モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



それは土筆(つくし)です。 遠賀川を5km遡上した遠賀町の総合運動公園です。この日は高校生がサッカーをしていました。




その運動場の土手を下りたら小川があって そのほとりや土手に土筆が顔を出し 大分伸びています。下り「えびつ」側の山です。




こちらは上り「八幡」側 帆柱山が見えます。 正直じいさんに “ここほれワンワン”と教えています。




菜の花が咲いていて 若いつぼみ を摘みました。さっと茹でてお浸しに・・・




道路を挟んで遠賀川の堤防に出ました。長い貨物列車が通っています。鹿児島本線 左が下りおんががわ駅 右側が 上り みずまき駅です。




列車がひっきりなしに(方言かな?絶え間なく)通ります。 貨物列車は下り方面に走り・・・私達は土筆を摘み・・・・河川敷 白い服の人はジョギング。



貨物列車の写真をとる人・・・・




川の中の連絡橋?では魚釣りの若者・・・




川向こうの水巻町の土手では お仕事中の人たち・・・・土手はコンクリートになるのか案じましたが

伸びの少ない芝を植えつけるそうでちょっと安心しました。




土筆は採るのは楽しいけど ハカマ をむくのが大変 1時間以上かかり、指は真黒くなりました。正味280gもありました。

とりあえず 卵とじ 菜の花はお浸し・・・・私にとって春のごちそうです。







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私の住む芦屋町は2月末の人口で 15,322人 です。 小学校が3校 中学校が1校 幼稚園 航空自衛隊の基地 特養老人ホーム 町立総合病院もあります。

幸せそうな人もつまらなさそうな人も・・・全部合わせて15,322人 です。町中が一人残らず消えてしまったと同じ、15,854人の尊い命がが犠牲になった東日本大震災から今日で1年です。

今なお行方不明の方達が1日も早くご家族のもとに帰ることができますようにお祈りします。そして復興が進みますように・・・・。

 


そんな3月、免許証の更新でした。切り替えがこの時季のため 免許証の写真がいつも冬服でむさ苦しいから 胸元がすっきり見える服を着ました。

 


普段より少し厚化粧して 行ったんですが・・・まるで“ところてん”のように はい次へ! と言われ・・・ 写真 それなりで、無駄な抵抗でした。


 


今迄と違うのは ICチップが入ったこと 普通が 中型 に代わったこと 臓器提供の意思欄があることなど。。。

 


今迄がブルーの免許証なのに、また駐車違反があって 3年かと思ったら ブルーの5年を頂けたのは嬉しかったです。 もう違反しないぞう。。。


 


ちょっと嫌だったのは 自己診断のアンケートで 正直に って言うから 正直に書いたら 最悪でした。みんな同じだと思うけど・・・ 



 




写真は 前の記事の 大内花庭園のお座敷に飾ってあった一輪挿しのつばきです。

同じ椿ですから コメント欄は閉じています。



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遠賀川を遡上して家から約30分 大内菖蒲苑 今は椿ですが 牡丹 菖蒲 の花時にも公開されます。

受付で今日は当主の奥さんの誕生日だから お座敷でお茶を差し上げます って。。3月3日のことです。 




色んな椿が咲き始めた所かな?。。 それにしても・・・・私一人の貸切だ。。。









お座敷の前の写真をとっていたら (竹林の写真)中から奥さまが招いて下さいました。 「お誕生日おめでとうございます」と挨拶した。




玄関に入るなり奥さまは よほどのお気に入りらしく 「ブスの雛様 可愛いでしょう?」って仰る。私の顔を観て? いえいえ僻みません。 




平家物語の冒頭の部分が仮名で書いてあります。 下は清盛の像です。諸行無常  この4字熟語(?)は好きですね~

写真右は このお宅のワンちゃん 名前はゆずちゃんです。。




たった一人でお茶を頂きました。久々で美味しかったです、お菓子は湖月堂の 「氷壺」 です。



お雛様です。。。  隅っこにあったこの色紙の言葉 私 胸に染みました。。。場所の事じゃなく 還る場があったらいいな。。




この屏風はとってもきれいでした。。。椿の花に 尾の長い鳥・・・



椿がたくさん 花比べしてました。





菖蒲・紫陽花の頃 庭園の様子など 以前UPしています。 ご覧いただくと嬉しいです。



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家庭菜園のある友人から白菜を貰った。。。 大好物の白菜づけを作ることに・・・

田舎のオバサンが みんな漬物くらいつけると思ったら・・・・そうでもないんですよ。 恥ずかしながら私は初めて・・・・(ヌカ漬けは作るけど)


