためにプレイを断念したという経緯があり、この企画の最終日に訪れることになってしまった。   

 月寒公園は二つの野球場やテニスコート、ボート池などたくさんの施設を有する総合公園で、駐車場も二か所にある。公園のパークゴルフ場は高台野球場の隣にあり、駐車場も野球場と共用しているようだった。

   

   ※ 高台野球場と共用の駐車場です。

   

   ※ 球場脇を通ってパークゴルフ場に向かう通路は緑がいっぱいで気持ちの良い通路でした。

   

   ※ パークゴルフ場と公園通路の境にはご覧のように金網で仕切られていました。(その内側にもネットが)

 駐車場から少し歩いてパークゴルフ場の管理事務所でプレイ料金を納めて、早速プレイを開始した。パークゴルフ場は18ホールを有していたが、コース全体は金網で囲われていてこじんまりまとまった印象だった。プレイをしている人もそれほど目立つほどではなかったので、写真を撮りながらでもゆっくりと楽しめた。

   

   ※ コース案内図です。私は濃い緑色のAコースからプレイを開始しました。

   

   ※ 芝の状態は万全ではなかったですが、フェアウェイとラフがしっかりと区切られていました。

   

   ※ ホール周りも芝もしっかりと短く刈られていました。

   

   ※ ドッグレッグするフェアウェイも短く芝が刈られていました。

   

   ※ 月寒公園コースの特徴は、いたるところにバンカーが設けられていたことです。

 コースの印象としては有料コースらしくよく管理されていて、芝もきれいに刈られていた。私にとっては、今後パークゴルフを楽しむこともなくなるかなぁ、という思いを抱きながら成績などは気にせずに、ゆったりと楽しんだコースだった。

   

   ※  コース内の木の幹に括り付けられていたのは虫か何かのトラップ装置のようです。

   

   ※ コース上空を見上げると、ナナカマドが紅葉し始めていました。

月寒公園コース概要等》

〔住      所〕豊平区美園12条8丁目

〔コース概要〕・18ホール、パー66 総延長約697m

〔休      日〕月曜日

〔利用時間〕 9:00~17:00

〔駐車場〕有(116台)

〔プレイ料金〕(18ホール)・一般300円・小中生150円・65歳以上210円(回数券有)

〔ティーの用意〕有

〔問い合わせ〕月寒パークゴルフ場 ☎813-1362

〔訪問日&私の成績〕22/10/06  Aコース 29/33   Bコース 30/33

 

エルムの森公園コース

   

   ※ 写真の置く方向に1~3番ホールがありました。

 「月寒公園コース」でのプレイを終え、続いて「エルムの森公園コ―ス」に向かった。月寒公園が豊平区にあるのに対して、エルムの森公園は北区のそれも北26条だから、まったく札幌市の対極に位置している。距離にすると10数キロメートルあったのではないだろうか。移動中に雨が降り出した。「えっ!最後の最後に雨かぁ…」と嘆いたが、天気に逆らうことはできない。車を運転しながら「止めて他日にしようか?」と考えたが、思い直し「プレイしなくても、コースを歩いてコース状況を把握すれば良いのでは」とそのままコースに向かった。

 「エルムの森公園コ―ス」は住宅街の中にある比較的こじんまりとした公園だった。駐車場はないが、公園内の路上に駐車が許されているようだった。コースを見ると雨にもかかわらずプレイを楽しんでいる人たちがいた。私はクラブを持たず、雨傘をさしてコースに向かった。ところがいくら探しても1番ホールを見つけることができなかった。そこで雨中にプレイしていた婦人たちに「1番ホールはどこですか?」と尋ねたところ、なんと私が探していたところとはまったく反対方向の道路を隔てた遠いところに1~3番コースはあった。

   

   ※ 公園内を走る道路の向こうに4~9番ホールがあります。

   

   ※ 1番ホールのスタート地点にある東屋です。(休憩&談笑スペース?)

   

   ※ コ―ス案内図ですが、下方の端に1~3番コース、道路を隔てたところに4~9番コースがあります。

 私は1番ホールから順にコース上を傘を差し、歩いてコースを巡った。コースの状況は無料コースにありがちな整備が行き届いていない、やや荒れたコースだった。それでも雨中にプレイをする人がいるくらい、近くには適当なコースがないせいかもしれない。

   

   ※ 1番ティーです。

   

   ※ ここは2番ホールのコースですが、片斜面の難しいコースです。芝が剥げていますね。

   

   ※ ここは3番ホールですが、どこがフェアウエイか分からないくらいです。

   

   ※ ホール周りも写真のように荒れていて、かなり難しそうなホールです。

   

   ※ こちらは道路を跨いだ4番ティーから望んだところです。                       

   

   ※ 雨にもかかわらずプレイをしている人たちがいました。

結局、最後の最後となった65コース目はプレイせずに「札幌市のパークゴルフ場めぐり」を終えることとなったが、これもまた思い出に残る終わり方だったと自分を納得させることにした。明日は全コースを制覇した跡を振り返ってみることにしたい。 

エルムの森公園コース概要等》

〔住      所〕北区北26条西13丁目

〔コース概要〕・9ホール、パー33 総延長約276m

〔休      日〕 水曜日

〔利用時間〕 9:00~17:00

〔駐車場〕無

〔プレイ料金〕無料

〔ティーの用意〕無

〔問い合わせ〕北区土木部 ☎771-4211

〔訪問日&私の成績〕22/10/06   ※降雨のためプレイ中止


イメージが変わった!?北海道交響楽団

2022-10-10 19:48:48 | ステージ & エンターテイメント

 えっ?北海道交響楽団ってこんなに聴きやすかったっけ??同響の定期演奏会を聴くのは確か3度目だと思うが、これまでのイメージが覆るほど今回の定期演奏会は心地良く聴くことができた演奏会だった。

        

 本日午後、札幌コンサートホールKitaraにおいて「川越守記念 北海道交響楽団」の第93回演奏会を鑑賞した。

   

 北海道交響楽団はプログラムでも誇らしく謳っているように北海道最大級のアマチュアオーケストラである。オーケストラ名の冠に「川越守記念」と付けられているが、1980年に北大交響楽団の指揮者だった川越守氏を中心に設立され、川越氏の指導・指揮のもと活動を続けてきたオーケストラである。しかし、2016年に川越氏が逝去されたことから、川越氏の功績を讃えて名称を改めたという。   

