モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



色んな友人に 探し物 の 話をしてました。  サンキライ とも サルトリイバラ ともいうそうですが がめの葉 のなってるところを探していました。

言っとくもんですね。 パソコンの会の仲間が早速採ってきてくれました。

 

そして翌日 そのがめの葉ハンターから わが芦屋町にもあったというニュース。。 母の日の事です。  妹と行きました。

教えてもらった所にメモをとってる女性がいて こんにちは と声をかけたら・・・・ その方が植物学者のような方 場所を教えてもらいました。

 

子供の頃は食べる専門 初めて葉っぱを探します。 弦になって地面近くにあるんですね~ でもちょっと小さく やっぱり月末頃かなぁ~

 

 

場所だけ確認して駐車場に戻ったら 植物女史が待っていてくれました。 たくさん要るんだったら 愛の鐘に行く道にずっとあるって・・

声をかけてくださったからとのこと・・・・挨拶してよかったなぁ ~ 浜木綿群生地の近くです。

 

 行きながら 70歳と67歳・・の昔乙女姉妹は なんか恥ずかしいね 鐘を鳴らしに行くみたいで・・ まぁ 葉っぱとる方が恥ずかしいかもね。

あちこちにありました。30枚くらい採りました。 亡き両親の話がついつい出ます。。

 

葉っぱを採って…・あれ~ 舌の根も乾かないうちに せっかくやけ鳴らしとこうかね~ 妹です。。

 

ここから 浜木綿群生地に抜ける道です。 私は初めて通りました。 石棺がありました。 夏井ケ浜です。

 

この左側がめの葉があったけど 足場がない・・・ 踏み外したら サスペンスドラマの世界です。。 

 

どのくらいの崖かというと・・・人がこんなに小さい・・ 右側浜木綿群生地です。

 

わが芦屋町に じゃむ屋さんが 20日にオープンします。 自然素材のジャムだそうです。。 【誰でも手が届く値段で安全なじゃむを作っています】 って

楽しみです。。

 

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東陽町、最後に訪ねるのは新開橋 【熊本の石橋313】にniemonさんの マップコードをメモしてきたけど ここは割愛したので石匠館のマップで探します。

田圃の石積みが美しい地域を行ったり来たりするけど分からない・・ 川がない・・ 人もいない・・ 

 

 

やっと見つけた町人1号さん?は 知っていそうな人を教えてくれました。 小高いところにある畑に行って・・・道を教えるために道路まで降りてきてくれました。

戻って あそこを右に曲がって・・・」 戻ったけど曲がる道がない・・大分戻って・・・ もう違うって わかった   諦めよう・・・ と思ったら  軽トラックが 追ってきてる  ????? さっきの方がきて 行き過ぎ と手で合図してくださる・・・

 

 


少し広いところで・・・車を置くように言われ・・・・ そこから歩いて案内して下さいました。 車ばかりじゃ分かるはずないよ・・ 

初めて 新開橋の案内が見えるのは 大通りじゃなく石橋のホンの入り口近くです。

 

お世話になった地元の方です。 八代は地震が激しかったんですが ご無事でしょうか? お見舞い申し上げます。

訪ねたのは熊本地震の9日前 4月5日の事です。 

 

鹿が来るからと 柵がしてあるのを外して下さって 入ることができました。

 

新開橋 です。 橋の下には石畳があり、橋の土台部分が水流で掘られないような工夫がみられる。【熊本の石橋313】

 

このような小型の石橋は、かける場所の寸法を縄に取り、その縄をもとに原寸大の平面図を地面に描き、それに合わせて石橋を造ったと伝えられている。石工の里ならではの素朴な橋である。【熊本の石橋313】

 

ここ数十年前の地元の方たちの、この場所での暮らしぶりなど 訥々と話されながら 角度を変えて案内してくださいました。

 

還暦から10年 古希記念の同じ町 最後の石橋の最後の写真です。 新開橋です。

 

右側のあの橋も石橋だったそうです。 ダイナマイトで 壊したんですって・・ 昔々の事でしょうね。

 

案内してくれた方は車に戻っていきます。

私もこの道を石橋公園まで戻ったら石工の里、東陽町ともお別れ。 そう思うと長閑な景色が愛おしいです。

 

 

