写真は仲の瀬橋の橋脚工事の写真です。仲の瀬橋は、澱橋の下流の次の橋です。
迂闊ながら仲の瀬橋で工事をしているのは知りませんでした。知ったのは、年末ですか。いつも自転車で仲の瀬橋を通って帰宅しているのに、知りませんでした。暗くなるのが早いということもあって、工事しているのに気がつきませんでした。
たまたま橋の中間で止まって、下流側の真下を除いてみて、その代わりようにびっくりしたわけです。なんだ、これは?!何で今ここの工事が必要なのだ?!地下鉄東西線のための橋を作るためか??それにしては、場所が上流側過ぎるし。
工事を知ってからは、明るいうちに現場に行って工事を見てみようと思いつつ、今日まで延び延びとなってしまいました。
工事の案内板を探したのだが、見つかりませんでした。二本の橋脚を掘り下げて、幅を広くして丈夫な橋脚を作ろうとしていました。仙台市の工事ではなく、国の工事のようです。
まあ、必要だから工事をしているのでしょうが、川や魚に影響がなければいいのですが、心配するのはそのことです。
というのも、昔澱橋の工事のとき、橋の完成後下流の淵が壊滅的な打撃を受けてしまったということがあったからです。昔と今を単純には比較できないでしょうが、それは見事に魚がいなくなったのです。
素晴らしい岩盤の淵があり、夏は鮎釣りの人とハヤやフナ釣りの人たちが入り混じって釣りをしていたものです。
鮎釣りは、ころがし釣り(仙台では「がらがけ」)です。私たち子どもはおもり釣り。なるべく長い竿(竹の竿でした)を使って、三角錐のおもりをつけて底に沈めて、ハリがかりを待つという釣りでした。竿は直接手に持たないで、石を組んで竿を支えていました。当りがあれば竿先が大きく曲がる、人によっては芯竿の先に鈴をつけて当りを知るようにしていたものです。
こうみると、絶対魚は昔のほうが一杯いました。水は汚かったといいますが。でも、川で泳いでいたのです。
昔の古いことばかり書くときりがありませんし、読むほうとしても面白くはないかと思いますので止めます。要は、川や魚に悪い影響がなければいいということです。