 私は前述したように過去に何度か北海道交響楽団の演奏会を聴いたことがあったが、正直に吐露して「やっぱりアマチュアの演奏かなぁ」という思いを抱いていた。ところが!…。本日の演奏曲目は次のとおりだった。

  ◆アイヴズ/室内アンサンブルのための「答えのない質問」

  ◆シューベルト/交響曲第7番 ロ短調D759

       1.Allegro moderato

       2.Andante con moto

  ◆ベートーヴェン/交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」

       1.Allegro con brio

       2.Marcia funebre (葬送行進曲):Adagio assai

       3.Scherzo. Allegro molto

《アンコール》

  ◆ブラームス/交響曲第3番より第3楽章

以上だった。一つひとつの曲の演奏について評する力量は私にはない。ただ、二人の著名な作曲家の交響曲に取り組んだという意欲的姿勢は高く評価されるのではないだろうか。

  

   ※ 演奏中の写真はもちろんNGです。写真はウェブ上から拝借しました。

 そのことより先に、最初に演奏したアイヴズという作曲家はアメリカの前衛作曲家だという。その音楽は既成のクラシックのイメージを覆すような曲想で作曲された曲といえるものだった。弦楽器が低く静かな短い音の重なりをずーっと続ける中、時折り管楽器がソロで、あるいはカルテットで入ってくるといった曲だった。私は弦楽器の低く静かな音の重なりにことのほか感動した。ただ、トランペットのソロの最初の音がやや乱れたように聴こえた。私はそれすらもあるいはアイヴズの狙いなのではないかと思ったが、一緒に聴いた友人たちと感想を述べあったところ、やはり「ちょっとミスったのでは?」という結論となった。しかし、私はこの一曲で道響(北海道交響楽団)のこれまでのイメージを変えることができた。

 その後のシューベルトの交響曲第7番も、ベートーヴェンの交響曲第3番も、これまで私が抱いていた道響のイメージを良い意味で覆してくれる演奏だった。団員70名が集う道内最大級のアマチュアオーケストラは、その規模だけではなく、実力においても道内アマチュアオーケストラの最高峰に位置付けられるオーケストラではないだろうかという思いを強くした定期演奏会だった。


札幌市のパークゴルフ場めぐり〈62〉川下公園コース &〈63〉さっぽろ大地公園コース

2022-10-09 19:03:23 | 札幌市のパークゴルフ場巡り

 「川下公園コ―ス」は有料コース、対する「さっぽろ大地公園コース」は無料コースだったが、どちらも整備が行き届いており楽しくプレイすることが出来た。

「札幌市のパークゴルフ場めぐり」は、札幌市建設局みどりの推進部が所轄する市内65のパークゴルフコースの全てプレイをしながら巡ってみようとする試みである。〈 〉内の数字は現在までに巡り歩いた数である。 

川下公園コース   

 川下公園は世界のライラックを栽培し、公開している公園として有名であり、私も春の満開時に何度か訪れていたが、その公園内に造成されているパークゴルフ場を訪れるのは初めてだった。

   

   ※ 川下公園コースのスタート&ゴ―ル地点にある管理事務所です。

   

   ※ コース案内図ですが、前半9ホールは公園の外縁部に沿って、そして後半は公園内部の方に造られていました。

 パークゴルフ場は川下公園の白石区の総合公園として「ライラックの森」をはじめ、野球場や温水プールなどさまざまな施設が揃った公園であるが、パークゴルフ場は「芝生広場」という多目的運動広場の一角に造成されたコースだった。

 プレイ料金を納入し、さっそくプレイを始めたが他にプレイを楽しんでいる人は見当たらなかった。というのも、他のパークゴルフ場のように全体を見渡せるところはなく、全体が木々に包まれているため、目前のコースしか目に入らないこともあり、他の人たちが目に入らなかったのかもしれない。

   

   ※ 前半のライラックコースは写真のような林に囲まれたコースが大半でした。

   

   ※ 芝は良く管理されていて気持ちの良いコースでした。

   

   ※ 秋らしく枯葉が落ちていますが、フェアウェイは芝が短く刈りこまれていました。

 ライラックコースは公園の外縁をなぞるように、そしてローズコースは少し公園の内側に入った形で造成されていた。コースはよく整備はされていて気持ち良くプレイすることができた。このコースで親切だな、と思ったのは先が見通せないホールが多かったのだが、ドッグレッグしているコースはティーグランドのところにコース概要が図示されていたことだ。そこにはティーから何メートルの地点から曲がっているのかが示されていてプレイする際の参考になった。

   

   ※ 後半のロースコースは前半と比べて林がやや開けたコースとなっていました。

   

   ※ 写真手前はコースではありませんね。連絡路でで、その前にティーマットがあります。

   

   ※ ドッグレッグするコースでは写真のようにコースの外観を案内する表示がありました。

 ところが私はこの日はすでに36ホールをプレイしていたこともあった疲れもあったのだろうか?せっかくの整備されたコースにも関わらず両方のコース共にオーバーパーであがるという情けない成績だった。

 それにしても整備された有料コースでもプレイする人が少ないのはどうしてなのだろうか?

川下公園コース概要等》

〔住      所〕白石区川下2651番地3外

〔コース概要〕・18ホール、パー66 総延長約786m

〔休      日〕月曜日

〔利用時間〕 8:00~18:00

〔駐車場〕有(263台)

〔プレイ料金〕(18ホール)・一般300円・小中生150円・65歳以上210円(回数券有)

〔ティーの用意〕有

〔問い合わせ〕川下公園管理事務所 ☎879-5311

〔訪問日&私の成績〕22/09/22  ライラックコース 35/33   ローズコース 35/33

 

さっぽろ大地公園コース

「さっぽろ大地公園」とは少しオーバーなネーミングように聞こえるが、場所は比較的札幌中心部に近い札幌コンベンションセンターの横に造成されている公園である。公園自体はさほど大きな公園ではなく、子ども向けの遊具が配された広場以外はパークゴルフコースが公園の大半を占めている印象だった。

   

   ※ スタート&ゴール地点にある休憩&談笑スペースです。

   

   ※ 休憩&談笑スペースの傍にコース案内図が掲示されていました。

 市街地に近く、周りにパークゴルフ場がないためだろうか、プレイしている人がけっこう目立った。

 プレイしている人たちが空いたところを見たさっそくプレイを始めた。けっして平らではない公園の形状をそのままにコースが造成されているためけっして優しいコースではなかったが、芝の状態が無料のコースとしてはかなり良い状態だった。

   

   ※ アップコースですが、芝の状態は無料コースとしては合格ラインの状態でした。

   

