今日は2月21日・水曜日です。
今日初めて分かりました、今日が「漱石の日」だということを。皆さんは知っていましたか。
なんでも、小説家であり英文学者として名を成していた夏目漱石が、明治44年(1911年)の今日、時の文部省が贈ろうとした文学博士の称号を辞退したということで漱石の日と定められたようです。辞退した理由は「自分には肩書きは必要ない」というもの。
学位の持つ権威と、それを断る漱石個人の権威の衝突は二ヶ月も続いたそうです。
博士制度を国歌が推奨することによる学問活動へのしばりと、エリートによる学問の独占を嫌ったようです。
さすが夏目漱石、権力者に擦り寄るばかりか、権力者をあおるような学者が多くなってきている現在、見上げたものです。
(以上の記事は”JAN JAN”から引用させていただきました。)
またまた、今日21日は、アメリカ軍が硫黄島に上陸してから3日目となります。摺鉢山の攻防戦が激しさを増していた日です。
昭和20年2月19日に硫黄島に上陸するまでの74日間で、米第七空軍のB-24を中心にした爆撃編隊により、約2700個・6800トンの爆弾を投下しただけではなく、戦艦を加えた軍艦により16日間もの艦砲射撃を繰り返しました。
そして19日に南海岸に上陸しました。
21日は、硫黄島の守備隊にとって唯一士気を奮い立たせる出来事がありました。
香取基地から八丈島を中継して発進した彗星12機、天山8機、ゼロ戦12機の計32機による神風特別攻撃隊第二御楯隊の支援があり、硫黄島守備隊の兵士を喜ばせたということです。とくに、陸戦隊として戦わなければならなくなった海軍部隊の将兵にとっては感激し、感涙に咽ぶ状況だったようです。
それもそのはず、戦果は護衛空母一轟沈、空母一大破、護衛空母一小破、貨物輸送船一損傷というものですから。
でも、航空機の支援はそれ限りだったということです。それからは30余日の地獄の戦闘が続いたわけです。
摺鉢山守備隊が全滅し、星条旗が翻ったのは23日でした。
クリントイーストウッド監督により、折角「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」というアメリカ軍側からと日本軍側からみた硫黄島での死闘が映画化され、改めて平和のありがたさを知らされたわけですので、この時期は硫黄島に思いを馳せてもいいのではないでしょうか。
写真は、昨日20日の広瀬川の河川敷公園の平和な風景です。犬を連れての散歩、ジョギング、保育園児の散歩等好天に誘われて、自然を満喫していました。
こうしてみると、広瀬川は本当に都会の中を流れているかわなのだということが分かります。