名残惜しいけど 名残惜しいから・・・・ もう一度石匠館に寄りました。 朝は男性お一人だったけど 女性の職員さんがおられました。

そして・・・ その方こそ・・・ 10年前 私が 熊本の石橋313 が どうしても手に入らない と言って粘ったときに 上塚館長さんに取り次いでくださって譲ってもらった その彼女だったんです。。  覚えていてくださいました。  石橋風の橋の向こうが石匠館です。

 

長々とお付き合いいただきありがとうございます。 そして熊本が 普通通りの熊本に戻りますように心から祈っています。



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 前回ご紹介の 小浦川からちょっと奥まって、道が狭く ニッチモサッチモ・・・こんな字なんですね→二進も三進も・・・行かなくなり 汗だくでバック 

 

 

草取りしてたお婆ちゃんにお願いして駐車させて頂きました。 松山橋です。

 

10年前に来たとき タクシーなんですが・・・・ ここ抜けてるんですね~ はじめまして・・・momomamaです。

 

最初の写真の案内板  石工 川野賢蔵  年代1915(大正4)年頃 長さ 8.5m 径間 7.4m 拱矢 2.5m 幅1.8m とあります。

 

中年の住民の方が河床の手前に橋台のないような 渡り橋?コンクリート の補修をされてました。

 

どうなるのか聞きたかったけど きっと 私の言い方は石橋を好きすぎて コンクリート要らないって聞こえるだろうからやめました。 見物者と生活者は別ですからね。

 

上部です。 ゴツゴツしてるけど 石そのものを感じます。

 

私が不審者に見えたのか  若い男性が来て 立派ですね~と言ったら どちらからですか? と・・・・。北九州からです。

 

戻るときに 前出のお婆さんが 椅子に掛けてたから ありがとうございました って言ったら  目が悪いもんでどなたかわからんで~ って笑顔で仰います。

 

絵にかいたようなお婆ちゃん 車を置かせてもらって・・・  とお礼を言ったら まぁ お茶も差し上げませんで・・・ って  あら お茶を差し上げなきゃならないのは私ですよ。

 

昔話に出てくるような お婆ちゃん・・・地震で お怪我はありませんでしたか? 地域の皆様にお見舞い申し上げます。

 

 

8日 水巻町にて あそぼーい が在来線とすれ違うところです。

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まずご紹介するのは館原橋(やかたはらばし)です。。  道路から見下ろす形になります。

 

ここは案内板を見つけられませんでした 。架橋 嘉永元年(1848年) 石工 種山組  長さ7.20m 幅2.30m 径間 5.90m 拱矢 2.30m (【熊本の石橋313】より)

ここのお家の方が羨ましいです。自宅用石橋ですね~ ご先祖は種山石工さんかも・・・

 

 

・・・・ということは厚かましくも羨ましいお宅の前を通りました。 下流側です。

 

 

上流側はパイプが横切ってるから 下流側の方がいいはずなんですが なんとなく落ち着かない・・ アーチの長さしか見えないからかなぁ~

 

次にご紹介するのは 仁田尾橋 です。 石工 種山組 弘化元年 1844年頃 の架橋です。

 

左側の樹は 桜なんですが 花はまばら 4月5日の事です。 上流側です。

 

下流側 です。 

 

手前の石は石橋の材料だよ という意味でおいてあるのでしょうか・・・

 

周りの景色です。。 地元の人と会ったり ちょっと心細かったり・・・いろんなことがあるけど ここは印象が薄い・・・めずらしくこの写真見て どこに駐車したか分からない・・・

地震の数日前 地元の皆様へお見舞い申し上げます。

 

今回ご紹介した二つの石橋も10年前に尋ねたところです。 10年変わらなかったったようにこれからも変わりませんように・・・

 私の宝物にはたくさんの写真をUPしています。ご覧いただけるとうれしいです。

 

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前の記事で山菜のてんぷらを食べた日・・・・お土産を頂きました。 ホントの話 そのあと5日間 食費198円しか使ってません。

翌日 まず 頂いた焼きおにぎりと てんぷらはオーブントースターで温め 残り物のおかず   てんぷらの残りはカリッとなるくらい焼いてケチャップ ぜひお試しくださいね。

 

 

次の日 筍は ツワブキと煮ました。。 ツワブキが198円・・・   そのまた次は 残りの筍 ツワブキ ワラビを加えて炒め煮 この筍の煮物両方で3日間ありました。

炒め煮はそれでも残り てんぷらにしました。

 