   ※ 中にはティー付近の芝が写真のように剥がれているところもありましたが…。

   

   ※ ホール周りも写真のようにきれてに刈り込まれていました。

   

   ※ 私の前をプレイする4人組の方々です。

 1人でプレイすることはけっこうプレッシャーを感ずることが多い。というのも、ほとんどの方たちはグループを組んでいる場合が多い。そうした中、一人でコースを占有することがプレッシャーとなる。まして私は地元ではなくよそ者である。この日、前のグループが4人だったので前が詰まり気味となり、私の後をプレイする人を待たせる形となり気味だった。気にする私に「ゆっくりやってください」と声を掛けられてホッとしながらプレイをすることができた。

さっぽろ大地公園コース概要等》

〔住      所〕白石区東札幌6条1丁目コンベンションセンター横

〔コース概要〕・9ホール、パー33 総延長約403m

〔休      日〕木曜日

〔利用時間〕 7:00~18:00

〔駐車場〕無

〔プレイ料金〕無料

〔ティーの用意〕無

〔問い合わせ〕白石区土木部 ☎864-8125

〔訪問日&私の成績〕22/09/22  29/33


北区歴史と文化の八十八選巡り №14

2022-10-08 16:51:04 | 札幌市・北区歴史と文化の八十八選巡り

 屯田地区最後の最後の5件は、江南神社境内にある3つの歴史的な遺構と、2つの名馬を祀る石碑である。江南神社は「屯田開拓顕彰広場」から道路一つ隔てたところに位置していた。また、馬の碑は個人宅の敷地にあったために探すために少々苦労した。

   

   ※ 江南神社の鳥居です。「江南」という名称については後述しています。

56〉篠路兵村「移住記念碑」

 「篠路兵村『移住記念碑』」などがある江南神社の鳥居を潜ると直ぐに「望郷のアカマツ」(後述する)が立っているが、そこを通り過ぎ参道を進むと社殿前の右側に2つの石碑が建っている。その2つのなかで小さな自然石を使っているのが「篠路兵村『移住記念碑』」である。

   

   ※ 移住記念碑の正面ですが、逆光になって文字が良く見えません。

 移住7年後に早くも記念碑を建てたということは、おそらく困難だった開墾に一応の目途が付き、永住の覚悟ができたことから移住者たちの意志が固まったことで記念碑建立を思い立ったものと私は考えたのだが…。

   

   ※ こちらが「移住記念碑」の裏側です。

 その石碑について下のような説明がなされていた。

 篠路兵村(現在屯田)に屯田第一大隊第四中隊として200戸の屯田兵が入植したのは、明治22(1889)年7月15日。家族も含めると1,056人の集団入植だった。士族屯田としては最終の入地で、出身は徳島県から29戸、和歌山県から37戸、山口県から44戸、福岡県から13戸、熊本県から45戸、福井県から20戸、石川県から32戸であった。この 記念碑は入植して7年後の明治29(1896)年に建立された。               

   〔住 所〕 北区屯田7条6丁目江南神社境内

   〔訪問日〕 10月3日

57〉屯田開基九十周年記念顕彰碑

 上記の「篠路兵村『移住記念碑』」の左隣りに建っているのが「屯田開基九十周年記念顕彰碑」である。「篠路兵村『移住記念碑』」に比べると、はるかに大きく立派な石碑である。移住地は一大水田地帯として発展して、移住者たちにも余裕が生まれたことで立派な顕彰碑が立てられたものと想像することができる。

   

   ※ 九十周年記念顕彰碑は大きく立派なものが建てられていました。

 傍に立てられた説明板には次のように説明されていた。

   

   ※ 同じく九十周年記念顕彰碑の裏側です。

 建立され明治22(1889)年7月15  日に220戸の屯田兵が入植以来、数度の水害や冷害凶作などで、明治42(1909)年には70戸あまりの小集落になった。しかし、たび重なる自然の猛威を乗り越えて一大水田地帯となり、昭和40年代に入って住宅地として発展してきた。この碑は、昭和53(1978)年の開基90周年を記念して建立された。正面の短歌は吹田晋平の作である。

 その吹田氏の短歌であるが、農民歌人として名を上げた人であるが、本名を菅進といい、新琴似屯田兵の二代目だったそうだ。氏は当地が昭和33年に札幌市と合併して以来、永年市会議員として屯田町の発展に尽くしたという。碑に刻まれている短歌は下記のような内容である。なお、碑への揮毫は当時の北海道知事だった堂垣内尚弘氏によるものだという。                    

開基九十周年記念顕彰碑

神をうやまい 祖をとうとびて 九十年 にい宮はなる 江南のさとに  晋平

北海道知事 堂垣内直弘 書

  〔住 所〕 北区屯田7条6丁目江南神社境内

  〔訪問日〕 10月3日   

〈58〉望郷のアカマツ

   

   ※ 「望郷のアカマツ」を正面から見たものです。

 江南神社の鳥居を潜ると直ぐに左側にかなり幹が曲がって立つ松が目に入る。これが「望郷のアカマツ」と呼ばれている松である。苗を移植以来130年近く経ち、衰えも目立つようだ。松の支えや、幹を保護する措置が目立ち、痛々しい姿であるが地域の人たちにとっては先祖を偲ぶ貴重な松であることが伝わってきた。その松の傍には下記のように説明する説明板が立っていた。

   

   ※ 少し角度を変えてみると、老化のため痛々しい姿が目に入ります。

   

   ※ アカマツの幹は写真のように保護膜でグルグル巻きにされていました。

 明治27(1894)年の春、屯田本部は屯田兵が故郷をしのぶよすがにと、屯田兵220戸にアカマツの苗木各2本、水松(オンコ)の苗木各1本を「望郷の松」と銘打って無償で配布した。屯田兵の定着率を少しでも高めるための思いやりであるが、屯田兵は喜んで兵屋の前庭に植えた。現在(平成3年)、屯田にはこの「望郷の松」を含め4本残っている。

   〔住 所〕 北区屯田7条6丁目江南神社境内

   〔訪問日〕 10月3日

※ なお、当地は以前は「篠路村」、以後は「屯田」と称されている地域の神社名が「江南」という呼称に違和感を感じて調べてみた。すると次のような記述に出会った。「創建当時、石狩川の南側に位置することから川(江)の南ということで江南という地名が生まれ、江南神社になったと言われています」う~ん。納得です。

 

〈59〉馬霊神蕾驊(らいか)号の碑

   