洗って 割って ちょっと干して  塩漬けします。

桶も重石も無いから・・・・ 家にある1番大きな鍋 蒸し鍋を使うことにしました。




その上から 内鍋!を置いて重石の代わりはペットボトルの水 です。

でもね・・・・・・・間抜けですからね・・・・・・蒸し器の穴のあいた内鍋?って底につくように出来てない。。水を入れて使うんですからね。。 




翌日 水が上がってないのに気付きましたが、 白菜1個ですから、そのせいでしょう。  内鍋を抜いて皿をかぶせて重石!をしました。

それでも思うようには水が上がらなかったけど・・・・亡母や姉妹が作るのとは量が違うからこんなもんかと・・・




亡母のやり方で モミ直し・・・・いつも姉妹からこの状態で貰うから 自分でやったのは初めてです。

ここからは  昆布 唐辛子 柚子の皮をいれてこの漬物器です。 




出来上がり   漬かり具合が若いうちは大きく切って よく漬かってからは小さく切りました。どちらも美味しい・・・上出来です。





白菜は 黄色い葉っぱの・・・・もしかしたら 漬物にするのはもったいないくらいの甘みのある美味しい白菜でした。

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白壁の町並みでお雛様を観る、そぞろ歩きの中 お寺がありました。無量寿院ですがこの写真の手前の参道からもう石橋を見つけたんですよ。

私の宝物 の方にUPしてますから石橋ファンの方はご覧くださいね。




無量寿院のケヤキは八女市の文化財(天然記念物)です。 樹齢推定400年以上 高さ約25m 地際幹回り6.3 m 枝張り 東西24m 南北23m 




近松仏壇店さんの お雛様です。  




こちらの近松善蔵仏壇店さんの お雛様は箱雛でした。




伊藤本店 提灯屋さんです。この辻から曲りました。 網の入ったガラス越しのお雛様です。



こちらも提灯屋さんで伊藤勘助商店さんです。 幟もあったし 色んなものがありました。ここではお茶とお茶受けも頂きました。




この羽子板は ちょっと感動しました。 飾り用じゃなく遊び用で・・・・幼いころお正月には買ってもらいました。



お茶の実 に彩色して作った豆雛(800円)です。 芦屋につれて帰って ってせがむんです。

私がじーっと観ていたからかな? 友人がプレゼントしてくれました。 こうして我が家に連れて帰りました。




その伊藤提灯屋さんの紹介の 花紫さんでランチ ぼんぼり御膳 1480円 たべすぎた~ オバサンはこんなメニューが好きですからね。




ここにもお雛様が飾ってありました。 ホントは交流館 とか人形会館 に行けばたくさんあるんですが

私は生活の中のお雛様が観たいと思いました。




お決まりのように 雨が降り出して・・・・・ この町は、いつかまた歩きたいです。。お雛様は無くても 私 いい物を見つけたんです。

辻辻に 恵比寿さんがあっちにも こっちにも・・・・ 今度は恵比寿さんに会いに・・・








八女市福島の町並みを ご紹介しました。 


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作家 作曲家 などは生誕百年という話題をよく聴きます。 最近では先日 柳川での壇一雄の生誕百年祭の模様がチラッとありました。 

私の父は明治45年3月4日生まれ 生きていれば今日100歳です。亡父が植えた夏ミカンです。 今年もたわわに実をつけていました。




色んな思い出があるけれど・・・ なんにも親孝行してないけれど・・・ 晩年の4年間 私は誰よりも父のそばにいました。

偉人の真似をして記念植樹をしました。 父は盆栽が趣味でした。曾爺ちゃんを知らない亡父の曾孫 アユ(中1)とキミ(小1)が手伝ってくれました。 




どんぐりの実から大切に育ててきた あのベランダのどんぐりを 植えました。樹齢1ヶ月、2カ月と数えて長さを測っていたどんぐりは40cmになっています。

ふたりに曾爺ちゃんのことを話しました。





亡父は下戸で甘党でした。あんぱんが大好きで病院に毎日持って行きました。だからあんぱんを作りました。

水 強力粉 砂糖 卵 バター 塩 にドライイースト これをホームベーカリーにポン 待つこと約2時間 その間にあんこの準備です。(既製品)



12分して丸めて 濡れ布巾をかけて15分休ませ、大きくなるらしいから6個を並べました。

オーブンで二次発酵40分 終わったら溶き卵を塗ってケシの実を載せます。ないから黒ゴマでごまかしました。白いのはクルミです。 




6個 出来上がりました。 仏様に2個 私が1個 アユ&キミの家に3個持って行きました。

1時間たって また6個出来ました。。妹に3個、たまたま用のあった同級生に3個 ・・・・・結局仏様の分も生き仏(私)が食べましたけど・・・。






病院の時より ”家での思い出”の方が明るいから  好物だったおはぎも作りました。

もしかしたら初めてです・・・すりこぎでついて・・・・あんこをまぶして出来上がり。亡父に2個




今日は月一回の姉妹カードの日です。。。 おはぎをもって行きます。姉妹は硬いだの柔らかすぎるだの 既製品のあんこは・・・どうだの イチャモンつけるでしょう。

でも、そのひとときが きっと父へのプレゼントになるでしょう。。





私も3月生まれ もうすぐ66歳になります。


初めて はっきり 確認できました。 100ー66=34  私は父の34歳の時に生まれた子なんだ・・・ 


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九州新幹線筑後船小屋温泉開業記念 八女ぼんぼりまつり・・・・コメント欄は閉じています。ゆっくりごらん頂けると嬉しいです。

