モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



昨日は母の13回忌でした。




思い出すと申し訳なさでいっぱいです。
間質性肺炎でした。学歴は無いのですがとても頭がよく気持ちもしっかり
していました。
最期は人工呼吸器をつけました。兄が旅行中だったためです。
このことが自分を責めます。

それでなくとも、呼吸ができなくなり危篤状態になった時、数日間呼吸器を
つけたんです。その後、大量のステロイド(?)で奇跡が起こったように
元気な(もちろん動けませんが)数日を過ごすことが出来ました。
これは先生のご厚意だと思います。
奇跡の数日の間・・・・母は自分が死に行く事をまるで気づいてなく
生き返ったことを先生に、看護婦さんに、私達に笑顔で感謝の気持ちを 
そのたび伝えました。

「天井から青々した草がぶら下がって 大根とか実がなっとうのがみえる。
退院したら野菜をいっぱい食べなさいという事やろうね」 っていいます。
そこまではいいんですが 「あんたたちはみえんと?」
。。。。。 みえるわけがない。。。
けっしてぼけては無いんです。幻覚でしょう。。。

指遊びをしました。子供の頃 話や指遊びをいっぱいしてもらいました。
元気付けるために最後の子守唄と思って。。。

両手を向かい合わせて同じ指同士をカチカチしながらうたいます。
母の手と私の手で しました。

普通の病気の時だったら気恥ずかしくてとても出来ません。

(親指からです)
おやおやけんかして(親指)
子は子は ないた(小指)
ひとさまわらう(人差し指)
なかなかすまん(中指)
べに屋(紅)ですんだ(薬指)

産んでくれてありがとう とお礼を言うと 産んだだけ といいました。


これは一時的であること、次に呼吸ができない時は最期だと言われていました。
それなのに旅行のために調整したんです。
先生の言われたとおり 奇跡ではなく その日が来ました。


切開してなく 口からで、もう作り笑顔も見られません。


今日は兄が帰ってくるという日です。 その時間を待たずに私達(姉妹)は
呼吸器を外していただきました。弱弱しい声でしたがアイスクリームを
食べさせる事ができました。


そして今度は自分が死に行くことを 気づいていたと思います。

4人姉妹交代で24時間ついていました。

血液を採っていました。ジャムのように固まっています。体重を量りました。
シーツごとハンモックのようにしてです・・・・。
何のためなん?
人間がこのあとどう死んでいくか データをとるため?

いったい人間って死んでいるんでしょうか 。。。。。。。。。。。。。
そして私はどのように。。。。。。。。。。。。。。


最期の日 婦長さんが
痰の吸引の仕方を指導してくれました。
短い残り時間を家族だけで過ごさせるためです。

電気が眩しそうなので消そうか・・・というと頭を振りました。
きっと眩しくはなく暗かったんだと思います。
妹と私が両側で手をとっていました。はずしたほうが楽かな と思ったけど
それもそのままでした。
妹に あんたもお礼を・・・と促すと 妹も ありがとうを言いました。



もしも看護士さんのご家族とか医療に詳しい方が これをご覧になって
不快に思われたらすみません。



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