 この馬霊神を探すのに下記の住所まで車のナビに導かれて進んだが、実際の設置個所は分からない。たまたま近くにいた住民の方に「この辺りに昔から住まわれている服部さんのお宅は知りませんか?」と尋ねたところ、「あゝ、地主さんの家ですね」と話され直ぐにその家を教えてもらうことができた。そのお宅の近くまで行くと、敷地の中で道路の方に面してその馬霊神の碑が建っていた。想像していたよりは小さな碑だったが、歴史を感じさせるものだった。その碑の村の傍には次のような説明が記されていた。

   

   ※ 札幌軟石製の碑です。

馬霊神蕾驊号の碑

蕾驊号は、ペルシュロン系の種牡馬で、農林省種畜場(真駒内)から馬産改良のため、篠路兵村(現在の屯田)に貸し下げになった名馬で、この種牡場により屯田はもとより、江別、石狩町生振、新川、篠路、など石狩地方の広大な地域の馬産改良に大きな成果をあげた。この馬を飼養していた服部政雄氏がその功績を讃えて明治42年(1909年)に建立したものである。札幌軟石造りで、三段積み台石の上に高さ80センチメートル、幅30センチメートルの棹石を建てている。

  〔住 所〕 北区屯田7条2丁目服部氏邸内

  〔訪問日〕 10月3日       

〈60〉馬霊第七王驊(おうか)号之碑

   

 こちらの碑を探すのにもかなり苦労した。上記の服部邸と同じように石川邸そのものは付近の住民方に教えられ直ぐに分かった。しかし、広壮な石川邸の周りを探してもそれらしきものは見つからなかった。そこで恐れながらも敷地内の広大な庭を覗かせていただいた。すると、本宅ではなく同じ敷地内に住まわれている子息の方らしい人から「何か用事があるのか?」と問い質されたので「王驊号の碑を探しています。一枚写真を撮りたいので」と話をすると、直ぐに教えていただいた。そこは教えていただいたところからかなり遠い所だった。苦労して探した碑も蕾驊号の碑と同じような形態をした碑だった。そこにはやはり下のような説明が書かれていた。

   

   ※ こらちも同じように札幌軟石製品で、大きさもほぼ似通っていました。

馬霊第七王驊号之碑

昭和26(1951)年に生まれたペルシュロン種の牡馬で、昭和28年、釧路市で開かれた全道共進会で、一等賞、最優秀賞を獲得。また、石狩管内二歳馬三歳馬共進会でも一等賞に輝いた名馬で、篠路ペルシュロンの名を上げた。昭和35年子馬を生んだあと死んだ。その子馬も母馬のあとを追うように死んだという。石川茂氏が愛馬の死をいたんで昭和37年に建立した。札幌軟石造りで、二段積み台石の上に高さ70センチメートル、幅30センチメートルの棹石で建てている。

  〔住 所〕 北区屯田7条1丁目石川氏邸内

  〔訪問日〕 10月3日 


北区歴史と文化の八十八選巡り №13

2022-10-07 15:49:17 | 札幌市・北区歴史と文化の八十八選巡り

 今回は屯田地区の中に設けられた「屯田開拓顕彰広場」内に建立されている「北区歴史と文化の八十八選」に選定されている五つの碑についてレポートすることにする。いずれもが地域の歴史を語る貴重な石碑であるが、建立年が違うこれらの碑がどのような経緯でこの広場に集められたのかは私の調べでは分からなかった。

   

   

51〉「屯田兵第一大隊第四中隊本部跡」の碑 

 「屯田開拓顕彰広場」の前面に大きな標柱が立っているが、これが「『屯田兵第一大隊第四中隊本部跡』の碑」である。この碑に関しては次の文章に参照いただきたい。

       

       

 屯田はかって篠路兵村といわれ、兵籍は屯田第一大隊団四中隊にあった。この碑の建立地には第四中隊本部が建ち、北側一円一万坪(3.3ヘクタール)が練兵場となっていた。屯田開基百年記念事業協賛会が昭和63(1988)年の入植百年を機に、中隊本部の建っていた地点を明確にしておくために建立した。                             

   〔住 所〕 北区屯田7条7丁目屯田開拓顕彰広場

   〔訪問日〕 10月3日

52〉篠路兵村「開拓碑」

 この碑は「屯田開拓顕彰広場」の奥の方に三本の石碑が並んで建っているいるが、その真ん中にあるのがこの「篠路兵村『開拓碑』」である。碑文はほとんど読むことができないが、当時の北大総長の佐藤昌介氏が詠んだ漢詩だという。裏面にはびっしりと人名が刻まれていたが、それも判読が難しくかろうじて上面に刻まれた「移住富時戸主人名」という文字が判読することができた。この開拓碑について北区役所が次のように説明している。

        

        

 この碑は、屯田地区の開基40年を記念して昭和3(1928)年に建立された。約500字に及ぶ漢詩調の碑文は、当時の北大総長であった佐藤昌介が寄稿したものである。玉石五段積み、この上に自然石を乗せ、高さ1.8メートルの台座に、高さ2.8メートル、幅90センチメートルの仙台石の棹石としている。

    〔住 所〕 北区屯田7条7丁目屯田開拓顕彰広場        

    〔訪問日〕  10月3日

〈53〉水田開発記念碑

 この「水田開拓記念碑」は、「篠路兵村『開拓碑』」と並び、その左側に建てられていた。

 屯田地区が入植当時は石狩川の氾濫や畑作の凶作が続いたことから、潅漑溝を造って一大水田地帯としたことについては№12でも触れたが、この地区を水田地帯へと転作したことに住民たちは大きな誇りを抱き、記念碑を建立したものと想像される。近くにあった説明板には次のように記されていた。

    

         

 屯田地区は、当初畑作主体の農業であったが、農業経済が成り立たず、これを立て直すために稲作を目指した。兵村の公有財産を売却して資金を作り、篠路兵村土功組合を大正2(1913)年に創設して、新川や創成川から水利をはかって約670ヘクタールの美田を造成した。多収穫のための研究団体を設立して札幌一の水田単作地帯となった。この碑は、土功組合が創設されてから45年後の昭和33(1958)年に建立された。                      

    〔住 所〕 北区屯田7条7丁目屯田開拓顕彰広場 

    〔訪問日〕 10月3日

〈54〉屯田兵顕彰の像

 「屯田開拓顕彰広場」の中でひときわ大きく、もっとも目立っているのがこの「屯田兵顕彰像」である。台座の中央には遠い空を指さした屯田兵の立像が置かれている。

   

   

 傍にある説明板には次のように説明が記されていた。

 屯田地区が屯田兵の開拓によって始まり発展したことから、この功績を讃えて建立されたものである。屯田兵のブロンズ像は、時の指導者であった中隊長渥味直茂大尉である。屯田開基百年記念事業の一環として昭和63(1988)年に建立された。

    〔住 所〕 北区屯田7条7丁目屯田開拓顕彰広場 

    〔訪問日〕 10月3日    

 〈55〉馬魂之像

 「屯田開拓顕彰広場」の中で正面から見て左端にブロンズ製の馬の立体像が建っている。これが「馬魂之像」である。札幌市内ばかりでなく、道内各地でも馬頭観音など馬を祀った碑は数多いが、これほど立派な馬の立像が見られるのは場産地の日高くらいではないだろうか?