玉ねぎは牛丼に・・・・  カボチャは チーズ焼き 全部別の日です。。  さらに残ったかぼちゃ 玉ねぎ ワラビは味噌汁

 

節約上手でしょう? その日ごちそうになった煮卵が美味しかったから 友人に教えてもらって作りました。

卵 とがってない方を トントンとして少し割る(殻に空気を入れる) 沸騰したお湯に卵入れて 5・6分 氷水にとったら 皮はツルりと剥ける。だし汁に漬ける・・・

会社に持って行ったから 器がお湯のみしかないけど・・・おいしそうでしょう? これは6分ゆでたものです。 5分でいいな・・

 

料理というほどの事は出来ないから これ以上書くと恥をかくから・・・ 

 

ベランダの花もホンの少ししか 置いていません。 紫色のシラン  コカリナ発表会で頂いたガーベラはずっと咲き続けています。

右は アッツサクラ かわいいでしょう~

 

クリスマスローズも 色はあせたけど 咲き続けています。 黄色の花は3時に咲く 三時草です。

 

今年初めて 花が咲いた枇杷 種から植えた枇杷  実は10個以上あったけど 落ちてしまい この1個 おおきくなってね~

 

桃 です。 花だけでも嬉しいのに 去年は種ができて・・・今年は これ種じゃないよね~ 桃栗3年柿8年 おおきくな~れ~

 

お菓子を食べない人でも 名前は聞いたことあると思うんですが ポッキーです。 オシャレにワイングラスに・・・もちろんブログ用でーーーーーす。

何を撮ったのかというと  太陽に当てたら絵が出るって・・・ やってみました。 分かるでしょうか・・・ 縄跳びの縄がでましたぁ~

 

 

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近郊の山に山菜採りに行きました。 友人がよく つくし目とか ワラビ目とか言って 私のことを石橋目 って言ってました。

(石橋は見つけるけど山菜とりダメという意味です)

 

この日は ワラビ ウド ウドがなってるのは初めて見ましたね~  竹の子もありましたよ。

 

友人の家で早速いただくことに・・・ ワラビもウドもてんぷらは初めて・・・ 筍・・・これは煮物の残り物を揚げたことはあるけど、最初からてんぷらは初めて しかも ワラビも 筍も 採ったばかりだjから茹でなくていいって・・・

友人は まるでてんぷら屋さんのように 揚げた端から どうぞ って・・・ 遠慮なく いただきまーーす。

 

ワラビ 春の香り うど 一番大きいのを 遠慮なく 歯ごたえがたまらない  筍 十二単のような穂先? を初めて食べたけどシャキシャキっとしてます。

鯛は到来物だそうですが お吸い物にしてくれました。 高そうなお椀 鯛は 頭 まんなか 尻尾 じゃんけんです。 勝ってないのに何故か!一番いい真ん中が回ってきました。

 

 

                

3日に引き続き 昨日4日も あそぼーい を 撮りました。

宗像市 川原橋梁で待ち伏せ でも渋滞に巻き込まれベストポジションに行きつかなかった。。

 

信号機が点滅して 上りの あそぼーい が 近づいてきました。

 

工場が見えない方がいいけど 先の方には三脚を立てた人がいました。

 

橋梁を 渡ります。。

 

あっという間です。

 

 

一日も早く くろちゃんが 熊本・宮地間を 走られるように祈ってます。

 



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3日  あそぼーい (列車)が地震で走れない阿蘇の代わりに 博多=門司港間を走るというので(パソコンの会の友人の情報です。) 

通過時刻を確認して撮りました。 折尾駅で停車するから 駅に行けば簡単なんだけど 遠賀川を渡るのをみたかった。

 

またまた雨  12時27分ごろ水巻駅だから 26分  フロントガラス越しです。 防護壁があってダメだ~ キャラクターのくろちゃんはわかるかな?

