写真がとっても多くてすみません。 サササーーッと進んでくださいね。
高野山の奥の院まで歩いていきます。お先達さんとは別にもう一人案内の方の引率です。

一の橋です。橋を渡ったら表参道入口です。 ここからずーーーーーーーーーーーーっとお墓です。その数30万ですって・・・

町石は奥の院まで続いています。 小さな石橋は幾つでもたくさんありますが、お墓ですからこれしか撮っていません。

文学碑がありました。司馬遼太郎文学碑です。高野山の情景を描写しています。

芭蕉の句碑 父母の しきりにこいし 雉の声
句碑の文字は池大雅だそうです。耳で聞いたけど良く分からず検索したら江戸時代の画家書家でした。

歴女じゃないけど 大河ドラマはずっと見てます。お万の方と言えば家康の側室。結城秀康と 生母お万の方(左)の墓所です。

五輪塔もいたる所にあります。わかりやすいです。

墓女でもないけど 大名のお墓は250あるそうです。写真上段左、石田三成 右、薩摩島津家 下段左、加賀前田家 右、あれ~ 鶴田浩二だ。。
ウフフ 今ならもう この辺世界遺産だから作れないんですよ。鳥居にお気づきと思いますが神仏混淆です。

思いがけないほうの例です。法然上人といえば浄土宗なのに・・・ クリスチャンのお墓もありましたよ。
比叡山焼き討ちにして、高野山の僧を大量に殺害した織田信長の墓もありました 高いところで撮れませんでした。
奥の院が見えてきました。
御廟橋・・・この橋からはもう写真は撮れません。帽子も脱ぎます。お大師様が参詣者を迎えに来て下さるそうです。
37枚の橋板全部を踏むために下を1枚づつ踏むから 自然と低頭するんですよね。

皇室の墓地に続くところに石橋がありました。写真は撮れません。そして奥の院 数メートル前にお大師様がいらっしゃいます。
その前でお勤めです。写真の代わりに朱印帳です。。お大師様は入定されたといいい亡くなったって言いませんね。

同じ道を戻りたかったけど 別の道でした。お墓を作れる場所 (二の橋から)もあります。
1霊地・・・耳で聞いただけで字は分かりませんが座布団の広さ・・・の永代供養料100万円だそうです。
みがわり橋 平和橋 枠内は初めてみた苔の花です。。。夏ですね。

全部 高野杉の木立の中なんですよ。。その高野杉の入ったお守り札を買いました。買ったって言わないのかな?
次回最終回です。