   

   

 この碑の台座の側面に像を建立した思いが記されていた。その碑文を転写する。

 開拓の礎は明治二十二年、石狩平野の一望荒漠たる未開の原野に屯田兵が開拓の鍬を入れて始まり茲に風雪百年の歳月を数える。人間が馬と一体となって開墾が行われ、その馬が唯一の原動力として駆使されて緑豊かなる沃土に変貌したことにより、屯田地区住民が今日の近代的且つ文化的生活の恩恵に浴することが出来た。このことに深く鑑みその多大なる馬の労役を讃えて、ここに馬魂之像を建立して永久に祀る。

                  昭和六十三年七月十五日 屯田開基百年記念協賛会 特別事業委員会

                              ( ※ 句読点、改行など手を加えました)

〔住 所〕 北区屯田7条7丁目屯田開拓顕彰広場 

〔訪問日〕 10月3日

 ※ なお、「屯田開拓顕彰広場」には、八十八選に選ばれた以上5つの碑以外に、さらに二つの石碑が立っている。それは「戦没者顕彰碑」「忠魂碑」の二つであるが、本レポの目的とは外れるので写真と説明は省略したい。


札幌市のパークゴルフ場めぐり〈61〉厚別山本公園コース

2022-10-06 16:33:40 | 札幌市のパークゴルフ場巡り

 厚別区の総合公園として造成中の一角にいち早くオープンした36ホールもの広大なパークゴルフ場とあって期待して訪れたのだが…。う~ん。有料コースとしては芝の状態も良くなく、ちょっと期待外れのコースだった。

「札幌市のパークゴルフ場めぐり」は、札幌市建設局みどりの推進部が所轄する市内65のパークゴルフコースの全てプレイをしながら巡ってみようとする試みである。〈 〉内の数字は現在までに巡り歩いた数である。 

 「厚別山本公園」は、札幌市内の各区に一つずつある総合公園として現在造成中である。(中央区だけは円山公園と中島公園の二つの総合公園がある)私は公園として「厚別山本公園」を見るために昨年6月末に一度訪れている。(その時の投稿はこちら⇒)その際パークゴルフ場はオープンしていたが、遠目から眺めるだけだった。

   

   ※ 厚別山本公園の全体図です。まだ造成工事中のところもあります。パークゴルフコースは右上の部分です。

 今回訪れた日は気持ち良く晴れ上がった日だったこともあり、広い駐車場はほぼ埋まっているほど多くの人が訪れていた。しかし、その方々は他の目的で訪れている人が多く、パークゴルフをプレイしている人はそれほど多くはなかった。

   

   ※ パークゴルフ場の管理事務所です。(受付棟と表示されていますね)

   

   ※ コース全体図です。私が訪れた日はCコースが整備のため閉鎖されていました。

   

   ※ 受付棟から各コースへは写真のように木道で導かれます。

 プレイ料金を払い、早速コースに出た。前述したようにプレイしている人がそれほど多くなかったこともありAコースから直ぐにプレイをすることができた。プレイを始めてみて「あれーっ、有料コースなのに芝がきれいじゃないなぁ」と思った。コース上に雑草が目立つのだ。コース造成時に芝生の種を蒔いたはずなのに、雑草を除去できなかったようだ。ホール周りもけっして褒められた状態ではなかった。私は18ホール分の料金を支払ったこともあり、18ホールをプレイしたのだが、 期待していただけに気落ちした気分となりプレイに集中することができず、成績的にもイマイチだった。

   

   ※ Aコースの一番です。(右側)芝の様子を見て嫌―な予感がしました。

   

   ※ 有料コースではフェアウェイとラフが刈り分けられているのですが…。判然としません。

   

   ※ 芝の生育状況が良くないのかな?

   

   ※ 全てのホール周りがこのように酷いわけではなかったのですが…。

 プレイ料金を徴収しているのに芝の状態が悪いとあっては、けっこう市街地から離れているこのコースに来てプレイしようとする人はそれほど多くないだろうなぁ、というのが偽らざる私の感想である。

厚別山本公園コース概要等》

〔住      所〕厚別区厚別町山本1065番地1

〔コース概要〕・36ホール、パー132 総延長約1,574m

〔休      日〕無(但し、曜日によって閉鎖するコース有)

〔利用時間〕 8:00~17:00(季節によって変動あり)

〔駐車場〕有(164台)

〔プレイ料金〕(18ホール)・一般300円・小中学生150円・65歳以上210円、他に回数券、一日券あり

〔ティーの用意〕有

〔問い合わせ〕厚別山本公園パークゴルフ場受付棟 ☎802-5152

〔訪問日&私の成績〕22/09/22  Aコース 31/33   Bコース 30/33

 

※ 本日とうとう札幌市内のパークゴルフ場全65コースを制覇することが出来た!そのレポはまだしばらく先になりそうだが、ともかく所期の目的を達成できたことを素直に喜びたい。ホッとした思いである。  


ノーマライゼーション社会を目ざして

2022-10-05 16:44:45 | ステージ & エンターテイメント

 ノーマライゼーション…、それは「障がい者を特別視するのではなく、障がいのない人と同じように社会で暮らしていけるようにしよう」という考え方である。そのような社会を目ざす取り組みの一つとなるイベントに参加した。

          

 少し時間は経ったが10月1日(土)午後、北翔大学円山キャンパスにおいて、NPO法人三角山と北翔大学が主催する「いっしょにね!文化祭」が開催された。

 「いっしょにね!文化祭」とは、副題に「障がいのあるひと ないひと いっしょに楽しむ発表会」と題して、その傍に「ダンス、歌、バンド演奏などのステージ発表、絵画、工芸品などの作品展示など日々の研鑽の成果を発表しあう場」と説明されていた。