八女福島は江戸時代から八女地方の物産集積地としてさかえた町で、旧福島城のとき形成された町筋に町民が住みついてから造り酒屋や茶、和紙、ハゼ、竹製品、提灯、仏壇、絣、木材、傘・・・などをあつかう商人の町となり、白壁づくりの町屋が・・・・・・当時の面影を残している(パンフレットより)




電話で問い合わせて行き、まず旧木下家(現在は市が管理)を訪ねました。酒造業をしていた木下家、屋号は堺屋さんです。

右側の壁の案内板を一部 枠内に入れていますが読めるかな?




裏側に行ってみます。旧居の方です。石橋がありました。 だからこちらから入ることにしました。

石橋は、私の宝物 にもUPしています。




夢中落花 山本健吉 の碑があります。石橋を渡って入ります。




間の悪いmomomamaです。工事中でした。お庭だけです。。 お庭の手前には 山本健吉(石橋貞吉)石橋秀野の句碑  表側には蔵ギャラリーがあります。

ご両者ともお名前も知りませんでしたが、秀野さんは 山本健吉の最初の妻で、若くして亡くなったようです。。




こぶし咲く 昨日の今日と なりしかな  健吉

蝉時雨 児は擔送車に追ひつけず  秀野

ネットで調べたんですが 擔送車 は軍隊用語ではないかとのこと。 




蔵ギャラリーは扉が開いていたので、入りました。色んなお雛様がありました。一番大きな親王飾りは箱雛だったのかな?




山本健吉旧家です。 旧木下家にあった 夢中落花の碑 と二つの句碑は ここにあったのを(市に)寄贈されたようです。




二階には俳人石橋秀野 の資料室がありました。




お雛様の写真はぼーーっとしてますが 背景の調度品のレトロなことに感動しました。




房屋さんです。ぼんぼり祭りの期間中 桃色の提灯が掛けてあるお家は自由に入っていいんですが、こちらはありませんでした。 




遠くに見えていた民家 気になったでしょう? 骨董品屋さんです。公衆電話 なんて・・・懐かしい。




見覚えのある看板が幾つもありました。




商店にはそれぞれお雛様が飾られています。一緒に飾られている被布はお嬢ちゃんの七五三のお祝いかな?




つづらさんです。 箱雛があちこちにあるのはこの町の商家がとっても栄えていて裕福だったんでしょうね。






なにせ 人(観光客も通行人も)がいないのにはびっくりしました。



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ここは熊本県 菊池市泗水(しすい)町です。 道の駅の駐車場なんですが、まるで中国のよな建物が見えます。

初代町長が儒教に造詣深く孔子誕生の地、泗水に地形が似ていることから泗水の町名がつきました。(以下青文字はネットより)




その縁で孔子を祭るこの公園が作られることになったそうです、建築は当地の建築家と材料を使った本格的なものです。

孔子公園です。入ってみます。(無料)論語の中で、特に好きです。あやまちては すなわち あらたむるに 憚ることなかれ




論語は他にも色々いろいろ紹介してあります。  次の写真は、極彩色の回廊です。 




天井です。




回廊の端っこまで行った所 降りたら眼鏡橋がありました。




別の角度から観ています。 合格橋です。  これがタイトルを受験生の皆さんへ と書いた理由です。




受験の皆さん 実力を出せたらいいですね。 合格を祈って 合格橋をご紹介します。  




駐車場から見えた建物はこれでした。 祀聖亭 孔子を祭っています、清式菅造則例という建築様式です。高床式の日本建築とは趣きがずいぶんと異なります、ちなみに太平洋文化圏は高床式建築でハワイあたりまでは日本と同じです、また太陽崇拝という点でも一致しています。




祀聖亭のそばにありました。 孔子の教え 中々難しく私は守れません。




祀聖亭 階段を上って行きました。階段の真ん中の彫刻も珍しかったです。




橋の向こうの建物が資料館かな? 修理のため閉鎖中でした。





3月になりました。 少~しずつ日が長くなりました。 ペコちゃん ポコちゃんが立っているのは 紙粘土で作った芦屋桃母(momomama)橋です。






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