 

熊本、長陽村の舞堂橋は九電放水路の石橋で立野の駅の近くにあります。 そこに行ったとき民家のお庭に入らせてもらい とってもお世話になった方がいます。

たまにみかんを注文したりのお付き合いがあります。 ご無事でしょうか・・

 

次は下り 15時30分 水巻だから 31分 西川(遠賀川支流 芦屋まで) 少し防護壁が小さいけど スピードが・・・

 

 

立野の知人が元気でありますように・・・ 祈りを込めて撮りました。

 

一日も速く くろちゃんが阿蘇を駆け抜けられますように・・・・ がんばれ!九州   

 

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東陽町、石匠館の説明では川俣川からは一旦戻った方がいいとのこと 石橋公園まで戻りました。  旧重見橋です。 桜がきれいな4月5日 熊本・大分震災の9日前です。

 

情報がありそうですが 写真を撮ったのは石匠館に行く前だし 早すぎて さわやか情報センターは開館前でした。 

 

池の中には ちょっと隙間の多い花筏・・  石橋公園を基準にしたから何度も通っています。

 

地面は 散華のように一面さくら色 誰もいない貸し切りで・・・なんか寝ころびたくなりました。

 

さぁ 今度は小浦川をさかのぼっていきます。 帰り道が近くなるように上流まで行って戻りながら探します。 まず今屋敷橋をたずねます。

大通りからこういう風に見えるから・・・通り過ぎないようにきょろきょろしています。 車は上の通りに置いて急坂を下りてきました。

 

私 ホントはとっても臆病で・・・・ 近くに車がないと・・・逃げ足 遅いんで。。。 地元の方は怖くないけど 

車がないと 強盗とか来たときに逃げられん・・・  でも 撮りました。

 

 

今屋敷橋 石工は種山組 1848(嘉永元)年頃  長さ7.37 m   幅2.48 m です。

 

次の橋は もう車で行きたくても道がありません。 道路からは鉄板が見えるだけ・・・上の方に車を置いてます。

 

岩本橋 石工 藤本・種山組 1871(明治4) 年頃架橋 長さ4.26m  幅1.21m 小さいけど石の積み方が可愛いです。

 

下流側です。

 

公園の石橋 農道の石橋 役目は違って みんないい・・ この辺の野の花を連れて帰りました。

鉢に植えたけど・・・やはり野に置け・・・かな・

 

八代は被災地域です。 心よりお見舞い申し上げます。

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種山石工…肥後の石工の町 八代市東陽町  震災前の4月5日です。

ご紹介するのは美生橋(びしょう橋)です。。 年代 1917(大正6)年頃 長さ8.65m 幅3.52m 石工 田上勘太郎

 

河床に降りる階段があって 降りないのは後ろ髪ひかれるけど 70歳70歳 自重しました。

氷川に合流する川俣川を上りそこに流れる美生川の上流にある橋です。

 

 

次は蓼原橋 (たではら橋) です。 こんな風景の中にあります。 美生橋より少し下流です。

 

1914年架橋 長さ20.14m  幅1.98m   石工 川野 と書いてありますね。 

多分 子供さんがご存命でしょうね。 25歳で架けた橋なら127歳 子供は一番若い子だと80歳くらい???

 

美生川に4つの石橋があり先に上流に行って 美生橋、蓼原橋とご紹介しましたが 今度は景色の都合上 4番目の山口橋をご紹介します。。

山口橋です。 奥の方にもう一つ石橋。3番目の鶴下村中橋が見えます。。 

 

山口橋案内板が見えています。 1915年(大正4年) 長さ 10.97m 幅 1.59 m 石工 川野 です。 

 

上流側からみた山口橋です。 のどかな景色でした。

 

 

それでは鶴下村中橋にいきます。 近くのおじさんが 向こうにもあるよ って仰ったから 分かってたけど そうですか って言いました。

鶴下村中橋です。

 

近くまで行って この写真をあっちからこっちから撮ってたら かのおじさん 向こう(上流側)の方がいいって・・・ 道がないもん

角の家の中から行ったらいいって 言ってやる って。。。。  

 

民家の庭を抜け 右側の竹柵のところから降りました。 鶴下村中橋 最高です。

 

石工 種山組  嬉しいです。 明治10年頃 架橋 美生川の橋で一番古かったです。

 

 

今日から5月ですね。 八代市は 震災のひどい地域でした。 心からお見舞い申し上げます。 一日も早く終息宣言が出ますように・・

子供たちがみんな学校に行けますように・・・・・ 写真は去年 遠賀郡 岡垣町立内浦小学校の皆さんの田植え です。

 

石橋の写真は  私の宝物 に UPしています。 ご覧頂けたら嬉しいです。 

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