   

 私は主としてステージ発表を見続けた。ステージ発表は13の個人、団体が出場し、12時から15時30分過ぎまで発表が続くという長丁場だった。

 発表した個人、グループをステージ名と発表内容を順に記すと…、

 ① タートルズ(医療法人老蘇会)  バンド演奏

 ② ムーチョ(生活介護事業所)  楽器演奏【映像出演】

   

    ※ ムーチョのみんなは映像に撮っての演奏だった。   

 ③ 吉田重子(盲人)    朗読   

 ④ ユニバーサルカフェminna    音楽演奏【遠隔出演】

 ⑤ ぽっかぽっか ‘s   トランペットピアノの演奏

 ⑥ モリンかわっぱ    馬頭琴とギターの弾き語り

   

   ※ ギターの弾き語りの方はプロとしても活動中、と伺った。

 ⑦ あいのさとアクターズ(知的障がい者のグループ)  演劇

 ⑧ NPO法人 iCareほっかいどう チームALSと放課後ディばおばぶの子どもたち(ALS患者のユニット)  ハーティオルゴールを使った音楽演奏【映像出演】

 ⑨ 北翔大学 & ファッションマジック2022(北翔大学学生)  ユニバーサル・ファッションショー

 ⑩ こころや(NPO法人ライフ 生活介護施設)  演劇と音楽

 ⑪ 医療法人稲生会(医療的ケアが必要な患者と介助スタッフ) 劇、歌、事業所紹介【ハイブリット出演】

 ⑫ スマイルキッズ & 布上道代タップダンスクリエーション  障がい者のタップダンス

   

 ⑬ Na Hoa Hula Anela(障がいのある方、足・腰が弱っている方のフラダンスチーム)  フラダンス

   

とさまざまな障がいを抱えた方々が、さまざまなパフォーマンスを披露したステージ発表だった。

 発表された方のいつくかを紹介すると、③の「吉田重子さん」は盲人であるが、点字翻訳機を用いての朗読だったが、とてもスムーズに聞きやすい朗読だった。最近札幌市内で朗読会が数多く行われているが、そこに出演しても遜色ないものだった。

   

 ⑤の「ぽっかぽっか ‘s」は、トランペットピアノの演奏だったが、トランペットの鈴木由紀さんは長年トランペットを続けてきたそうだが、不慮の事故に遭い右手、左足が不自由となったが、残った右手一本で演奏活動を続けているそうだ。音楽的技量も人に聴いてもらえる技量を備えていると思えた。

   

 私が最も感動したのは⑩の「こころや」の演劇である。出演者のほとんどは知的障がい者ではないかと思われたが、彼らはナレーターを含めて全てを自分たちで演じていて、少数の介護所の職員が最小限の補助をするだけだった。ナレーターの方のナレーションは一生懸命に語っているのだが、正直に言って私には聞き取れなかった。しかし、ステージ背面にナレーションが表示されたので問題はなかった。他の出演者も自分が出来る範囲内で懸命に演じている姿が見ている者の心を打った。

   

 その他のステージも自ら持っている能力を精一杯発揮しようとしている姿が印象的だった。

 近年、東京パラリンピックが開催されたこともあり障がいを持つ方たちのパラスポーツが脚光を浴びている。これは障がいをもって生まれた人、事故などで障がい者になった方たちが残された機能をフルに発揮して競う姿が人々の共感を呼んでいるのだが、芸術分野とて同じことだと思う。障がいを負ったことをものともせずに懸命に一つの道を究めようとする姿は見ている者の胸を打つ。

   

   ※ ステージ最後は「世界で一つだけの花」を出演者たちと会場が一緒になって歌い上げた。

 私は正直に吐露して、まだまだ障がい者に対する理解が十分ではないと告白せざるを得ない。というのもこれまで私の周りでそうした方に出会うことが少なかったからだと思う。しかし、今回このイベントに参加して社会には実にさまざまな障がいを持った方がいることを再確認した。ノーマライゼーション社会を目ざして先導的に活動しているNPO法人三角山や北翔大学の取組みに注目するとともに、私自身も障がい者に対する眼差しこれまで以上深めたいと考えた。私自身が近い将来、高齢者というある種の障がい者の仲間入りをするのだから…。 

    

   ※ ステージの外では展示が行われていたが、残念ながら私はじっくりと見る時間がなかった。                   

 


北区歴史と文化の八十八選巡り №12

2022-10-04 18:01:40 | 札幌市・北区歴史と文化の八十八選巡り

 「屯田みずほ通り」は私が知るかぎり、札幌市内でも整備が行き届いた通りの一つといえる。また、「屯田の太陽」、「屯田郷土資料館」は、屯田地区の歴史を後世に伝える語り部の役割を担っているように思えた。

48〉屯田みずほ通り

   

    ※ 鬱蒼と茂った木々が通りを往く人たちの心を癒してくれるのでしょう>

 

 「屯田みずほ通り」は札幌市北区の屯田地区の中央を東から西へ真っすぐに貫いている遊歩道である。その長さ2.6kmの緑道は木々が生い茂り地域の人々にとっては格好の散策路となっているようである。

   

          ※ 往時の屯田地区の様子を表す稲作地帯の図です。

 私はこの散策路もこれまで何度か訪れているが、その度に素晴らしい環境だと地域住民を羨ましく感じている。というのも、いつ訪れても散策路に雑草などが目立たないことである。おそらく行政だけに頼ることなく、地域住民の方々が積極的に通りを護る維持・管理活動を行っているのではないかと想像しているのだが…。「屯田みずほ通り」について説明された文書を私なりに要約すると次のようになる。

   

   ※ 通り沿いには大小さまざまな公園がありました。写真はそのうちで最も大きな「屯田みずほ西公園」です。

   

    ※ 通りは散策路としてだけでなく、写真のようにサイクリングロートとしても楽しまれているようです。   

   

   ※ 通りには適度にこうしたバーコラやベンチも配されていました。

   

   ※ 通りに面して建っていた屯田中央中学校と傍に立つシダレヤナギの大木です。

 そもそもこの「屯田みずほ通り」は、大正5(1916)年、篠路兵村(昔の屯田地区の呼び名)は起死回生の復興策として造田事業に取り掛かり、新川と創成川を水源とする潅漑溝(潅漑用水路)を造った。このことによって屯田地区は一大稲作地帯に生まれ変わり、昭和50年代までは稲作が65年間続いたそうだ。水田はやがて宅地化が進んでなくなり、潅漑溝も役目を終えたのだが、その潅漑溝を昭和61(1986)年に緑道としたのが現在の「屯田みずほ通り」である。

 屯田地区は、もともと明治22(1889)年、四国、九州、北陸など各県の士族220家族の篠路屯田兵の入植が始まりである。入植した人たちは、たびたびの石狩川の氾濫や水害に悩まされ、畑も凶作等で苦労が続いたという。そうした中の起死回生策が、潅漑溝造成による稲作への大転換だった。

 「屯田みずほ通り」には、そうした先人の苦闘の歴史が刻まれているのである。ちなみに「みずほ=瑞穂」は、「みずみずしい稲の穂」という意味がある。                       

〔住 所〕 北区屯田5条1丁目~5条12丁目 

〔訪問日〕 10月3日

 

49〉屯田の太陽

   

   ※ 屯田地区センター前に立つ「屯田の太陽」モニュメントです。

 この「屯田の太陽」を探すのには少し苦労した。というのも、付近の住民の方に聞いてもその存在をご存じない方が多かったからだ。そこで「屯田地区センター」の庭で作業をしていた方にお聞きしたのだが、その方も「聞いたことがない」という。手がかりを失った私だが、そのお聞きしたかたが「待ってよ」といってセンターの庭にあるモニュメントを指さした。するとそこには銀色に光るモニュメントがあり、傍に「屯田の太陽」と記された看板も立っていた。モニュメントの傍には説明板があり、次のように説明されていた。

 ステンレスパイプで造形した母子像が、円形の太陽に捧げ持っているこのモニュメントは、明るい太陽に恵まれた屯田地区を象徴している。屯田開基百年記念事業協賛会が百年記念事業の一環として、昭和63(1989)年の屯田地区センター、屯田郷土資料館の落成を機に札幌市に寄贈したものである。

   

   

    ※ 北区制作の説明板とは別に、このような説明書きも立てられていました。

〔住 所〕 北区屯田5条6丁目屯田地区センター前庭

〔訪問日〕  10月3日   

 

〈50〉屯田郷土資料館

   

   ※ 「屯田地区センター」のエントランスです。

 「屯田資料館」は、「屯田地区センター」内に併設する形で建てられている。その「屯田地区センター」は「屯田みずほ通り」沿いに背を向ける形で建っていたので容易に見つけることができた。ただ、残念だったのは私が訪れた日が月曜日だったために閉館日とぶつかってしまい内部の見学ができなかったことだ。もっとも私は以前にここを訪れており、資料館内に復元されている「篠路屯田兵屋」を一度見ているのでそれでヨシとすることにした。「屯田資料館」について簡単に説明している文書に出会ったので、それを転写しておくことにする。

   

   ※ エントランスには芸術の秋らしく実物絵画(?)が置かれていました。

 現在、札幌市内で屯田兵の屯田が地名となって残っているのは、北区屯田といわれるこの地域だけです。そして屯田の地名は、篠路屯田兵村の名残といえます。屯田郷土資料館は、昭和63年10月に屯田兵による開拓100年の歴史を記念して開設されました。館内には、実物大の屯田兵の家屋が再現され、内部の土間やいろりなどによって、入植当時の屯田兵の生活をうかがい知ることができます。

   

   ※ 地区センターに併設されている「郷土資料館」のドアは閉館日の為に固く閉ざされていました。

〔住 所〕 北区屯田5条6丁目屯田地区センター内

〔訪問日〕 10月3日


北区歴史と文化の八十八選巡り №11

2022-10-03 19:23:11 | 札幌市・北区歴史と文化の八十八選巡り

※ 実に2ヵ月半ぶりの「北区歴史と文化の八十八選巡り」シリーズの再開である。このプロジェクトはまだ八十八選の半ばに差し掛かったばかりである。今年中の達成は難しそうだが、これから少し重点的に取り組もうかな、と思っているところである。

 屯田防風林は「日本の美しい歩きたくなるみち500選」にも選ばれている札幌市を代表するウォーキングコースの一つである。そして二つの記念碑は防風林に続く「屯田西公園」内に設置されていた。

45〉屯田防風林 

   

 「屯田防風林」は我が家からは10キロ以上離れているために、訪れた回数は多くはないが、訪れるたびに癒される散策路である。

   

   ※ 「屯田防風林」内にあった案内図ですが、ここには「ポプラ通」と表示されています。

 私が「屯田防風林」を初めて訪れたのは記録によると2008年5月となっている。(その時の記事はこちら⇒)それ以来、友人を案内したり、観察会に参加したりと、もう何度も訪れている。訪れるたびに思うのだが、散策路の路面が土のために足にはとても優しい散策路である。そして防風林全体も自然がそのまま残されたように保全されているのだ。一見人の手が入っていないように見えるが、実はその陰で危険防止の対策はしっかりと施されているに違いないはずなのだが、それが表に出ていないところが素晴らしいと思っている。防風林の片隅には、北区が制作した説明板があり、そこには次のよう説明されていた。

   

   ※ 防風林内で一か所だけこうした水場がありました。

   

   ※ これはかなり意図的に植樹したシラカバの木と思われます。

    

   ※ 防風林内の紅葉はまったく見られませんでしたが、オオウバユリは種子をたくさん付けていました。                            

この防風林は、大正時代に厳しい季節風から農作物を守るため大正時代に植えられたのが始まりである。泥炭地のために常緑樹は不向きとされ、熱心な話し合いの結果ヤチダモが最初に植えられたと言われているが、今は、ヤチダモの他にハルニレ、ナナカマド、シラカバ、エゾイタヤ、イチョウなど数多くの樹種で構成されている。開拓が進むにつれて防風林も拡張され、約8キロメートルの長さに及んでいる。現在、周辺は宅地化が進み、防風林は人々の憩いと安らぎの場へと変わってきている。

 この説明に中で不可解な部分が2か所ある。一つはその長さである。説明では8キロメートルとなっているが、私が歩いた感じではとてもそれほどの長さはないように思われる。事実地図で見てもせいぜい5~6キロと思われる。別の説明書では3キロという表示もあった。関係機関に尋ねてみようと思っている。

 もう一つ、説明板では防風林の樹種についてポプラの記述がない。ところが「屯田防風林」の別名が「ポプラ通り」とも称されている説明もある。今回訪れてみても、特に私が始点としたJR学園都市線に近い東側にはポプラの木が目立ったのだが…。

        

        ※ 防風林の東側ではこうしたポプラの木が非常に目立ちました。

   

   ※ ゴツゴツとした木の肌が特徴のポプラの木です。

 まあ、そのことは別にして、散策路そのものは素晴らしい。貴重な自然が残る場所としてこれからも長く人々の憩いと安らぎの場として在り続けてほしい。

    

  ※ 2008年に来た頃はなかったはずですが、こうした規制線が貼られているのも死後防止のためと思われます。                      

〔住 所〕 北区屯田1条2丁目~5条12丁目 

〔訪問日〕 10月3日

 

46〉植樹碑

   

この「植樹碑」を見つけるには少し苦労した。公園内で憩っていた人に尋ねても、その存在を知っている人になかなか出会わなかったのだ。何人かに伺ったとき「あれでは?」と言って教えてくれた方がいてようやく目的を達することができた。碑は公園の野球場の外側にひっそりと建っていた。その碑の傍に次のように書かれた説明板があった。

   

この碑は、昭和56(1981)年に「札幌すずらんライオンズクラブ」が公園内に約1,000本のサクラの木を植樹した記念に建立された。高さ70センチメートル、幅1.5メートルの日高産赤石が台座の上に置かれている。碑面の「逞しく育て」の文字は、板垣武四郎札幌市長の揮ごうによる。植えられたサクラは、毎年春になると美しい花を咲かせ、地域の人たちのお花見の名所になっている。

    

〔住 所〕 北区屯田4条10丁目屯田西公園内 

〔訪問日〕  10月3日   

 

〈47〉はたちのつどい記念塔

   

 「はたちのつどい記念碑」は、「植樹碑」と同じ屯田西公園内に建てられていたのだが、こちらは道路傍にあったことと、高さが4メートル近くもあって大きかったために直ぐに見つけることができた。

 その記念塔の傍にも次のように書かれた説明板があった。

   

「はたちのつどい」、これは新成人を契機にした新しい仲間づくりであり、自主的にレクリェーション活動やイベントの企画・実施をするサークル活動。若者の発想から生まれたアイデアを「はたちのつどい記念事業」として実現し、市民の方に大変喜ばれている。“新しい仲間をつくりたい”“何かおもしろいことはないかな”と考えているあなたが主役。この塔は「はたちのつどい記念事業」で昭和52(1977)年に建立。

   

この時の新成人は計算すると現在45歳になっている。彼らがこの塔を今見た時に何を感ずるのだろうか?それにしても今もこうしたことは継続されているのだろうか?

〔住 所〕 北区屯田4条10丁目屯田西公園内 

〔訪問日〕 10月3日


カラダの “ツボ” とこころの “ツボ”

2022-10-02 15:05:04 | 講演・講義・フォーラム等

 東洋医学の一つにあん摩・マッサージ・指圧がある。それらは、「揉む」、「さする」、「ツボを押す」と違いがあるが、いずれもカラダの “ツボ” を刺激することが大切だそうだ。さて、それではこころの “ツボ” とは?

 9月28日(水)午前、札幌市社会福祉総合センターにおいて今年度継続受講している「わたしの生き方セミナー」の第6回講座が開講され、受講した。

 今回のテーマは「免疫力アップ!~カラダのツボとこころのツボで自分を癒すマッサージ」と題して、レイス治療院札幌南の代表である大越孝郎氏が務められた。

   

 大越氏はまず健康寿命” を延ばすには西洋医学と東洋医学を融合した「統合医療の時代」となっているとした。その統合医療” の視点は①血流改善、②骨、③腸内細菌、④メンタルヘルス、四つの視点から考えていくことが大切と説いた。

   

 そして大越氏の専門であるあん摩・マッサージ・指圧は①の血流改善を促し “健康寿命” を伸ばすうえで欠かすことのできない視点であると強調された。

 さて、その “ツボ” であるが、ヒトには九つの “ツボ” があるそうだ。その九つとは…、

①百会(ひゃくえ)、②合谷(ごうこく)、③風池(ふうち)、④肩井(けんせい)、⑤志室(ししつ)、⑥承山(しょうざん)、⑦湧泉(ゆうせん)、⑧晴明(せいめい)、⑨関元(かんげん)の九つだという。体の “ツボ” について詳しい方は、体の “ツボ” は「そんなものじゃない、もっとたくさんあるよ」と言われると思う。確かに帰宅して調べてみると、ヒトの体中に ツボ” はあるようである。大越氏が紹介してくれたのは、その中の代表的な “ツボ” を紹介してくれたようである。それにしてもその名称は門外漢にはまるでチンプンカンプンである。中国語読みをそのまま移入したようである。一つ一つについての紹介は避けるが(ネットを検索すると直ぐにお分かりいただける)、実戦練習をさせていただいたところ、私にとっては②の合谷という親指と人差し指の間の付け根のところを「痛(いた)気持ち良い」ほど強く刺激するのが効果があるような気がした。どうやら指圧において「痛気持ち良い」がキーワードのようである。

          

 さて、“こころのツボ” である。大越氏は “健康寿命” を伸ばすには「脳を健康に保つ」ことが大切として、そのための10の方法を紹介された。つまり、“こころのツボ とは「脳を健康に保つ」こと、と大越氏は言いたいのだと理解した。その脳を健康に保つ10の方法とは?

① 脳のケアやメンテナンスをする。

② 心臓病、高血圧、糖尿病、脳卒中の予防に努める。(アルツハイマー型認知症予防)

③ 体重、血圧、コレステロール値、血糖値を推奨域に維持する。

④ 脂肪が少なく、抗酸化物質を多く含む食品を食べる。

⑤ 身体を動かす。

⑥ 心に刺激を与える。

⑦ 人との交流を図る。

⑧ 脳を保護する。(頭部の外傷に用心)

⑨ 習慣の見直し。(不健康な習慣、喫煙、過度な飲酒等)

⑩ 先々のことを考え、今日から始める。

こうして並べてみると、特別なことではない。といって、私が日頃励行しているというわけでもない。ただ、私はブログを通して「夢逢人かりそめ草紙」というブログを連続して拝見しているうちに多方面から “健康寿命” を伸ばす方法について学び続けている。そのことによって、私は絶えず “心のツボ” を刺激していただいていると思い、夢逢人さんには感謝しているのである。もし関心がある方は「夢逢人かりそめ草紙」にアクセスしてみてください。

 これから先の人生をできるだけ長く健康で過ごすために、「体のツボ」と「心のツボ」を意識していきたいと思っている。